2006年07月01日
6月27日:イチローJr.
ハワイは本格的な夏の清々しい陽気が続いている。
窓から吹き込むトレードウィンドは、肌の上を気持ち良く転がる。
エレベーターホールの前に置いたティーの木の「イチロー」の足元に出てきた「イチローJr.」も葉っぱを出した。
6月28日:CI-コンボ
朝のワイキキは少し薄雲がかかっていたが、カラニアナオレ・ハイウェイを東へ走ると、青空が広がってきた。
サンディービーチは3〜4フィートのショアブレイクが音を立てて崩れていた。
ビーチの端の方に大きな黒い塊を見つけた。
よくみると大きなアザラシ。
体調は2メートル以上。
気持ち良さそうに寝ていて、時々手でお腹の辺りを掻いていた。
後ろに回ると、背中に「N」の文字。
生態調査用の記号だと思われるが、爆睡したアザラシには「Z」に見える。
(実際「Z」なのかもしれない)
ウィンドワードサイドは薄雲が残っていたが、貿易風は調子良く吹いていた。
カフクハイスクール前のレインボーシャワーは見事に満開だった。
ノースショアに回ると、サンセットビーチは海水浴客で賑わっていた。
ハレイワに入る前に、看板の前で止まった。
盗まれたサーファーが昨年暮れに修理されたばかりの、ハレイワの看板の様子がまた変わった。
なんと今度はサーファーが女性になっていた!
アリイビーチパークは今日もほぼ貸切で、モンキーポッドの木陰でピクニックランチ。
ドール・プランテーションに行ってから、ハレイワタウンの散策タイム。
私はノースショアマーケットプレース内のパトロールの後、例によって車内で読書をしていたが、気持ちの良い風と木のざわめきでいつの間にかウトウト・・・。
ハレイワの街が静かになってきた頃、再び移動開始。
ラニアケアでは3匹のウミガメがビーチで寝ていた。
サンセットビーチに戻ると、水平線近くには雲があったが、最後に素晴らしい色のショーを見せてくれた。
帰りのフリーウェイはパールシティーの夜景が綺麗だった。
6月29日:クリオウオウ・トレッキング
久しぶりにクリオウオウに登ってきた。
ハワイカイの手前で、カラニアナオレ・ハイウェイを山側の住宅街に入っていく。
トレイルの入り口へ案内する看板などは何も無く、住宅街の奥に車を止めて山の中に入っていくと、トレイルが始まる。
こんな道や、
こんな道を歩いていくと、
クリオウオウの住宅街と海が見える。
さらにこんなトレイルや、
こんなトレイルを進んでいくと、
大きなクックパインの森に入る。
山小屋で一息ついた後は、こんなところも登る。
やがて大きな木が少なくなり、後ろを振り返るとココヘッド、ココクレーター、ハナウマ湾とハワイカイの住宅街が見えてくる。
オフアレフアの赤い花が咲いていて、ウグイスの鳴き声がこだまする。
最後は階段状のトレイルを一段一段登っていくと、ようやく頂上!
2時間ほどの苦労を忘れ、感動する瞬間。
左にはカネオヘ半島やラクダ島がエメラルドブルーの海に浮かぶ。
右側にはラビット・アイランドとワイマナロ。
後ろにはダイアモンドヘッド、カハラ、カイムキとワイキキの一部も見渡せる。
帰りは1時間半弱で降りてきたが、今日は往復で18人と犬一匹とすれ違った。
この山にしては大盛況の日だった。
どーした!巨人!
今日も朝からネットの調子が悪かったので、オーシャニックケーブルに電話して、いつもの様にしばらく待たされた後(今日の保留中のハワイアンミュージックはライアテア・ヘレムだった)、ようやく出てきたテクニシャンによると、ここ数日ケーブルに問題があったと言う事を認めたが、私のPCとのコネクションはインディビジュアルなケースだと言う。
アメリカは今週末は独立記念日の連休で、火曜まで休みのところが多い。
5日(水曜)に技術者をよこすと言ったが、それまでメールもなかなか送れない状況が続くと思ったら、自分で何とかしたくなってきた。
私も元はコンピュータのエンジニアだし、インディビジュアルなケースだなんて言われたら、色々チェックしたくなる。
しかしウィンドウズのタスクマネージャを見ても、ロードランナー・メディックなどのソフトを使ってもよくわからない。
そこで配線の繋ぎ直しをしてみた。
前にコネクションが悪くなって、オーシャニック・ケーブルに電話をした時、電源部の繋ぎ直しをやって直った実績があるのだが、それは既に何度も試みていた。
今日はあちこち繋ぎ直してみた。
そるとどうだろう・・・。
あ〜ら不思議。
この数日全くアップロードできなかったイチローJr.の写真があっという間に上がった。
メモ帳に書いていた日記を一気にアップ。
メールも掲示板も書いて、スポーツニュースをチェック。
最近朝のスーパーニュースのスポーツはサッカーの新監督の話ばっかりで、野球が分からなかった。
するとOh My God!
開幕ダッシュに成功して14も貯金のあった巨人が、球団史上最悪の10連敗!
銀行に行ったついでに、タイムス・スーパーマーケットで「日刊サン」をもらうと、「今日にも自力X消滅」って・・・。
どーした巨人!
確かに下位打線は顔と名前の一致しないのばっかりで、怪我人が多いのは認めるが、やばすぎ!
2006年07月02日
サークルアイランド(連休初日)
今日は独立記念日の連休の初日。
朝から高く薄い雲がオアフ島を覆っていた。
ワイキキにお客さんをピックアップに行くと、アラモアナ・ブルバードの交差点での何かのパレードの準備をしていた。
クヒオビーチでもイベント用のテントの設営が行われていたが、混雑になる前にワイキキを脱出。
カピオラニ公園沿いではレインボーシャワーやホワイトシャワーの花びらが風に舞っていた。
ダイアモンドヘッド沖の波は3フィートほど。
ちょっとチョッピーだったが、人は結構多かった。
カハラに入ると、大きな家の前の「FOR SALE」の看板が目立つ。
既にオアフの不動産ミニバブルのピークは過ぎ、新築のコンド以外の値段は下がり始めている。
カハラはさながら、不動産展示場。
今度「カハラの豪華物件めぐりツアー」でもやろうかな?
ワイアラエカントリーのピンクのハイビスカスは眩しいほどに咲き乱れていた。
カラニアナオレ・ハイウェイに入ると、コオラウ山脈の上の雲が気になった。
ハナウマ湾は既に入場待ちの車が長い行列になっていた。
サンディービーチは相変わらず豪快な音を立てて4フィートのショアブレイクが水深30センチの光る砂の上に叩きつけられていた。
ハワイカイゴルフコースの入り口を過ぎると、つい先日出たばかりの藪火事の後が生々しかった。
マカプウヘッドのパーキング工事はほぼ終了し、車線も広がり運転しやすくなったのだが、トレイルのパーキングもマカプウビーチ側のルックアウトのパーキングもまだ入れない状態のまま。
連休明けにもペイントジョブを仕上げてオープンかな?
マカプウビーチは4フィートほどの厚い波にロコ達が入って遊んでいた。
ワイマナロは2フィートほどのショアブレイクで、薄雲の架かった空の色を映して淡いグリーンがグラデュエーションを作っていた。
先日は大混雑してた曙ママの店も今日は空いていた。
巨大ポトスが茂るカネオヘベイ沿いの住宅街を抜けて、ローカルで賑わうクアロアパークへ。
キャンプエリアも今日は大盛況だった。
赤いハイビスカスの咲く、タートルベイのゴルフコースの垣根を過ぎて、ノースショアに入る。
サンセットビーチは観光客と海水浴客が多かった。
海はおとなしく、サンセットはフラット、ロッキーで1〜2フィート。
ワイメアもローカルが繰り出していて、飛び込み岩で次々とダイブを見せてくれた。
ラニアケアではちょうどウミガメが上がってきた。
アリイビーチパークもパーティーやBBQが多かったが、パーキングにもピクニックテーブルにもまだ余裕があったので、なんだかローカルに紛れてのピクニックランチとなった。
しかし、回りは本格的にBBQやってたなぁ。
ハレイワタウンはアメリカ人観光客が多かったが、マツモトシェイブの前は大行列だった。
お客さんを下ろした後、ノースショアMPに先に回るが、パーキングはほぼ一杯。
適当に止めて、「ポリトレ」を覗くと、珍しくお客さんでごった返してた。
少し読書の後、「76」でガスを入れ、集合の「オーシャンズ・イン・グラス」の前に戻る。
ドール・プランテーションもパーキングは9割方埋まっていたが、レンタカーが多いので改装されて広くなった店内は、それ程混雑した印象は最初は無かった。
が、久しぶりにパイナップルアイスクリームを食べながら、正面入り口前のベンチにいると、大型バスが次々到着して、アメリカ人、日本人、韓国人の団体を連れてきた。
アメリカ人はちょっと田舎のパックツアーと言った感じ。
日本人は社員旅行。
韓国人は家族連れや新婚風が多かったが、いずれもちょっとリッチな感じ。
いきなり混雑したドール・プランテーションを後にして、まだ紫色のジャカランダの少し残るワヒアワを抜け、フリーウェイに入った。
プナホウのオフ・ランプで降りるまで大した渋滞にもかからずに非常にスムーズだった。
2006年07月06日
サークルアイランド(連休最終日)
今日がアメリカ合衆国の230回目の独立記念日。
ワイキキには連休のバカンスを楽しむアメリカ人旅行者の姿が目立ったが、昨日は一応平日の飛び石連休だったせいか、ハワイの一般市民はあまり連休と言う気分は無い様に感じた。
実際今日も朝から近所の工事現場で音がしていたし、毎度のことながらアメリカの祝日にもかかわらず、合衆国旗を家の前に掲げている家などほとんど無かった。
ワイキキを出るとカピオラニ公園沿いのバザーや、ダイアモンドヘッド・ロードをはしるランナーの数は多かった。
カラニアナオレ・ハイウェイは空いていたが、ハナウマ湾の入り口は混み合っていた。
サンディービーチのパーキングは一杯で、既に凧揚げも始まっていた。
マカプウビーチも平日に比べると人は多かったが、それでも20人はいなかった。
しかしワイマナロは随分人出があって、ベロウズもBBQやパーティーを準備しているグループが多かった。
「SUMOコネクション」は普通にオープンしていた。
クアロア公園もローカルが多かったが、キャンプサイトにテントの数は少なかった。
ウィンドワードサイドの道路はスムーズだったが、ノースに入ると車が増えた。
サンセットビーチはレンタカーのアメリカ人が多く、ワイメアはローカルでごった返していた。
ラニアケアはローカルもいたが、アメリカ人旅行者がたくさんピクニックをしていた。
ちゃんとカメもいたのだが、このビーチでのピクニック禁止と言うのは出来ないのかな?
いくらカメがいるからと言っても、何よりこんな狭い人ごみビーチでピクニックする人の気も知れない。
ハレイワも当然人は多かった。
アリイビーチパークはローカルで満員御礼状態。
ハレイワタウンは、日本人、アメリカ人合わせて観光客で賑わっていた。
休日だからと言って閉めている店は全く無かった。
ドール・プランテーションは相変わらずの人気で、山の間を抜けてきた少し涼しい風が気持ち良かった。
結局帰りのフリーウェイでも渋滞は無く、心配しながらのツアーだったが、とてもスムーズに終わった。
BBQパーティー
久しぶりにアッパーマキキの大ちゃんのコンドでBBQパーティーをした。
仕事が終わってからタイムスマーケットに行き、私の担当だった飲み物を仕入れて、家でシャワーを浴びて準備をしてから出かけた。
独立記念日の花火がメインで、最初は大人数でやろうと言う企画だったのだが、明日日本に帰国するKENちゃんの送別会を兼ねようと言う事で、実際はかなり内輪になった。
5つほどあるBBQエリアは我々の他にあと一つしか使われていなかったが、そちらは大人数で賑やかだった。
しかしこちらはBBQ慣れしている人が揃っていたので、前菜のサラダやポキをはじめ、肉も要領良く焼き上げて2時間ほどで終了。
その後最上階にある大ちゃんの部屋に移動して、花火見物。
KCCNラジオがアラモアナSCでイベントをしていて、ラジオと花火のリンクが盛り上がった。
20分ほどの豪快な花火大会が終わった後も、引き続き皆でラナイで寛いでいると、1時間ほど経った頃また花火が上がった。
ホンの1〜2分だったが、先ほどのメインの花火と似たような組み合わせで、「きっとあれは先ほど打ち上げ忘れた花火に違いない」なんて事を話していた。
ビーチ沿いには警察のヘリコプターが飛んでサーチライトを照らし、既に人々を解散させていたし、フリーウェイに向かうケアモクやピイコイ通りは渋滞が始まっているのも見えていた。
つまり見物する人はほとんどいない状態で、忘れ物が打ち上げられたようなのだ。
しかしさらに1時間ほど経った時に、またホンの数発の花火が上がった。
もうこれは完全にハワイタイム・・・。
忘れてたのか、本番の時に調子が悪くて上がらなかったのか?
日本の花火大会では考えられないだろうな・・・。
ミサイル発射
狂気のキムジョンイルがミサイルを発射した。
どう考えても北朝鮮にプラスになることは一つも無く、常識では考えられない行動だ。
既に軍の幹部が勝手に行動を起こしているだとか、自暴自棄になっているなどとの見方もあるようだが、アメリカの独立記念日を狙い、スペースシャトルの打ち上げ時刻に合わせ、日本の取材団が訪朝している時に発射を行ったことは、単なる偶然ではない。
前回の発射の時のように日本列島の上を通過するような緊張した事態は無かったが、国際社会から自粛するように言われていた訳だし、最低限の制裁でも北朝鮮に対する影響は少なくない。
そしてキムジョンイルや軍部が追い込まれて、さらに自暴自棄になり、さらに常識では考えられない行動を起こすことに繋がれば、これは恐ろしい事が起こる事態も考えられる。
アメリカまではミサイルは届かなかったし、差し迫った危機ではないとして、CNNなどでは今後の国連安保理や6カ国協議の予想についてしか解説されていなかった。
しかし日本は今回は被害が出なかっただけで、狂った国がすぐ隣にある事実は変わらず、ミサイルを使わなくても、それこそ風船爆弾などに生物化学兵器を積んで風に乗せれば攻撃される可能性はある。
つい先日、横田めぐみさんの元夫と言われる韓国人が北朝鮮で家族との対面を果たし、すっかり北のプロパガンダに染められているのを日本人は見たばかりである。
北朝鮮はこれで拉致事件の幕引きを図るつもりであったし、日本と韓国の足並みを乱す意味も持っていたと考えられるが、融和政策を進めている韓国でさえ、拉致されたと認めてきた人物が、拉致ではないと主張したり、今回のミサイルも韓国政府だけでなく韓国世論が味方になるとは思えない。
今後の国連などの動きによっては、北朝鮮は完全に四面楚歌の状態になる。
そんな中で韓国は日本海の日本領海内に調査船を出した。
日本政府は今までのような弱腰の対応や、先送りばかりでは済まない状況になっている。
日本国民が強い対応を求めている。
最悪の事態も、最悪の事態が起こった後のことも考えなければいけないと思う。
2006年07月09日
月下美人乱れ咲き
昼間、プナホウ学園の横を通ると、月下美人の蕾が目立っていた。
これは今夜辺り咲きそうだなと思ったので、9時過ぎに夜の散歩がてら、家から歩いて行ってみた。
プナホウ・ストリート沿いはほとんど無かったのだが、ワイルダー沿いには大きな白い花が石垣の上に光っていた。
まだ蕾のままで、明日の晩くらいに咲きそうなのもあったが、
まさに乱れ咲きの状態の場所もいくつか見れた。
日本の月下美人に比べて、花は大きいのだが、匂いはほとんどしない。
昨年まで、夏場のナイトドライブツアーでは、タンタラスのオプションが入ると、夜景よりも月下美人を日本のお客さんに見ていただきたくて、努力したのだが、タンタラスの丘に上がれなくなってしまった今年は「月下美人が見れるかもしれないオプション」として、プナホウ学園の石垣見学プランを始めようかな?
ベロウズビーチ
ワイマナロのベロウズビーチへのビーチピクニックツアー。
ワイマナロはオアフ島の東側、ウィンドワードサイドの南にある幅6キロほどのビーチ。
ラニカイの南、マカプウの北になる。
6キロも海岸線があると、それぞれのエリアに名前が付いている。
マカプウのマカイ・ピアのすぐ北側はカウポ・ビーチと言うが、ここはスキューバダイビングで有名な場所。
カウポ・ビーチパークの北の端は既にワイマナロで、ここは最近大手旅行会社のオプショナルがやってきている。
その先の幅の狭いビーチがカイノア・ビーチパークと言い、カラニアナオレ・ハイウェイからすぐ横に見える。
ハイウェイとビーチの間に林が入ってきて、大きな駐車場や野球場のある辺りが、ワイマナロ・ビーチパークと言う。
ここはレンタカーの観光客も多く、日本のガイドブックにも紹介されているのだが、実はローカルの間では「泥棒ビーチ」と呼ばれる場所。
実は私もハワイに来て間もない頃、このビーチを見つけてよく通ったのだが、2度ほどカバンを盗まれている。
ここからビーチとハイウェイの間に住宅地を1ブロック挟んで、プレートランチで有名な「ケネケス」やワイマナロ郵便局、マクドナルドなどを越すと、左側にワイマナロ・ポロフィールドが出てくる。
このポロ・フィールドの中央の反対側に、海に向かってウォーカー・ロードと言う道がある。
ちなみに道路の名前はどこにも書いていないのだが、「ワイマナロ・ベイ・ステート・レクレーション・エリア」と言う看板がある。
海に向かっているとは言っても、すぐに海は見えず、ハオレ・コアの雑木林が両側に広がっているだけ。
しかしここを入っていくと、ビーチパークがある。
ワイマナロ・ベイ・ビーチパークと言う人もいるが、通称「ベロウズビーチ」。
実際にはこのビーチパークのさらに北側に米軍の「ベロウズ・エアフォース・ステーション」と言う基地があり、その基地に面しているビーチの事をベロウズフィールド・ビーチパークと呼ぶ。
ワイマナロのベロウズ基地寄りなのでベロウズビーチと、ローカルは呼んでいる。
ちなみにこの基地にはちゃんと滑走路もいくつかあるのだが、私は飛行機が飛んでいるのを見たことが無い。
時々ヘリコプターが離発着している程度である。
さて、パーキングスペースに入っていくと、平日にしては車が多かったが、アイアンツリーの林の中を抜けると、真っ白な砂と青い海が目にまぶしい。
エメラルドグリーンの海ではローカルがブギーボードで遊んでいたり、砂に穴を掘って遊んでいたり、林の木陰ではBBQなどしているグループもあった。
途中で少し離れたライフガードタワーの辺りから、小学生くらいの団体がぞろぞろやって来た。
おそらくサマースクールの遠足だろう。
お揃いのTシャツとバックパックをビーチに置くと、身体とほぼ同じ大きさのブギーボードを抱えて次々と海に入っていった。
さすがローカルキッズ。
風は気持ちが良かったが気温も上がり暑くなってきたので、私も海に飛び込む。
水温も高く、水もやわらかい。
鼻の頭が少し焼けた。
サレントス
お世話になっているマコ姉さんのお誕生日パーティーにお呼ばれして、「サレントス」で食事をしてきた。
「サレントス」はイリカイホテルの最上階にある高級イタリアンレストランで、普段は私がまず足を踏み入れない場所。
やはり少しお洒落をして、と言ってもアロハシャツに長いズボンをはくだけなのだが、出かけると、まずイリカイホテルのロビーからレストランまで行く方法が分からなかった。
ロビーには大きな看板もあるのだが、客室用のエレベーターでは行く事が出来ず、ちょっとうろうろしていると、先に行っていた仲間が電話をかけて降りてきてくれた。
なんとロビーにある大きな看板の裏側に専用のエレベーターがあった。
40階程の高さの最上階まで、外が見渡せるエレベーターで一気に上がるだけでも気持ちが良かったが、落ち着いた雰囲気の店内に入ると一番奥のVIP個室に案内された。
今日はこの「サレントス」のオーナーもご一緒で、私もVIPの一員として参加させていただいたのだ。
部屋の外には、この部屋を利用した世界中のVIPの写真が飾られていて、政界、財界、芸能界からスポーツ界まで、それは見事な顔ぶれだった。
今晩のパーティーはマコ姉さんのオアフ島での繋がりで、少人数だったが、「日刊サン」の社長などもいらしていた。
部屋の壁にはイタリアの農村を描いた大きな絵があり、ヒルトン方向の海側とダイアモンドヘッド側は一面ガラス張り。
マコ姉さんを皆でレイ攻めにした後、まずはドンペリで乾杯。
久しぶりのドンペリはやっぱり美味い!
その後も次々と高級なワインが出てくる。
私はワインは全く詳しくないのだが、それでもスムースな口当たりは安物とは全く違う。
何しろワインを注ぐのにも、澱が混ざらないような器具(初めて見た物なので名前は分からないが、ボトルを固定して、ハンドルを回すと少しずつボトルが傾く)で底の大きなデキャンタにまず入れ、たっぷり空気と混ぜてからワイングラスにと言う徹底振り。
テーブルのパンにオリーブオイルとバルサミコ酢を付けてつまんでいると、金曜8時のヒルトンの花火がまさに目の前で始まった。
上げている仕掛けの部分も見える場所なので、まさに特等席。
表面をかりっと焼いたクラブケーキの後は「マウイワウイ」と言う名前のサラダ。
パスタを挟んで、メインディッシュは私はアヒのソテーを頂いた。
この間にも次々と高級ワインが空いていく。
デザートにティラミスも食べたのだが、最後にキャンドルの乗ったケーキが運び込まれ、コーヒーと共にそれらも完食。
とってもリッチな気分のパーティだった。
しかし悲しいかな、その後数名でカラオケスナック「瀬里奈」に繰り出し、たっぷりと庶民の感覚で歌い上げてしまった・・・。
「青春アミーゴ」を完璧に覚えたと思ったら、『次の課題曲は「抱いてセニョリータ」だ!』と言われてしまった私。
まだ一度も聞いた事が無いのに・・・。
2006年07月10日
アメリカ人10周年
先週、私はアメリカ人になって(アメリカ市民権を取得して)ちょうど10年を迎えた。
思い返せば10年前、最初の結婚をするに当たって、と言うか、最初の嫁さんとハワイで生活するに当たって、ビザの関係で私がそれまでのグリーンカード(永住権)から市民権へアップグレードさせる事が、嫁さんにビザを与える一番の近道だと言う弁護士のアドヴァイスにより、試験を受けて取得した。
22年前にグリーンカードを取得した際、徴兵登録のサインをした。
アメリカ人は高校を卒業する時にみんなサインをするのだと言われたが、いくら志願兵で賄われている米軍でも、有事に兵隊が少なくなれば戦地へ飛ばされる可能性があるわけだ。
永住権でも18歳から27歳まではこの徴兵登録の義務があり、実際にこの間に湾岸戦争があった。
まあ、私が戦地でアメリカ軍の一員として戦うような事になったら、既にアメリカは相当ヤバイ状態になっていると思うが、運良く(?)私に赤紙は来なかった。
市民権を取った当時、既に27歳を越えていた私には、既に徴兵登録義務はなくなっていたが、日本人からアメリカ人になる事への抵抗はあった。
日本で、小さい頃からアメリカの文化に触れ、憧れて育ってきた市民の一人ではあったが、アメリカ人になると言うのは日本人を捨てる事のようにも感じられた。
永住権を取ったばかりの頃はアメリカの大きさや自由さに圧倒され、日本とアメリカを行ったり来たりしている間に日本での生活に嫌気が差して、結局アメリカで生活していく事を選んだのだが、その間に世界のアメリカに対する見方は変わっていき、私自身もアメリカに対しての考え方が変わって行った。
結局戦争で勝った国が負けた国に文化を押し付けてきた事や、アメリカでは普通に銃を売っている社会である事、また今でも普通に戦争をやっている国である事、そして日本はそのアメリカに守られていないと未だにその独立さえ脅かされるかもししれないと言う現状などを知るにつれ、複雑な気持ちになり、国籍を変えると言う事の重大さに悩んだ。
最終的には、元々日本人だった私が仮にどうしても日本人に戻りたくなった場合は、半年ほどの審査で復帰が出来ると聞いたからである。
さて、グリーンカードを持ってアメリカ合衆国に5年以上暮らした者には、市民権を取る試験を受ける資格が発生する。
弁護士に書類を作成してもらい、移民局に提出して、面接の予定日が知らされ、ダウンタウンの移民局に面接に行った。
口頭で行われるこのインタビューが試験なのである。
弁護士から100問の想定問題集を渡されていたのだが、実際に聞かれたのは3問ほど。
アメリカの歴史や政治などが問題になっていた。
5問くらいは出ると聞いていたのだが、1夜漬けで完璧だった私の答え方を聞いて、質問官がそれ以上問題を出さなかったと言った方が合っているかも知れない。
勿論ここでは英語のスキルも多少チェックされ、実際にこの試験に落ちる人も多いそうだ。
その場で「おめでとう!あなたをアメリカ合衆国は歓迎します」と言われ、書類に判を押された。
実際にはその後裁判所で行われた宣誓式を経て、正式にアメリカ市民権の証明書を授与された。
その後アメリカのパスポートを取得して、日本に帰ってもイミグレーションでは「エイリアン」の列に並び、「帰国」ではなく「上陸許可」のスタンプを押される様になると、自分が日本人ではなくなった気がしてきた。
ビザが無いと3ヶ月しか日本に滞在できないのは、日本の人がアメリカに来た時と同じ。
だが実際にはこの10年間で日本に戻ったのは3回。
アメリカ本土では日系人の事を「Japanese American」と呼んでいたが、ハワイでは単に「Japanese」。
私は日系1世と言うのが正式な肩書きなのだが、普通にジャパニーズと呼ばれ、気持ちも日本人のまま。
ハワイのローカルや島の人間と言う感じには近づいてきているが、アメリカ人という感覚からはどんどん遠ざかっている気もする。
だが、日本の友人には、私がどんどんアメリカ人になっていると言う人もいる。
気が付かないうちに考え方などがアメリカナイズドされてしまっているようだ。
結局未だにパスポートは出てこないので、そのうち再申請に行って来よう。
2006年07月12日
パインとJr.
昨晩からトレードが上がってきた。
台所のパイナップルは2本の根がさらに伸びて、多くの枝を出して来た。
クラウンの横からは、新芽が吹き出してきた!
イチローJr.も元気に育っている。
2006年07月14日
ココクレーター植物園
今日はハワイカイのココクレーター植物園へのツアー。
まだトレードウィンドが強かったが、ハワイカイ・ゴルフコースの脇からココクレーターの内部に入っていくと、風は穏やかになった。
入り口にはこんな看板が立ってるだけ。
人のいない園内に入ると、プルメリアの匂いが漂う。
そして色とりどりのプルメリアが競い合うように咲いている。
白いプルメリアの木の下は、白く
赤いプルメリアの木の下は、赤く染まっている。
ハイビスカスも多くの品種があり、色鮮やか。
途中でサマースクールの小学生の一団とすれ違った。
1時間半ほど歩いても、他には2組の観光風の白人と出会っただけだった。
クレーターの外から見るより内側は広く、奥のサボテン園にはハワイでもあまり見かけない種類が並ぶ。
静かな園内には時より吹く風の音のほか、鳥たちのさえずりがこだまするばかり。
すぐ近くにシェイマが出てきたり、レッド・ベンティッド・ブルブルの夫婦が様子を見に来たり、
カージナルが親子で現れたりもした。
出口でスパム結びを食べ、サンディービーチに寄ってグアヴァジュースを飲んだ。
サンセットビーチツアー
日没時間の遅い夏場は、午後1時にワイキキを出発して、ノースショアに向かう。
日差しの照り返しが眩しいフリーウェイを走って、最初はドール・プランテーションで休憩。
メインランドの女子高生か卒業生の団体が大勢来ていた。
ハレイワに入ると日本人観光客の姿も目立った。
お客さんに集合場所を案内して「サーフ&シー」の先でドロップした後、2時間ほどの自由時間の間、モクレイアのスカイダイバー、あっちゃんの家に行った。
既に仕事が終わって家で寛いでいるところにお邪魔したのだが、すっかり田舎暮らしをエンジョイしているようで、ラジコンの小さなヘリコプターを飛ばしたり、木工品を作ったりしていた。
しかしここでも日本のテレビを普通に見ていた。
最近普及してきたインターネット経由でテレビを見る方法。
まあまだ画像が荒かったり、見れる番組に若干の制限があるなどするが、そのうちにNGNなんて加入しなくても済む様になるんだろうなぁ。
集合時間に戻ってお客さんをピックアップした後、ラニアケアビーチに。
ゴールインしたばかりのように手を上げたカメが爆睡していた。
サンセットビーチに行くと、観光客はすっかり減り、ローカルたちが思い思いにサンセットタイムを楽しんでいた。
水平線には雲があったが、日没の瞬間だけ太陽が最後に顔を覗かせてくれた。
2006年07月15日
雨
昨晩から断続的にシャワーが振り出し、今日も朝から降ったり止んだり。
夕方からはずっと小雨が降り続いている。
そんな中、隣のお寺でボンダンスが始まった。
先週末から準備はしていたが、この雨で中止になるかと思いきや、提灯に明かりが灯り、スピーカーから音楽が流れ出し、浴衣姿のローカルが集まってきた。
最初は踊る人の姿は見えなかったが、そのうちお囃子も盛り上がってきて、雨の中でも輪を作ってみんな踊っている。
まあこの辺は日系人と言えどもハワイのローカルだから、このくらいの雨は気にしないのかもしれない。
でもなんだか可哀そう。
明日は晴れると良いのに。
2006年07月17日
日曜日
昨日はまだ少し雨が残っていたが、ボンダンスが始まる頃にはホンの小降りになった。
前日は今ひとつ盛り上がらなかったので、その分を取り戻すかのように、お囃子にも力が入って、大きな音が遅くまで鳴り響いていた。
完全に止む事は無かったが、雨もボンダンスの勢いに負けていたような感じだった。
今日は朝からからりと晴れた。
日差しは強いが貿易風はさわやかで、日曜の静かな街に鳥の声が響いている。
私は午後から洗濯。
乾燥機なんて使うのが勿体無いなぁ。
2006年07月19日
山歩き
先週末は崩れた天気だが、今週はピーカンの空が眩しい。
街の暑さを逃れてマノアの山を歩いた。
鬱蒼としたジャングルには鳥の声が響く。
竹林を抜けると、
森の中に咲く真っ赤なマウンテンアップルの花を発見。
マノアフォールズに到着すると水量は少なかったが、真上に雲が無く、日が差し込み、ここだけはじりじりと暑かった。
2006年07月21日
CI-コンボ
朝から今日もピーカンだった。
しかしトレードが弱くて暑くなりそうな予感。
そんな中ご家族をCI-コンボにご案内した。
週末の雨で散ったレインボーシャワーの花びらが、カピオラニ公園沿いのカラカウア・アヴェニューの脇に溜まっている。
ダイアモンドヘッド・ロード沿いには、強い日差しの中、ジョギングをする人が目立ったが、今度の週末にはトライアスロンの大会があるので、それに参加する人なのかもしれない。
沖の波は2〜3フィート。
カハラを抜けてカラニアナオレ・ハイウェイに出る。
ハナウマ湾を過ぎると水平線にモロカイ、ラナイ、マウイ、ハワイの4島がうっすらと見えた。
サンディービーチには3〜4フィートのショアブレイクが、豪快に崩れていた。
ハワイカイ・ゴルフコースの入り口を過ぎて、マカプウ・ヘッドの横を通ると、とうとうパーキングがオープンしていた。
マカプウトレイルだけでなく、ルックアウトのパーキングにも車が入っていた。
ウィンドワード・サイドもよく晴れ渡り、コオラウ山脈の上にも雲は無かった。
ワイマナロに入り、ベロウズビーチには高校生くらいのグループと、小学生ぐらいのグループがサマースクールで来ていたが、ちょうど均したばかりのビーチはとても綺麗だった。
まさにエメラルドグリーンに輝く海も美しかった。
「SUMOコネクション」に行くと、アンティー・ジャンも「今日は物凄くイイ天気だけど、風が無くて暑いわね〜」と言っていたが、お客さんによると、「今の日本に比べたら、遥かにマシ」との事だった。
今日はあちこちで椰子の木の剪定や、剪定した枝などの粉砕作業を見かけたが、その度に道路が片側ふさがれて、しばらく停車を余儀なくされる事があった。
そんな時は車内も少し暑くなったが、動き出して全開の車の窓から吹き込む風を浴びている限り、気持ちは良い。
オロマナではちょうど満開のレインボーシャワーが目立った。
カネオヘを抜けて、マイナバードの集団が鳴き交うクアロアパークに到着すると、少し風が出てきた。
ここの椰子の木も剪定が終わったばかりのようで、木の根元には落ちた花や小さな実がたくさん転がっていた。
相変わらず雲のほとんど無い天気が続き、カーアヴァからハウウラの海は見事な色を出していた。
ライエ、カフクを過ぎて、ノースショアに回っても、ピーカン状態は続き、サンセットビーチは観光客で賑わっていた。
波はほとんどなく、フラット〜1フットの状態だったが、暑さから身体を冷やそうと、数名のサーファーがポイント付近に浮かんでいた。
ワイメアベイもローカルで大賑わい。
飛び込み岩の上も、「飛び込み禁止」の看板が虚しいくらいごった返していた。
ハレイワに入る頃から少し北西よりの風が出てきた。
プレートランチの仕入れに「L&Lドライブイン」に行くと、空調がダウンしていた。
あまりの暑さのために、朝から全開で回していた為らしい。
風を浴びながらのピクニックランチの後、ドール・プランテーションへ。
いつもは寒すぎると感じる店内も、今日は心地が良く、真珠売りのステファニーも上機嫌だった。
ハレイワに戻って、街の説明をして、ハレイワビーチの前で解散。
カヌーが一艘、出て行くところだった。
ノースショアMPで休憩していると、「パタゴニア」のマサが出てきて「今日は暇だ」と言っていた。
「ポリトレ」のギセラも「スロー」と言っていた。
ハレイワは今週末に「アートフェスティバル」があるので、それまでは人の出足が悪いらしい。
お客さんが戻ってきて、ラニアケアビーチに行くと、今日もちゃんとウミガメが1頭甲羅干しをしていた。
陽は西に大分傾いていたが、それでもまだ暑さが残っていて、サンセットビーチに移動の後、お客さんのお子さんたちが水着に着替えてしばらく水遊びをした。
沖の波は時より2〜3フィートまで上がっていて、ポイントに向かうサーファーもいた。
一日中ピーカンだったのだが、水平線に少し雲が出てきて、夕陽がにじんできた。
今日も日没の瞬間は太陽が顔を出してくれた。
レストラン以外はすっかり店の閉まったハレイワタウンを抜けて、帰りのフリーウェイはとてもスムーズで、夜景も綺麗だった。
2006年07月24日
本日も快晴
7月後半はツアーにプライベートに、また別の仕事などに忙しい。
今日は朝4時からプライベートチャーターでトライアスロンのサポートをしてきた。
ここ数日日記の更新が出来なかったので、「無事か?」と言うメッセージを数通頂きましたが、無事です!
まだお昼前ですが、先ほど家に帰ってきて、フラフラの状態なので、明日更新します。
2006年07月25日
Tinman Triathlon
海ではサーフィン、空ではスカイサーフィンをこなす日本の友人TAKAがハワイでトライアスロンに挑戦すると言うので、サポートをする事になった。
当初はJALが主催のレースに出る予定だったのだが、今年の大会が中止になり、今年で26回目と言う伝統ある「ティンマン・トライアスロン」に出場する事になった。
日曜の大会を前に水曜からハワイに入り、自主練習を行っていたTAKAにようやく会ったのは前日の土曜日。
ところが自転車の練習の際に転倒して、足や腕に痛々しい擦り傷を作り、本当に出られるのか心配したが、本人はやる気満々。
当日の打ち合わせをした後、夕方アラモアナの「ピエトロ」に行ってパスタなどの炭水化物系をしっかりと食べ、空が完全に暗くなる前には寝た。
1時半には起き出して、私も普段の朝と変わらないように支度をし、4時にワイキキに迎えに行った。
私の仕事は応援と写真撮影。
水泳、自転車、マラソンの順番で行うので、カピオラニ公園の会場にチェックインの後、自転車置き場のすぐ横に陣取った。
まだ夜も明けないワイキキ。
ホノルルマラソンほどではないが、参加者たちが続々と集まってきた。
スタートの5時45分に合わせて、水泳のスタートとなるクイーンカピオラニビーチに選手が移動してきた。
いよいよスタート。
年齢や性別によっていくつかのグループに分けられ、スイミングキャップの色でスタート時間を少しずつずらす。
このレースは「鉄人レース」と呼ばれるトライアスロンと比べると、全ての種目で距離が少しずつ短いのだが、それでも800メートルのスイム、40キロのバイク、10キロのランをこなさなければならない。
マラソンの場合はアフリカの招待選手がいたが、この大会はほとんどが白人選手で、アジア系、ポリネシア系は10パーセント以下。
1500名ほどの中で黒人選手は僅か数名しか見なかった。
さて、水泳が始まったのを見届けて、バイク置き場に戻ろうとすると既に白バイの先導車がスタンバイしていた。
そして間も無く先頭の選手が、15分ほどであっという間に800メートルを泳いで戻ってきた。
そしてその後次々と水泳を終えた選手たちが戻ってきて、バイクの準備。
あっという間に皆、自転車レースに出て行った。
ようやく陽が出てきて、私も持参のスナック菓子など食べながらしばし読書タイム。
公園の鳥たちも活動を始めて朝の雰囲気になったが、1時間もしないうちにまたどんどん戻ってきた。
ヘルメットを脱いで、シューズを換えると、休む間も無く(当たり前か)すぐに10キロのランに出て行った。
すっかり陽も上がり、気温も上昇してきた。
ゴール付近には大音量で音楽が流れ出す。
徐々にゴールインする人も出てきて、集まってきたギャラリーも応援に熱が入る。
DJブースでは、ゴールに近づく選手に最後の応援。
皆3時間〜3時間半ほどで次々とゴールインしていた。
マラソンの時とは明らかに違うのは、選手の体型。
ちょっと見にはオーバーウェイトと思われるような人が男性も女性も随分いて驚いた。
マラソンより厳しいと思ったが、実際は水泳などでは脂肪がアドバンテージになるのかな?
参加者は全員白いTシャツがもらえるのだが、完走者にはブルーのTシャツもプレゼント。
TAKAは予想よりも早くゴールインして、初めてのトライアスロンとは思えなかったが、さすがにぐったりしていた。
全員足首に巻いたチップで正確に時間を計測していたのだが、大会後にはその記録を受け取り、一度ワイキキに戻って解散した。
私も家に戻って昼寝をした後、夜また迎えに行き、「兄弟」で焼肉を食べて完走を祝った。
2006年07月26日
ノースショアツアー
朝のワイキキはよく晴れていたが、またもやトレードが弱く、少し蒸していた。
レインボーシャワーが両側に咲き乱れるH−1フリーウェイからH−2を北上し、ミリラニを過ぎる頃から空が曇ってきた。
ノースは晴れているだろうと期待していたが、パイナップル畑から見下ろすハレイワからワイメア方面にかけても白い雲が漂っていた。
ハレイワタウンを抜けてラニアケアビーチに行くと、人が少なく、カメも見当たらなかった。
しばらく海を凝視して探したが、そのうち霧雨が降ってきてしまった。
とりあえずサンセットビーチに移動すると、雨は降っていなかったが、ビーチに人は少なく、波もほとんど無かった。
カエナ岬は霧に隠れてほとんど見えず。
ワイメアベイはローカルが出ていて、飛び込み岩も列が出来ていた。
再びラニアケアに戻ると、水際で大きなウミガメが1頭泳いでいるのが見えた。
アリイビーチまで戻ると晴れてきて、カエナ岬もばっちり見えて、記念撮影。
ハレイワタウンでしばし解散。
私はランチをトゥーゴーして、モクレイアのディリンハムエアポートまで行き、久しぶりにパシフィック・スカイダイブセンターに顔を出した。
昔からいる、私も知っているスタッフはもう数が少ないが、しばらくおしゃべりしてからハレイワに戻った。
ハレイワタウンの入り口、ウィードサークルの手前で、大きなロイヤル・ポインシアナの木が真っ赤な花で見事だったので、お客さんをピックアップしてからちょっと戻って写真を撮った。
ドール・プランテーションに移動すると、レインボー・ユーカリの花が咲いていた。
帰りのH−1フリーウェイは随分混んだが、ワイキキの入り口も渋滞していた。
ワイキキの天気はとても良かったが、風が弱いままだと今夜は蒸し暑くなりそう。
2006年07月27日
クリオウオウの頂上
デジカメのビデオ機能を使って、クリオウオウの頂上からの景色を撮影したのだが、このブログではアップロードする事が出来なかったので、「You Tube」にアカウントを作って上げてみた。
http://www.youtube.com/watch?v=lSAqIQFHdAM
パノラマが上手く見れるかな?
最初にカネオヘ半島、ラクダ島、ワイマナロ、ウサギ島、マカプウを回って、サンディービーチ、ココクレーター、ハナウマ湾、ココヘッド、ハワイカイとクリオウオウの住宅街が見えて、遠くにダイアモンドヘッド、そしてコオラウ山脈の北西方向という順番。
2006年07月29日
新学期
この所トレードウィンドがやっぱり安定しない。
天気予報なども風に関しては全然当たらない。
一昨日は弱かったが、昨日はまた吹いた。
昨日は朝から良いお天気だったが、今日は雲が多く、霧雨が何度も街を濡らした。
一日でも、昼間は強かったのに夜になるとパッタリ止んでしまったりして、窓の開け閉めや扇風機を回したり止めたりの回数がなんだか多い。
さて昨日は午後の町の渋滞が酷かった。
通勤ラッシュより早い時間で、子供の姿が目立ったのだが、既にハワイの公立学校では6月から始まっていた夏休みが終わって新学期が始まったのだ。
今年から夏休みが短縮され、代わりに10月2日から6日までが短い秋休みになり、12月21日から1月10日までが冬休みで、今までより少し長くなるそうだ。
どんな効果を期待しているのか分からないが、8月前に既に夏休みが終わってるなんて、なんだかピンと来ない。
夕方には大きな虹が出ていた。
2006年07月30日
地震
木曜日の朝10時頃、地震を感じた。
揺れの大きさ自体は、日本の震度「2」位だったと思うが、結構長い時間揺れていた。
近くを大型トラックが走ったような音も無かったし、間違いなく地震だと思った。
しかしテレビを見ても「地震速報」のようなテロップが流れる形跡はなく、ローカルニュースの時間でもなかったので、10年に一度と言われているオアフ島の地震が昨年に続き起きたことに驚いた物の、すぐに忘れてしまっていた。
今日になって昨日の新聞を見たらちゃんと載っていた。
震源はマウイ島沖のカホオラヴェ島とハワイ島の間だそうだ。
昨年のはハワイ島の東側、キラウエアの沖だったから、別の場所と言う事になる。
ハワイに住み始めて13年。
その間にオアフで起きた有感地震は3回。
そのうち2回が去年と今年。
耐震構造などという言葉も聞いた事がない場所だけに、少しでも大きな地震が来れば、相当の被害が出ることが予想される。
まあハワイでは震度「1」とか「2」では全く感じない人の方が多いらしい。
2006年07月31日
NGN
7月1日(土曜日)の事だった。
私は平日の朝はアジア放送局のKIKUテレビで「スーパーニュース」を見ているのだが、週末はやらないのでNGNの「NHKニュース」を見ていた。
ところがその日はニュースではなく、いきなりゴ〜ンとお寺の鐘の音。
そして「スキスキスキスキスキッスキ!」と軽快な歌声でなつかしのTVアニメ「一休さん」が始まったのだ!
「な、懐かしい!」と一瞬思ったのだが、30年振りくらいに聞いたテーマソングを、普通に最後まで一緒に歌ってしまった自分が可笑しかった。
すっかり30分、ストレッチをしながら「一休さん」を見た後、ニュースが始まってから「あれ?」と気付いた。
そういえばNGNは7月から番組の編成を大きく変えると言っていた。
有料日本語ケーブルチャンネルのNGN(Nippon Golde Network)を私が契約しているのは、NHKのニュースや番組、相撲が見たいからなのだが、それはどうなるのだろう?
今、NGNは4つのチャンネルがあり、NGN1、NGN2、NGN3とNGNオン・デマンドに別れている。
私が契約しているのはNGN1。
これにはNGN3が漏れなく付いてくる。
NGN3は日本の映画チャンネル。
始まった頃はよく見たが、最近は極たまにしか見ていない。
NGNオン・デマンドは映画チャンネルのペイ・パー・ヴュー。
NGN2は「TV・JAPAN」と言う世界中の海外駐在者などを対象に衛星放送を流しているのだが、NGN1とは番組の重複があった。
7月からこの重複を無くすために相撲などがNGN1で見れなくなってしまったのだ。
NHKのドキュメンタリー番組なども無くなってしまった。
NGN2に契約を変えれば良いのだが、いくつかのバラエティー番組などはNGN1でしか見れないため、とりあえずどのような番組編成になるのか1ヶ月見てみることにした。
冒頭の「一休さん」は土曜日と日曜日に4回も放送があり、土曜の朝は見てしまう。
しかも土曜と日曜では全く同じ物を4回流す。
日曜には別のアニメ番組が繰り返されている。
夕方の番組は今までと一緒なのだが、夜になるとやたら古い時代劇や、見たことも無い料理番組が始まった。
元々高い料金なのに、深夜や午前中は意味不明のカラオケチャンネルで、その時間が延びた。
しかも番組の宣伝は毎度毎度長い。
明らかに番組のグレードが落ちて、番組数が減ったのに、値段も変わらないのには段々頭に来ていた。
大体、視聴者から料金取ってるのに、普通のCMも流すのって言うのも理解出来ない。
相撲は最初は見たかったが、翌日の「スーパーニュース」でスポーツニュースもやるし、「日本相撲協会」のウェブサイトで結果もすぐ分かる。
NGN2に契約を変える事も検討中だが、この際もうNGNは止めちゃおうかなとも思ってる。
テレビの時間はさらに減らした方が良いかも。
しかし、一休さんのお母さんの声はルパンの初代峰不二子だよなぁ。
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