2006年02月01日
マキキ散歩
朝からピーカンだったが、今日はお客さんの体調不良によりツアーが中止。
他の仕事を片付けた後、再び部屋の掃除をしていると、今日は手の指にトゲが刺さった。
気分転換に散歩に出る。
今日はアッパーマキキのコース。
ベレタニアを渡ると、セントラルユニオンチャーチのロイヤルパームツリーが緩やかな風に葉を揺らしていた。
H-1フリーウェイ、ワイルダーを過ぎて、住宅街に入るとプルメリアが新芽と花を綻ばせているのが目に入った。
マキキストリートではオーキッドツリーのピンクの花が咲き乱れていた。
近くで花を見るとこんな感じ。
しばらく歩くと、レインボーマネーツリーが青空に向かって伸びていた。
夜は細い月が出ていた。
2006年02月03日
ND(ナイトドライブ)
急遽入ったナイトドライブツアー。
風が弱く生暖かい夜だった。
最初にタンタラスの丘に上がると、今日も日本人観光客で賑わっていた。
一通り説明の後、写真を撮って、次に移動。
車も少なくスムーズに流れるH−1フリーウェイを西に走り、パールシティで降り、いつもの貸切の公園でラグを引いてのんびりしていただく。
少し雲があったので星の数はそれ程多く見えなかったが、静かな公園に虫の音が低く響いていた。
CI(サークルアイランド)
久しぶりのCI。
大方の天気予報では晴れだったが、少し雲が出た。
風は弱く暖かかった。
ダイアモンドヘッド沖の波は1〜1.5ほど、サンディーは3フィート、マカプウも3フィートほど、サンセットは10フィートはあったがサーファーは少なかった。
パイプラインでは大会をやっているようだった。
クジラはダイアモンドヘッド沖で子クジラが潮を吹いていただけ。
ラニアケアのウミガメは上がってきたばかりだったようで、時々首を上げたり目をパチパチさせながら、うつらうつらとしている様だった。
今日はあちこちで工事が多かった。
オロマナのカラニ・ハイウェイでは道路工事の為に15分以上も足止めされた。
クアロアパークではデイゴ(ウィリウィリ)の赤い花が綻び始めた。
ドール・プランテーションのホワイト・コーラルツリーはまだ。
今日はあちこちで知り合いに会った。
カラニアナオレ・ハイウェイを走っていると、ニウバレーの辺りで横に並んだ大型バンから、マリンスポーツのドライバーをしているゼンちゃんが手を振っていた。
ラニアケアでカメを見た後車に戻ろうとすると、クラクションを鳴らしてノースショアツアーのシンさんが通り過ぎていった。
ハレイワでは元スカイダイビングのインストラクターのケビンが「JUNさ〜ん!」と声をかけてきた。
ランチの為にピクニックテーブルをセッティングしていると、管理局のブラダーが「カウカウ(食事)タイムか!」と笑っていった。
今日はお客さんに「ドール・プランテーションで『アロハ・せんべい』を買いたい」と言われた。
2002年に写真をUPした事があったがその後姿を消していたので、店員に聞いてみるとやはり現在も仕入れはしていないと言う。
どうやらJTBのお土産カタログでは販売しているらしいことがわかった。
カフク・ハイスクールの前に大型バスが止まっていて、子供たちが集まっていた。
よく見ると、日本の高校生の修学旅行のようだ。
カフク・ハイスクールは日本の高校と交流があると聞いたことがあるが、お互いにどんな印象を持っているのだろうか?
夜になって何度かシャワーがあった。
2006年02月04日
CI
大方の天気予報では「晴れ」だったのだが、今日は外れて朝からホノルルは薄雲り気味だった。
トレードが上がってきて風が少し冷たい。
オアフ島のサウスはほとんど波が無かった。
ダイアモンドヘッドで1フット、サンディーも1〜1.5と言うところだった。
マカプウも海は穏やかで、クジラ観測には絶好の条件だったが、今日は出てこなかった。
ワイマナロはかえって人が少なく、貸し切り気分だった。
相変わらず島のあちこちで道路工事をしていたが、オロマナを始め、今日はどこもほとんど待たずにスムーズに抜けた。
クアロア・パークでは丁度山側の芝刈り中で、シラサギが大集合していた。
一昨日よりコーラルツリーの花が増えていた。
タートルベイを回りノースショアに入ると雲が減って陽が差してきた。
サンセットは8〜10フィートと言った感じだったが、かなりチョッピーでサーファーはほとんどいなかった。
パイプラインのコンテストも中止の様子。
アリイビーチパークは雑草が随分伸びていた。
ハレイワタウンには日本人ツーリストの姿が多く嬉しかった。
そういえばワイキキにも社員旅行風や学生旅行風の団体が増えてきた。
しばらくいなかった「ポリネシアン・トレジャーズ」のY子ちゃんが復活した。
日本語のわかる店員が戻ってきてくれて嬉しい。
高地にあるドール・プランテーションではさらに風が冷たく感じられたが、この辺りから雲がなくなってきた。
H−2フリーウェイをパールハーバーに向かって降りていくと、サウス・オアフはピーカンだった。
ところで、今までオアフ島ではドールとデルモンテの2社がパイナップルの生産をしていたが、デルモンテが手を引く事になったそうだ。
ドール・プランテーションから先のワヒアワ方面はデルモンテの畑だが、休耕期間がやたら長い畑があるのは気になっていた。
ハレイワ寄りの、かつてはサトウキビ畑だったところは、コーヒーやパパイア、とうもろこしとなど姿を変えてきているが、デルモンテのパイナップル畑の跡はどうなるのだろうか?
2006年02月06日
CI
今日もCI。
朝から天気は安定しなかった。
シャワーにはウィンドワードでさっと遭ったくらいで、ほぼ一日中晴れたり曇ったり。
15マイルを超えてきたトレードウィンドはかなり冷たく、いつもの様に半袖短パンの私は震える事が多かった。
ハナウマ湾の入り口には今日も警備員の姿は見えず、ここは人が少なさそうだった。
サウスの海は穏やかだったが、白波が増えていた。
今日もクジラは確認できず。
イーストサイドは風に乗って次々と雲が流れて、海の色も猫の目のように変化していった。
クアロアパークにはキャンパーのテントが多かった。
海は丁度ロータイドだったので、クアロアビーチからカーアヴァ、ハウウラ辺りは水が澄んでとても綺麗だった。
しかしカハナベイもプナルウも寒さのせいか、人はほとんどいなかった。
ノースショアに入ると波は多少荒かったが、サンセットで6フィートほど。
やはりチョッピーでサーファーの姿は見えなかった。
エフカイ、ワイメア、チャンズもラニアケアもサーファーは少なかった。
しかしラニアケアのウミガメは岸の近くを沢山泳いでいた。
しばらくみていると1匹が岸に上がって来た。
すかさず監視員が赤いロープを持ってきて人間進入禁止のラインを作る。
アリイビーチパークは土曜と言う事で、ローカルが数組パーティーを開いていた。
ランチを食べたピクニックテーブルのすぐ近くでは、ベビーシャワー(子供の1歳の誕生日パーティー)をやっていて、参加している子供たちを集めてのミニゲームが始まり、とても微笑ましかった。
晴れ間は増えていたが、ドール・プランテーションに上がってくると気温はさらに下がり、普段は冷房がきつくて寒い館内の方が暖かく感じた。
帰りのフリーウェイは比較的スムーズだったが、フリーウェイを降りるとプナホウストリートを人がぞろぞろと歩いていた。
昨日と今日はプナホウ学園のカーニバルで、セントラル・ユニオン・チャーチに車を止めた人が移動しているようだった。
夕方のワイキキは風が収まっていた。
WISH LIST
今まで使っていたサングラスは気に入っていたが、細かい傷が増えてきて気になっていた。
以前はフリーマーケットなどで安物を買っていた事もあったが、目が疲れるので、多少出費を覚悟しても新しいのが欲しいなぁと思っていた。
そうしたらほぼ新品のサングラスを先日頂いた。
この数日ハワイはトレードがきつく、今日は晴れたが、雲の多い日も多く、ツアー中は何度か寒い思いをしていた。
以前はお客さんにも貸し出せるように何着か上着を車に積んでいたのだが、前に車上荒らしに遭った時に持っていかれてしまっていた。
最近は夜のツアーやサンセットツアーをはじめ、風の予報を見て寒くなりそうだったら、お客さんに上着をご持参いただいている。
自分でも朝から厚着をして行けば良いのだが、ハワイのツアーガイドとしてはなるべくそんな姿は見せたくない。
基本的には使う機会は少ないのだが、しかし、どうしてもTシャツに短パンスタイルでは寒かったので、カバンの底にしまっている長袖シャツを出したのだが、しばらく使っていなかったら皺くちゃで汚れも目立ったので、お客さんの前で着る気がしなかった。
そうしたら「SUMOコネクション」でアンティー・ジャンが、震えてる私を見てスウェットシャツをプレゼントしてくれた。
そしてドール・プランテーションでも、頂いた金券でヨットパーカーをGET。
今日なんか家の中でも着ちゃってます。
「WISH LIST」に写真UP。
でも明日からまたパスポート探し。
2006年02月07日
2月6日
それにしても先週はいきなり忙しかった。
だが今週はまた暇。
均等になって欲しいとも思うが、波があるのがこの業界。
昨日はメインランドでNFLのスーパーボウルが終わり、来週の日曜にはいよいよアロハスタジアムでのオールスターゲーム、「プロボウル」が開かれる。
このため本土からの観光客やゲームの関係者などでワイキキはアメリカ人ばっかりになる。
そしてその次の週は今からまたとっても忙しくなる予定。
さて、今日はダイエーに買い物に行った。
最初の発表では今週中にダイエーからドンキホーテに経営が移るということだったが、店内に全く変わった様子は無い。
ただ、最近はダイエーの「セービング」ブランドの商品がなくなっている。
鍋会仲間でもある花屋のYちゃんに聞いてみると、4月まではこのままなのだそうだ。
今日は久しぶりに我が家の植物の紹介。
ティーの木の「イチロー」とマニラパームの「サブロー」は家の中では日照時間が少ないので、最近はエレベーターホールの前に出しっ放しで、夏に向けてワイルドさを増している。
ミロの木の「ワイマナロの使者」は、新たに伸びてきた3本の枝も最初の幹と同じように大きく曲がってきた。
きっとこの枝も葉が成長しなくなって、また根元に近いところから新しい芽が出て、なんて言う成長をしていくのではないだろうか?
ある意味盆栽の世界である。
足の指の色は元に戻ったが、まだちょっと腫れている感じ。
普通に歩けるが、時々気になる程度。
ちなみにまだパスポートは見つかっていない・・・。
2006年02月10日
雑感
今週のワイキキはアメリカ人観光客がいきなり増えている。
プロボウルに向けたイベントなども始まっている。
天気はそれ程荒れている訳ではないが、気温は上がらず寒いと感じる日が多い。
さて、日本で10代からの旧友から先日久しぶりに連絡があった。
大学卒業後に就職した商社は何度かの買収に遭いながらも、東南アジアを中心に長い転勤生活をしていた彼は、日本に戻って1年以上経った昨年末にリストラに遭い、畑違いの関連会社に行かされてしまったそうだ。
二人の小学生の子供も抱えて、年収は今までの半分になってしまったと言う。
私は日本での大学進学を諦めた瞬間からレールを外れた人生を歩み始めたが、レールの上を歩いていても自分の意思に反してそれを降りざるを得なくなる状況と言うのは、辛いと思う。
日本は緩やかに景気が回復していると言うが、リストラのしわ寄せで極端に仕事の量が増えてしまって休日も無い生活をしている友人もいる。
企業と言う単位では、人員を削減する事により経常利益を黒字にする事が出来ても、日本全体豊かになったとは言えない。
私はレールを外れた時に、自分の人生の可能性は大きく広がったと思った。
偏差値を基準にして大学や就職先が決まると、ある程度の年収やその会社で生涯稼げる額までわかってきてしまう。
可能性が広がると言う事は、その予想額を超えて経済的に豊かな人生が送れるかも知れないが、仕事が無くなってホームレスになるかも知れないと言うことでもある。
勿論ホームレスを目指して生きる人はいないので、常に目標は上を向いていたが、これまで波乱に満ちた人生を送ってきた。
東京、L.A.、ハワイと生活の場所を変え、様々な職種も経験し、多くの人との出会いがあった。
経済的に豊かになる事が、そのまま豊かな人生ではないと言う事も学んだ。
流れ着いたハワイが、今の私にとっては、少なくとも気候的には最も住み易い場所であると言うのは事実で、ここで少しずつ築いてきた生活の、現在のメインの仕事であるツアーガイドも、私にとっては適職だとも思っている。
ハワイでストレスを開放し、生きるためのエネルギーをチャージしていく日本人の為に、丁寧で肌理の細かいサービスを心がけているが、少人数制などにこだわって、儲けがなかなか上がらないのも事実。
私だっていつこの商売を続けられなくなるかわからない。
だが昨年離婚をした事をブログに書いてから、私に色々と相談をする方が増えた。
独り者なので相談がしやすいと言うのがあるのかも知れないが、成功者ではなく迷走者に相談をする人が増えるほど、今の日本は悩みを持った人が多いのかもしれない。
相談の内容は千差万別。
時には私に相談する意味がよくわからないケースもあるのだが、深刻な内容も多い。
今まで自分自身のあらゆる悩みには、かなり楽観的に答えを出してきたのだが、さすがに40歳を超えると楽観論や向上心だけでは解決できない事柄も増える。
人の相談に乗る時も、私には答えの出せないものも増えてきた。
かつてはわからない事もそれなりに調べたり、励ます意味で何かを提案したりしてきたが、自分の答える内容に自分が納得しなくなってきたと言う事かもしれない。
連日の大掃除にもかかわらずパスポートはまだ見つかっていないのだが、掃除の機会に不要な物をどんどん捨てている。
家の中が綺麗になりすっきりしてきたのは勿論良い事で、この作業の中に新たな人生の価値観を見つけることが出来るのかも知れないと思うようになってきた。
2006年02月11日
寒いホノルル
ストームが来ている訳でもないので、雨もそれ程多くは無く晴れ間も広がるのだが、どうにも寒いと思っていたら寒冷前線が近づき、50マイルに達するガストを含む強風が吹き荒れていたのだそうだ。
昼間はTシャツと短パンでいられたが、夕方からは靴下穿いて長袖Tシャツを着ている。
出かけるには当然長いパンツと上着が必要。
私の記憶では、この7年以内で一番寒い冬になっていると思う。
これは7年間同じアパートに住んでいての感覚で、その前は部屋によって感覚が違ってくるので、はっきりしないが、ハワイ生活13年の中でも1〜2番目かもしれない。
雨季にはストームによって風雨が強く、陽の差さない日の方が寒いと言う印象が残るが、実際には陽が差しても風が冷たく冷え込む日の方が、朝晩は特に寒くなる。
私のアパートはベッドルームとバスルームのある東側の窓はある程度気密性のあるサッシなのだが、玄関とリビング、キッチンのある西側の窓は全て羽根窓。
羽根窓は気密性など無く、玄関のドアの下も隙間があるし、部屋の中は常に多少の風の流れがあり、当然暖房器具は一切無いので、油断して薄着をしていると風邪を引くかもしれない。
何しろ現在9年間風邪を引いた事が無いと言う状態。
油断禁物。
さて、今日も部屋の掃除をしたのだが、いまだパスポートは発見されず。
一緒に仕舞っていたと思っていた昔の日本のパスポートは出てきたのだが、かなり予想外の場所だったので、さらに家の隅々まで掃除を進める予定。
今日もたっぷりゴミと化した不用品を捨てた。
しかしそんなに大きなアパートではないので、もう残っている場所も少ない・・・。
2006年02月13日
サンライズ・レストラン
昨晩はカパフルにある沖縄系居酒屋「サンライズレストラン」で、金沢から遊びに来ている友人らと飲んだ。
この店は以前に何度か来た事があったが、久しぶりだった。
昨日はゴルフの藍ちゃんも家族と来ていたという話。
そういえばタートルベイで試合があるはず。
土曜と言う事でとても込み合っていたが、途中から三線の三重奏が始まった。
ここのマスターをはじめ、お客さんにも沖縄系の人が多く、踊りだしたり、お囃子を入れたりと、店の雰囲気はヒートアップしてきた。
三線を弾いていたのもお客さんで、3人は若そうだったが、休憩時間に話を聞いてみると、それぞれの出身地は埼玉、広島、秋田と、全然ウチナンチュではないことが判明!
さらにこの3人同士も以前からの知り合いではないと言う。
ハワイ大学には三線のサークルがあるそうで、ここで習ったと言う人もいた。
ラストオーダーを終えるとマスターも加わって四重奏の三線が店内に響いた。
マスターが使っていた撥(バチ)は、なんとプラスチックの散蓮華(レンゲ)で、これを器用に使いこなしていた。
30人ほどで一杯になる小さな店は、その後誰が客で誰が店員かもわからなくなり、誰の酒を飲んでいるのかもわからない状況になっていった。
店を出るとまん丸の月が空に光っていた。
2006年02月14日
月夜
先週末から風が落ち着いてきて、ちょっと暖かくなった気がした。
プロボウルも終わり、さーて今週は忙しいぞ!と思い、張り切っていたら明日はいきなりツアーがキャンセル・・・。
今年はどうしたんだろ?
すると私の気持ちを察してか、雲が多くなりシャワーが増えた。
夜はワイキキの鍋会に顔を出すと、最近ハワイに住み始めた方や、長期滞在を始めたばかりの方など、初顔のメンバーが多く盛り上がった。
流れる雲の間から丸い月が時々顔を覗かせていた。
2006年02月15日
ハワイの観光業
結局今日は朝からシャワーが降ったり止んだりの曇り模様で、実際にはツアーは雨天でキャンセルになっていたかもしれない。
さてハワイ州の総観光客数が昨年初めて700万人を超えたそうだ。
実際には750万人にもう少しで達するところだったらしく、この2年ほどで激増した。
前年比7.4%も増えたメインランドの旅行者は530万人で、その他外国人は5.2%増の210万人。
9.11テロ前のピーク時は、年間500万人でメインランドが250万、日本人が200万人位だった記憶がある。
かつてハワイは主に本土の西部に住むアメリカ人にとってのリゾートで、東の人にはカリブ海の方が近かった。
しかし同時テロ後は、同じアメリカであるハワイ州に人気が高まったのだが、これは単にハワイがテロに狙われにくいと言うだけではなく、攻撃されたとしても軍がいるし、後処理も迅速に行われるだろうと言う事を期待しての事。
尤も、昨年のハリケーン・カトリーナの後処理を見る限り、過信は禁物だ。
だがそのハリケーンはハワイに13年も来ていない。
さらにSARSや鳥インフルエンザなどの疾病対策も、中南米のリゾートに比べたら進んでいそう。
と言う事で、アメリカ人にとってはハワイがミニブームなのである。
日本人はようやくこの2年ほどで増加に転じたようだが、9.11の影響は大きかった。
その後ぴったりと無くなっていた社員旅行や修学旅行などの団体が戻ってきたのは嬉しいが、結果的にハワイがいつでも混んでる感じになってきてしまって、エアーチケットやホテルがとても取りにくくなっている。
実際ハワイ州内のホテルの客室占有率は81.2%で、米国内ではニューヨークの82.9%に次いで2番目だったそうだ。
つまりホテルの収容能力が限界に近付いていて、さらに最近の不動産ブームによりホテルからコンドやコンドテルなどに改築する動きが多く、今後は供給不足状態になる。
ホテル業界は特にゴルフやスパなどが目当ての富裕層を狙ったキャンペーンを増やしているそうだし、最近はカマアイナ(住民)割引が効かないホテルが増え、料金も上がってきた。
ハワイを止めて、グアムやサイパンに行ってしまう人が増えるかもしれない。
しかしハワイ病の皆さんにとっては、貿易風を浴びに来るのも高価になりそう。
だが不動産価格もマウイ島だけでなくオアフもピークを過ぎたようだし、バブルの後のように売れないコンドが出てきたりするかもしれない。
テロや天災で観光客が来なくなるのも困るが、多過ぎて来難くなってしまうのも困る。
天気だけではなく、ハワイの観光業には色々な難しい要素がある。
朧月が上がっている。
2006年02月19日
母殿登場
東京から母がやって来た。
今回は私の従姉妹が同伴。
従姉妹と言ってもまだ高校生で、ハワイは初めて。
しかし最後に会った時には小さな子供だと思っていたのが、9年ぶりに再会するとすっかり今時の高校生でびっくりした。
ホノルルは今日も朝は雲の多い天気だったが、アロハタワーで二人をピックアップしてノースショアに向かった。
パールシティまではパッとしない空模様だったが、H-2に乗るとワヒアワの手前で青空が見えてきた。
ワイアナエ山脈の上には黒っぽい雲が架かっていたが、ノース方面は雰囲気がイイ。
パイナップル畑の中を下っていくと、ハレイワの沖に白い波が見えた。
海も赤土で濁っている様子は無い。
ハレイワを抜けて最初はラニアケアに向かった。
丁度ロータイドで、海も綺麗!
すぐ近くを泳いでいたカメちゃんが上がってきてくれた。
既に従姉妹のテンションは上がっていたが、今度はサンセットビーチに移動して、ジュースタイム。
波は4フィートほどしかなく、ビーチも空いていた。
ハレイワに戻る前にワイメアでストップ。
綺麗な3フィートのショアブレイクがチューブを作っていた。
貸切のアリイビーチパークでシュリンプカレーを食べて、マツモトのシェーブアイスを食べながらハレイワの街を散策して、ドール・プランテーションでパイナップルアイスも食べて、とノース観光フルコースで従姉妹もご満悦の様子。
帰りはラッシュに入ると二人とも「太郎」の中で爆睡だったが、ホノルルはやはり曇っていて、マキキでフリーウェイを降りるとシャワーが来た。
一時は激しく降ったが、夜になって止んだ。
2月16日
今日は定連さん2組と、別の定連さんのご紹介のお客さん一組で、CIコンボ。
何しろ天気予報は見事にバラバラで全く予想がつかなかったが、朝からホノルルは晴れていた。
ハワイカイを過ぎて海が目の前に開けてきても、雲は少なかったがモロカイ島は見えなかった。
だがマカプウを回ってウィンドワードサイドに出ても快晴で、ベロウズの海はまさにエメラルドブルー。
人も少なく、最近は激混みのラニカイよりも天国に近い気がした。
クアロアパークのデイゴはさらに花が増えていた。
窓から吹き込む緩やかな風を感じ、青い入浴剤を溶かしたような鮮やかな海を見ながら北上し、カフクを過ぎるとタートルベイリゾートのゴルフコースの横には大量の路上駐車の車が止まっていた。
今行われている大会のギャラリーである。
道路からコースを回っている大会中の選手などがチラッと見えたので、「藍ちゃんはいないかな?」と皆でキョロキョロしたが、さすがにわからなかった。
ノースショアも雲がほとんど無く、海はとても綺麗だった。
サンセットビーチには8〜10フィートほどの波が上がって、サーファーも見物の観光客も多かった。
映画か何かの撮影をしていたようで、丁度撤収の作業中だった。
ワイメアベイの路肩に車を寄せると、遠くの沖にクジラのジャンプが数回見れた。
ハレイワもピーカン。
貸切のアリイビーチパークでランチの後はドール・プランテーション。
そしてハレイワに戻って日本人観光客も増えてきたタウンの散策の後、再び北上。
ラニアケアビーチに寄ると、ウミガメが3頭仲良く並んでお昼寝中だった。
サンセットビーチに戻ると若干雲が出てきた。
波は昼よりも少し上がって10〜15フィートくらい。
夕陽は綺麗にビーチを染めていたが、途中から雲の中に入ってしまい、ちょっと残念だった。
帰りは夜景が綺麗で、ホノルルはまた雲が少なかった。
数日前までの天気と寒さが嘘のようだった。
2月17日
今日は午後からのチャーターでワイマナロへのビーチツアー。
朝からお天気は良かったが、風がほとんど無く湿度が上がってきた。
ハナウマ湾を過ぎて穏やかな海が見えてくると、モロカイ・ルックアウトで車を止めた。
沖を見て指を差している人がいたので、これはクジラだと思ってしばらく眺めたが、かなり遠くで潮を吹いていただけだった。
写真中央のうっすらと見えるモロカイ島のすぐ下辺り。
その後ハロナ・ブローホールでも停車したが、その時はもっと近くにクジラの背中が見えた。
そしてすぐ下を見下ろすと、ウミガメが波に揺れていた。
マカプウには4フィートほどの波が上がっていて、「学校はどーしたんだ!?」と思えるほどのローカルで賑わっていた。
そしてワイマナロのベロウズビーチも、多少人出はあったが、綺麗に輝いていた。
「ケネケス」で仕入れたサバ弁当を食べた後、私も海に飛び込んだ。
ようやく今年の初泳ぎが出来た。
最初は少しヒヤッと感じたが、一度潜るとマナを全身で感じて、五感が研ぎ澄まされたように感じ、最高に気持ちが良かった。
2006年02月22日
TAVOLA TAVOLA
母と従姉妹はハワイ滞在を思いっきりエンジョイしているようだが、私は忙しくて初日以来会っていなかった。
18日の夜は、3人でディナーに行った。
彼女たちが使っていたJTBのミールクーポンでご馳走してくれると言うので、ワイキキ以外で私が行った事の無い店を選んだのが、カイムキのモンサラットにある「TAVOLA TAVOLA(タボラタボラ)」と言うイタリアンレストラン。
落ち着いた雰囲気の店内には多くのイタリアの絵が飾られ、客層も日本人とローカルが半分ずつといった感じ。
尤もローカルのほとんどは白人で、ダイアモンドヘッドやカハラ周辺に住む感じだった。
日本人客は全てミールクーポンのようだった。
トイレの芳香剤に「Please do not eat!」と言うサインがあったのには笑えた。
日本人のスタッフもいたが、ローカルのウェイターたちもカタコトの日本語を話し、なかなかきびきびとした動きをしていた。
前菜からスープ、パスタ、メインとゆっくりとしたペースで少しずつ出てくる、お上品なスタイルで、正直私はあまり食べた気がしなかったが、久しぶりに従姉妹や母と楽しい時間を過ごせた。
ミールクーポンの中には税金は勿論チップまで含まれていて、帰りにはサイン一つすることなく出てきたのだが、なんか変な感じだった・・・。
食後はタンタラスに行った。
予想通り、高校卒業間近の従姉妹は特にワイキキの夜景に喜んでくれた。
ハワイの事もすっかり気に入ってくれたようで私も嬉しかった。
2月19日
今日はKTファンのチャーター。
この数年は毎年来ているかなり濃いファンの5人組のリクエストで、今年の杉山清貴カレンダーの撮影地などを巡った。
ワイキキを出発して最初に行ったのはカリヒの「タマシロ・マーケット」。
ここではKTが着ていたTシャツをGET。
続いてはちょっとスナックに「リリハベーカリー」でココパフを購入。
その後フリーウェイに乗ってワヒアワを抜け、デルモンテのパイナップル畑跡の路肩に車を止めて最初の撮影タイム。
今日は高い雲がハワイの上を覆って、少しどんよりした天気だった。
ノースショアに向かい、アリイビーチパークで撮影。
ビーチはサーファーでごった返していた。
ビーチパークでは子供の誕生パーティーのようだったが、エアー式ジャングルジム(これって正式には何て言うのだろう?) がお城の形をしていて、どうも女の子風だった。
続いてレインボーブリッジを渡ってハレイワビーチに移動。
この付近で数カットの写真を撮って、ハレイワ・タウンに入り、マツモト、アオキなどに寄って、「ポリトレ」で買い物の後、「カフェ・ハレイワ」でランチ。
ここから再び島の中央に戻って、H-2、H-1、H-3とフリーウェイを乗り継ぎ、ウィンドワードサイドに出る。
H-3フリーウェイでコオラウ山脈を越えると激しいスコールに襲われた。
リケリケ・ハイウェイからカヘキリ・ハイウェイに入って、テンプル・ヴァレーの「平等院」に行った。
雨の降る平等院で写真を撮って、鐘を撞いて、次はワイマナロに移動してベロウズビーチに向かった。
海に近づくと雨は止んだが、ビーチのキャンプエリアは凄い数のテントが張られていた。
何かの団体のキャンプ旅行のようだった。
寒くは無かったが、天気はパッとしなかったのでビーチの人の数は少なかった。
マカプウを回ってサウスショアに出て、そのままホノルルに入るとモイリイリで「ヤマス・フィッシュマーケット」に行って再びTシャツを購入。
その後はタンタラスの丘に上がって、写真撮影タイム。
見下ろすワイキキはやはりどんよりしていた。
夕陽を見ようとカカアコの公園に行くが、ちょっと無理だった。
最後に「マイラン」で皆で食事をした。
何故か空いていたのだが、これから団体が入ってくるとサムさんに言われた。
すると知り合いの撮影コーディネーターのT君が現れた。
一緒にいたスタッフの中に若槻千夏がいた。
2月20日
今日は昨日に続きKTファンのチャーター第2弾。
今日はまずカピオラニ公園のモンサラット・アヴェニューの一番山側に車を止めて、動物園の裏のカピオラニ・ガーデンに行った。
小さなガーデンだが、一年中花が咲いているので、ローカルや年配のアメリカ人旅行者がカメラを片手に数組散歩をしていた。
ここで写真を撮って、パキ・アヴェニューからカラカウアに回り込み、カイマナビーチ前の噴水の前で写真。
ここからサンスーシーを歩いて、KTカレンダーやコンサートパンフレットなどで使った写真の場所でまた撮影。
今日は晴れ間が多かったが、風が弱く、雲も出たり消えたりしていた。
見上げるとダイアモンドヘッドの頂上の人が見えた。
海沿いの公園に出ると、すぐ沖にクジラの群れがいて、次々と潮を噴き上げていた。
その後はマカプウ岬まで行ってハイキング。
今日はアメリカは「プレジデント・デー」の祝日の為、クジラ見物のローカルやアメリカ人観光客などで大賑わいだった。
ダイアモンドヘッドに比べたらまだ半分以下だが、今年一番の混雑の気がする。
「火曜サスペンス」もこの通り。
(そういえば「火曜サスペンス」って終わってしまったのだそうですね・・・)
クジラの写真は今日も頑張ったが、この様な飛沫くらいは普通に撮れる様になった。
家に帰ってよく見てみると、今日は尻尾が出ている写真も写っていた。
頂上でスパム結びを食べて、降りてくるとカラニアナオレ・ハイウェイが大渋滞していた。
「太郎」を止める時も大変だったのだが、どうもそれをはるかに超える異常な渋滞が見下ろせた。
実はこのトロリーが渋滞の元凶。
カーブに差し掛かる坂の下で故障していたのだ。
ドライバーとお客さんが一緒になって交通整理をしていたが、大変そうだった。
我々は下山後、サンディービーチで少し写真を撮ってから、ココマリーナの「フードランド」で買出し。
ホノルルに戻り、「レナーズ」でマラサダを買って、一度ワイキキで解散した。
「レナーズ」ではこんなサインが出ていた。
どうやら2月28日は「マラサダの日」らしい。
私は家に戻ってシャワーを浴び、BBQの道具を持って、再びカピオラニ公園でお客さんたちと集合。
3連休の最終日と言う事で混雑を予想していたが、午後から雲が多かった事もあって、いつもの巨大バニアンツリーの下のピクニックエリアを確保してBBQをした。
雨を心配しながら、時よりダイアモンドヘッドから吹き降ろす風の音に耳を澄ましていたが、降られる事は無く、皆さん喜んでいただいた。
2006年02月24日
涙!
一昨日母殿がハワイを去るといきなり天気が悪くなったが、今日は晴れ間が多かった。
昼過ぎまでは家でオフィスワークをしていたが、テレビでCNNヘッドラインをつけていると
「今入ってきたニュースです! トリノオリンピックのフィギュアスケートのファイナルの結果が出ました。今晩の放送をご覧になる予定の方はテレビの前からしばらくいなくなって下さい。」
と言われたが、結果が気になってそのままいると、
「ゴールドメダルは日本のシズカ・アラカワです! アメリカのサーシャ・コーエンは2位で・・・」
やった!!とうとうメダルを取ったぞ!と、ようやく日本人がメダルを取ったことに感激した。
午後には歯医者に行ったり洗濯をしたり、夜はお客さんと食事に行ったのだが、その後ゴールデンタイムに放送されたオリンピック中継をゆっくり見た。
荒川静香の見事なスケーティングに、真ん中に上がった日の丸に、トリノに響いた「君が代」に感動して涙が出た。
おめでとう!(T_T)
WISH LIST
先週は母殿を始め、ツアーの定連さんも多く、また色々頂き物があったのでリストに載せた。
母からは、ちょっとリストに載せられないようなものや、写真だけではなんだかわからないような物も大量にもらって、とても感激した。
「WISH LIST」
2006年02月26日
Michael Jackson
Michael Jackson:BAD(1987 12”Single Mixes)
マイケルはM-TVによってビジュアル化されたミュージックシーンの中で大きくなったので、ビジュアルにこだわりすぎて変身していってしまったんだろうなぁ。
でもかっこよかった。
Rick Astley
Rick Astley:WHENEVER YOU NEED SOMEBODY(1987)
ダンスミュージックとして一時代を築いたが、内容はなんだかとっても情けない男の歌。
(に感じる)
今は彼はどこに?
SWEET SENSATION
SWEET SENSATION:NEVER LET YOU GO(1988 12”SINGLES)
力強い歌い方に、ノリノリのリズム。
これは結構元気をもらった。
高倉 健
高倉 健:男!(1966)
40年前の健さん若い!
なぜ今私の手元にあるのかさっぱりわからないアルバム。
叔父が昔、健さんのファンだったので、その時のものかも知れないが、渋すぎる貴重品。
第一面:「唐獅子牡丹」「男の誓い」「泣かせるぜ」「未練じゃないか」「男の裏町」
第二面:「網走番外地」「霧の波止場」「横顔」「男涙の雨が降る」「男なら」
しかもサイン付き!
当時の価格は1500円と書いてあるが、今はいくらかな?
FUN FUN
FUN FUN:LIVING IN JAPAN(1985 12”)
タイトルとこのジャケットだけで買ってしまったレコード。
当時既にLAでは発行されていた「日刊サン」の紙面をそのまま使ったデザインで、「森進一・森昌子!?結婚騒ぎ」なんていう見出は時代を感じる・・・。
聞いたことも無い女性デュオのFUN FUNはこれ以外の作品は全く知らないが、この曲はまあノリは良い。
おそらくハリウッドからは出なかったと思うので、日本でこれを持ってる人はいないと思う・・・。
2006年02月28日
曇り空
先週末からハワイはまた曇り空に覆われている。
土曜は少し日が差したが、後は雨が降ったり風が吹いたりで薄ら寒い。
今週も後半にはまたサンダーストームが来る予報も出ている。
夜はワイキキの鍋会でオデンを食べた。
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