ハワイ日記2002年12月



12月1日

サンクスギビング・デーが終わり、アラモアナ・センタービルのネオンも赤と緑のクリスマスバージョンに変わった。

ラジオからはクリスマス・ソングが流れ出し、タイムス・スーパーマーケットの袋にもクリスマスの絵が描かれている。

ダイエーの駐車場にはクリスマス・ツリーを売るためのテントが設置され、アパートの隣の部屋のエイミーはドアに飾り付けをしていた。

これから1ヶ月、アメリカ中がクリスマスの雰囲気に包まれる。

戦争も無く、無事に新年を迎えられる事を祈る。

12月2日

薄雲が出ているものの、穏やかな一日だった。

ネットショップの注文が随分と増え、梱包や発送作業に追われた。

郵便局だけではなく、オフィス・マックスやフィッシャー・ハワイにも行った。

DHLから連絡があり、荷物が届いていると言うので空港まで取りに行った。

日本の友人達から結婚祝の品が届いた。(Big Mahalo!)

マキキにはあちこちで、ピンクの花をたくさん付けたオーキッドの木が目立っている。

ポインセチアも赤く色付いてきた。

12月3日

朝晩は少しひんやりした風が吹き、昼間は穏やかな日和が続き気持ちが良い。

先月末に発売された「るるぶハワイ2003年号」に、またまたダイアモンドヘッドクラブが紹介されていたと、日本のスタッフから連絡があった。

今年も発売前に確認が出来なかったのだが、写真も多く掲載されているらしく、「太郎」も載っていると言う話だ。

早速こちらに送ってくれるよう頼んだのだが、待ち遠しい。

さて、夕方、フロリダのYoshiから電話があった。

日本でビザを申請していた奥さんの面接が終わり、ようやく永住権が下りることになったそうで喜んでいた。

早速渡米手続きを始めて、クリスマスは一緒に過ごせるそうだ。

いつかまたハワイに戻って住みたいと、以前に話していたが、そんな日が来れば嬉しい。

12月4日

印刷屋に頼んでいた来年のブローショアが出来上がってきた。

スラッキー作のデザインを表紙に、昨年とはちょっと趣を変えた。

これからクリスマスカードや封筒の印刷をしなくてはならない。

郵便局とフィッシャーにも行ったが、クリスマスが近づきどこも混み合っていた。

夜は久し振りに外食。

家の近所の「魚卓」という日本食レストランに行った。

前は「スエヒロ」という名前の、ちょっと暗い雰囲気の日系食レストランだったのだが、大分様変わりしたという噂を聞き行ってみる事にした。

随分明るくなった広い店内に、客は五分ほどの入りで、ほとんどがやはり日系人だったが年齢層は広かった。

店の名前をもじったのか、「魚拓」が店内の壁のあちこちに飾られている。

大きなマグロの魚拓には圧倒された。

出てきたメニューには日本語も表示されていたが、驚いたのは出てきたローカルのウェイターが、なかなか上手な日本語を話した事だった。

値段は、ワイキキは勿論、同じキング・ストリートにある「船場」や「イマナス亭」などよりも安く、安心した。

後は味だけ。

天ぷらやちらし寿司、焼き鳥など注文したが、蕎麦やにぎり寿司などメニューは幅広かった。

アメリカ風にサラダと味噌汁が最初に出てきたが、味噌汁が少しぬるかった物のサラダのドレッシングは美味しかった。

で、出てきた焼き鳥に驚いた。

これはもう「焼き鳥」というサイズではなく、バーベキュー。

きっとアメリカ人には受けるのかもしれない。

結局全体的な味はまあまあ。

頼んだ日本酒の燗は「ぬる燗」で来たので、次に「熱くしてくれ」と頼んで出てきたのが普通の燗だった。

うちから歩いて行けるので、ちょっと飲みに来るには良いかもしれないが、9時閉店と言うことで、早い時間だけ。

帰ってきてからブローショアの折りたたみ作業を行った。

12月5日

今日もホノルルは良いお天気に恵まれた。

しかし昼間は郵便局に行っただけで、後は家で仕事だった。

綺麗な夕焼けを見た後、夜になって、大ちゃんの家に用事があって出かけた。

引越しの後しばらくして、居候がいなくなって生活は落ち着いてきたようだが、まだソファーなどが無く部屋の中はがらんとした印象だった。

うちも早く引越しをしたいなぁ。

12月6日

今日はスカイダイビングとノースショアツアー。

ホノルル・マラソンを明後日に控え、やはりマラソンに出場される奥さんと、オブザーバーのご主人がお客さんだった。

奥さんは2週間前の河口湖マラソンも走ってきたばかりだそうで、その時の寒いコンディションに比べれば、ホノルルはとても走りやすいのだそうだ。

さて、朝からワイキキは大変な交通渋滞だったが快晴で、H-1、H-2と島を走っても良いお天気が続いた。

パイナップル畑を抜けてカエナ岬が見えてきても、スカイダイビングに影響しそうな雲は無く、ワイアルアを通ってモクレイアまで急いだ。

パシフィック・スカイダイブセンターではスタッフ皆に歓迎されたが、他にもマラソン関係のお客さんが多く、時間がかかりそうな予感がした。

それでもここの自慢の飛行機キング・エアは順調に飛行を続けていたし、お天気は良いので、お客さんにグアヴァジュースを差し入れしてゆっくりと待っていただいた。

ただ、この季節、この辺りは午後になると雲が出やすくなる。

いよいよ私のお連れしたお客さんの飛行機が上がる頃になると、どこからとも無く雲が湧いてきて少し心配したが、無事にジャンプして終了した。

お客さんがオーダーしたオプションのビデオの編集が始まると、澄み切ったハワイの上空の空はまさにスカイブルーで、とても印象的だった。

お昼時間を回っていたが、そのままサンセットビーチまで北上し、波乗りを見てもらおうと思ったのだが、8フィートほどに上がった波はバタバタと倒れるように砕け、コンディションが悪くサーファーはいなかった。

少し降りてワイメアに車を止める。

ここの8フィート以上の波は形が綺麗で、沖では多くのサーファーが見られた。

最後にハレイワ・アリイビーチに行くが、ちょうどボードを抱えたサーファーが二人上がってきて、他に人はいなかった。

ここも波の形が悪かった。

その後ハレイワ・タウンで一時解散。

お客さんが戻ってくる頃にはぱらぱらとシャワーが降ってきて、空もすっかり暗くなってきた。

ドール・プランテーションを出発する頃には一時強い雨が降ったが、それもH-2フリーウェイを南下するに従って弱くなり、レッドヒルからダイアモンドヘッドが見えてくる頃には止んだ。

モアナルア・ガーデンの先から始まった渋滞は普段の金曜日よりも激しく、クリスマスショッピングが好調なのだと思ったが、実際は事故で、トラックとレンタカーが激しく潰れていた。

プナホウの出口でフリーウェイを降りると、カラカウア通りの入り口でまた渋滞。

ラジオでも、今日はワイキキでブロック・パーティーをしていて大混雑という情報を流していたので、迂回する事にした。

今日のお客さんはヒルトンホテルにご滞在だったので、ワイキキを目指さずにアラモアナ方面から入ろうとした。

裏道を抜けてケアモク通りに出て、そのままアラモアナSCのパーキングの中を通ってアラモアナ・ブルバードに入った。

あのままカラカウア通りをのろのろと進んだよりは早かったと思うが、この迂回もかなりの渋滞だった。

ようやくお客さんをドロップして家を目指すが、今日はマヒオレの製造元とミーティングがあったのだ。

早ければ4時半頃には家に戻れる予定だったが、この時点で既に6時を回っていたので、アパートで資料を持ってきてそのまま出かけた。

なるべく空いている道を選んで走ったが、なんだか今日は一日中交通渋滞の中にいたような気がした。

そんな疲れを癒すように、昼間のモクレイアの空を思い出す。

12月7日

明日のマラソンの仕事が朝3時からなので、ほとんど一日中寝てました。

風が強く、冷たくなってきた。

明日は晴れてくれるといいなぁ。

12月8日

起きたというか、ベッドから出たのは1時半だった。

風が強くなって肌寒い。

簡単に腹ごしらえして2時半過ぎに出かけた。

最初はサンドビラ・ホテルのおにぎり屋さんで注文してある物をピックアップ。

午前3時前だというのに今日はちゃんと営業している。

それよりロビーはこれから走るランナーでごった返していた。

次はマリオット・ホテルのシアトル・コーヒーでやはり注文済みの品をピックアップ。

ここの混雑ぶりは昼間でも考えられないほどの物だった。

マリオットの正面で他のスタッフ達と合流して、おにぎりとコーヒーを分ける。

私の車に3名乗り込みハワイカイ方面に向かった。

今年も一昨年と同じで、マラソンに協賛しているスポーツドリンクのメーカー「A」社からの仕事をしたのだが、内容も一昨年と同じ仕事で、コース上のドリンク・ステーションにオブザーバーを一人づつドロップしていった。

最初のステーションはワイルペのビーチパーク前。

ここには軍隊のボランティアが来ていて、きびきびと作業をしていた。

次はニウ・バレーのショッピングセンター前。

ここは学校のPTAのようなグループがボランティアをしていた。

最後はマウナルア・ベイ・ビーチパークで、ここはとにかくのんびりムードのグループだった。

マウナルア・ベイ・ビーチパークのパーキングでスタート時間まで朝食タイム。

そして午前5時。

ハワイカイからはアラモアナのスタートの花火は見えないのだが、ダイアモンドヘッドの上空辺りの雲が色とりどりに輝き、レースが始まった。

5時半くらいになってカラニ・ハイウェイを渡り、ロイズの横のケアホレ沿いに移動。

ハワイカイ担当のスタッフが、A社の提携ランナーたちにスペシャルの栄養ゼリーを手渡す為に待機。

東の空が徐々に明るくなってくるが、風が強くて肌寒い。

最初に車椅子レースの先頭と2位から5位くらいまでが通過した後、真っ黒なアフリカ人ランナーの8人ほどのグループが走り抜けていった。

とても人間がアラモアナから走ってきたスピードとは思えない。

その後に車椅子の選手が続く。

30人ほどの車椅子レースの出場者の大半がほとんど走り去った頃、マラソンの選手達がポツリポツリとやってきた。

我々の周りにもギャラリーが集まり始め、皆でランナーが通過するたびに拍手を送った。

A社の提携ランナーたちにゼリーを配り終える頃には、ランナーの間隔が短くなり、テレビ撮影車と共に走る有名選手なども現れた。

ようやくココ・クレーターの後ろから陽が顔を見せ、ランナーの流れが段々と多くなってきた頃、8時過ぎに我々は移動開始。

今度はエイド・ステーションでドロップしたスタッフ達をピックアップして、カピオラニ公園に向かうのだが、カラニアナオレ・ハイウェイは往路と復路の選手達でもの凄い人だった。

今回のホノルルマラソンは、3万人以上が出場し、日本からは1万7千人がエントリーしたそうだ。

ボランティアの数だけで1万人以上というから凄い。

我々はカパフルからワイキキに入り、動物園の駐車場でスタッフをドロップした。

公園にはまだ車は入れない。

私はマリオット・ホテルに車を止めて、徒歩でカピオラニ公園に移動し、A社のスポーツドリンクのブースで完走したランナーたちに労いの言葉をかけながら、ドリンクを配った。

今年もここで多くの友人や知り合いに会った。

ドリンクは順調に捌け、1時半過ぎにはすべてなくなってしまった。

朝は風が強く寒かったが、陽が昇って気温が上がってきて、一時ぱらっとシャワーも降ったが、午後からは陽射しもきつくなってきた。

まだまだゴールして公園内にやって来るフィニッシャー達はいたが、配る物がなくなったので後片付けを始めた。

しかし最終的な片づけが出来るのは、フィニッシャー達が少し減って、公園内に車が入れるようになる3時過ぎ。

それまでは少しのんびりしながらの作業だったが、この時点で私は既に、マラソンを走ってもいないのに筋肉痛になっていた・・・。

3時を過ぎてからマリオットに車を取りに行くが、ホテル周辺の道路が大渋滞になっていて大変だった。

公園に戻って撤収した荷物を積み込み、ダウンタウンの倉庫に運んだ。

解放されたのは5時半。

長い一日だった。

12月9日

朝起きると体中が筋肉痛だった。

普段使わない筋肉を使ったというのもあるが、身体の老化を感じた。

夜はワイキキの鍋会に行った。

マラソンを走った人、これから年末にかけてロングステイされる人などいろいろ集まった。

相変わらず風は強い。

グアムを襲った超大型台風の余波ではないかという人もいるが、やはり地球は異常気象なのだろうか。

12月10日

今日のサークルアイランドのお客さんは日本からとLAからの二組のご夫婦だった。

お二組はご親戚で、実はLAからのご夫婦は15年も前に私がLAでお世話になった方たちだった。

10年以上ぶりにお会いしたのだが、とてもお元気そうで嬉しかった。

さて昨日までの風は収まり、朝のワイキキは快晴だった。

パリ・トンネルを抜けると、ウィンドワード・サイドも雲は多くなくまずまずのお天気。

最初にカイルアビーチに行く。

人も少なく綺麗なビーチでジュース休憩。

カイルア、カネオヘを抜けて、ウィンドワード・モールからそのままカメハメハ・ハイウェイ沿いに住宅街に入る。

キング中学校の先からサンド・バーを見下ろし、カネオヘ湾越しにチャイナマンズ・ハットを見る。

カハルウの海は赤土で真っ赤だった。

クアロア牧場が見えてくると、道の両側にイリマの花が黄色く目立っていた。

クアロアパークは今日は人がとても少なく、静かだった。

マカダミア・ナッツやミロの木を説明。

その後いつも説明しているハラの木が一つなくなっていた。

今年始めに最後に実を付けて以来、葉が全て落ちてしまい、元気が無いなぁと思っていたのだが根元から倒れていた。

実はこの木の根元に、説明用にハラの実を3つ隠していたのだが、それもわからなくなってしまった。

花の少ない季節なのだが、ようやくミロの黄色い花を探して、ククイの実やマングローブの実を説明した。

ドライブしながら北上し、ライエのフキラウビーチに着くとまた風が強くなってきた。

カイトサーフィンを楽しむ人も数人いた。

タートルベイを回ると雲がほとんど無くなり明るくなった。

サンセットビーチに到着。

波は小さく6フィート弱。

それでも東側の海とは大分様子は違った。

エフカイビーチでサーフィンの大会の本部が見えた。

パイプライン・マスターズの最中のはずだが、波が小さくて今日は中止のようだった。

ワイメアもラニアケアもサーファーはいたが、練習というよりちょっと遊んでるという感じだった。

ハレイワ・アリイビーチでランチタイム。

少し風があったが公園には回りに我々以外に人は無く、おしゃべりしながら楽しい時間だった。

ハレイワ・タウンでの休憩時間。

今日は日本人観光客も多く見かけた。

ドール・プランテーションにはマラソンのフィニッシャーTシャツを着た人もいた。

帰りのフリーウェイで、パールハーバーが見えてくる頃、コオラウ山脈に雨雲が広がっていた。

風はまた弱まったが、夕方から降るかもしれないと思ったとき、綺麗な虹が出た。

タンタラスの丘はほとんど人も無く、最後にゆっくりとダイアモンドヘッド、ワイキキやダウンタウン、空港方面の景色を見ていただいた。

さて、夜は日本からマラソン出場の為にきていた友人のカップルと会った。

二人とも完走して、初マラソンの彼女の方が彼よりも少し早かったというおまけ付きだった。

ちょうど半分ほどになった月が綺麗だった。

12月11日

今日はチャーター。

毎年数回ハワイに買出しに来ているネイルサロンの方で、ダイアモンドヘッドクラブの常連さん。

今日が到着で、パックツアーに乗ってきている為、10時頃に説明会が終わってからピックアップして欲しいというリクエストを頂いていた。

飛行機の時間やフリーウェイの混雑状況で時間が前後するかもしれないと思って待機していたが、10時ちょうどに電話があり、ワイキキにお迎えに行った。

お酒などのお土産を頂いてしまった。(Big Mahalo!)

ダウンタウンにある専門店では私もすっかり顔で、事前にオーダーしてある品物の確認や、追加品購入の際の通訳を務める。

ここの店での仕事が終わると、ランチにワードのカカアコ・キッチンに行った。

そして再びダウンタウンに戻り、また別の店での仕入れを手伝い、日本へ発送する為のボックスを買うためにフィッシャーにも行き、ワイキキのホテルでドロップしておしまいだった。

家に帰ると日本からの小包が二つ届いていて、色々入っていた。(Big Mahalo!)

まず『るるぶハワイ2003』が来た。

今年も大きく紹介してくださって感謝!

次に「STAR WARS T&U」のDVDセット。

近く、日本版のDVDを再生できるデッキを入手する予定だが、とりあえずPCで見てみた。

やはり早くステレオに繋げて見たい。

そして、10月に日本で衛星放送された「巨人の星・特別編」のビデオ。

星飛雄馬ではなく、ライバルの花形満が主役のこの特別編の事は、ワイキキの鍋会で知ったのだが、オリジナルを見ていた我々の世代としてはどうしても見てみたくなり、頼んでいたのだ。

しかしアクシデントが発生した。

綺麗に撮れるようにとS-VHSで録画してくれたのだが、アメリカではこのS-VHSは普及しておらず、私の家のデッキでも再生不可能・・・。

ハワイでS-VHS対応のデッキを入手するのはなかなか難しいらしいが、何とかしたい。

この他日本のお菓子や、最近日本でハワイの事を扱ったテレビ番組のビデオなど、本当にありがとう!

今日も月が明るい。

12月12日

ハワイと米本土の間の物資輸送の中心であるマトソン汽船が来年早々料金を値上げすることを決めた。

ワイキキ沖にも時々「MATSON」と書いた大きな貨物船が多くのコンテナを載せて移動しているので、見た事がある人も多いと思う。

かつては客船を運行する会社として、ハワイの近代史の中には必ず登場し、当時の客船のパンフレットやレストランメニューなどにプレミアが付いていて、マニアの間で高額で取引されている。

客船から飛行機の時代になり、マトソンは貨物専門になっていったが、かつて客船で栄えた頃、創業者がダイアモンドヘッドに建てた大きな家があった。

ダイアモンドヘッド・ロード沿いにあったこの家はラニハウと呼ばれ、オン・ザ・ビーチに2千坪の敷地があった。

実は7年程前に、マーケットに出ていたこの家のケア・テイカーとして、私は半年ほどこの家に住んだ事があった。

溶岩を使った柱は趣があり、築70年というのは感じさせなかった。

木造部分の大半はシロアリにやられ、窓枠もさび付いている所が多かったが、目の前に広がる海と、波の音、多くの鳥達の住みかとなっている巨大なバニアンツリー、そして60本もの椰子の木と、忘れられない思い出になっている。

私が住んでいた時も、既にマトソン家の所有ではなかったのだが、家を建てた当時の事をよく想像した。

その後その土地は4つに分割され、バラバラに売られ、昔の面影は全く残っていない。

マトソン汽船の値上げによって、ハワイの物価に影響があるのではないかという懸念が広がっている。

12月13日

撮影の仕事が入る予定だったが流れてしまった為、クリスマスカード作成の追い込み。

今年も私が撮った写真をデザインして、メインのカードを作った。

フォトペーパーには書けない挨拶文などは、今年も別紙にプリントし、裏に私がすべて一言づつ手書きで沿えた。

久し振りと言うか、一年ぶりに日本語を手書きで書いたため、随分汚い字だと我ながら思うが、受け取った人が読めるか心配・・・。

宛先とダイアモンドヘッドクラブの住所はタックシールに印刷して、切手と共に封筒に貼り付けた。

今年は80セントの切手が登場したので、昨年までのように40セントを2枚貼るより少し楽。

過去2年間のお客さんを中心に500通。

目標は明日の集配に間に合うようにだが、ちょっと厳しい。

夕食は「佐野屋」で五目焼きそばをトゥーゴーした。

月が明るい。

12月14日

クリスマスカード作成の作業を続けるが、気が付くと夜の8時過ぎ。

仕上がった分だけとりあえず投函しに行き、夕食の思案をした。

「カールスJr.」に行く事にした。

「カールスJr.」はアメリカ本土には多いハンバーガーのチェーン店なのだが、ハワイにはほんの数件しかない。

レイカースのゲームをテレビで見ると、LAがキーステーションなので、ハワイでは見ない「カールスJr.」のCMを見る事がある。

最近の新製品で「ダブル・チリバーガー」の宣伝を最近良くやっているのだが、それが実に美味しそう。

一番近いのは空港方面、サンドアイランドの入り口でニミッツ・ハイウェイ沿い。

ちょっと距離はあるが行ってみる事にした。

私もここの絶品フライド・ズッキーニが久し振りに食べたくなっていた。

ガスステーションと一緒になった小さな店舗だが、黄色い星のマークが目印。

トゥーゴーして、ダウンタウンを通ってイルミネーションを見ながら帰り、家に帰って食べた。

ハンバーガー一つでほぼお腹一杯。

ここは他にも、代表的な「ウェスタン・ベーコン・チーズバーガー」が美味しい。

12月15日

今日も良いお天気だが、昼間は家でクリスマスカードの作成。

引越しなどで住所がわからなくなってしまい、メールなどで問い合わせをしている物の、いまだに返事が無い人を除いて、一応全てが完成した。

夕方投函しに行く。

毎年最後はドタバタしているが、自分で言うのも変だが、今年もなかなかの出来栄えで、喜んでいただけたらと思う。

段々月が大きくなっていく。

12月16日

今日は久し振りのKTファンツアー。

お客さんは掲示板にも登場された「じゅん&きい」さん。

お菓子を頂いてしまった。(Big Mahalo!)

マカプウの工事は先週末で一応終わったはずなのだが、新聞などにもこの記事が無い。

ちょっと不安だったが、最悪折り返してくるつもりで出発した。

コオラウ山脈には少し厚い雲があったが、ワイキキの天気は良かった。

カイマナで最初のストップの後、カラニ・ハイウェイに入るとニウ・バレー付近で「マカプウ工事・FLOW」と看板が出ていた。

「FLOW」?

見た事のないサインだった。

私は「FOLLOW(追う、続く)」だと思って、まだ工事はしているのだなと思ったのだが、ココヘッドを越える車も多く、とりあえず通れるのだろうと思って先に進んだ。

サンディービーチの先にも交通整理のポリスの姿は無く、マカプウを回り込んだ。

結局一車線が塞がれ、ルックアウトのところにポリスがいて、時間差で車を通していた。

「FLOW」は「流れ」で、交通は流れていますと言う意味だったのだ。

ルックアウトに車を止め、岩場を歩きラビットアイランドを見下ろす。

振り返ると崖の上では数人のワーカーが作業をしている。

ワイマナロのベロウズビーチは久し振りだった。

平日と言う事もあるが、我々の他には例のアメリカ人ツアーグループが遠くにいるだけで、静かな物。

さすがにマイストーンはなくなっていたが、新しい石を見つけてきた。

エメラルドグリーンの海は今日も美しかった。

ウィンドワードサイドは少し雲が出ていて、何度かシャワーもあった。

KTの話をしながら楽しくドライブ。

フキラウビーチは今日もカイト・サーファーが数名風と遊んでいた。

続いてタートルベイ・リゾートに入っていく。

ロビー付近の工事は終わったようだが、奥に進むと板で通路が塞がれ、普段利用しているトイレが使えなかった。

いつも2羽いたオウムが今日は1羽しかいない。

入り口付近のトイレを使わせてもらって、KTファンツアーのみのオリジナル停車スポットに向かう。

KTとスラッキーがかつて車をエンコさせて立ち往生した場所だ。

今日はそこにフルーツスタンドが出ていて、アメリカ人観光客がパイナップルやバナナを物色していたが、こう言うのは当たり外れが大きく、あまりお勧めできない。

それをアメリカ人観光客に教えてしまうと、フルーツスタンドから営業妨害と言われてしまうので、我々は写真を撮ってすぐに移動。

ノースに回ると空が随分明るくなり、晴れ間も多くなった。

サンセットビーチは8フィートほどの波だったが、とても形がよく、多くのサーファーが入っていた。

それを横目で見ながらビーチを歩く。

KTの友達、冨士子さんのビーチハウスの前まで来ると、ここの番犬イカイカが出てきた。

ひとしきり我々にじゃれ付くと、再び家の中に入っていった。

車に戻って再び移動。

エフカイビーチ付近は路上駐車の車が溢れ返っていた。

今日はパイプライン・マスターズの大会が行われているらしい。

しかしここは車が止められないとビーチが見えないので、雰囲気だけで先に進む。

ワイメアビーチの路肩は、伸び放題だったシュガーケインが綺麗に刈り取られ、飛び込み岩からワイメアリバーの河口まで見渡せた。

ここも沖には6フィート以上の波があり、綺麗だった。

ショアブレイクは相変わらず豪快な音を立てて崩れていた。

ラニアケアも波の形は良かった。

ハレイワに入りアリイビーチに行くと、映画の撮影をしていた。

撮影隊が駐車場の半分を占拠していた物の、一般人は少なく、お客さんを降ろしてからランチの仕込みに行った。

ビーチに戻ると、撮影関係者は多く賑やかだったが、公園の中のベンチは空いていて、いつもの場所にセッティング。

ヘリコプターやロールスロイスのオープンカーなどが置かれ、巨大な照明装置が準備されていたが、撮影隊もランチブレイクのようで、何の映画だろうと思いながら遠巻きで現場を眺め、我々はいつもの様に貿易風を浴びながらのランチを取った。

食後、移動の準備を始めると、撮影隊の方も照明に灯が入り、いよいよと言う雰囲気だった。

お客さんも興味津々で、一体誰が主役なのか気になっていたが、役者さんらしい人が見つからない。

私は荷物を持って先に歩いて車に向かっていたのだが、パーキングを横切る時に一台の白いセダンが目の前に止まった。

そこから出て来たのはチャーリー・シーン。

おお!と思っていると、スタッフが駆けつけ、「ハイ!チャーリー!」と向かえて現場に入っていった。

と言う事でチャーリー・シーンの映画だった訳だ。

そんなハリウッド映画の撮影をしているにもかかわらず、ハレイワ・タウンの中はいつもと同じで、今日は日本人も少なかった。

散策時間の後、カフェ・ハレイワの前で記念撮影をして、パイナップル畑に寄ってホノルルに戻った。

家に戻ってシャワーを浴び、夜はワイキキの鍋会に出かけた。

スキューバダイビングのインストラクターばかり6名集まっていた。

会場のワイキキのコンドのラナイからは、クリスマスの飾り付けで派手になった近所のコンドが見えた。

月が明るい。

12月17日

今日と明日は撮影の仕事。

昨年はテロの関係で流れたが、一昨年まで2年連続でやっていた名球界関係の撮影の仕事が回ってきた。

先週末にする予定だった仕事は名球界のゴルフの撮影だったのだが、それほど忙しくならなかったようで私の分はキャンセルになった。

今日明日の撮影はTBSの「体育王国」。

前は「筋肉番付」だった番組のタイトルが変わっていた。

撮影場所はハワイ大学レインボースタジアムで、家からも近い。

今日はこのスタジアム内で行われる7つの競技の舞台セッティングが行われていて、多くの関係者がフィールド内で動き回っていた。

私はチーフコーディネーターのスティーブさんや日本のスタッフから競技の内容や進行などについて説明を受け、当日現場で働く学生アルバイト達のまとめを任された。

後はもっぱら雑用で、弁当の仕込みに行ったり、日本からのスタッフと現場のローカルスタッフ達との通訳をしたり。

午後からバイトの、主に日本人の学生達が打ち合わせで集まってくると、作業分担をしたりもした。

中には先日のマラソンの仕事の時に一緒だった青年もいて、和やかな雰囲気だった。

レインボースタジアムは初めて入ったのだが、人工芝もとても綺麗で、広いオープンな空間での仕事は楽しかった。

昼間はとても天気が良く、夕方は虹が出て、夜にシャワーが数回降った。

明日の本番の天気が気になったが、やがて雲も切れて大きな月が顔を出した。

最後は設営の力作業もあったが、9時前に終了。

明日は早朝から長嶋さんと再会できるかも。

12月18日

マノアの入り口、ハワイ大学のレインボースタジアムに集合したのは6時45分だった。

それぞれ準備を始め、空が次第に明るくなってくる。

スタッフが泊まっているワイキキのホテルに向かい、実況のアナウンサーなどをピックアップ。

日本からやって来ているスタッフは総勢で30人近く。

ローカルは技術スタッフが10名ほど、美術系が20名ほど。

それに我々コーディネーターが4名。

バイトの学生も集まり始め、準備された朝食を食べる。

最終チェックが始まり、用意が出来た頃、名球界ご一行様を乗せたバスが到着。

長嶋さんと2年ぶりの再会に既に心はウキウキ。

今日はジャイアンツのキャップを被って仕事をしていた。

今年は王さんや張本さんがいなかったものの、金田、稲尾、柴田、若松、山本浩二、衣笠、矢沢、東尾、北別府、駒田などなど、やはり超豪華なメンバーだった。

天気は良く、朝から気温が上がった。

雨が降るよりは良かったのだが、あまりの暑さで体調を崩す方もいて、途中でワイキキのホテルに送っていったりもした。

バイト学生達に動きを指示したり、私も走り回っていたが、やっぱり気になるのは長嶋さん。

長嶋さんが競技に出ていない時にはチャンスを伺っていたのだが、いつもインタビューを受けていたり、取材されていたりで、ミスターに近づく事はなかなか出来なかった。

直射日光を避けるために長嶋さんが実況席のあるテントの影に行ったとき、ちょうど周りに人がいなくなり、チャンス!とばかりにさっと近づいて行った。

手にはアルバイトさんの名札を作った時に使ったペンとジャイアンツの帽子が。

そして「長島さん!サインを頂いても宜しいですか?」と声をかけると、「ああいいよぉ」と帽子とペンを受け取り、何気なく帽子を見て「おお、巨人のだね」と言ってYGのマークを触ってくれた。

「昔から大ファンです!」と言うと、目を細めてつばの裏に「長嶋茂雄」と書いてくれた。

スタッフの一人として働いている中で勧められる事ではないので、一昨年とその前は悔しい涙を飲んだが、今年はやってしまった。

実はハワイのスタッフの中には、サインや写真をお願いしている人は前に見かけた事があり、自分の仕事をちゃんとしながら長島さんの隙を見つける事が大変なのである。

結局暑さの為か、長嶋さんは途中でホテルに戻ってしまい、どうやら今年長嶋さんからサインをもらえたのは私だけだったらしい。



その後は一日中ニコニコしながら仕事をした。

さて撮影の方は順調に進み4時には終了した。

撮影が長引けば、今晩は11時過ぎまで仕事になるかもしれないと言われていたのだが、撤収作業も順調に進み、7時にはすっかりグラウンドも片付いた。

最後は残った日本からのスタッフをワイキキのホテルまで送り届けて終了。

その後コーディネーターだけで、カパフルの「居酒屋・飲んべい」で打ち上げミーティングをした。

写真は長島さんのサインと、ゲーム中に使っていた対戦表のプレートです。

12月19日

今日は風が少し弱かったので、朝からドアを少し開け放していた。

ストレッチをしたりニュースをチェックしていると、隣のターキーがこっそりと入ってきた。

既に家の中のチェックは住んでいるので、あまり奥には興味が無いらしく、玄関で寛いでいた。



さて、気が付けば私のハワイ生活も丸9年が経ち、10年目に入った。

ハワイ生活が長くなると、狭い場所で季節感が無く、社会も狭いと言った理由から飽きてしまう人もいるようだが、私にはまだまだ知らない事、知りたい事が多く、狭いと言ってもまだ足を踏み入れた事の無い場所もあるし、季節感もちゃんと感じている。

夜、アッパー・マキキの大ちゃんのコンドに遊びに行ったのだが、何しろ12月に半そで短パンでラナイでビールを飲みながら、月見が出来るなんて、こんな素晴らしい場所に何故飽きようか。

満月が眩しいほどの夜だった。

12月20日

なんだか最近すっかり天気が良くて雨季と言う気がしないばかりか、気温が高くて冬と言う感じもしない。

今日はクリスマス前の最後の金曜日。

道路はどこも渋滞していたのだが、アラモアナ公園に出かけた。

郵送で送るクリスマスカードとは別に、暑中見舞いとクリスマスカードをデジタル写真でつくりEメールで送っている。

今日はその素材の撮影に出かけた。

クリスマスツリーの下で撮ったり、赤いブーゲンビリアの前で撮ったり、過去にも色々工夫してきたが、今回はアラモアナ公園でのロケとなった。

どんな写真を撮ったのかはクリスマスまでのお楽しみとして、裏道を選んで渋滞を避け、家に戻ってから編集をした。

郵送の分はハワイの友人知人たちには既に届いたようで、何人か連絡をもらった。

風が弱い。

12月21日

夕方モーティーがウクレレを持って現れた。

ウクレレ・レッスンで色々と教え方を工夫しているそうで、意見を聞きに来た。

私もかつて鍵盤には親しんだ事はあるのだが、弦楽器は慣れていない。

しかし素人に教えるので、私達のような人の意見の方が参考になるらしい。

私も一つウクレレが欲しくなった。

12月22日

今日は空港お迎えでのスカイダイビングとノースショアツアー。

朝から陽射しが眩しく、空港に到着した時には既に気温が上がっていた。

小さなお子さん連れのお客さんをピックアップしてノースショアに向かう。

ワヒアワでH−2フリーウェイを降りるまでスカイダイビングの説明。

パイナップル畑が見えるとお客さんたちも窓の外に目を凝らす。

やがて坂道の下に海が、そして波が作る白い筋が見えてくる。

ノースのお天気も良い。

ワイアルア・ハイスクールの前を通ってモクレイアを目指す。

ディリンハム飛行場はそれほど人が多くなかった。

パシフィック・スカイダイブセンターに到着すると、日本人のお客さんは他におらず、米本土からクリスマス休暇を楽しみにきているアメリカ人が多かった。

飛行機は順調に上がり、私のお連れしたお客さんも11時頃には記念すべき初ジャンプを終えて戻ってきた。

オプショナルのビデオ撮影の編集が始まると、あまりに綺麗なモクレイアの空と海の映像に私も釘付けになった。

ハワイ出身で、現在は米本土などで活躍しているスカイダイバーの知り合いが、数人クリスマス休暇で戻っていた。

スタッフ達にも「メリークリスマス!」と言ってモクレイアを出発。

バイパスを通って先にサンセットビーチまで行った。

8フィートほどに上がった波はとても綺麗だった。

ショアブレイクも大きくビーチの砂をえぐり、近づいた観光客がライフガードに注意されていた。

ワイメアビーチはローカルで賑わっていた。

ハレイワ・アリイビーチは4フィートほどで、子供など多くのサーファーが遊んでいた。

一通りノースのビーチ見学を終えるとハレイワ・タウンで一時解散。

私はL&Lでマヒマヒ・プレート。

その後はいつもの様にノーショアMPでお客さんを待つが、風が少し弱くなるとかなり暑かった。

アメリカ人観光客は多かったが日本人は少なかった。

最後はドール・プランテーション。

ここには日本人観光客も多かったが、やはりアメリカ人が目立った。

日曜日でフリーウェイは空いていたが、ワイキキ、アラモアナが近づくと少し渋滞した。

クリスマス・ショッピングの為の移動はまだ続いているようだ。

夜にはまた風が出てきた。

12月23日

クリスマス前だが残念なニュースが二つ入ってきた。

一つはこの年末年始に日本からハワイにやって来る予定だった人が、旅行会社からキャンセルの通知を受けたということ。

グアムの台風の影響だとか、旅行会社同士の嫌がらせなど、様々な説が飛び交っているが、一人や二人では無くかなり大量のキャンセルが発生した模様で、私のお客さんもこの中に入っていた。

上手い具合に他社で予約を取って、値段は上がった物の、何とかハワイに来れるようにした人もいたが、キャンセルによる返金がいつになるのかもわからない状態で、すっかり諦めムードの人も多い。

スーツケースのパッキングが済んでいた人は勿論、オプショナルツアーやレストランの予約、更には駐車場のリザーブまで済んでいた人もいて、精神的な被害も大きそうだ。

さてもう一つのニュースは、昨日私がお客さんを連れて行ったモクレイアで、スカイダイビング事故があったということだ。

事故があったのは午後、我々がいなくなってからの事だったが、アメリカ本土からクリスマス休暇でハワイを訪れていた女性が、タンデムのスカイダイビングに挑戦した所、パラシュートが上手く開かず、インストラクター共々亡くなったと言う事だ。

詳しい事故原因は究明中だが、パラシュートに異常があったとか、インストラクターの未熟さでは無いらしい。

しかしこれは私が信用して使っている「パシフィック・スカイダイブセンター」では無く、ダンピングで値段を下げている会社で起きた事なので、どこかに安さのしわ寄せが来ていたのかも知れない。

ハワイでタンデム・スカイダイビングで死亡事故が起きたのは初めてだが、世界的にも1999年以来の事で、これは大変稀なのだが、死亡した女性は誕生日のプレゼントに彼氏からスカイダイビングをプレゼントされたのだそうだ。

ご冥福をお祈りしたい。

さて、私は夜、ワイキキの鍋会に出向いた。

スキューバダイバーを中心に10名以上集まって、とても賑やかだった。

ワイキキからも星が良く見えた。

12月24日

昼間はKTファンツアー・スペシャルの資料作り。

夜はモーティーのおうちにお邪魔してクリスマスパーティー。

モーティーの奥さんのMさんがターキーを焼いてくれた。

アメリカの家庭には一般的なのだが、キッチンの大きなオーブンを使って焼いてくれた。

うちにもあるのだが、うちではほとんど使っていない・・・。

さて、我々は甘い物担当で、ケーキを買っていく事になっていて、テッズ・ベーカリーのハウピア・パイを持って行こうと思っていた。

しかし、昼間タイムスに行くと既に売り切れていて、それどころかケーキの類は全て品切れだったらしい。

ではモーティーの家に行く前に買っていこうと思っていたのだが、ベレタニア沿いのサン・ジェルマンも、タイムスにもケーキは一切無く、慌ててアラモアナSCに行くが白木屋は既に閉店。

クリスマスセールも既に終了して、ショッピングセンター自体が早仕舞いだった。

広い駐車場をぐるっとひと回りして、カピオラニ通りからマッカリーSCに行くが、ここの「PAN−YA」も閉店、マッカリーを上がって「フジパン」もチェックするがここもクローズ。

さて困った・・・。

で、最後の望みの綱でモーティーの家に一番近いフードランドに行くとまだ開いていて、賑わっていた。

急いでケーキのコーナーに行くと、まだ十数個のケーキがあり、その中になんとテッズのハウピア・パイもあった!

灯台下暗し・・・。

楽しいパーティーになった。

12月25日

MELE KALIKIMAKA!

今年も多くの方からクリスマスカードやEメールでのメッセージを頂きましてありがとうございました。

ハワイは今日も良いお天気で、昼間は汗ばむほどでした。

ディナーを作る事になったが、食材が足りない事に気付き、買出しに出た。

タイムス、フードランド、セーフウェイ、スター、どこもクローズ・・・。

そりゃぁクリスマスの日に開いている店なんか無いかぁ・・・と思って、ワイキキに行くと、フード・パントリーが開いていた!

さすがワイキキ。

いつもの事だが凄い人出で、レジの列も長かった。

今日はここしか開いていないらしいが、昨日までに用意していなかったのが悪いのだ。

並んでいると、友達にも会った。

お互いわざわざワイキキに買い物に出てきたようだ。

夜は家でささやかなパーティーをした。

12月26日

朝から電話屋に急いだ。

実はクリスマス・イブから携帯電話がおかしくなって、壊れてしまったのだ。

まだ半年も経っていないので新しいのと取り替えてもらうつもり。

しかしいわゆる保証の手続きがあり、その場で交換は出来なかったが、一番安い(実際は無料)電話をとりあえず買った。

ま、これは仕方ないが、ワイキキのホテルの電話番号など大量のメモリーのデータがどうなるか。

日本では新しい電話にすぐにデータを入れ替える事ができるそうだが、アメリカ人にそんな発想は無い様で、自分でまた一つ一つ入れなければならない。

実際には保証によって、壊れたとのと同じ機種が私に届いてから、この作業を行う事になる。

携帯電話には今までもちゃんとカバーは付けていたのだが、外で仕事をするのでどうしても時々落としてしまう。

外傷は無いが、前に使っていたモトローラの電話はタフだった。

今のノキアは使いやすいがもろいようだ。

電話をゲットすると、その後はまた引き続き資料作り。

天気もよく、外に遊びに行きたいが、お正月明けまでは仕事ばかりになりそうだ。

12月27日

午前中KTから電話があった。

今日ハワイに戻ってきて、今家に着いたと言う事だった。

実は昨晩、これから空港に向かうと言う時にも電話をくれたのだが、その時とは声の調子が違って、すっかりウキウキモードだった。

さて私はサンセットビーチツアーに出た。

年末のカウントダウンライブを見に来たKTファンを中心に、6名様で出発。

色々とお土産を頂いてしまった。(Big Mahalo!)

最初にドール・プランテーションに寄り、ハレイワを飛ばしてノースショアを北上してサンセットビーチまで行った。

観光のアメリカ人がほとんどだったが、凄い人出で、波が小さかった事もあったが、たくさんの人が泳いだりして海に入っていた。

少し休憩して今度は南下。

ワイメアはローカル中心で混み合い、久し振りに飛び込み岩の上にも人がいた。

ラニアケアの手前のチャンズ・リーフと言うサーフポイントには、3フィートほどの波があり、大混雑だった。

ハレイワに入り、アリイビーチも小さな波だったが、学校が冬休みと言う事もあってローカルキッズたちで賑わっていた。

ここでもしばし休憩の後、ハレイワ・タウンで解散。

私はL&Lでテリ・サイミンを食べた後、ノースショアMPでゆっくり読書。

ワイキキには日本人も増えてきたが、ここはまだアメリカ人観光客の方が圧倒的に多い。

しかし彼らも徐々に減り、ハレイワの街も少しづつ静かになってきた頃、お客さんも戻ってきてサンセットビーチに再び移動。

昼間の混雑も無くなり、ローカルが少し増えた。

沖の波も昼間よりは上がり4フィートほど。

人の声の代わりに波の音が気持ち良い。

空はクリアで、綺麗な夕陽を期待したが、今の時期陽の沈むカエナ岬の辺りだけ雲が集まり、日没の瞬間だけは雲の中だった。

それでも刻々と空の色が変わり、ぽつぽつと浮かんだ雲も白、オレンジ、赤、紫、グレー、そして再び白と変化。

日没後は残っていた人も次々と減り、風は少しひんやりとしてきた。

我々も移動開始。

ノースショアも所々の民家でクリスマスの飾り付けをしている。

ハレイワの街中も昼間と違ってイルミネーションが目立った。

真っ暗なパイナップル畑を抜けて、ワヒアワに入ると、スコーフィールド兵舎の入り口の飾り付けが綺麗だった。

H−2フリーウェイでパールハーバーが見えてくると、ここはいつもの様に綺麗な夜景が待っていた。

その後はオプションで、H−1フリーウェイをパンチボウルで降り、ダウンタウンに入った。

ホノルル・シティライツは1月1日までなので、クリスマスが終わっても綺麗に飾り付けがされていて、ぐるりと回る。

さらにキング・ストリートからケアモク・ストリートを上がって、タンタラスの丘に登る。

貿易風が強くなり、タンタラスの展望台は肌寒かったが、ワイキキの夜景を見ていただいた。

今日ハワイに着いた方もいたので、ワイキキに戻った時には眠そうだったが、ツアーは楽しんでいただけたようだった。

家に帰るとインターネットで注文していたDVDデッキが到着していたが、セットアップ出来るのは年が明けてからになりそう。

12月28日

昼間はKTファンツアースペシャルの準備。

夕方は日本から遊びにきているスカイダイバーの友人と、彼が宿泊しているアラワイ・ヨットハーバーで会った。

「今度は安い時期に来る!」と言っていた友人だが、仕事の休みが取れるのがこの時期だけだったそうで、突然やって来たのだ。

タバコをお土産にもらい(Big Mahalo!)、ダイアモンドヘッドクラブのTシャツをプレゼントした。

ゆっくり話したかったのだが、私はこれから仕事だったので、立ち話だけだった。

その後はナイトドライブツアー。

スキューバ・ダイバーばかり7名様、うち女性一人と言う、ちょっとイレギュラーなナイトドライブだった。

ハワイは初めてという方もいて、最初はタンタラスの丘に登った。

風が上がってきて、展望台はとても寒かった。

夜景の写真屋さんも震えながら営業していた。

続いてH-1フリーウェイに乗りパールシティーへ。

レッドヒルからパールハーバーの夜景を見下ろして、カメハメハ・ハイウェイに降りる。

クリスマス・イルミネーションを競い合っている住宅街の一角に入っていく。

そう言えば今年は12月にナイトドライブツアーが今日まで全然無かった。

で、ここのイルミネーションを見るのは私も今年初めてだった。

昨年と変わらず派手な電飾を飾った家が多かったし、クリスマスを過ぎた事もあってか、昨年はきらびやかに飾っていた家の中でもすっかり飾り付けが無くなっていた所もあった。

だが昨年より更にパワーアップした家もあり、お客さんは大喜び。

賑やかな一帯を歩いていただき、写真などたくさん撮っていた。

次に通常のナイトドライブのコースに戻り、公園に行って休憩。

男性が多かったので、「今度は彼女を連れて来たい!」と言う声を随分聞いた。

公園の駐車場には、既にクリスマスツリーが山積みにされていた。

これはリサイクルの為の回収場所なのだ。

さて再びH-1に乗って、最後はダウンタウンの「ホノルル・シティライツ」を見ていただいた。

ここの電飾はクリスマス前と変わらなかったが、人出は少し減っていた。

ワイキキにお客さんをドロップに行った時に感じたが、ここは人出が増えてきた。

いよいよお正月の混雑が始まった。

12月29日

大晦日にハイアット・ホテルで行われる、KTこと、杉山清貴兄貴のカウントダウン・ライブに伴って、日本のファンクラブがツアーを企画していて、3種類の日程で多くのファンがハワイにやって来る。

その中のオプショナルツアーとして、ダイアモンドヘッドクラブの「KTファンツアー」が組み込まれ、『スペシャル』企画という事で、普段よりは大分多い人数をお世話する事になった。

最初は大型のバスを要請して、40〜50人を一度にご案内する事も予想されたが、日程の関係で明日12月30日と1月2日の2度に分けて行う事になった。

結果的にミニバスを使う事で済んだのだが、いずれにせよ普段の倍の人数に対するツアーなので、色々な問題があった。

バスをチャーターするのにお金がかかる事以外に、いつもは回覧しているツアー資料を配布する事になり、これが手間取った。

ランチの仕込みや食事をする場所、雨の心配、休憩のドリンクなど、気にしなければ行けない事が多かった。

一応準備完了。

後は明日のツアーでどうなるかだけ。

夜、明日のツアーにゲストで参加してくれるスラッキーがやってきた。

今回はKTの家に宿泊しているのだが、明日の朝が早いので今日はうちに泊まる事になっていた。

やって来たのが遅かったので、すぐに寝るのかと思ったら、ここからまた飲み始めてしまった。

私は先に寝かせてもらった。

明日は晴れの予報。

当たるといいな。

12月30日

昨日スラッキーが私に持ってきてくれたカレンダーと、パンフレットを見た。

これは「KT アロハ・カレンダー」とKTの冬のコンサートツアーのパンフレットなのだが、ハワイでの撮影には私も随分同行して、お手伝いさせてもらったので、完成したグッズを見るのは嬉しい。

しかもどちらも私の名前が入っていて、かなり感激。

さて朝からお天気は良く、支度を済ませるとスラッキーと私とで荷物を抱えてワイキキに出発。

今日の「KTファンツアーSP」は二つのホテルからピックアップがあり、私はアイマックスシアターのパーキングに車を止めて歩いて戻った。

ミニバスをチャーターしていて、お客さんをピックアップする15分前に来てもらい、コースや走り方の打ち合わせをした。

どんなドライヴァーさんが来るのか少し心配だったが、ハワイに長い日本人の方で、安心した。

お客さんが集まると、スラッキーと私が乗り込んで、次のホテルに移動。

ここでKTのIマネージャーと会い、お土産を受け取る。

これは私へのお土産ではなく、お客さんへのお土産。

今回のツアーでは日本の事務所からお土産を付けるという事だったのだが、私も今日までどんなお土産なのか全然わからなかった。

中身はオリジナルのお洒落なペン。

お客さんが全員揃った所でKTミュージックをかけ出発。

普段のミニバンと違い、小回りが効かないのと、人数が多いので通常のツアーに手を加えて、停車個所なども変えた。

LAにいた頃はよくあったのだが、運転をせずにマイクを握ってのガイドは久し振り。

自分のペースで運転が出来ないのはちょっと気になったが、その分しゃべりに集中できた。

通常最初に停車するカイマナビーチは、ワイキキからも徒歩圏内ということで車内からの説明だけにして、そのままサンスーシーの住宅街に入る。

人数は多いが一人一人に行き渡るように資料を配布してあるので、各ポイントではページ番号などを説明して、資料を参考にしていただいた。

ワイキキはほとんど波は無かったが、ダイアモンドヘッド沖には2〜3フィートの波があり、クリスマス休暇を楽しむローカルで賑わっていた。

カハラを抜けてカラニアナオレ・ハイウェイに入る。

スラッキーも徐々におしゃべりを始めた。

混み合うハナウマ湾の入り口を過ぎると、目の前に大きく太平洋が広がる。

KTが好きなポイントだ。

サンディービーチも2〜3フィートと小さかったが、マカプウは厚い4フィートを超える波がゆっくりと寄せていた。

ここで最初の小休憩の後、ワイマナロに入りベロウズビーチでジュース休憩。

ローカルに混ざってレンタカーのアメリカ人観光客も多く、普段の3倍くらいの人出だった。

普段のKTファンツアーでは停車しないクアロアパークでトイレ休憩。

でもせっかくだからマカダミアナッツや、ミロの木について説明。

ウィンドワードも雲がほとんど無く、海も素晴らしい色を出していた。

何しろお客さん達はKTの音楽を聴いているだけでうっとり。

プナルウ、ハウウラと過ぎて、ライエのフキラウビーチへ。

ここもいつもの3倍くらいは人がいたが、それでも20人はいない。

陽射しも強くなってきた。

タートルベイの、「KTとスラッキーの車がスタックした場所」は、普段のファンツアーでは停車して記念写真を撮っているが、ここも今日は飛ばしてサンセットビーチへ向かった。

8フィートほどに波が上がっていたので、サーフィン見物だけでも面白かったが、何しろ凄い混雑で驚いた。

ノース全体が白い煙に覆われているように、波飛沫が潮風に乗って垂れ込めていたが、不思議と潮の匂いは全然しなかった。

ラニアケアも良いサイズの波が上がっていた。

ハレイワ・アリイビーチに到着すると、間もなくマツモト・シェイブアイスのスタン・マツモトが登場。

ランチを運ぶのを手伝ってくれたのだ。

ランチと飲み物、ビーチマットを配ってランチタイム。

ビーチではサーフィンの大会が行われていて、ギャラリーも多かった。

食事の後はハレイワ・タウンに出て、再び一時解散。

やはりマツモトシェイブは人気があった。

最後にドール・プランテーションでトイレ休憩をして、ホノルルに戻った。

今日は何しろお天気が良くて助かった。

食事はビーチパークで食べたかったのだが、雨になれば屋根のある場所が必要になる。

普段のような少人数なら、ランチを仕込んだL&Lに戻って食べる事もできるが、今日のような大人数ではそれも難しい。

もう一度1月2日に同じツアーがあるので、その時もお天気だけだ。

最後にお客さんにお土産を渡しただけでなく、私も何人かからお土産を頂いてしまった。(Big Mahalo!)

さて、お客さんをホテルにドロップして、荷物も降ろして、スラッキーに荷物番をしてもらって、私は車を取りに行き、スラッキーの所に戻ってスラッキーと荷物をピックアップして、家に帰った。

スラッキーは今晩ワイキキで開かれるKT&スタッフ・忘年会に出席する為に準備。

私はダイアモンドヘッドクラブの常連さんとのお食事会のため準備して、再び家を出た。

ところがワイキキでパレードがあり、大渋滞である。

よく考えたら去年も同じパレードがあった。

カラカウア通りは人の歩く速度より遅い車の流れで、ワイキキに入る頃にはすっかり疲れ気味だった。

それでも常連さんに会って再び元気になり、色々とお土産も頂いてしまって、すっかり疲れが取れた。(Big Mahalo!)

予約してあった時間よりは遅れてしまい、途中で電話も入れたのだが、食事はマイランだった。

サムさんは「ゆっくり来なさいよ」と言ってくれたのだが、行ってみると大混雑していて、予約していた時間はちょうど集中していたらしく、遅れたことは結果的には良かったらしい。

今日もランブータンやロンガンをデザートにサービスしてくれてお腹一杯になった。

夜風が気持ち良い。

12月31日

今年最後の仕事はチャーターツアー。

お客さんはダイアモンドヘッドクラブの常連さんで、一日でオアフの東、北、西を回る。

リクエストでキャサリンも同行。

お天気は最高。

まずはタンタラスの丘に登って、ダイアモンドヘッド、ワイキキ、更にダウンタウンや空港方面を見下ろす。

年末で慌しかったワイキキとは比べ物にならない静けさ。

ここからH-1フリーウェイに入り、パリハイウェイに乗ってカイルアを目指す。

風が弱く、ウィンドサーフィンやカイトサーフィンの姿は見なかったが、人出が凄かった。

クリスマス休暇も最後となったアメリカ人観光客に、年末年始をハワイで迎える日本人観光客が混ざって、ワイキキに近いほどの賑わいだった。

しかし私がここでいつも陣取るアイアンツリーの下は予約してあったかのように空いていて、ここにラグを引いた。

グアヴァジュースをサーヴしてリラックスしていただく。

回りには小さな子供も多く、海に入って遊んでいる人もたくさんいたのだが、岸からすぐの所に海亀が顔を出した。

だが亀を見つけた観光客達が騒ぎ出すと、身を翻してどこかに行ってしまった。

その後ラニカイに移動して、ビーチを少し見学した。

と言っても満潮に近く、ビーチがほとんど無い。

ビーチアクセスの出口に立って、沖のモクルア島、通称らくだ島を見る。

カイルアからはすぐの場所だがここはとても静かだった。

次は眺めの良いH-3フリーウェイに乗り、H-1、H-2と乗り継いでドール・プランテーションに行った。

お客さんと一緒に初めてパイナップル・エキスプレスに乗った。

お客さんは日本人とアメリカ人が半々くらいだったが、係員が英語で注意事項などを説明をして出発。

スピーカーからナレオ・ピリメハナの音楽がかかり、彼女達がパイナップルの事や歴史を解説してくれる。

パイナップル畑の中を走るが、ちょうど株を植えている所が近くにあるくらいで、ほとんど赤土ばかりの光景。

他にもコーヒーやプルメリア、マンゴーなど、看板は出ているが幼木ばかりで、まだしばらくはちょっと殺風景なのだろう。

でも、道路から見るのとは違い、20分ほどのライドはハワイの風を満喫できて気持ちが良かった。

続いてハレイワ・アリイビーチに出て遅めのランチタイム。

今日も引き続きサーフィンの大会が行われていた。

そしてワヒアワに戻り、今度はクニア・ロードを通って島の西側に出る。

H-1とファーリントン・ハイウェイを使ってカエナ岬のヨコハマベイまで一気に走った。

マカハ辺りでは4フィート以上の波が上がって、どこのビーチもローカルサーファーが多かった。

ヨコハマベイも3フィートのショアブレイクが音をたてていたが、人は少なく、サンセットまでの時間をのんびりと過ごした。

今年最後の夕陽。

広い砂浜には4組12名ほどの人しかいなかった。

雲ひとつ無い水平線に綺麗な夕陽が沈んでいった。

途端に風がヒンヤリとしはじめ、我々は一路ワイキキへと戻った。

フリーウェイの混雑はほとんど無かったが、カラカウア通りがワイキキの近くでやはり少し詰まった。

お客さんをドロップして、家に戻り、シャワーを浴びて、簡単に食事をして、今度はワイキキに向かった。

KTのカウントダウンライブの行われるハイアットリージェンシーホテルに着いたのは10時。

実は昨年はタクシーがなかなかやって来ず、ライブが始まってから到着したのだが、今日はすぐに来て、渋滞しているワイキキの中もドライバーさんが気持ちよく走ってくれてオン・タイムだった。

ボールルームの前まで来るとスラッキーに会い、中に入った。

ステージの横を通った時に「JUN!」と声をかけられたので振り向くと、これからステージに上がるKTとメンバーの皆さんがいた。

KTの着ていたアロハシャツは私が以前プレゼントした物で、嬉しかった。

皆さんに簡単に挨拶をして、「頑張って下さい!」と声をかけて席に着く。

早速お酒を注文して飲み始めると、ライブが始まった。

昨年のカウントダウン以来、2度目のKTライブだ。

隣に座ったスラッキーは、「最初から飛ばしてるねぇ」などと落ち着いた様子だったが、次第に乗ってきた。

ステージの最前列を陣取った熱狂的KTファン達が立ち上がって応援を始める。

その後も会場のあちこちが立ち上がって踊り始めると、私もいつのまにか弾けていた。

そしてカウントダウン。

ライブが終了すると昨年同様に、以前KTファンツアーに参加した方や2日のツアーに参加する方などが私とスラッキーの周りに集まってきて、にわかに写真撮影大会が始まった。

今日の昼間のツアーのお客さんもライブに来ていて、私のところにやってきた。

しかしゆっくりしている間もなく、KTのマネージャーE氏が現れ、スラッキーと私を会場から連れ出した。

連れて行かれたのは楽屋で、KTやバンドのメンバーが寛いでいた。

みんな大仕事が終わって安心したような表情だった。

何故か私も一緒になってビールを飲んでいたのだが、そこへハイアットホテルの関係者などが続々と挨拶にやってきた。

気が付くと楽屋の外はスタッフなど関係者で一杯だった。

程なくぞろぞろと打ち上げの会場へ20人ほどが移動した。

私も誘われ、今回はオプショナルツアーのスタッフと言う事だったので、遠慮せずに付いていった。

みんなで年越し蕎麦を食べ、ひとしきり盛り上がった後解散になった。

ところが私はその後、KTの家まで誘われてしまった。

スラッキーと初日の出の写真を撮りに行くというのだ。

ライブ会場で最初に頼んだジントニックは全然お酒の味がしなかったので、途中からバーボンをストレートでもらって飲んでいた。

打ち上げの会場ではサックス奏者のG氏とKTと「越の寒梅」を飲んでいて、既に私はフラフラだった。

KTの家で再び飲み始めた私は途中から記憶が無かった・・・。


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