ハワイ日記2002年10月



10月1日

ハワイ大樹木園へのトレッキング。

今日は2組6名様で、モーティーも参加した。

朝、モーティーとスナックのスパム結びを家の近くのセブン・イレブンに買いに行くと、前の客が次々と買い、目の前で残りが2個しかなくなってしまった。

ワイキキのセブン・イレブンに行こうかと思っていたら、奥から大量に出してくれたのだが、冷たい。

と、店員が「今日はいくつ欲しいの?」と聞き、それを次々と電子レンジに入れて暖めてくれた。

トレッキング中に、お客さんにスパム結びを差し上げると、半分ほどの方はかつてワイキキなどでこれを食べた経験がある。

しかし、皆さんが口をそろえて言うのは「ABCのスパム結びより美味しい」と言う事である。

一体何が違うのだろう?

さて、ホカホカになったスパム結びを持ってお客さんを迎えに行った。

風が弱く、マノアの奥の山には少し灰色がかった雲があったが、その先には青空も見えていたので出発。

すぐにぱらっと雨粒が流れてきたが、これはすぐに止んだ。

個々の植物は一般的にはオアフ島に自生しないものも多く、私もまだ全ての名前を覚えている訳ではないのだが、勉強は欠かしていない。

しかし、勉強してもその場で名前を思い出せない事が多い。

例えば、「ワイルド・ポインセチア」、これは覚えやすい。

しかし、「カラテア・ゼブリナ」、「メディニラ・カシンジー」、「モンステラ・デリキオーサ」なんてやっぱりすぐには出てこない。

カラテア・ゼブリナは日本では観葉植物としてお馴染みで、葉っぱにトラのような模様がある。

メディニラ・カシンジーはマウイ島にしか自生していないそうだ。

モンステラ・デリキオーサは、実はハワイでは結構どこにでもあり、もっと簡単なハワイ名や愛称があると思うのだが、まだそこまで結びついてはいない。

まだまだ進化しなくては・・・。

今度は写真を撮ってきてUPしたい。

10月2日

日本にいた頃、新しいビールが発売されるとすぐに買って飲んでいた。

ビール一本の値段は、外に飲みに行く事を考えれば安いので、酒屋で、まだ飲んだ事が無いのを見つけるとすぐに買っていたが、同じ考えの人は多く、新製品のビールはどれも売上が良かった。

メーカー側もそれを知ってか、次々と新しいビールを出していたのを思い出す。

最近では「発泡酒」と言う名前に変わって、同じ事が繰り返されているようだ。

アメリカでもビールの新製品が出る事はあるが、どうもアメリカ人の酒飲みは頑固者が多い様で、ヒットした商品は聞かない。

代わりに新製品がよく出るのはジュースやソーダなどである。

アメリカ人も子供は好奇心が強いのか、すぐに話題になる。

最近出たのは「バニラ・コーク」と「ペプシ・ブルー」。



文字通りバニラ味のコークと青いペプシである。

バニラ・コークは私は好きだ。

ペプシ・ブルーは飲むと舌が青くなる。

写真をUPしたので、近々ハワイにいらっしゃる方は試してみては?

10月3日

9月はハワイから出て行く友達が多かった。 LAに引っ越していったクロちゃんとチルちゃん、日本に帰ってしまったMALIちゃん。

今月は既に2件の引越しの手伝いを頼まれている。

しかし彼等はオアフ島内での引越し。

こう言うのは重なるものである。

さて、今日は友人をカハラのカイロプラクティックの医院に連れて行った。

大きな家を改造した診療所の入り口を入ると、小さな待合室がある。

ここのリンダ先生が飼っているペニーと言う名前の犬が出てきた。

前回は帰り際にちょっと見ただけだったのだが、今日はソファーに座って待っている私たちの前から動こうとしなかった。

最初は少し構ってあげていたが、先生がミーティングで少し遅れているということで、置いてある雑誌など見てゆっくり待つ事にした。

と、ペニーがソファに上がってきて、私に乗りかかってきた。

友人が呼ぶとそちらに行くのだが、すぐまた私のところへ来て顔を舐める。

なんだかすっかり気に入られてしまった様で、受付の女性も珍しがっていた。

リンダ先生がやってきて、治療室に招かれると、今日は奥の椅子にネコが転がっていた。

「ネコは大丈夫?」と聞かれたので、二人とも「問題ないです」と言うと、友人は治療台に上がり、私はネコの隣の椅子に座った。

ネコの頭をちょっとなでると、私の手にじゃれてきた。

しかもなかなか放してくれない。

実は今朝、アパートの隣の部屋のターキーが初めて遊びに来た。

最近少しづつ自分の部屋の外へ行動範囲を広げていたターキーが、とうとう隣の私の部屋までやってきたのである。

私が気付くと、一度外に出て行ったが、すぐにまた戻ってきて、玄関から順番に部屋のチェックを始めた。

前に反対隣の部屋にいたウブと言うネコが遊びに来た時と全く同じような行動だった。

リビングルームをうろうろしている時に、飼い主のニーナが「ターキー来てる?」と探しに来た。

ニーナは「ごめんなさいネ」と言ってターキーを抱えていったが、当のターキーは、まだとっても心残りと言うような表情で私を見ていた。

今日は動物三昧の日だった。

10月4日

大幅に遅れているネットショップの開店も進めているのだが、もう一つ大きなプロジェクトが持ち上がった。

先のホームページ・リニューアルで正式ツアー・メニューにした「KTファンツアー」だが、年末のカウントダウン・ライブに合わせて、大人数でのスペシャルツアーを組まないかと言う話がKTサイドから来た。

人数が増えれば普段のようにミニバンで回る訳には行かないので、バス又はミニバスになる可能性が高いのだが、そうなるとツアーのコースや内容も少し変更していく必要がある。

ファンクラブではこれから募集が始まるが、人数が見えてきてから考えなければならない事も多い。

いろいろ考えていたら煮詰まってきたので、久し振りにアラモアナ・ビーチに行った。

満潮に近く、ビーチに寄せる小波の音が心地良かった。

気合を入れて随分泳いだ。

ビーチに転がると優しい貿易風が吹いてくる。

帰りにはこちらも久し振りで、マキキ・ショッピングビレッジの「ペッパース」でビビンバを買って、帰って食べた。

10月5日

ボトル・デポジット制度がハワイでも始まるらしい。

この制度は、ビール、ソーダ、ジュースなどのボトル入り飲料を売る際に、一本あたり数セントのデポジットを販売業者が払わなければいけないという物で、リサイクルするとデポジットが消費者に還元される。

ゴミを減らす為と資源の再利用を図る為に行われるのだが、私がLAに居た時には既にこの制度はあった。

販売業者がデポジットを払うはずなのだが、結局は価格に転嫁され、消費者はこれを取り戻す為に。リサイクルをするという物なのだ。

さてそのリサイクルの方法だが、LAに居た時には、大手スーパーマーケットなどの入り口に設置されているマシーンを使ったのを思い出す。

アルミの缶とプラスチックのボトルとガラスのボトルに使え、それぞれ専用のシューターにセットすると、吸い込んでから中で砕いて、正面からデポジットの5セントが出てくる仕掛け。

ゴミを持っていくとお金が出てくる訳だ。

当然ホームレスが街のボトルを持ってきて街を綺麗にするし、子供達が家庭内のボトルを持ってきては家を綺麗にして小遣いを稼ぐ。

今のLAの状況はわからないが、10年以上も前に最初にこのマシンを見た時はとても驚いた。

ハワイではこう言ったマシーンが導入される話は無く、”リサイクルセンター”のような所に持っていくと、デポジットを返してくれるそうだ。

日本ではゴミの分別を細かくして、いわば国民のモラルに頼ったリサイクルを行っているが、アメリカの場合はお金の強制力を利用して、かつ街の清掃にも一役買っているのである。

今までは何でも一まとめだったハワイのゴミが(今の日本からは考えられないゴミ政策!)、これからはボトルや缶を分けるのが一般的になろうとしている。

10月6日

ちょっと興味深い数字を聞いた。

ハワイ州民の生活言語の調査について。

ハワイ州民のうち45%の人が5才から家庭で英語を話し、73%の人が英語しか話せないのだそうだ。

つまり半数近くの人が、小学校に上がっってからの公用語である英語とは違った言語で生活した家庭環境を持っていても、実際には7割の人は英語しか話せなくなっているということだ。

ちなみに、州民の8%が5才から家でサモア語かトンガ語、またはハワイ語を話し、5%が家で日本語を使っているのだそうだ。

ハワイはチョップ・スイ(八宝菜の意味)とか、メルティング・ポットとか呼ばれるくらい人種の多い所で、アメリカが移民の国であると言う建前を忠実に表していると思うのだが、私を含めていわゆる「一世」はどうしても英語は母国語にはならない。

子供が出来れば家庭内では英語以外の言葉が話されるのは仕方ないが、学校に上がればそこは英語の世界なのである。

友人の日本人夫妻の子供も、小さい時は日本語を話す子供だったのに、学校に上がってからはすっかり英語がメインで日本語はほんの片言になってしまった。

親が無理やリ日本語学校に通わせたり、日本語教育をしない限りは、まずそのまま日本語は忘れていく。

まれに日本にとても興味を持ったり、日本人の友人が出来たりして、日本語を自分で習得するような人もいるし、日系人でなくても「日本語」の場合は、ハワイでは仕事探しにとても有利な言語なので、外国語として覚える人もいる。

私のアパートの、私と同じ階だけでも、ベトナム、韓国、中国、デンマーク、日本と色々揃っているが、ハワイ州全体的には73%は英語しか話せないということだ。

また、ハワイ州は全米で英語を話せない人が5番目に多い州としてランクされているのだそうだ。

ハワイ州より多い州が4つもあるのに驚いたのだが、人口比率を知りたかった。

英語の他の言語には、タガログ語、日本語、中国語、スペイン語、韓国語が多いそうだ。

10月7日

ダウンタウンの弁護士の所に行った。

キング・ストリートのレインボーシャワーは半数以上の木の花が全て散り、残りの木も花はわずかになった。

昼間は相変わらず暑いが、このところ貿易風が安定していて気持ちがよい。

朝晩は少し涼しいくらいになる。

なんとなく秋を感じる。

10月8日

ダウンタウンにある移民局に行った。

レストラン・ロウの正面、アラモアナ・ブルバードの反対側に、綺麗に庭の垣根を刈り込んだ古い建物があり、そこが移民局である。

垣根のある前庭を進み、入り口まで行くとセキュリティ・チェックがあった。

昨年のテロ以来、政府関係の建物はどこもチェックが厳しい。

しかし、それ以前はこの建物は玄関がそのまま待合室になっていて、屋根はあるもののオープンエア・スペースにベンチが並べられていたのだ。

入り口を通過すると、そこは以前と同様に待合室になっていた。

セキュリティ対策の為に、入り口に簡単な門を取り付けただけの様だった。

次に、近くの「指紋採取センター」に行った。

10年以上前の話だが、私は日本でアメリカの警察向けの指紋照合システムの仕事をしていた事がある。

実際にLAやサンフランシスコなどの警察を回ってインストールやテストを行った事もあり、今は一体どんな機械を使っているのかとても興味があった。

ここで使っていた機械は、直接指紋を読み取って保存するもので、透明な液体を指に塗って、読み取り部のガラスに押し付けるだけ。

昔のようにインクで手が真っ黒になる事は無いのだ。

私がシステムの仕事をしていたときは、一度紙の採取用紙に取った指紋を読み取って、照合・保存するものだったが、今は直接読み取りの技術が発達したようだ。

当時は夢の様だった、指紋照合によるドアのキーなどがどんどん開発されているのも頷ける。

夕方アラモアナ・パークでノリちゃんと待ち合わせた。

ノリちゃんは乗馬のツアーを止めた後、昼間は観光、夜はパーティーの仕事をしている。

10月9日

今日でこの「ハワイ日記」を付け始めて丸2年になった。

半年先が読めない人生と言う事で、記録の意味も含めて付けてきた日記だが、この半年ではなんととうとう結婚してしまった。

ツアーの仕事の方は、昨年のテロ事件の影響から少しづつ回復し、雑誌の効果もあって山歩きが増え、またリピーターのお客さんや紹介も増えて、わずかなら上を向いている。

そしてオフィスワークは少しづつシステム化されている。

いまだに引越しは出来ないでいるが、小さいながらも楽しい我が家と言う事で、生活を満喫している。

久しぶりに日本に行ったのも大きなイベントだった。

何事も多くの方のご協力を頂いて出来た事で、本当に感謝している。

さてこれからの半年はどうなるだろうか?

年末年始には大人数のツアーの企画もある。

資料を作ったり、移動の時間計算やランチの手配など、こちらもまだまだやる事がある。

そして大分遅れてしまっているネット・ショップの開店も頑張りたい。

毎年の事になっているが、クリスマスカードの事もそろそろ考える時期になってきた。

しかし今後のツアービジネスに付いてはアメリカの対テロ戦争など大きな要因がある。

イラクがこのまますんなりと核査察を受け入れ、戦争が回避されればとりあえず問題は無い。

何しろ平和あっての観光業だからだ。

それとやはり日本の景気。

ハワイの観光業は昨秋以来少しづつ回復してきていて、ホテルの稼働率も上がっているのだが、日本からの観光客数は依然低いまま。

日本航空は10月から東京−ホノルル間のフライトを1便減らす事にしている。

ホテルの料金は下がっているのに、飛行機代は下がらず便が減った。

構造改革はどこまで進むのだろうか?

そして日本からハワイへ来る人の数が増えるのはいつになるのだろうか?

10月10日

99年の5月から中止されていた(そんな前からだったとは知らなかった・・・。)ワイキキのレジェンド・ショーが復活する事になったそうだ。

エルヴィスやマリリン・モンロー、マイケル・ジャクソンやマドンナなどのそっくりさんのショーで、ワイキキのショーの中では人気があった。

何でも元従業員から、人種差別を受けたとして訴訟を起こされていて、裁判に費用がかかった事と、日本人観光客が減少した事が原因で、以前運営していた興行会社が倒産して以来なくなっていたのだ。

ロイヤル・ハワイアン・ショッピングセンターの最上階で行われていたが、その後はこの場所は使われておらず、復活後も改装してここで興行されるそうだ。

以前は休憩中のエルヴィスが、向かいのワイキキ・ショッピング・プラザの地下でラーメンを食べていたり、マドンナとエルヴィスが仲良く一緒に車で通勤しているのを目撃したりしたが、そんな光景がまた見れるかもしれない。

夜風が気持ち良い。

10月11日

今日はノースショアツアーに行った。

朝目が覚めた時はシャワーが降っていて、マキキの山側にも雨雲が多かったが、ワイキキにお客さんを迎えに行く頃にはすっかり晴れ、天気予報も全て晴れだった。

何度もハワイにいらしているお客さん達だったが、ノースに行くのは初めてと言う事だった。

H-1フリーウェイではカメハメハ・ハイツ付近、H-2ではミリラニの手前でぱらっとシャワーに遭ったが、ノースは良いお天気だった。

ハレイワの街中を一度抜けて、カメハメハ・ハイウェイを北上し、サンセットビーチへ。



今日のノースの海はとても穏やかだったが、サンセットビーチは驚くくらい人が少なかった。

ラグを引いてグアヴァジュースをサーブして、お客さんに寛いでいただく。

青く広がる海はとても綺麗だった。



少しづつビーチ・ゴーアーが増えてきた所で移動。

ワイメアの飛び込み岩近くで車を止めて少し見学。

岩の上はそれほど混雑していなかったが、何人か飛び込みを見せてくれた。

ハレイワに戻ってアリイ・ビーチパークに行く。

波が無いので少し残念そうに車に戻っていくサーファーの親子連れが居た。

静かなビーチを見ていると、すぐ岸に海亀が現れた。

何度か顔を水面に出し、我々を観察している様だった。

ハレイワ・タウンで一時解散。

私は今月予定しているパーティーのお知らせを渡す為に、モクレイアまで走った。

ディリンハム飛行場に行くと、パシフィック・スカイダイブセンターはひっそりとしていた。

既に今日のオペレーションは終わっていたのだ。

それでも片付けをしていたスタッフにインヴィテーションを預け、ドロップ・ゾーンの古くからの友人達をパーティー誘った。

ハレイワに戻ってL&Lでランチを取って、ノースショア・マーケットプレイスで読書。

お客さんが戻ってきて、ドール・プランテーションに移動。

裏の「パイナップル・エキスプレス」は一応線路が敷かれ、駅となるプラットホームもあったが、まだ回りは工事をしていて、今月中にオープンするのかどうかはかなり怪しい。

しかし、パイナップル・ガーデンは大分整理されてきたので、これからまたお客さんをこちらにもご案内したいと思う。

ピラニア君たちも元気そうだった。

金曜にもかかわらず、帰りのフリーウェイの渋滞はそれほど酷くは無かった。

リクエストでお客さんをアラモアナ・ショッピングセンターにドロップ。

10月12日

今日はモーティーの引越しの手伝い。

以前は空港で仕事をしていた為、便利の良いソルトレイクに住んでいたが、今は奥さんのMさんもワイキキで仕事を持っている為、マキキに越して来たのだ。

まず朝、モーティー夫婦が私を迎えに来て、カカアコにトラックを借りに行った。

私もかつて何度も利用した事のあるトラックレンタルの店だが、手続きに行ったモーティーがなかなか戻ってこない。

車の中で待っていたが、様子を見に行ってみると、予約を入れてあるにもかかわらず車が無いのだと言う。

朝までに戻ってくるはずの車が戻ってきておらず、おまけに予備の車が故障中なのだそうだ。

さすがハワイ。

モーティーも相当文句をいっていたが、埒があかないので、空港近くのマプナプナの店に借りに行く事にした。

ここはたくさん車があり、モーティー夫妻がトラックに乗り、私がモーティーのバンを運転してソルトレイクに向かった。

引越しの7割は済んでいると言う部屋はほとんど空っぽで、ベッドやたんすなどの大きな物と、日用品だけが残されていた。

それでも何度か部屋と駐車場を往復しているうちにトラックは一杯になり、バンにも荷物を詰め込んでからマキキに向かった。

今度のアパートは私のところから歩いてもいける距離で、ゲストパーキングも広い。

しかしウォーク・アップと言って、エレベーター無しのアパートなので階段を使っての運び入れとなった。

おまけに階段の踊り場や、廊下のコーナーなどで大きな荷物は何度も引っかかったが、何とか全てを入れた。

お礼にディナーをご馳走してくれると言うので、一度帰宅してシャワーを浴びてから昼寝。

そして夕方再びモーティーに迎えに来てもらって向かった先は、日本から進出してきた焼肉の「牛角」。



私は日本の牛角に行った事がないので、雰囲気が違うのかどうかよくわからないが、店内の作りは日本とそっくりだそうだ。

中には日本人のウェイトレスもいたが、スタッフはほとんどローカルで、これはやはりアメリカ。

だがお客さんは日本人が多かった。

メニューはモーティーにお任せして飲んで食いまくった。



いや〜美味しかった!

写真もUP。

10月13日

今日は大ちゃんの引越しの手伝い。

二日連続で引越しの手伝いである。

今まで住んでいたのはデート地区と言って、ワイキキの北のアラワイ・ゴルフコースの山側にあるデート・ストリート沿いの地区。

ここから再びマキキに戻ってくる事になったのだ。

今日は大ちゃんが先にトラックを借りに行って、デートのアパートで集合した。

男達が荷物を運んだ。

昨日のモーティーと違って、9割の荷物は残っていた。

大ちゃんの所には現在Tさんと言う力持ちの居候がいて、3人での作業だったのでそれでも順調に進み、昨日よりも一回り大きなトラックを一杯にしてからマキキに移動した。

どちらもエレベーター付きのアパートだったので、ハンドトラックやスーパーのカートなどを利用して運び入れもスムーズに運んだ。

昼過ぎには終了して、皆でマキキ・ショッピングヴィレッジのペッパースに行って、ランチをご馳走になった。

家に帰ってシャワーを浴び、今日もお昼ね。

夜は風が止まって少し暑かった。

10月14日

風が弱く雲が多い。

今日はワイケレのパーティー・シティに行った。

ワイケレについた途端にシャワーが降ってきた。

一年中パーティー・グッズを売っているこの店も、今はハロウィン関係の大売出し中で、様々な仮装衣装の他に家の中やオフィスを怪しく飾る小道具、また可愛いパンプキンのグッズなども揃っていた。

祝日の今日は、家族連れなどで混雑していた。

帰りにKマートに寄ってから家路を急いだら、H−1フリーウェイが大渋滞。

空はすっかり鈍よりとして、シャワーも降ったり止んだり。

さて夜はワイキキの鍋会に出かけた。

なんと今日はマツタケ!

あるルートでカナダ産マツタケ1.5キロを仕入れ、それを10数名で頂く事になった。

早めに出掛けると、巨大なマツタケがごろごろとしていて驚いた。



マツタケご飯、焼きマツタケ、マツタケ・シメジ・エノキのホイル焼き、そしてマツタケのパスタ。

なんだか今日は皆黙々と食べていた。

お腹一杯。

10月15日

久し振りのサークルアイランド。

空は今一つぱっとしないが、良くなる事を期待して出発。

ダイアモンドヘッド沖には3フィートほどの波が上がっていた。

カラニアナオレ・ハイウェイは、カハラからハワイカイまではほとんどシャワーは無かった。

クローズの看板の出ているハナウマ湾の入り口を過ぎると、モロカイ島がはっきり見えた。

東側の空は明るく、マカプウあたりは結構良いお天気かもしれないと思いながら、サンディービーチで最初の停車。

写真を撮って出発。

と、ハワイカイ・ゴルフコースの手前の信号で、ポリスカーが止まっていて警察官が道路を封鎖している。

聞いてみると、マカプウで崖崩れがあり、この先は通行止めだと言う。

クイーンズ・ゲートの住宅地に入って行って路肩に車を止め、地図を使ってお客さんに状況を説明。

何しろここから島の東に出るにはパリ・ハイウェイまで戻らなければならない。

こんなアクシデントは初めてだが、とりあえず逆戻り。

H−1フリーウェイからパリ・ハイウェイに乗る。

何度かシャワーにも遭ったが、パリ・トンネルを越えると、意外にもウィンド・ワードの空は明るかった。

時間を計算して、今日はマカプウとワイマナロを飛ばす代わりにカイルアビーチへ向かった。

お客さんは皆さん、カイルアは初めてだと言う事で、ラグを引いてグアヴァジュースをサーブし、寛いでいただいた。

風は弱く湿度は高かったが、まだ人は少なく、綺麗なビーチに喜んでいただいた。

ここから通常のコースに戻り、東海岸を北上。

クアロアパークではマカダミアナッツの実が目立ってきた。

普段雨の多いウィンドワードではほとんどシャワーに遭わなかったが、プナルウの工事はまだ続いていて、20分ほど足止めを食らった。

満潮に近く、どのビーチも砂が舞い上がって少し濁っていた。

島の北端を回り、サンセットビーチへ。

4〜6フィートの波が出ていた。

先週とは大分様子が違う。

勿論サーファー達で賑わっていた。

シャークスコーブ付近でまた渋滞。

木の電柱が折れて倒れていた。

大掛かりに緊急補修工事が行われていた。

ノースショアはどこも波が上がっていたが、シャワーも多く、人出は今一つだった。

アリイビーチを見学してからハレイワの街に出ると、日本人観光客が多かった。

今日はランチは別なので、一人でL&Lでマヒマヒ・プレートを食べた。

ノースショア・マーケットプレースのオーシャンズ・イン・グラスの前に車を止めて休憩していると、一番新しい見習い職人が出てきて声をかけてきた。

バージニアの出身だと言う女性で、時々ここに車を止めて休んでいる私の事を不思議に思っていたらしい。

相変わらず店員はよく変わるが、この職人はしばらく続いているようだ。

ドール・プランテーションも今日は混雑していた。

帰りのフリーウェイでも降ったり止んだりで、まるで雨季の真っ只中のような天気だった。

夜は更に風が無くなり寝苦しかった。

10月16日

今日はKTファンツアー。

2組のお客さんをワイキキでピックアップして出発。

ゆかりの海老せんべいを頂いてしまった。(Big Mahalo!)

今日も風が無く、どんよりと曇っている。

雨が心配だが、ノリの良いKTサウンドを聞きながら元気に、まずはカイマナのウォーメモリアル、そしてビーチ沿いのベンチで記念撮影。

サンスーシーの住宅街を抜けてダイアモンドヘッドロードに入る。

沖には今日も3フィートを超える波が上がっていた。

自己紹介をしたり花の説明をしながらカラニアナオレ・ハイウェイを走る。

サンディービーチを歌ったKTの曲が流れ、サンディービーチのパークに入る。

ショアブレイクだけではなく、ハーフポイントにも3フィートほどのうねりがあった。

崖崩れは掃除も終わり、今日はマカプウの断崖のパーキングエリアに車を止める事が出来た。

ラビットアイランドをバックに記念撮影。

ウィンドワードの空はいつもの様に雲が多かった。

続いてワイマナロのベロウズビーチで休憩。

昨日の雨が激しかった痕跡があちこちで見られた。

アメリカ人向けのツアーのグループと我々以外に人はいなかった。

曇った空で見ても、この海は美しい。

気温は高くないが、湿度が高いので車に戻ると車内が蒸し暑い。

その湿り気を追い払うように、窓を開けてドライブすると、次第に気持ちが良くなる。

順調なドライブだったが、プナルウの工事でまた足止めを食らった。

この先はやはり降ったり止んだりだった。

ライエのフキラウビーチで停車。

わずか4人のローカルが遊ぶだけの静かなビーチで記念撮影。

タートルベイ・リゾートに入っていき、オウムのアカちゃん、アオちゃんに挨拶して、トイレを借りて、KTファンのみが知るスポットで記念撮影。

次はサンセットビーチに到着。

今日の波はでかかった。

6〜8フィートの大波で海は荒くれ、さすがに波乗りしている人は5人ほどで少なかったが、きっとローカルのプロサーファーだろう。

見物人は多かった。

月末から大会が始まり、ノースの波乗りシーズンが本格的に到来する。

シャークスコーブの電柱の工事は終わっていたが、かなり応急処置だったようで、複雑に絡んだ電線がなんともいい加減だった。

ワイメアも大きなショアブレイクが砂を巻き上げていた。

ラニアケアも3フィート以上のうねりがあったが、人はいなかった。

サーファーはサンセットに見物に行っているのだろう。

ハレイワ・アリイビーチを見学してもらっている間にランチの仕込み。

時より風に乗ってぱらっと雨粒が落ちていたが、木陰のピクニックテーブルに陣取ってランチタイム。

皆さん喜んでいただけた。

その後ハレイワ・タウンで一時解散。

マツモトシェイブアイスでお客さんをドロップして、KTとスタンが一緒に写っている写真が飾ってある場所を説明しに店の中に入ると、奥からスタンが出てきた。

今日はKTツアーだと言うと、お客さんに生写真のコピーをプレゼントしてくれた。

一応折りたたみの傘を渡してから、私はノースショアマーケットプレースに移動。

集合時間が近づいてきたらスタンが現れた。

店の中でお客さんと随分おしゃべりしていたらしく、ポリトレなどで買い物をしたいお客さんたちは少し遅れる模様。

結局雨も無くハレイワを出発したが、ウィードサークルからカメハメハ・ハイウェイを北上すると少し激しいシャワーに当たった。

パイナップル畑の中で車を止める状態ではなかったが、ドール・プランテーションに到着すると雨は小降りになった。

帰りのフリーウェイもKTサウンドを聞きながら、楽しくおしゃべりして戻ってきた。

KTももうすぐハワイに帰ってくる。

10月17日

空はまだ鈍よりとしていて湿度が高い。

最近の日本の天気を見てみると、日本の方がからっとした秋晴れで気持ちが良さそう。

早くハワイにも貿易風が戻ってこないかなぁ。

明日は風が出てくる予報が出ている。

10月18日

緩やかな貿易風が吹き出し、雲が晴れた。

久し振りに良い天気。

家で今日の行動予定をチェックしていたらKTから電話がかかってきた。

前にもらったメールでは土曜日にハワイに戻ってくると言っていたのに、今朝帰って来て、これから昼寝だと言う。

とりあえず私は行動開始。

今日はイヴィレイのコスコ、K−マート、そしてケアモクのロスにも行った。

一度家に戻ってから、ハワイカイに向かい、KTをピックアップしてバレに行って夕食を取った。

久し振りだったがとても元気そうで安心した。

昨日はヌードルを食べたが、今日はプレートを食べた。

「やっぱりハワイはいいなぁ〜」とKTはご機嫌だった。

半年振りにハワイに戻ってきたKTの車は当然のようにバッテリーが上がり、エンジンがかからないので、KTのコンドで「太郎」からのジャンプスタートを試みるが、やっぱり駄目。

明日車屋を呼ぶ事にして諦め、部屋にお邪魔して、日本の話など聞きながら飲み始めた。

夜はまた風が弱くなり、蒸した。

10月19日

朝から風も吹き良いお天気になった。

夜は「佐野屋」で五目焼きそばをテイクアウトして、家で食べた。

月も明るい。

10月20日

気持ちの良い夜風が吹いてきて、満月が綺麗に輝いていた。

10月21日

朝はゆっくり。

夕方、KTとスラッキーから一緒に夕食を食べようとお誘いがあり、出かけた。

ワイキキで打ち合わせを控えていたKTのIマネジャーと会って、泡盛をピックアップ。

これ、本当はKTがハワイに持ってくるはずだったのだが、日本に置き忘れていたのを後から来たIマネが運んでくれたのだ。

ハワイカイに向かい、ココマリーナのフードランドで買出し。

KTのコンドで、スラッキーが日本から持ってきた崎陽軒のシュウマイなど、つまみ系の食事で泡盛「八重山」を飲んだ。

トレードウィンドが椰子の木を鳴らす音が気持ち良かった。

10月22日

今日はノースショアツアー。

お客さんは久し振りにハワイに来たダイアモンドヘッドクラブのリピーターさんで、行きのフリーウェイから話が弾んだ。

どこも天気が良く、風も気持ち良い。

ハレイワを抜けてサンセットビーチまで一気に走る。

実はノースで泳いでみたいと言うリクエストを頂いていたが、波のコンディション次第で可能と言う事をお伝えしていた。

タイミング良く波は無く、サンセットビーチでも泳いでいる人が数名いたので、OKを出した。

ビーチにラグを引いて私は荷物番。

お客さん達は気持ち良さそうにノースの海と戯れていた。

その後はワイメアビーチを見て、ハレイワ・アリイビーチを見てから、ハレイワ・タウンで一時解散。

私はL&Lでシュリンプカレーを食べてから、ノースショア・マーケットプレースで読書。

モンキーポッドの揺れる音が心地よかった。

次はドール・プランテーションに移動。

お客さんは、前回のハワイでドール・ウィップが食べられずに心残りだったそうで、今回はちゃんと食べる事が出来て感激されていた。

家に戻ると、先週末からの疲れが出たのか、とても眠くなり、かなり早めに就寝した。

10月23日

サークルアイランド。

今日の3組のお客さんたちは全て、以前ダイアモンドヘッドクラブのツアーに参加された別々の方からのご紹介だった。

貿易風も12マイルほどに上がり、湿度もかなり低くなった。

雨の心配はなさそう。

カラニアナオレ・ハイウェイを走り、ココヘッドを登る。

水平線にうっすらとモロカイが見えた。

サンディービーチのショアブレイクは3フィート。

例によって、遊泳禁止の赤旗がずらりと並び、それでも大勢のサーファーが海に入っていた。

すぐ目の前でボディーサーフィンを見ていただいた。

マカプウのルックアウトから見下ろすマカプウビーチも3〜4フィートの波が上がっていたが、透明な水は深く澄み、すぐに泳ぎに行きたい気持ちになった。

ワイマナロのビ−チで休憩。

アメリカ人のグループの他にはローカルも少なく、エメラルドグリーンに輝く海と真っ白な砂に、皆さん感激されていた様だった。

スモウ・コネクションではアンティー・ジェンが元気そうだったが、「今日は暇だよ」とぼやいていた。

ウィンドワードも天気がよく、ドライヴも楽しい。

クアロアパークで一通り説明を終えると、スラッキーにばったり会った。

KT達が撮影をしていたのだ。

我々が先に公園を出ると、皆で手を振ってくれた。

プナルウの工事では今日も15分ほど待たされたが、車内に吹き込む風は気持ちよく、外の海もとても綺麗だった。

サンセットビーチには沖に4フィートほどの波が上がっていて、多くのサーファーが入っていた。

ワイメアの沖は静かだったが、ほんの2フィートほどのショアブレイクが音を立てて崩れていた。

ハレイワ・アリイビーチパークでのランチタイム。

4台の大型スクールバスが来ていて、小学生と思われる団体が公園中央でバレーボール大会をしていたので、ハレイワ・ロード沿いのピクニックテーブルをセットした。

我々が食べ始めると程なくバレーボールは終了して、ネットなどを片付け始め、あっという間にいなくなってしまい、公園はいつものような静けさに包まれた。

食事が終わって移動の準備をしていると、再びKT達に会った。

ここでも撮影をしていたらしい。

我々はすぐにハレイワ・タウンに移動して、集合場所の説明などをして一時解散。

その後ドール・プランテーションに寄ってワイキキに戻ってきた。

家に帰ると、KTから今晩のラジオの番組収録を見に来ないかとお誘いの電話があった。

収録は夜遅いのでその前に飯に行こうと言うことで「船場」で待ち合わせ。

KTは打ち合わせがあると言う事で先に抜け、食後にアパートに移動してまったりした。

ラジオは日本時間の夜の生放送で、ハワイでは深夜12時から。

まったりしながら飲み始めていたので、タクシーで皆でワイキキに向かった。

スタジオはハイアットリージェンシーの3階にあるスタジオ・リム。

顔見知りも何人かいて、まずは挨拶。

ガラス張りのスタジオは外からもよく見えるのだが、音は聞こえないので中に入るようにディレクターさんから言われた。

しかし中はそれほどの広さではなく、我々のほかにもゲスト、スタッフやマネジャーなど7人ほどが体育座りで、しかもビールが回ってきてそれをまた飲みながら、目の前のラジオ番組を見た。

KTを含む3人と日本のスタジオにいるパーソナリティーの掛け合いは面白かった。

ハワイ在住の日本人でラジオ局の人とフリーペーパーの編集部の人が2名ゲストで出演し、おしゃべりした後帰っていった。

番組が最後に近づいた頃、ディレクターさんからスタジオのギャラリーに話を振るように指示があった。

我々ギャラリーには最初から、盛り上げるように要請されてはいたが、話を振られるとは思ってもいなかった。

で、「皆さんはどちらからお越しですか?」のKTの問いに、スタッフを除くギャラリーで唯一ハワイ在住の私が「ハワイで〜す」と答えたら、「お名前は?」と切り替えされてしまった。

少し酔っ払っていた私は「じゅにーKと申します」と言うと、「実はじゅにーは私の友達なんですよ」と他のパーソナリティーに紹介された。

その後「ハワイでは今何が流行っているんですか?」なんて突っ込まれ、「山登りですねぇ」と半分仕事の宣伝トーク。

これが日本で生で流れていると思うと不思議な感じがしたが、全国放送なんだよなぁ。

2時間の番組なので終了したのは2時。

私は既にフラフラの状態。

タクシーで家に戻るとバタンキュー。

10月24日

さすがに寝坊。

起きると外は雨。

空は雲に覆われていた。

夕方になってかなり小降りになったが、夜のナイトドライブツアーが心配。

ワイキキへお客さんをピックアップに行く頃には、マキキはほとんど止んでいたのだが、パールシティが気になった。

公園での休憩時間に雨が降るとゆっくり出来ないだけでなく、芝生は既に濡れているのでラグを引く事も出来ないので作戦を変更した。

ワイキキは降っていなかったが、お客さんに状況を説明し、まずは今日のコースに入っていなかったタンタラスの丘に登った。

タンタラスは恐らく車から降りられない状況だが、車内からワイキキの夜景を見て、パールシティーの公園も車内からになるかもしれないので、時間を調整しようとしたのだ。

ところがタンタラスの展望台はちょうど雨が止み、車から降りて一通り夜景などを説明する事が出来た。

しかし説明が終わるとそれを待っていたかのように突然激しく降り出した。

あわてて移動。

H−1フリーウェイに乗ると、カメハメハ・ハイツ付近で一時は雨が多かったが、レッドヒルを越えてパールハーバーが見えてくると小降りになり、パールシティでは止んでしまった。

公園では車を降りてモンキーポッドの木の下にシートを敷き、時より風に乗ってくるシャワーの中、グアヴァジュースを飲みながら夜景を見ていただいた。

さすがに長居する雰囲気ではなかったが、タンタラスに行ったので時間どおりに終了した。

家に戻ると、飲み始めるとKTから電話。

ラジオのスタッフと食事をして今終わったと言う事で、スラッキーと一緒にうちに遊びに来た。

で、狭い我が家でまた飲み会が始まった。

私は明日のツアーがあるので先に寝たが、遅くまで盛り上がっていた様だった。

10月25日

カイルアビーチへのビーチピクニックツアー。

結局天気が崩れたのは昨日一日だけで、今日は朝から良く晴れた。

パリ・ハイウェイを通ってウィンドワード・サイドに出ても、雲は少なかった。

初ハワイの新婚旅行のお客さんはカイルアの白い砂に目を細めていた。

ローカルの幼稚園の団体が遊びに来ていたが、私の使ういつものアイアンツリーの下は今日も空いていた。

ラグを引いてトイレやシャワーなどの場所を説明すると、波打ち際の近くに海亀が顔を出した。

お客さん達が海に入ると、荷物番をしながら読書。

貿易風が気持ち良かった。

お昼になったのでランチの買出しに行った。

カイルア・タウンのジッピーズでジップパックを買って戻る。

ジップパックを食べ、午後は私はまた読書。

新婚さんは泳いだり、ビーチを散歩したり、カエレプル川の河口で魚を見たりして楽しんでいただいた。

2時を過ぎると雲が出始め、風が冷たくなってきた。

3時出発の予定だったが、少し前にはカイルアを出た。

帰りはオロマナ、ワイマナロ、マカプウ、サンディーと東回りで戻ってきた。

家に戻るとスラッキーから電話がかかってきた。

既に近所のタイムス・スーパーにいると言うことで、KTと二人で登場した。

私も明日から撮影に同行する予定だが、順調に進んでいるらしい。

で、仕事の後は飲み会。

兄貴達本当に酒が強い。

私はいつのまにかクラッシュしていた。

10月26日

今日はKTの来年のカレンダーの撮影の為にホノルル市内を走り回った。

天気は良く気温も上がった。

ランチはカム・ボウルのカピオラニ・コーヒーショップでオックステイル・スープ。

仕事が終わるとアロハタワー・マーケットプレイスのゴードン・ビアシュで一杯飲んで、ダイエーによって買出しをして、家に戻ってスラッキーの指導の下、ナスのカレーを作って皆で食べた。

そして飲み会。

兄貴達とても元気。

10月27日

午後はKTとスラッキーの撮影に同行した。

天気はかなり良くなった。

風も気持ちがいい。

KT達がやってきて、私の車に乗り換えてノースショアを目指す。

最初はノースショアマーケットプレイスで撮影。

ハレイワ・タウンで小道具の買出しをしていると、マツモトシェイブのN子さんに会い少し立ち話。

その後アリイ・ビーチパークに行って、撮影をしてから遅めのランチ。

食後はサンセットビーチまで車を走らせて、ロケハンをしながら撮影も行う。

今度は西のモクレイアまで行った。

今日の分の撮影が終了すると、日曜で空いているフリーウェイを通ってホノルルに戻り、うちで一杯飲んでから解散した。

夜風もとてもいい感じ。

10月28日

朝からKTの撮影にマカプウに行った。

マカプウのルックアウトにカメラを構えたスラッキーと私、海にはブギボーを持ってKTが入り、望遠での撮影。

波はあまり無かったが、とても気持ち良さそうだった。

その後はワイマナロに移動して、KTとスラッキーも海に入っての撮影。

私もサポートとして海に入り、撮影の後は3人で泳ぎまくった。

撮影の後は街に戻り、レインボードライブインでランチを食べて、一度解散した。

夜はまたうちに集まり、今晩はもんじゃ焼き大会をした。

スラッキーももんじゃには詳しく、わいわいと賑やかに過ごした。

10月29日

今日もKTの撮影。

昨日までとは大分気分を変えて山に行く事になった。

最初はマノア・トレイルに行った。

山歩きと言う事でKTとスラッキーには靴やタオルなどの持ち物と諸注意をしたが、ボーイスカウト出身の二人には全く問題はないようだった。

私もマノアのトレイルを歩くのは久し振り。

崖崩れの前から行っていないので、滝の展望台がどうなっているのか気になった。

人が多いのでツアーが禁止されたはずなのに、昨年よりも人が少ない。

木の枝の張り方や、トレイル脇の草むらなど、変化している自然の様子がわかったが、マノアフォールズに到着するまで大きな違いは無く懐かしかった。



滝に着くと展望台を探したが見当たらない。

直前にワイヤーが張られ、進入禁止の看板がぶら下がっている。



前には無かった小さなベンチが一つあり、これが展望台なのだろう。

崖崩れの跡はわからず、まだ水量の少ない滝は平和そのものだったが、滝のすぐ右側に、前に無かった滝のような、地すべりの後のようなものがあったので、ここかもしれない。

滝を使っての撮影に入ったが、雲が出てしまい、引き返した。

で、次はタンタラスを回り込んでマキキトレイルに向かった。

ここの方が空が青く見えたが、山に入ればどのようになるかわからない。

再び機材を持って歩き始めた。

最初の登りでは風が無く、私が一番汗を書いて息が上がったが、KTもスラッキーもへっちゃらそうだった。

途中グアヴァ、ストロベリーグアヴァを食し栄養補給。

結局随分歩いた割に撮影した個所は少なかったが、二人とも「良い運動になった」と気持ち良さそうに言って、車に戻ると冷たいグアヴァジュースを飲んだ。

その後はワイキキに出て、遅めのランチを「藪そば」で食べ、本日の仕事は終了。

私は家に戻って、工事が終了した窓を確認。

羽根窓から、近代的なサッシ窓になっていた。

風情は無いが、ダイアモンドヘッドがはっきり見えるようになった。

掃除して、移動させていた家具などを戻してから、シャワーを浴びて、少し昼寝。

夜は、日本から遊びにきている友人のKさんと食事をした。

マイランに行った。

今日は暇だとサムさんは言っていたが、8割方の席は埋まりそのほとんどは日本人だった。

今日もサービスでデザートを出してくれた。

この時期にしては珍しいマンゴーで、とても美味しかった。

家に帰ると、新しい窓からは夜景もとても綺麗だった。

10月30日

朝、巨人日本一のニュースを聞いた。

気分は最高!

でも日本シリーズが早くハワイでも見れるようになって欲しい。

スラッキーが最終日と言う事で、仕事は無しで、ラニカイビーチに出かけた。

KTの家にスラッキー達を迎えに行った。

天気は最高で、貿易風も気持ち良い。

東から回ったのだが、途中のマカプウ、ワイマナロも素晴らしい色を出していた。

カイルアのジッピーズでランチを買って、ラニカイに向かった。



満潮が近かったので、左側のビーチに陣取って早速食事。

食後は泳いだりごろごろしたりして過ごした。

私が少し沖に泳いで行った時に、ブルーに光るマン・オブ・ウォー(クラゲ)を見つけた。

スラッキー達にもクラゲの事を話して、あまり沖には行かない方が良いと注意したのだが、よく見るとビーチにも既に何匹か打ち上げられていてびっくりした。

皆小さい子供のクラゲのようだったが、マン・オブ・ウォーは乾燥してしまった物でも、それをビーチで踏みつけてしまうと毒にやられてしまうので要注意。

ビーチの日陰が少し広がってきた頃ビーチを後にして、一度スラッキーとKTをドロップして、スターマーケットに買出しに行った。

夜はカイマナビーチパークでバーベキュー。



スラッキーも最後に夕陽の写真を撮りたいと言う事で現地集合して、綺麗な夕焼けの中セッティングをした。

2度ほど風に乗ってシャワーが落ちてきたり、風が少し強くなったりしたが、気持ちの良い夜で、10時少し前にポリスが見回りに来るまで盛り上がっていた。

明日は朝早いスラッキーがちゃんと飲みたいと言う事で、それからハワイカイに移動してKTの家で飲んだ。

すっかり陽に焼けたスラッキーが帰ってしまうと寂しい。

10月31日

朝、スラッキーのお見送りの為に空港へ向かう。

パーキングの入り口でセキュリティチェックを受け、駐車スペースを探すがなかなか見つからない。

構内はそれほど人が多いように見えないが、パーキングは一杯。

と、KTから携帯に電話が入った。

「ボーディングの時間が早まって、スラッキー今入っていったよ」と。

なんと間に合わなかった・・・。

で、そのままパーキングを出て家に戻った。

今日も天気は良い。

溜まっていた仕事を片付け、銀行に行くと、行員達が皆仮装していた。

今日はハロウィンだ。

かぼちゃのお化けに預金を渡して帰るとKTから電話。

当初は皆で仮装してワイキキでも歩いちゃおうかと計画していたが、昨日までの疲れか断念。

結局KTがうちに遊びに来て一緒に食事をして、その後はまったりと飲んだ。

トリック・オア・トリーターの子供達がやってくるかもしれないと思ってお菓子を用意していたが、結局今年は一人も現れなかった。

KTに今度発売されるマキキシングルを収めたMDを聞かせてもらった。

既にラジオなどで流れている曲を含め、KTの解説付きで聞いた。

またまた素晴らしい曲が出来上がった。


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