ハワイ日記2002年9月
9月1日
9月になり、あの同時多発テロ事件から間もなく1年が経とうとしている。
世界中が何かしらの被害を被ったと言われるが、ハワイでは観光業に大きな打撃があった。
倒産やリストラなども相次いだが、ある程度は観光客も戻り、ハワイの人は生活を元に戻そうとしていた。
しかしいまだに悪循環から抜け出せないでいる人もいる。
私も一時はパートタイムで週に1日か2日働いていた事のある、ワイマナロのコレア牧場は、テロ後のお客さんの激減で、20頭弱いた全ての馬を維持していく事が難しくなり、少しづつ売却していってしまった。
馬が残り4頭になった頃、波のある観光業が次第に回復していっても、オフシーズンにお客さんが全くいない日があったりすれば、馬を買い戻す判断は出来ない。
しかし4人以上お客さんがあれば、一度に回る事が出来ず、8人以上いればツアースケジュールも立てられなくなる。
ここでの乗馬とハナウマ湾スノーケリングのコンビネーションで、ツアーを催行していた友人のノリちゃんが乗馬を撤退してしまった。
大手旅行会社のデスクに出してツアーを売っていたノリちゃんは、コミッションを支払うために客単価が低くなるので、大型のバンを使っているが、一度に4人しか乗馬が出来ないのは辛い。
ノリちゃんの方は、実際にはコミッションを払うどころか、旅行会社が集金した代金を払ってもらえず苦労していたので、馬の用意までは出来ない。
結局ダイアモンドヘッドクラブのツアーメニューからも外す事になった。
島を回ったり、タンタラスの夜景などのツアーをしていると言うノリちゃんだが、これからも頑張って欲しい。
コレア牧場のマカはどうしているかな?
9月2日
最近、リビングルームに置いてあるステレオのアンプの調子が悪くて困っていた。
私は音には少しうるさいので、不満な状態だった。
「太郎」のステレオは純正のままで、スピーカーの音割れもあるが、ハワイアンな時間を過ごすにはいいかなとも思っている。
しかし、家で聞くのはハワイアンだけではないし、映画だって見る。
そこで結構あっさりと買い換える事に決定した。
そこでまずアラモアナSCに行き、白木屋、シアーズで値段をチェック。
予想通り全く同じ。
そこでちょっと出張してパールリッジSCのサーキットシティまで行った。
私はかつて何度か来た事があった。
確かにハワイではここがAV製品を扱っている最も大きい店かもしれない。
広い店内をチェックしていくが、結局値段は一緒。
ハワイはSONY製品が強い。
若いセールスパーソンのクリス君が一生懸命説明をしてくれたが、同じ値段なら近所で買おうと言う事で、白木屋に行った。
製品番号もちゃんと控えてあるので、カウンターでクラークに頼むと、すぐに出てきた。
しかも今日は10%オフだと言う!
今日はレイバー・デイと言う祝日。
日本の勤労感謝の日。
で、レイバー・デイ・セールと言うのをやっていたのだそうだ。
普段アラモアナSCでほとんど買い物などしない私が、こんな所でラッキーだった。
帰る前にサンジェルマンでカスタード・パイを買ってから家に戻った。
ウキウキしながら作業開始。
古いアンプに付いている全てのコードをはずし、付近をさっと掃除して、新しいアンプに大量のコードを繋ぐ。
私はこう言うのは全く問題ないので、すぐに終了して、早速試聴。
う〜〜ん、いい音。
夜はモーティーと奥さんのMさんを誘って鍋会に出かけた。
15名ほどで賑やかだった。
9月3日
貿易風は調子良く吹き、空は晴れ渡って、気持ちがいい。
お客さんから手紙が来た。
GWにいらしたリピーターさんで、そのときの写真を同封してくださった。(Big Mahalo!)
まだ4ヶ月ほどしか経っていないのだが、5月と8月後半はツアーが多かったし、7月はプライベートで忙しかったので、随分前の事のように感じる。
夕方、ワードで開かれている個展に出かけた。
ハワイ在住の日本人で、高校卒業後からずっとハワイに住んでいる大先輩のTさんが個展を開いたのだ。
元々ハワイのビデオ製作会社や日本語放送テレビ局で撮影技術を磨き、その後はフリーとしてカメラ、ビデオの撮影の仕事をしていて、今回は写真の個展。
一時はホノルルの日本語ラジオ局のパーソナリティもしていた彼は、テレビ番組や雑誌、広告など、日本のメディアを中心に活躍していて、年末からお正月にホノルル空港に行くと、個人出口から出てくる日本の芸能人を狙う特番レポーターの中によくいた。
ハワイ風に、たくさんのレイで顔の下半分を覆われてしまっている彼と挨拶をすると、写真を見て回った。
ちょうど今月分としてダイアモンドヘッドクラブの「フォトギャラリー」に加えた写真とほぼ同じ構図のものがあったのだが、やっぱりデジカメとは違う深みがある。
顔見知りにも会い、挨拶。
飲み会にも誘われたが、昨晩ちょっと飲みすぎたので、今日はパス。
帰りにダイエーの「BALE」でヌードルを買って帰った。
9月4日
今月から空港でお馴染みだったあの質疑応答が無くなった。
「知らない人から荷物を預かっていませんか?」と、「自分の荷物を他人がさわったりしませんでしたか?」の二つ。
ホノルル空港では大抵の航空会社のカウンターで、英語で質問されて意味がわからなくても、日本語訳のカードを見せられ、ちゃんと「No.」と答えないと荷物を全てチェックされていた。
だが、特に昨年9月以降には新しいハイテク機器が導入され、また本当のテロリストが正直に質問に答えるはずも無く、意味が無いと言う事を政府が認めたようだ。
この質問は1986年に開始されたそうなのだが、当時はもっとたくさんあり、だんだんと省略され、湾岸戦争頃に2つだけになったそうだ。
しかし、質問は無くなっても、自分の荷物から目を離さないことは大切である。
9月5日
サークルアイランドツアー。
お天気も良く、風も気持ちがいい。
お客さんは、「るるぶ」でダイアモンドヘッドクラブを見つけられたそうだ。
つまり最初はトレッキングのツアーにご興味があった様なのだが、インターネットでホームページを見て、島一周に参加してくださった。
実は「るるぶ」効果で、最近こう言ったパターンが時々ある。
さて、そろそろ花の少なくなってきたレインボーシャワーツリーの並ぶカピオラニ公園横を通ってワイキキを出、ダイアモンドヘッドロードに入ると、赤、ピンク、白のプルメリアが目に付いた。
灯台の前を過ぎて海を見下ろすと、2フィート程だが形の良い波が一直線に寄せてきていた。
ブーゲンビリアの目立つココヘッドを登り、ハナウマ湾の入り口前を通ると、再び海が開ける。
サンディービーチのショアブレイクは3フィート以上はあったが、今日は「遊泳禁止」の赤い旗が少ない。
ブーギーボーダーの、今日のお客さんたちはこの波に驚いていたが、ライフガードが寝坊でもしたのか、これから赤旗を立てる所だったようだ。
マカプウ岬を回ると、少し湿った風が海から吹き付けてくる。
ワイマナロのベロウズビーチは今日も人が少なかった。
ラグが風で飛ばないように、いつも私が重石として使っていた「マイストーン」がなくなっていた。
お客さんに説明するための木の実拾いを始めたら、何故かビーチの真中に「マイストーン」は移動していたので、ちゃんと拾っていつもの場所に置いた。
スモウ・コネクションの後、カラニアナオレ・ハイウェイでオロマナを抜け、キャッスル・ホスピタルの交差点を左折して、パリ・ハイウェイとの分岐を右折。
ここからカメハメハ・ハイウェイとなる。
カネオヘの町を通って、ウィンドワード・モールの前を通過して、住宅街に入る。
すぐにヘエイアのキング中学校。
ヘエイア・ケアの港を横目に見ると、今日も赤土で水が濁っていた。
サンドバーを沖に見て、カネオヘ湾からクアロアのチャイナマンズ・ハットを望む。
カフルウは海沿いのジャングルの伐採が進んでいる。
ワイアホレのブーゲンビリア園、ワイカネのジンジャー園、オーキッド園を車窓から見ながらクアロア・ビーチパークへ。
韓国の団体ツアーが来ていた。
今日もここから東の海岸線は素晴らしい色を見せてくれた。
カネネルビーチ、カレオ・オイオビーチ、カアアヴァビーチと、普段よりも青みの強い感じだった。
カハナベイ・ビーチパークは今日もほとんど人がいなかった。
プナルウの工事は今日も相変わらずのんびりムード。
15分ほど足止めされた。
ハウウラ、ライエ、カフクを通ってタートルベイを回り、サンセットビーチに出る。
波は全く無い。
シャークスコーブ、ププケアを過ぎてワイメアビーチはローカルで賑わっている様だった。
飛び込み岩も数名だがジャンプを見せてくれた。
そしてハレイワ。
アリイ・ビーチパークでのプレートランチは好評だった。
消防署の訓練をしていたが、緊迫感はぜんぜん感じられなかった・・・。
パイナップル畑で記念写真を撮り、ドール・プランテーションへ。
ドール・プランテーションのすぐ先の、カマナヌイ・ロードとカメハメハ・ハイウェイの分岐に、信号を設置している。
このあたりも少しづつ進化しているようだ。
帰りのH−1はとても混んだが、途中反対車線はもっと混雑していた。
事故があり、金曜の帰宅ラッシュの足に大きな打撃を与えていた様だった。
夜風は気持ちが良かった。
9月6日
風が気持ち良い。
家の中も、羽根窓から通り抜ける貿易風でとても快適である。
会社のホームページを少しいじって、「オアフ島情報」に「お役立ち」のページを増やした。
「オアフ島情報」を担当してもらっているモアナMINAちゃんは、日本在住なのだが、超ベテラン・リピーターで、全ての場所を自分で実際に回って写真を撮ったりして取材している。
ガイドブックのパクリではないかとも思われていたが、そんな事は無い。
言い換えれば、ガイドブック並みの取材力と言う事になる。
かつて、私と一緒にWAI WAI HAWAII と言うハワイの情報系ウェブサイトでスタッフをしていて、知り合った。
その彼女が今月またご主人とお子さんを連れてやってくる。
今度は一緒にバーベキューなどしたい。
9月7日
しばらく音信不通だったチルちゃんから電話があった。
一ヶ月ほど前から、何度か電話をしてもいつも不在で、メッセージを残しても返事が無かった。
前に付き合っていた彼氏と別れて、新しい男と云々と言う話を聞かされていたので、その後どうなったのか気になっていたのだが、遊び回っていたのではなく、LAで仕事を探していたらしい。
前はハワイで不動産関係の仕事をすると言っていたが、以前勤めたコンピュータ・プロバイダでのスキルを生かして、その方面の仕事を探しているようだ。
コンピュータ関係となると、ハワイよりカリフォルニアの方が多いし、実際に何度か面接も受けてきた様なのだが、まだはっきりと決まった訳ではないらしい。
しかし、今後動きやすくする為に、今月末か来月にはLAに引越しを考えているそうだ。
彼女は元々LAにいたので、新しい生活を始めるにあたって、それほど苦労は無いかもしれないが、結局ハワイでは思ったような暮らしが出来なかったと言う事なのだろう。
以前、ハワイについて、「ハワイ人民共和国」のようだと批判した経済専門誌のフォーブスが、先日「ハワイは問題のあるパラダイスで、ハワイでビジネスすることは自殺行為」と批判したのを思い出した。
税制度や健康保険などが理由なのだが、物価は高く、賃金は低いこの土地では、価値観が合わなければ、生活する事さえ厳しいのである。
チルちゃんには、LAに行く前に一度会って、激励したい。
9月8日
昨晩は夜更かししてしまい、今日はゆっくり起きた。
貴乃花の復帰試合と巨人戦を連続でやっていたので、テレビにかじり付きだった。
スポーツ観戦にはビールが合う。
私が一番好きなのはメキシコのコロナビールで、最近は日本でも売られているが、アメリカでは随分値段が安い。
しかし、この所日本のビールがハワイで激安で売られるようになり重宝している。
キリンの「一番搾り」が1ダースで$7.47。
355ml入りの缶で、日本で飲むのと味が若干違うようだが、特に気にはならない。
近所のスーパーでは既に顔を覚えられているので、お酒を買う時に「IDを見せて下さい」とは言われないが、普段行かない場所や、新しいキャッシャーにあたると、いまだに聞かれる事がある。
お酒を買えるのは21歳以上からだが、「ID30」と言って、酒を販売する際に、お客さんが30歳以下に見えたらIDの提示を求めなくてはならないのである。
キャッシャーの人が私の顔を見て、「う〜〜ん」と言う表情を見せたら、にっこり笑ってドライバーズ・ライセンスを見せている。
いつまで「う〜〜ん」が続くかなぁ?
9月9日
今日はCIコンボ。
お客さんはちょうど一年程前にいらしたダイアモンドヘッドクラブのリピーターさん。
お酒のおつまみを頂いてしまった。(Big Mahalo!)
朝、私が見た天気予報では、今日は風が弱く雲が多いと言う事だったが、最初のサンディービーチは良く晴れ、風も気持ちが良かった。
ダイアモンドヘッドと同様、ここにも3フィートほどの波が上がっていた。
マカプウに回ると、波は4フィートはあった。
透き通った海で、ボードを持たずに、ボディサーフィンをしているローカルがとても気持ち良さそうだった。
ワイマナロは最近人が少ない。
と言うより、夏休み中の人が多かっただけなのかもしれない。
スモウ・コネクションに行くと、アンティー・ジェンの機嫌がなんだか良かった。
昨晩の大相撲中継では曙親方が解説をしていたので、その事を話すと、嬉しそうに「そうよ!」と言って、貴乃花の今場所の動向がどうとか、武蔵丸の体重が増えたとか、いろいろ話してくれた。
カネオヘを過ぎて、ヘエイア・ケアやカハルウの海は今日も赤土でかなり濁っていたが、クアロアから先のプナルウ、ハウウラの海は光の加減か、素晴らしい色を見せてくれた。
雲はほとんど無く、ノースに回っても良いお天気が続いた。
サンセットビーチに波は無く、泳いだりシュノーケルをして遊ぶ観光客の姿が多かった。
ワイメアの飛び込み岩にも数名の人がいたが、足がすくんでしまったのか、我々が見ていてもなかなか飛び込まなかった。
ランチタイムはハレイワ・アリイビーチパーク。
今日も広い公園内のピクニックテーブルを使っているのは我々だけだった。
食後はハレイワ・タウンを抜けてドール・プランテーション。
なんだか今日は凄く暇の様だった。
再びハレイワに戻って一時解散。
お客さんが戻って来ると、マツモト・シェイブアイスのスタンにもらったと言う写真を見せてくれた。
なんとサンセットの写真。
これからサンセットを見に行く事を話すと、もしも綺麗に見えなかった時の為にと言う事で、自分が撮った写真をくれたのだそうだ。
で、サンセットビーチに移動。
普段はこの時間になると観光客は減るのだが、今日はまだ遊んでいる人が多かった。
それでもだんだんと陽が沈んでいくに従ってビーチは静かになり、最後に水平線に綺麗に落ちていく時には、皆が海を見つめていた。

その後夕焼けも広がり、綺麗な空を見せてくれた。

帰りのフリーウェイからの夜景も、お客さんはとても喜んでくれた。
細い月が出始めた。
9月10日
今日はまずハワイ大樹木園へのトレッキング。
家の近所のセブン・イレブンでスナックのスパム結びを仕込んで出てくると、ぽつぽつとシャワーが降ってきた。
街中ではぽつぽつでも、マノアの谷の奥は大雨かもしれない。
雲はそれほど厚くないが、現場に着いてからの中止も考えながらワイキキにお客さんを迎えに行った。
お客さんは今年1月にいらしたリピーターさん。
状況を説明してからマノアに向かうが、次第にシャワーは上がり晴れ間も見えてきた。
樹木園でレジストレーションを済ませると、風も乾いてきたので、一応雨合羽を持って出発した。
今日も色とりどりのジンジャーやブロメリアなどが咲き乱れ、雨上がりのジャングルはマイナス・イオンで満たされている様だった。


途中、グアヴァを賞味してビタミン補給の後、先に進み、アイフアラマの滝に到着。
雨の後でも水量は少なかった。
マウンテン・アップルはもうお終いで、わずかに一つだけ、木の高い所に残っているのを見つけただけだった。
シダの森やインスピレーション・ポイントと呼ばれる広場を見て回り、最後にはストロベリー・グアヴァも試食する事が出来た。

六角堂でスナックタイムの後マノアの住宅地を再び抜けて、リクエストでハワイ大近くのアイスクリーム屋「バビーズ」に寄り、カパフルの「レナーズ」の前でドロップした。
私は一度家に帰ってシャワーの後少し昼寝。
夜はまた別のお客さんで、約2年ぶりのリピーターさんのグループをナイトドライブとタンタラスのツアーにお連れした。
珍しくタンタラスの上は混み合っていて、写真屋さんも忙しそうだった。
一方、パールシティの公園は公民館も今日は利用者が無く、静まり返っていて、お客さん達にはゆっくりしていただいた。
この所リピーターさんが続いているが、とても嬉しい。
3度目も4度目も来て頂けるように頑張りたい。
9月11日
あれから1年、今日は町中がひっそりと静まり返っていた。
ダウンタウンの弁護士のオフィスに行ったのだが、ダウンタウンは人は歩いているが、何故か静かで不気味なくらいだった。
朝からラジオやテレビでは9.11一周年のイベントの模様や、大統領の演説、そしてレクイエムやアメリカ国歌などが何度も放送されていた。
ハワイでもパンチボウルやアロハ・スタジアムでイベントがあった。
世界中の多くの人々に何かしらの影響を及ぼしたと言われる同時多発テロ事件は、アメリカを中心としたグローバリゼーションに対する抗議だとする見方が多い。
世界の警察と言われるアメリカは、自国の産業の為に、世界中を平和にしようと考えている(と言っている)が、自由貿易主義によって結局世界の貧富の差を広げてきた。
貧困がもたらしたのは内戦と環境破壊である。
そこにまた歴史的しがらみの少ないアメリカが最新の武力を持ってやってくる。
アフガニスタンではアメリカ軍もタリバンもアメリカ製の武器を使っていた。
儲かったのはアメリカの軍事産業だ。
京都議定書に基づいて二酸化炭素の排出量を規制したら産業に打撃があるとして、これを無視し、一方で国内では山火事が多発。
アメリカがやっている事は地球の首を絞めている事ばかりのようにも思われる。
しかし、貧しい国の為にNGOやNPOに協力している人は多く、緑化運動も実は盛んだ。
つまりアメリカは、一般の人々は国際協調を望み、地球の環境保護に取り組む考えをもっているのに、政治家達が資本家・企業と組んで地球を滅ぼそうとしているように見える。
10年後の地球がどうなっているのか正確に予想できる人はいない。
しかしこのまま10年経てば、確実に地球の環境は更に悪化する。
温暖化が進めば南極の氷が溶けて世界中の海の水位が上がる。
砂漠化が進めば農耕できる土地も減る。
最初に被害に遭うのは貧しい国の人々だ。
アメリカ国内でさえ、洪水や干ばつの被害が出ている。
今の地球の異常気象はエル・ニーニョだけのせいだろうか?
10年後の地球の為に働く人たちがとても少ない気がする。
日本では、途上国に対する外交姿勢が、「物を与えるのではなく、人を育てる」と言う良い形に変わってきた。
これから日本の総理大臣が北朝鮮に行く事は、10年後の日本、地球の平和の為には役立つかもしれない。
多くの資本を集中させているイスラエルとアメリカがアラブの為に何を出来るか、戦争は何も生み出さないと思う。
ニューヨークのワールド・トレード・センタービルの、ぽっかりと空いた跡地には、砂埃の舞う中、多くの遺族が事件後初めてこの地に足を入れた。
彼等の悲しみはまだまだ癒える事は無い。
そしてこの悲しみの力が平和の為に繋がって欲しい。
9月12日
昨晩は久し振りにアッパー・マキキに住むチルちゃんの家に遊びに行った。
先日行ったLAの話、仕事探しの話と、相変わらず盛んな恋の話を聞かせてもらった。
私はLAを出てから一度も戻った事が無く、当時の汚い町の印象しかないのだが、今はすっかり綺麗になって、雰囲気も違うようだ。
仕事ではツアー会社から始まり、イベント関係、インターネット関係と業種を変え、主にマーケティングで頑張って、最後には不動産の免許まで取ったが、結局ハワイでは自分の可能性を引き出せないと言う事で撤退を決めたようだ。
恋愛の話は「ハイハイ、そうですか。」としか言えなかった・・・。
どんなに稼いでもハワイのペースと価値観に溶け込めなければここでの生活は大変だと言う事なのである。
さて今日はチャーターで、日本からきたネイリストの買出しのお手伝い。
ダウンタウンにある専門店で買い物の後、ワイキキの郵便局での発送手続きまで。
風が弱くなり、暑かった。
夜はナイトドライブとタンタラス。
一昨日の晩に比べてタンタラスの人は少なかったが、綺麗なワイキキの夜景が広がっていた。
パールシティの公園は風が弱かったが、遠くで鳴く虫の声も聞こえてきて、秋の気配がした。
ちょうど半分の月が目の前に浮かんでいた。
9月13日
今日はマキキへのトレッキングだった。
お客さんはハワイ初めてのカップルなのだが、奥さんが日本でフラダンスをやっているそうで、今日明日ワイキキで行われる「アロハ・フェスティバル」のイベントでも踊られるのだそうだ。
つまり今回はフラの聖地にやってきた訳だ。
ハワイは緑に溢れた場所と言うイメージが強かったのだそうだが、空港からワイキキへの移動だけでは街の中の道路しか通らず、少しがっかりしていらしたそうだ。
ワイキキを出て10分も走るとマキキの谷の奥に入っていく。
さっきまで目の前には海が広がっていたのが嘘のように、ジャングルが現れる。
最初はしばらく登りだが、フラで鍛えているだけあって、ペースは良い。
いろいろな植物に対する私の説明を熱心に聞いてくださった。
マウンテン・アップルはもう終わったが、熟れたグアヴァが増えてきた。
何度か拾って栄養補給。
二つ目のトレイルではイエロージンジャーが咲き乱れ、トレイルに良い香が漂っていた。
ストロベリー・グアヴァも収穫した。
甘酸っぱい。
時より山を越えて貿易風が吹いてくる。
スナックタイムの後、コアとユーカリの林の中、トレイルを下る。
シェイマが出てきてこちらを観察している。
小川のせせらぎも耳に涼しい。
オレンジ色のハレコニアが見えてきたらそろそろ終点。
最後に良く冷えたグアヴァジュースをサービス。
せっかくなので帰りにフラ・サプライセンターに寄る。
すっかり本物のハワイに魅了されたお客さんをホテルにドロップすると、ワイキキはじりっと暑かった。
9月14日
今日はマカプウ岬へのトレッキング。
朝から陽射しが強く、じりじりと照り付けていた。
カハラの住宅街を抜けてカラニアナオレ・ハイウェイに出る。
レインボーシャワーの花は少なくなってきたが、信号待ちで止まると、ひらひらと散っている花びらが目立つ。
ハワイカイでは沖に黄色いパラセイルが上がっていた。
ハナウマ湾の先、海は白波こそ立っていなかったが、うねりがあった。
さあ、山歩き。
今日は土曜日にもかかわらず人が少なかった。
往復ですれ違ったのは20人ほど。
モロカイ、マウイが見えた。
相変わらずここは風が気持ちよく、スナックタイムでスパム結びを食べていると、汗で濡れたTシャツもすぐに乾いてくる。
サボテンの花は今日は見つけられなかったが、アロエの花はオレンジ色で揺れていた。
マカプウビーチの上をイヴァが大きな翼を広げて舞っていた。
9月15日
ハワイは相変わらず「漢字」がブーム。
特に日系人では、自分の苗字を漢字で刺青にしている人もいるが、車に漢字のステッカーを貼ったり、直接書き込んでいる人もいる。
「豊田」とか「日産」、「本田」と車のメーカーを書いている人は多く、日本ではちょっと考え難いだけに、見つけると笑ってしまう。
大抵は後ろの窓ガラスに貼り付けてあるが、トラックのテイルゲートや、車体の横に書いてあるのもいる。
ここ数日でまたちょっと変わったのを見つけた。
まずは「久保」。
これも恐らく日系人が自分の苗字を車に書いているのだと思うが、小型トラックの後ろで目立っていた。
次は「波都利津宮」。
これ、どうやらパトリックと読ませるらしい。
以前同じパトリックと言う男性で、ちょっと当て字は違っていたが、これを胸に刺青にして入れていた人がいた。
刺青にしちゃうよりはいいかもしれない・・・。
今度はローカルの女の子の車で、「麗羅似」。
勿論レイラニと読むのだろう。
ハワイ語もこうして無理やり漢字を当てると、ぜんぜんハワイっぽくなくなってしまうからおかしい。
そして今日、びっくりしたのが「性感」。
勿論名前ではなく、多分セクシーと言う意味で使いたかったのだろう。
時々「平和」とか、「忠誠」なんていうのは見かけるが、これは初めて。
「性感的」ならまだしも、「性感」だけ大きくか書かれているとなんだか意味がわからない。
どんな人が運転しているのだろうと思って横に並んでドライバーを見たら、ちょっとセクシーとは程遠い、ローカルのオバちゃんだった。
何を書こうと自由だが、漢字がわかる人が多い場所での使い方にはちょっと気を付けて欲しいとも思った。
9月16日
朝からダウンタウンの弁護士のオフィスへ。
午後はクロちゃんがうちにやってきた。
知り合いの東洋医学の先生が日本語のブローシュアを作りたいということで、その編集作業。
クロちゃんは来週からカリフォルニアにしばらく行ってしまう為、そんな事間に合うのかなと思っていたが、数時間で終了して帰っていった。
夜はワイキキの鍋会に行った。
先週は私たちは行けなかったのだが、ダイアモンドヘッドクラブのお客さんで参加したいと言う方がいて、楽しんでいったようだ。
さて、アパートに戻って日本語放送のテレビを見ると、小泉首相訪朝のニュースを生でやっていた。
拉致疑惑が疑惑で無くなり、行方不明者の安否の情報まで確認されたが、半数以上が既に亡くなられていると言う。
ご家族にとっては本当に残念な知らせだったと思うが、金正日総書記の口から遺憾とお詫びの言葉が出たと言う事だけでも、両国の歴史にとっては重要な日となった。
戦後処理問題で、国交が無い為にいつまでも保留状態だった北朝鮮が、日本の謝罪と保証を受け入れる準備が出来たということだ。
日本が帝国主義になる以前から、朝鮮半島とは長い間色々な歴史があった。
朝鮮半島もいまだに南北が分かれたままだ。
しかし今、国境を越えて、少なくとも北東アジア地域に平和が訪れる可能性が出てきた。
ところがCNNではこの事は全く報道されていなかった。
その代わり、イラクが国連の核査察を受け入れる事を表明したと言うニュースがずっと流れていた。
アメリカも戦争を回避できそうな状態になった。
地球規模の話をすれば、今は争ってなどいる場合ではなく、一刻も早く世界中が環境保護に動かなければ明日の地球が無い。
まだまだ先は長い気がするが、今日は平和に向けた大きな一日だったようだ。
9月17日
今日はノースショア・ツアー。
朝からお天気は良かったが、風が少し弱かった。
お客さんは皆さんそれぞれ6度ほどハワイにはいらしていると言うリーピーターのご家族で、今まではワイキキのお買い物中心のご旅行だったのが、これからはどんどん奥のハワイを見に行きたいと言う事で、今回はまずノースショアツアーにご参加くださった。
窓を開けて、風を入れながらのドライブは気持ちが良かった。
ワヒアワのスコーフィールド・バラックスを過ぎてパイナップル畑が見えてくると、ノースショアの天気もとても良さそうだった。
最初にハレイワの街の中を抜けてそのままサンセットビーチまで走る。
今日はどこもほとんど波は無い。
サンセットビーチの観光客は少なく、青く輝く海が勿体無かった。
ラグを引いてグアヴァジュースをサーブ。
皆さん海に足をつけに水辺まで行き、ノースの澄んだ海の水と目の粗く柔らかな砂の感触を確かめていた。
その後ハレイワ・アリイビーチを見学して、ココナッツ・パーム、デート・パームの実などを説明。
サーフ・ン・シーに行きたいというリクエストがあったので、もう一度レインボー・ブリッジを渡って一時解散。
私はL&Lでマヒマヒ・プレートを買って再びアリイビーチパークに行き、誰もいない公園を独占して、風を浴びながら一人でランチ。
窓を開け放った車の中で少し仮眠をして、集合場所のノースショア・マーケットプレースに行くと、マツモトシェイブのスタンが現れた。
今日はハレイワの日本人観光客が多いと言う話などをしていると、お客さん達が戻ってきた。
最後にドール・プランテーションに寄る。
何故かここは空いていた。
帰りのフリーウェイは少し渋滞したが、楽しくおしゃべりしながらワイキキに到着した。
風が出てきたので明日も良い天気かな。

9月18日
朝からとても良いお天気だった。
ホノルルエアポートに母を迎えに行く。
空港のレイ・スタンドの看板が大きく黄色くなっていた。
これはわかりやすい。
でもスタンドが並ぶエリアに入っていっても、止まっている車の数は前と変わりは無く、ほんの数台。
いつもの一番奥のスタンドでプルメリアのレイを買って、パーキングに車を止めると携帯電話が鳴った。
飛行機が早く着き、既にゲートから出ていたので、電話を探してかけてきたのだ。
2ヶ月ぶりに母と再会。
まず驚いたのは荷物。
私は母に日本そばをお願いしていたのだが、スーツケースはそば打ち職人が一人入っているのではないかと思えるくらい重かった。
大汗をかいて荷物を「太郎」に積み込み、まず我が家へ直行。
母の気持ちのお土産が部屋に広げられた。
ありがたい。
そして重いものを遠くからご苦労様。
オオバとミョウガの薬味まで持ってきてくれたので、早速そばをゆでて皆で昼飯を食べ、ホテルのチェックインの時間に合わせてワイキキまで送っていった。
この時のスーツケースはすっかり軽くなっていた。
旅の疲れもあるだろうし、一度解散して私も家に戻った。
夕方再びワイキキに迎えに行き、カイマナビーチでサンセットを見る事にした。
ベンチに腰掛けると気持ち良い風が吹き、椰子の葉の鳴る音と鳥の声。
オレンジ色の大きな夕日がゆっくりと沈んでいった。
公園でミロの木やパパイアの花の説明をした。
ディナーも我が家に戻って食べる事にした。
メニューは生湯葉とイクラ丼。
勿論母が日本から持ってきてくれたもの。
ハワイでこんな贅沢が出来るとは思わなかった。
さすが母。
しかしよくしゃべる。
楽しい旅行になりそうだ。
9月19日
今日は母とは、昼間は別行動だった。
少し雲が多くなり風が弱くなった。
カハラの郵便局に寄り、明日のツアーに備えて洗車をしていると母から電話がかかってきた。
今アラモアナSCにいると言うので迎えに行った。
今日は少し寝坊して、ゆっくりとアラモアナビーチパークなどを散策して、我々が結婚式をしたマジック・アイランドにも行ってきたそうだ。
一度家に戻ってシャワーを浴びてからディナーに出かけた。
今日は寿司キング。
寿司は勿論、ソフトシェルクラブが美味しかった!
その後はハワイアンのCDが欲しいと言う事でタワーレコードに行き、更にお土産を済ませたいと言う事でダイエーにも行った。
月が大分丸くなってきた。
9月20日
今日は久し振りのKTファンツアー。
お客さんは昨年のテロ事件直後に申し込まれていて、ハワイ旅行自体が流れた為、1年後の実現となった。
デビュー当時からのファンだそうで、来年KTの20周年に合わせて、ファン暦も20周年を迎えると言う。
ノリの良いKTサウンドでワイキキを出発。
カイマナビーチパークのウォー・メモリアル、ベンチなどで早速参考資料と一緒に写真撮影。
続いてサンスーシーの住宅街を徐行しながら、通称「天国の入り口」を見て、ダイアモンドヘッド・ロードに入る。
きらきら光るダイアモンドヘッド沖の海を見下ろし、カハラの住宅街に入って行く。
ワイアラエ・カントリークラブの後ろを抜けて、カラニアナオレ・ハイウェイを東に進む。
ハナウマ湾の入り口を過ぎ、KTの好きな海が広がる。
サンディービーチには3フィートほどの波が上がっていた。
マカプウ岬で停車するルックアウトは、通常のサークルアイランドの場所とちょっと違う。
溶岩の上に座ったKTがラビットアイランドをバックに写っている資料があるので、それをお客さんにも真似てもらう為だ。
ワイマナロ、カネオヘから先の東側もお天気は良さそうだった。
ベロウズビーチでは大きなスクールバスが3台も止まっていたのだが、小学生と中学生、別の学校が来ていた。
小学生は自然教室の様だったが、中学生はバレーボールをしたり海で泳いだりと、遠足の様だった。
ここからライエのフキラウビーチまで東海岸のドライブ。
今日も海はエメラルドブルーでとても綺麗だった。
フキラウビーチでは大きな網で魚を取ったローカルの漁師さんが、小さい子供も含む家族と一緒に、網から魚を一生懸命外していた。
タートルベイ・リゾートホテルでトイレ休憩をして、KTの車がエンストした場所でこのツアーお決まりの記念撮影。
気温は上がってきたが、サンセットビーチの波はほとんど無かった。
裸足になってビーチを歩き、KTと関わりのあるビーチハウスまで行き、説明をしていると、ここの管理人をしているプロサーファーのアーノルドが出てきた。
「KTはいつハワイに戻って来るんだい?」などと聞かれてちょっと立ち話。
お客さんが記念撮影をリクエストすると、快諾してくれた。
アーノルドの話だと、今晩くらいからまた波が上がってくるそうだ。
来月末からはいよいよ大会が始まると、意気込んでいた。
さてワイメアは少しうねりがあって濁っていたが、飛び込み岩の上には人がいた。
しかし彼等はただ海を眺めているだけの様だった。
ハレイワに移動してまずはランチ。
今日のアリイ・ビーチパークは何組か大きなパーティーを開いていて賑やかだったが、ボートハーバー寄りのピクニックテーブルを確保して、トレードウィンドを浴びながらプレートランチを食べた。
ハレイワ・タウンで散策の時間の後、パイナップル畑で記念撮影、ドール・プランテーションに寄ってワイキキを目指す。
今日は一日良いお天気だったが、H−2フリーウェイからパールハーバーが見えてくる頃になると、島の南側がどんよりと雲っているのが見えてきた。
H−1フリーウェイでカメハメハ・ハイツ辺りを走っている時にぱらっとシャワーに遭った。
金曜の渋滞は激しく、ワイキキに戻ってきたのはちょっと遅くなったが、お客さんはこのツアーを今回のオアフ島のメイン・イベントとしていたそうで、とても喜んでくださった。
一度家に戻ってシャワーを浴びて電話。
母は朝から出掛けていたが、ワイキキで落ち合う事になっていた。
アロハ・フェスティバルのイベントの一つ、ワイキキ・ホオラウレアが今晩開かれるので、見に行こうと言う事なのだが、今日のワイキキはとても車を止める所が無いので、当初はバスでワイキキに行くはずだった。
しかし私がバス停に向かって歩いていると、目の前でワイキキ行きのバスが2台も通り過ぎていった。
もう8年もハワイでバスに乗った事が無い私は、そのまま歩き続ける事にした。
普段車で通る道も歩くとまた違った景色が見えてくる。
途中でいくつかバス停はあるが、20分ほど歩いてワイキキに入った。
カラカウア・アヴェニューはクヒオ通りとの分岐の先で車両通行止めになり、歩行者天国となっていた。
大勢の人が出て賑やか。
バンド・スタンドや記念Tシャツを売るブース、そして様々な食べ物の屋台も出ていた。
もう一度電話をしてロイヤル・ハワイアンSCの前で落ち合った。
今日の行動を聞いてみると、まずワイキキでゆっくり食事をした後、ダウンタウンで開かれたジェイク・シマブクロの無料ライブに行ったそうだ。
しっかりサインをもらって、一緒に記念写真まで撮って来ていた・・・・。
その後スクール・ストリートのカム・ボウルと言うボウリング場に行き、カピオラニ・コーヒーショップと言うボウリング場内のカフェで、ここの名物のオックステイル・スープを食べたと言う。
実はここ、超穴場で、普通の観光客だとかなり入り辛い。
普通のボウリング上で、ほとんどローカルばかりなのだが、オックステイル・スープはとても美味しいのである。
その後は日本語の案内の時間にビショップ・ミュージアムに行って、ゆっくりと博物館を見て回ったそうだ。
最後にワイキキに戻って、シェラトン・ワイキキ前の、カヌーのセレモニーも見てきたらしい。
私と合流してからはバンドスタンドの演奏やフラダンスなど見て回り、屋台でハワイアンフードを買ってホテルに戻った。
仕事の後、ワイキキまで歩いてきた私はそれまで我慢できずに、「千房」の屋台でお好み焼きを買って先に食べていたのだが、母にハワイアンフードの説明をしながらまた食べてしまった。
ポイがとてもフレッシュで美味しかった。
帰りはタクシーを使って家に戻ってきた。
9月21日
母を連れてマノアのハワイ大学ライアン樹木園に行った。
実はここは母が今回是非行ってみたいと言うリクエストをもらっていた。
天気も良い土曜だと言うのに人は少なかった。
ツアーと同じように木や草花を説明して回ると、母はとても熱心に聞いていた。
途中グアヴァ、ストロベリー・グアヴァなどを試食したり、木の実を拾ったりして、アイフアラマの滝に到着。
その後は樹木園内を回り、何度か現れたシェイマに喜んだり、森林浴を楽しんだり、写真を撮ったりと、満喫してくれた様だ。
いつもの様に六角堂でスパム結びを食べ、グアヴァジュースを飲んでから、マノア・マーケットプレイスでちょっと買い物をして戻ってきた。
一度ワイキキで二人をドロップして、我々も家に戻ってシャワーを浴びて少しお昼ね。
夕方から先程買った物を仕込んで、再びワイキキで母をピックアップ。
今晩はバーベキュー。
最初はカイマナビーチパークに行ったが、土曜日と言う事でどこも混雑して車を止める場所すらない。
カピオラニ公園をぐるりと回ると、裏のパキ・アヴェニュー沿いのパーキングか空いていて、公園内の巨大バニヤン・ツリーの下にピクニックテーブルも確保。
気持ちの良い風が吹いてきて、母もすっかりご満悦。
私は早速バーベキューの準備。
今日もベストの焼き加減で、オイスター、野菜、そして肉を次々とサーブ。
勿論大好評だった。
全員すっかり満腹になったところで片付けをして移動。
そのままタンタラスの丘に夜景と満月を見に行った。
途中のプナホウ・スクールの垣根で咲いている月下美人を見つけて母にプレゼント。
これにも大喜びしてくれた。
皆でアパートに来て大相撲の千秋楽を見る。
1年半もの休場明けで、引退を賭けて戦ってきた横綱貴乃花は、優勝こそ逃したがとても善戦した。
不景気に悩む日本にとっては、貴乃花効果で刺激になれば良いと思った。
今日も長い一日だった。
9月22日
朝はゆっくりしてお昼から母をノースショアに連れて行った。
最初にハレイワのマツモト家を訪ねると、N子さんが迎えてくれてしばらくお邪魔しておしゃべりをしたが、スタンは出掛けていていなかった。
その後サンセットビーチまで足を伸ばすと、今日は3フィート以上の波が上がっていた。
サンセットだけではなく、ラニアケアもハレイワにも波が来ていた。
再びハレイワに戻り「ハレイワ・ジョーズ」でランチを食べ、マツモト・シェイブアイスに寄るとスタンが現れて、母と立ち話を始めた。
閉店直前のノースショア・マーケットプレイスのポリネシアン・トレジャーズで急いで買い物をして、ドール・プランテーションにちょこっと立ち寄り、ホノルル戻ってきた。
お土産の買い物が少し残っていると言う事でダウン・トゥー・アースに行ってからダイエーで買出し。
そのまま私の家に来て、今晩は母が食事を作ってくれることになった。
やっぱり母の手料理は懐かしい味がする。
デザートにマンゴーと梨を食べた。
明日はとうとう帰国の日だ。
9月23日
うっすらと日焼けした感じのする母が日本に帰っていった。
ホノルルエアポートのチェックインカウンターには長蛇の列が出来ていたが、チェックインが終わっても搭乗まで1時間半以上あった。
セキュリティゲートから先には搭乗者以外は入れないのだが、レストランやコーヒーショップなどは全てゲートの中で、どうし様かと迷っていたら、新しく出来た小さなカフェを見つけてしまった。
1階のバゲッジ・クレイム内で、確か昔はレンタカー会社のデスクがあった場所。
プランツで即席の仕切りを作って、二人掛けのテーブルが8つほどあるだけだがお茶するには十分。
利用していたのは空港関係者と思われる人たちばかりだった。
母がいる間ずっと天気は良かった。
ハワイの神様に感謝。
9月24日
母が日本から持ってきてくれたものに、DVDがあった。
実はこれ、7月に日本に行った時に借りたビデオレコーダーで撮ったビデオを、ダビングしたもの。
過密スケジュールでこなしたパーティーや日光・鬼怒川の旅行の模様などが収められている。
母がいる時にも少しだけ見たのだが、2時間分が3本もあり、ほとんどこれから初めて見る。
2ヶ月ほど前の事なのだが、既に懐かしい。
10年経ったらもっと懐かしいんだろうなぁ。
さて、ダイアモンドヘッドクラブの日本在住スタッフのモアナMINAちゃんがご主人とお子さんを連れて、またハワイにやってきている。
今晩は、MINAちゃんご家族とマイランに行った。
私は久し振りだったのだが、このところよくお客さんにマイランの事をお勧めしていたので、オーナーのサムさんが「いつも紹介してくれてありがとうね!」と、またデザートをサービスしてくれた。
今日はライチの仲間で「ドラゴン・アイ(龍眼)」と言う果物を出してくれた。



ライチより少し小粒で、皮は凸凹が無く、香がとても良かった。
夜は風が弱く寝苦しい。
9月25日
ネットショップがなかなか始まらない。
今一番引っかかっているのが、支払の受付方法。
インターネット上には日本人向きにハワイアングッズを扱うネットショップは多いが、ほとんどは日本で店を開いているので、支払は日本の銀行口座に振り込んでもらう形式が一般的。
しかしダイアモンドヘッドクラブはハワイにあるので、ハワイの銀行に振り込んでもらうと送金手数料がとても高くなってしまい、お客さんの負担が大きくなってしまう。
そこでクレジットカードを受け付けられるようにして、決済しようと思っていたのだが、色々調べてみてこれにはこちらの負担がかなり重いという事がわかった。
勿論ショップが順調に行き、毎日多くの売上を出せるようになれば、この負担も割合が少なくなるのだが、今の所Tシャツとマヒオレくらいしか商品の無い状態で、クレジットカードの導入をするのは時期尚早のようだ。
結局日本の銀行にダイアモンドヘッドクラブの口座を開いて、そこに振り込んでもらう形にするのが最も効率の良い方法になりそうで、今度は日本の銀行を調べている。
このお金をどうハワイに持ってくるかはまだ決まっていない。
また、ネットショッピングではお馴染みの「ショッピング・カート」だが、これにもちょっと問題があった。
すぐ使える形のものをいくつか用意してあるのだが、単位を「¥」から「$」にする事が出来ない。
ちょっといじればすぐ直ると思っていたのだが、まだ直らない。
日本のお客さんにしてみればドル建てより円建ての方がわかりやすいのだが、ハワイのお店でショッピングをする雰囲気を味わってもらいたかったので、出来れば商品の金額表示は「$」にしたかった。
火事で焼けたエッグスン・シングスと同じように9月半ばにはオープンする予定だったが、もう少し先になりそうだ。
エッグスンとどちらが先になるだろうか?
9月26日
さて、今日は夕方からカピオラニ公園でバーベキューをした。
モアナMINAちゃんのご家族と、モーティー夫婦を呼んで、ミニ・ダイアモンドヘッドクラブ社員パーティーとなった。
前回母とやった巨大バニヤンツリーの下に陣取り、今日も私がバーベキュー・マスターとして腕を振るった。
風が全く無く、じとっとした夜になったが、外でのバーベキューは気持ちがイイ。
今晩も大好評だった。
しかし家に戻ってからは、無風状態の中で寝苦しい夜を過ごした。
9月27日
そう言えば巨人優勝の事を何も書いていなかった。
全球団に勝ち越しで早々とマジックを点灯させ、今年は楽勝ムードだった。
長嶋さんが辞めてちょっと面白くなくなってしまったが、東京出身としていまだに巨人が気になる。
優勝を決めた24日はマジック対象チームのヤクルトが負けた為で、当のジャイアンツはサヨナラ負けをしてからの胴上げだった。
長嶋さんだったら、もっとドラマチックになっていたのかな?
後は松井の三冠王と、勿論日本シリーズが楽しみ。
9月28日
ハワイ大学樹木園へのトレッキング。
最近増えているが、ほとんどのお客さんは「るるぶハワイ」を見て、最初はマノアの滝へのトレッキングをご希望されている。
マノア・トレイルは今年2月に崖崩れが起きた事、復旧工事は終わっているが、ツアーでは入れなくなってしまった事、個人で行くには問題無い事を説明してから、今はハワイ大学樹木園のコースのみで営業している事や、他のトレイルもあることを説明している。
マノアのトレイルもハワイ大の樹木園も、どちらもジャングルで変わらないらしいが、花の数はハワイ大の方が遥かに多い。
「樹木園」と言うと、日本の「植物園」のように舗装された道路があって、そこに展示する様に木が植えられているだけのような印象があるようだが、実際は未舗装で確かにジャングル。
ただここには計画的に樹木が植えられ、一般的にはオアフ島には自生しない植物や花なども多いので、本物の自然とは一線を画する。
最も現在のハワイのほとんどの植物は外来種で、西洋文明が入ってきてからは、太平洋上に孤立していたハワイで独特の進化を遂げた自生種は全滅に近いそうだ。
1918年、第一次世界大戦後のハワイは入植が進み、土地開発が盛んに行われていた。
今、ハワイ大樹木園のある場所は、全ての木が伐採され、牛の自由放牧が行われていたそうだ。
牛によって荒らされた土地を森に戻すプロジェクトが始まり、その先頭に立っていたのが本土から来た植物学者のハロルド L. ライアン博士だった。
その後ハワイ大学に計画は引き継がれ、ここの名前はライアン樹木園となった。
このジャングルが90年前には木が生えていなかったと言うのは驚きである。
今日のお客さんは若いカップルで、ハワイは初めてだそうだが、ジャングルを歩いて喜んでいただけた様だった。
9月29日
先日ネットショップのオープンが遅れている言い訳をしたが、Tシャツとマヒオレくらいしか商品が無いと書いたら、せめてもう少し増やしてはどうかと言うご意見をいくつか頂いた。
勿論これから増やしていくつもりだが、オープン時に商品が少ないのは寂しいので、今日は買い付けに行った。
売りたい物と売れる物、お客さんが欲しいと思う物には、考え方と予想の仕方に違いがあり、簡単には決まらなかったが、とりあえず数点、ハワイアン・グッズを商品ラインアップに載せることが出来そうだ。
少し風が戻って来て過ごしやすい。
9月30日
ダイアモンドヘッドクラブを始めた当初、インターネット上からお客さんを集めるだけではなく、ネットの世界にいる人達に、私の持っている情報を還元したいと思った。
ネットの世界にも色々な人がいるので、残念ながら最初に協力した所からは裏切られてしまったのだが、その後Yahooの掲示板内に自分でトピックを立ち上げてからは、色々な人に巡り会えたし、仕事に繋がった事もあるし、また個々の質問に答える為に勉強も出来た。
当初は適当なカテゴリーが無く、「南太平洋」や「環太平洋」といったカテゴリー内にトピックを持っていたのだが、最近になって「ハワイ」のカテゴリーがちゃんと出来たのを知った。
そこでトピックの引越しをした。
今までの書き込みは全て無くなってしまうが、時間と共に古くなる情報も多いので、これからまた始めたい。
ハワイ関係の質問は是非こちらに書き込んでください。
「ハワイの歩き方」掲示板にも、前はよく出て行って質問に答えていたが、最近は詳しい人が増えて、おまけにとってもマメな方が多いので、書き込むことは少なくなった。
そのせいか、以前はここで「ダイアモンドヘッドクラブお勧めですよ!」と言うお客さんの書き込みも多かったが、最近はあまり見かけない。
しかしこの掲示板には検索機能がついているので、オプショナルツアー関係の単語で検索すると、結構出てくるようで、会社のホームページの解析からはいまだに多くの方がここからダイアモンドヘッドクラブを訪れてくださっている。
お客さんには、「どちらでダイアモンドヘッドクラブをお知りになったのですか?」と毎回尋ねているのだが、「ハワイの歩き方」と「Yahoo」はダントツの上位なのである。