ハワイ日記2003年2月



2月1日

朝、最初に知ったのはスペースシャトル「コロンビア」の事故。

CNNをつけると、このニュースばかりを報じていた。

17年前に、「チャレンジャー」が発射直後に爆発した事故を知った時の事を思い出した。

当時、LAの郊外のレストランで働いていて、夜型の生活をしていた。

その日は休みで、昼過ぎにゆっくり起きると部屋の掃除と洗濯などの家事をしていた。

ルームメイトとシェアしていたアパートにはテレビは無く、ラジオはあったのだが、その日はレコードかカセットテープで音楽を流していた。

あっという間に夜になり、ルームメイトが働いているレストランのバーに飲みに行った。

するとバーの天井近くにぶら下がったいくつものテレビモニターに、何度も何度もスペースシャトルの爆発シーンが流れていた。

バーのスタッフもお客さんも既に何度も見ている映像なので、店内は極めて冷静。

私は最初、映画の予告編か実験の様子なのかと思っていたのだが、それが本当に起きた事故だと知り、大勢の人の中でショックを受けた。

その時に私が感じたのは、「やはり宇宙は遠い」と言う事だった。

その後宇宙ステーションが建設されるようになり、(大金を出せば)宇宙旅行にも行けるようになった。

私の密かな目標は、宇宙旅行で最初のツアーガイドになる事だった。

あれからちょうど17年が過ぎた。

そして「コロンビア」の事故。

やはり宇宙はまだ遠い。

合掌。

2月2日

サークルアイランドツアー。

コオラウ山脈には少しグレーの雲がかかっていて、島の裏側の天気が心配だったが、マキキ、ワイキキは快晴だった。

ワイキキにはほとんど波が無かったが、カヌーズにはホームで電車でも待っているかのように、大勢のサーファーがいた。

ダイアモンドヘッド沖には2〜3フィートのサイズがあった。

日曜と言う事でやはり混んでいた。

ハナウマ湾の入り口を過ぎると静まり返った海が開けた。

クジラを探すには良いコンディションだが、その気配すらない。

サンディービーチは人が少なく、砂がきらきらと輝いていた。

マカプウ岬を回る。

白いラビット・アイランドが青く澄み切ったマカプウの海に浮かんでいる。

ウィンドワード・サイドもお天気は良さそうだ。

ワイマナロのビーチにラグを引いてジュース休憩。

今日もエメラルドグリーンの海は平和そのものだった。

曙のお母さんのお店はクローズだったので、曙の銅像の前で記念写真だけとって移動。

気温は上がってきたが、車内に吹き込む風が気持ちいい。

日曜だがクアロアパークは静かだった。

今日はアロハ・スタジアムでプロ・ボウルが行われている。

昨日まであちこちにいたアメリカ人観光客の姿はほとんど無く、観戦に行っているのだろう。

ローカルもテレビで観戦している人が多いのかもしれない。

プナルウ、ハウウラの海も深く澄んでいた。

ライエ、カフクと過ぎて、タートルベイを回る。

ノースも今日は波が静か。

サンセットビーチは海水浴場のようになっていた。

ワイメアでもクジラを探す。

そろそろ諦めかけた時、沖に潮吹きを見つけた。

お客さんも全員見ることが出来た。

子クジラが潮を吹いていたようだ。

ハレイワに入り、アリイビーチパークでランチ。

緩やかな風の中、ここも今日は人が少なかった。

食後はハレイワ・タウンで自由時間。

マツモト・シェイブアイスの前でお客さんをドロップすると、ちょうどスタンが出てきた。

しばらく立ち話してノースショアMPに移動。

ガラス細工のOIGの前には「従業員及び職人見習募集」の看板が出ていた。

相変わらずここのクラークは次々に変わるが、前にいた職人ももう辞めてしまったようだ。

ドール・プランテーションも今日は人が少なかったので、裏の池のピラニア君たちはかなり飢えていた様で、お客さんがえさを買って与えると、皆で池の外に出て来そうなくらいの勢いだった。

帰りのフリーウェイでは、やはりアロハスタジアム周辺での渋滞を恐れていた。

ところが目立った渋滞も無くレッドヒルを越え、ダウンタウン付近では少し詰まったが、ほぼ時間通りにワイキキに戻る事が出来た。

風は弱いが一日良いお天気だった。

2月3日

既にインターネット上では話題になっているが、昨年末に突然ツアーがキャンセルになった旅行会社で、再び事件が起きている。

ハワイへのパックツアーなどを扱っていた日本の旅行会社(B社)が、社長の逮捕と言う事態で営業を休止してしまった。

昨年末はグアムの台風やバリのテロの影響で、ハワイへの正規料金でのチケットを求めた人が急に増え、ディスカウントを扱っていたこの会社に申し込んでいたお客さんのツアーが大量にキャンセルされる事態が起き、お金を払ってキャンセルされた人には返金される予定だった。

返金の際には違約金も一緒に、1月末に振り込まれる形を取っていたらしいが、その返金前に社長逮捕である。

逮捕容疑は5年も前の、社長が前の会社にいた時の詐欺なのだが、社長が不在の為に返金の手続きなどが行われず、結果的に年末のキャンセルについても詐欺の疑いがもたれている。

年末の事件があれば、普通の感覚なら色々と疑ってしまって、以降のツアーの申し込みは控えそうな物だが、この先GWや夏休みだけでなく、既に年末のツアー予約をして既に入金までしていた人たちがいた。

実際にはこれまで格安で旅行が出来た人がいたので、B社を信じ、中には友人知人にまで紹介して、大金を持っていかれてしまった人もいたらしい。

自転車操業で営業していたらしく、一部を除いてはほとんどお金が戻ってくる可能性が低いそうだ。

被害者は千人単位にもなるそうで、もう一度自分でお金を払ってハワイ旅行を手配する人もいるようだが、大半の人は旅行を諦めてしまっている。

つまりハワイに来る日本人が一時的に減ってしまう訳で、ハワイの旅行業界全てが被害者でもある。

まだ航空会社が値段を発表してもいない、一年も先のチケットを割安で販売している事自体、少し旅行の知識があればおかしいと気付くはずなのだが、からくりもわからずに宣伝したり、友人知人に勧めてしまった人は後悔の念に苛まれている。

インターネットを使って商売をしていた会社なので、インターネット上の情報に対しても不信感が広がる。

法整備は勿論だが、利用者側も知識を付けていかなくてはならないと思う。

2月4日

朝はホノルルエアポートにスラッキーを迎えに行った。

天気は快晴、穏やかな貿易風が吹いていた。

ワイキキのホテルに荷物を置くと、早速泳ぎたいと言うスラッキーをワイマナロに連れて行った。

東回りで向かったのだが、ハナウマ湾を過ぎるとモロカイ、マウイ、ハワイ島が水平線にくっきりと見えた。

中でもモロカイ島はすぐそこにあるように見え、山肌の緑も観察できた。

途中KENEKE'sでさば定食を買ってベロウズビーチへ。

いつもよりは人が多いようだが、この天気では仕方ない。

ビーチにラグを引いて、さば定食を掻き込む。

う〜ん、美味しい!

スラッキーもかなり気に入ってくれたようだ。

その後のんびりとエメラルドグリーンの海で泳いだり、白いビーチに転がったりして過ごした。

夕方一度ホテルに戻り、今度は「佐野屋」で五目焼き蕎麦をトゥーゴーして、夜はうちで寛いだ。

スラッキーが宮城県の川口納豆と目黒地蔵通り「御門屋」の揚げまんじゅうをお土産で持ってきてくれた。(Big Mahalo!)

共に絶品!

日本には美味しい物がたくさんあるなぁと再度実感した。

2月5日

今日はKTファンツアー。

風は少し東よりだが、お天気は良かった。

今回も長いファン歴のお客さんで、ラッキョウをお土産に頂いた。(ボンジュールさん Big Mahalo!)

カイマナビーチの最初のポイントで記念撮影の後、ダイアモンドヘッド・ロードに入る。

南側の海は今日も穏やかで、クジラを探すが見つからない。

2フィートほどの波にローカルサーファーが数名いた。

カラニアナオレ・ハイウェイを東へ進み、ハナウマ湾を過ぎる。

サンディービーチは波がほとんど無く、ショアブレイクにはサーファーはいなかった。

マカプウの断崖のパークエリアに車を止め、ラビットアイランドを見下ろしながら記念撮影。

マカプウビーチは今日も澄んだ波が打ち寄せている。

ベロウズビーチでの休憩。

最近集めた木の実がちゃんと残っている。

今日は本当に人がいない。

東海岸のお天気も良く、KTサウンドを聞きながら北上し、ライエのフキラウビーチまで走る。

綺麗なビーチには今日も数名のローカルがいただけだった。

タートルベイ・リゾートで休憩の後、ちょうど見頃のコーラルツリーの写真を撮って、例の車の故障現場で記念写真。

最近よくいたフルーツスタンドは見なかった。

サンセットビーチは6〜8フィートほどの波があり、サーファーも多かった。

その中、ビーチを歩く。

KTツアーは体力が要る。

サンセット小学校の前付近は路上駐車で一杯だった。

エフカイビーチに小屋が建てられていて、パイプラインでブギーボードの大会をやっているようだった。

結局ワイメアでもクジラは見えず、ハレイワに入った。

今年はクジラが少ないのかな?

アリイビーチパークでランチタイム。

風が気持ち良かった。

ハレイワタウンで自由時間。

私はゆっくりと読書。

パイナップル畑で写真を撮った後、H−2フリーウェイからH-1に入り、オプションでモアナルア・ガーデンに向かった。

既に下り車線では渋滞が始まっていたが、この公園の中は夕方の静かな雰囲気に包まれていた。

「この木何の木」もモンキーポッドもここは葉が青々と茂っている。

ホワイト・ハイビスカスやバード・オブ・パラダイスも目を引く。

フリーウェイに戻るとやはり渋滞したが、ワイキキに入るとお客さんは「このままもう一度島を一周したいくらい」と、今日のツアーの感想を言ってくださった。

夜は風が巻いてきた。

2月6日

早朝激しい雨が音を立てていた。

今日はマカプウへのトレッキングツアー。

風は昨日とは逆の南西から吹き、ホノルルにはどんよりとした雲が漂っている。

ただ、東の空は若干明るかったので、そのまま支度をして出かけた。

ワイキキに到着すると再び降ってきたが、マカプウ岬のお天気が良い事を祈って出発。

カラニ・ハイウェイでは途中ニウバレーで激しく降ったが、ココ・クレーターははっきりと見え、その先の空も明るかったので先に進む。

しかしハナウマ湾を過ぎても雨が止む気配は無く、諦めムードの中ハロナ・ブローホールで引き返す事にした。

すると右側の海にクジラの潮吹きを発見。

せっかくなのでハロナでクジラの観察でもしようと思い、車から傘を出してお客さんに渡すが、今度は風も強くなり立っているのもやっとの状況。

諦めてワイキキに戻った。

お客さんをドロップした後、カパフルの郵便局でメールをピックアップして家に戻った。

スナック用に買ったスパム結びを食べてランチ。

夕方になって、KTがレコーディングをしているスタジオに陣中見舞に行った。

天気は回復して夕焼けも綺麗だった。

山奥のスタジオに到着すると、レコーディングは順調そうだった。

休憩の時にメンバーの皆さんからCDやお菓子など色々と頂いてしまった。

(MEGUさん、GOTOさん、KAZUYAさん Big Mahalo!)

しばらく見ていたがまだまだ時間がかかりそうと言う事で、スラッキーと先に町に戻り、「魚卓」でディナーをして、うちで寛いだ。

2月7日

今日はすっかり良いお天気になった。

風は西より。

夕方Comp USAとフィッシャーにオフィスの買い物に行った。

帰りに、セントラル・ユニオン・チャーチの庭が大駐車場になっているのを見つけた。

大きな結婚式をやっていたのではなく、入り口に「Parking $4」と言う看板。

H-1フリーウェイの反対側のプナホウ・スクールでカーニバルが開かれているのだ。

移動遊園地が来て、屋台が並び、ローカルが集まる。

私は何年も前に一度行った事はあるのだが、食後一杯引っ掛けてから、ぶらぶらと徒歩でプナホウ・ストリートを歩いた。

歩道も随分混んでいた。

高校生のグループ、カップル、家族連れなど、ローカルが随分と集まっていた。

スクールの敷地内に入ると早速コットン・キャンディーの屋台。

そして奥の乗り物から聞こえてくる絶叫!

数日で組み立ててしまう移動式遊園地の乗り物は、大きなジェットコースターのような物は無いが、数々の絶叫マシーンが揃っている。

屋台はマラサダを始めシェイブアイスなどの甘い物系と、弁当やスパム結び、焼きそばなどのお食事系があちこちに。

大きなテントの中には射的や的当てなどのクラッシックなゲームがあり、リサイクル品や観葉植物のバザールなどもあった。

人ごみの中を二人で2時間ほど歩き回り、何度か的当てに挑戦したが戦果は得られず、結局小さな観葉植物を一つ買っただけだった。

今度は食事の前に来たい。

2月8日

チャーターツアーで島一周を回った。

お客さんは北海道から約2年ぶりのダイアモンドヘッドクラブのリピーターさんご夫婦で、今回はお友達をたくさん連れて来て下さった。

鮭とばとお蕎麦をお土産に頂いてしまった。(Big Mahalo!)

今日のコースはワイキキを出るとマカプウを回って、まずワイマナロの「スモウ・コネクション」。

ご主人が、2年前にアンティー・ジェンにサインをしてもらったTシャツを着てきて、ちゃんとサインが残っているのを見てアンティーは驚いて、喜んでいた。

次はクアロア・パーク。

公園に入っていくと両側のコーラルツリーが真っ赤に染まっていて、目に眩しい。

ほんの一月足らずで散ってしまうこの花を、前回もほぼ同じ時期にいらしたお客さんは覚えていた。

最近ミロの花が少ないのだが、この所ちょっと探すとすぐに黄色く開いたのと、赤くしぼんだのが見つかるので嬉しい。

プナルウ、ハウウラの美しい海を横目で見て、サンセットビーチを目指す。

今日は10フィートの波が出ていた。

風は少し西よりで、波がブレイクするポイントも普段とちょっと違っていたが、サーファーもブギーボーダーも多かった。

ここでラグを引いて30分ほど休憩。

ゆっくりサーフィン見物をしていただいた。

次はハレイワでランチタイム。

アリイビーチパークでプレートランチを食べた後、マツモト・シェイブでお買い物。

店の外にいるとスタンが出てきた。

天気は良いのに上着を着ていたので聞いてみると、今朝のノースは寒かったらしく、犬の散歩が寒かったと言っていた。

続いてドール・プランテーション。

スモウ・コネクションからここまでは通常のサークルアイランドとほぼ変わらないが、ここからパールハーバーに向かった。

アリゾナ・メモリアルのパーキングに車を入れ、簡単に解説。

アリゾナは中に入ると映画を見たりでかなり時間がかかってしまうが、ミズリーは入り口に展示物も多いので見ていただいた。

今度はモアナルア・ガーデン。

最近よくここに来ている。

あまり怪しい奴は見かけないが、ここのパーキングは車上荒らしが多いと聞いているので、お客さんに「この木何の木」を教えると車に戻って番をしている。

最後はダウンタウンのカメハメハ大王像。

パールハーバーまでは時間配分上ちょっと遅れ気味だと思っていたのだが、ダウンタウンでは少し時間に余裕が出来たのでイオラニ宮殿の周りもぐるりと散歩していただいた。

ワイキキに戻るまで晴天が続いた。

夜、KTとスラッキーが遊びに来た。

2月9日

今日はKTとスラッキーの撮影のお手伝い。

ワイキキでスラッキーをピックアップしてからハワイカイにKTを迎えに行ったのだが、撮影場所がエフカイとサンセットと言う事なので、カラニ・ハイウェイを戻リ、H−1、H−2フリーウェイを使ってノースに向かった。

朝ご飯をちゃんと食べていない二人の兄貴が途中でお腹が空いたと言うので、ハレイワでL&Lに寄り、アリイビーチパークで早速ブランチ。

お天気も良く気持ちがいい。

食後、最初にエフカイビーチに行くがパーキングが一杯。

一度出て路肩を探すと、意外とすぐ近くにスペースが見つかった。

ビーチに出るとほんの1メートルほどの幅しかなく、その先はいきなり砂が抉り取られて10メートルほど下の波打ち際に落ち込んでいた。

正面のエフカイ、左のガムズというポイントも6フィートほどの良い形の波が上がり、サーファーもブギーボーダーも多かった。

続いてサンセットに移動して、テッズ・ベーカリーの先のコムサット・ロードと言う道を入って、坂を登る。

サンセットビーチが見下ろせるポイントを探していたのだが、ここは山の上の軍用衛星アンテナの基地へと繋がる道で、途中でゲートがあり入れなかった。

しかしゲートの手前で撮影を済ませ、タートルベイへ向かい、コーラルツリーを撮った。

最後にカフクで撮影をして終了。

せっかくなのでそのまま東海岸を下りてくる事にした。

途中カハナ・ベイでトイレ休憩。

クアロア辺りから雲が多くなってきた。

いつもとは逆周りで走ると、景色も色々と違って見えて新鮮だ。

ハワイカイでKTを、ワイキキでスラッキーをドロップして一度家に帰り少し昼寝。

夕方再びスラッキーを迎えに行って、KTと「魚卓」で集合。

最近はすっかり顔も覚えられたようだ。

食後はうちでリラックス。

3兄弟の夜は更けていった。

2月10日

母殿が友達とハワイに遊びにきた。

世界中を一緒に回った親友とである。

パッケージツアーの方が安かったとかで、空港からの市内観光やいくつかオプションまで付いている。

で、ホテルにチェックインの済んだ午後、電話がかかってきて、ワイキキに出た。

「ALOHA ディナー」なるものが付いているそうで、夕方には別れた。

今回も例によって山のようなお土産をもらった。

家に持ち帰って広げてみると、小皿が2枚と温泉の素以外は全て食料品。

感謝感激。

スラッキーの最後の夜と言う事で、ハワイカイのKTの家に行き、夕食会。

「次はいつ来れるかなぁ」とちょっと寂しげだった。

2月11日

今日はサークルアイランドツアー。

お客さんはダイアモンドヘッドクラブのお得意さんで、約1年半ぶり。

お友達の結婚式がハワイであり、その新婚さんとお友達と一緒に参加してくださった。

天気は良いが、風は緩かった。

ワイキキを出てダイアモンドヘッド・ロードを走る。

灯台の先のルックアウトで車をちょっと止めて海を見下ろす。

波は小さかったが、少し先の沖でクジラの潮吹きを発見。

幸先がよい。

定休日のハナウマ湾を過ぎると水平線にモロカイ島が見えた。

サンディービーチで最初の休憩。

人のいないビーチは気持ちがいい。

マカプウのルックアウトでもクジラを探すが、白波も無い。

ベロウズビーチでジュース休憩。

ここの海もとても穏やかだった。

スモウ・コネクションでは、先日ここでばったりお会いした掲示板仲間のKyokoさんに、またまたお会いした。

ワイカネの道路脇にあるポインセチアの木は、まだ真っ赤な葉をいくつもつけたままだ。

しかしクアロアのコーラルツリーの赤には敵わない。

ほとんどの木が満開を過ぎ、道路には赤い花びらが散乱している。

見頃も後僅かか。

今日も美しいプナルウ、ハウウラの海を見て、タートルベイを回り、ノースショアへ。

サンセットビーチはほとんど波が無いという情報だったが、6フィートほどの波があり、サーファーも多かった。

ワイメアのショアブレイクにもローカルが多かった。

チャンズ・リーフやラニアケアにはほとんど人は無かった。

ハレイワに入り、アリイビーチパークでランチ。

少し風が出てきた。

パシフィック・スカイダイブセンターでビデオの編集をしているジーノと彼の家族に会った。

仕事が早く終わり、彼らもここにランチを食べに来たらしい。

ハレイワ・タウンでの休憩時間。

今読んでいるのはKTから借りた開高健。

私の世代にはあまり馴染みは無かったが、読んでみると面白い。

と言うか、戦争の内容で、あまりにもタイムリー。

でもやっぱり戦争は反対。

ドール・プランテーションの後、ホノルルに戻り、リクエストでタンタラスに登る。

昼間のタンタラスはやっぱり気持ちがいい。

ダイアモンドヘッドやワイキキを一望した後、ホテルに戻った。

家に帰ると、昨年植えた、何の種だか忘れてしまった鉢から芽が出ていた。

2月12日

昼間友達のAyumiちゃんがやって来た。

今日はうちでコンピュータ教室である。

実は昨年からずっと頼まれていたのだが、時間が合わず延び延びになっていた。

最近アラモアナで日本人向けのコンピュータ教室が開かれていて、日系のテレビでも良く宣伝をしているのだが、彼女はそこに行ってみたところ、全然レベルが低くて、自分の本当にやりたい所がわからなかったと言う。

どんな難しい事を聞かれるのかと思ったら、デジカメの画像のPCへの取り込み。

デジカメに付いて来たドライバのソフトをインストールしたいのだが上手く行かないと言う事だった。

外付けのCDリーダーを認識してくれないというのだが、なんて事は無い、電源アダプターを付けていなかっただけだった・・・。

他に写真のいじり方や、壁紙の作り方などを教えてあげた。

Ayumiちゃんが帰った後、今度はクロちゃんがやって来た。

数日後からタイへ6週間、日本へ3週間の仕事に出るそうで、その前に食事会をした。

雲が出てきた。

2月13日

今日はKTファンツアー。

お客さんはお正月にいらしたばかりのダイアモンドヘッドクラブのリピーターさん。

お煎餅とバームクーヘンを頂いてしまった。(Liviparaさん Big Mahalo!)

朝から小雨のぱらつくお天気で、ワイキキは雲に覆われていた。

天気予報では雨のち曇り時々晴れ・・・。

風は南西から吹いていたので、これからどうなる事やら。

さてワイキキを出て、ダイアモンドヘッドのルックアウト近くで海を見下ろすとすぐに、クジラが現れた!

それもかなり近く。

潮吹きだけではなく、ばしゃんとひれを水面に出すところまで見れた。

今年はクジラが少ないという噂を聞くが、いる所にはいる様である。

カラニアナオレ・ハイウェイを東に進むと、空が少し明るくなってきた。

サンディービーチには波は無く、パーキングもがらがらだった。

マカプウの断崖のパークエリアには、観光バスやリムジンが多かった。

ウィンドワードもとりあえず雨は降っていないようである。

ベロウズには、アメリカ人のツアー客以外に人はおらず、ビーチには足跡さえも無かった。

クアロアを過ぎた頃から雲が切れ始め、ハウウラ辺りからは陽も射してきた。

フキラウビーチにいたのはたった5人で、出てきたばかりの陽射しの中で寛いでいる様だった。

コーラルツリーの赤白の花びらの散るタートルベイで休憩の後、フルーツスタンドの出ているポイントで記念写真。

サンセットビーチは6〜8フィートほどの波が出ていた。

このツアーならではのビーチ歩き。

途中水の入ったココナッツを見つけて振ってみる。

ワイメアの路肩で飛び込み岩の説明などしていると、小雨が飛んできた。

ランチタイムのハレイワが不安になったが、アリイビーチパークに着くと、雲はあったが雨は大丈夫そうだった。

ランチを仕込んでピクニックテーブルにセッティング。

皆でシュリンプ・カレーを食べた。

今日はサンセットまでのオプション付きなので、ここからドール・プランテーションに向かう。

再びシャワーが降りそうになり、慌ててパイナップル畑で写真を撮って、ドール・プランテーションのバラエティ・ガーデンを見て、中で休憩。

雨は止んだが雲が厚くなってきた。

再びハレイワに戻り、タウンで日没の前まで解散。

私は例によって車の中で読書をしていたが、途中でやはり何度かシャワーがあった。

お客さんが戻ってきた時には止んでいたが、ちょっと諦めムードの中サンセットビーチに向かった。

ビーチにはほとんど人はいなかったが、6フィートほどの波の中、サーファーは多かった。

車の中でサイン帖を書いてもらいながら日没の時間を待つ。

水平線の雲は依然厚く、結局太陽が顔を出す事は無かった。

なんだか風が冷たかったが、車外に出て記念撮影をしてホノルルに戻った。

夜景は綺麗だったが、町に近づくに連れて雨が激しくなり、ワイキキも雨で人通りが少なかった。

2月14日

朝から雨。

風は北に変わり、とても冷たい。

悪寒がして昼間はずっと寝ていた。

今日は母達とバーベキューをする予定だったが、悪天候の為中止。

6年も風邪を引いた事がないので、これが風邪なのかもよくわからないが、とりあえず熱は無い。

結局母達が家に来て、一緒に夕食を取った。

気温15度以上で寒いというのは甘いと、母に言われた。

2月15日

今日も朝は雨だった。

気温も低く寒い。

今日は母達をサークルアイランドに連れて行くつもりだったが、この天気では辛い。

天気予報では午後から回復して、明日は晴れる予想なので、順延にした。

私は特に喉が痛い訳でも、鼻水が出る訳でもなく、熱を計っても36度にも行かない。

家の中で靴下を履き、長袖のTシャツにトレーナーを着込んで震えていたが、昼過ぎに雲が切れて陽が出てくるとなんだか元気になってきた。

夕方母達をホテルに迎えに行って、「魚卓」で食事をした後、タンタラスの丘とナイトドライブに連れて行った。

満月を明日に控えて、大きく明るい月が印象的だった。

2月16日

今日は母達とサークルアイランドに行った。

朝からよく晴れた。

ワイキキを出てからダイアモンドヘッドのルックアウトに車を寄せ、クジラを探すが今日は2フィートほどの波の中でサーファーが数名いるだけで、現れなかった。

風は緩やかな貿易風で、南の海に白波はほとんど無かった。

しかし母達もちゃきちゃきの江戸っ子で、車内のおしゃべりは止まらない。

一応通常のツアーと同じように色々と説明しようとするのだが、今日は普段の3分の2くらいしか、私は、しゃべれなかった。

だがサンディービーチやマカプウのルックアウトで停車すると、「綺麗ねぇ!」と感心しながらちゃんと写真は撮っていた。

マカプウではクジラの潮吹きを遠くに見つけた。

ベロウズビーチではマイストーンの他に、この数回のツアーの時に集めた木の実が、ココナッツの割れた実の裏にごっそり残っていて、私はちゃんと説明をしたのだが、母達の話題は前にハワイに来た時にこっそり持ち帰ったレインボーシャワーの種から出た芽が随分と成長した、と言う事だった。

スモウ・コネクションは日曜で閉まっていたが、銅像の前で記念写真。

カネオヘ、カハルウを抜けてクアロア公園へ。

天気も良く風も気持ちが良く、散り始めたコーラルツリーの赤い花びらが緑の公園に眩しかった。

今回の母達のハワイ旅行は、新聞で見つけた某旅行会社の55周年記念ツアーだとかで、とても安い。

8泊のホテル、エアにオプショナルツアーが4つと空港からの送迎付きで10万円と少し。

オプショナルは初日のディナーにダイアモンドヘッド登山ツアー、ホエールウォッチング、そしてディナークルーズである。

どう計算しても安い。

先日はインターネットで安売りをしていた会社が倒産して、被害者も随分出たが、こんな風に上手く来ちゃう人もいるのである。

しかし驚いたのはこれだけではない。

私が別のツアーの日には母達だけで行動していたのだが、ある日はワイキキのホテルからホノルル美術館に行き、ダイエーに寄って帰ったと言うが、これがすべて徒歩。

ホテルはヒルトンの近くだが、ホノルル美術館にここから徒歩で行く人は、日本人でもそういないと思う。

また別の日にはワイキキ水族館に行ってきたと言ったが、当然これも徒歩。

ダイアモンドヘッド登山はツアーだったのでクレーターまではバスだったらしいが、頂上でのデジカメ写真を1枚見せてもらっただけで、登山中の苦労話などは一切聞かなかった。

ま、丈夫な事は何より。

さて、サンセットビーチには4〜6フィートの波が上がっていたが、ショアの波は比較的大人しく、水も澄んでいて、アメリカ人観光客が何人も泳いでいた。

ワイメアの水は濁っていたが、綺麗な2フィートほどのショアブレイクが寄せていた。

ハレイワに入ってアリイビーチパークでランチ。

ビーチはサーファーが多かったが、公園内は人も少なく、のんびりとランチ。

その後タウンに出て休憩。

ノースショアMPはアメリカ人観光客が多かった。

最後にドール・プランテーションでパイナップル・アイスを食べて戻った。

夜は満月が明るかった。

2月17日

お客さん一組に母達とトレッキングに行った。

この時期、前日に雨が降れば山はすぐに中止になってしまうのだが、この2日はよく晴れ、今日も朝からコオラウ山脈の稜線はくっきりと見えた。

ハワイ大学の樹木園に行くつもりだったのだが、入り口ゲートが閉まって入れない。

変更してマノア・フォールズのトレイルにすることにした。

相変わらずアメリカ人観光客には人気の場所で、小さな子供を含む家族連れも目立った。

朝露はほとんど乾いていたが、日陰で少し湿った所がジャングルの雰囲気を醸し出している。

沢の水音も気持ちよく、森林浴気分も最高。

途中で何度か写真など撮りながらマノア・フォールズに到着。

マイナス・イオンも立ち込めているようだった。

トレッキングの後は、私は家で少し昼寝。

最終日のディナークルーズから母達が戻ってきた所でホテルに遊びに行った。

おまけで付いているディナークルーズだったので当然バッフェディナーかと思ったら、ちゃんとテーブルにコースが出てきたと言う。

しかもばっちりサンセットの瞬間を捕らえたデジカメ画像も見せられた。

旅行に関しては世界中に行って実績とキャリアのある母達には敵わないようだ。

明日の朝が早い母達と別れてから、鍋会の会場にすこし顔を出した。

15人ほどで盛り上がっていた。

2月18日

日本でも少し話題になっているようだが、今シーズンから中国出身の選手がNBAに加わった。

ヤオ・ミン(日本ではヨウ・メイ)と言う選手で220センチ以上の長身のセンターだ。

上海のチームからNBAに移ったのだが、アジア人がNBAのコートを走り回る姿はなんだか誇らしい。

日本人がいつかNBAに出て活躍する日が見てみたいものだが、今日はこのヤオ・ミンの所属するヒューストンと我がレイカースとの試合があった。

レイカースはヤオ・ミンに対抗するセンターのシャキール・オニールが休場で、今日はコテンパンにやられると思っていたのだが、ヒーローのコービ・ブライアントの大活躍で2度の延長戦を制してしまった。

夜、KTがチンタオを持って遊びに来た。

私は特に機嫌が良く、すっかり深酒してしまった。

2月19日

少し湿度が上がり、風が生暖かった。

昼間は家で仕事。

外の天気はまあまあだった。

夜8時頃になってKTがチンタオを持ってやって来た。

10時半位まで盛り上がった後、一緒にワイキキに出た。

KTはラジオの仕事、私は見学。

今晩の真夜中の生放送はKTが一人だけハワイからで、他のパーソナリティは日本だった。

ハイアットホテルのスタジオにはスタジオ・リムのスタッフ3名とKTと我々二人だけ。

スタジオからビールとおつまみの差し入れがあり、放送中も私はスタジオの中でずっと飲んでいた。

2時に放送が終わってから、KTに家まで送ってもらって、そのまま3人でまた飲み出してしまった。

「執筆作業はどうなの?」と聞くと、「始めたよぉ!」と言っていた。

2月20日

貿易風は清々しく吹き、雲は少なく、良いお天気だった。

来月は予約の入り方が極端に少ない。

Jリーグのアメリカ遠征が中止になった事を受けて、団体旅行が次々とキャンセルになっている。

個人旅行もやはり控える人が多く、戦争の影響の大きさと、旅行業の平和依存度の大きさを感じる。

「戦争中毒」と言う本を読んだ。

アメリカが如何に戦争好きな国であるか、戦争をするとどう言う人に利益が上がり、それが政治とどう絡んでくるかなどが書かれていた。

なんだかアメリカに住んでいる事さえ嫌になってくるような内容だったが、私は既にアメリカ人でもある。

世界中で反米運動が起きているが、日本政府はアメリカ政府を支持するという事を表明した。

先日元首相が言った事によると、アメリカとイラクが戦争を始めた時に、北朝鮮がドサクサで日本にミサイルを撃ったら、アメリカに守ってもらうしかないから、と言うのが本音のようだが、結局日本でも戦争で儲かる所があるのだろう。

ただ、反戦運動もアメリカでは大きくなっている事は事実。

日本の反戦運動はなかなかマスコミで取り上げられないようだが、これはマスコミも政府の側に居るからだろうか?

アメリカの場合、マスコミ、特にテレビの4大ネットワークは皆複合企業体となっていて、そのどこかが必ず戦争による恩恵を受けている。

だから報道にもちゃんと規制はあるのだが、少なくともちゃんとした事実は両面で取り上げている。

「戦争反対!」と言う事は、民主主義の国なら当然の権利である。

デモ行進することも、集会に参加する事も出来る。

しかし一番最初の民主主義の権利=「選挙権」をどのように行使しているのだろうか?

アメリカでは現在のブッシュ政権が誕生する前に、民主党のゴア元副大統領との接戦があった。

もしあの時ブッシュではなく、ゴアになっていたらどうなっていただろうか?

日本では選挙に行かない、利権の絡まない一般選挙人が、ちゃんと自分の国のことを考えて投票に行けば、どんな政権だって誕生が可能だ。

そしてアメリカに対して「戦争反対!」と言える政府が出来ていたらどうなっていただろうか?

結局選挙にも行かない人が、自分の国の政府や行政に対して文句など言う権利は無いと思う。

選挙に行き、投票して、その投票した人や政党がどう活動しているかに関心を持てば、利権による政治倫理の腐敗も無くなり、国民の多くが望む形の国が出来上がるのではないだろうか。

ツアー業界だけでなく、ハワイでは撮影関係も3月は仕事が無く、暇なコーディネーター達は「営業」の名目で日本に行っている人が多いそうだ。

しかし日本に行くのは、ハワイにいるよりも危険だという意見もある。

もはやアメリカの戦争を支持して共犯者となった日本は、当事国でもあり、テロや報復の対象ともなる。

21世紀は始まったばかりだが、この星に本当の平和が訪れるのはいつになるのだろう。

2月21日

朝一番でケーブル・テレビの会社の人が来た。

電話で数日前に知らせはあったのだが、ぴったり時間どおりの7時半。

ハワイでは山が多く、地上波の入らない所が多いので、テレビはほとんどがケーブル。

今まではアナログのケーブル放送だったのだが、最近はデジタルになり、少し追加料金を払うとデジタル放送が見れるようになっていた。

チャンネル数もデジタルの方が少し多いのだが、うちはニュースとスポーツ以外にほとんどテレビを見ないので、ちょっとの追加料金もバカらしくてアナログのままだった。

ところがケーブル会社としてはデジタル化を進めているらしく、追加料金無しでデジタルが見られるようになると言うのでお願いする事にした。

家にやって来たサービスマンは、ケーブルボックスと言う受信用の機械を新しい物に取り替えただけ。

どんなチャンネルが増えたのか、少し楽しみだったが、ツアーがあったので出掛けた。

今日はトレッキング。

当初はマキキバレーへのトレッキングの予定だったが、朝はコオラウ山脈に雲がかかり、マキキの奥は雨が降っていた為マカプウに変更した。

途中、カラニ・ハイウェイでは何度かシャワーに遭ったが、サンディービーチを過ぎるとすっかり晴れ渡っていた。

路肩に止めてある車も多かったが、この季節はやはり皆クジラ・ウォッチングである。

登り始めて最初の休憩では早速遠くに潮吹きが見えたが、トレードウィンドが強くなっていて目を凝らしていると涙が出る。

頂上に近づくとたくさんの人声がした。

どうやら遠足の子供達がいる様だった。

きっとスクールバスで来て、そのバスはどこかで待機しているのだろう。

展望台に着く直前で、小学生の30人ほどの団体とすれ違った。

賑やかなおしゃべりは徐々に下に降りて行ったが、まだ中学生くらいの団体もいた。

彼らは自然研究をしている様だった。

普段の3倍以上の人がいた訳だが、頂上ではゆっくりとスナックタイム。

下りでは今日はペック・スラッピングと言って、胸鰭を水上に出して水面を叩く行動を見る事が出来た。

お母さんが子供をあやしている様にも見えた。

さて、仕事が終わって家に戻り、テレビをつけると、今朝取り付けてもらったばかりのケーブルボックスが全然反応しない。

マニュアルを見たりして奮闘するが駄目。

結局ケーブル会社に電話して、明日また来てもらう事にした。

アメリカ生活とはこう言う事である。

2月22日

今日は学校の後輩が友達とハワイに遊びに来る日で、空港ピックアップを頼まれていたので出掛けた。

天気は良く、朝から気温も高かった。

シーズン・オフでプルメリアのレイは少し高かったが、レイ・スタンドで仕込んでから到着ロビーへ向かう。

昨年帰国した時にも会ったのだが、元気そうにやって来て、寒い日本と比べて暖かいハワイにすっかり喜んでいた。

焼酎のお土産をもらった。(BIg Mahalo!)

ワイキキのコンドミニアムまで連れていって別れ、私は郵便局やタイムスに寄って家に戻った。

ちょうどケーブルテレビの会社の人が来ていて、ケーブルボックスを新しい物と取り替えてもらった。

昨日持って来たボックスも新品だそうだが、既に死んでいる様だった・・・。

今日はボックスやリモコンなどの使い方に付いて色々と教えてもらった。

今までは「TVガイド」のチャンネルがあり、そこを見るとこれからの番組表がスクロールして見れるようになっていた。

今度はリモコンの「ガイド」のボタンを押すと、画面に番組表が出て、リモコンの操作によって好きな時間、好きなチャンネルをすぐにサーチ出来、各番組のインフォメーションも出て来るようになった。

チャンネル数は109と、前より少し増えただけだが、リモコン対応で好きな時に見れるニュースや、不動産紹介、車の販売、旅行ガイドなど、ブロードバンド・インターアクティブTVと言う機能が追加された。

更にはテレビとこのリモコンを使ってピザのオーダーまで出来るのだ!

今度是非使ってみたいと思う。

さて夜は友達の大ちゃんと奥さんのKちゃんが遊びに来た。

私が久し振りに料理を作った。

その後KTもやって来て、賑やかに盛り上がった。

2月23日

今日もいい天気。

最近しばらく「Photos」をアップしていないので、「どうしたの?」とか、「また何か載せてよ!」と言う意見が聞こえるようになってきた。

そう言えば2ヶ月以上も更新していなかった。

ハワイの写真を全然撮っていなかった訳ではないのだが、整理する時間が無かったというのが本音。

そこで今日は、ハワイとはまたちょっと違うが、これまでに頂いた巨人グッズと、KTファンツアーの資料として皆さんに寄せていただいた物を写真にしてアップした。





昨年の夏にワイマナロで拾ってきたミロの木が大きくなってきたので、これもアップ。



イチローもついでにアップ。



2月24日

今日はマカプウトレッキングとビーチピクニックのコンボツアー。

お天気は良い。

ワイキキを出てダイアモンドヘッドのルックアウトに車を寄せ、まず海の様子の観察。

風が上がってきたので少し白波があるが、まあこれならクジラ観察にも問題は無いだろう。

とその時、海上に大きな飛沫が上がった。

親クジラが豪快にブリーチングを見せてくれたのだ。

二度三度とジャンプを見せてくれた後潜ってしまったが、幸先が良い。

サンディービーチに寄った後、マカプウ岬に入る。

ここは更に貿易風が強く、帽子が飛ばされそうになる。

双眼鏡持参で観察に来ているグループなどもいたが、白波が紛らわしい。

それでも往復で何度かはジャンプを見る事が出来た。

下り道では真っ赤なノーザン・カージナルが高らかに鳴いていた。

下山後、KENEKE'Sでプレートランチを仕込んで、ベロウズビーチに行った。

この風ではカイルアでは砂が舞ってゆっくり出来ないと判断した為、ワイマナロに切り替えた。

ベロウズも風はあったが、ビーチにラグを引いて皆でランチタイム。

食後は各自海に入ったり、ごろごろしたりして過ごして頂いた。

相変わらず人は少なかったが、2フィートほどのショアブレイクがあり、ローカルが遊んでいた。

帰りもマカプウを回ってワイキキに戻った。

マカプウのルックアウト付近では、今日からまた工事が始まった。

片側づつ交通規制をしているが、今回も落石事故防止の工事のようだ。

さて夜はワイキキの鍋会に出た。

今日のお客さんの希望で一緒に出席。

ハワイ島のシェフが来ていて、いきなりサーモンとさばの寿司が出た。

13人ほどで賑やかだった。

雲が流れている。

2月25日

昼間、ワイキキに住むAyumiちゃんの家に行って、パソコン教室を開いた。

と言っても、プリンタのインストールやメーラーの機能チェックなど。

夜はKTの家に行って、これまたパソコンのチェック。

こちらは日本語変換ソフトと、文章作成ソフトの相性が悪かったようだ。

執筆中のKTは、「文章は出てくるんだけど、パソコンが言う事を聞かない!」と言っていたが、何とか解決した模様。

風は少し収まってきた。

2月26日

昼間、ダウンタウンのK−マートに出かけた。

ローカルに混ざって日本人観光客の姿も目立ったが、我々は必要な物を手早く購入し、30分ほどで終了。

その後ダウン・トゥー・アースに行き、お香を買って、家で荷物を降ろしてから車の修理工場に。

明日の朝一番(5時半)の予約を入れてあるので、車をドロップして歩いて帰ってきた。

夕焼けが綺麗だった。

2月27日

修理工場から電話があり、交換部品が必要なので今日中には終わらないと言う。

夕方、モーティーと奥さんのMさんが遊びに来た。

久し振りにこのメンバーで宴会。

最近は誰かと顔を合わせれば、「これから戦争はどうなるのだろう?」と言う話題ばかり。

結局誰も答えを出せない。

先日少し紹介した「戦争中毒」と言う本について少し反響があったので、もう少し詳しくご紹介。

『戦争中毒』(Addictesd to War)アメリカが軍国主義を抜け出せない本当の理由
ジョエル・アンドレアス著、きくちゆみ監訳、グローバルピース有志訳
合同出版(1300円+税)

この本は実は私の妹が母に託して届けてもらったのだ。

妹から、監訳に当たった、きくちゆみさんの日記が送られてきたので、こちらでも転載させていただく事にした。

ちょっと長いが以下。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

★グローバル・ピース・キャンペーン★
OPEN-J BOOMERANG 303【ロスとサンフランシスコの平和集会】
******************************************
■転載・転送・大歓迎■

◆きくちゆみ◆

■ロスとサンフランシスコの平和集会■

2月15日にロスアンゼルス、翌日16日にサンフランシスコの平和行進&集会に参加してきました。
ロスは10万人、サンフランシスコは25万人(主催者発表)で史上最大の規模でした。
この日全世界の600以上の都市で2000万人以上の人々が「イラク戦争反対」の声を上げました。
戦争が始まる前に、これほどの平和運動が国境を越えて起こったのは、前代未聞です。

10月26日、1月18日に続き、アメリカの平和集会に参加するのはこれで3回目ですが、回を重ねるごとに参加者が増えています。
これまで平和運動に参加したことのない人々がたくさん来ていました。
ヒッピーや若者だけでない、アメリカ中流層が確実に「反戦」の声を上げています。
アラブ人、イスラム教徒らしき人々が多く参加しているのも今回は目立ちました。

ロスの集会は場所柄か、ハリウッドのスターたちがたくさん参加していました。
私は集会のオープニングで爆撃を受けた子どもと親の寸劇のバックでフルートを演奏することになっていたので、最初からずっとステージ裏にいたのですが、時間がきても肝心の劇をすることになっていた親子が登場しません。
仕方なくプログラムはそれをはずして進行しました。
あまりにもたくさんの人がいたために、デモに参加した人がステージまで進むのが大変難しいことは、私も前回のデモで経験していましたので、きっと彼らがステージまで来られない理由はそんなことだろう、と思って出番を待っていました。

ステージ裏はマスコミとスターたちでごったがえしていました。
日本のマスコミでは朝日新聞とTBSの方にお会いしました。
私はアメリカのスターはほとんど誰も知りませんが、報道陣の人だかりぶりで「この人がスターなんだ」というのがわかります。

私が唯一名前と顔が一致したのは、テレビドラマの「ウエストウィング」で大統領役のマーティン・シーン。
10月にロスで一度お会いして話をしたので、相手が覚えていないことは承知の上で話しかけました。
「戦争中毒」のことは覚えていてくれました。
彼は、「戦争中毒」に推薦の言葉を寄せてくれています。

「7月4日に生まれて」という映画の題材になったロン・コービックという退役軍人で平和活動家にも会いました。
ロンはベトナム戦争で両足を失っています。
彼とマーティンは仲良しで、舞台裏で抱き合っていました。
何十台ものカメラがその瞬間を捉えます。

寸劇をする親子はいつまで待っても来なかったので、集会の後半にさしかかったところで、一人で演奏して短いスピーチをするように言われ、ステージにあがりました。
アメリカ人にとって心のふるさとである「アメージンググレース」をフルートソロで演奏しました。
吹き終わってから、自分がこの集会に参加するために日本から来たこと、日本が60年前には「悪の枢軸」だったこと、その結果、広島・長崎に原爆が落とされたこと、自分に4人の子どもがいるけれど世界中のどんな子どもにも戦争を経験させたくないこと、私のフルートは金属でできているけれど、金属は楽器として音楽を奏でることもできるが、武器として人を殺すこともできる、金属は武器ではなく音楽のために使おう、という内容のスピーチをしました。

と、そのとき、やっと血だらけの衣装のお父さんが爆撃を受けて死んだ子どもを抱えて、舞台に登場。
私はバッハのシシリエンヌを演奏しました。

http://www.polizeros.com/2003/02/15.html

この日もブースを出して漫画本「戦争中毒」とビデオ「僕がアメリカの外交政策について学んだこと」を販売したのですが、スピーチが終わってブースに戻ると、すべて売り切れていました。
5時になると、なぜか治安部隊が平和集会を取り囲みはじめたので、みんなトラブルにならないように足早に解散しました。

とっぷり日が暮れると、美しい満月が輝いていました。
主催したスタッフと一緒に空を見上げ、自分たちが祝福されているのを喜びました。

片づけを終えて、その足で空港へ。
今回の集会の主催団体のひとつであるANSWERのスタッフと一緒にオークランドへ飛びました。
目的地はサンフランシスコなのですが、飛行機運賃がオークランドのほうが安いので、ちょっと遠いのですがオークランドへ飛んだのです。
早朝から遅くまで働きづめのANSWERのスタッフはさすがに疲れた様子でしたが、宿泊先の未定だった私を暖かく迎えてくれ、彼らのホームステイ先へ転がり込ませていただきました。

夜11時の天気予報では明日のサンフランシスコの天気は雨、とのこと。
「とくに信じる神はないけれど、今日は明日が晴れるように祈るわ」とリサがいいました。
「私もよ」と言って、リビングのソファーに横になりました。

その晩、激しく雨が降りました。
そして7時に目が覚めると、天気は快晴。
見渡す限りの青空に、いつもは霧で遠くまで見えないサンフランシスコの高層ビル群がくっきり浮かび上がっています。
「ブラボー」私たちはベランダに出て「地球の女神は私たちの味方ね」といって喜びあいました。

サンフランシスコのデモを取材するのはこれで3回目。
今回はなるべく多くの人の声を拾いました。
どうして来ているのか、持っているプラカードのこめられた意味などを聞いて歩きました。
毎回毎回驚くのは、そのメッセージの多様さです。
コスチュームも面白いし、張りぼての人形なども実に良くできています。

特におもしろかったのは「コードオレンジ」という若者たち。
ホワイトハウスがバイオテロに備えて、プラスチックとガムテープ(ダクトテープと呼ばれている灰色のテープ)で窓を密閉するように声明を発表したことを受けて、そんなことをしたって無駄、と言わんばかりに、プラスチックとダクトテープを体中に貼り付けて、ホワイトハウスの声明のばかばかしさを揶揄していました。

彼らをインタビューし写真をとっている間に、私も一瞬のうちにダクトテープをあちこちに貼りつけられ、プラスチックの紐でからだをぐるぐる巻きにされてしまいました。
「これであなたも安全ね」と言われ、大笑い。両頬と口にダクトテープを張ったまま、デモに参加していたら、同じような表現をしている別の集団や個人に会うたびに、ピースサインを出し合い、楽しい一日となりました。

イスラム教についてもっと正しく知ろう、という趣旨のNGOが劣化ウラン弾の犠牲になった赤ちゃんの写真に「コラテラルダメージ(副次的災害)にも顔がある」というコピーのプラカードを販売していたので、これを3ドルで買って背中にくくりつけ、フェリー乗り場からシビックセンターまでの3キロを歩きました。

デモ行進の途中、マーケットストリートの沿道で、一人の出産間じかの妊婦さんが、地球儀のようなまん丸のおなかに「平和ーここは私の家。こわさないで」と描いて、笑顔で立っていました。
話しかけると、ブラジルから来たというその女性はお名前を Kelly Curryさん(ケリー・カリーさん)といい、予定日は3週間後とのことでした。
私がインタビューをし始めると、たちまち彼女の周りは人だかりになり、みんな彼女の勇気をたたえながら、写真をとりました。
背がすらりと高くて、笑顔の美しい彼女は、まるで平和の女神のようでした。

http://www.kellycurry.com

終着点のシビックセンターは人でいっぱいで、ステージに近づくことは不可能でした。
前回よりもさらに人が多くなっているのがわかります。
それでもなんとか集会の最後にステージまでたどり着いて、アメージンググレースを吹き、「金属は武器ではなくて楽器のために使おう」と言って舞台を降りました。
本当は喜納昌吉さんがいつも言っている「すべての武器を楽器に」といいたかったのですが、うまく英語が浮かんでこなかったのです。

その後、2月16日が誕生日のオノヨーコさんがNYタイムズに出した「Birthday Thoughts」という題の全面広告の中で、「すべての武器を楽器に(All Weapons into musicalinstruments)」と書いているのを知りました。
ああ、この広告を事前に読めていたらなあ・・・。

今「人間の盾」としてイラクにいるすべての人の無事を祈らずにはいられません。
ジャミーラさん、神崎兄弟、安田純平さん、お元気でしょうか。
チャンプルーズは無事帰国したのでしょうか。

「反戦運動がどんなに盛り上がろうと、アメリカ政府の決断に変更はない」とブッシュ大統領はいいます。
そうでしょうか。平和の声が大きくなればなるほど、アメリカは単独攻撃がしにくくなっています。
全世界の「戦争NO」の声が、今日まで爆撃を阻止してきたのは事実です。

ANSWERが呼びかけている次の行動は3月1日、そして15日。
ホワイトハウスを抱きしめよう、という女性たちの動き「コードピンク」は3月8日。
そして広島の1万人で人文字を描くのが3月2日。
この広島の行動に対しては、全裸でPEACEの人文字を浜辺に描き、平和を訴えたカリフォルニアのアーティスト、ドナ・シーハンさんから「この知らせを聞いて涙がでるほど嬉しかった。
広島のことを私は忘れたことがありません。
全面的に応援します」との言葉をいただいています。

私はこの日に合わせてハワイで平和コンサートを予定しています。
ワシントンポストとビルボードの広告費が思うように集まっていないので、その資金集めを兼ねてやります。
3月6日までにあと320万円を支払わなくてはなりません。

「戦争中毒」の出版元であるフランクさんからも、うれしいニュースが届いています。
「ロスのフェアファックス高校が『戦争中毒』を500冊注文してくれた。
先生に無料で配っているのが、大きく実を結び始めている。
日本からの支援に感謝します」とのこと。

今回の戦争を止めたら、次の戦争も止められる。
石油よりもいのちが大事。
戦争よりも平和がいい。
当たり前のことを当たり前に実現していきましょうね。

愛と感謝をこめて

きくちゆみ

++++++++++++++++++++++++++++++++

「戦争中毒」の本はお勧めです。

本当の反戦の意味を考えよう。

2月28日

車の修理工場からなかなか連絡が無いので、先に出向いた。

明日はツアーがあって車が必要なので、今日中に終わらせるようにお願いしていた。

しかし実際にはボディの修理が一部終わっておらず、来週また続きをやる事にして、とりあえず車を受け取って洗車場に行った。

終了した修理の代金が思った以上にかかった。

3月は暇なので、日本とまでは行かなくても、どこか近場に旅行にでも行きたいと思っていたが無理そう・・・。

相変わらずお天気は良い。


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