ハワイ日記2002年7月
7月1日
今日はサークルアイランドとサンセットのコンボ。
お客さんはダイアモンドヘッドクラブのリピーターで、前回もサークルアイランドに参加されているのだが、その時は雨模様で今回再度挑戦する事になった。
お土産でお酒とおつまみを頂いてしまった。(Big Mahalo!)
先週まであんなに良かった天気が昨日崩れたのでちょっと心配だったが、朝のワイキキは晴れていた。
おしゃべりをしながらカラニアナオレ・ハイウェイを進むと、ニウ・バレー辺りでシャワーが流れてきた。
コオラウ山脈には重そうな雨雲がかかっている。
ま、まだこの時間はモーニング・シャワーと言う事で、それよりウィンドワードの天気が気になった。
ハナウマ湾の入り口は、明日の定休日を前に大渋滞だった。
ハロナ・ブローホールは警察車両と消防車が集まり、クローズされていた。
朝のニュースでは、ここで事故があったと言っていたが、どうやらまだ現場検証が続いているらしい。
大手ツアーの大型バスは諦めてここを素通りしていたが、我々は通常どおりサンディービーチに入る。
ここでもライフガードや消防隊が慌しくしていた。
ビーチに人はおらず、3フィートほどに上がったショアブレイクで、夏休みに入ったローカル達が遊んでいた。
マカプウ岬を回ってウィンドワード・サイドに出る。
所々青空は見えるが、雨雲が多い。
しかし貿易風は調子良く吹いているので、湿度は低い。
ワイマナロのベロウズ・ビーチは、アメリカ人のツアー客以外にほとんど人はいなかった。
顔見知りの公園管理局のロコにブローホールに付いて聞いてみると、本土から遊びに来ていた10代の青年が夜中に柵を超えて入り込み、潮吹きに飛ばされたか波にさらわれて、いまだに発見されていないのだそうだ。
人騒がせな話だ。
スモウ・コネクションでは、アンティー・ジェンが釘で手を刺したと包帯を巻いていて、痛々しかった。
しかしお客さんが来ると、ニッコリ笑って写真撮影に応じてた。
カネオヘからクアロアまでのドライブでは何度かシャワーに遭ったが、クアロアパークは天気も良く、北東の空も大分明るくなっていた。
この辺り、今は黄色いハウの花があちこちで顔を覗かせている。
カアアヴァ、プナルウ、ハウウラと海は素晴らしい色を見せてくれた。
ノースに回ると、天気はどんどん良くなった。
サンセットビーチもワイメアも大勢人が出ていた。
アリイ・ビーチパークでは昨日のイベントの片付けが行われていたが、ボート・ハーバー寄りのピクニックテーブルでプレートランチを食べた。
その後先にドール・プランテーションに行く。
お客さんから『「アロハ・せんべい」はどこですか?』と尋ねられた。
どうも皆さん予想している物と形が違うようなので、今日は写真をUPした。

ハレイワ・タウンに戻って一時解散。
今日は時間がたっぷりあったので、ポリトレで日本行きのお土産を購入して、本を一冊読み終えて少し昼寝をした。
お客さんが戻って来るまでに、ハレイワでは何度か小雨が降ったが、問題はサンセットビーチ。
北に移動すると、ハレイワよりも明るく、雲も少なかった。
早速ビーチにラグを引く。
昨日のお客さんが遊んだ椰子の実がそのまま転がっていた。
水平線には雲があったが、その下から少し光が射していた。
写真など撮って寛いでいると、ぽつぽつとやって来てしまった。
ざーっと来た所で車に避難。
残念ながら結局今日も夕日は見れなかった。
お客さんは「サンセットは来年また挑戦します」と、リピーターらしく課題を残してくれたが、帰りのフリーウェイからの夜景は堪能されていた。
ワイキキにも雨が降った形跡があり、時より突風が吹いていた。
7月2日
久しぶりの帰国を控えて、今日は荷造りと掃除洗濯。
郵便局にメールのチェックにも行った。
かつて、2年間日本に戻らなかった事が2度程あったが、今回は5年振りの帰国となる。
半年でも雰囲気が変わったと思った事があったが、それは季節のせいだろう。
1年経つと街の様子が明らかに変わる。
2年後には日本人自体までが、少なくとも外見だけは、変わってしまう。
さあ、5年ぶりに玉手箱を開ける浦島太郎が見る東京は、どのように変わっているのだろう。
今日もお天気はぱっとせず、時よりシャワーもあった。

7月3日
今日は朝から快晴。
鳥も元気に鳴いている。
日本に行く事だけではなく、長時間の飛行機も久しぶりなのでドキドキ。
もうすぐM君が迎えに来る。
ネットのチェックは出来るが、「ハワイ日記」はしばらくお休みします。
戻ってから、浦島太郎の感じた日本については語ってみたいと思っています。
ALOHA!
7月10日
ハワイに戻ってきた。
晴れところにより曇り。
気温29度。
貿易風は10マイル。
やっぱりハワイは気持ちが良い。
大荷物で帰ってきたので、これから荷物整理。
久しぶりの日本で色々な事を感じた。
これについては、これから少しづつ書き記していきたいと思う。
先々週に始まった家の前の道路工事は、まだ終わっていなかった。
7月11日
よい天気。
疲れが溜まっていたのか、昼過ぎまで爆睡。
メールも溜まっていたので返信作業。
夜、イヴィレイのホーム・デポに行った。
荷物がどっと増えたのでオーガナイズする為だが、ちょうど良いのが見つからずそのまま帰ってきた。
さて、5年振りの日本だが、最初の2〜3日はそれほど暑さを感じなかった。
梅雨時でしとしとしているよりはいいなぁと思っていたし、晴れ間も顔を出してくれて、気分も明るかった。
しかし、どこに行っても冷房ががんがんに効いていて、屋外との温度と湿度の差が激しく、出たり入ったりしているうちに身体の機能がおかしくなってきたのかもしれない。
後半は暑さがかなりきつく感じた。
初日に電車の中でおにぎりを食べてるオヤジがいた。
日本はこうなったのかと思ったが、これを友達に話すと、それはちょっとした例外だったようだ。
しかし、携帯電話のメールは若い人ばかりでなく、それこそ中年のサラリーマンが電車の中で一生懸命打っているのに感心した。
あと、東京は落書きだらけになっていたのにはがっかりした。
あれじゃ10年前のアメリカと一緒。
しかし移民ばかりの国と日本では訳が違う。
自分達の国を美しく保とうと言う意識が全く根付いてはいない様にも感じた。
どこかの区では、歩きタバコの禁止条例が出たそうだが、大賛成。
吸殻だけではなく、煙も灰も気にすべし。
そういえばハワイもレストランでは7月から、全面禁煙になった。
私もいつかは辞めたい・・・。
7月12日
帰国後最初のツアーはマカプウ・トレッキング。
これでもかと言う位の良い天気で、海と空の色が楽しみだった。
お客さんをピックアップして、行きはカハラの住宅街を抜けてカラニアナオレ・ハイウェイに出る。
モンキーポッドの花は少し落ち着いたように思ったが、レインボーシャワーは更に勢いを増していた。
ワイアラエ・カントリークラブのピンクのハイビスカスも綺麗だった。
マカプウ岬の路肩に車を止めると、黄色いスクールバスが一台あったが、他の車は少なかった。
登りで、サマースクールの小学生10数人のグループとすれ違ったが、後はいつもよりかなり少なかった。
「ペレの椅子」と呼ばれる岩の上を回りこむと貿易風が抜けてくる。
きらきら光る海を見下ろしながらトレイルを歩いた。
頂上はしばらく貸切だった。
風の音だけを聞きながらスナックタイム。
スパム結びも好評だった。
気持ちの良い汗をかきながら下山。
サンディービーチでジュース休憩。
東側の溶岩ビーチにも日光浴を楽しむ人が大勢いた。
私も今日は随分陽に焼けた気がする。
7月13日
今日は取材の仕事でマキキバレー・ループ・トレイルに登った。
今年紹介されたマノア・トレイルは州の規制で入れなくなってしまったが、今度はマキキを紹介したいと言う事で「るるぶ2003」の取材が来て下さった。
マキキとクリオウオウについてはツアーの入山は禁止されていないが、クリアしなければいけない問題があり、これから続けるかどうか迷っていた。
結局今より少し料金が上がってしまうが、多くの日本人観光客に奥のハワイを見ていただく為に、再開する事にした。
で、今回の取材はレポーター兼フォトグラファーの方がお一人でいらした。
普段のツアーより早い時間で、トレイルには朝の湿気がまだ残っていた。
ククイの実だけではなく、イエロージンジャー、グローリーブッシュなどの花、マウンテンアップルの実、まだ小さく青いがグアヴァの実なども見れた。
今日も20名ほどの、主に韓国系ローカルのハイカー達とすれ違ったが、皆さんここをエクササイズとして使っているようだ。
時々シェイマが出てきて、我々の目の前を横切って行った。
最後にマウナラハ・トレイルを降りてくる時に見えるワイキキのビル群が、その向こうの海の色に映えていた。
お昼前には終わり、一度家に戻ってシャワーを浴びて、ダウンタウンのシティー・ミルに出かけた。
1時間ほど店の中で協議を続けたが、今日も結局結論は出ず戻ってきた。
夕方少し昼寝をして、夜はダイアモンドヘッドクラブの創生期からの古いお客さんと、マリオットのロビーバーで一杯飲んだ。
最近の工事が終わり、ハワイアン・リージェンとの頃に比べるとロビーの雰囲気もがらっと変わり、ロビーバーもライブ・ミュージックはなくなってしまってちょっと寂しい。
しかし、岩山のオブジェクトがあり、時々噴火をイメージした水柱が上がっていたのは面白かった。
三日月が空に浮かんでいた。
7月14日
日本ではまた台風が近づいているようだが、ハワイはまったりと良い天気。
さて先日の日本では久し振りの電車も堪能した。
小中学校で電車通学していたので、電車に乗ると懐かしさがこみ上げる。
携帯電話のマナーやヘッドフォンも気になる事は無かったが、あまり混んだ時間帯には乗らなかったせいかも知れない。
むしろ車窓から見える東京の街には、どこもカラスが多いのにびっくりした。
石原都知事がカラス撃退作戦を行っているとか言う話は聞いていたが、こんなに増えていたとは何だか不気味だった。
ハワイには基本的にはカラスはいない。
ハワイ島にだけ「アララ」と言うカラスの仲間がいるそうだが、私は見た事が無い。
尤もハワイでは絶滅の危機に瀕している希少種なのだそうだ。
今回の帰国は5年振りと言う事で、私は小学校のクラス会や中学校のバスケ部のOB会まで開かれ、連日の飲み会だった。
どこの会でも豪勢な食事が出た。
しかし飲んで人と話すのがメインだったので、どこでも思った程食べる事が出来なかった。
結局夜中にラーメンと言うパターンが多く、1週間の滞在中に3度もラーメンを食べた。
昼食に日本そばも3回食べたのだが、どこもとても美味しかった。
美味しかったと言えば、スラッキーと奥さんに連れて行ってもらった渋谷の台湾料理屋。
古くからある店だそうだが私はぜんぜん知らなかった。
本当はKTも一緒のはずだったのだが、当日は実家に帰っていて次の日には九州に移動だそうで、残念ながら会う事が出来なかった。
でも途中からメグさんが登場してとても盛り上がった。
食べ物で印象に残っているのは、日光の生湯葉。
旅行で行った日光で、1週間前に予約しないと買えないと言う、超有名店の生湯葉をしっかりゲットして、ホテルで食べた。
湯葉は好きだが、生湯葉がこんなにとろけるものだとは思わなかった。
あと、先日イギリス転勤から戻ってきたばかりの友人のケニーと一緒に行った吉祥寺の寿司屋。
前にも、と言っても10年も前に彼と一緒に行って以来だったのだが、店長が私の事を覚えていてくれて、昼間で空いていた事もあって美味い寿司をたくさん食べさせてもらった。
明日は旅行編。
7月15日
今日はマキキにトレッキングに行った。
相変わらず天気は良く暑かったが、風が気持ち良かった。
日本はまた台風が直撃しているらしいが、実は今朝私の従兄妹がハワイから日本へ帰り、ちゃんと成田にたどり着けたか心配。
先週日本で会ったばかりの従兄妹が、会社の友人とハワイに遊びにきていて、マウイが中心だったのだが最後にオアフで1泊して、昨晩は一緒にマイランで食事をしたのだった。
で、今日は日光・鬼怒川旅行編。
浅草からの電車は特急スペーシアの個室!
電車の個室なんて乗った事無かったから、ヨーロッパの映画とかに出てくるような部屋を想像していたが、シンプルで豪華だった。
ゆったり寛げる部屋を使ったので、ごろごろとリラックスして、日本の田園風景を眺めながらの移動だった。
ところが日光に着く頃になると空が暗くなってきて、駅に降りると降ってきた。
それまで梅雨の晴れ間に恵まれていたので雨具の用意が無く、駅の売店で最初に買ったのはビニール傘だった。
東照宮の門前の蕎麦屋で昼食。
その間にも雨足は速くなってきた。
大きなバックパックを背負っていたので、傘を差しても濡れたが、平日と言う事もあって、他の観光客は少なく、ゆっくり参拝する事にした。
時より雷も聞こえる大雨だったが、旅行の基本は楽しむ事。
滝のように水の流れる石段を登ったり、濡れた靴を一度脱いでお堂に上がって参拝し、またそれを履かなければならなかったり、修行の様にも思えたが、普段ツアーの仕事をしていれば、これをどう楽しむかが大事なポイント。
どのお堂に上がってもほぼ貸切だったので、ゆっくりと建物や装飾を見る事も出来たし、お神酒を頂いたり、お守りを買ったり、また借りて持っていったビデオカメラを使いまくったり、思い出に残る日光だった。
あるお寺の入り口で、楽しそうに合羽を着ているヨーロッパのカップルがいた。
我々が中で参拝してきても、まだ入り口にいておしゃべりをしていた。
門を出る時に一緒になったのだが、このとき雨が一層激しくなり、さすがにちょっと雨宿りと言う感じになった。
私は黒澤明の「羅生門」を思い出していたのだが、チラッと見るとこのカップルの楽しそうな事。
私はあそこまでいちゃいちゃ出来ないが、旅の原点を見たような気がした。
お手洗いや出入り口には一応英語の表示はあったが、お寺の説明はほとんど日本語のみだったし、彼らが話していたのが英語ではない事はわかったので、その英語表示でさえ理解できたのかもわからない。
勿論東照宮の世界文化遺産群は、見るだけでもかなり感動するが、この大雨の中であれだけ楽しめるのは本当の旅の達人だと思った。
私も最後は全身濡れてしまったが、彼らを見てとても勉強になった。
勿論文化遺産は素晴らしかった。
杉の森から靄が立ち上がり、遠くでヒグラシが鳴いているのを聞いた時は、日本にいる実感がした。
日光からは途中、有名な湯葉屋で予約してあった生湯葉をピックアップして、鬼怒川に向かった。
ここでも雨は激しく、歩いている人は少なかった。
泊まった鬼怒川Pホテルは、あの辺りでは上クラスらしい。
渓谷側個室露天風呂付きの部屋にチェックインすると、「特大」と書かれた浴衣が用意されていた。
しかし部屋付きの露天風呂は雨が激しくて入れそうも無い。
でもここには別棟にオプションの貸しきり個室露天風呂というのがあって、ここも予約済み。
ホテルのバスで1分ほどの棟には露天風呂の個室が10部屋ほどある。
10畳ほどの和室に続いて、露天板張りの床に檜の風呂がどーんと据えてある。
ザザーッとお湯をこぼしながら温泉に浸かる。
あ〜、今思い出しても極楽。
やっぱり自分に日本人の血が流れている事を実感した。
夕食も当然豪華版。
世界5大珍味とか言う話だったが、皿が全部でいくつあったか思い出せない。
全部食べ切れなかった後悔感を打ち消すために、雨が弱くなってきてから結局部屋の露天風呂にも入った。
濡れるのはどうせ一緒。
やっぱり気持ち良かった。
その後ホテル内も散策したが、その時見つけたインターネットカフェでここに書き込みをしたのだ。
さすがに夜は気温が下がり、久し振りにふかふかの厚い布団が気持ち良かった。
朝はまずホテルの大浴場に行った。
ここにも露天があり、この朝は女湯にはサルが3匹出てきたのだそうだ。
大浴場も朝で人は少なく、寛がせてもらった。
部屋に戻ると、朝食が大きなテーブル一杯に並べられていた。
朝飯でさえ、熱い料理(固形燃料もの)が二つもあり、とても食べきれる量ではないのだが、我々は昨日買ってきた生湯葉を朝から豪快に頂いた。
湯葉は知ってたが、生湯葉は初めて食べた。
美味しくて気絶しそうになった。
帰りもスペーシアの個室で、一眠りして浅草に戻った。
でも旅行はまだ終わらない。
浅草で美味しい日本そばを食べた後、憧れの「神谷バー」に直行。
「電気ブラン」の故郷で、大正時代の下町のバーと言った、ノスタルジックな、なんとも言えない雰囲気の店で、昼間から随分と賑わっていた。
労働者風の人ばかりかと思っていたが、老若男女で盛り上がっていた。
それまで日本でどこに行っても少し浮いていた私が、神谷バーでは普通の人だった。
「電気ブラン」は不思議な味の酒で、私はすっかり嵌っていた。
見た事が無かった「電気ブラン・オールド」と言うのを飲んだ。
二人で3杯空けて、今度は錦糸町に移動。
まずはヨドバシカメラ。
新宿店よりも空いていて、ゆっくりと見れる穴場。
最新のデジカメとコンピュータ関連の書籍をゲットした。
最後に100円ショップの「ダイソー」に行った。
正直驚いた。
ホノルルのダイエーの1ドル均一や、マルカイの99セントショップは問題にならない品揃えで、こんなのが家の近所にあったら良いなぁと思ってしまった。
既に大荷物だったので、まず預かってもらって、何だか色々買ってしまった。
帰ってすぐに荷造りをして成田に向かった。
撮ったビデオを見るのもまた楽しみである。
忙しいスケジュールの中、時間を作って旅行に行けたのはとても良かった。
7月16日
今日はサークルアイランドツアー。
研修中のM君も参加した。
お客さんは2組。
朝のワイキキには少し雲があったが、サンディービーチを過ぎてからは晴天に恵まれた。
マカプウには4フィートほどの波が上がっていたが、ほんの数名のローカルが遊んでいるだけだった。
ベロウズビーチも久し振りだったが、ラグを押さえる為にいつも使っている石(マイストーン)がしっかりアイアンツリーの根元にあり、M君もこれには驚いていた。
スモウ・コネクションにはアンティー・ジェンがいなかった。
クラークのローラに聞いてみると、先日釘で怪我をした手が悪くなって病院に行っているのだそうだ。
心配だが、早く良くなって欲しい。
カネオヘの住宅街に入ると、いつも綺麗だったピンクのハイビスカスの垣根がなくなっていた。
垣根として使う場合、下の方の枝が少なくなってきたりした場合に、一度刈り込んで再びこもらせるやり方がある。
または虫が大量についた場合も一度刈り込むが、いづれにしてもしばらくはあの見事な垣根が見られないと思うと残念だ。
クアロア・パークに寄った後、サンセットビーチに到着するまでに何度も工事で足止めされた。
あちこちで地面を掘り返していた。
ワイキキなどではてきぱきと見える道路工事も、島の裏だと何だかとってものんびりムード。
1ヶ所では20分近く待たされた。
M君のトレーニングでもあるので、間を持たせる為に色々な話をした。
お客さんによっては、こう言った時に、私に色々な質問をされる方もいるし、逆にご自分の話をされる方もいる。
今日は皆さん比較的静かな方だったので、私から色々話したが、普段サークルアイランドでは特に話し過ぎないように気をつけている。
ツアーが始まってすぐは、ペースをつかむためと、場を和ませるためにおしゃべりするが、このツアーの本当の主役はハワイの自然であり、裏オアフをゆっくり見ていただくためには、必要以上にはしゃべらないようにしている。
それでも、一日ツアーを終えるとすっかり喉が疲れたように感じるので、やっぱり結構しゃべってしまっているのだろう。
さて、サンセットビーチは2フィート程の波があり、サーファーが少し沖に出ていたが、ビーチに人の数は少なかった。
ワイメアでは飛び込み岩が大盛況だった。
ローカルが多いここのビーチは賑やかだった。
ハレイワでのランチタイム。
今日は1組がランチ付き、もう1組は無しだったので、複雑な動きを迅速に執らなければならず、M君にもちょうど良く手順を示す事が出来た。
ドール・プランテーションを出発したのは通常より少し遅れていたが、夏休みに入った学校が多く、フリーウェイの混雑は酷くなかったので、スムーズにワイキキに戻ってこれた。
帰りにガス・ステーションでガソリンを入れた時に、ひらひらとたくさんのレインボーシャワーの花が落ちてきた。

今日はその写真と、イチローの写真をUP。

7月17日
午後からモクレイアに行った。
スカイダイバーのY夫妻がハワイを離れ、米本土をスカイダイビングをしながら回る旅に出るので、引越しの準備をしていて、不要となった物を引き取りに行ったのだ。
ワヒアワからハレイワにかけては少し曇っていたが、モクレイアはとても良い天気で、目の前の海も輝いていた。


ちょうど部屋のオーガナイザーが欲しかったのと、食器なども大量にあったのでたくさん頂いてしまった。
一度家に戻って荷物を部屋に運び、夜は「船場」で行われたY夫妻の送別会に出席した。
ハワイ在住と日本からの、スカイダイビングや飛行機の関係者、ツアー関係者など15名ほどで飲んだ。
あっちゃんとS美ちゃんがいなくなるのは寂しいが、これでハワイのスカイダイビングに日本人インストラクターがいなくなってしまう。
最近は全然ジャンプしていないが、私もスカイダイバーの端くれとして、多くの日本人にハワイの空を体験してもらいたいと思っている。
やはり「日本人インストラクター」を希望される方も多く、これからはお勧めするのも難しくなるかもしれない。
2次会はワイキキのGSスタジオでカラオケ大会となった。
前に私の歌を聞いた事がある人もいたが、初めての人も多く、熱唱して疲れたがとても受けた。
月が少しづつ大きくなっている。
7月18日
今日も外は良いお天気。
Y夫妻から頂いた荷物の整理を黙々と行った。
部屋中に散らばっていた荷物の山は何とか片付いた。
今週末に隣の真宗ミッションで行われる「ボン・ダンス」の準備が始まり、テストのため大きな音で「東京音頭」などが鳴り響いた。
土曜日は大ちゃん夫妻も誘って行ってみたい。
7月19日
カリフォルニアから義理の弟と妹がハワイに遊びにきている。
それぞれガールフレンドと数名の友達を連れていて、賑やかに遊びまわっているらしい。
今晩は彼らのディナーパーティーに呼ばれた。
一回り以上も年下の彼らは、アメリカ人特有のパーティー乗りで、すっかり楽しませてもらった。
私が家に帰る頃、義兄弟達は今晩もワイキキのクラブに出陣していった。
今夜も月が明るい。
7月20日
今日も風が気持ち良い。
裏のセントラル・ユニオン・チャーチのモンキーポッドは花が大分少なくなってきたが、レインボーシャワーはどこも満開に近づいている。
夜、友達の大ちゃんと奥さんのKちゃんが遊びに来た。
先日の日本での話などをしていると、隣の真宗ミッションからボン・ダンスのミュージックが流れてきた。
ちょっと覗きに行ってみようと言うことで、4人で出かけた。
一応入り口で、一般パブリックも参加して良いのか聞いてみたが、ウェルカムと言う事で中に入る。
やぐらの上には太鼓と歌い手がいて、その周りに3重ほどのダンスの列が出来ている。
中には白人やローカル風の人もいるが、95パーセントは日系人。
上手に浴衣を着こなしているおばあさんもいるが、どうも似合わない若い女性もいた。

ちゃんとフードセクションもあって、串焼きの肉や巻き寿司、サイミンなどがあった。
「炭鉱節」や「東京音頭」などのお馴染みの曲もかかっていたが、「ゲートボール音頭」とか、「関東チャチャチャ」なんて聞いたこと無いのも流れていた。
しかしどの曲も皆さんちゃんと踊っていて、中には「ボン・ダンス・クラブ」なんて背中に入ったハッピを着ている集団もいた。
途中の休憩時間には、この真宗ミッションの空手教室のデモンストレーションがあり、これも盛り上がっていた。
一瞬日本の盆踊り会場に来たような錯覚さえ覚えるのだが、日本語は司会の人が「ツギハ、○○オンド デス」とたどたどしく言うのが聞こえるだけで、後は皆英語で話をしている。
フードセクションも皆日系人だったが、ここにはお酒はなく、会場でタバコを吸っている人さえ見なかった。
何だかものすごく健全な感じで、恐らく近所でこの音を聞いている異文化の人たちには、宗教行事として感じられたのではないだろうか。
でも宗教行事にしては陽気すぎるかな?
7月21日
今日は何度かシャワーが降ったが、概ね気持ち良い日だった。
突然思い出したのだが、先日の日本で感じた事をいくつか。
あちこち出掛けたので、あちこちのトイレに入ったのだが、いつのまにかどこに行ってもウォシュレットが普及していて驚いた。
と同時に、いまだに和式が残っていて、これは懐かしさと共に驚いた。
実は忙しい中映画館にも行ったのだが、料金が高いのは相変わらずだった。
椅子は昔より良くなっていた気がしたが、席の間隔はやっぱり狭く、音響やスクリーンの大きさなども、アメリカとは比べ様が無かった。
ちなみに見たのは「スパイダーマン」。
最後に、実は帰りの成田でヘンリー・カポノを見かけた。
日本でコンサートでもあったのかな?と思っていたのだが、我々と同じ飛行機だった。
エコノミーに座っていたので、仕事じゃなかったのかな?
7月22日
マキキにトレッキングに行った。
早朝シャワーが降っていたので、トレイルは少し湿っていて、足元に注意しながらの山歩きだった。
普段の倍ほどの人とすれ違ったが、それでも20人ほど。
湿度が高く、汗をかいたが、風が吹いてくると気持ちが良かった。
最後の下りではトレイルも乾いていて、鳥の声があちこちで聞こえた。
どうやら先日出た「るるぶ・ホノルル02〜03」と言うのに私の所が載ったらしい。
まだ手元に無いのでどのような記事なのかわからないが、この夏は忙しくなりそうだ。
7月23日
実は昨日のトレッキングの帰りに、プナホウ高校の垣根の月下美人がたくさんのつぼみを付けているのを、お客さんと発見していた。
昨晩ふとその事を思い出し、見に出かけた。
家から歩いて10分ほどの、月夜の散歩だった。
今までもタンタラスの丘などで月下美人が咲いているのは見たことがあるが、我々の目の前に広がっていたのはまさに月下美人の乱れ咲きだった。
これはもう見事だった。

勿論写真も撮ったので、先日のボン・ダンスの写真と共にUPします。
さて、今日も朝方シャワーがあったが、お客さんをワイキキに迎えに行く頃にはすっかり上がり、風も気持ちが良かった。
今日はダイアモンドヘッドクラブの常連さんご家族とサークルアイランドツアー。
お漬物を頂いてしまった。(Big Mahalo!)
カピオラニ公園はレインボーシャワー、ホワイトシャワー、ゴールデンシャワーと、色とりどりで美しい。
ダイアモンドヘッドの沖には3フィートから4フィート程の波が上がっていた。
楽しくおしゃべりしながらカラニアナオレ・ハイウェイを走り、定休日で「CLOSE」の看板のかかったハナウマ湾の入り口の前を通って、断崖の道に入る。
水平線にモロカイ島が見える。
サンディービーチも3フィート以上のショアブレイクが音を立てていた。
マカプウ岬を回ると、海からの貿易風が更に気持ち良い。
ベロウズビーチでは、サマースクールの小学生が、「くらげに注意」の看板も気にせず海に入って遊んでいた。
スモウ・コネクションではアンティー・ジェンが手にサポーターを巻いて座っていた。
「大丈夫なの?」と聞くと、ニッコリ笑って「もう大丈夫」と答えた。
しかし、お客さんが買ったTシャツにサインをしてくれる時には、何だかぎこちなかったのだが、「大分動くようになったわ」と言って、健気に見えた。
クアロアパークではミロの花が増えた。
海も素晴らしい色が出てきた。
プナルウ付近での工事は依然続いていたが、今日はそれほど待たされる事は無かった。
サンセットビーチも沖には3フィートほどの波があったが、観光客の海水浴場と言う感じの光景が広がっていた。
ワイメアはやはりローカルが多く、路上パーキングも一杯だった。
飛び込み岩の上は満員だった。
ハレイワ・アリイビーチパークに着くと、スクールバスが何台も止まっていて、小学生がサマースクールでたくさん来ていたが、私がランチを仕込みに行っている間にすっかりいなくなってしまった。
静かな公園に戻った所でランチタイム。
騒いでいるのはマイナバード達だけだった。
色々お話をしていると、お客さんは私の旧友と知り合いだと言う事がわかった。
世間は狭い。
ハレイワでの散策時間中に少し雲が出たが、暑過ぎるより良い。
パイナップル畑に入るとまた晴れてきた。
いつもの写真スポットのパイナップルがすっかり熟れてきて美味しそう。
ドール・プランテーションの裏手の工事は進んでいるようだが、10月に完成予定と言うミニ鉄道は影も形も無い。
帰りはH-1フリーウェイが混んだ。
プナホウでフリーウェイを降りると、ワイキキとは逆のマノア方面に曲がり、プナホウ高校の横を通って、昨晩の月下美人の話をして、しぼんだ花やこれから咲きそうなつぼみを見た。
今晩も凄そうだ。
夜は元気寿司に行った。
郵便局の横の、オリジナルの店は閉まっていて、向かい側の、昔ピエトロだった店の方だけ開いていた。
大きな月が上がっていた。
7月24日
満月が明るかった。
7月25日
天気がとても良い。
7月26日
マキキへのトレッキング。
「るるぶハワイ」では無くて、「るるぶホノルル」と言うオアフ島中心の旅行雑誌が出たばかりで、そちらにマキキのトレイルが紹介されて、問い合わせが多い。
今日は初ハワイの方だったが、とても喜んでいただけた。
家に戻ってシャワーを浴びてから、ダウンタウンの役所に行き、その後シティー・ミルなどを少し覗いた。
今日も風が気持ち良い。
7月27日
先月末にオーダーしていたマヒオレが完成した。
実は私の車に付けていたのはかなり大型のもので、日本の乗用車には大き過ぎる為。少し小さめに頼んでいた。
羽根の色のバリエーションで6種類あるが、皆ふわっとしていて可愛い。
8月上旬を目指したホームページのリニューアル作業を続けているが、ショッピングのセクションが遅れ気味で、ここだけ8月末になりそう。
その前に今年も暑中見舞いメール・カードを作りたい。
今年は「暑中見舞」では無くて、「残暑見舞」になりそうだが、近々写真を撮りにも行きたい。
夜、ハワイカイのBALEに「ハウス・スペシャル・ヌードル」を食べに行った。
カヘカのダイエーのBALEの「BALEヌードル」と、それほど変わらないのに、こちらの方が美味しいと感じてしまった。
デザートにパパイヤ・タピオカを食べた。
7月28日
風が弱くなって蒸し暑い。
ワイオラ・シェイブアイスでモカ・ボウル(With もち)を食べた。
プレーンのカキ氷に、VIVAのコーヒー牛乳をかけただけの単純なものだった。
小豆ボウルの方が美味しい・・・。
帰りにタイムスでホノルル・アドヴァタイザー紙の分厚い日曜版を購入。
部屋が手狭なので引越しをしたいとは思っているが、実際はまだ先になりそう。
2ベッドルームあれば十分なのだが、今後の事を考えてもっと部屋数の多い家に引っ越して、普段使わない部屋を日本からの家族や友人が来た時に使ってもらったり、それこそダイアモンドヘッドクラブのお得意さんに利用していただくと言う手も考えに入れている。
最終的には民宿のおじさんになり、そこのお客さんをツアーにお連れするなんて言う夢も持っている。
7月29日
風はまだ弱く湿度が高い。
今日はダイアモンドヘッドクラブの常連さんとお友達を、ハワイ大学の樹木園トレッキングにお連れした。
日本酒のお土産を頂いてしまった。(Big Mahalo!)
オレンジ色の山百合の花が咲き乱れる入り口を通過して駐車場に車をとめて、レジストレーションを済ませると、早速ワイフアラマの滝を目指して歩き始めた。
ハレコニアやジンジャーの多くの種類を見ることが出来る。
チェニール、アンセリウム、ブロメリアなども自己主張していた。
ジャークフルーツの大きな実が落ちて割れ、鋭い匂いを放っていた。
ここもマキキと同様、マウンテンアップルが実をたくさん付けていた。
マキキでは手の届く範囲にちょうど食べ頃の物が無く、いつも諦めていたが、今日は滝の近くでちょうど良い按配のものを一つ頂く事ができた。
お客さんたちと一口づつ食べてみたが、ちょっと柔らかいリンゴ。
冷やして食べたらもっと美味しいかもしれない。
アイフアラマの滝で写真を撮ったりして少し休憩の後、下りで樹木園の中に入り、ジャングルを見学した。
六角堂でのスナックタイムで、ブルブルが遊びに来た。
サイン帖に記入していただき、グアヴァジュースを飲んでから出発。
リクエストで帰りに「フラ・サプライ・センター」に寄る。
皆さんフラを習っているそうで、お土産などたくさん買われていた。
私は家に戻って少し昼寝をして、夜はワイキキの鍋会に出かけた。
この鍋会は以前WAI WAI HAWAIIと言うハワイ系ウェブサイトの主催で毎週開かれていたものではなく、新たに始まった会である。
スキューバダイビングのインストラクターであるダニヤンと、ワイキキの某デパートの店員のタケシ君が主催で、ハワイ在住の日本人や、観光でハワイに来ている人たちなどを招いて、情報交換や交流をして行こうという物。
私もレギュラーとして参加を要請されたので、時間の許す限りは出席したいが、お客さんなどにも声をかけたい。
毎週月曜日に開きたいと言う事だが、人数が集まらなければキャンセルになる事もある。
今日はスキューバダイブのお客さんなど、子供も含めて10名ほどが集まった。
皆で食べたすき焼きは美味しかった。
7月30日
ホノルルの気温は、日本のように35度なんていう事はまず無いのだが、それでもこのところ毎日31度ほどまで上昇する。
朝晩は23度位まで下がるので少し涼しいが、日中は差すような日差しが照りつける。
貿易風が吹けば、湿度を下げ、熱を奪って行くので、清々しくなるのだが、今日もその風は弱い。
日没直後には一時緩やかな風が窓から入ってきたが、夜になると椰子の木も動きを止めてしまった。
普段はクーラーの必要性すら感じない家の中も、空気がこもってくる。
汗をかかないように、心を落ち着け、徐々に心拍数を下げて、眠ろうとしたその時、ゴキブリを発見した。
久し振りの携帯電話サイズ。
窓には全てスクリーンが入っているが、風通しを少しでも良くする為に、玄関のドアを少し開放していたら、そこから入ってきたらしい。
深夜の格闘が始まったが、決定的なダメージを与える前に逃げられた。
寝苦しい夜だった。
7月31日
今日はサークルアイランド。
お客さんは初ハワイと2度目のお友達同士。
裏オアフはお二人とも初めてだった。
朝から良く晴れ、暑くなりそうな予感がした。
レインボーシャワー、プルメリア、アフリカン・チューリップなどの説明をしながらカラニアナオレ・ハイウェイを進む。
休み明けのハナウマ湾の入り口は少し渋滞していた。
モロカイ島とマウイのハレアカラが水平線に見えた。
サンディービーチには3フィートほどの波が上がっていたが、風は弱かった。
それでもマカプウのルックアウトに立つと、海からの貿易風を感じる事が出来た。
ワイマナロは夏休みに入ってローカルの数が増えた。
ベロウズビーチのパーキングでは、マングースが現れた。
海は吸い込まれるようなエメラルドブルー。
スモウ・コネクションに寄った後、カネオヘをドライブ。
住宅街ではまだ工事をしていた。
雨の多いカハルウでも雲は無く、海も赤土の濁りは少なかった。
クアロア・パークにはツアーのバンやミニバスが多かったが、全て韓国か中国のツアーだった。
ミロの花が盛りである。
いつも説明に使っていたハラの木の実がなくなっていたのだが、どこにも落ちていない。
もっていかれちゃったのかと思ってがっかりしていたら、少し先に散らばっていた。
今後の説明用に、いくつか木の根元に隠した。
プナルウ、ハウウラの海は今日も素晴らしい色だった。
サンセットビーチは観光客で一杯だった。
ノースにはほとんど雲が無く、照りつける太陽で海はきらきらと輝いている。
ワイメアもローカルで賑わっていて、飛び込み岩の上は人がひしめいていた。
一方ほとんど人のいないハレイワ・アリイビーチパークでランチタイム。
時より、遅咲きのモンキーポッドのピンクの花がひらひらとテーブルに落ちてくる。
マイナバードが賑やかに鳴いているのも聞こえる。
ハレイワ・タウンでの散策タイム中、マツモトシェイブアイスのN子さんが自宅のパーキングで車の掃除をしているのが見えたので、しばらく立ち話をしていると、早朝の仕込みの後昼寝をしていたスタンが起きてきたので、久し振りに話をした。
ノースショア・マーケットプレースでお客さんを待っていると、一昨日ハワイ大の樹木園に行ったお客さんとばったり。
名物のシュリンプ・カレーを食べに来たのだそうだ。
ドール・プランテーションではマウイ・ダイバース・ジュエリーのKiyomiさんと立ち話。
今年の夏休みは、日本人観光客の出足が遅く、7月末にもかかわらず暇だと言う事だった。
帰りのフリーウェイは少し渋滞したが、一日中お天気も良く、お客さんにはとても喜んでいただいた。
さて、夜はマッサージ・セラピストのAyumiちゃんが、先日生まれたばかりの赤ちゃんを連れて遊びに来た。
今度会社のホームページで紹介したいので、頼んでいた写真を持ってきてくれた。
Ayumiちゃんが帰った後、今夜も少し蒸し暑く、寝苦しくなりそうだと思った時、昨日のゴキブリを発見した。
殺虫剤と新聞紙の筒で臨戦体制に入り、現場に向かうと、ブンとこちらをめがけて突然飛んできた。
私はさっと身を翻して、一瞬のうちにこのゴキを撃沈。
しかし怖かった・・・。
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