ハワイ日記2011年03月


2011年03月02日

プラント

1月半ばから2月中旬は凄く忙しかったのだが、この10日ほどはツアーが少なかった。

この時期は時間が出来ると昨年分の会計作業を済ませなければならない。

領収書を分類して計算したり、まあ単純作業ではあるのだが、普段の仕事内容とは随分違うために結構骨が折れる。

ようやくトレードウィンドらしい風が吹き始め、VOGもほぼ無くなってはいるが、ちょうど満月の10日後でクラゲの時期に当たり、ちょっと泳ぎに行こうと思っても南の海は入る気がしない。

オフィスワークで鈍った身体は、今は散歩くらいしか解消方法がない。


さて、前回プラントについての記事を書いてから4ヶ月ほど。

ワイマナロのビーチで拾ってきたマングローブが育ち始めた。

5本ほどを水に浸けて置いたところ、3本から根が出てきた。



やがて赤い根が徐々に伸びて太くなっていった。



そしてそこからさらに枝分かれした細い根が出てきた頃、



2本の上部から芽を吹いてきた。

これが1週間ほど前。





そして今日は片方がようやく双葉を開いた。



こちらももう間近。



上が伸びてきたら移し替えの必要があるが、マングローブはこのまま水栽培でも行けるので、これからの成長が楽しみ。


また、随分前に枯れてしまったと思っていたマネーツリーが復活!

いきなり横から芽を吹いてきた。



これはしばらくは成長が遅いようだが、大事に見守ってあげたい。


2011年03月04日

神社仏閣ツアー

明日からまた風向きが変わると言う予報が出ていたが、今日はトレードウィンドが気持ち良かった。

ワイキキを出るとキング・ストリートの「石鎚神社」に向かう。



マネーツリーにおみくじが結んである。



続いてモイリイリの「厳島神社」の鳥居を回って、今日はリクエストで「ハワイ日本文化センター(JCCH)」に立ち寄った。

ここの入り口にも鳥居風のゲートがある。



入るとすぐに売店があり、中古の日本酒徳利やお猪口、日本人形、日系米軍として戦った442部隊の記録DVD、さらに「キカイダー」のDVDなど、「日本」が関係する品物を集めて売っている感じ。

資料の展示スペースや、15分ほどの映画も見ることが出来るのだが、入場料が大人一人$7もするので、ツアーどころか普段はあまり人がいない場所。

しかしこの「神社仏閣ツアー」のお客さんには、ここに興味があるとおっしゃる方もいるので、今後はツアーのオプションとして考えてみたい。


さて、次はベレタニア・ストリートを西に走り、ペンサコラの「マキキ教会」に高知城を見に行く。



ピンクテコマが咲いていた。

ピイコイを上がってH-1フリーウェイに入り、「ハワイ金刀比羅神社・ハワイ太宰府天満宮」に向かう。



今日は他に参拝の方の姿は見えなかった。

ヴィネヤード・ブルバードをダウンタウンに向かい、続いて「出雲大社」。



天野宮司がお払い用の玉串を作っていた。

ここには相変わらず日本からの参拝者が多いようだ。




ヌアヌ川を渡って、「チャイニーズ・カルチャル・プラザ」で観音様にお参りしてからランチタイムと小休憩。



午後はまず「本派本願寺」。

きらびやかな仏教の極楽浄土と、



反対側にはキリスト教会のようなベンチが並ぶ。



パリ・ハイウェイを北上して「ハワイ大神宮」に向かうと、こちらは小さな集会場のような雰囲気。



お参りした後は隣のヌアヌヴァレー公園にラグを引いてジュース休憩。

ここまでは空も明るく、風も気持ち良く吹いていたが、コオラウ山脈を越えてウィンドワード・サイドに出ると、急に暗くなって湿度も上がった。

「平等院」に着くとパラパラと雨粒も感じたが、降られる事はなかった。



鐘を突いて、大仏様にお参りして、鯉に餌をやって、再びパリ・トンネルを抜け、ホノルルに戻ると、空はまた明るくなったが何だか風が止まってきた。

ヌアヌ・アヴェニューから「ホノルル・メモリアル・パーク」に入り、三重塔と金閣寺を見学。



たくさん咲いたブーゲンビリアが綺麗だった。



最後にシェリダン・ストリートの「ハワイ真言宗」にお参り。

ここは天井画が素敵なのだが、



新しい画の下書きもあった。



しかし外に出て建物の全景を撮っていると、屋根に何か乗っているのに気付いた。



まあこういうのもご愛嬌だが、何か作ると別が壊れると言うのは神様の世界も一緒のようだ。




夕方にはすっかりトレードウィンドが止まり、緩やかな南風が入ってきた。

結局20日も吹かなかった貿易風は、たった2日戻ったと思ったらまた押し戻されてしまったようだ。

明日から週末はVOGと雨も降る予報。


2011年03月06日

TVデビューへの道(1)「ハワイに恋して」ロコショッピングツアー

既に雑誌やラジオでは何度も紹介され、私自身も何回か出演経験があるが、とうとうダイアモンドヘッドクラブがテレビでも紹介される事になった。

現在はスカパーやBSなどで放送されている「ハワイに恋して」と言う番組で、昨年9月から放送が始まったそうだが、30分番組だったのがこの4月からは1時間に拡大されると言う、大変勢いの良い番組。

番組のウェブサイト

mixiでプロデューサーのH氏と出会った事がきっかけなのだが、「ありきたりではないハワイ、ローカルに近いハワイを紹介したい」と言う番組の趣旨と、ダイアモンドヘッドクラブのコンセプトが合い、ツアーを紹介してくださる事になったのだ。

当初はまだ一番人気の「LOST」ファンツアーを取材したいと言うことだったが、ラジオや雑誌と違い、映像の使用に色々制約があるので、これは流れてしまった。

私としてはムーンボーツアーや神仏閣ツアーをプッシュしたかったのだが、何故か依頼が来たのはサークルアイランドツアーとロコショッピングツアー。

最近は「LOST」ファンツアーにやや押され気味ではあるが、サークルアイランドはダイアモンドヘッドクラブのシグネチャーツアーでもある人気ツアーなので、他社との違いをお見せ出来ると思っていた。

また、ロコショッピングツアーは、最近少し改造をしたりして、徐々にグレードアップしているのだが、ワイキキのブランド品や普通のお土産店とは違った、まさにローカル密着型のショップをご紹介するツアーとして、番組の趣旨に最も近かったのかも知れない。


今回の撮影のコーディネーターは、番組に出演もしているマコトさんで、彼の所属会社は以前ダイアモンドヘッドクラブがJALのウェブサイトに紹介された時のコーディネーターと同じだったことや、コーディネーターの私の友人の事も知っているようだった。

スタッフは総勢10名と言うことで、ツアー中は別の車がフォローしていた。


今回の出演者は、女優の益戸育江さん(旧芸名は高樹沙耶)と、タレントの松葉れいなさん

益戸育江さんは、私にはどうしても「高樹沙耶」と言うイメージが強かったのだが、とても気さくな方で、芸名から本名を使う事になった理由など、お話をする機会もあった。

私とほぼ同世代なのだがとてもお若く見え、かつてはハワイ島にお住まいだった事もあるそうで、やはりカマアイナの雰囲気だった。

松葉れいなさんは、元々はモデルだったそうで身長172センチの美人。

タレントでもあり、オーガニックの化粧品を扱う会社の社長さんでもあるそうだ。


さて昨日、本当はサークルアイランドの撮影日のはずだったのだが、オアフ島には嵐が近づき、洪水警報が出ていた。

数日前から予報が出ていたので、7日月曜に予定されているロコツアーの撮影と順番を入れ替えた方が良いのでは?と提案していたが、取材・撮影先のアポイントメントの都合と、多少天気が悪くてもハワイの自然の一部と言うことで、そのまま決行という事になっていた。

朝のワイキキは薄曇で時々小雨程度だったが、島の西側の学校がほとんど休校になるなど、場所によっては昨晩から随分と降って、普段だったらツアーを中止しているような状況だったので、急遽スケジュールを変更して、ロコショップツアーになったのだ。

最初に向かったのは「サムズ・クラブ」。

出発の時と、「サムズ・クラブ」に到着の時など、車内でしゃべる私の横でカメラがじっとこちらを見ていた。

アメリカ本土系の大型店に関しては、内部の撮影許可が下りず、入り口に入るまでのシーンや、外観のみの撮影にするらしい。

と言うことで、カメラは入り口まで。

中にはスタッフを含め5名ほどが入って、普通に見学とちょっとしたお買い物。

続いて向かったのが文房具問屋の「フィッシャー・ハワイ」。

ここは店内も撮影の許可が下りているということで、出演者がマイクを付けてスタッフと共に店の中に入っていった。



私は普段のツアーのように、パーキングで待機。

出演者が店から出てきても、撮った画像のチェックや細かな打ち合わせの為にすぐに出発という訳には行かない。

しかし外観だけの撮影の場所は分かれた別のチームが向かい、我々は「ホーム・デポ」は飛ばして、ディリンハム・プラザに向かった。

「セイバーズ」、「プライス・バスター」と店内の撮影が続く。



店外に出てきてスチルの撮影も。



この頃から時々雨脚が激しくなる事があった。

その後は皆で「ヤミーBBQ」でランチ。

食後には出演者とスタッフ数名で「ライオン・コーヒー」で休憩したが、撮影は無し。

何だか色々お話が聞けた。



次に私に出た指示は、ワイキキに戻って少し待機。

本来は「インターアイランド・ホテル・ファニチャー」、「フラ・サプライセンター」と、回るはずだが、他のスタッフが外観を撮影してくるそうで、最後の「ベン・フランクリン」での撮影のアポイントメントに合わせる為に、一度ワイキキに戻った。

ワイキキに戻ると南西からの突風が吹き荒れて、まさに嵐の様子。

出演者を一旦ホテルに送っても、30分足らずでまた集合だったので、私はワイキキ内に車を止めて待機していた。

再集合して「ベン・フランクリン」に向かう。

ここには他のスタッフも集まってきた。

30分ほどで一度撮影が終了したが、これはツアーの内容としてで、その後リボン・レイのメイキング体験と言う別企画の撮影が始まり、これも30〜40分は続いた。

雨は小降りになっていたが、私は店の外で待機。

スタッフはまだ夜にも撮影があるそうだが、出演者の皆さんたちは今日はお終いと言うことで、ホテルに送って本日は終了。

朝からいきなりの予定変更だったが、何とか無事に終わって良かった。


ホノルルから島の東部ではあまり被害はなかったようだが、西や北では街路樹や電柱が折れたりして、停電になっている所があるようだ。

しかもタイミング悪く、HECO(ハワイ電力)の従業員がストライキ中で、復旧に時間がかかりそう。

週末一杯はお天気が悪そうだが、サークルアイランドツアーの予定されている月曜には晴れが戻るようなので、お天気の神様に今からお願い!!


2011年03月09日

TVデビューへの道(2)「ハワイに恋して」サークルアイランドツアー

昨日から戻ってきたトレードウィンドによりVOGは綺麗に無くなり、青空が広がった。

だが朝は山添いを中心にシャワーがあり、コオラウ山脈の上にもどっしりとした雲が残っていた。


さあ今日は「ハワイに恋して」のサークルアイランドツアーの撮影。

先日頂いた番組のステッカーを早速太郎に貼って出発。



益戸育江さんは別行動と言うことで、今日は松葉れいなさんとマコトさんの二人がパーソナリティとして車に乗り込んだ。

今日は私もピンマイクを着けられて、軽く緊張。

しかしホテルからの出発シーンや、ホノルル動物園前、ダイアモンドヘッドをバックにしてなどの撮影が既に始まり、なかなかワイキキを出られなかった。

車内では今日もカメラがすぐ横にあり、私が解説をするとそれに二人が突っ込むと言うような形で進められていったが、普段でもしゃべる量が多い私の解説に一々突っ込まれてはなかなか話が先に行かない。

肝心な場所では「ハイ!では次宜しいですか?」と話を遮ってツアーを進行させていったのだが、その「ハイ!」が何だかツボだったようで、最後には二人にすっかり真似されていた。


カハラの高級住宅街を抜けて、カラニアナオレ・ハイウェイを走る。

今日も後ろからミニバンが一台フォローしていて、並走しての撮影もした。

サンディービーチに着く前に、ラナイ・ルックアウトで止まってちょっとした打ち合わせ。

ココ・クレーター沿いの岩場のワインディング・ロードは、多くのCMなどでも使われているスポットなので、前方で構えているカメラの横を通り過ぎたりと言うのもあった。

サンディービーチに着くと急に雲が出てきて、砂が光らない!

雲は東よりの風に乗って早く流れている。

少し待つと晴れ間が広がったので、撮影開始。



二日目と言うこともあり、この頃には私もお二人とすっかり打ち解けていた。




次はマカプウの展望台は飛ばして、ワイマナロのベロウズビーチに向かった。

ここではビーチに出てラグを引いた途端にシャワーが降ってきた。

撮影どころではなく、一旦木陰に避難したが、雨雲の本体はカネオヘ方面に流れていたので時期に止んだ。



当然ビーチには人もほとんどおらず、この後の撮影には絶好となった。



しかし通常のツアーとはペースが全く違うので、ベロウズを出た時点で既にお昼を回っていた。

この後はクアロア公園には寄らずにノースショアまで一気にドライブ。

この間進行方向に向けてカメラが回っていた時もあったが、車内でも、解説の内容によっては、もう一度話して欲しいとリクエストされて、同じ事をしゃべったりもした。


ノースに入る前、カフクの養殖場を過ぎた辺りで再び「通過シーン」を撮影すると言うことで一度停車。

普段は止まることも無い場所で、すぐ近くに出来たばかりの風車が回っていた。



何だかUFOみたいに見えるのは、通りかかったマイナバード。

この後少し戻ってカメラの前を通り過ぎたりして、サンセットビーチの公園でちょっと休憩。

海は穏やかで、サンセットポイントで3〜4フィートと言った所か。

ラニアケアにも寄らず、ハレイワのアリイビーチパークに向かい、ピクニックランチの準備。



テレビの撮影でも洗濯バサミは使う。

普段は勿論私がランチを買いに行くのだが、撮影隊の別の班が「L&Lドライブイン」に行ってくれた。

しかしミニプレートではなく、レギュラーサイズのプレートランチを買ってきてしまい、そのままこれを使ってランチのシーンの撮影が始まった。

公園はすっかり貸しきり状態だった。



この時既に4時半近く。

ゆっくり食べている時間も無く、その後のハレイワ散策もなく、ドール・プランテーションも飛ばすと言うことで、最後はオプションのタンタラスの丘で撮影と言うことになった。

パイナップル畑を上がっている頃に雲の色が濃くなってきて、H-2フリーウェイに乗る頃にはスコールになった。

この間の車内では撮影はしなかったが、H-1フリーウェイからは大きなダブル・レインボーが見えた。

南側に出ると雨はほとんど止んだ。

渋滞の酷い時間で、ハレイワから1時間半ほどかかってタンタラスの展望台に到着。

既に別の班がカメラを持ってスタンバイしていたが、丘の上はまた激しい雨が降ってきた。

程なくして雨が止むと撮影開始。

傾いた夕陽に街がオレンジ色に染まってきた。



そしてワイキキにスタッフを送り届けて終了。


プロデューサーの林さんは、ダイアモンドヘッドクラブのツアーがとてもユニークで、今後も別のツアーを紹介したいと言って下さったので、こちらとしても番組にご協力できるよう、視聴者プレゼント用にTシャツを差し上げた。

この番組はスカパーやBSで放送されていると聞いていたので、別のケーブル契約などが必要な有料チャンネルだと思ってたのだが、地デジで普通にハイビジョンで見れるのだそうだ。

と言うことで、今回も私の横30センチの所にあったカメラがやはりハイビジョン用だったことが判明。

出来上がった番組はDVDで送ってくださると言うことだったが、なんか今からちょっと恐ろしい・・・。

放送日に関してはまだ未定だそうで、これも判明次第ブログにてご紹介したい。


まあ随分撮影はしたが、編集でどれくらい短くなってしまうのかはわからない。

どんな風に扱われるのかもよくわからないのだが、良い方向に結びつく事を願っている。


2011年03月11日

「LOST」ファンツアー・洪水!

全く安定しないお天気が続いていて、、今日も降ったり止んだりの予報だった。

トレードウィンドが吹いていたのであまり心配しないで出かけたが、晴れたワイキキを出るとマノアは雨雲の中だった。

「パラダイスパーク」のパーキングで傘を出して歩き始める。



しかしすぐに小降りになって、園内のセットを見に行く頃にはほぼ止んだ。

しばらく「LOST」ファンツアーが空いたので、最近の悪天候によるセットの崩壊の進行が心配だったが、やはり「オーキッドステーション」も壁の一部が崩落していた。



「ハイドラステーション」に移動すると、「ソーヤの檻」もとうとう天井が半分落ちていた。



まあコンクリートのように見えても発砲スチロールだし、鉄に見えても木で作ってあったりするので、耐久性は無い。

「テンプル」もひさしの部分が大分落ちていた。



だが「パラダイスパーク」も黙って見ているだけでは無さそうで、今後このセットの修理をする予定があるそうだ。

ここに入るのは、ダイアモンドヘッドクラブとアメリカ人向けの会社が一社だけかと思ったら、アメリカ人向けのLOSTツアーはもう一社別の所も催行しているのだそうだ。

ドラマの人気が衰えないうちに修理をして欲しい物だ。


さてカハラを抜けて東へ走ると空がどんどん青くなってきた。

ラナイ・ルックアウトから見る海は穏やかで、沖にクジラの汐吹が見えた。



しかしマカプウを回ると東海岸は雲が広がってどんよりとしていた。

ベロウズビーチもほとんど人がいなかった。




カネオヘの住宅街に入るとまたパラパラと降ってきたが、ワイアホレの手前で急に渋滞した。

また折れた木や枝の剪定作業や、切れた電線の修理かとも思ったが、ノロノロと動けど何のサインも現れず、ビーチパークに到着した。

雨は止んだが、ワイカネ桟橋を見ると何だか少し様子が違う。



この桟橋はシーズン2の最終回でジャックたちがアザーズに捕まっていた場所だが、元々は「パラ・フェリー」と言うサインのある屋根が付いていた。

それが2年ほど前の嵐の時に足が折れて、屋根だけが残っていた状態だったのだが、その屋根も吹き飛んでしまったのか、片付けたのか不明だが綺麗に無くなって見えた。

説明をして写真を撮って、再び渋滞の道路に戻る。

クアロア牧場に近づいてきた頃、渋滞の原因がようやくわかった。

川の水が溢れて洪水になっていたのだ。



その先は大洪水。



これじゃ渋滞するはず。

ちなみにこの様子は夜のニュースでも取り上げられていた。

ハワイ・ニュース・ナウ


クアロア公園も水溜りだらけだった。



カーアヴァビーチもプナルウビーチも赤土色に濁っていたが、激しく降られる事は無く、ノースショアに入ると空が明るくなってきた。

パパイロアビーチに入る時には降っていなかったが、念の為に傘を出すとやはり何度かパラパラと来た。



こちらは崩壊している訳ではないが、ロックの墓も雑草に侵略されてきた。




ハレイワに向かい、「マッキーズ」でランチを食べていると一時激しく降ってきたが、移動する頃にはほぼ止んだ。

モクレイアビーチもほとんど人はいなかった。



最後にYMCAの「キャンプ・アードマン」を見学。



帰りはそれほど渋滞しなかったが、時々シャワーがあり、チラッと虹も見えた。


2011年03月13日

大震災

私が第一報を知ったのは、地震発生後20分ほどのハワイ時間夜8時過ぎだった。

テレビで「NHKworld」の毎時のニュースをチェックしようとすると、かなり焦った表情のアナウンサーと、まだ天井で揺れているスタジオのライトを見て、驚いた。

その後CNNやロイターでも使われた、岩手上空のNHKのヘリコプターからの津波の生放送が始まると、テレビの前から動けなくなった。

映画のSFXのような世界が祖国日本で実際に起きている。

車や家を飲み込みながら内陸にすさまじい勢いで流れ込む津波。

逃げようとしている車が飲み込まれていく。

一体どれくらいの人が犠牲になったんだ!

岩手だけでなく、太平洋側に広く発生した津波と、広範囲に及ぶ大きな余震に、刻々とニュースは報じられていたが、被害状況が全くわからない地域も多く、心配になった。

東京の母は電話が通じたが、福島の親戚に全く繋がらない状態が続き、その後は日本への電話はどこにも繋がらなくなった。

日本からハワイへは電話が繋がり、母から親戚の無事も確認する事が出来た。

無事だったが家の中は目茶目茶で、ライフラインが止まって、これから避難だそうだ。


すると今度はハワイにも津波警報が発令された。

私が住むのはビルの9階なので、とりあえず家から出ないようにしていたが、外は高台に避難する人達や、スーパーやコンビニに水や食料を買いに行く人達で騒がしかった。

ワイキキのビーチにも避難命令が出て、ホテルの宿泊者たちも6階以上に移動された様子。

ハワイには午前3時に津波が達すると言うことだったが、12時頃には街中はすっかり静まり返っていた。

一時間置きに島中にサイレンが鳴り響いていたが、私はツアーに備えて就寝した。


翌朝、結局オアフ島は特に被害も無く、ツアーに行く準備を進めたが、ハワイ島やマウイ島では2メートル以上の津波が来て随分被害も出たようだし、オアフ島にもまだ津波注意報が出たままだったので、情報を集め始めた。

一部の韓国系ツアー以外はどこもオプショナルツアーは中止になっているらしかった。

ワイキキの通行止めは解除されたが、ハナウマ湾などビーチは近づけない所が多いらしい。

日本ではまだ余震が続いているようだし、今後ツアーに出ている時に避難命令などが出たら大変なので、とりあえず私もこの日のツアーは中止にした。

そしてインターネットのUSTREAMで流されていたNHKやテレビ朝日の生放送にずっと釘付けだった。

しばらくはありえない光景の連続に見入っていただけだったが、福島の原発の被害についての報告が、日本の放送局よりCNNなどのアメリカのメディアの方が詳しいのに驚いた。

何か重大な事象が発生していて、政府がそれを隠しているのでは無いかと言う疑念さえ浮かんでくるようになった。

アメリカの西海岸でも死者が出るなど、津波の影響は広範囲に及んでいったが、アメリカは「スリーマイル島」の原発事故を経験しているだけに、扱い方が全然違った。


日本政府は福島の原発からの避難指示範囲を広げたが、炉心の融解は無いと言い切っていた。

翌朝には、やっぱり融解が始まっていて、被爆者が出ていると言う。

こういうNHKや政府とは少し距離を置いた会見を見て、人災が起きる可能性もあると感じた。

http://www.ustream.tv/recorded/13270814


大災害が連続して発生している状況。

まだまさに救助が進行している。

被害の全容は全く見えていない。

これからの復興にどれくらいかかるのか?


明日のツアーのお客さんも一組、ホテルにチェックインが確認されていない。

日本に帰れないでいる人もいるようだ。

阪神大震災の時もそうだったが、しばらくはハワイ旅行に来れなくなる人が増えるだろう。

日本も団結して頑張って欲しいが、ハワイもしばらくは被害が続くのだろう。


今は祈ることしか出来ないが、被害が少しでも少なく、一日も早く復興に向かうことを願っている。


2011年03月15日

震災後最初のツアー

まだ余震も続き、原発も安定せず、孤立したままの人や、避難していてもまだ水も食料も届いていない地域もあるそうだが、世界中が応援してくれているのを感じる。

インターネットが繋がるのが救いだそうだが、他のライフラインが一切断絶したままの、福島の親戚が送ってくれた写真には、陥没した道路に自動車がすっかり沈んでいた。

私は地震直後からNHKworldのライブ中継が見れたが、インターネット上ではユーストリームで民放を含むテレビ局の生放送が始まり、ハワイでも有料の日系テレビ局「NGN」がNHKの日本語国際放送を無料で流し始めた。

遠い土地からでは今は義援金を寄付することくらいしか出来ないのだが、私は私に出来ることから始めないとけない。

地震発生時にハワイにいて、津波の避難も経験した方、帰りの飛行機が飛ばずに足止めを食った方もいたようだが、お客さんがいる限りツアーには出たいと思う。

昨日は3組のお客さんのうち、1組はチェックインの予定日にもホテルに入っておらず、電話でのお申し込みだった為に連絡も取れずに安否は不明。

ちょうど行われた「ホノルル・フェスティバル」のパレードに参加するために、祭り衣装に着飾った日本人の団体がホテルの前で記念撮影など行っていたが、これから日本に帰れば嫌でも現実と直面しなければならないと思うと、ハワイにいる間はせめて少しでも楽しんでいって欲しいと思う。

朝から素晴らしいお天気で、山も海もとても綺麗で、お客さんたちは一日楽しんでいただけたようだが、どこに行ってもローカル達からは「日本の家族は大丈夫だったか?」と心配された。

ワイキキに戻ってくると、パレードは終わっていたがカラカウア通りの閉鎖が続いていて、ホテルに辿り着くのには時間がかかった。

どうやらパレードの後にジェイク・シマグクロやマノアDNAなどがチャリティーコンサートを行っていたようだ。

近所の「タイムス」のお弁当コーナーのローカル達も皆心配してくれた。


3月下旬から4月上旬は例年ツアーが少ないが、今年はゴールデン・ウィークなんて無いのだろう。

しばらくは旅行どころでは無いと思うが、その後も自粛ムードが観光業には大きな打撃となるだろう。

ただ、過去の災害の際もそうだったのだが、ハワイは旅行者が戻ってくるのが比較的早い。

疲れ切った心を癒す事は精神衛生上必要だが、皆周りに「ハワイに行く」とは言わずにやって来ることが多かった。

人の心を癒すのを手伝うのが私の重要な仕事になってくるだろう。

2011年03月17日

「LOST」ファンツアー

ハワイでも津波に襲われた海岸沿いでは、ボートハーバーなどで被害報告がされていたが、ホノルル空港近くのケエヒ・ラグーンでは死亡者が見つかったらしい。

ハワイでも「ALOHA for JAPAN」と言うキャンペーンが始まり、義援金を集めるためにTシャツやステッカーが売りに出されたのだが、販売している場所がまだ少なく、私が行った時には売り切れ状態だった。

前回の日記に写真を載せなかったのは、正直あまり写真を撮影する気になれなかったと言うのもあるが、カメラのバッテリーが切れてしまっていたのが実際の話。

なんだか海とか自然の写真が日本の人達にどう見えるかがわからなかったのだが、毎日コマーシャルもほとんどなしに地震や津波や原発の映像だけが繰り返し放送される中で、全く別の綺麗な物を見て心を少しでも休めたいと言う現実逃避的な願望や要望もあると言うので、また掲載したいと思う。


さて、トレードウィンドが時々強くなり、雲が速く動いていた。

マノアのジャングルはドライで鳥の声が響いていた。



コーヒーの花が咲き始めた。



「オーキッドステーション」はまたさらに崩壊が進んでいる感じ。




カハラの住宅街を抜けてカラニアナオレ・ハイウェイを東に走る。

ラナイ・ルックアウトからはホンの薄っすらとモロカイ島が見えた。



風の割には白波は少なく、クジラも見えそうだったが気配は無く、観測する人の姿も少なかった。

マカプウを回ると海はとても綺麗だった。

ワイマナロもコバルトブルーに見えたが、若干混雑したビーチの海は少し濁っていた。



ヘエイアを抜けてワイアホレに出ると、カネオヘ湾には普段見ないような細波が寄せていた。



ちなみにアラモアナのボウルズで波乗りをしていた友人は、途中で普段は無い引き波を感じ、岩が露出してきたので慌てて海から上がったそうだ。

まだ海の様子は安定していない感じがする。


クアロア公園は気持ち良い風が吹きぬけていた。



ウィンドワード・サイドの海はどこも綺麗だったが、ノースショアに出ると随分波が上がっていた。

サンセットでは10フィート以上だったが、荒れてビーチはクローズ。

今日はワイメアに波が出た。



通りかかった時はちょうどセットの間だったが、多くのギャラリーがいた。


パパイロアビーチに入っていく時は気温も上がって久しぶりに厳しくなりそうだったが、砂が焼けていることは無く、歩きやすかった。



食後は島の西に向かう。

モクレイアもお天気は良かった。



最後に「キャンプ・アードマン」を見学。



帰りのフリーウェイは比較的スムーズだった。

夜には風が強くなってきた。

2011年03月18日

Aloha for Japan!



日本救済Tシャツプロジェクト「Aloha for Japan」。

ようやくゲットした。


アラモアナSCのすぐ横にあるTシャツショップは、昨日「売り切れ」の張り紙がドアに出ていた時には、店内には店員以外誰もいなかったが、仕事の後行くと今日はレジに10名ほどの列が出来ていて、外にも数名人がいた。

カウンターに山積にされたTシャツを見てほっとしたが、皆4〜5枚手にしていて、私の前の女性は既に「Aloha for Japan」のTシャツを着ていて、背中には「日本ガンバレ!強い!」と書かれていた。

話しかけてみると色々な人に頼まれて、もう3回も買いに来ているのだそうで、既に50枚以上購入したのだそうだ。

その後も次々と買いに来る人がいて、なんだか目頭が熱くなった。

1枚20ドルのTシャツだが、私も2枚買ってきた。

ステッカーやキャップもあるのだそうだが、残念ながら既に売り切れで、ステッカーの次の入荷は来週になりそうだと言われた。


J-WAVEの内田佐知子さんからの情報によると、ハワイのミュージシャン達が少しでもハワイの人達のアロハの気持ちが届くように、パケレライブで、『Kokua Japan』ファンドレイザーチャリティライブを行うことになったそうだ。

以下は引用=====

今週の木曜日を筆頭に、 4/14まで、毎週木曜日、会場であるモイリイリのハワイアンレストラン、
Willow'sで、チャリティライブを行うことになりました。会場で は様々なオークションをしたり、
義援金を募る予定です。義援金は日本赤十字社を通して被災者の方達を救う為に全て寄付します。
ストリーミング放送 で放送されるパケレライブ、日本でももし見れる余裕のある方がいたら
是非ご覧になってみてください。
それぞれ日本に縁のあるミュージシャン達が、 日本への思い入れ、そして応援メッセージを伝える予定です。
(www.pakelelive.com)

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まだまだ原発も予断を許さない状態だし、避難している人達も物資不足で寒さとも戦っていると聞く。

関東では停電でやはりまだ元の生活には戻っていない様子。

さらに西日本でも物不足やガソリン不足が始まっているようだし、本当に皆で頑張って欲しい!

世界中で応援しているぞ!

戦争は憎しみしか残さないが、天災は愛と勇気を生んでいる気がする。



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先日ツイートした「震源地の推移」がよくわからなかったようなので、直接リンク貼ります。

http://www.rubyist.net/~ko1/eq/gm.html

日本地図の下の「実行」をクリックすると、10分毎の時間経過で震源地と大きさが表示されます。

白いのは震源地が浅く、色が濃いのは深いと言う意味です。

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「Aloha for Japan」Tシャツの背中には小さくこんなメッセージがあります。




The world will turn to Hawaii 
as they search for world peace 
because Hawaii has the key 
...and that key is Aloha!



2011年03月19日

神社仏閣ツアー

今日は先日のTBSラジオの放送を聞いていらしたと言うお客さんと、亡くなられた日本の震災被害者のご冥福と一日も早い復興を願って神社仏閣を回ってきた。

まだ少し貿易風が強いが、朝からよく晴れていた。

ワイキキを出て最初は「石鎚神社」。



今日もひっそりと静かだった。

モイリイリの「厳島神社」鳥居を回って、「マキキ・キリスト教会」に向かう。



外から高知城のレプリカの建物を見て、次へ移動しようとすると、今日は教会の方が中を見せてくれた。

こちらがメインホール。



聖書と一緒に団扇が置いてあった。

玄関ホールの天井画。



続いてはフリーウェイに乗って少し移動して、「ハワイ金刀比羅神社・太宰府天満宮」。



最近はここでも参拝者の姿を見るが、今日はいなかった。



「出雲大社」はやはり日本人参拝者の姿があった。

境内のククイの木が風に揺れていた。



チャイナタウンで飲茶を食べて、少し休憩のあと、「本派本願寺」に移動。

今日も本堂を見せていただいた。



次はパリ・ハイウェイを少し北に行って「ハワイ大神宮」を参拝。



その後ヌアヌヴァレー公園でジュース休憩。

大きなモンキーポッドの木陰で、子供たちが遊んでいる姿を見て平和を感じる。



今日は「セント・パトリックスデー」と言うことで、緑のシャツや靴を履いて遊ぶ子供が多かった。

コオラウ山脈を越えて、テンプル・ヴァレーの「平等院」へ向かう。



ここは多くの観光客で賑わっていたが、日本人の姿は無かった。

鐘を突いて大仏様にお参りして、再びホノルルに戻る。

ヌアヌ・アヴェニューの「ホノルル・メモリアル」で三重塔と金閣寺を見学。



最後に「真言宗ハワイ」にお参り。



ここにはローカルの日系人もお参りに来る姿が見られた。

多くの祈りが日本に届くと良いと思う。



2011年03月21日

出た!!希望のムーンボー by エクストリーム・スーパームーン

トレードウィンドが気持ち良く吹き、ホノルルは朝から快晴だった。

今日の満月は19年振りに地球と月が最接近し、普段の1.4倍ほどの大きさになる「Extreme Supermoon(エクストリーム・スーパームーン)」と言うことで、当然月の明るさも期待できたし、土星も近づくと言うことで観測も楽しみだった。

ワヒアワを過ぎるとノースショア方面には若干雲が見えてきて、パイナップル畑を下りていくときにはパラパラとシャワーにあった。

もうこれはムーンボーには完璧な状況である。

ハレイワで食料を調達してモクレイアに向かう。

ヘルムズベイは今日もほとんど人がいなかった。



ディリンハム飛行場方面にはちょうどスカイダイバーが降下していく所だった。



やがて周りがオレンジ色になってきた。



静かなサンセット。




ビーチサイドのピクニックテーブルをセッティングしていると、ややがてノースショア鍋会のメンバーが集まって来た。

10人以上いたが、皆さん日本のご家族などが直接被災はしていないと言うことで、避難生活をしている私の親戚を心配してくれた。

月の出を待っているとパラパラとシャワーが来たので、一度Y家に皆でお邪魔して、ポットラックのパーティーが始まった。

雨音が落ち着いた頃再びビーチに出る。

風が時々雨粒を運んでくるが、これは良い状況。

雲が割れると眩しいほどの月が現れた。



するとすぐに「出た〜!ムーンボー!!」といっせいに声が上がり、北西方面に光の筋が見えた。

近くで近くでパーティーをしていたアメリカ人のグループは、何の事だかわからない様だったので、教えてあげるとやはり大騒ぎになった。

3分ほど見えたが、肉眼では色まではわからなかった。

数枚写真を撮ったが、残念ながら満足な物は無かった。

明るさ、コントラスト、彩度を上げてもこの程度・・・。



今回は大分失敗。

やはりカメラの性能が着いて行かないかな・・・。


これは私の少し後ろで撮影していたNちゃんの写真。



約1分の露出だそうだ。


モクレイアから北西の方向にはちょうど日本がある。

エクストリーム・スーパームーンに映し出された、エクストリーム・スーパームーンボーは日本に希望の光を送っている様にも感じた。

ちょうど一年ぶりに見えたムーンボーに、我々も元気付けられた。



月が明るすぎて土星は見えなかった。


最後に先月リクエストを頂いた、Y家のアイドル・キャット「みぃみぃちゃん」。



このお腹に顔を埋めると、トトロとハグしてる気がする。


2011年03月24日

「LOST」ファンツアー・ファイナルバージョンへの道(1)

日本ではまだ原発問題が収まらず、停電だけでなく、食品や飲料水への影響も出始めるなど、この大災害はいつになったら収束に向かうのだろう?

アメリカも含め、自国民の日本への渡航自粛勧告をしている国も少なくなく、その影響かハワイに来る人が若干増えているらしい。

「日本からの入国者数」と言うのが毎日発表されるが、この数字は今の所大きく減ってはいない。

ワイキキの日本人は減っている気がするのに、日本からハワイに来る人の数が減らないのはおかしいが、震災やその後の停電、また食品などに対する不安から東日本を脱出する動きもあるようで、ハワイに別荘などがある人が逃げてきているらしい。

それにしても、団体旅行などが一気に無くなってしまった穴を埋めるまでには行かないだろう。

どうやら日本経由でハワイに来る中国人の数も一緒にカウントされているようで、最近は「日本からの入国者数」と言うのはあまり当てにならなくなっているようだ。


これからダイアモンドヘッドクラブのお客さんもどうなるのかわからないが、震災後も少しは予約が入ってきている。

だが同じ程度にキャンセルも入っていて、しかも直接被害の遭った地域の方ではなくても、色々な止むを得ない事象が発生しているようだ。

元々3月末から4月上旬は暇な時期で、この間に「2度目のLOST」を先に進めようと思っていたが、今はまだLOSTをゆっくり見ている精神的余裕が無い。

直接被災された方や、今もなお停電や食品の摂取制限などで影響を受けている方、そして頑張っている日本中の人には本当に応援を送りたいが、今の日本の状況は客観的に見るとドラマよりも遥かに凄い。

もう2週間も毎日連続で続いているが、原発が収まらないと先が見えない。


しかし家でNGNのNHKニュースや、ユーストリームやニコニコ動画などのライブ中継をずっと見ていても、日本の状況が改善するわけではないので、6月に予定している「LOST」ファンツアー・ファイナルバージョンの作成作業を始めた。

今までのヴァージョンアップの時と同じように、今回はシーズン6のDVDをキャプチャーして、資料や紙芝居に加え、コースの一部変更に伴ってLOSTポイントを増やすのだが、現在でも時間的にはほぼ目一杯の状態なので、どこかを削らなくてはならないと思っている。

ツアーコースとして、停車する場所は増減させない方向だが、車内から見学するLOSTポイントを増やすつもり。

最終回で皆が集まった教会は、「ランプポスト・ステーション」と同じ場所なのだが、この前を通るためにマノアの後はフリーウェイに入らず、ワイアラエを通っていく事になる。

するとジンがパンダのぬいぐるみを買ったおもちゃ屋さんの前も通ることになる。

最後にダウンタウン・ホノルルを抜ける時には、オックスフォード大学として使われたセント・アンドリュース教会の前も通りたいと思っているが、すぐ近くにはジャックの息子がピアノの発表会に行った学校もある。

ちょっとコースを変えるとLOSTポイントが増えるのだが、それに応じて資料を作るのも大変な作業になる。

ゴールデンウィークも時間がありそうなので、これからしっかりと作っていきたいと思う。



「ALOHA for JAPAN」のステッカーはまだ入荷していなかったが、キャップが入っていたので買ってきた。



がんばろう日本!!


2011年03月30日

サークルアイランドツアー

ワイキキにはホノルル・フェスティバル以来、日本人の団体旅行をほとんど見かけなくなったが、春休みと言うことで、お子さん連れの家族旅行が目立っていた。

空は薄曇で、雨模様になる予報も出ていた。

カラカウア通りのレインボーシャワーや、カピオラニ公園沿いのホワイトシャワーも少しずつ花が咲いてきた。

ダイアモンドヘッド沖にはホンの2〜3フィートの波しかなかったが、サーファーの姿は多かった。

カハラの高級住宅街を抜けて、カラニアナオレ・ハイウェイを走ると、コオラウ山脈の稜線はハッキリと見えた。

ハナウマ湾を過ぎるとモロカイ島も薄っすらと見ることが出来た。

そして最初はサンディービーチ。

ちょうど雲が割れて少し陽が差し、砂が光った。



豪快なショアブレイクが音を立てていた。

マカプウ岬を回って、マカプウビーチのルックアウトに車を止める。

しばらく続いていた後ろの崖の工事の為に、ルックアウト自体が無くなっていたので、ツアーの際にはマカプウヘッドのルックアウトを使ったり、マカプウビーチのパーキングまで降りて行ったりもしたが、ようやくもとの状態に戻せた。



東海岸も全体的に曇り空だったが、低い雲が少なくなり、高い雲も時々割れて陽が差すことがあった。

ワイマナロのベロウズビーチは人が少なかった。



ジュースを飲んで、自然教室。

カネオヘの街を抜け、ヘエイアケア、ワイアホレを通ってクアロア公園に移動。

今日はローカルも少なく静だった。



ここでも色々自然についての説明をしてから、ノースショアを目指す。

カーアヴァビーチは淡い色を出していた。

ノースの海は大人しかった。

サンセットビーチでもホンの2〜3フィートで、サーファーは見えなかった。



ラニアケアビーチではウミガメが3匹、上がって甲羅干しをしていた。



心配していたハレイワ・アリイビーチパークでのピクニックランチも、雨は全く気にすることが無く、人出も多くなく、風を感じながら楽しく取る事が出来た。

マイナバードが鳴いていた。

食後はハレイワタウンで散策時間。

ノースショア・マーケットプレイスでお客さん達を待っていると、今日もあちこちで日本の様子を心配された。

ノースショアでもやはり日本人観光客が減っているのを感じているようだ。

最後はドール・プランテーションへ。



ここは日本人や韓国人の割合が少なく、欧米人が目立っていた。

帰りのフリーウェイはスムーズで、結局一度も雨に当たることが無くワイキキに戻ってきた。

家に戻ると綺麗な夕焼けが見えた。






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