2007年01月03日
年越し
2006年の最後のツアーは大晦日のロコツアーだった。
これは朝のダイアモンドヘッド。
最初の「サムズクラブ」は駐車場もかなり奥まで混んでいたが、次に「フィッシャーハワイ」に行くとガラガラで、周りの倉庫街も静かだった。
その次の「ホームデポ」は普段と変わらない感じで、年越しに必要なものがあるかどうかによって混み方が違っているようだ。
「グローサリー・アウトレット」は意外に空いていていたが、古着屋の「セイバーズ」や「プライス・バスター」は普段通りだった。
大晦日だからではなく、日曜と言うことで「ヤミー」がお休みだったので、「L&Lドライブイン」でランチを食べてから「フラ・サプライ・センター」に向かうが、ここは年末年始のお休み中だった。
最後に「ベンフランクリン」に行っても時間が余ったので、「レナーズ」でマラサダを買ってダイアモンドヘッド・ロードのルックアウトに行って食べた。
沖には3フィートほどの綺麗な波が上がっていて、多くのサーファーがいたが、さらに沖ではクジラが潮を吹いているのが見えた。
既にオアフでも目撃情報を聞いていたが、私は今シーズン初めてクジラを目にした。
しかもその後は親クジラの豪快なジャンプも見れて感激。
天気は良く、大晦日とは思えないほどの暑さだったが、トレードウィンドが気持ち良かった。
仕事が終わって家に帰り、片付けなどをしてからアッパー・マキキの大ちゃんのコンドに行った。
ここ数年はアラモアナの真正面のここで年越しを迎えている。
ところが今年はアラモアナでは花火が上がらないらしい。
なんでも数日前に決まったそうで、このために「ジョン・ドミノス」などでは200名以上のキャンセルが出たそうだ。
しかしワイキキとアロハタワーの花火も良く見える場所なので、その時を待った。
次第に街中の爆竹や花火も盛り上がってきた。
11時50分を過ぎてからは話し声も聞こえないほどに、破裂音が響いてくる。
そして2007年。
ワイキキでは、
アロハタワーでも、
今年こそ世の中から戦争がなくなって欲しいと思う。
皆でお雑煮を食べてから帰宅した。
元旦
良いお天気で始まった2007年。
これはお昼ちょっと前のダイアモンドヘッド。
今日はサンセットビーチツアー。
ワイキキを出て、マッカリーを上がってフリーウェイを越えて、ドール・ストリートに入ると昨晩の花火の燃えカスが大量に散乱していた。
今年は大量に赤いカスの出る爆竹が規制されたそうで、確かに去年までより少しはマシかも知れない。
最初にドール・プランテーションに寄ると、ここはいつも通り観光客で賑わっていた。
パイナップル畑を抜けてハレイワに入ると、「マツモト・シェイブアイス」も「アオキズ」も休みだった。
アリイビーチパークはサーファーやパークゴーアーで大賑わいだったが、ハレイワ・タウン内の静けさとは対照的だった。
ノースショアMP内も「ポリトレ」や「パタゴニア」「オーシャンズ・イン・グラス」など休みで、どこも平常営業だったワイキキとは大違いだった。
サンセットビーチに移動すると、8〜10フィートほどの綺麗なスウェルが入っていた。
ビーチは観光客を中心に人が多かったが、サンセットを待つ間に何度かシャワーがあり、そのたびに減っていった。
東に何度か虹も見え、西の空には太陽が降りてきた。
少し雲が出てきたが、2007年の初日の入りはカエナ岬の先端を焦がすように沈んでいった。
帰りにハレイワの「チョロス」でディナーを食べ、ガラガラのフリーウェイでホノルルに戻ると、最終日のダウンタウンのイルミネーションを見てからワイキキに戻った。
家に帰ってから、録画しておいた「紅白歌合戦」を見た。
ハワイでは元旦の夜の恒例。
NHKにしてはやりすぎ?と言う演出もあったそうだが、なんとハワイ版では削除されていた。
しかし夏川りみが「花」を歌った時はやばいと思った。
この歌は誰が歌っているのを聞いてもほろっとしてしまうのだが、ジェイクが出て来てとどめを刺された。
続いてさらに「イマジン」である。
一人で「紅白」見て泣いてるなんて、オレも年かなぁ・・・。
2007年01月05日
ムーンボーツアー
さて今年より始まった「ムーンボーツアー」の第一弾は、お正月休みの旅行者もほとんどいなくなったために、参加者はゼロ。
それでも気になる私は、また一人でノースに出かけていった。
午後の仕事が長引き、家を出たのが5時近かったために、ヘビートラフィックに捕まった。
日没にはノースにいたいと思っていたが、西日の眩しいフリーウェイはノロノロとしか進まず、アロハスタジアムを過ぎてパールハーバーを横目にした頃、バーバーズポイントに向かって陽が落ちていった。
モクレイアに到着すると、空には雲が多く、月は顔を出していなかったが、雨雲が確認できたのでタイミングが良ければチャンスである。
「パラマ・マーケット」で買った牛丼を食べて、時間を潰していると空が明るくなり、月が出てきた。
しかし今度は雨雲が無くなり、虹を映すスクリーンが無い。
風があったので涼しかったが、上着と靴下も持参していったので、震える事は無かった。
今晩も残念ながらムーンボーにはお目にかかれなかったが、月夜の浜辺はなんとも良い雰囲気だった。
その後あっちゃんと遅くまで飲み、遠くから虫の声が聞こえるモクレイアで一泊してきた。
2007年01月07日
新年会
まずは一昨日の晩の話から。
雨のためにナイトドライブツアーが流れ、家にいたのだが友人から呼び出され、その後別の友人のところに回って帰宅しようとしたら車のバッテリーが上がってしまった。
訪れた友人は既に寝てしまったのか、連絡も付かなくなってしまい、ロードサービスを呼ぶ事になった。
既に12時を回っていたが、雨の中30分ほどでお助けマンがやってきて、ジャンプスタートしてくれた。
「そろそろこのバッテリーは換え時だよ」と言われ、明日には交換しようと思い、1時半過ぎに帰宅した。
そして昨日は昼過ぎに車を出そうと思ったら、またバッテリーが上がっていた・・・。
アパートの住民にジャンプスタートしてもらおうと思ったのだが、上手く行かなくて結局またロードサービスを呼んだ。
30分後に昨晩と同じコンビがやってきて、すぐにスタートさせてくれた。
そのままアラモアナSCの「シアーズ」に車を持って行き、バッテリーの交換を頼んだ。
この時点で3時半。
今日は5時からワイキキで新年会の予定で、私は4時には行くことになっていた。
ところが交換が終わったのは5時半過ぎで、家で着替えてワイキキに着いたのは6時半過ぎだった。
私は今年、ようやく後厄も抜けたのだが、細木先生の六星占術によると、昨年よりも悪い年らしい・・・。
なんだか正月早々にお金も時間も損した気がするが、新年会の会場に到着すると、「JUNちゃ〜ん」とか「じゅにーさーん」とかなんだか人気者。
これはワイキキで毎週開いている日本人の親睦会「鍋会」の新年会で、今回はコンドのパーティーエリアでのBBQだった。
BBQと言えば私がいつも焼いていたが、今回は日本からいらしている別のご家族が仕切ってくれた。
参加者は在住者や旅行者織り交ぜて20名ほどだったが、男性はほぼ独身ばっかりだったのに、女性はほとんど既婚者で半数は子連れ。
途中から38階のペントハウスでの部屋飲みの2次会になったが、とても楽しい時間だった。
まあ苦あれば楽ありということかな?
2007年01月10日
WISH LIST
旅先に知り合いがいれば、故郷や地元の名産などを土産に持って行きたいと思う心理がある。
私個人の友人知人がハワイを訪れる際だけでなく、リピーターの多いハワイ、そしてダイアモンドヘッドクラブには、お土産を持ってきてくださるお客さんがとても多い。
かつては日記の中で、頂いたお土産を紹介していた事もあったが、それを一時止めていたら、不思議な現象が起きた。
日本各地からやってくるお客さん、友人知人から、同じ時期に同じものを頂くと言う現象である。
例えばある月はお茶ばっかり、その次の月はお菓子ばかりだったり。
また「東京バナナ」ばっかりなんて言う月もあった。
季節の物と言う時もあったが、どう考えても単なる偶然にしては重なり過ぎと思えることが多かった。
頂いた物は、贈り主の気持ちを考えれば出来れば私自身が頂きたいと思うが、あまりにも重なってしまえば、近所の友人などにお裾分けをすることになる。
お裾分けが悪いことだとは思わないが、来客の多い私の部屋では結局皆さんで頂くことが多い。
しかしいくら私がお茶が好きだといっても、売るほど溜まってしまうと正直困り物。
リピーターさん、常連さんの数は年々増えているので、どうしようか思案した。
ツアーのお客さんに関しては、昨年から基本的にオリジナルツアーではチップを頂かないようにしたので、お土産がさらに増える可能性もあった。
そこで昨年は、頂いた物を、感謝を込めて、「WISH LIST」という形で公開し始めた。
すると極端に同じものが集中すると言うことが無くなった。
だが、面白いことに、お土産を持ってきてくれた方が皆さんこの「WISH LIST」を見ていた訳ではないという事。
まあ大人の事情で公開できないものもあったが、それでも一人暮らしが頂き物だけで成り立ってしまいそうなほど、色々頂いた。
昨年分と今年の分を分けるための作業をして、改めてその全てを見返してみると、感謝の念が絶えない。
この場を借りて、改めて皆さんにお礼を申し上げます。
サークルアイランド
今年最初のサークルアイランドツアー。
今日のお客さんは全員違うハラウでフラを習っているそうだ。
天気予報では雨の確率が高かったが、朝のワイキキは曇ってはいたものの、雨は降っていなかったので出発した。
サンディービーチでは砂がすっかり湿っていたが、少し薄日が差してきた。
しかしトレードウィンドではなく、緩い南風が雲を動かしている。
ウィンドワード・サイドに回っても、雲は多かった。
しかしマカプウの展望台から海を見ると、クジラの親子の汐吹が見れた。
ワイマナロのビーチに入っていくと、予想に反して車が多かった。
よく見ると小さな子供とお母さんと言う組み合わせが多く、子供服を満載したバンとカメラマンなどがいて、どうやら子供服のカタログか何かの撮影らしい。
ビーチは我々と、撮影中の数名以外は誰もいなかった。
南風のせいか、カネオヘ湾には靄が立ちこめ、チャイナマンズ・ハットが浮いているように見えた。
クアロア公園は人もシラサギも少なかったが、マイナバードが鳴いていた。
カーアヴァの海は弱い日差しにも色を出していたが、沖には大きな波が見えた。
サンセットビーチの波は4〜5フィートほどしかなく、やはり湿ったビーチに人は少なかった。
ワイメア・ベイは水がかなり濁っていて波も小さく、エディ・アイカウ杯の大波サーフィン大会は今日も開催されていなかった。
ラニアケアビーチでは、すぐ水際の岩で必死に海草に食らい付く小さなウミガメが見れた。
雨も、公園の濡れ具合も気になった、アリイビーチパークでのランチは、完全に貸切の状態で何とか無事に済み、ハレイワタウンの散策時間終了間際になって本格的に降り始めた。
ドール・プランテーションまでの道のりは激しい雨に視界は悪く、ワイパーは全開。
しかしランチ中にこの雨が来なくて良かった。
ドール・プランテーションでは普段はパイナップルジュースやアイスクリームを食べているが、今日はホットコーヒーを飲んでいた。
その後の帰り道も断続的に降り、H-1フリーウェイはかなり渋滞した。
2007年01月12日
雨季
今年のお正月のハワイは良い天気が続いたのだが、成人の日の連休からはパッとしない空模様が続いている。
一昨日はサークルアイランドが雨のためにキャンセルになった。
気象レーダーを見ると、朝から島の東側や中央部で激しい雨が降り、ほぼ一日中断続的に続いた雨によって、オアフ島には洪水警報が発令されていた。
しかし島の南側のホノルルは昼前から陽が差して、折からの南風に気温も上がり、良い天気になった。
しかし昨日は夕方からトレードウィンドが戻ってきたものの、ワヒアワ辺りからパールシティにかけては降り、ナイトツアーが中止になった。
ワイキキ周辺も夜になって降り出したが、今日は雲は多いものの晴れ間が広がっている。
昨年の2月半から3月にかけての大雨を思い出したくは無いが、今年も既に雨によるツアーキャンセルが3件目になって、ちょっと怖い。
私自身もなんだかちょっと風邪気味のようで、元気が無い。
2007年01月16日
風邪
ツアーは暇なシーズンなので、昨年分のTAX関係のオフィスワークをしていますが、やっぱりどうもちょっと調子が悪く、寒気がして家の中で靴下はいたり、長袖のTシャツ着てたりして週末を過ごしてました。
メールのチェックなどはしていたのですけど、日記を書くネタもパワーも無かったので、ちょっと日が開いてしまいました。
その為、なんだか多くの方にご心配をおかけしてしまったようで、済みません。
まだ海に飛び込みたい程ではないですけど、ビール飲みたい程には回復しました。
今日はアメリカは「マーチン・ルーサー・キングJr.バースデー」の祝日で、街中は静かだった。
2007年01月17日
相談
今日はマキキの郵便局に歩いて出かけた。
良いお天気の中、片道2キロほどの距離を散歩した。
行ってみると随分長い列が出来ていたが、昨日はアメリカは祝日だったので、その分混んでいたようだ。
並びながら読書。
さて先週まで断続的に届いていた日本からの年賀状もようやくお終いになったようなので、昨年末のクリスマスカード、ご挨拶状、年賀状など頂いた方に、ここで改めて御礼を申し上げます。
なんだか今頃になって昨年のことを思い返すのも変だが、昨年は色々な相談を受けた件数が急に増えた。
ハワイへの移住相談から、恋愛、進路、家庭問題などの人生相談まで様々で、会社のHPの「クラシファイド」に「相談乗ります」と出したのも一因かもしれない。
ほとんどが日本からのEメールでの相談だったが、私が実際に、「ああしなさい」とか「こうしなさい」と言う事は少なく、ヒントになればイイなぁと思うことを教えたり、自分の経験を話したりするのがほとんど。
ただ、どんなケースにせよ、「もう少しこのままで様子を見たら」と言う事は少なく、「迷ったら動いてみては?」と促すことの方が多い。
中にはGoogleの使い方を教えただけなんて言うこともあったが、ハワイまで実際にやってきて、長い時間かけて語り合ったこともあった。
しばらくしてから「先日は・・・ありがとうございました」と言う結果報告をしてくれる人もいるが、最初は相談に乗る気が無かったのに、いざ乗ってみたらその後全然連絡が来ないと言う人もいた。
今年は自分自身の相談に乗って、40代の生き方をそろそろ見つけたい。
2007年01月18日
お知らせ
今日はちょっとお知らせ。
ダイアモンドヘッドクラブのネットショップにて、ボーンネックレスを2つ追加しました。
人気のイルカタイプと、ホヌタイプです。
で、このブログをご覧の方に限りセールをします。
オリジナル商品と、セレクトグッズに限り、今月31日までにお買い上げの方は全て10%オフです。
NONIやCDは含まれません。
商品お申し込みの際に、コメント欄に「ブログ見た」とご記入下さい。
アロハメールにて10%引きの値段をご通知いたします。
まあ在庫処分と言う感じですけど、ショップと呼ぶにはあまりにも少ない在庫でごめんなさい。
2007年01月22日
街の雑景
せっかくほぼ完治した風邪がぶり返して、先週は一日中寝ていた日があった。
おかげで今度こそはもう風邪の方は大丈夫のようなのだが、寝すぎで腰が痛い・・・。
昨年の税金関係のオフィスワークもほぼ終わり、昼間は近所を散歩して、「日本ビデオ」で映画なんか借りてきて、ついでに「ドンキ」などでお弁当買って、夜は家で一人で鑑賞会をしている。
こんなことを日本の友人に話したら、最近は日記のネタも無いようだから、散歩中に写真撮って載せたら?と言われた。
と言うわけで、まずはマキキの山方面。
手前はセントラル・ユニオン・チャーチで、後ろの薄いピンクの建物はカピオラニ・ホスピタル。
ヤングストリートを出て、カラカウアまで歩き、ワイキキ方面に歩くとすぐにピンクテコマの木がある。
まばらにピンクの花が付いていた。
キング・ストリートを渡る。
夏には賑やかに花を咲かせるレインボーシャワーも、今は青一色。
日曜で車の数も少ない。
さらにカラカウアを進む。
同じ通りでもワイキキの中とは随分と雰囲気が違う。
「ファブリック・マート」の手前の団地の中にあるツリーオーキッド。
今が季節の蘭の花が咲き乱れている。
カヌヌ・ストリートを曲がって、「日本ビデオ」に寄って、カヘカ・ストリートから「ドンキ」の前を通って、花屋のYukiちゃんに挨拶して、お弁当買って、再びカラカウアに出て、フィリップ・ストリートからプナホウに入る。
マヌヘアリイの前を通るが、今日はお休みの様子。
ワシントン中学校の前を通って、
プナホウとキングの交差点。
のどかにシマバトが鳴き、傾いてきた日差しに椰子の木が少しずつオレンジ色に輝いていた。
こんな感じでいかが?
2007年01月23日
「模倣犯」
昨年末に長い時間かけて読んだ、宮部みゆきの長編小説「模倣犯」、は映画がお勧めと聞いたので、「日本ビデオ」で借りてきた。
原作自体が映画の脚本のようだったので、それをそのまま映画化したのかと思ったら、やはりシナリオも登場人物数も随分絞っていた。
最後のストーリーまで変えてしまって、映画版はあっさり終わらなかった。
でもこの話、男性が書いてたら雰囲気が違っていたと思う。
さて、ビデオを返しに行くついでにまた写真を撮ってきた。
ヤング・ストリートを出てすぐのところ。
キングSt.とカラカウアAve.の角には、セルフストレージが建設中。
私がハワイに来たばかりの頃、この場所には韓国系プレートランチの美味い店があって、そこでいつもBBQアヒを食べていたのを思い出す。
その後店が潰れて、この敷地内にあった他の店もどんどん無くなり、しばらくは空き地で、一時はカーウォッシュの店が間借りしていたこともあったが、昨年から工事が始まり、またコンドでも出来るのかと思ったら、貸し倉庫のようだ。
今日はキング St.からカヘカSt.に入ると、「ミスター・ルーター」のトラックが止まっていた。
「ミスター・ルーター」は下水管の詰りなどを解決してくれる、工事業者のこと。
ビデオを返して家に戻ると、すぐ前にリサイクルのトラックが帰るところだった。
「タイムス」で作業した後、基地に戻るところのようだが、そういえばこのトラックのシャッターが開いているところはまだ写真に撮っていないのに気付いた。
毎週月曜と金曜に、家の近くの「タイムス」にやってくるので、今度はそれも撮って来たい。
今日も良いお天気だった。
2007年01月24日
鍋会
ワイキキでほぼ毎週開いている日本人の親睦会、「鍋会」。
もう丸5年もやっている息の長い集まりである。
最初はホノルル在住の日本人ばかりだったが、それぞれのメンバーが日本からのお客さんや友人などを連れてきたりして、一時は「アロハストリート」の今は無き掲示板を使い、現在は「mixi」で一般参加者も募集しているので、旅行者や学生、駐在員や長期滞在者なども加わり、毎回違ったメンバーで鍋を囲んでいる。
昨晩のメニューはモツ鍋だった。
なぜか男性ばかりぞろぞろと集まり、気付けば女性は一人で男性8名。
実は日本からシェフが長期で滞在中で、このところ鍋のクオリティはレストランレベルなのだ。
平均年齢は50台後半か60台。
私は下から2番目に若かった・・・。
もっと若い人ばっかりなんて言う時もあるのだが、最近はなんとなくオジサンが多い気がする。
ハワイの話だけに留まらず、色々な話題について世代を超えて語り合った。
まあ、シニア割引の話とか、ちょっとまだ着いて行けないのもあったが、普段は話をする機会など無さそうな色々な人と出会えるのが面白い。
この鍋会で知り合って、私のツアーに興味を持って参加してくれた人もいるし、すっかり友人になった人もいる。
共同主催者のダニヤンとは、「商売抜きでやろう」と言うことで始めたので、基本的に私はプライベートモードで、かなり馴れ馴れしい(と思う)。
最初にツアーに来てくれたお客さんが、後に鍋会にも参加する事は少なくないが、鍋会で知り合った方をツアーに案内すると、あんまりちゃんと仕事してるんでびっくりすることがあるみたいだ・・・。
まあそれだけ鍋会の時はリラックスしちゃってるのかも知れない。
相談に乗って欲しいなんて頼られちゃう事もあるが、色々な人の生き様を聞かせてもらうのはテレビでドラマなんか見るより遥かに面白い。
深夜、帰宅して空を見上げるとオリオン座。
今日は朝から小雨模様の天気だったが、午後にはカピオラニ公園でミーティング。
場所の変更をしようかとも思ったが、ダイアモンドヘッドの麓に近い方は乾いていた。
私が自分のオフィスのミーティングスペースとしていつも使っているバニアンの木の下のベンチにクロスを広げて、1時間半ほど。
日照時間が少なかったので少し涼しかった。
2007年01月28日
「LOST」
昨年、アメリカのテレビドラマの「24」に、一時ハマってしまった。
もう数年前から続いているシリーズ物で、ストーリーの展開の速さと、あっと驚く内容ですっかりファンになってしまったのだが、これを紹介してくれたホノルル在住の日本人仲間が、日本語の字幕の付いたビデオを貸してくれたのがきっかけだった。
私は普段ニュースやスポーツ以外のテレビはあまり見ないし、「24」もこちらのテレビで毎週一話ずつ、英語の音声だけだったら、面倒で見ていなかったと思う。
借りたビデオには1本に6話ほどが日本語の字幕付きで入っていたため、一気に見てしまったのだ。
日本でも徐々に公開されていて、ファンも増えているらしい。
この「24」がFOX系なのに対して、ABC系でシリーズ化されているドラマが「LOST」である。
「24」のビデオを貸してくれた友人が、「これも面白いから見て!」と言ってくれたので見てみると、こちらもストーリーが面白かったのだが、なんとロケ地がオアフ島で、そちらの方に興味を持った。
この話は南太平洋の孤島に不時着した飛行機に乗り合わせたサバイバーたちの冒険ストーリなのであるが、よく出てくるのはノースショアのビーチ。
遠くにカエナ岬が見えたりカフク岬が見えるので、ああこれはモクレイアだなとか、これはワイメアの手前だなとか、ツアーガイドとして島を見ている私には、すぐに場所の特定が出来たのだ。
実際何度か撮影現場にも出くわした事があり、ジャングルのシーンはマノアやマキキの山の中を使っていたりもする。
さらに、何気なくカネオヘの平等院が出てきたり、チャイナマンズ・ハットが映ったりするのも見逃さなかったが、これらはなんと韓国の場面の設定だった。
日本でもDVDが出たり、テレビでも放送されるようになったそうだが、ハワイ好きの人の中にはやはり気付いた人がいたかもしれない。
そして予想通り、「LOST」のロケ地を巡るツアーは出来ないかと言うお問い合わせが来た。
そこでさらに調べてみると、なんと徹底的にオアフ島でロケを行っていることがわかってきた。
今までは気付かなかった場所も実はオアフ内で、例えばシドニーの空港がカピオラニのコンベンション・センターだったり、同じくシドニーのホテルがイリカイホテルだったり、またメインランドの南部の町がカフクだったりと、一部のスタジオを除いてほとんどがオアフ島内で撮影されているのだ。
また、墜落した飛行機の残骸が今も、保管されているのだか、廃棄されているのだかの場所もわかったし、これはちゃんとした一日ツアーになってしまうことが判明した。
日本ではまだ最初のシーズンが終わったばかりだが、アメリカではシーズン3まで放送が終わっている。
私は日本語字幕付きのシーズン2の途中まで見ているのだが、今度はアフリカの場面までオアフ島で撮影しているのも判明。
ハワイファンが撮影地を探すのも面白いかもしれない。
日本で「LOST」のシーズン2が出たら、本格的にツアーとして考えてみたい。
2007年01月29日
STICKER
日本で走っている自動車と、ハワイの車で何が一番違うか?
まあ日本の車は新車が多いと言う点もあるが、ハワイではステッカーを貼っている車がとても多い。
アメリカでは「バンパー・ステッカー」と言って、車の後部のバンパーに貼る、ちょっとメッセージ性のある物や、宣伝のためのステッカーは昔から多い。
「I LOVE MY WIFE」なんて、日本では冗談としか取られない様なメッセージだったり、「私の子供は○○小学校の優秀生徒になった!」とか、「戦争はもうたくさん」なんて言うのもある。
贔屓のスポーツチームの応援だったり、選挙前には立候補者の応援にもなるし、店や会社の宣伝として使われることもある。
ハワイではさらに、メッセージではなくて車のデコレーションとして、ハイビスカスやカメなどのステッカーを貼っている車が多い。
私もLAに住んでいた頃から少なくても1〜2枚のステッカーを車に貼っていたが、ハワイに来てそれが増えていった。
例えば同じ車種の車が駐車場に止まっていた時、自分の車を認識する手段として、バンパーステッカーは役に立つ。
ハワイではさらにレンタカーと違うと言うことを主張する防犯の役目もしている。
ツアーなどで私の愛車「太郎」に乗られた、またはご覧になった方は、バンパーだけでなく後部全体に広がったステッカーの多さを見て驚いたり、記念写真を取る方も少なくない。
年々増えていって、そろそろ貼る場所が限られてきているが、ローカルで頂いたり、買ったり、日本のお客さんから頂いたりしたものもある。
実は私の知らない間に勝手に貼られてしまったステッカーもあるのだ・・・。
基本的にはハワイっぽい物(?)だけを表に貼って、その他一部は車内にも貼っちゃっている。
さすがにこれだけ多くのステッカーを貼っている車はそう多くないので、どこに行っても目立つが、どうして私がこんなにたくさんベタベタ貼る気になったのか?
実は「太郎」は側面部にもいくつかステッカーが貼ってあるのだが、これらは実は車体についた細かい傷を隠すために貼ってあるのだ。
メインランドに比べてパーキングのスペースの狭いハワイでは、隣の車にドアをぶつけられたりする事はしょっちゅうで、島を走り回れば小石が当たることも少なくない。
その細かい傷に一々対応していては時間もお金もかかるので、ステッカーを貼り始めたのだ。
だが、基本的には私の幼い頃の記憶から始まっていると思う。
子供雑誌の付録や、お菓子のおまけとしてシールが出回っていたのに、それを貼る場所が無かった。
家の家具は勿論、教科書や学校関係のものにシールを貼ることなど許されず、貼れないシールばかりが溜まっていった記憶がある。
それがハワイに来て爆発してしまったのかもしれない。
実は車だけではなく、ツアー中に使っているクリップボードの裏はこんな感じ。
オフィスのゴミ箱も、
と言う状況。
さらに家の中もあちこちに貼られているのだが、まるでジャイアンツのオフィシャルグッズのようになっているのは掃除機である。
今年こそはダイアモンドヘッドクラブのオフィシャルステッカーを作りたい。
2007年01月30日
アイランド ビジター
先週末に先月のハワイ州への旅行者の統計が出て、昨年全体の実像が露になった。
2001年の同時テロ直後、02年と03年に640万人まで落ち込んだ観光客数は、04年に690万人になり、05年には740万人にまで回復したのだが、06年は全く横ばいの740万人だった。
日本からの旅行者は前年より4.9%減の137万人で、ピークだった1997年の215万人と比べると36%も落ち込んでいる。
これを補完してきたのはメインランドからの旅行者だったのだが、それも頭打ちになって来ていて、今はカナダなどからの観光客が増えているおかげで日本人の減少分をカバーしているようだ。
テロ以降も人気の衰えなかった日本人のハワイ挙式とハネムーンは前年に比べて18.6%も減少して、すっかりブームは過ぎ去ろうとしている。
12月だけを見ると、日本からのビジター全体は前年比14.3%も減少していて、今後これが回復する兆しは無い。
観光局では、ワイキキでの工事が多いのが原因だと見ているようで、工事が終わればまた日本人も戻ってくると楽観的なのだが、11月に施行された禁煙法も大きな要因になっている事は間違いなく、日本の沖縄ブームが去るのを待つ事になるかもしれない。
ただハワイの経済は好調で、観光客数は横ばいでも観光客の使うお金は増えているようだ。
現在のハワイ州は全米でも最低の失業率を誇っているので、少し日本人が少なくなっても気にしないのかもしれないが、日本人を専門に商売している人達は、私も含めてとても厳しい状況にある。
しかもオアフ島にステイする人は減っているのに、隣島、特にハワイ島に行く日本人は増えているのだそうだ。
昨年は大雨の影響もあったが、状況は厳しいままだ・・・。
2007年01月31日
日立の樹
昨日から南西の風が強くなり、雨が多い。
道路には風によって折れた木の枝や葉が散らばっている。
さて以前、モアナルア・ガーデンが閉鎖されると言う記事を書いたが、いつまで経ってもそのような気配は無く、しょっちゅう出入りしているリムジンのドライバーなどに尋ねても明確な答えは出てこなかった。
昨年は10月末で閉まるとか、年末説など色々出ていたが、「この木何の木」の日立の樹はホノルル市の重要樹木にも指定されているので、簡単に伐採が出来るはずは無く、仮に公園が閉鎖されても樹を見る事は可能だろうと思っていた。
それが今年に入って事態が動いた。
かつてこの公園の場所の所有者だったサミュエル・デイモン氏は、最後の孫が亡くなった時点で公園などの財産を管理する財団を解散させると遺言に残し、財団の解体は決まったのだが、不動産業を営み曾孫に当たるJPデイモンという人がこの土地を505万ドル(約6億円)で購入したのだ。
さらに彼は日立と新たな契約を結び、今までは年間2万ドルだけの使用料だったが、今後10年間日立は毎年40万ドルの料金を払うことになった。
日立も思い切ったが、今後毎年60万ドルはかかると予想されている公園の維持費には及ばず、イベントやウェディングの使用料を増やして運営していく事になるようだ。
公園自体は今までどおり一般開放していく方針だそうだ。
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