2006年01月02日
Hauoli Makahiki Ho!
皆様新年明けましておめでとうございます。
旧年中はお世話になりました。
本年も引き続きよろしくお願いいたします。
さて、大晦日は夕方に日本の実家に電話を入れた。
妹夫婦が丁度実家に来ていて、一足早く新年を迎えている日本では、なんだかすっかりお正月気分が盛り上がっているようだった。
私は簡単に大掃除を済ませると、大ちゃんの家に行き、年越しパーティー。
既にマキキの住宅地ではあちこちで花火が始まっていた。
今年はライセンスの制度がなくなったのだろうか?
なんだかどこにでも売っていた気がする。
12時が近づくに連れて爆竹などの音があちこちで響き渡り、ロケット花火の飛び交う音、火薬の匂いと煙が街に充満する。
年越しそばを食べ、そして年明け。
ワイキキとアロハタワーから大きな打ち上げ花火が始まった。
アラワイ運河付近や、フリーウェイのそばでもビルの10階ほどの高さまで上がる花火があったが、あれは個人で打ち上げているものにしては大きい。
大ちゃんの住むアッパーマキキのコンドの24階は、タンタラスの展望台と近い高さにあり、街中の花火がよく見えた。
今日、元旦は昼前まで寝ていたが、先ほど近所の「石鎚神社」に初詣に行ってきた。
元旦に行ったのは初めてだったが、ちゃんと社が開いていて、神主さんが控えていた。
石段を登っていくと「明けましておめでとうございます」と奥から声をかけられ、お参りをすると「では御祓いをしましょう」と言って、ささーっとやってくれた。
小さな境内の売店でおみくじを引くと、お神酒までくれた。
私は今年から厄年だと思っているのだが、どうも最近は情報が多過ぎてなんだかはっきりしない。
数え年で行くともう既に終わってしまっているとか、節分までだとか、さらには誕生日で終わるとか、どっちにしろ本厄の後には後厄があるだとか。
ハワイに住んでると厄年は関係ないという人もいるが、日系人男性は42歳になると「厄年パーティー」なるものを開いて、皆を呼んで大騒ぎする人もいるそうで、なんだか既に意味がよくわからない。
厄年の上に私は大殺界なんていうのもあるらしく、今年もまた平凡な人生は送れそうもないらしい。
今日は何度かシャワーがあったが、風がゆるくて寒くはない。
これからKENちゃんが遊びに来て、夕方から「紅白歌合戦」でも見ようと思う。
今年も「ハワイ日記」ならびにこのブログをよろしくお願いいたします。
2006年01月03日
DURAN DURAN
DURAN DURAN:Hungry Like The Wolf(1892年、Night Version12”)
お正月からAOR。
DURAN DURANは高校の時に「BEST HIT U.S.A.!」で小林克也さんが紹介してたのを思い出すなぁ。
PET SHOP BOYS
WEST END GIRLS(1985年、12”Version)
ロスアンゼルス北郊外、サンフェルナンド・ヴァレーにレセダと言う町がある。
20年前、それまでいた寮を出て友人とアパートを借りた。
テレビはなかったが、レコードとラジオは聞きまくった。
今でもこれを聞くと、あの頃にトリップする。
SIMPLE MINDS
SIMPLE MINDS:ONCE UPON A TIME(1985年)
名曲 ALIVE AND KICKING、SANCTIFY YOURSELFを収めた代表アルバム。
MADONNA
MADONNA:EXPRESS YOURSELF(1989、Non-Stop Express Mix,Stpo & Go Dubs)
MADONNA の曲の中でも、これはかなり好き。
何度も助けられた思い出がある。
なんて書くと大袈裟だが、「Express Yourself (自分を出せ)」と言うのはアメリカ生活だからではなく、生きていく中で、時には忘れてはいけない事だと思う。
2006年01月04日
新コーナー
3年連続で雨模様で天気の悪かった元旦と、やはりシャワーの多かった2日も過ぎ、今日3日はよく晴れた。
ダイアモンドヘッドクラブは正月は波があり、イベントなどが入って忙しい事もあったが、今年は比較的暇。
ヘビーリピーターが多いので、この一番高い時期は外す人が多く、私もミーティング(と言う名の飲み会)に明け暮れている。
年末が忙しかったのでちょっと手持ち無沙汰だが、日本の母から届いたり年末に友人が持ってきてくれたビデオが楽しみ。
さて、ホームページも色々いじった。
会社のHPは「ハワイの常識?非常識?」と言うコーナーを作った。
今まで頂いたご質問や疑問などに対する答えを少しずつまとめたものだが、私の個人的な意見として、日本人にも海外のマナーに慣れて欲しいと言う期待があり、スマートにバケーションを楽しんでいただきたいと言う希望もある。
ご意見などもお待ちしています。
そして個人HPでは「Wish List」と言うのを作った。
過去に頂いたお土産などを日記で紹介していたが、その為のコーナーを作ったのだ。
ただしお土産だけでなく、手に入れた、手に入ったものを載せたいと思っている。
早速年末年始に頂いたものをご紹介させていただいた。
なんだか酒とツマミばっかりだが、これもお正月。
風は緩やか。
2006年01月06日
Wish List
1月とは書いているものの、昨年末に頂いたものを含めて個人サイトに掲載したところ、なんだか凄くうらやましがられてしまっている。
勿論、酒飲み達から。
実は掲載し切れなかった、もっと豪華な御つまみもあったのだが、本当に感謝!
一昨日は半年振り、昨晩は5年振りの友人と飲んだのだが、美味しく頂かせていただき、良い時間を過ごす事が出来ました。
また彼らからも色々お土産を頂いたのだが、酒&つまみから離れて、かっこいいカレンダーもGET!
今日はワイキキでの新年会に行ってきます。
しかし今朝から急にトレードウィンドが上がって、寒い!
寒い
ワイキキの新年会から戻ってきました。
日本からの旅行者も含めて、鍋会で何度も会っている連中が集まっていて、ワイワイ騒ぎながらのたこ焼きパーティーだった。
今の季節は夜のお出かけには長いジーパンを履く事が出来るのが、おしゃれを気にさせてくれるのだが、今日は風が強く上着ももう一枚必要に感じられた。
在住者には風邪引きが多く、重ね着をしている人が多かった反面、日本から遊びに来ている人は薄着で、海などで遊んでいて真っ黒だった。
日本海側では記録的な大雪に見舞われているそうだが、テレビニュースの映像を見てもピンと来ない。
上海の友人が北京に出張した時の話では、「零下8度で凍え死にしそうになった。寒さの質が違うんだよ。めちゃくちゃ乾燥してて寒いので風が吹くと耳が風に持っていかれそうになるくらい痛い」と、水着も可能なハワイの正月をうらやんでいた。
中国の冬が今年に限って厳しいのか、いつも通りなのかはわからないが、日本では、場所によってレベルは違うが、暖冬と予想されていた日本の冬は一転して厳冬になっているし、「地球温暖化」と言う暖かそうなイメージとは反対の冬になっている。
温暖化というのは全体的に一年中暖かくなるのかと思ったら、春と秋を短くして厳しい夏と冬になっていくのだろうか?
科学者がそう言う事をちゃんと説明しているのは見たことが無い。
最近はCNNなどでも「地球温暖化」と言うテーマについては、原因とか対策と言った事をクローズアップしようとしていない様にも感じる。
何か我々一般市民が知らない事ってたくさんあるんだろうと思う。
地球って後何年、人類が生活できるんだろう?
って、なんだか難しくなりそうなので、ちょっと話題を変えて、
「雪」に関しては素人なのだが、屋根の雪下ろしについて、
あれって最初から雪が積もらないようにする事って出来ないのかな?
1、例えば屋根を暖める。
電気代はかかると思うけど、最近では雪を使って発電も出来ると聞いた事があるし、道路に温水を撒くのと同じ発想だが、それこそ温泉地なら屋根に使えないのかな?
2、例えば屋根自体を可動式にして、傘を畳むように中央が高くなる仕掛けを作れば、積もった雪が滑り落ちて、人が危険な思いをして上って重労働をするより効率的でないかな?
3、例えば屋根をほぼ平らにして、トレーニングジムのウィンミル(ランニングマシーン?)のように帯状のベルトを一面に設置し、雪が降り始めたらそれを例えば一時間に一度とか一周まわせば積もった分は落ちる。
このくらいの仕掛けなら、電力を使わなくても、家の中で操作できるかもしれない。
まあ寝ている間にベルトが回らなくなるほど重く積もっては意味が無いが・・・。
自然現象に関しては人間は逆らう事は出来ない。
嫌うよりも最大限に利用するのが知恵だと思う。
今回は雪国の方からのメコントお待ちしています。
2006年01月08日
島半周
昨日はお昼からのハーフCIだった。
風が上がって少し肌寒く感じられたが、日本からのお客さんたちにとっては常夏の島。
天気も良く、まだ正月の賑わいの残るワイキキを出発。
ダイアモンドヘッドのルックアウトから下を見ると、波はほんの2フィート弱。
クジラの様子もなかった。
カハラを抜けると、ワイアラエCCではソニー・オープンの準備をしていた。
プルメリアもすっかり少なくなったカラニアナオレ・ハイウェイを走り、ハナウマを過ぎると、海は大分うねっていた。
サンディービーチはローカルでかなり混雑していた。
マカプウの工事はまだまだ続いていたが、路肩に止めた車も多く、トレッキングは普通に出来るようだ。
ウィンドワードに出て、ルックアウトからマカプウビーチを見下ろす。
ここには4フィートほどの波が寄せていた。
ワイマナロに入って、ベロウズビーチも随分賑わっていた。
普段の20倍ほどの人数だったが、ワイキキに比べたら半分以下。
ここでお客さんの一人、小さなお子さんが海に足をつけようとして、波を被ってしまうハプニング発生!
とりあえず身体をタオルで乾かして、「SUMOコネクション」に移動。
ここでは子供用のハワイアンウェアも多く、購入した服に着替えると、すっかりローカルの子供のように可愛らしくなった。
アンティー・ジャンはなんだか眠たそうだったが、去年まで入り口にかかっていた「大相撲カレンダー」がないので聞いてみると、今年はまだ入手していないのだそうだ。
私が既にGETした事を言うと、うらやましがられた。
次はカイルアビーチ。
風が強いせいか、日本人観光客の姿は少なかったが、それなりに人出はあった。
ウィンドサーファーが海上を疾走している姿に、お客さんも驚かれていた。
カイルアの町を抜けて、パリハイウェイに入り、パリ・ルックアウトに行った。
さすがに凄い風で、私は寒くて震えてしまった。
その後南側に下りて、H−1に入ってモアナルア・ガーデン。
他のリムジンやバスの回ってくる時間と重なってしまい日本人で込み合っていたが、ゆっくりと「この木何の木」を見ていただいて、最後にタンタラスの丘。
相変わらず人は少なかったが、ワイキキを一望する景色に、お客さんたちはとても喜んでいらした。
今日は途中コオラウ山脈の上の雲から雨粒が何度か流れてきたが、下車地点では全て晴れて、ラッキーだった。
夜には半分ほどの月が上がっていた。
2006年01月09日
スカイダイビングの事故
既にYahooの掲示板でご質問が出たので、私の知り得る情報は公開しているが、今月6日にオアフ島のスカイダイビングで死亡事故が起きた。
私も10年以上知っているドイツ人のインストラクターと日本人女性のパッセンジャーが亡くなられた。
事故を起こしたのはいつもの安売りの会社「S.H.」。
しかしパラシュートは開いたのだが、インストラクターがハートアタックに遭ったらしい。
私がドロップゾーンによく出入りしていた頃には、冬になるとドイツ人仲間達とやってくる、スカイダイバーの爺さんで、皆からMAXと呼ばれていた。
MAXはあまり英語は話せなかったが、人懐っこく、毎朝鍛えている身体はさすが退役軍人という感じだった。
いつしかずっとハワイにいるようになり、ドロップゾーンに住み着いていた。
正直、私は彼がタンデムのインストラクターになっていたなんて知らなかった。
実は同じようにドイツから来ていたスカイダイバーで、アメリカ人と結婚してハワイに住み着き、インストラクターをやっていた男が前にもいたのだが、MAXより遥かに若かった。
MAXは69歳だったそうだが、見た目はもう少し若かった。
しかしインストラクターをする年齢だとは思っていなかった。
当日の朝、MAXは左腕の痛みを訴えていたらしい。
これは心筋梗塞の兆候だそうだ。
仕事を休みたいとも言っていたそうだが、安全を軽視した会社は彼に仕事をさせた。
スカイダイビングは決して危ないスポーツではない。
こんな事故が起きると大きく報道されたり、落下と言う人間が持つ恐怖に対するイメージが増幅されてはしまうが、スカイダイビングの事故で死亡する確率は自動車事故よりも遥かに少ない。
統計学的には蜂に刺されて死ぬ確立より低いそうだ。
だが、インストラクターやパラシュート、飛行機などの管理は会社によって安全基準の実体が異なっている。
今まで何度も訴えてきたが、スカイダイビングだけは安い物を求めないで欲しい。
万が一を回避する為にも。
「S.H.社」の社長は自分のスタッフとお客さんが運ばれた病院にも行かなかったらしい。
MAXが当日体調不良を訴えていたのを知りながら社長が仕事をさせていたとすると、ウェーバー(同意書)の契約に違反する事になるはずで、訴えられる可能性が高い。
彼が訴えらるのはこれまで1度や2度ではなく、また逃げ回って、そのうちに戻ってくるという事の繰り返しなのか?
私の友人がオーナーだからと言う訳ではないが、「P社」のように真面目にやっている会社まで悪い影響を受けるのが悔しい。
亡くなられたパッセンジャーとMAXのご冥福をお祈りします。
2006年01月10日
常識?非常識?
昨日までは風が強くて寒いだけだったが、今日は天気も崩れてシャワーが多かった。
まあ夕方には大きな虹が出ていたが、音を立てて吹き抜ける風に、虹もなんだか寒そうに見えた。
先週末まで届いていたクリスマスカードや年賀状も、今日はようやく収まったようだ。
年末年始で多くのカードなど頂きありがとうございました。
さて最近会社のHPで「ハワイの常識?非常識?」と言うコーナーを作ったのだが、色々インパクトがあったようだ。
まあ、元々色んな奴のいるアメリカで、日本人以外でも常識外れを見る事は勿論あるし、アメリカ人でも出身地などで実際にマナーが違っていたりする。
ハワイに住んでいる日本人は、自分が接した外国人の行動がそのままアメリカ人のマナーだと思ってしまっているちょっと変な人もいるし、長い間住んでるのにマナーを全然知らないのもいる。
特にワイキキではマナーもルールもない状況をよく目撃するが、歩きながらのタバコなど、日本でもマナー違反をしている人は他人の事など目に入らないのだろうか?
今後はもう少し範囲を広げて、ハワイでのバケーションを楽しく過ごしていただく為に、文化の違いなど書いて行きたいと思っている。
2006年01月11日
郵便料金の値上げ
昨日(1月9日)から、アメリカの郵便料金が値上げされた。
国内の封書の基本料金は37セントから2セント上がって、39セントになった。
また、日本などの外国への料金は80セントから4セント上がり、84セントになった。
実は昨日郵便局へ行った時、なんだか列が随分長く、月曜と言う事を考えても長いなぁと感じた。
私は郵便料金値上げを知ったのが先週末の事で、いつから値上げなのかわからず、職員に「値上げはいつからなの?」と聞いたら、「今日からよ」とあっさり答えたが、私の周りも知らない人が多かった。
なんだか事前の告知が随分少なかったように感じた。
今日は風も少し弱まり、気温も若干上がったように感じた。
2006年01月12日
「キャバレー」
「キャバレー」(栗本 薫、角川文庫)
私は聞いた事が無かったが、カバーを見るとどうやら映画化されていたようだ。
若いミュージシャンと中年ヤクザのハードボイルド。
場末の雰囲気がなかなか良かった。
「奇病連盟」
「奇病連盟」(北 壮夫、新潮文庫)
さすがドクトル・マンボウ、面白かった。
「中島らも の たまらん人々」
「中島らものたまらん人々」(中島らも、徳間文庫)
いわゆる業界人の変わった人々について、イラスト満載で解説している本。
かなり笑えた。
「ダブル」
「ダブル」(桑原譲太郎、ハルキ文庫)
二人の男を中心にストーリーが進むハードボイルド。
最後はかなり目茶目茶な展開になるが、一気に読んでしまった。
2006年01月13日
ボーンネックレス
ノースショアでまた少しボーンネックレスを仕入れてきたので、写真を撮ってネットショップにUPした。
今回はHONU(ウミガメ)型のものを二つ入れたが、両方ともなかなか可愛い。
HONUのピアスを仕入れた時にネックレスも欲しいと言うリクエストがあったので、店の方に伝えておいたところ、アーティストにリクエストがちゃんと伝わったようで、このところHONU型の物が増えてきている。
評判が良いようならまた仕入れたい。
フィッシュフック型のものはマザー・オブ・パールのアクセント入り。
角度によって七色に光るのがポイント。
今日はまた風が強くなって、すきま風が音を立てて部屋に入ってくる。
2006年01月14日
レインボーシャワー
今日は風が少し緩くなったかな?と思うと、突風が椰子の木を揺らす。
青空が見えたかな?と思うと、シャワーが窓を叩く。
雨季だから仕方ないのだが、天気が安定しない。
最低気温は20度ほどで、今の日本の現状から言ったら決して寒いなんて言えないのだが、体感気温はそれよりも大分低く、今年はなかなか初泳ぎに行けない。
しかし、そんな中でも春の予感を感じさせてくれたのが、キングストリートのレインボーシャワー。
まだまだ花のない季節に、少しだけ遠慮がちに咲いているのを見つけた。
現在ワイアラエ・カントリークラブで行われているソニーオープンに出場しているミシェル・ウィーも風の為に調子が出ていないようだ。
2006年01月15日
U2
とうとうU2がハワイにやってくる!
このニュースを聞いたのはお正月の事だった。
なんとハワイに来るのは20年振りだそうだ。
早速ネットでチケットを探したが、どこにも売っていない。
4月のコンサートのチケットだが、その時はチケット発売の情報はまだ発表されていなかった。
しかし!
今日14日が発売日だと知ったのは、今日の昼。
一番安い50ドルのチケットを買おうと思ったら、既に売り切れ。
まだ200ドルと600ドルのチケットは残っているらしいが、手が出ない・・・。
う〜〜ん、辛い。
今日は風も収まり気温も上がったが、どうやら明日からコナウィンドが入ってくるようで、ヴォッグの予想も出ている。
逆に蒸し暑くなるかもしれない。
2006年01月16日
トーマス・スクエア
今日はコナウィンドは吹かなかったが、東よりの風が入ってきて、低い雲が無くなり空が高かった。
アメリカは月曜の「マーチン・ルーサー・キング・デー」の祝日を絡めての3連休の中日。
ダウンタウンのイオラニ宮殿ではハワイアンの大規模な集会が開かれていたようだが、マキキは静かなもの。
トーマス・スクエアの先まで散歩に行った。
最初に目に入ってきたのは、太陽に向かって笑っているような、真っ赤なハイビスカス。
足元の歩道で、シマバトがたむろっている。
見上げると、今日はキングストリートのレインボーシャワーが既に増えている。
今にも咲きそうな蕾も見つけた。
「ジッピーズ」のパーキングにはピンク色のオーキッドツリーが青空に映えていた。
今年はマンゴーの開花が早いと思う。
(写真の赤いところに白っぽい花が付いている)
そしてこれはマンゴーの花の蕾。
トーマス・スクエアはヤングストリートの突き当たりでヴィクトリア・ストリートとワード・アヴェニューに東西を挟まれ、ベレタニアとサウス・キングの間に横たわっている公園。
ベレタニア側にはホノルル美術館、サウスキング側にはニール・ブレイズデル・コンサートホールがある。
中央には大きな噴水と、それを取り囲むように巨大バニアンツリーが並んでいる。
まあ大抵数人のホームレスもお昼寝してるが、なんだかとっても気持ち良さそうだった。
夜は月にうっすらと高い雲がかかっていた。
2006年01月18日
English - 私と英語2
前回ようやく書いた英語に関する記事について様々なご意見を頂いたが、少し補足をしながら続けたい。
まず、最初にLAで肉体労働のバイトを始めた時、辞書やメモを持ち歩いていた事を「凄い」とか「立派」とか言うご意見もあったのだが、最初から考えてやっていた訳ではない。
何しろボスの言っている事がよくわからずに、荷物の山をこちらへ運んだら、ここではなくてあちらだったなんて言う事があり、英語がわからなかった罰をその場で与えられていた様な事があったので辞書やメモを持ち歩き始めたのだ。
また、カレッジに通っていた頃でも、マクドナルドでコーヒーを頼むと何故かコーラが出てくる事があった。
最初は向こうが間違えたのだろうと思ったのだが、それを言う英語力がない。
仕方なく翌日もう一度コーヒーを頼むとまたコーラが出てきた。
結局コーヒーの発音さえしっかり出来ていなかったのだが、何度目かにちゃんとコーヒーが出て来た時には、感動さえ覚えた。
失敗したり、恥を書いたりしながら、一つずつ覚えていくしかないと言う事を理解していったのである。
これは今でも一緒。
恥を恐れていては英語は上達しない。
逆に恥をかくと、一つ覚える。
日本の英語教育は意味が無いとも書いたが、文法に関してはどう教えようと一緒なので、英語の文章を理解していくにあたっては重要。
ちなみに私はいまだに高校の時の英文法の参考書を使っている。
S + V, S + V + O などの5文型は基礎なのだが、文章が長くなると節の区切り方がわからなくなってくる。
これは表現方法のテクニックの問題で、日本語でも色々な文章があるのと同様、英語にも書き手の個性がある。
日本で教えられたシェークスピアもこの一つに過ぎない筈なのだが、これを中学高校生に教える必要は全く無いと思う。
英語を言語学的、文学的な表現手段の一つとして捉える事は、大学生の専門研究的分野の話であると思うし、実用的な英語の理解を高めるには、古典や詩歌を混ぜるのはかえって混乱をもたらすとも思う。
何しろ中学高校と6年間も勉強してきた英語が全然使い物にならなかった事への驚きと落胆は予想以上だったが、アメリカに来て僅か半年ほどである程度ヒアリングが向上し、その後半年で自分の言いたい事が何とか表現できるようになったと言う事は、どう考えても日本の英語教育の意味の無さではないだろうか。
まあハワイと違って、一歩外に出れば英語しか使えない世界で、英語を話さないと仕事も買い物も出来ない環境は、日本ではなかなかありえないかもしれない。
倉庫のバイトをしていた時には、同僚から汚い言葉を随分教わった。
当時上映されていた、エディー・マーフィーの「ビバリーヒルズ・コップ」は、これがわからないと絶対に理解できない映画だった。
そして日本語には訳しようの無い言葉である事もわかった。
つまり英語を日本語に訳して理解するのではなく、英語をそのままニュアンスとして理解する事も身に付けていった。
私の友人には日本にいながら英語の勉強をして通訳までやっていた男がいるが、英語を理解すると言う事と、通訳をする技術はまた別のことで、私にはなかなか出来ない事だった。
いまだに英語で話している時と、日本語を話す時は、脳味噌の別の所を使っている気がする。
映画と言えば、当時は「ゴースト・バスターズ」や「ターミネーター」なども上映され、字幕無しに映画を見る楽しさも学んだ。
何しろ最初から無いのだから、役者の演技に集中する。
するとエキストラのような端の役者までが日本とはレベルが違い、細かいところはわからなくても、ちゃんとストーリーは理解する事が出来た。
勿論映画のジャンルにもよって、法廷物など専門用語の多いものや、ドラマで会話の多いものなどはなかなかストーリーを追えなかった。
また、ケーブルテレビがアメリカ中に蔓延して行った時期で、M-TVなどは時間さえあれば見ていた気がする。
レストランで働き始めて今度は丁寧な英語を覚えた。
英語には日本語のようにはっきりとした丁寧語や尊敬語があるわけではないが、丁寧な言い回しや相手を気遣った表現方法などがある。
ワイキキで買い物をしている日本人を見ると、ぶっきらぼうに単語だけを並べている人が多いが、ABCストアならまだしも、もう少しちゃんとした店でも同じ人がいる。
ABCストアで例えば「Beer?」と言えば、ビールの場所を教えてくれると思うが、もう少しちゃんとした文章にすれば「Where is the beer?」位になる。
さらに「Would you tell me where the beer is?」と言えれば、相手の反応もかなり違ってくるはず。
日本ではスパーマーケットでもどこの店でも客が何故かとても偉そうにしているが、物を売る人と買う人は基本的に同等で、その仲介をする人が店員なのである。
客にはビールはどこかと聞く権利と、店員にはそれを教える義務があるが、言葉遣いは個人の人柄を表し、ぶっきらぼうな人はそれなりの人にしか見られない。
相手が機械ならまだしも、レストランなどのサービス業の人間に対しては、それを受ける側もそれなりの敬意を払わなければいけないと思う。
サービスが悪かったと言う前に、自分の英語も見直して欲しいと思う。
言い方一つで相手も出方が変わるのは日本語同士でも同じではないだろうか。
日本の学校では難しい単語ばかり教えるが、決して難しい事ではなくちょっとした英語の使い方や言い回しで、ハワイやアメリカでの生活がグレードアップする事は間違いない。
勿論最後に「Thank you」は忘れずに。
物を教えてくれたり、袋に入れてくれたり、運んでくれただけでもこの一言は忘れないように。
さて、汚い言葉と丁寧な言葉を覚えると、ほとんどの場面での会話はその間にあり、成り立ってしまった。
まだまだ(今でも…)単語力は無かったが、ドアボーイからアシスタントマネージャーになって、ほぼ同い年のウェイター、ウェイトレスの管理を任されると、アメリカ人のいい加減さにはほとほと困らされてしまった。
この時初めてアメリカ人を上から見て、アメリカのいい加減さもわかってきた。
これは英語にも当てはまり、アメリカ人でさえも文法が違っていたり、単語の使い方やスペルさえも正確に知らないものが多い事に驚かされたが、同時に私はアメリカを舐め始めた。
こんないい加減な奴らが使っている言葉を、どうしてオレが話せないんだ?
と思うようになると、正確な英語と言う心がけより、意思の疎通のほうが大事になってきた。
実際働いていたレストランでは、メキシコからの出稼ぎ労働者を数人雇っていたのだが、彼らのほとんどは英語が話せなかった。
スペイン語の単語も覚えたが、相手がわかる英語だけで会話をしたり、相手に日本語を覚えさせた事もあった。
LAをはじめとするアメリカの特に南の州では、メキシコなど中南米系の出稼ぎ労働者が多く、ほとんどが不法入国者だったりもしたが、アメリカでありながら私よりも、と言うかほとんど全く英語を話せない人が大勢いる事にショックを受けた。
しかし皆それなりに生活をしている訳で、日本にいる外国人とは状況が大分違うなぁとも感じた。
エッチな言葉を教わったり、英語で喧嘩をしたり、冗談を言ったりと、英語の実践はどんどんバリエーションが増え、レストランの店長になると、英語だけで行われる支店長会議に出て発言をしたり、意見を言ったりと、レベルも上がっていったように思えた。
2年間に2つのレストランで店長を経験してしまったのだが、私は水商売がやりたくてアメリカに来た訳ではなく、深みに入ることを恐れて、また別の仕事の可能性を得るために手に職を付けたくて一度日本に帰国した。
20歳からの2年間でLAですっかりアメリカナイズドされていた私は、着る物もすっかりセンスが変わり、原宿の駅で友達と待ち合わせをしていたら次々と外国人から声をかけられた事があった。
皆私に道順や場所を尋ねるのだが、私も帰国直後だったし、知らない場所も多かった。
私が「悪いけどわからないよ」と答えると、「誰かわかる人はいないかなぁ?隣の人に聞いてみてくれないか?」と言われることがしばしばで、「それなら自分で聞いてみたら?」と言うと、「私は日本語がよくわからないんで聞いてくれないかな?」とか「彼は英語が通じるかな?」と言う。
ではなぜ同じように立っているだけの私が英語を話せると言う事がわかったのか聞いてみると、多くの日本人が外国人を見ただけで目を逸らしていたのに対して、ある程度外国人慣れしていた私はそう言う事がなかったという答えが多かった。
確かに私は、予備校時代に仲良くなった当時現役の東大生よりは英会話は出来たのだが、これが仕事にすぐに結びつくかと言うと、そうは甘くは無かった。
英語も使う仕事を探したが、2年の在米経験だけでは留学と変わらず、相手にもされなかった。
結局英語の学習教材のセールスなどをしばらくしたが、これではアメリカに戻っても役には立たないと考えて、バブルの始まっていた当時人気の高まっていたコンピュータ関係の会社に入った。
コンピュータのプログラミング言語は基本的に英語をベースとしていて、今までの英語のスキルは多少役に立ったが、その後アメリカ出張でプログラムをインストールしたりテストしたりと言う仕事が回ってきてから、数ヶ月単位で数人のチームを作ってアメリカに行き、通訳から車の運転など私の経験と知識が役に立った。
だが、日本でしばらく居ると、英語力はすぐに落ちるという事実も知った。
英会話学校には何の期待も持っていなかったので、外国人が多く出入りする六本木のディスコで遊んだり、外で外国人が困っているようだと進んで声をかけて助けてあげたりと、英語を使うチャンスは探していたが、周りが全て英語という環境に比べたら機会は少ない。
この、日本とアメリカを行ったり来たりと言う状態が4年半ほど続き、私の英語力はやや衰えて行ったのだが、ある程度のコンピュータの技術が身に付いたところで、本格的にアメリカ生活に戻る事にした。
勿論この技術を生かして仕事をするつもりだったのだが、何の伝も無く英語も中途半端な日本人がアメリカでコンピュータの世界に入ることは難しかった。
時は1991年、まだ「Y2K」問題が騒がれる前の事だった。
もう少し遅ければ、アメリカだけではなく世界中で猫の手も借りたい程のコンピュータ技術者不足になるのだが、結局この時私はコンピュータのスキルを生かすことは出来ず、流れるように生活の為にツアーの世界に入ってしまうのだった。
そしてこの後、「LA暴動」があり、ツアーの仕事はなくなり、食うや食わずの状態も経験した。
ホームレスが街に溢れ、英語どころではなくて、生きるのに必死だった時代。
20歳当時のLAで知り合う事の出来た日本人はほんの僅かで、色々と訳ありの人が多かったが、この頃になると留学生なども増えていて、多くの日本人にも助けられた。
アメリカ生活は英語が無ければ進めないが、英語だけで生活する必要も無く、多くの人種と移民によって構成されているこの国では、例えば日本人が限りなく日本人的に生活する事も可能なのである。
最初は一生懸命アメリカ人になろうとしていた私も、日本人としてのアイデンティティを感じて、英語を生活の為の道具として捉えるようになっていった。
自然に使う言葉が限られていって、英語力はまたしても停滞期を迎えてしまった。
そして運命に流されるまま、次はハワイに生活の場を探しに来てしまったのだ。
続く。
2006年01月20日
最近のスポーツ アメリカにいながら、日本の野球や相撲にも興味はあるが、サッカーはほとんど興味が無い。
何しろJリーグなんてアメリカに出てから始まったものだから、よくわからないのだ。
アメリカでは3大国技のうち、バスケットと野球には関心があるが、フットボールには関心は無い。
でもまあドラマを見るのだったらスポーツの方が面白いと思う。
と言う事で、今一番盛り上がっているのは大相撲初場所。
朝青龍の8連覇が危なくなっているが、モンゴルやヨーロッパ勢だけではなくて日本人力士も頑張っているところが面白い。
今年は野球のWBC・世界大会が面白そうだが、松井がいないというのは私にとってはかな〜りダウン。
チームメイトのジーターも出るんだから、ヤンキースのスタインブレーナー・オーナーは松井にも「行け!」と言うべきではなかっただろうか!
巨人は清原に代わる大砲をゲットしたようだが、原監督がどの様にチームを組み立てていくのかはまだわからない。
NBAではレイカースが何とか頑張っている。
先日は元チームメイトのシャキール・オニール率いるマイアミとの戦いで、コービとシャックがようやく握手をして仲直りをした事が、翌日の新聞のスポーツ欄の一面に大きな写真入で報じられていたくらい、私にも嬉しいニュースだった。
かつてレイカースを3度も優勝に導き、引退を撤回して戻ってきたフィル・ジャクソン監督の元、コービと若いチームメイトが今シーズンどこまで進めるかは目が離せない。
そう言えば先日カハラのワイアラエCCで行われていたゴルフのSONYオープンは、結局日本勢は全く振るわず、話題のミッシェル・ウィーも予選を通過できず、なんだか盛り上がりには欠けていたようだ。
2006年01月21日
マックでお茶
ハワイのマクドナルドでは、いくつかオリジナルのメニューがある。
ブレックファスト・メニューには「ポーチギースソーセージ、スパム&ライス」があり、さらに「サイミン」や「フルーツパンチ」もあるが、この度ハワイ限定で緑茶を販売する事になったのだそうだ。
ハワイではアジア系ローカルの中でも緑茶はとても人気があり、健康志向も手伝って、オーガニックの緑茶を提供するそうだ。
このお茶はハワイアン・アイランズ・ティーカンパニーが製造しているもので、米国農務省から認定を受けた100%オーガニックティー。
日本人は特に喜びそうな話だが、ハンバーガー+お茶と言う組み合わせがハワイのトレンドになるのかもしれない。
その前に、朝一番で集まっている老人会には受けそうだ。
牛肉
先月ようやく再開された日本への輸出。
すっかり肉が大好きになっている日本人にとって、嬉しいニュースだったはずだ。
日本人の気質から言って、安全への不安があるものは受け付けられず、再開までは多くの協議と時間をかけたが、「全頭検査」と言う日本国内の基準を曲げてアメリカの言い分を聞き、ルールを作った。
それがたったの1ヶ月で破られてしまった・・・。
アメリカなんて結局こんないい加減な国なのである。
もしもアメリカが帝国主義で世界を統一しようとしていても、こんな国に誰が付いていくだろうか?と思ってしまう。
世界を統一するにはスタンダードが必要になるが、アメリカは自分たちのやり方を変えようとはしない。
国際基準のメートル・グラム法を使わずに、外国との宇宙開発協力で莫大な損失を出すチョンボをした事もある。
昨日の小泉首相の施政方針演説でも、日米同盟の重要性を歌いながら「京都議定書」の話を出してアメリカにちくりとやったのは、ちょっと面白かった。
結局アメリカが一生懸命なのは自分たちの儲けの事ばかりで、他の国の国民の事も、地球の環境も考えていない。
と、久しぶりにかなりがっかりした。
まあ、アメリカでも今回の輸出に関して大騒ぎをしているようだが、日本人消費者はそう甘くは無いと思う。
2006年01月23日
雪
昨日は午後から風が弱くなり、夜は星が出ていたにもかかわらずほとんど無風になった。
今日はじわじわと雲が出てきて、午後からはどんよりと曇ってしまった。
さて、日本では東京でも積雪があったそうで、雪景色の写真をあちこちから送っていただいた。
KTのコンサートが中野で開かれて、寒い外とは対照的に会場内を熱くさせたらしい。
交通機関にも乱れがあったようだが、成田空港では機材のやりくりがつかずに、ロビーで一晩過ごした人も出たそうだ。
ハワイ便も欠航が出たようで、私の今週のツアーに影響が出そうな感じになってきた。
ハワイに住んでいても雪の被害はあった・・・。
2006年01月25日
マカプウハイク
今日は朝から雨が降っていた。
マカプウ岬へのハイキングツアーが入っていたが、気象レーダーのサイトを見てもオアフ島東部は全体的に降り続いていたので、とりあえずピックアップを一時間遅らせた。
しかしその後も断続的に振り続けたので、半分以上は諦めの気持ちで、とりあえずハナウマ湾の先くらいまで行ってみる事にした。
サンディービーチを過ぎても空は雲に覆われていたが、マカプウ付近は道路の濡れ方も少なく、降ってはいなかったので、お客さんと打ち合わせをして登る事にした。
工事は全然終わっていないのだが、まず、入り口の看板をよく見ると、工事の終了予定が今年の4月になっていた。
4月って、クジラのシーズン終わっちゃうじゃん!
しかも、ハワイのペースだとゴールデンウィークにも間に合わない予感。
最初にゲートから入るのは以前と一緒だったが、すぐに臨時の回り道と言うか近道を示すポールがあり、それに沿って進んでいく。
こんな所を歩くならトレッキングシューズがあったほうが良い。
第2ゲートの手前の途中から、オリジナルのルートに出る。
この季節は普段は雑草が多くて道路の両側を覆っているのだが、綺麗に刈り取られていた。
天気に関係なく、アメリカ人が数組歩いていた。
しばらく上ると工事現場の全容が見えてきた。
登った事がある方の為に、詳細の説明図。
さて、クジラは見えるかなと期待に胸を膨らませて「火サス」に到着。
観察中のアメリカ人が沖を指差していたので、どうやらいるようだ。
しばらく見ているとまずは親クジラがジャンプして、大きな飛沫が上がった。
そしてその後には子クジラがジャンプ!
間を置かずにまた子クジラのジャンプ!
どうやら2頭の子クジラが親と遊んでいるらしい。
2頭の子クジラがほぼ同時にジャンプする様子も観察できた。
「クジラの展望台」に移動すると、しっかり腰をすえて観察中のご夫婦がいたが、どうもなかなか見つからない様子。
双眼鏡を握り締めていたが、ジャンプでもしない限り、ちょっとした潮吹きを見つけるのは難しい。
今日はうねりは少なかったが白波が多く、初めての人ではなかなか見つからないかもしれない。
結局我々もその後は頂上までクジラは見つけられなかった。
マカプウ岬の頂上から見たウィンドワードも雨雲に覆われていたが、ハイキング中は2度ほどショートシャワーに遭っただけだった。
例によってスパム結びのスナックタイムなのだが、セブンイレブンのスパム結びが少し変わった。
味は一緒なのだが、以前のようなプラスティックのラップで包んだだけの物ではなく、日本のコンビニのお結びのように中央から記しに沿って綺麗に剥がせるように改良されていた。
ちなみに値段も10セント上がった。
食べ終わった頃にカージナルが飛んできて、すぐ近くの木上でしきりにアピールしていたが、ちょっと遅かった。
下りは、誰もいなくなった「クジラの展望台」の近くで、やはり子クジラのジャンプを何度か見ることが出来た。
帰り道、カラニアナオレ・ハイウェイを走っていると、ハワイカイを過ぎてアイナハイナ辺りで再びシャワーが降り始め、ワイキキまで断続的に降り続いた。
夕方は一時スコールも来た。
今日のハイキングはラッキーだった。
クジラが呼んでくれたのかな?
でも、沢山撮った写真には全然写っていなかった・・・。
2006年01月26日
雨
昨日は運良くマカプウ岬を歩く事が出来たが、今日は雨でツアーが中止になった。
風が強くても、多少寒くても、晴れていればハワイは綺麗だが、今日は無理に行ったらお客さんが可哀想だと思った。
ホノルルは午前中に何度か雲に切れ間が出来たくらいで、ほぼ一日中降ったり止んだりの曇り空だった。
気象レーダーのサイトでもウィンドワードからノースショアにかけてを、次々とスコールが襲っている様子がわかった。
先週はまあ天気も良かったがツアーはほとんど無く、空が崩れた今週はツアーが多い。
なかなか上手く行かないものである。
実は来月もツアーの予約や予定が2月15日からの1週間に集中している。
どうもこの前後に団体がハワイに入ってくるらしく、エアーやアコモの手配が出来ないと言う声を聞く。
既に数組のお客さんをお断りしている状況なので、その時はお天気の神様にも是非味方してもらいたい。
2006年01月30日
帰省作戦
昨年は秋頃に3年ぶりに日本に帰省しようと思っていたが、5〜6月期の稼ぎが予想を下回り、やむなく中止した。
名古屋の地球博で旅行者が減ったのが原因だったが、万博の信じられない混雑のおかげで、夏から秋にかけてはハワイに観光客がちゃんと戻ってきて、結果的に予算は出たかもしれないが、忙しくて秋にツアーを空ける訳には行かなかった。
今年は今のところ7月上旬に計画をしている。
しかし今年の1月は理由がはっきりしないまま、日本人観光客が少ない。
団体ツアーは時々見かけるので、旅行業界でもある程度忙しい人もいるようだが、圧倒的に増えているのがアメリカ人旅行者。
アメリカ人でも田舎のほうからの年配のパッケージツアーが増えているようで、大型バスに乗ってぞろぞろ観光している姿をよく見かける。
2月はまあまあブッキングが入ってきているが、このままだとまた帰省は難しくなるかもしれない。
先週は雨で何度かツアーが潰れたのだが、その間やっていたのはパスポート探し。
4年前に使ったきりのパスポートがどうしても見つからない。
随分あちこち掃除をしながら探しているが、いまだに出てこない。
掃除をしてたら足の薬指を思いっきりぶつけて、紫色に腫れてしまった。
一瞬息が止まってのた打ち回ったが、今は歩く時に少し引きずるくらいまで回復した。
私は2月の節分を過ぎると本厄が明けるらしいが、それまではこんな調子なのかもしれない。
昨日からホノルルもお天気が回復してきて、今日は清々しい青空が広がっている。
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