2005年7月2日
ピエトロ
母達とココクレーター植物園に行った。
入り口には特にオフィスの様な建物は無いが、椅子とテーブルが置いてあってセキュリティのおじさんが一人いた。
「開いてますよね?」と確認すると、「そこにブローシュアがあるから持って行ってね」と言ってニッコリ。
歩き始めてすぐのプルメリア・セクションは甘い香りに包まれていた。
色とりどりの花に母たちも喜んでいた。
その後も珍しい木や花が次々と現れ、写真を撮ったり落ちている実を拾ってみたりして、ぐるりと1周3キロほどのコースを歩いた。
途中ですれ違ったのはたったの3人。
暑かったのでイイ運動にもなった。
アイナハイナの「駒形」でランチを取ってからワイキキのホテルに送り届けて一度解散。
夕方また迎えに行って、アラモアナの「ピエトロ」に行った。
隣に最近出来た「食堂」と言う名前の日本食レストランは、ローカルの評判はあまり良くないものの、外には順番を待つ人が並んでいた。
一方「ピエトロ」は、土曜にもかかわらず待つ事無くすぐに座れた。
ここに来たのは久しぶりだったが、ウェイターがちゃんと私のことを覚えていてくれて、「久しぶりですね!今度メニューが新しくなりました。お勧めはこれです」と説明してくれた。
ここの名物「ロー・ポテトサラダ」とパスタを食べてから、私の家に来た。
独立記念日の花火は4日にアロハタワーで上げられるが、前日にはアラモアナで花火がある。
それを見せたくてうちに連れてきたのだが、今日はまだ2日。
すっかり日にちを間違えていて、9時の予定時間に屋上に上がってしばらく待ったがなかなか上がらない。
もう一度ネットで調べてみて、初めて今日の日付を間違えている事に気付いた・・・。
母達は何度もハワイに来ているうちにこちらで日系人のオジサンと仲良くなったそうで、明日はそちらにご招待されているらしい。
4日はディナークルーズに行くとかで、なんだか私の出番があまり無い・・・。
夜少しシャワーが降って、蒸し暑くなった。
2005年07月03日 メンテナンス
このブログサイトは誰かに勧められた訳でもなく、字数制限が無くて写真をアップロード出来るスペースが大きいという条件だけで選んでしまった。
記事を書くと適当な語句をピックアップして勝手にリンクが貼られ、宣伝用のページや語句検索のページにつながっている。
他のブログサイトではあまり見られないようだが、見た目が悪い。
まあここまでは仕方ないとして、日本時間の2日土曜日にメンテナンスの為に半日ほどエリアが見られないと言う状態が突然始まったが、これがハワイ時間の2日夜になってもまだ終わらない。
これではせっかく毎日何か書こうと思っていた私のやる気をなくす。
引越し早々だが、新しいブログサイトを探している。
お勧めがあれば教えてください。
よろしくお願いいたします。
2005年7月4日
50First Dates
先日取材の手伝いをした雑誌「Chou Chou」のハワイ特集で話題となった映画、「50 First Dates」(邦題「50回目のファーストキス」)を見た。
日本では最近公開されたと聞いたのでレンタルショップの「ニュー・リリース」と「リーセント・リリース」を探したが無く、「ドラマ」のセクションにも無かった。
チャーリーズ・エンジェルのドリュー・バリモアと言うことで、「アクション」のコーナーを見たがやはり無く、店員に聞くと「コメディ」のセクションだと言う。
アダム・サンドラーを始めロブ・シュナイダー、ダン・エイクロイドとSNL出身のコメディアンばっかり!
日本で言えばラブコメディーでした。
舞台は勿論ハワイだが、アダム・サンドらー扮するヘンリーが働いているのがシーライフパーク。
ラビットアイランドやマカプウ岬がしょっちゅう出てくるし、ハワイアンのムードはIZや間かはサンズなどのBGMからも伝わってきた。
マツモト・シェイブアイスのTシャツが小道具で出てきたりと言うのも面白かった。
ロブ・シュナイダーのローカル弁も結構様になってた気がする。
ハワイ好きにはお奨めの1本である。
2005年07月05日
4th of July
先週の新聞では、3日の9時、4日の8時からと言う独立記念日の花火の予定だったが、実際には、3日アロハタワーでの花火は8時45分から8時55分だった。
うちからはこんな感じで見えた。
一日間違えてた私は何も言えないが、9時じゃないの?
で、今日4日のアラモアナの花火は8時35分から8時55分までだった。
屋上にはアパートの他の住人も集まっていた。
こちらはこんな感じで見えた。
昨年まではもっと多くのラジオ局が協賛していたと思うが、今年はKINEとKCCNだけが花火とシンクロさせたミュージックを流していた。
普段のヒルトンホテルの花火は毎週なので見飽きているが、さすがに独立記念日の花火は凄かった。
街中でも爆竹やロケット花火が響いている。
これについてはあんまり賛成できない。
2005年07月06日
Michael Jackson
Michael Jackson:BAD(1987)
この頃のマイコーはかっこ良かった。
でももう既に「Beat it」のマイコーではない・・・。
でも「BAD」も当時は本当に流行った曲ばかり。
A面2曲目「THE WAY TOU MALE ME FEEL」が一番好きだった。
SIMPLE MINDS
SIMPLE MINDS:ALIVE & KICKING(1985 12”)
ALIVE & KICKING も一時毎日聞いてたなぁ。
イントロがいいんだよね。
STARSHIP
STARSHIP:NOTHING'SGONNASTOP US NOW(1987 12” 映画「Mannequin」より)
これも映画は大した事無かったが、この曲は良かった。
これもイントロがいい!
こういうなんだか未来志向的な明るい感じの曲が必要な時代だった。
窓
母たちも帰国し、独立記念日の騒ぎも終わったので、今日は注文しておいた「太郎」のパーツを取りに行った。
助手席の窓の上げ下げがスムーズに行かなくなって、行きつけの工場にいくと最初は「ウィンドーレギュレーター」と言う部品を買って来いと言われたのだが、品物が来てみると本当に必要なのは「ウィンドー・レール」と言う部品だった。
再びパーツ屋に行って最初の品を返品してそのレールを注文しようとしたら、レールだけでは売ってないといわれた。
で、結局窓ガラスごと買う羽目になってしまったのだ!
前にハワイで日本車のパーツを買おうとした時にも同じ様な事があった。
その時はエアコンの吹き出し口の小さなパーツが欲しかったのだが、なんとダッシュボードごと買う必要があると言われて、「それじゃいりません!」と買わなかった事があった。
絶対に必要な部品ではなかったので諦めたが、今回は窓だけにやはり必要。
ヒビも入っていない窓を取り替えるのはなんだか悔しいが、結局オーダーしていた。
アラモアナ・センターの裏手でカピオラニ通り沿いのGMのパーツセンターに行くと、鍵がかかっていて入れない。
え?と思ってよく見ると張り紙があった。
なんとこの週末に引越しをしていたのだ!
ちゃんと教えてくれよ〜と思いながら、書いてあるアドレスの場所に移動。
今度はアラモアナ通り沿い。
そして再び「?」
ここって前はフォードのディーラーだった所じゃん!
実はフォードが別の場所に引越しをして、GMがここに越してきたらしい。
前にフォードの車に乗っていた時には何度も来た事がある場所だった。
で、窓ガラスを受け取って工場にもって行くと、2時間かかると言われ、ワード地区をぶらぶらした。
「ROSS」「スポーツ・オーソリティ」「マルカイ」「ワードセンター」を回った。
「ワードセンター」では工事をしていたので覗いてみると、ラーメン屋が出来るようだ。
たっぷり2時間ほどぶらぶらして戻ると窓が直っていた。
今度は「太郎」で「サムズクラブ」に行ってツアー用の買出しをして、HOT DOGをおやつに食べて帰ってきた。
今日も暑かった。
2005年07月07日
ナイトドライブ
今日は初ハワイのお客さんをナイトドライブツアーにご案内した。
H-1フリーウェイを超えるとポツポツとシャワーが流れてきたが、展望台はリムジンやバスがたくさん集まっていて日本人ばかりが凄い人出だった。
新月で月下美人は一つも咲いていなかったが、星が多くパールシティの公園に期待が沸く。
レッドヒルからパールハーバーを見下ろし、パールシティの公園に到着するとシャワーの心配はなさそうだった。
やはり星は多く、トレードウィンドも最高。
夜空に響くゲッコーの鳴き声も気持ち良さそうだった。
ワイキキでお客さんをドロップオフすると、そのまま鍋会の会場に行った。
人数は少なかったがお子さん連れの方もいて賑やかだった。
久しぶりのお好み焼きを食べた。
2005年07月08日
テロ
またも同時多発テロが発生してしまった。
前日に2012年のオリンピック開催が決まり、歓喜に包まれていたロンドンを襲った。
犯人がオリンピック開催を意識していたかはわからないが、丁度サミットが開かれているイギリスで起きた事は何らかの関係がありそうな気がする。
2001年のアメリカでのテロについては、その後の報道に関して数多くの疑問点が残り、我々が知っているのはどこまでが本当で、テロリスト達の真の目的は何なのか?などがいまだにわからない。
イギリスが襲われたと言う事は、同じくアメリカの同盟国である日本にも強い衝撃を与えたに違いない。
今後イギリス政府がどのように動くのかは、これからの世界にも大きな影響を与えそうだ。
亡くなられた多くの方にはご冥福をお祈りいたします。
また怪我をされた方にはお見舞いを申し上げます。
2005年07月09日
KARAOKE
9.11の時と同様に、テレビをつけなければロンドンでテロ事件が起きた事など嘘のようにハワイはいつものようにのんびりと平和な夏の日だった。
昨晩はホノルル在住の日本人の仲間が私をカラオケに誘ってくれた。
日本でサラリーマンを経験していた時はほぼ毎週のように歌っていたのが、ハワイに来てからはさっぱりで、実に3年ぶり位のカラオケとなった。
私の家からは歩いても行ける位の場所にあるカラオケボックスは沖縄系の店で、食べ物も飲み物も持ち込み。
最初の内こそあまり声が出なかったが、ツアー中に毎日大きな声で説明しているだけの事はあって、すぐに調子が出た。
かつて「渋谷のジュリー」と呼ばれた私の持ち歌はほとんどが70年代から80年代のもの。
昔を思い出して派手に歌って踊ってしまい、新しく「マキキのジュリー」と呼ばれてしまった・・・。
しかし曲のリスト本が電話帳のようになっていて驚いた。
毎年多くの歌が追加されるうちに、いつの間にかこんなになっていたんだなぁ。
勿論ハワイのカラオケでは英語、ハワイ語、韓国語、中国語などの歌本も別にちゃんとある。
今朝友人から電話がかかってきた時に、「風邪でも引いたの?」と言われて思わず苦笑してしまった・・・。
ブログ
ブログと言うのは書きたい事をカテゴリ別にネット上に掲載する事が出来、写真を添付したりリンクを貼る事もかなり簡単で、ある程度のデザイン的制約は受けるが、見る人達にとってはどのブログもほとんど同じ形態なので記事を追いやすいと言う利点もある。
先日は、記事中に勝手に貼られるリンク(これを「アフェリエイト」と言う)がどうにも気に入らなくて、引越しを考えてご推薦をお願いしたのだが、ユーザーのツールなど色々いじっていたら、これを出さなくする方法がようやくわかった。
ついでにプロフィールなども載せる事が出来るのもわかった。
で、早速全てのリンクを消して、ちょっとプロフィールも載せた。
過去の日記や写真、KTコーナーなどもあるので、あくまでも
「じゅにーKのウェブサイト」がメインで、ここはその1ページとして使っていくつもりだ。
写真を上げるためのエリアの10%を既に使っているようなので、今後その辺もまた問題になりそうだが、容量を増やす事も出来るようなので、それはまたその時に考えます。
今日は何度かシャワーが降り、小さな虹が夕方出た。
リサイクル法
今年から始まったベバレージ・コンテナー・リサイクル法に着いては何度か書いたが、この度法改正があり、以前は基本的に受け付けていなかったクラッシュド・ボトル(潰した缶やペットボトル)も買い取ってくれる事になった。
既に何ヶ所かのリサイクルセンターでは重量による換金をしていたが、これを増やすらしい。
しかし、1.5リットルのソーダのペットボトルも237ミリリットルのウォーターのミニボトルも5セントのデポジットを払っているのに変わりはなく、500ミリリットルのビール缶も163ミリリットルのV8もやはり5セント払っている。
つまり重量の場合どう考えても割が悪くなる。
かくして、我が家の狭いキッチンには潰せない缶やペットボトルの袋の山が出来ていく。
で、今日の収穫は3ドル65セント。
しかし、「トラックバック」ってよくわからん??(・_・)?ハテ
2005年07月10日
国連安保理常任理事国
日本のニュースでは「日本の悲願」と言われている国連安保理の常任理事国入りの問題だが、外から見ているとどうも冷めてしまう。
確かに今の国連安全保障理事会は第二次世界大戦の戦勝国を基準とした昔の体制で、現在の世界情勢はそこには収まり切れていない。
日本がドイツ、インド、ブラジルと組んで、アフリカを入れた6カ国を増やす案を出しているのは如何にもバランスが取れているようにも見えるが、それに消極的な国や反対の国もある。
日本は戦後、高度経済成長を遂げた後、世界中にODAをばら撒いて戦争の罪滅ぼしをしてきた。
しかしそれは日本企業を海外に進出させる為には大事な事で、実際に多くの日本企業が海外で成功してきた。
東南アジアでは橋や道路を作り、貿易も盛んになって、日本に対する印象も悪くなくなり、観光客が行くようになってさらに外貨を落とし、国連問題でも応援してくれている。
だが反対しているのはすぐお隣の韓国と中国。
どちらの国も内政問題から国民の目を逸らす為に日本を槍玉に挙げている点もあるが、結局今まで日本政府が毅然とした態度を取れなかったことが原因だと思う。
中国に関しては何しろ一党独裁の国であるから、教育方針といった政策はナショナリズムを中心に考えられている。
先日中国で日本に対する暴動があった時は私も上海にいる友人をとても心配したが、実際は大した事がなかったようだし、都市部の中国人は逆に迷惑がっていたと言う。
サッカーの試合の時も騒ぎがあったようだが、これらの抗日の動きはかえって将来の中国を傷つけるということがわかれば、政府も半日教育の方向を変えるのではないかと思っている。
何しろオリンピックや万博を控えて、経済成長を一気に加速させたいと思っているに違いない中国にとって、日本を敵にするのは良策ではないし、ましてや戦争など何の得にもなら無いからである。
韓国に着いては「韓流」などと、日本内では大変良いムードだっただけに水を差した。
しかしここでも第2次世界大戦が問題になっている。
さらには小泉首相の靖国参拝問題。
これらも結局今までの日本政府が何でも先送りにしてきたツケなんだと思う。
中国としては、今の日本人が悪いのではなくA級戦犯が悪かったのだと言う考えで国交を正常化させて一応戦後の仲直りをしたのが、総理大臣がA級戦犯をお参りするとは何事か!と言う立場。
誰がどこにお参りに行こうが、信教の自由。
それを他の国の人が言うのはやっぱり変。
ただ、過去にほとんどの総理大臣が参拝していなかった事で、前例を作ってしまった。
他から見れば「何か考え方が変わったの?」と思われても仕方ない。
もともと国の慰霊施設として作られた靖国神社を一般の宗教法人にしてしまったのは戦後処理に当たったアメリカ。
アメリカは憲法問題にしろ、自分がまいた種で日本がどれだけ今大変な状態になっているのかわかっていない。
そこで日本は独自に自分たちを変えていくしかないのだ。
靖国神社はA級戦犯の分祀を拒否しているが、東京裁判の正当性やサンフランシスコ講和条約の受け入れ方によってはそれも理解できる。
新しい国家追悼施設と言うのは現実的でないというが、結局はこれが一番必要なんだと思う。
私の意見としてはもう一度靖国神社を国家施設にしてしまうのがイイと思う。
そうすれば天皇陛下も参拝できるようになるではないか。
まあ、この話は今後さらに見守っていかなければならないし、戦後の歴史認識もある程度は一致させなければいけないと思うのだが、それらをネタに反対されている国連の常任理事国入りは本当に日本に必要なのだろうか?
世界中の国に対してどれだけ貢献したかで理事国入りを望んでいるのなら、常任理事国は国連内で選挙を行って決めるように変えれば良い。
核兵器を持っている国だけが常任理事国になれるのなら日本は無理。
国連改革は現在の常任理事国の権益を奪う事になりかねないのだから、どうやってもまともなアイデアは出てこないだろう。と私は悲観的。
結局日本は「常任理事国」と言うブランドを欲しがっているだけのようにも見える。
先進国と言ったって、借金だらけのこの国でなぜ子供が毎年減っているのかをよく考えなければ、国連どころの話ではなくなる。
実際に一番内政問題から国民の目を逸らそうとしているのは日本かもしれない。
2005年07月11日
BREAKFAST CLUB
BREAKFAST CLUB:BREAKFAST CLUB(1987)
A面2曲目の「RIGHT ON TRACK」が良かったけど、あっという間にいなくなってしまった・・・。
HUEY LEWIS & THE NEWS
HUEY LEWIS & THE NEWS:FORE!(1986)
B面3曲目「THE POWER OF LOVE」は映画「BACK TO THE FUTURE」の主題歌にもなり大ヒットした。
A面5曲目の「HIP TO BE SQUARE」も流行ったなぁ。
彼らの全盛期である。
BRYAN ADAMS
BRYAN ADAMS:INTO THE FIRE(1987)
なんと言ってもA面1曲目の「HEAT OF THE NIGHT」は名曲。
2005年07月12日
鍋会
今日の鍋会はスキヤキだった。
スキヤキの日は私が鍋奉行になることが最近多い。
鍋会は日本各地から人が集まるのでスキヤキの好みも様々で、スキヤキは地方によって具材も異なるのだが、私は私流で作る事に決めている。
雪印のラードとダシ用のアゴ(トビウオ)を持参で会場に行くと、干しシイタケを戻した汁にアゴを入れて割り下作り。
他の食材は幹事のダニちゃんが仕込んでくれているので、後は肉を焼き始めて砂糖と醤油で味付けし、肉汁が出てきたら食材を次々と入れていく。
ハワイでは白滝が高いので、ハワイ名物の「豆腐白滝」を入れる。
焼き豆腐、エノキ、ネギなど入れて完成。
今日は15人も集まったので、私は休む間もなく次の鍋を作り続け、最後はうどんで締めた。
誕生日の近い人がいてバースデーケーキもあった。
宴は夜遅くまで続いた。
2005年07月14日
ハレイワ
サンセットツアーでハレイワに行くと、レインボーブリッジが工事中だった。
道幅の狭い橋で、すれ違いにはいつも気を使う場所だが、幅を広げるのだろうか?
とりあえず今は逆にさらに狭くなって、大型車とすれ違うのは怖い。
アリイビーチパークはパーキングのリサーフェイス(再舗装工事)が終わって綺麗にはなったのだが、縁石の内側にポールが並び、鎖で繋がれ、しかもそれが銀色なのでなんだかすっかり雰囲気が変わってしまった。
以前夜中に酔っ払ったローカルがトラックで芝生の中に入り込み、ピクニックテーブルに激突して炎上した事件があったので車の進入を防ぐ目的なのはわかるが、見た目は悪い。
この銀色がそのうち公園に馴染んでくるのだろうか?
サンセットビーチ
午後から出発のサンセットビーチツアーでは最初にドール・プランテーションに立ち寄り、ハレイワでアリイビーチを見学して、ハレイワタウンでたっぷり散策時間を取っている。
日の長い今の時期は7時過ぎが日没だが、ハレイワの店は大抵6時には閉まってしまう。
「BANZAI SUSHI BAR」で寿司をつまんでいたお客さんたちも6時前には戻ってきたので、ラニアケアでウミガメを見てからサンセットビーチに向かった。
それでも7時過ぎの日没まではまだ40分以上あった。
カメハメハ・ハイウェイの反対側にあるビーチパークではカマニの花が咲いていた。
ほとんど波の無い穏やかな海に徐々に陽が傾いていく。
水平線に僅かに残った雲にサンセットが吸い込まれていく。
陽が沈んだ後、ローカルたちがまだまったりしているのに他にいた観光客は引き上げてしまった。
しばらくすると小焼けが出た。
どうして陽が沈んだ後の自然のショーに気が付かないのだろう?
2005年07月15日
モクレアビーチ
今日はビーチピクニックツアー。
ノースショアの西にあるモクレアビーチはディリンハム・エアフィールドのすぐ横にあり、グライダーを牽引したセスナやスカイダイバーを乗せた飛行機が時々上がっていったり、戻ってきたりするのが見える。
ビーチパークには以前、多くのホームレスがキャンプをしていて問題になった事もあるのだが、最近はすっかりいなくなり、ウィンドサーファーとカイトサーファーがほとんど。
次々と沖に出て行って遊んではいるが、ビーチはいつもほとんど人がいない。
カイトサーフィンがチラッと見えるかな?
目の前ではシュノーケルが出来て、しょっちゅう海がめが顔を出している。
ベルベットリーフの木陰に陣取り、ワイキキと同じ島とは思えない、美しい浜で一日を過ごした。
2005年07月16日
盆ダンス
すぐ近所の日系のお寺で盆ダンスが始まった。
昼間はツアーでちょっと疲れていたので行く気にはならなかったのだが、それよりも天気が気になった。
昼のツアー中も何度かさっとシャワーに遭ったが、山の上にはずっと雨雲が待機していた。
提灯に灯が点り、櫓の上にお囃子が上がると、付近一帯に聞こえる音響で始まったのだが、大勢が輪になって踊り始めるとシャワーが降ってきた。
一時中断。
雨の音が弱くなると再びダンスの音が聞こえ出した。
しかし今度はかなり激しくシャワーの音。
こんな感じでシャワーに翻弄されながらの盆ダンスは11時前まで続いた。
2005年07月17日
ハレイワの看板
オアフ島のノースショアで発行されている超ローカルな新聞で、「ノースショアニュース」と言うフリーペーパーがある。
時々「L&L」などで見かけるのだが、今日は表紙を見てぎょっとした。
「無くなったハレイワのサインがバグダットで発見された!」
と言う見出しと共に、銃を持った二人の米軍兵士がハレイワの看板の前に立っている。
しかも良く見ると中央のサーファーもちゃんと乗っている!
(現在ハレイワに残っているサインはサーファーだけ何者かに取り去られている)
だが何でバグダットに?と思う前に、写真の看板の小ささに気が付き、記事を読んでみる事にした。
「スコーフィールド I-14歩兵師団の2名の米軍兵士が隣に立ってガードしているのは、最近イラクのバグダットで発見された不明中のハレイワのゲートウェイサイン。3つあるうちの2つの有名なハレイワのサインはここ数年で盗まれていたが、今まで発見に繋がる望みは無かった。
実を言うと、派兵されている兵士たちがホームシックを癒し、オアフ島ノースショアの故郷を思い出すために、カラフルなサインをそっくりにペイントしたのだ。」
アメリカですねぇ。
ジョークでした。
なるほど〜。
2005年07月18日
BOYS DON'T CRY
BOYS DON'T CRY:BOYS DON'T CRY(1986)
A面4曲目の「I Wanna Be A Cowboy」が欲しくて買ったアルバム。
当時のLAで流行りかけた。
PAUL HARDCASTLE
PAUL HARDCASTLE:19(1985 12")
ベトナム戦争についての歌。
強烈な戦争批判のメッセージとして、記憶に残った。
この後まだまだアメリカが戦争をやるとは思っていなかった。
KON KAN
KON KAN:I BEG YOUR PARDON(1988 12”)
渋谷のディスコを思い出す。
2005年07月20日
地震
先週末の朝、何かぐらぐらと揺れている気がして目が覚めた。
「あ、地震だ」と思ったが、ここは滅多に地震の無いハワイだし、夢の中とすっかり混同して忘れていた。
しかし実際には金曜と日曜の朝、ハワイ島の沖を震源とする地震がおきていた。
金曜はヒロの沖、日曜は南部プナルウの沖だったらしい。
オアフ島の友人たちにこの話をすると、日本だと僅か震度2ほどの地震に気が付いていた人が多かったので驚いた。
私の記憶では1994年か95年にもハワイ島を震源とする地震が起き、その時はもう少し揺れが大きく、テレビはどれも地震特別番組を放送していた。
最初は「ハワイにも地震があるんだぁ」位にしか思っていなかった私も、ハワイの人の大袈裟な様子に驚いた。
今回は震源となったハワイ島で窓ガラスが割れるなどの被害が幾つかあったようだが、津波もなく、オアフ島では気が付かなかった人も大勢いたようだ。
アラモアナビーチ
昼間、ダウンタウンの役所に行ったり買出しに行ったりして動き回った。
今日もホノルルはすっかり夏の日差しが照り付け、気温も上がっていた。
あまりの暑さに泳ぎたくなってアラモアナビーチに行った。
小さな子供を連れたお母さんや家族連れが目立ったが、ビーチにタオルを置くと青い海に飛び込んだ。
しばらく泳いで、ビーチで風を浴びながら寛いだ。
夜は月が大分大きくなってきた。
2005年07月21日
携帯ストラップ
日本からやってくる人に時々頂く物で、携帯電話に着けるストラップがある。
4月にKTからもらったのは、これ。
そして先日母が持ってきたのはこれ。
何故かキューピーつながり・・・。
で、これはもらったチキンラーメンに着いてきた。
この前もらったものは、押すと「お金が大事だよ〜」と歌う。
しかし!
アメリカの携帯電話には基本的にストラップをつける穴は無いのだ・・・。
残念〜!!
2005年07月22日
谷間
先週はほぼ毎日ツアーが入っていたが、今週は暇。
来週からはまた忙しくなるのだが、今週からエアーチケットが夏の料金に変わり、谷間が出来たようだ。
と言う訳で、ペーパーワークをしたり、ホームページを直したりしている。
昨日はビーチピクニックのページやネイチャーツアーのページの写真を拡大できるようにして、今日はIモード用ページの修正をした。
しかし!
ハワイでは日本の携帯電話は見れないので、Iモード用ページと言ってもどのように出てくるのかさえよくわかっていないのだ・・・。
日本の皆さんにお願い。
ダイアモンドヘッドクラブのIモード用ページ
http://diamondheadclub.com/i/index.htm
で、何か気付いた事がありましたらお知らせ下さい。<(_ _)>
2005年07月23日
マンゴー狩り
先日カハラに用事があった時、住宅街を抜けると、たわわに膨らんだマンゴーがぶら下がっているのが目に付いた。
枝は完全に家の塀の外に出ていて、手を伸ばせば届きそうな所にある。
カイムキ辺りだったら、すぐに持っていかれてしまいそうだが、さすがにカハラでは人も少ないし、持って行く人もいないのだろう。
私は写真を撮るために車を止めたが、実は落ちていないかを確かめたかった。
すると。
おお!ナイス!
すかさず虫食いや鳥の被害の有無をチェック。
無事のようだったが、手触りはまだ少し固い。
そこで家に持ち帰って、ダイニングテーブルに1週間ほど置いといた。
色味も付いてきたし、若干柔らかくなったので、冷蔵庫にさらに2日入れた。
で、今晩のデザートに切ってみた。
ん〜。いい香り。
まだ少し硬く、甘さも今ひとつだったが、拾ったものなので上等。
月の回りにうっすらと輪がかかって綺麗。
2005年07月24日
ホームページ
しばらくフォトギャラリー以外の会社のホームページをいじっていなかったので、リクエストがあった物から変更していった。
まず、ビーチピクニックは色々なビーチをセレクトしているが、行った事が無い人にとってはやっぱりイメージしにくいと言う事で、写真をクリックすると大きな写真が見れるようにした。
トレッキングツアーは名前をネイチャーツアーとして、植物園の散策ツアーも追加した。
またこちらも写真を拡大で見れるようにした。
ノースショアツアーとビーチピクニックについては、出発時間を早くしてほしいというリクエストが増えたので、9時からにした。
ただ、これについては朝ゆっくりの出発を希望される方もいるので、リクエストには応じたい。
KTファンツアー3の裏カレンダーのサンプルも更新した。
携帯サイトについては、幾つかお知らせいただきありがとうございました。
文字はちゃんと出ているようで安心。
これから写真も少しずつ載せたいと思う。
それと、現在スタッフ紹介の欄に載っているモアナ・ミナちゃんは、日本に住んでいるハワイ大好き主婦でボランティアスタッフなのだが、今後同様のボランティアスタッフを若干名募集したい。
ハワイに住んでいる人なら嬉しいが、日本在住の方でもハワイの手伝いをしたいという方は大歓迎。
特にウェブの知識がある人、またはハワイ好きの多い営業力のある人は嬉しい。
それ以外でも、これが出来ると言うものがあれば教えていただきたい。
ボランティアなので給料は出ないが、仕事の内容によってダイアモンドヘッドクラブの名刺やTシャツを進呈。
ハワイではミーティングにも参加していただきたい。
とりあえずは過去にダイアモンドヘッドクラブのツアーに参加された方で、興味のある方はお問い合わせ下さい。
2005年07月25日
ロコツアー
このところ急に増えたのがロコツアー。
じつはこの「ロコツアー」と言うのは、ダイアモンドヘッドクラブのスタッフ欄にも載っているモーティーがオリジナル。
朝ごはんやスナックなどの食事もあり、買い物だけがメインではなかった。
モーティーがツアー業界から足を洗った時に名前とコンセプトを頂いた。
実は私も、買い物だけではなくローカルにもっと近付くツアーにしたいとは思っているのだが、とりあえず始めた今の形はお買い物が基本。
ところが今月だけで既に4回も催行している、今やちょっとした人気ツアー。
今日は日曜だったが、予約があったので出発。
日曜はフラサプライセンターが休みなのだが、棚卸とか改装工事で他の店も突然お休みだったりするので、ちょっとはらはら。
どこか休みだったり時間が余った場合は「ダウン・トゥー・アース」に寄ったりも考えてはいるが、一応いつも気にするのは全ての店をちゃんと回りきれるかと言うこと。
何しろ九軒。
ところが60%くらいの確立で時間が余ってしまう。
どのお客さんも最後は買った物を両手に抱えて降りるのでお買い物はちゃんとしているが、色々な種類の店に行くので、人によって興味のある店もバラバラ。
「サムズクラブ」とか「ホーム・デポ」は買い物と言うより見学だと思う人もいるが、ここぞとばかりに目が輝く人もいる。
しかし、買い物で疲れた後はやっぱりスナックと言うことで、最近はレナーズに寄ってマラサダを食べている。
最後に立ち寄る「ベン・フランクリン」からも近いし、私も大好き。
ランチは周りの100%がローカルの店で食べてはいるが、レナーズでは日本人観光客も多い。
4時近ければカピオラニ公園に寄って食べ、もっと早ければタンタラスの丘に上がっている。
実際半分くらいはタンタラスまで行っている。
今日も午後のホノルルの暑さを逃れて、タンタラスのプウ・ウアラカア公園で天然クーラーを浴びながらミニ・ピクニック。
キングストリートやハワイ大付近ではレインボーシャワーが見事で、ダウンタウンなどではロイヤル・ポインシアナの赤い花が綺麗だった。
ワードではホワイト・プルメリアも目立っていたし、タンタラスではシェルジンジャーも見れた。
島を回っている時には勿論花や木の説明をするが、街中でもたくさん見れる。
実はもう既に、買い物だけのツアーではなくなっている。
ちなみにいつも食べているランチのビビンバの店が休みだったので、プレートランチになった。
レナーズの看板
カパフル・アヴェニューのマラサダの店「レナーズ」の看板が新しくなった。
これが夜になると派手にピカピカ。
ハワイのレギュレーションぎりぎりの看板だろう。
一体どんなデカイカスタマー・パーキングがあるのだろう?と思ってしまうが、10台も止めたら動きが取れなくなりそうな駐車場。
ちなみに店内は全く変わっていない。
すぐ先にあった「KCドライブイン」が潰れて、いまや風雨にさらされている状態とは対照的だ。
2005年07月26日
ボランティアスタッフ
先日ダイアモンドヘッドクラブのボランティアスタッフを募集したら、早速ご応募やご質問などが来ている。
「ハワイ好きに悪い人はいない」と言うが、皆さん本当にハワイが好きなのが伝わってくる。
実は毎年数名の方から社員採用についてのお問い合わせも頂いている。
これについては今まで募集した事は無い。
実際ツアーに参加したことがあるという人はほとんどなく、就職活動の中でインターネットでハワイの会社を探したと言う方ばかり。
きっと凄く大きな会社に間違われたのかもしれないが、実際は社員を雇えるような余裕はなく、しかもハワイで働く為のビザ発行や住む所などのお世話を出来る状態でもない。
まあ、会社の方針についてはホームページにも書いているが、かなり安直な考えでハワイで仕事をしたいと考えている人が多いようにも思う。
社員は雇えないが、実は今まで研修生のお世話をしたことが何度かある。
ハワイについて学びたい、旅行業について教えて欲しい、接客についての知識が欲しいなど、今まで色々な意欲のある人にツアーなど手伝ってもらいながら、指導をしてきた。
インターンと言うことで給料は出さないので、普通に観光ビザで来てもらえるし、期間も数日から数週間と様々。
最近はハワイでもこう言った事をしている会社が増えているようだが、1年ほどの就労ビザを用意して、少ないながら給料もちゃんと払ってくれるところもある。
語学留学と言って遊びながらお金を使っているより、インターンで学びながら稼げれば得るものは大きい。
中期滞在者の新しいスタイルにもなりつつある。
私が今までお世話したインターン達は人生に悩みを抱えていた人が多かったが、皆今は日本で立派に活躍している。
給料の代わりに得る物にそれぞれ価値を見出してくれるのは、美しい自然の景色を見て感動する事に通じていると思う。
インターンについては、正直な話、ツアーに同行してもらえるかどうかはその時期やその時のお客さんにもよるので、募集はしないが、希望者には個別に対応してきた。
しかしボランティアスタッフと共に、門戸は開放している。
今年10年目を迎えたダイアモンドヘッドクラブだが、特別な行事などをする予定は無い。
よく10年間持ったなぁと言う印象の方が強いのだが、これからの新しい形を模索している。
2005年07月27日
イルカとカメ
今日は朝からずっと良いお天気で、サークルアイランドでは特に東海岸が美しかった。
ノースに入るとちょっと蒸し暑かったが、サンセットビーチに着くと沖でキラキラと輝くものを発見!
よく見るとスピナードルフィンがくるくる回りながら水面の上をジャンプしていた。
ビーチで水際にいた人達はほとんど気付いていないようだった。
今日はラッキー!と思いながらラニアケアに行くと、今まで見たことも無いような混雑振りで、当然のように岸に上がっているウミガメはいなかった。
ビーチで寛ぐ白人観光客がベタベタとサンオイルを塗っているのが見えた。
おいおい、ここにはシャワーが無いんだから海に入る時どうするの?
岸に近いところにはカメが数頭泳いでいたが、やはり白人の家族がカメの甲羅にベタベタ触ったり、子供が乗っかろうとまでしていた。
こんな光景はレンジャーが見たら逮捕者が出るところだが、最近はこのビーチにはそういった管理者の姿はなく、観光客の中にはやりたい放題の人が目立つ。
ビーチに転がった「DON'T TOUCH THE TURTLES」の看板がむなしかった。
2005年07月28日
でかい物4
久しぶりに「でかい物」をご紹介。
日本では冷蔵庫に入らないくらいの大きさだが、バター(本当はマーガリン)。
2.26キログラム入り。
家族用(または業務用)の代物だが、私の冷蔵庫にはどんと鎮座している。
毎朝の食事の際には腕の筋トレも兼ねている。
2005年07月29日
曙
オアフ島出身の元横綱曙が明日アロハスタジアムで初の凱旋試合を行う。
K-1のハワイ大会と言うことで、多くの試合が組まれている。
「スモウ・コネクション」でアンティー・ジェンに聞いてみると、ヒルトンにチームと共に泊まってハラワのジムで調整しているらしい。
店のドアにはK−1の今回のイベントポスターが貼られているが、店内でアンティーのすぐ横に大きく貼ってあるのは「大相撲カレンダー」。
ここは「K−1コネクション」では無いが、そうなる日が来るのだろうか?
2005年07月30日
曙2
今日のツアーでは、最初にお客さんに「今日は曙の試合があるので『スモウ・コネクション』ではお母さんがいないかもしれません」と断ったのだが、ワイマナロのショッピングセンターに行くとアンティー・ジェンはいつもの椅子にちゃんと座っていた。
「今日の試合は何時からなの?」と聞くと、
「その話はしないで!」と言われた。
店の奥では他の従業員がニヤニヤ笑っている。
奥に行って聞いていると、アンティーは試合に興味が無いのだという。
「じゃあ今日の試合は見に行かないの?」と再びアンティーに尋ねると、
「行かないわよ! あんな暴力的な物は見たくも無い!」と一蹴された。
アンティーの理論では、相撲はOKだけどプロレスはNGなのだそうだ。
まあ母として息子が格闘技に出るのを見たく無いという気持ちなのかもしれない。
帰りのフリーウェイはアロハスタジアムの周囲で混雑を予想していたが、特に目立った渋滞もなく、ダウンタウン辺りのフライデー・ジャムの方がよっぽど凄かった。
今日も暑かったが、風の気持ちいい一日だった。
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