ハワイ日記2003年4月
4月1日
イラク戦争は始まって間もなく2週間になるが、イラク軍や民兵の散発的な抵抗はあるものの、圧倒的な火力を持った英米軍が進撃を続けている。
いまだに大量破壊兵器は見つかっていないが、とうとう自爆攻撃が起きた。
民間人のタクシー運転手を装って男が近づき自爆、米兵4人が亡くなったそうだが、この中の一人がハワイから出兵した兵士だった。
1998年に入隊以来、ワヒアワのスコーフィールド・バラックスに駐留し、ハワイ出身の女性と結婚して3歳の子供もいたそうだ。
戦争がハワイにも近付いた気がした。
この平和な島々に・・・。
4月2日
ハワイに来る日本人には免税店の代名詞にもなっている「DFSグループ」。
ハワイ全島で40店舗を展開しているのだが、このグループがハワイ州ともめている。
ホノルル・エアポートをはじめ、各空港内の免税店のリース料、延滞の罰金、利子を含めて、ハワイ州への滞納金が4900万ドル(!)にも登っているそうだ。
州政府はDFSと筆頭株主のルイ・ヴィトン社に、最低2500万ドルを早急に納めるよう告訴したのだ。
DFSは2001年の同時多発テロなどが観光業に影響を与え、売上の落ち込みが激しいと言っているが、大株主であるルイ・ヴィトン社には家賃を支払っていて、これはハワイの州法に違反するとして州の怒りを買っている。
実際には、69%の筆頭株主であるルイ・ヴィトン社にも3億5000万ドルの負債を抱えていて、今日は従業員25人のレイオフも発表した。
DFS側は、昨年の滞納分のうち25万ドルを支払うかわりに、リース契約の残っている向こう3年間の家賃値下げを州側と交渉していたのだが、どうも私にはわからない。
いまやワイキキのアトラクション・テーマパークと化したDFSには、多くの日本人観光客が毎日毎日押し寄せている。
カラカウア通り沿いに、あれだけ立派に改築しただけあって、アメリカ人も入っているのは見かける。
しかしあの毎日お歳暮シーズンの日本のデパートのような場所で、人にもまれて買い物をする意味を全く見つけられないアメリカ人は、そそくさと出てくる。
だが日本人だけでもあの混雑が毎日続いていて、何故家賃が払えないのだろう?
決して安くは無い物でも、日本語や日本円が通じると言うだけで、確実に売上のある店が赤字と言うのは経営の手法に問題があるとしか思えない。
別に経営陣を批判する訳では無いが、今度は戦争で、どこも観光客が減って苦労している時に、一番集客している店が州に50億円以上も家賃を払わないと言うのでは、どこかで我々一般州民にしわ寄せがやってくるかもしれないと言う危惧もある。
オアフ島以外の店舗はいつも閑古鳥が鳴いているのかもしれないが、最近日本のデパートも再建しているように、もう少し上手く商売すれば良いんじゃないかと思ってしまう。
4月3日
今日は久しぶりのサークルアイランドツアーだった。
貿易風は少し弱いが、ワイキキは良いお天気だった。
ダイアモンドヘッドロードのルックアウトに車を寄せ、波の大きさを見ると2〜3フィート。
沖は穏やかで、早速クジラの潮吹きが見えた。
ワイアラエ・カントリークラブのピンクのハイビスカスの垣根の裏を通ってカラニアナオレ・ハイウェイに出る。
白、黄色、赤、ピンクのプルメリアの花が綺麗だ。
ニウ・ヴァレーのショッピングセンターでは黄色いゴールドツリーの花が見事だった。
ココヘッドを登るとオレンジや紫のブーゲンビリア。
ココクレーターは青々としている。
人が少ないのか、警備員の姿も無いハナウマ湾の入り口を過ぎると、水平線にモロカイ島が見えた。
サンディービーチで最初の休憩。
ここもショアブレイクは3フィートほどに上がっていたが、それほどボーダーは多くは無かった。
きらきら光る砂の上で記念写真を撮って移動。
マカプウ岬を回るとブルーの海が広がる。
ルックアウトで車を降りて、ラビットアイランドと亀島をバックに写真を撮る。
眼下に広がるマカプウビーチの水は今日も澄んでいた。
シーライフパーク、マカイ・ピアの横を通ってワイマナロに入る。
民家の椰子の木には大きな実がいくつも付いていた。
ポロ・フィールドの前からベロウズビーチに入っていく。
アイアンツリーの林の間から、エメラルド・グリーンの海と真っ白なビーチが覗く。
広い駐車スペースには3台しか車が止っていなかった。
ビーチに出てラグを引き、グアヴァジュースをサービス。
今日も私のマイストーンは同じ木の下にあった。
いつも小鳥のミーティング場所になっていた、ドラム缶のゴミ箱が、ビーチの近くに移動していた。
1ヶ月以上も前に集めた木の実が少し残っていたが、ビーチで収拾開始。
カマニ、ククイ、マングローブなどの実がすぐに集まった。
お客さんにミニ自然教室を開いてから、しばし休憩。
天気も良いので徐々に人が増えてきたが、ここにいれば完璧に戦争の事は忘れるだろう。
さて次はスモウ・コネクション。
アンティー・ジェンやスタッフに、「久しぶり!」と挨拶をする。
なんだかまた店内の配置が換わっていたが、ここもこの数週間はとても暇だそうだ。
お客さんはTシャツを買ってお母さんにサインをもらい、一緒に写真を撮ってから出発。
オロマナではピンクテコマが、本当に桜のように色付き、散った花も足元をピンクに染めていた。
キャッスル病院の角を曲がって赤土が目立ってくると、アフリカン・チューリップの花も赤く咲いていた。
ハワイ・パシフィック・ユニヴァーシティ、ハワイアン・メモリアル・パークの横を過ぎてカネオヘの町に入る。
大きな軍の基地がある町なので、町の様子にも変化があるかと思ったら、いつもと全く変わっていなかった。
ウィンドワード・モールを過ぎて住宅街に入る。
キング中学校の先にはまたピンクのハイビスカスの垣根が続く。
ヘエイアのマングローブの林を越えると港が出てくる。
海は赤く、雨に流された赤土が溜まっていた。
クアロアのチャイナマンズ・ハットが見えてきて、カメハメハ・ハイウェイの本道に戻る。
ワイアホレのブーゲンビリアやオーキッドの栽培農園の横を過ぎると、パパイア畑が見えて、フルーツスタンドが目立ってくる。
ワイカネでは黄色いイリマの小さな花も目立っていた。
小さな養鶏場の前を通ってから、クアロアパークに入る。
コーラルツリーはすっかり花を落とし、新しい葉が沢山出ていた。
マカダミアナッツやミロの木、ハラの木などを説明して、キスチョコ島をバックに記念撮影。
後ろにそびえるジュラシックパークの山もバックにパチリ。
風が気持ち良かった。
今日は他の観光バスやリムジンがとても少なかった。
やはりどこも暇なようだ。
実際にはレンタカーも少なく、全体的に交通量が減っているようだった。
カハナ・ベイを回ってプナルウに入ると工事で足止めされたが、長い列になる前には動き出し、反対車線で待っている車も少なかった。
ハウウラで前から閑古鳥の鳴いているショッピングセンターの説明をしていたら、先月までは一応オープンしていたケンタッキー・フライドチキンも潰れていた・・・。
ポリネシアン・カルチャーセンターのあるライエを通って、カフクの町に入る。
バナナ畑の先にエビの養殖場があるのだが、いつの間にか道路沿いに「シュリンプ・センター」なんて言う店が建っていた。
ティの木の畑を越えて、真っ赤なハイビスカスの垣根が続くクイリマ・ゴルフコースを過ぎ、タートルベイを回るとノースショア。
ノースショアの波はほとんど無いと言う予報だったが、ベルジーランドのポイントには4〜5フィートの波が見え、路上にサーファーの車も多かった。
サンセットビーチに着いた頃から空が少し曇ってきた。
ビーチに観光客の姿は少なく、ロッキー・ポイントには少しサーファーがいたものの、少しうねりがあったので泳いでいる人はほとんどいなかった。
遠くにクジラの潮吹きや背中も見えた。
今日はリクエストでププケアのヘイアウ(遺跡)に行きたいと言う事だったので、シャークスコーブの先を左折して山に入っていく。
途中を右に曲がってガタガタ道をしばらく進むと、プウオ・マフカ・ヘイアウに到着。
ここは昔集会などが開かれていた大きな遺跡だが、今日は人がとても少なく、しんと静まり返っていた。
遺跡自体は集会場を溶岩石で仕切ってるだけにしか見えないのだが、ワイメアの見下ろせる高い丘の上にあるので眺めは良い。
ここならクジラも沢山見えるかなと思っていたが、それほどでもなかった。
赤土で真っ赤に染まった道路をカメハメハ・ハイウェイに戻って、今度はワイメアビーチのルックアウトでビーチを見下ろす。
今日は飛び込み岩の上に5〜6人のローカルが上がっていた。
海は少しうねりがあったので、ただ登って下を見ているだけかと思ったら、急に次々と飛び込み始めた。
中には女の子も数人いて、元気に飛び込んでいった。
遠くにはまたクジラも見え、お客さんは喜んでくださった。
白やピンクのオレアナの花が咲く、ノースの海沿いの道路を南下し、ハレイワに入る。
アリイビーチパークも人出は少なかった。
ランチを仕込んでピクニックテーブルにセッティングをし、お客さんと一緒にランチタイム。
少しするとぽつぽつとシャワーが落ちてきた。
カヴァイロアの斜面の上に雨雲があり、そこから流れてきているようだ。
ちょっと慌てた私とは引き換えに、お客さんは全然気にせず楽しく食べていたが、段々雨足が強くなってきた。
結局少し濡れながらも公園でランチを食べ終え、その後すぐに車に乗ってハレイワタウンに移動した。
お客さんには傘をお貸しして、一時解散。
アメリカ人観光客の姿はあったが、日本人はとても少なかった。
しばらくするとシャワーも上がり、鳥も鳴き出した。
ハレイワにもいくつかゴールドツリーがあり、どれも目を引いた。
お客さんが戻ってきて、南へ向かい、パイナップル畑で写真を撮る。
いつもの畑のパイナップルは、形は小さい物のオレンジ色に熟れてきていた。
ドール・プランテーションに行くとここも最初はアメリカ人ばかりが目立ったが、後から日本人や韓国人のツアーがやってきて、多少賑わっていた。
ドール・プランテーションのスタッフ達は私のことを見つけて「久しぶり!」と歓迎してくれたが、ずっと暇な様でムードは決して明るくはなかった。
H−2フリーウェイに乗る前のワヒアワでは、スコーフィールド内のジャカランダがあちこちで見事に紫色の花を付けていた。
島の東や北では車が少なかったが、H−1に入るとやはり渋滞した。
不況で残業が少ないせいか、いつもより混んでいる気もした。
そして、島のどこのビーチも空いていたが、ワイキキだけは芋を洗うように混み合っていた・・・。
夜は、昨年ハワイに越してきた日本人のM夫妻が遊びに来た。
二人共既に仕事はしているが、こんなご時世で大変そう。
しかし大変なのはうちも一緒で、やっぱり早く戦争は終結して欲しい。
戦争の事は忘れて飲んだ。
4月4日
イラク戦争が始まって2週間が経ったが、ハワイの日本人観光客は既に30〜40%も落ち込んでいると言う事が発表された。
最大手のJ社では、旅行取扱量は昨年の60%で、特に修学旅行はほとんどなくなったそうだ。
昨年のこの時期は、9.11テロから回復に向かっている途中で、決して例年並には戻ってはおらず、その60%と言う事は、3年前に比べたら半分以下である。
また、戦争が始まる直前の3月17日から、戦争開始後の1週間の3月27日までの間に、団体と個人の旅行の30%〜35%がキャンセルされたと言うことで、ヒルトン・ハワイアン・ヴィレッジも日本人観光客の団体予約は、30%も落ち込んでいるそうだ。
既に我々旅行関係者は、この状態は最低今後数週間は続くと見ており、稼ぎ時のGWも期待できないだろうと悲観的だが、更に長期化して戦争が数ヶ月も続くような事になれば、夏休みのシーズンも厳しくなる。
ダイアモンドヘッドクラブのように元々少人数制で、リピーターのお客さんが多い会社は、まだ良い方だが、団体を扱っている所や大手は、今後リストラなどの措置がどんどん実行される可能性が高い。
日本航空は現在、ハワイ便を1日2便減便しているが、今のところGWも減便したままとなるそうだ。
今年のGWは信じられない値段でハワイツアーが売られているのだが、開戦以来、ジャルパックでは約1400人が4月、5月の旅行をキャンセルしているそうだ。
その分、今のところ夏の価格が跳ね上がっているようだ。
ここからは私の意見。
確かにハワイは戦争当事国であるアメリカの1州だが、イラクが反撃してくる可能性はほぼ無い。
ただしブッシュの言っている事が正しければ、テロリストが反撃する可能性はある。
パールハーバーを標的にするとか言う噂もあったが、セキュリティが強化された今、飛行機を乗っ取って9.11と同じように攻めるのは現実的には不可能に近いと思う。
それにパールハーバーを日本軍が最初に攻めた象徴として攻撃すると言うのも、テロリストによほど余裕が無い限りは無駄のような気がする。
テロはあくまでもテロであって、予想が付かない物だ。
原発やダムなどを狙うと言う予想は聞くが、わざわざ警備の厳しい所を狙うのは大変で、実際には武器や毒薬など持っていなくても、既にテロリストがアメリカ国内にいれば何かやるかもしれない。
だから原発も大きなダムも無いハワイでも、パールハーバー以外でテロが起きる事も考えられるが、軍の施設以外で、例えばワイキキなど攻撃しても、アメリカの片田舎の観光地では、日本人は困るがアメリカ人にはそれほど打撃は無いだろう。
つまりハワイでテロが起きる可能性はやはり低く、例えハワイでテロが起きても、観光客が巻き添えになる事は少ないと思うのだ。
それに戦争が終わっても、テロの危険性が変わるものでもない。
結局今はチケットが安くてお得と言う事では無いのか?
イラクの次にアメリカが「民主化」させたいのは北朝鮮だ。
今の所は軍事力は使わないと言っているが、相手が使ってくれば結局戦争になる。
何しろ日本は、北朝鮮から偏西風に風船を乗せ、そこに仕掛けた化学兵器で攻撃ができるらしい。
北朝鮮が、イラク戦争が終わるのを待ってから攻撃を始めるのか、アメリカがイラクに係っきりのうちに攻撃するのか、それとも平和裏に核開発を止め、拉致した人を返してくれるのか。
日本にいれば安全と言う訳でもないような気がする。
4月5日
ハワイは一見とても平和だが、世界情勢は不安定で、イラクの戦争はまだ終わらない。
仕事に、生活に直接関係しているだけに、気になってしまうが、正直言ってアメリカがどんどん進軍していても暗い気持ちになるばっかり。
やっぱりイラクの大量破壊兵器が出てこないのと、戦後復興はアメリカが主導でやるなんて言ってる事が、侵略戦争のように見えてしまうからかもしれない。
暗い時には明るい話題も欲しいし、笑いも欲しい。
間もなくプレイオフを迎えるNBAでは、我がレイカースが順調に調子を伸ばしていて、テレビ観戦も楽しい。
土曜日は、アメリカの3大ネットワークの一つ、NBCで放送される「Saturday Night Live」(サタデー・ナイト・ライブ:SNL)を楽しみにしている。
アメリカの笑いをリードするこの番組では、時の話題にすぐに反応したコントを見せてくれる。
今晩は最初にブッシュ大統領の演説のパロディで、国民に「戦争は全て予定通りに進んでいる」と説明するのだが、「バグダットのエアポートを確保して、デューティーフリー・ショップとレンタカー・デスクは連合軍の管理下に置いた」と言っていきなり大笑いさせてくれた。
戦争の最新情報をジョークにするアメリカは、やっぱり奥が深いと思った。
アメリカ政府はテロリストが細菌兵器を使った時の為に、アメリカ国民には食料や水の買い置きを奨励し、ダックテープ(日本で言うガムテープ)で窓の隙間をふさげと言っていたが、これも「自分の家を完全に隙間無くダックテープでふさいだら、息が出来なくなって結局死んじゃうヨ!」と笑い飛ばしている。
戦地からのレポートをパロッたコントでは、画像の荒いビデオ・フォンを再現して、レポーターは「風呂に入りたい!」と叫んでいた。
サダムの隠れ家でのミーティング風景のコントでは、影武者4人とサダムがいて、サダムが町の様子を報告しろと言う。
影武者の一人が「町は包囲され、我々はもうお終いです!」と言うと、「やる気が無いなら帰れ!」とサダムに言われるのだが、「じゃあ、家に帰っても良いのですか?」と聞くと、「死んだら帰ってイイよ」と言われてしまう。
急に影武者たちは皆ビビッた様になり、一人はシャワーのように汗を噴出す。
しかしもう一人が「昨日は町中を歩いてきたよ!」と言うと、「おお、そうか!様子はどうだった?」とサダム。
「多くの市民に歓迎されました!」と報告。
そして「じゃあ明日はオレが実際に散歩に出ようかな?」とサダムが言うと、その影武者は、「それも良いですね!」と答えるのだが、その時最後の影武者に携帯電話がかかってくる。
「今は話しにくい」、「一緒だ」、「散歩に行く」と電話口に向かってひそひそと話すと、「わかった」、「ちょっと待ってくれ」と言って、サダムに「明日の散歩はいつ行くの?」と聞く。
「う〜ん、多分朝かな?」とサダムが答えると、影武者はまた電話口に向かって「朝だ」とささやく。
結局この影武者がスパイなのだが、その時ド〜〜ンと言う音と共に建物が揺れる。
「今のはなんだ!?」とサダムが聞くと、影武者たちは「上でダンスパーティーをしているらしいよ」と言って、荷物をまとめて先に逃げてしまう。
再び砲撃の音が聞こえると、サダムも「オレもダンスに行こう!」と出て行くというオチ。
当事国のアメリカがこのノリなのだから、日本でも不安をあおるような報道ばかりせず、笑い飛ばすような元気と余裕があればイイなぁと思った。
やっぱり日本は役不足かな?
4月6日
アメリカのほとんどの州で今日からデイライト・セイビング・サマータイムが始まった。
ハワイはそれが実施されない州なので、本土のほとんどの場所との時差が広がる。
LAなど西海岸では3時間、NYなど東海岸とでは6時間の時差になった。
LAで7時半から始まるレイカースの試合は、ハワイでは今までは5時半からだったが、今日から4時半。
まだ大分明るいうちから、テレビの前でビール片手に応援をした。
さて、来年からハワイ州の消費税が値上げになるかもしれない。
現行の4.16%から5.5%にする案で、日本よりも高くなってしまうのだ。
この案は既にハワイ州上院の歳入委員会で承認され、上院本会議で可決されれば下院に送られる。
下院も通過すると、消費税は来年の1月1日から引上げられることになる。
住んでいる者にとっても、観光客にとっても、嬉しい話では無い。
州の経済の低迷に拍車をかけるような事にならなければ良いのだが・・・。
4月7日
1ヶ月近く泳いでいなかったので、アラモアナビーチに出かけた。
しかし家を出る時には雲が多くなってきた。
私はとにかく泳ぎたかったので、とりあえずビーチに向かった。
ビーチパークのパーキングスペースはがらがらで、ビーチの人もとても少なかった。
と言っても、ベロウズビーチだったら混んでいる方だろう。
引き潮で水は澄んでいたので、すぐに飛び込みしばらく泳いだ。
すると次第に雲が切れて晴れ間が出てきた。
沖には3フィートほどの波が上がっていたので、時々サーファーがパドル・アウトしていく。
私が水から上がってビーチで転がっていると、すっかり雲も無くなり、陽射しが痛いほどに射して来た。
風は巻いていたが、気持ちが良かった。
夜はワイキキの鍋会に出た。
明日ツアーの予定のダイアモンドヘッドクラブのお客さんも出席して、石狩鍋を食べた。
仕事中はお客さんと一緒に飲む訳には行かないが、やはりこうしてプライベートでお話が出来ると随分打ち解ける。
これからも鍋会参加の希望者が出るといいなぁ。
4月8日
朝、ストレッチをしていると隣のターキーがドアの隙間から顔を覗かせた。

知らん振りしていると当たり前のように入ってきて、部屋の定期点検をしていった。


今日は3組のお客さんとマキキへトレッキングに行った。
ダイアモンドヘッドクラブの常連さんもいらして、お茶漬けの素と日本の調味料のお土産を頂いてしまった。(Big Mahalo!)
朝の天気予報でも、今日はシャワーになると伝えていたのが複数あったが、ワイキキからマキキにかけては良く晴れた。
風が弱く暑くなりそうだったが、雨が降りそうなのよりは全然良い。
最初の登りのトレイルの途中で、既に随分汗を書いた。
ククイの実や、早付きのストロベリー・グアヴァ、花は無いがジンジャーなど説明しながら歩いていると、今日はシェイマが何度も姿を見せて、綺麗な声を聞かせてくれた。
マウンテン・アップルの赤い花とローズ・アップルの白い花はとても目立っていたが、タコノキも枝に赤い小さな花を付け始めていた。
峠でスナック休憩の後、下り始めると風が出てきた。
パーキングに戻ってきて、皆さんにグアヴァジュースをサービス。
山登りの後のグアヴァジュースはとても美味しい。
皆大分汗をかいたので、ジュースを一気に飲み干し、山を歩いた達成感に浸っていた。
結局一日シャワーは降らなかった。
CNNでニュースを見ていると、ヤンキースの松井がホームのデビュー戦で満塁ホームランを打ったと伝えていた。
野茂やイチローに負けない活躍が期待できそうだ。
4月9日
イラクではアメリカ軍が首都バグダットを攻略したらしい。
イラク側の大きな抵抗も無く、米軍の爆撃でジャーナリストが死亡した事件の方が、ニュースでは大きく取り上げられている。
日米のニュースを見比べると、やはり報道の角度が違うのに気付く。
バグダットの市民は「アメリカ万歳!、ブッシュ万歳!」と叫びながらフセインの像を引きずり倒していたが、アメリカ・メディアでは、バグダットのほんのごく一部の地域の事がイラク全土で起きているように報道されているのがどうもひっかかる。
まだ実際に北部などで戦闘は続いているし、フセインの所在もはっきりしないまま。
アメリカが勝利宣言をする時も近付いているようだが、イラク中の人が果たして本当に「アメリカ万歳!」と言うのだろうか?
結局大量破壊兵器は見つからず、テロの危険が無くなった訳でもない。
これからのイラクの復興についても国連と意見が一致していないし、いろいろ問題はありそう。
ただ、イラクでの戦争が早く終わりそうだと言うことは、各地に良い影響を与えているのは間違いない。
早速GWのツアーのお問い合わせが入ってきた。
諦めていたGWも、チケットの安さで混雑になるのかもしれない。
半分の月が雲間に見え隠れしている。
4月10日
天気は良く、風も気持ちが良かった。
マキキの郵便局に行く途中で、昨年まで同じアパートに住んでいたサモアンの女性とばったり会った。
声をかけると元気そうだった。
その後銀行やダウンタウンの役所に行き、ワードで買い物をしていると今度は大ちゃんとばったり会った。
車のメンテナンスの後、この辺りを走っていた所で「太郎」を見つけ、店に入ってきたらしい。
買い物の後でガスステーションにいると、目の前をモーティーが走っていた。
ジョギングの途中だったらしい。
狭い島だ・・・。
4月11日
3年ぶりにハワイに来た友達をエアポートに迎えに行った。
大量の食料品のお土産を頂いてしまった!(Big Mahalo!)
レイ・スタンドにはプルメリアの他、色とりどりの花が増えてきて、良い匂いを漂わせていた。
空港は警備が更に厳重になっていて、やはり戦争中の国なのだと言う事を感じたが、お客さんに聞くとイミグレも税関もかなりあっさりしていたそうだ。
それよりも新型肺炎に備えてマスクを持ってきたと言う事のほうが驚いた。
ハワイでマスクをしている人など全くいないが、飛行機の中は密室だし、感染の可能性が高いと、準備している人は多いようだ。
風が少し強くなってきたが、カピオラニ公園では早くもレインボーシャワーが咲き始めていた。
夜はハワイ滞在中の常連さん、Lauraちゃんとハワイカイのバレに食事をしに行った。
お菓子のお土産を頂いてしまった。(Big Mahalo!)
4月12日
朝からシャワーで、しばらく止みそうな気配が無かった。
今日予定されていたビーチピクニックツアーは順延となった。
読みかけだった本を読んで過ごす。
午後から晴れてきたが、貿易風がとても強い。
サタデーナイトライブでは今日も戦争ネタが多かった。
やはりと言うか、最近姿を消した、最後までイラク軍が優勢だと言っていたサハフ情報相のパロディで盛り上がっていた。
月が大きくなってきた。
4月13日
風は少し強かったが、お天気は回復したので、今日はビーチピクニックツアーに行った。
ワイマナロ・ベロウズビーチでのバーベキュー付きで、東回りに波を見ながら行った。
マカプウに4フィートほどの形の良い波が来ていた。
ベロウズに着くと、パーキングに車は4台ほどしかなかった。
数少ないピクニックテーブルは皆空いていたので、一番近くをキープ。
ここのビーチにも良いショアブレイクが出て、ローカルがブギーボードで遊んでいた。
お客さんにもボードを渡すと、すぐに海に飛び込んでしばらく遊んでいらした。
私はその間読書タイムだったが、じっとしていると風が寒かった。
お客さんが戻ってきてからバーベキューの準備。
今日も肉や野菜の焼き加減はばっちりだったが、風が強くてちょっと食べにくかった。
それとハエ。
良くあの強風の中を我々の周りで飛んでいられるなぁと関心してしまうほどだった。
さすがハワイのハエは貿易風で鍛えられている。
風とハエは今後対策しなくては・・・。
昨日は天気が悪かったので、この週末にビーチに行こうと思っていた人たちが今日に集中してしまった様で、後から随分人が増えた。
気が付けばパーキングは半分以上埋まっていて、ビーチで遊ぶ人も多くなっていたが、強風の為短時間で帰る人も多かったようだ。
食後、お客さんはまたブギーボードを持って海に入り、波と戯れていた。
風が弱くて蒸し暑いのは嫌だが、強すぎるのも問題。
でも自然には敵わない。
4月14日
今日もビーチピクニックのツアーが入った。
今日はリクエストで、最初にラニカイを見学してからその後でカイルアビーチ。
行きはパリハイウェイを使って行った。
ラニカイはほとんど人も無く、ローカルが時々犬の散歩で通ったり、近所の人が泳ぎに来ているだけだった。
まだ風が強い。
カイルアに行くと、ここも人が少ない。
平日の朝と言う事もあるが、やっぱりこの風が原因かな?
それにしてはウィンドサーフィンやカイトサーフィンは多くは無かった。
人は少ないが亀は多かった。
しょっちゅう近くで顔を出していた。
お客さんが海に入って泳いでいる間、私はまた荷物番をしながら読書をしていたが、やはり風が寒くてトレーナーを着込んでいた。
日本人やアメリカ人の観光客も時々やってきたが、泳いでいる人は少なかったようだ。
お客さんも寒くなってきた様で早めに切り上げ、東回りでマカプウやブローホールなどの観光をしながらワイキキに戻った。
夜はワイキキの鍋会に行った。
昨日のお客さんが参加したいと言うことで、一緒に行った。
今日は8名だったが男性が2名だけで、そんな中スキヤキで盛り上がった。
月が丸くなってきた。
4月15日
「太郎」の調子が少しおかしい。
エンジンがかかりにくく、パワーが出ない。
近所の工場に持っていくと、プラグの交換とチューンナップが必要だと言われた。
明日はノースに仕事があるのだが、それを話すと、途中で止ったら面倒ですよと言われ、結局置いていく事にした。
さて困った。
明日の為に車を探さなくては。
あちこちに電話を掛け捲り、夜遅くやっとゲット出来た。
ちょっと小さな車で明日は仕事。
ああ、太郎君、今度は一体幾らかかるんだろう・・・。
4月16日
今日はスカイダイビングツアー。
朝お客さんを迎えに行くと、案の定、「ジュンさん今日は車どうしたの?」と。
小さな車だが、お客さんは二人だけだったので良かった。
朝早くにはシャワーもあったが、晴れ間は広がり、モクレイアからも中止などの連絡は無かったので出発した。
H-1フリーウェイ沿いにはあちこちでマンゴーがぶら下がり、段々大きくなってきている。
H-2をワヒアワで下りると、ジャカランダの紫色の花が目を引いた。
ほぼ満開状態で、お客さんたちも車内から写真を撮っていた。
パイナップル畑を越えるとノースの海に波はほとんどなさそうだったが、多少雲がありスカイダイビングは時間がかかりそうな予感がした。
モクレイアのディリンハム・エアフィールドに到着すると、小さなセスナでのろのろと営業しているS社の前にはお客さんが大勢いたが、パシフィック社の前は静かだった。
車を止めて中に入ると、久しぶりだったせいもありスタッフ皆に歓迎された。
ここも朝一番のお客さんがいたが、既にジャンプが終わってワイキキに帰ってしまったという事だった。
私のお連れしたお客さんの準備ができると、すぐにインストラクターがパラシュートを持ってスタンバイ。
いつのまにか空には晴れ間が広がり、コンディションも最高。
あっという間に空に飛んでいった。
私が地上で待っている間、スタッフと色々おしゃべりしていると、昨日は日本の芸能人で、1000人以上ものファンを連れてハワイに来ているGと言う人がスカイダイビングにやってきたそうだ。
日本人スタッフには印象が良かったようだが、インストラクターの評判は悪かった。
どうやらチップを渡さなかったらしい・・・。
どんなに日本で有名でも、アメリカ人のイントラにとっては一人のお客さん。
リムジンでやってきても、マナーを忘れてはまずい。
でも本来は一緒に来たガイドかコーディネーターが気を使うべき。
1000人ものファンには内緒でスカイダイビングに来たのだが、ファンが4人だけ偶然飛びに来ていたらしい。
一番得したのはそのファンの様だった。
そんな話をしているとお客さんが戻ってきた。
余程楽しかった様で、ナチュラル・ハイだった。
記念に撮ったオプショナル・ビデオの編集を見ていると、空でも大はしゃぎしていらした。
11時過ぎにはすべて終わり、ハレイワに移動。
クアアイナのハンバーガーを食べたいと言うリクエストだったので、店の前に車を止め中に入る。
この時間にしては空いていて、アヴォガドもまだあった。
トゥーゴーしてアリイビーチパークに行って食べる。
巨大なハンバーガーに満足の様だったが、食べ終わる頃になってぽつぽつとシャワーが流れてきた。
とりあえず移動しようと準備している間にも雨は激しくなり慌てて車に逃げ込む。
マツモト・シェイブアイスの前に車を止めて、お客さんが中を見ていると、スタンが現れた。
何だか久しぶり。
私も最近ノースに来る回数が減ったが、ここの店にも今日は行列は無かった。
スタンと立ち話をしている間に雨が上がり、お客さんに集合場所を案内して一時解散にした。
ハレイワの街に観光客は少なかった。
私はノースショアMPで読書。
集合時間を少し過ぎた頃にお客さんが戻ってきて、「もう少し時間下さい!」と。
スタンに捕まっていたのかと思ったら、サーフショップ、ストロング・カレントの店主ジョンに捕まっていたそうだ。
ノースショアのオヤジは皆暇らしい・・・。
ポリトレなどで買い物を済ましたお客さんが戻ってきて、ドール・プランテーションに移動。
普段のサークルアイランドに比べれば早い時間に岐路に着いたが、H−1フリーウェイは既に渋滞が始まっていた。
お客さんを降ろして、借りた車を掃除して返しに行くと、「太郎」の修理が完了したと工場から電話が入った。
太郎君またお金がかかった・・・。
夜は満月がとても明るかった。
4月17日
最近銀行によく行く。
家から歩いて3分の所にあるこの銀行は、私がハワイに移ってきてから10年使っているところで、前は違う名前の銀行だったのだが合併で今の名前になった。
と言っても中で働いている古株連中はほぼ昔から一緒で、若い行員達も既に全員が顔見知り。
忙しい時間だと、並んだテラーの前に行列ができるのだが、時々全くお客さんがいないなんて言う時もある。
会社のアカウントで話をしに行ったりが続き、足りない書類があって一日に2度も3度も行く事があり、「あら、まだ居たの?」なんて声をかけられることもある。
イースター用の飾り付けもあちこち剥がれていたり、後ろの方で行員同士が大笑いしながら話していたりもする。
日本の銀行のような硬い雰囲気は全く無い。
キング・ストリート沿いのレインボーシャワーも少しづつ花が咲き出していた。
今日はダイアモンドヘッドクラブのホームページの「お客様の声」のページをオープンさせた。
いくつも送っていただいた方や、かなりの長文を書いてくださった方もいらしたが、採用されなかった方も本当にありがとうございました。
ツアー中にもサイン帖に感想を頂いているし、ご帰国後に感想メールを頂く事もあるが、今回はホームページに参加していただくと言う事で、ペンネームも含め色々考えて書いてくださったようで嬉しい。
これからも引き続き感想文は募集いたします。
旅行記やツアーの感想を個人ホームページに載せている方も、リンクをして行きたいと思う。
夜風が気持ち良い。
4月18日
今日はマキキ・ヴァレー・ループトレイルへのトレッキング。
昨日夕方にシャワーがあったので、トレイルの状況が少し心配だったが、風も調子良く吹いているし、お客さんも山歩きは慣れているとおっしゃるので、とりあえず登山口まで車を走らせた。
コオラウ山脈に少しかかっていた雲もどんどん無くなり、パーキングはすっかり乾いていたので、山に入ることにした。
ここは特に今の時期、それほど花は多く無いのだが、それでもお客さんは小さな野花を見つけては、日本の花と比較したりしていた。
カネアロレ川の水量は普段より多く、せせらぎの音もはっきり聞こえた。
ククイの木の下で実を説明すると、とても興味深げに観察していらした。
2本目のトレイルに入るとパラパラと降ってきたので、雨合羽を渡す。
一応被ったがこの時はそれほどでもなく、すぐ止んだ。
一箇所だけストロベリー・グアヴァが既に実を付けている所がある。
まだ青いその実を一つとって、お客さんと一緒に味わう。
すっぱい。
真っ赤なマウンテンアップルの花が増えてきた。
白いローズアップルの花もまだある。
タコノキの花もずいぶん咲いてきた。
そして山肌を覆うようにオレンジ色のシルク・オークの花が目立ってきた。
3本目のトレイルに入る前でスナック休憩。
ここからの下りが一番足に来るのだが、下り始めたらシャワーが来た。
いつのまにかグレーの雲が頭上を覆っている。
皆慌てて合羽を被り、注意深くゆっくりと山を下る。
お客さんはあまり雨を気にせず、おしゃべりしながら楽しそうに下りている。
アラモアナ方面が見えてくる頃にはシャワーも上がり、尾根を伝ってくる風が気持ち良かった。
パーキングに戻る頃には、汗と雨で少し濡れたシャツもすっかり乾いていた。
そう言えば今日のお客さんは、雑誌でダイアモンドヘッドクラブを見つけたと言っていたが、「るるぶ」ではないらしい。
「太郎」だけでなく、会社も私の知らないところで出てるのかな?
4月19日
イラク戦争はイラク軍、サダム親衛隊、共和国防衛隊など、恐れられていた抵抗も反撃もほとんど無く、アメリカの圧倒的軍事力であっけなく全土をほぼ制圧してしまった。
治安の悪化や博物館からの略奪など、お粗末な状況もあったが、イラクは既に国の再建に向けて動き始めていいる。
ただ、(今回もまた)一番のターゲットは捕まっていない。
それどころか、戦争の大義名分だった大量破壊兵器もまだ見つかっていない。
アメリカは、「イラクが大量破壊兵器を隠し持っていると言う証拠を持っている」と言って戦争を始めた。
きっとCIAがスパイ衛星などを使って、その場所などを特定しているのだろうと思っていたが、一体どう言うことなのだろう?
今後1000人規模の捜査隊を派遣して、全土を隅々まで探すと言っているが、いろいろな疑問は残る。
サダムは本当に生きているのだろうか?
大量破壊兵器を持っていたのなら、何故使わなかったのだろうか?
アメリカはシリアやイランに対しては軍事行動を起こさないと、今は言っているが、イラクで何も見つからなかった場合に、果たしてどう動くのか?
更に北朝鮮との話し合いも来週始まる。
アメリカにはネオコンと呼ばれる、軍事産業に深く関わりのある政治指導者たちが多い。
戦争をすると彼らが儲かる仕組みなのだが、このままではアメリカと言う国自体が権威や信用を失い、株が下がって意味が無いような気もしてきた。
アメリカに対するテロの危険性が低くなったとは思えないが、警戒レベルは下げられた。
全く予約の入っていなかったGWも少しづつお問い合わせが来るようになった。
さて戦争の他に心配なのがSARS。
ハワイでも症状を訴えて検査を受けた人が数人出ているが、いずれもシロと断定されている。
しかし新型肺炎SARSの患者がダウンタウンのチャイナタウンで数人発生したと言う事実無根の噂が流れた。
このため感染を恐れて客足が遠のき、ダウンタウンのビジネスは困難に直面してるそうだ。
この事を知ったリンダ・リングル州知事が、悪い噂を払拭しようと、ランチタイムに州の政府幹部12〜3人を連れてチャイナタウンのレジェンド・シーフード・レストランに飲茶を食べに行ったそうだ。
日本でも狂牛病やO−157が問題になった時に、大臣が焼肉屋に行ったりカイワレサラダを食べたのと同じかもしれない。
ハワイ系の掲示板では、このSARS対策について色々心配されている方も多いようだが、ハワイでマスクをしている人は見たことが無い。
病原菌もこの貿易風で飛ばされてしまうのかもしれない。
ただ、お客さんからは、日本の空港や飛行機の中ではマスクをしている人がいたという話は聞く。
ハワイは今のところ戦争も病気もありません。
4月20日
ハワイ州の衛生局が、2年に一度高校生を対象に行っている喫煙、飲酒、ドラッグの使用に関する最新の調査結果によると、喫煙は、1996年以来21%減少し、飲酒は1987年以来、12%減少していることが判明した。
これだけ見ると、健康志向は若者にも進んでいるのだなぁと思ってしまうが、ドラッグは、クリスタルメタンフェタミン(通称アイス、覚せい剤)の使用が1989年以来半分に減少した他は、エクスタシー、ステロイドなどのクラブ・ドラッグの使用が増えているそうだ。
日本で高校生の覚せい剤使用に関する調査が行われているかどうかは不明だが、ハワイではとりあえずこれは半減したらしい。
ただ他のドラッグが増えて、単に嗜好性が変化しただけの様にも思われる。
日本からのニュースでも、最近の高校生がドラッグに手を出すと言う話は聞くが、昔のように「人間辞めますか?」のような公共広告は存在しているのだろうか?
アメリカでは学校でちゃんとドラッグについて教育もされるし、中毒または中毒になる恐れのある生徒に対してはトリートメントが行われる。
高校生の頃に遊び半分でドラッグを試す人は多いようだが、身体に悪い物だと言う事はちゃんとわかっているので、大人になると少なくなる。
しかしハワイ州衛生局では、現在ドラッグ・アブユーズ・トリートメントが必要なハワイのティーンエージャーは、約1万1000人と見積もっているそうだ。
さて、NBAのプレイオフが始まった。
レイカースはまず一勝。
4連覇目指して頑張るぞ!
4月21日
今日はマキキへのトレッキングの予定だった。
昨晩シャワーがあったが、風が強かったので、上手く乾いてくれれば良いなぁと思っていたのだが、お客さんをワイキキにお迎えに行く時にもまた降ってしまった。
とりあえずマキキは中止と言う事で、代わりにマカプウに変更になった。
ダイアモンドヘッド・ロードに出ると、海にはそれほど白波が見えなかったので、クジラが出てくることも期待した。
カハラではピンク・シャワーが満開に近づいていた。
カラニアナオレ・ハイウェイ沿いにも実をぶら下げたマンゴーが増えてきた。
ニウヴァレーのゴールドツリーの花はそろそろお終い。
明日の定休日を前に、ハナウマ湾は混み合っている様だった。
マカプウは雨の心配はなさそうだったが、ハイカーの車は少なかった。
イリマの黄色い花が増えていたが、ここの草花も後僅かの命。
夏になればほとんど雨が無くなり、草が枯れて茶色い草原となってしまうのだ。
サボテンの花が咲いていた。
彼らはこれからの乾季にも問題ない。
島の東端のここはさすがに風の影響で白波が多く、クジラは結局見えなかった。
今年は既にアラスカに帰ってしまったのかな?
途中20人ほどの人にはすれ違ったが、頂上展望台に到着すると回りには誰もいなかった。
お客さんをワイキキでドロップした後、家に戻ってシャワーを浴びてからダウンタウンの役所に行ったり銀行に行ったり慌しかったが、夜は久しぶりにゆっくり飲んだ。
今週はメリーモナーク・フラ・フェスティバルが始まる。
詳細は会社のHPのオアフ情報(オアフ島では無いが)に載せている。
ハワイのローカルTV局、KITVでは今年もインターネットでライブ中継をする。
http://www.thehawaiichannel.com/sponsors/hulafest/
24日の午後6時(日本時間25日午後1時)から、ミス・アロハ・フラのコンペティションが始まる。
4月22日
風は少し収まった。
しかしよくシャワーが降る。
一体雨季は明けたのだろうか?
何だか愚図ついた天気が続いている。
しかし街のレインボーシャワーは徐々に花を付け始め、プルメリアはどこも満開。
マンゴーの実も大きくなり始め、シーズンが待ち遠しい。
戦争は落ち着いてきたがSARSの影響で、観光客の足は遠い。
ワイキキも目立つのはアメリカ人ばかり。
今年のゴールデン・ウィークは平日を挟んでいて、まとまった休みを取りにくいそうだが、寂しい連休になりそうだ。
4月23日
夕方から友人のクロちゃんが遊びに来た。
彼女は2月から仕事でタイに6週間と日本に3週間行っていた。
久しぶりだったがとても元気そうで、この夏からしばらくタイで生活する事になると話してくれた。
彼女は私と撮影やイベントの仕事で何度か一緒になっている。
だが彼女の本当の仕事は「瞑想」のマスターで、タイでもこれから瞑想の先生になる人たちを教えていたのだそうだ。
イラクの戦争中は世界的に空気が乱れていて、瞑想と祈りばかりの生活だったそうだが、彼女のいたタイの北部、チェンマイの話を聞くとハワイよりもはるかに平和そうな場所だった。
夏からのタイでの生活は数年間にはなるらしいのだが、「タイに遊びにおいでよ」と言われて、かなり本気になってしまった。
しかし最後にクロちゃんも「でもやっぱりハワイはいいなぁ」と言っていたので、安心した。
4月24日
マキキへトレッキングツアーに行った。
昨晩何度かシャワーがあり、朝もコオラウ山脈には少し雲がかかっていたが、ジャングルを歩きたいと言うお客さんは、シューズもしっかりしていたので、マカプウに変更せずマキキに向かった。
トレイルに入る前に雨合羽を渡し、足元に気を付けながら進むように注意を出した。
しかし今日も近所に住む軽装のローカル・コリアンとすれ違う。
中には傘を持って山を降りてくるくる人もいたが、ちゃんと合羽を持っている我々はこれを見て少し安心した。
カネアロレ川のせせらぎの音も気持ち良く、マイナス・イオンたっぷりの森の中からは、絶え間なく鳥の鳴き声が聞こえてきた。
やはり途中で何度かシャワーに遭い、トレイルもかなりぬかるんでいる箇所があったが、スナック休憩のトレイル分岐点に着くと、乾いた風が吹いていた。
マウンテン・アップルやローズ・アップルの花を見ては、お客さんも喜んでくださった。
汗はかいたが、私はあまり水を飲まなかった。
最近はここを歩く機会も多く、ペースが随分慣れてきたのかも知れない。
実は今日のお客さんも「るるぶ」以外でダイアモンドヘッドクラブを見つけられたそうだ。
ダイアモンドヘッドクラブの日本のスタッフに調査を依頼した。
夜は友達の大ちゃんの家に遊びに行ってディナーをご馳走になった。
今日はメリーモナーク・フラ・フェスティバルで「ミス・アロハ・フラ」コンペティションが行われ、皆でこれを見ながら楽しい時を過ごした。
日系人のダンサーが多く、今年も日系人が優勝した。
尤も日系人と言っても、日系の血が混ざっていると言う感じで、日本人には見えない。
風が強くなって少し肌寒いほどだった。
4月25日
アメリカでは、ハワイで生活するのは経済的に大変高くつくことが知られている。
日本人だけではなく、アメリカ人にとっても気候の良いハワイでリタイアするのは夢。
しかし年金は日本に比べて低く、物価は全米でもかなり上位の高さで、決して住み易いとは言えない。
今年出された報告書によると、ハワイでの生活に必要な「最低生活費」は、連邦政府が設定している貧困ラインよりも3倍も高い事がわかった。
ハワイでは3人家族で年間17,500ドル(約210万円)を稼いでいなければ貧困とされている。
しかし多くの人は、家族が生活できるだけの給与を稼いでないともしている。
では何故ハワイはこんなに平和な雰囲気に包まれているのだろう?
ホームレスが増えたり、軽犯罪が増えているのは事実だが、人々の物欲が少ない。
自然と遊べば、お金はかからない。
人間が原始時代に近いのかもしれない。
本当はこれでは経済活動は滞ってしまう。
でも今日も貿易風が気持ち良い。
4月26日
一昨年の9.11の後に始めた「KTファンツアー」は、ツアーの仕事がなかなか入らない時にダイアモンドヘッドクラブを救ってくれた。
以来KTファンにはすっかりお世話になっているのだが、KTやスラッキーも撮影のコーディネーターなどとして使ってくれて、兄弟愛を感じている。
そこでやはり私が撮影場所をコーディネートした今年のKTカレンダーでツアーを作る事は、前から企画していたのだが、ルートや内容が煮詰まってきたので、試験ツアーを行ってきた。
このカレンダーの事をよくご存知では無い方のために説明すると、オアフ島内の12ヶ所で「ALOHA」と言う文字をテーマに撮影した。
ほとんどは実際に「ALOHA」と言う文字が看板などに使われている場所で、その文字を背景に混ぜながらのKTのショットだが、アロハ醤油とアロハ納豆を持ってKTがニッコリしているなんて言うカットもある。
このニッコリしている場所も含めて、全ての「ALOHA」な場所を巡るのが今回の「KTファンツアー2」である。
今回もKTファンで無い人にはあまり興味を持たない場所かもしれないが、島の各地で撮影をしたのでオアフ観光のツアーとしては十分に成り立つと思う。
実は一ヶ所だけ他の場所とは離れたポイントがあり、そこをどうするかで随分悩んだのだが、ここを入れて一日で回る事は無理があるので削り、11ヶ所を回るツアーにした。
しかし翌日にその残りの一ヶ所に行くコンプリートツアーも用意して、これはご希望の方に参加していただく形にしたのだ。
さてカレンダーの撮影はワイキキも含まれているのだが、ここは車内から説明をする事にして、カパフルAve.に入る。
普通のツアーでは絶対に止らない場所で連続して止り、写真も撮った。
天気は良く、風も気持ちが良い。
H−1フリーウェイに入ると、土曜にしては混んでいた。
パリ・ハイウェイで降りて北に向かう。
マキキ・ヴァレーの西側の住宅街、ダウセット・ハイランズに入って行く。
この辺りは道が入り組んでいてとてもわかりにくい。
そう言えば実際のカレンダーの撮影の時も随分迷った。
ここでは私がKTの真似してホームページ用の写真を撮った。
パリ・ハイウェイを戻ってダウンタウンを抜け、カリヒへ。
また私がKTの真似してから、ニミッツ・ハイウェイに入り、ホノルル・エアポート付近で2ヶ所。
ここまで予想した時間より若干早めに回っていたが、実際のツアーではお客さんの数も増えるし、大体ちょうど良い。
そしてここからノースショアに向かう。
ワヒアワのパイナップル畑を抜けると、ノースも良いお天気だった。
ランチはノースの公園で食べると言うパターンは残したいのだが、L&Lのプレートランチではなくて、ハレイワのえび屋台、「ジョバンニ」のシュリンプ・スキャンピを試してみる事にした。
サークルアイランドやノースショアツアーで、お客さんがジョバンニでランチを食べたいと言うリクエストはあるのだが、そういう時は屋台にご案内して、私は別の場所で食べていた。
実は数年前にここのニンニクたっぷりのエビを食べてお腹を壊した事がある。
ノースに住むローカルの友達は「不衛生だから食べない」と言っていたが、今までお客さんがお腹を壊したと言う話は聞いた事が無い。
実際に久しぶりに食べてみると、お腹は壊さなかったが、出て来るまでに時間がかかるのと、やっぱり基本的に観光客相手なので値段が高い。
先日市販されている「ジョバンニ」のソースを使って、家で同じようなシュリンプ・スキャンピを作ったのだが、味は全く同じだった。
と言う事で、やっぱりL&Lの勝ち。
ただ、今までの3種類のメニュー・チョイスから、4〜5種類に増やしたいとは思う。
3種類とも食べた事があるお客さんもいるし、実際にはL&Lにはもっと沢山メニューがあるのだが、自信を持って「美味しい!」と推薦できるのを探すのは大変である。
食後は公園で少しゆっくりした。
家族連れが数組休日を楽しんでいた。
その後ノースショアを北上して、サンセットビーチでも少し休憩。
波はほとんど無く、泳いでいる人が多かったが、観光客の数は少なかった。
ツアーの予定では、最後にハレイワで散策時間を取る予定だが、ここまでで既に11ヶ所を回っているので、下見は終了。
我々は街に戻り、パールリッジに寄ってサーキットシティ、アラモアナにも寄ってシアーズを覗いて帰ってきた。
戻るとすぐに写真を編集して、「KTファンツアー2」のページを作りホームページにアップした。
今年のカレンダーのツアーなので今年一杯にしたかったが、GWから始めるのでその後一年間と言う限定にした。
お土産を付ける事にもした。
実は他のオリジナルツアーでもお土産を付けることを企画している。
その名も「終戦記念企画」。
イラク戦争が終結したら、その記念にちょっとしたハワイ土産をプレゼントする事にした。
KTファンツアー2のお土産は二つ。
一つはKTカレンダーの中で撮影に使われたものと同じ物。
もう一つはKTが持ってきたもの。
後はナイショ。
お客さん来るといいなぁ。
4月27日
風が弱くなって蒸し暑い。
外に出たかったが、レイカースのゲームが早かったので家で応援。
夕方になってから明日のツアーに備えて洗車に行った。
散歩に行ったり洗車に行ったり、私が仕事以外で出かけるのは、日曜日が多い。
銀行に行く日は毎月パターンがある。
さて先日ダイアモンドヘッドクラブの日本スタッフに調査を依頼していた、「るるぶ」以外の旅行雑誌がわかった。
やはり「るるぶ」と同じJTB出版の「ワールドガイド・ハワイ'03」と「オアフ・ホノルル'03」と言う事らしい。
そう言えば「ワールドガイド・ハワイ」は前に取材があった。
本当はこう言う雑誌は、取材があった場合は発行前にサンプルを送ってくれるのだが、どうも届いていない。
スタッフに頼んで送ってもらう事にしたが、早く見てみたい。
夏は忙しくなるといいなぁ。
4月28日
風が止った。
湿度も上がってきた。
しかしお天気はよい。
今日はサークルアイランド。
ワイキキには2フィート、ダイアモンドヘッド沖には3フィートほどの波が上がっていて、平日の朝からサーファーが多かった。
ワイアラエ・カントリークラブ裏手のピンクシャワーが満開に近づいている。
カラニアナオレ・ハイウェイのレインボーシャワーは一分咲き。
しかし両側のプルメリアはどこも満開である。
休みの前の日だと言うのに、ハナウマ湾はパーキングも空いてた。
ゴールデンウィーク中とは思えない。
風が無いので海は穏やかで、クジラが潮を吹けばすぐに見つけられそうだったが、その気配はどこにも無かった。
サンディービーチは2〜3フィート。
ブギーボーダーよりも、道具を使わずに波に溶け込むボディーサーファーが多かった。
マカプウ岬を回りマカプウビーチのルックアウトに止める。
干潮に近く、水は更に透き通っていて、人が少ないのが勿体無いほどだった。
ここまで来ると緩やかな貿易風が感じられた。
ベロウズビーチで休憩。
エメラルドグリーンの海は陽の光を煌めかせ、白い砂が目に眩しかった。
人は少なく、お客さんも感激されていた。
曙のお母さんの店では、アンティー・ジェンも暇そうで、「しばらくは我慢だね」と言っていた。
ワイマナロ・ショッピングセンターの駐車場で、次に出発しようとしたら。「JUN!」と声をかけられた。
見ると、どこからどう見てもハワイアンのローカル女性。
だがすぐには誰だか思い出せなかった。
近付いてくる人懐こい笑顔を見て「ホク?」と聞くと、「そうよ、ホクよ!」と答えてくれた。
彼女は、私が数年前に時々仕事をしていたコレア牧場のインストラクターのガールフレンドで、私と誕生日が一緒だったのでお互い印象が深かった。
昨年も一度、うちの近所のタイムスでばったり会った事があるのだが、その時とは何かが明らかに違っていて、すぐには思い出せなかった。
実は彼女、昨年まではかなり大柄だった。
恐らく体重は3分の1位になっていたと思うが、それでも日本人だったら今でも大柄。
びっくりした。
「水曜の夜にワイマナロ中学校の体育館で、子供のフラ教室があるから、暇だったら見に来てね。」と言われたが、「美味しいポーチュギース・ソーセージが食べれるわよ!」とも言っていた。
どうしてあんなに痩せたのだろう?
さて、我々はカネオヘを抜けて次のクアロアパークへ。
東側も天気は良く、雨の降る気配は無い。
クアロアの風は爽やかだった。
今日も多くの鳥が集っていた。
その後は海沿いを走って北上。
プナルウの海もイイ色が出ていた。
ハウウラのKFCは本当に潰れたようだ。
今日はお客さんから、ゴート・アイランドを見てみたいというリクエストがあったので、ライエのフキラウビーチに寄る。
風が弱いのでカイトサーファーはいなかったが、ビーチゴーアーは普段の3倍ほど。
30人近いローカルがビーチにいた。
カフク、タートルベイを回ってノースショアに入る。
サンセットビーチには3〜4フィートの波が出ていたが、ビーチの観光客は少なかった。
一方ワイメアはローカルで賑わい、飛び込み岩から次々とジャンプを見ることが出来た。
ただ路肩のシュガーケインが伸び放題で、ビーチがよく見えない。
早く刈ってくれないかなぁ。
ハレイワでまずアリイビーチパークに寄る。
ここには2〜3フィートの波で遊ぶローカルが多く、ビーチも混んでいた。
ジョバンニでランチを食べたいというリクエストだったので、ご案内して一時解散。
私はいつものL&Lでランチ。
久しぶりだったのでここの店員にも「元気にしてた?」と聞かれた。
マツモト・シェイブアイスでピックアップだったが、ノースショアMPの木陰で休憩。
ストロングカレントにステッカーを買いに行こうと歩いていると、クアアイナの前でノリちゃんと会った。
彼は今日はチャーターで回っているらしい。
MPに戻って「太郎」にステッカーを貼って、マツモト・シェイブアイスに回す。
ここもいつものような行列は無く暇そうだった。
お客さんがシェイブアイスを食べ終えて出て来ると、ドール・プランテーションに移動。
唯一ここはアメリカ人観光客を中心に人が多かったが、従業員に話を聞くとやはり暇だそうで、売上はかなり落ちているのだそうだ。
ワヒアワのジャカランダは既に大分散ってしまったのもあるが、今が満開のもあり、とても美しかった。
帰りのフリーウェイは途中まではかなり空いていたのだが、ダウンタウン近くから混みだし、シャワーも降ってきてかなり詰まった。
マキキの手前で事故車3台が2車線を塞いでいた。
ワイキキに戻るとすっかり雨も止んでいたが、夜は蒸し暑くなりそうだった。
さてその夜はワイキキの鍋会に出た。
人数は6人と少なかったが、スキヤキを囲んで楽しく飲んだ。
やはり蒸し暑い。
4月29日
ワイキキのサーフショップ兼両替屋さんで殺人事件が起きた。
殺されたのは店員の日本人の女性。
押し込み強盗ではなく、顔見知りの犯行だったらしい。
数ヶ月前から店に出入りして、ビジネスの話をしていたようだ。
最初から犯罪を犯す目的で近付いたのかどうかはわからないが、現金を奪っている所で警察に現行犯逮捕された。
ちゃんとニュースにもなった事件なのだが、殺されたのは私の友達の知り合いだった。
直接の知り合いではなかったが、ご冥福をお祈りしたい。
ワイキキはやはり怖い場所だ。
最近聞いた話では、ワイキキビーチでのマッサージ・ナンパ師。
ビーチで寝ている女性の足元にやってきて、いきなり足のマッサージを始めるらしい。
女性が驚くと名刺を出し、プロのマッサージ師だと言って、片方だけサービスだと、一方的に揉んでいくらしい。
もう片方もマッサージして欲しい場合は有料で、名刺に書いてある電話番号に連絡をくれと言うのだが、ナンパだか詐欺だかわからない。
夜になると現れる大道芸人の中にも悪い奴は多く、一緒に写真を撮ったりしようものなら、5ドルから10ドルのチップを要求したり、記念撮影の際に女性の身体に触ったりするのも多いそうだ。
全盛期は過ぎた感のあるシルバーマンだが、先日ワイキキで見て驚いたのは、道路に大の字になって寝て、片足だけ持参の椅子の上に乗せているだけ。
立ったままじっとしているだけでも、中学生並みの芸だと思っていたが、あれじゃ寝てるだけ。
パフォーマンスでも芸でもなんでもない。
東京都の石原知事がやったように、大道芸人にはちゃんと審査をして、ライセンスを発行した方が良いと思った。
風が弱く蒸し暑い。
4月30日
カイルアビーチへのビーチピクニック。
風は弱いが良い天気だった。
行きはパリハイウェイを使ってコオラウ山脈を越えた。
東側も天気は良かった。
カイルアビーチも風は弱く、ウィンドサーフィンやカイトサーフィンの姿は無かった。
ビーチも人は少なく、いくら平日でも寂しい感じだった。
しかしその後少しづつやって来るのは日本人か中国人の観光客で、我々の周りも聞こえてくる言葉ですぐにわかった。
相変わらず真白い砂にグリーンの海はとても美しく、すぐにでも海に飛び込みたい感じだったが、今日のお客さん達はのんびり型で、アイアンツリーの下に引いたラグの上に転がっての読書三昧だった。
ジップパックのプレートランチを仕込みに行った時以外は、私は荷物番とセキュリティーも兼ねているので基本的にお客さんのそばにいた。
私も時々海に顔を出す亀や雲を見たり、風をチェックする以外は読書。
考えてみればワイキキからカイルアビーチに来て、ひたすら木陰で読書と言うのも贅沢だなぁと思った。
今日は友人から紹介のお客さんで、事前に目的など伺っておらず、カイルアのリクエストと言う事で海遊びの準備ばかりしていた。
静かに読書ならラニカイやワイマナロの方が良かったかなぁとも感じた。
帰りにカネオヘのロスドレスを覗いてみたいというリクエストがあったので、少し早めにビーチを引き上げてカネオヘ半島を越える。
ロスで少し時間を取った後は、再びカイルア方面から島の東を回ってワイキキに戻った。
やはりワイマナロも綺麗な色だった。
夕方、夕焼けも綺麗だった。
