2005年09月01日
ハリケーン・カトリーナ メインランドがハリケーンで大変な事になっている。
今日、仕事中にワイマナロのビーチパークのブラダと話した時にも、最初の話題はこれだった。
もう13年も台風の来ていないハワイでは、92年のハリケーン・イニキも82年のハリケーン・イヴァも既に忘却の彼方なのかも知れないが(少なくとも私はまだハワイでハリケーンを1度も経験した事がない)、貿易風に弾かれて基本的に台風が近寄ってこれないハワイでは日本の台風も考えられない。
しかし、アメリカ本土の南部を襲ったカトリーナは物凄い爪あとを残した。
大きな町が完全に破壊されている。
あちこち水浸しでまだ水位が上がっているところもあるらしい。
比べるのは不謹慎かもしれないが、昨年末のインド洋の大津波で破壊された町とよく似ていた。
そしてそこがアメリカ合衆国と言う大国で、家や堤防、橋などの強さはインドネシアの比ではないと言う事だ。
死者は千人を超えるかもしれないとニュースは伝えているが、家や車、仕事も家財道具も失った数百万の被災者が3日間も飲まず食わずの状態に置かれているらしい。
ブッシュ大統領は、このハリケーン・カトリーナによる災害はアメリカの歴史上最悪の自然災害になるだろうと言っている。
略奪も横行し、銃まで大量に盗まれているらしい。
石油の精製も出来なくなり、ガソリンがまた上がりそう。
せっかく本土からのツーリストが増えていたハワイにも影響が出るかもしれない。
自然災害とは言え、やはり世界規模で地球環境がおかしくなっているのは明らか。
自国の産業を守るために京都議定書に参加せず、一番儲かっているのは1日平均約1億8600万ドル(204億6千万円)を使っているイラク戦争でビジネスをしている連中。
戦争している場合じゃない!
地球を守らなくちゃ。
ハリケーン・カトリーナで亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
また被災された方々にはお見舞い申し上げます。
ビーチピクニック
今日はベロウズビーチへのビーチピクニック WITH BBQ。
朝早くは少し雲が残ったが、トレードもすっかり戻ってどんどん晴れてきた。
ハナウマ湾を過ぎるとビッグアイランドまで見えた。
マカプウヘッドの工事も順調に進んでいるようだ。
東海岸の海はマリンブルーに輝いていた。
マカプウ・ルックアウトで一度車を止めて、ビーチを見下ろす。
透き通った2フィート程の波には誰も入っていなかった。
ベロウズに入っていくと止まっている車は5台ほど。
アイアンツリーの林の間からエメラルドグリーンのワイマナロの海が覗く。
荷物をピクニックテーブルのエリアに運んで、海の様子やトイレ、シャワーなどの説明をして、お客さん達は海でブギーボードをしたりビーチで転がったりして遊び始めた。
私はBBQの準備に取り掛かかるが、あっという間に終了。
ランチタイムまでは私は荷物番で、読書タイムスタート。
トレードウィンドが運ぶ波の音に混ざって、カージナルやマイナバードの鳴き声が林の中に響く。
お昼近くなり、ヒバチに火を入れる。
お腹を空かせたお客さんたちが戻ってくると、今日はチキン、ビーフはサーロインとリブ、野菜はピーマン、たまねぎ、にんじん、マッシュルーム、そしてハワイアンブレッド。
下ごしらえは昨晩済んでいるので焼くだけだが、炭火は焼き加減が命!
色々話をしながらもヒバチから目は話さない。
肉は下味がついているが、野菜用には「Yoshida」のソースを用意した。
皆さんお腹一杯食べていただき、再び海で遊び始めると、後片付け開始。
公園管理局のブラダが寄ってきて、「今日はピクニックか?」と話しかけてきた。
いつの間にかビーチには人も増え、車も10台ほどは止まっていた。
今日はヘリコプターがたくさん飛んでいた。
隣のベロウズ空軍ステーションには一応ちゃんとした滑走路もあるので、そこから離着陸していたようだ。
太陽が後ろのコオラウに近付き始めた頃、再び東回りでホノルルに戻った。
2005年09月02日
ガスキャップ法
今日からハワイ州では「ガスキャップ法」と言う法律が施行された。
これは、全米で1,2を争うハワイのガソリンの高さを抑える為の法律だったのだが、ハワイの消費者の為にはならないかもしれない。
法律では卸売価格の上限を全米平均に抑えるものなのだが、ハリケーン・カトリーナの影響でその全米平均価格が高騰しているのだ。
上限額は毎週調整されるのだが、今週は1ガロン2ドル75セント。
これに各小売店が利益を上乗せするので、実際の価格は2ドル88セントほどになっている。
先週の小売価格が2ドル75セントほどだったので、いきなり10セント以上も上がった事になるが、来週の価格がどこまで上がるか想像すらつかない。
カトリーナの影響で、本土では1ガロン3ドルから4ドル、中には6ドルなんていう所もあるらしい。
既に昨年から比べて倍以上に上がっているハワイのガソリン価格は、着実に私の仕事にも影響している。
アメリカに超インフレ時代が訪れようとしているのかもしれない・・・。
アロハフライデー
明日の金曜は「太郎」のメンテがあるくらいで、しかも週末は久しぶりにオフ。
いや〜8月は予想にすっかり反して忙しかった。
でも島をぐるぐる回ったり、ビーチに行ったり、山に登ったりの楽しい仕事が多かった。
「太郎」も良く働いてくれた。
今朝はゆっくり寝れたので、ビールを飲みながらノラジョーンズを聞いていたら、写真を撮りたくなった。
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久しぶりに洗濯。ハワイでTシャツの地位は高い。乾燥機にはなるべくかけない。
最近一番質問が多かった、「あの『イチロー』とか、『ワイマナロの使者』はどうなったの?」と言うのにお応えして撮りました。
ハワイは日本に比べて植物の成長が断然早いと思う。
ワイマナロの使者こと、ベロウズビーチで拾ってきた発芽直後の植物の芽を育て始めたらハート型の葉っぱが出てきた。
ミロの木だった。
その後葉をたくさん付けながらひょろひょろと上に伸びた木は、当然だらりとしなだれちゃって、葉っぱも少なくなったまでは前回までの記録。
その後曲がったところからまた幹が伸びてきた。これは今年4月。
そして現在はこんな感じ。
イチローはすっかり部屋の神になってきた。
ちなみにジャックは乗ってるのではなく、後ろに置いてあります。
あの「デカイ・シリーズ」は日本の方には結構受けてるのだが、さすがにデカイ蜂蜜は使いにくいということで、今回はコスコで3個セットを買ってきた。
3匹の熊。 すみません。1つは既に使用中です・・・。
そして久しぶりに髭をそ剃った。
ちょっと前にアゴを剃って、今晩突然上もスッキリ。
昔から私のことを知っている人にとっては何て事無いのだろうが、ハワイでは実に10年ぶり。
鍋会でびっくりされるかもしれない。
でも30代は上に見られたくて、髭を生やしていたかも知れない。
会社の代表としてローカルで渡り合うのに、アジア人はどうも若く見られる。
面倒臭かったのかも知れない・・・。
でも手入れはちゃんとしていた。
まあそろそろ40代のスタイルを見つける時期なのかもしれない。
いつまで続くのか?
昼間吹いていた貿易風が止み、蒸し暑かった夜も、更けるにつれ静かにひんやりしていく。
2005年09月03日
ホノルル
昼間は「太郎」のメンテナンス中に、ワード地区を歩き回った。
最近BBQで使っているペーパープレート・キャリアーはお客さんにもアイデア商品として好評なのだが、これは通販で買った物。
先日、ハワイでも手に入らないかとの質問があった際に、売っているとすれば「ワードセンター」にある「As seen on TV Shop(テレビショップで見た物ショップ)」しかないと答えたのだが、確認してみるとちゃんと売っていた。
夕方家に帰ると、夕陽が沈むところだった。
ホノルルでも奇麗な夕陽が見れたことに感謝。
2005年09月05日
休日
アメリカは今「レイバー・デイ・ウィークエンド」(アメリカ版勤労感謝の日の祝日を含む週末)の連休中で、ワイキキもアメリカ人旅行者ばっかり。
アメリカ人が多いシーズンは必然的に日本人は少なくなる。
日本人旅行者を相手に仕事をしている友人たちも、先週まで忙しくしていた夏休みも終わり、この週末は暇な人が多いようだ。
私も「太郎」のメンテなどを済ませて、昨晩は友人と飲み、今日(土曜)は昼近くまで爆睡した。
夕方マキキの大ちゃんからお誘いがかかった。
お互いにここしばらくは忙しくて会っていなかったので久しぶりに訪ねると、彼も今日はオフで、昼間「タマシロ・ストア」で買い出して来たと言うアヒとアクレ(マグロと鯵)を出してくれた。
元寿司屋の彼が刺身や握り、巻物など作ってくれたのだが、マグロは大トロで、ただでさえ新鮮なハワイのマグロの一番油が乗っているところだった。
ただし、大トロはアメリカ人はあまり好まない為、特別値段が高いということは無い。
食後はホノルルの夜景を見ながら、ラナイで飲んだ。
タマも気持ち良さそうに寝ていた。
2005年09月06日
ガソリン
今日の小売価格はとうとう3ドルを越えた。
まだ、日本よりは安いという人がいるが、アメリカも日本並みになったらその時は凄いインフレになり、世界経済は大変な事になる。
日本でも2週間で30円以上上がる事は無いと思う。
今後のハワイ経済への影響は全くわからない。
そんな事は一切関係なく、貿易風がホノルルを吹きぬけている。
2005年09月08日
サークルアイランド
全員初ハワイと言うご家族をオアフ島巡りにご案内した。
ダイアモンドヘッド沖に3フィート程の波。
少しチョッピーでサーファーは少なかったが、既にワイキキの海とは違う景色に驚かれていた。
しかし、まだまだこんな物ではないのでここは車内から見下ろしてすぐにカハラに入っていく。
プルメリアやハイビスカスが咲き乱れる。
カラニアナオレ・ハイウェイのレインボーシャワーはそろそろお終い。
ハナウマ湾を過ぎると海はうねっていた。
サンディービーチのショアブレイクも豪快な音を立て、ブローホールからも大きな潮が吹き上がっていた。
マカプウも4フィート程のいい感じの波が入っていた。
ベロウズは2台しか他に車が無くビーチもほぼ貸切。
午前中の陽が降り注ぐ白い砂と光る海に皆さん大喜びだった。
グアヴァジュースを飲んでミニ自然教室。
マイナバードの鳴き声がアイアンツリーの林に響いていた。
エメラルドグリーンの海を見ながらのウィンドワードのドライブは、窓から吹き込むトレードウィンドが気持ち良かった。
クアロアパークのビーチではカニがたくさん歩いていた。
ノースショアに回ると全く波が無かった。
ワイメアでは何度か飛込みが見れた。
ハレイワのアリイビーチパークは貸し切り。
モンキーポッドの木陰でプレートランチ。
食後の散策時間はまた新しい本を読み始めた。
ドール・プランテーションでは知り合いの寿司屋さんにばったり。
帰りのフリーウェイはかなり渋滞したが、色々な話で盛り上げた。
また将来のハワイリピーターを誕生させてしまったようだった。
夜には細い月が浮かんだ。
2005年09月09日
ダイアモンドヘッドが火事!
昨日午後、パリハイウェイをカイルア方面に走っていると、ダニヤンから電話。
「JUNちゃん大変!ダイアモンドヘッドが燃えてる!」と。
どうやらまた藪火事が発生したらしい。
既に昨年1年間に発生した件数を超え、ほぼ倍の数になると見られているハワイの藪火事がとうとうダイアモンドヘッドも襲った。
私はその後東回りでホノルルに戻ったのだが、ココヘッドの入り口を越えてハワイカイに降りてくる時に、ダイアモンドヘッドの後ろ側から少し煙が昇り、消化剤をぶら下げたヘリコプターが飛んでいるのが見えた。
結局大きなニュースになるほどの火事ではなかったのだが、この異常なペースの藪火事もやはり地球温暖化と関係があるのだろうか?
2005年09月10日
天気予報
普段ツアーの前日と当日の朝にはインターネットで天気をチェックしている。
大抵3つか4つのサイトを確認しているが、全て同じだった事は今まで一度も無い。
最近一番信用を置いている「アキュ・ウェザー」は昨晩、「Mostly Sunny(ほとんど晴れ)」だった。
ところが今朝は少し雲が多く、風も弱かった。
出掛けにもう一度チェックしてみると、やはり「Mostly Sunny」。
そして午後からトレードウィンドが上がる予報。
他のサイトも「Partly Cloudy(所により曇り)」程度だったし、島を回っているうちに晴れてくるかなと言った感じだった。
ワイキキに入る前にコンベンションセンターの横に「カラカウアAve. 5時からクローズ」のサイン。
夕方からアロハ・フェスティバルのワイキキ・ホオラウレアがある。
帰りの渋滞も気にしながらお客さんをピックアップ。
今日はサークルアイランド。
ハワイカイの辺りは晴れていたが、サンディービーチからマカプウはまた雲が多かった。
ベロウズビーチにはローカルの高校生の一団がスクールバスで来ていた。
「スモウ・コネクション」で、アンティー・ジェンに
「そー言えばJUN、私が今まであげたT-シャツはいつ着てるの?」
と、聞かれた。
「普段はしょっちゅう着てるよ。仕事中は会社のTシャツがユニフォームだからね」
と、答えると、
「そう。それなら良かった。でも最近は新しいの持っていかないのね?」
と、切り替えされたので、
「最近は新しいデザインは無いでしょ?じゃあ今度タンクトップを下さい」
と言ったら、
「あなたいつも『今度』と言ってなかなか持っていかないから、今日は絶対持って行きなさい!」
と言われて、また一つ頂いてしまった。
クアロア辺りから風が出てきたが、高い雲が残って薄曇だった。
しかし晴れている時とはまた違った、くすんだ感じのグリーンの海は印象的だった。
ノースも少し雲があったが、トレードウィンドが気持ちよかった。
ワイメアでは続け様に3人の飛込みが見れた。
ラニアケアでは我々がビーチに下りて行ったら、丁度ウミガメが岸に近づいてきた。
アリイビーチパークはまたも貸し切り。
マイナバードの集団が我が物顔で公園を跳ね回っていた。
お客さんが散策中に「太郎」にガスを入れる。
今日のハレイワでは1ガロン3ドル16セント。
ちなみにホノルルは3ドル20セントを超えていた。
ドール・プランテーションに到着して、裏のバラエティーガーデンを回って建物の中に入ると、それを待っていたかのように激しいシャワーが振り出した。
その後H−1フリーウェイに入るまで断続的に降ったが、小さな虹も少し見えた。
ワイキキに戻ったのは丁度5時だったが、まだロードクローズは始まっていなかった。
夕方止まっていた風が、夜になってまた吹き始めた。
確かにこの天気じゃ予想は難しい。
2005年09月11日
ナイトドライブ
夜はナイトドライブツアーが入った。
昨晩はシャワーが多かったので心配したが、今日は何とか持ちそうだった。
しかしワイキキでお客さんをピックアップしてタンタラスに向かうと、フリーウェイを越えたあたりでパラパラと来た。
本降りになる気配はなかった。
プナホウ学園もタンタラスもあちこちで月下美人が咲いていた。
展望台に着くと雨も止み月も出てきた。
一通り説明をして写真を撮るとまた少し降り始めたので、移動開始。
土曜にしては空いているH-1フリーウェイを西に進み、レッドヒルを越えるとパールハーバーが見えてくる。
今日はアロハスタジアムでも何かイベントをやっているらしい。
途中何度かシャワーに当たったが、パールシティーの公園に着くとぴたりと止んで、星も見えてきた。
ラグを引いてしばし休憩。
コオラウ山脈から吹き降ろす貿易風が気持ち良かった。
2005年09月12日
自民党圧勝
いよいよ小泉劇場第3幕が始まる。
しかし連立与党で3分の2の議席を取るとまでは思っていなかった。
野党の選挙戦術が上手くなかった事もあるが、小泉さんは表面的なわかりやすさだけで投票率を上げ、今まで選挙に行かなかった層も取り込んでしまった。
自民党執行部を横に並べての記者会見では、みんなとても眠そうな眼をしていたが、郵政改革の「後」は今までの年金改革などを先に進めるだけとしか言わなかった。
自分の任期はあと一年。
この選挙で郵政改革法案が成立することがほぼ決まったので、これで小泉首相の仕事は終わったのだろうか?
なにしろ消費税を上げるには自分が総理を辞めなければならない。
そうなると次の自民党は誰か?
今や衆議院で3分の2を持っているのだから、憲法改正も視野に入れて、かなりの事は出来るはず。
だが、それがどれだけ国民のためになるのか、結局大企業優遇と言われる様な事になれば、次の総選挙では本当に民主党への政権交代もありえるかもしれない。
民主党も次にどんな代表を持ってくるのか大きなポイント。
今回は自民党は80名以上の新人議員が誕生したようだが、一致しているのは郵政民営化賛成と言うだけなので、彼らの今後も楽しみ。
日本は今小泉首相と自民党を信じるしかない。
2005年09月13日
チャーター
今週はチャーターが多いのだが、まず第一弾。
今日はお昼にワイキキを出発して、マカプウ方面をを飛ばしてのミニCI。
H−1フリーウェイからパリ・ハイウェイに入り、雨雲の架かったコオラウ山脈を越えると、ウィンドワードはやはり雲が多かった。
カム・ハイウェイに入ってカネオヘを抜ける。
所々にシャワーの振った跡。
最初にクアロアパークに到着すると、やや強い貿易風にもかかわらず、空は薄曇りだった。
渡り鳥のスティルトが増えてきた。
カーアヴァの海はまだ雲を反射していたが、ハウウラ辺りで陽が差してきた。
サンセットビーチは人が少なかったが、小さな波にもかかわらずサーファーがかなり沖に出ていた。
ラニアケアでは2匹のカメが爆睡中だった。
アリイビーチには3フィートほどの綺麗な波が上がっていた。
その後ゆっくりハレイワタウンの散策。
私も何か食べようとL&Lを覗くと、なぜか大混雑で諦め、久しぶりにマクドナルドに足を運んだ。
ノースに住んでいた時には何度か来たことがあったが、本当に久しぶりに「ヴァリューミール」を頼んで、がらがらの店内で本を読みながら食べた。
ドール・プランテーションの後、最後にタンタラスの丘に上がった。
既に太陽が大分傾き、パンチボウルからホノルル・エアポート、エヴァ方面は金色に包まれていた。
今晩咲くのを待っている月下美人の蕾が多かった。
2005年09月15日
チャーター2
今日のチャーターは午後から始まった。
雲に覆われたホノルルからスコールのパリ・ハイウェイを抜けると、やはりシャワーがウィンドワードを包んでいた。
カム・ハイウェイからウィンドワード・モールを回りこみ、カヘキリ・ハイウェイに入って、最初はテンプル・ヴァレーにある平等院。
様々な宗教のお墓が集まったテンプル・ヴァレーには、キリスト教の十字架を掲げた教会があったと思うと、その先には丸い屋根の寺院、さらに中国や韓国の寺院もあり、広大な敷地にお墓が並んでいる。
その一番奥に日本風のお墓が並んだ一角があり、「HAKA GARDEN」と書いてある。
皆日本の方角を向いたお墓の横を通って、広いパーキングに出ると、その奥には日本の半分のスケールの平等院が建っている。
かなりインチキなお土産物店もあるが、本堂の中には大きな大仏が鎮座している。
さらに自由に撞ける大きな鐘もあり、時よりコオラウ山脈の麓に「ご〜〜ん」と言う音が響いている。
雨の中、傘をさしてお参りの後、今度はカイルアを抜けてラニカイビーチに向かった。
海に近づくと雨も止み、ビーチに出るとすっかり青空が戻ってきた。
雨上がりの為人は少なく、ラグを引いて貿易風を浴びながらグアヴァジュースを飲んでしばし休憩。
この後は東回りでマカプウ、サンディービーチを見ながらハワイカイの「コスコ」に行った。
お買い物タイムの後、ハワイ大近くの「バビーズ」でアイスクリームを買って、タンタラスの丘に上がった。
今の時期だとプウウアラカア公園の閉園時間よりもサンセットが少し早いので、ここで夕陽を見ようと言う作戦。
昼間は人の少ない公園の展望台は、同じ作戦の観光客などで少し賑わっていた。
マノアヴァレーに虹が架かっていた。
パラパラと小雨が降ってきたので、「太郎」の車内でアイスクリームを食べ、雨が止んだ頃に再び展望台に戻ると綺麗なサンセットが見れた。
サンセットビーチからはよくサンセットを見ているが、ここからのは私も初めてだった。
これは今後ツアーに組み込んでも良いと思ったが、その前にチャーターが増えそうな予感。
サークルアイランド
早朝はホノルルもシャワーで霞んでいたが、お客さんを迎えに行く頃には晴れ間が見えてきた。
今日はワイキキに大波が上がる予報が出ていた。
既に6〜7フィートほどのスウェルが白波を立てていたが、14フィートまで上がるとラジオで聞いた。
ダイアモンドヘッド沖も4〜5フィートはあったが、サーファーは少なかった。
サンディービーチのショアブレイクもオーバーヘッドで、豪快な音を立てていた。
この波では本物のプロしか入れないが、3人くらいがブギーボードを操っていた。
マカプウも4〜5フィートはあったが、やはり人は多くなかった。
ウィンドワードも雲は多かったが所々割れて、陽が差し込んでいた。
ベロウズビーチにはほとんど人がいなかったが、ここも3〜4フィートに上がったショアブレイクでローカルが数人遊んでいた。
「スモウ・コネクション」で、アンティー・ジャンにスターフルーツをもらってお客さんと分けた。
カネオヘ・ベイ沿いでは何度かシャワーに当たったが、クアロアパークに到着すると晴れてきた。
プナルウ、ハウウラでは満潮に乗ったうねりが、時々道路まで波しぶきを上げていた。
サンセットビーチには5〜6フィートの波が立っていたが、昨日は12フィートまで上がったらしい。
今日もビーチは遊泳禁止になっていたので、人は少なかった。
チャンズリーフもラニアケアもサーファーはほとんどなく、今日は皆ワイキキに出向いている様だ。
ウミガメはちゃんといた。
一番雨の心配をしていたハレイワは気持ちよく晴れ、またも貸切のアリイビーチパークでピクニックランチが出来た。
ドール・プランテーションでは真珠売りのティファニーとおしゃべり。
ワヒアワの米軍住宅地に住む彼女は、ご主人もお父さんも軍人だそうだが、彼女は軍人が嫌いなのだそうだ。
アメリカの事情も複雑である。
帰りのフリーウェイは混雑したが、H-2からずっと虹が出続けて、ワイキキまで見えていた。
ワイキキの波は遠くに7〜8フィートのが見えた。
この波と、今晩のサンセット・オン・ザ・ビーチのイベントのため、ワイキキは激しく混んでいた。
夜になってマキキにもスコールが来た。
冷蔵庫で数時間冷やしたスターフルーツを食べた。
美味〜!
2005年09月17日
チャーター3
今週3度目のチャーターはノースのランチとホノルルのお買い物。
ワイキキは晴れていたが、ここ数日のようにコオラウ山脈には雨雲が重そうに架かっていた。
H-2フリーウェイではスコールにもあった。
ノースの天気を心配しながらパイナップル畑を下っていく。
カエナ岬は雨に煙って見えない。
しかしハレイワの町に入っていくとぴたりと止んだ。
「クアアイナ」の開店時間に合わせてランチを注文をし、お客さんはタウンの散策スタート。
出来上がったオーダーをピックアップして、私はノースショアMPに先回りして待つ。
戻ってきたお客さんとラニアケアビーチに移動。
ビーチにあがっているウミガメは無く、少し濁った水で海中のカメも見つけにくかったが、右側にある餌場の岩場で数頭を発見。
その後ビーチでハンバーガーを食べながら少し寛いだ。
その後は一路ホノルルに戻り、「フラサプライセンター」、「ウォルマート」、「ファブリックマート」などを回ってお買い物タイム。
移動中は何度かシャワーに当たったが、車を降りると晴れ間が見えた。
ワイキキにはまだ大きな波が上がっていた。
雨
7月も8月も9月もそれほど気温は変わらないのに、9月に蒸し暑い日が多いのはシャワーの量が増えるからだろう。
晴れのち曇り時々雨と言った天気だったが、この数日に降った雨のために今日のトレッキングが中止になった。
明日持って行こうと思っていた「太郎」のメンテナンスに今朝行った。
前回タイヤを取り替えた時に、「アイドル・アームがそろそろ取替え時だよ」と言われていて、雨季の前に直しておきたかった。
最近は対応の良さで気に入っている「レックス・ブローディーズ」と言うカカアコの修理屋に行くと、今日は日系人のオジサンが出てきた。
散々英語で会話した最後に、「お越しいただきありがとうございます。多分今日か明日の午後までには出来ます。」とカタコトの日本語で言われ、とりあえず家に帰る事にした。
途中、ワードとカピオラニの「ジャック・イン・ザ・ボックス」で朝食を食べ、プルメリアの匂いの充満するNBCホール沿いを折りたたみ傘を持って家まで歩いた。
オフィスワークや家の掃除を済ませた所に電話がかかり、もう修理が終わったと。
再びカカアコの外れ、もうダウンタウンに近い店まで30分ほど、時々傘を差しながら歩いた。
今日はあまり日が差さなかったしトレードも上がっているので過ごし易い。
月が大きい。
2005年09月18日
FULL MOON
トレードウィンドが上がってホノルルはすっきりと晴れた。
ヒンヤリとした風が昨日までの蒸し暑さに一服の清涼剤となった。
夜には綺麗な明るい満月が上がった。
2005年09月20日
ヨコハマベイ
午後からリーワードサイドの西端、ヨコハマベイに行った。
「マカハ・ドライブイン」でランチを仕入れようと思ったら、まだ2時半前なのに既にCLOSE・・・。
こんなに早く閉まるっけ?と思ってよく見たら、店名が「ラヒラヒ・ドライブイン」に変わっていた。
ホノルルは雲が多くノースも雨の予報だったが、西はピーカンだった。
日曜と言うことで人は多かったがこんなもの。
ライフガードタワーの前には厚いショアブレイクが寄せていて、ローカルが数名ブギーボードを楽しんでいた。
左よりの海水浴のポイントにもゆったりとしたうねりが入っていて、ビーチを洗っていた。
私も海に飛び込んでエネルギーを充電。
次第に陽が傾き、西の水平線に沈んでいった。
帰りはH-1フリーウェイに入ると夜景が広がり、コオラウ山脈の後ろから大きな月が昇ってきた。
2005年09月21日
モクレイアビーチ
今日はヨコハマベイの北側、ノースショアの西端のモクレイアビーチに行った。
ホノルルは雲が多かったのだが、行く前にモクレイア在住のスカイダイバーのあっちゃんに電話で聞いてみると「こっちはイイお天気だよ〜」と言うことだったので向かうと、普段は雲が多くなるH-2フリーウェイから晴れてきた。
さすが晴れ男、昨日に続き今日のノースも見事に晴れていた。
パーキングに隣接するキャンプエリアには数組の人がいたが、ビーチはまたも貸切。
すぐにウミガメを発見。
と思ったら、ウミガメだらけだった。
親子と思われる、親亀2匹と小さな小亀1匹が仲良く浅瀬の岩に顔をもぐりこませて、餌を食べているのが可愛かった。
カイトサーファーも数人出てきて海の上を飛んでいた。
「渇きの街」
この夏はツアーが忙しかったので、読書が進んだ。
散策時間や荷物番の時に読んでいるが、最近「どんなジャンルの本を読むのですか?」と言うご質問が続いたのでお答えしたい。
何でも読みます・・・。
私が読むのは日本語の本ばかりだが、お客さんや友人が日本からの飛行機の中で読んだものを譲り受けたり、また在住日本人の間で読み終わった本を回したりするので、逆に選ぶことは出来ないのだ。
ちゃんと「読書」と言うカテゴリを作っておきながらまだ1冊しか紹介していなかったので、この夏に読んだ物をご紹介。
これらはあくまでも私が読む機会があったというだけで、お勧めしたりするものではないのであしからず。
「渇きの街」(北方 謙三、集英社)
ハードボイルド。
引き付けるような文章はさすが。
「老人と海」
「老人と海」(A.ヘミングウェイ、新潮文庫)
ご存知の名作。
しかし何年振りだっただろうか?
昔読んだ時よりは私も「老人」に近づき、印象は違った。
「二つ枕」
「二つ枕」(杉浦日向子、ちくま文庫)
NGNでNHKの「お江戸でござる(?)」をやっていた時には、まるで江戸時代からやってきたように詳しい杉浦先生に感心したものだが、NHKではやらない話ばかりで面白かった。
「T.R.Y.」
「T.R.Y.」(井上尚登、角川文庫)
20世紀初頭の日本、中国を舞台にした物語。
映画「STING」を髣髴とさせる、ペテン師の話。
「生と死の幻想」
「生と死の幻想」(鈴木光司、幻冬舎文庫)
「リング」、「らせん」などですっかりファンになった鈴木光司の短編集。
でもやっぱり長編がイイかも。
「鯰 大倉喜八郎」
「鯰 大倉喜八郎」(大倉雄二)
ホテル「オークラ」の創業者、大倉喜八郎の波乱万丈の人生をつづった伝記。
こんな成金が許されていた時代だったんだなぁと感心した。
「抗争 ごろつき」
「抗争 ごろつき」(家田荘子、光文社文庫)
ちょっとコミカルで、登場人物に愛着が持てるヤクザ物。
前編もあるらしい。
「ネコの住所録」
「ネコの住所録」(群ようこ、文春文庫)
身近な動物を対象にした短編エッセイ。
動物好きにはかなり笑えた。
2005年09月22日
ロコツアー
久しぶりのロコツアー。
朝から取って置きたい様な良いお天気だった。
「サムズクラブ」はいつもの様に空いていた。
お客さんの買い物中、私も店内をブラブラしていると面白そうな本を見つけたので購入した。
「フィッシャーハワイ」、「ホームデポ」はさっと済ませて「コスコ」。
ここはやはり混んでいて、パーキングを探すのも一苦労だった。
ディリンハム・ブルバードを先に進んで「グローサリー・アウトレット」。
気温も上がってきた。
「プライス・バスターズ」、「セイバーズ」でお買い物の後、「ヤミー」でビビンバ・ランチ。
既にディリンハムの「ヤミー」でも、私は顔を覚えられてしまったようで、「あなたはレシート必要だったわよね?」とアガシに言われた。
ちょっと遅めの昼食後はダウンタウンを抜けてキングストリートを走り、「フラサプライセンター」、「ベンフランクリン」と回って9軒終了。
45分ほど時間が余ったので「レナーズ」でマラサダを買って、タンタラスに上がった。
途中マノアヴァレーに大きなダブルレインボーが架かっていた。
街中よりも涼しいプウ・ウアラカア公園の展望台で景色を見た後、ラグを広げてマラサダブレイク。
夜になって何度かシャワーが降った。
2005年09月24日
CIコンボ
ワイキキは朝からお天気が良かったが、コオラウ山脈の上には厚い雲が架かっていた。
ブーゲンビリアの鮮やかなダイアモンドヘッド・ロードを上がっていくと、沖には3フィートほどの波が上がっていた。
プルメリアとハイビスカスの咲き乱れるケアラオル・アヴェニューを抜けてカラニアナオレHWYに入る。
ハナウマ湾を過ぎるとモロカイ島がうっすらと見えた。
サンディービーチはすぐ目の前に4フィート以上のショアブレイクが豪快な音を立てて崩れていた。
マカプウ岬の工事はずいぶん進んでいるようだが、最終的にどのような形になるのかまだ見えない。
マカプウビーチを見下ろすルックアウトでは貿易風がやさしく感じられた。
マカイピアではハワイ大学の潜水艦がゲートの隙間からチラッと見えた。
ベロウズビーチは朝の光を反射して、アイアンツリーの隙間からエメラルドグリーンの海がまぶしい。
パーキングに車はたった5台。
ミニ自然教室の後しばらく寛いで、「スモウ・コネクション」に移動。
アンティー・ジャンと相撲の話をした。
「あのブルガリアンは強いね」と言うと、どこから手に入れたのか今場所の関取一覧表を出してきた。
日本語しか書いてないその冊子では顔と名前が一致しないらしく、「どれがブルガリアンなの?」とあちこち指をさす。
「それはロシアン」、「じゃあこれ?」、「それはグルジアン」、「じゃあこれだ!」、「そうそう!」なんて会話をした。
しかし、今の横綱はモンゴリアン、話をしているのは元横綱のハワイアンのママ。
相撲っていつの間にかかなり国際的なスポーツになっているんだなぁ。
ウィンドワードサイドも天気は良く、クアロアパークで自然教室の後、カーアヴァの海は特に綺麗だった。
ノースに回ると天気はさらに良くなり、サンセットビーチも砂が眩しかった。
波は2フィートほどで、再び夏の海。
ワイメアの飛び込み岩にも数人が登っていた。
トレードウィンドが調子良くなり、ハレイワのピクニックランチはとても気持ちが良かった。
食後にドール・プランテーションに行くと、今日はお客さんが皆でパイナップル・エキスプレスに乗っていた。
私は中でクラフトショップのルビーとおしゃべり。
今週末にはハワイにもハリケーンが近付くかもしれないという予報が出ていたが、これは規模を弱めて北に抜ける見込み。
しかしメインランドではまたも大型ハリケーンが直撃の見通しで、ルビーによると「地球を壊してる国に、地球が仕返ししてるんじゃないの」と、同じアメリカ人とは思えない発言。
実際ハワイの人にはアメリカ人という自覚はあまり無いようだ。
さて、この後は再びハレイワに戻って散策タイム。
私は車の掃除の後はいつもの様に読書。
日中の暑さから開放されたノースショアに陽が傾き始めると、移動開始。
人の少なくなったラニアケアビーチでは3頭の大きなウミガメがまだビーチに上がっていた。
そしてサンセットビーチも観光客は少なくなり、ローカルが増えてきた。
最後は水平線に雲が出たが、ゆったりとしたサンセットタイムだった。
既に静まり返ったハレイワタウンを抜けて、街灯すらないパイナップル畑を走り、H-2、H-1とフリーウェイを乗り継ぎワイキキに戻ると、ここはいつもの様に喧騒に包まれていた。
2005年09月25日
月下美人
数日前の天気予報では、週末は雨の多い荒れ模様になると言っていたのだが、昨晩から風が止まり、今日は南からのコナウィンドが吹き出した。
薄い雲が多く、気温が上がらなかったので蒸し暑さはそれ程でもなかったが、湿度は上がった。
今晩のナイトツアーも雨を気にしていたが、どうやらその心配はなさそう。
昼間のツアーは短パンだが、ナイトドライブには一応ロングパンツを穿いている。
アロハシャツを着ているのに汗が出てきた。
新婚旅行のお客さんをまずタンタラスの丘にお連れすると、途中には咲いているのは見つからなかったものの、展望台の、しかもちょっと先の方で幾つか咲いていた。
土曜ということもあってローカルを含め、バスやリムジンさらにタクシーもかなりの数が集まっていて、展望台には車を寄せることが出来なかったので、ちょっと先に止めたのが幸いした。
ワイキキの夜景を眺めた後はフリーウェイに乗ってパールシティへ。
いつもの公園には車は全然止まっていなかったが近所のローカルの男女が数人でベンチで話をして、週末の夜を楽しんでいるようだった。
帰りはマジックグラスが好評だった。
2005年09月26日
東風
午後からコナウィンドが止んで、東を向いている私のオフィスの窓から、カーテンとミロの木をを揺らしてまっすぐに風が入ってきた。
湿度は依然高く、ちょっとタイムスに買い物に行ったり、部屋の掃除をしただけで汗が出た。
夜になってその東風も弱くなり、ビールを注いだグラスも汗をかいている。
ヤンキース
またもメインランドを襲ったハリケーン・リタのことが気になり、TVをつけると、水に浸かった町の様子や避難先から戻ろうとする住民の長い車の列、また復興にかかる予測などをしている。
しかしスポーツ・コーナーになると、始まったアメフトの試合の模様や、大詰めを迎えて盛り上がる野球の話でキャスターも明るく語る。
私自身も、アメリカのこの先の経済に対する影響やガソリン価格などが気になる一方で、ヤンキースの応援に力が入る。
(両方が気になるということは、自分は今、平和な状態なんだろうと思った。)
一時、星野氏が監督になるかもしれないという話になったときは、巨人ファンを辞めようかと思ったが、ナベツネが戻ってきて改革が遠のいた感のある日本のプロ野球には今は全然興味は無く、今年は大リーグのプレイオフが早く見たい。
残り試合を僅かにして連戦の続く、同率首位で争うヤンキースと宿敵レッドソックスの最後の直接対決3連戦でレギュラーシーズンが終わるのもドラマチック。
相撲も面白かったけど、今週はGOヤンキース!
2005年09月27日
SADE
SADE:DIAMOND LIFE(1985)
最近またずっと聞いてる1枚。
LAに渡った翌年、ラジオから流れてきた時は衝撃的だった。
最初はカセットテープで持っていた記憶がある。
ジャンルを超えたメロディー。
SADE
SADE:STRONGER THAN PRIDE (1988)
イージーリスニングの定番化しているSADEだが、レコードの「バチバチ」がこれほど似合うのも少ないと思った。
YELLOW MAGIC ORCHESTRA
YELLOW MAGIC ORCHESTRA:SOLID STATE SURVIVOR(1979)
高校生の時に初めて聞いて、音楽に対する考え方ががらっと変わった。
イギリスで流行って、日本へは逆輸入として紹介されたYMOだが、私はYMOを知ってから邦楽を聞かなくなった。
2005年09月29日
フォスター植物園
ネイチャーウォークツアーでフォスター植物園に行った。
いつもの様に人の少ない園内はまさに都会のオアシス。
鳥の声や木々のざわめきを聞きながらゆっくりと歩く。
時よりヌアヌパリより吹き降ろすトレードウィンドに乗って、雨粒が緑の葉を叩く。
蘭やピンクテコマの花が綺麗だったが、こんなのを見つけた。
色は鮮やかな赤だったが、月下美人にそっくり。
サボテンのような茎も、タンタラスで見るのとよく似ている。
しかし真昼間に咲いているのはおかしい。
これにはネームプレートが無かったので名前を確認できなかったのだが、とても美しかった。
このツアー、バスやトロリーでも行ける場所だが、簡単でも私の解説があるのでお客さんも喜んでくれた。
2005年09月30日
サークルアイランド
朝から気持ちの良い貿易風が吹き、西の空には朝から大きなダブルレインボーが架かっていた。
クヒオビーチではイベントの後片付けをしていた。
ダイアモンドヘッド沖には2フィートほどの波。
ハナウマ湾を過ぎると、モロカイ島は薄雲の中にぼんやりとしか見えなかったが、サンディービーチは朝の光に砂がキラキラと光っていた。
マカプウ岬の工事は大分進んできているようだが、未だに完成予想が見えない。
マカプウビーチのルックアウトに立つと、湿り気を帯びたトレードウィンドが肌を撫でる。
ここには4フィートほどの波が上がっていた。
一方ベロウズは2フィートほどのショアブレイクが、エメラルドグリーンの海に白い波を立てていた。
カネオヘ・ベイ沿いにはあちこちに水溜りが残っていたが、海も赤く染まっていた。
クアロアビーチは他に全く人は無く、流れ着いたココナッツの実が波に踊っていた。
カーアヴァ、プナルウ、ハウウラと息を呑むような色の海が続き、満潮に近い海からは手を伸ばすように時より波しぶきが道路まで上がっていた。
今日はタートルベイ・リゾートホテルのゴルフ場の赤いハイビスカスが、いつもよりも鮮やかにたくさん咲いていた。
サンセットビーチに波は無かったが、ビーチの観光客もそれ程多くなかった。
ワイメアの飛び込み岩も人は少なく、そろそろ秋の気配だろうか。
ラニアケアビーチでは子ガメが海辺の岩にかじりついて餌のリムを食べていた。
ハレイワに入ると道路が濡れていて、たった今シャワーが上がったばっかりと言う様子だった。
ランチを仕込んでテーブルセッティングをし、皆でピクニックランチを食べ始めてしばらくすると、ぽつぽつとやってきてしまった。
しかし見上げるとそれほど大きな雲ではない。
と言うことでそのままランチ続行。
モンキーポッドの木の下で、美容にイイ雨、匂いも色もつかない綺麗な雨のしずくを感じながら食事を終える頃にはすっかり雨も上がり、マイナバードたちがまた騒ぎ出した。
ハレイワ散策中も時々小雨がぱらついたが、ドール・プランテーションで外回りを見て館内に入った途端にまた本格的に降り始めた。
雨のワヒアワを抜けてH-2フリーウェイに入り、そろそろパールハーバーが見えてくる頃になると、東の空に大きなダブルレインボーが現れた。
H-1フリーウェイに入っても降ったり止んだりを繰り返し、その都度レインボーも出たり消えたりしていた。
ワイキキに戻ると雨は止んでいたが、夜になって再び降りだした。
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