ハワイ日記2002年2月
2月1日
ホノルルは朝から天気が良かった。
朝一番でプラマーが、調子が悪かったトイレの修理に来ると言うので、早起きしてストレッチなどしていると、9時の予定が8時半にはやって来た。
状況を説明すると、「OK」とだけ言って作業に取り掛かり、30分ほどですっかり直ってしまった。
ハワイにやって来ている(らしい)KTの友達のToshiyaさんに連絡を取る為に、ビーチハウスの管理人をやっているアーノルドに電話をしたが、不在で、メッセージを残した。
せっかくだからToshiyaさんがハワイにいる時に、KTと一緒にノースに行って紹介してもらおうと思ったのだ。
KTに連絡すると、とりあえずノースに行ってみようと言う話になった。
私はまだ弁護士との電話とFAXのやり取りが残っていたので、結局家を出たのは2時過ぎだった。
弟分の私がハワイカイのKTをピックアップしてから、ノースを目指す事になった。
KTが好きだと言う、ハナウマ湾を越えてからの眺めやサンディービーチを見ながら東をドライブ。
マカプウでは3〜4フィートほどの波が綺麗に出ていて、ルックアウトで思わず車を停めて二人でビーチをを見下ろした。
その後マカプウ、オロマナを抜けて、H-3フリーウェイで南に出る。
山の近くでは土砂降りにも遭った。
H-1、H-2 を使ってノースが見えてくると、お天気は良かった。
先日はラニアケアにいた大きな撮影隊はハレイワでテントを張っていたが、そのラニアケアを通過しようとした時、道路脇にいたスタン・マツモトが目に入った。
「あっ!スタンだ!」と言う事で車を寄せ、二人で降りていった。
奥さんとお子さん、それにお子さんの友達と一緒に亀を見に来たと言うスタンはKTの登場に驚いて、「後で遊びに来てよ」と言っていたが、我々はこれからサンセットまで行き、どうなるかわからないので簡単に挨拶だけして、先に向かった。
サンセットビーチには手前でも5〜6フィート、一番奥では時より12フィート以上の波が上がっていた。
KTも私もこの大きさではとても入っていく気にはならないが、Toshiyaさんもアーノルドもノースではサンセットが専門なので、きっと中にいるのだろうと言う事で、ビーチに座って波乗りをずっと眺めていた。
ビーチハウスのマスコット、イカイカや、近所の犬達が時々挨拶に来るだけで、平和そのもののサンセットビーチで夕陽を背にして波と戯れるサーファー達を見ていた。
そのうちとうとう陽が落ちて気温も下がってきたのだが、ほとんどのサーファー達は上がってこようとしない。
KTと私も随分粘ったのだが、暗くて上がってきた人たちの顔も見えなくなって、ビーチにいる事は諦めた。
しかし、問題なのはToshiyaさんがどこに泊まっているのかわからないのだ。
オーナーであるビーチハウスは現在他の人が借りていて、ここにはいない。
そして肝心のアーノルドも電話番号はわかるが住所がわからない。
結局もう一度留守番電話にメッセージを残して、とりあえずハレイワのスタンのところに行く事にした。
ハレイワからならサンセットまでも遠くないので、連絡が来たら戻るつもりだった。
マツモト家に行くとN子さんがお金を持って出てきた。
実はお子さん達の為にちょうどピザのデリバリーを頼んだところで、我々を配達と勘違いしたらしい。
我々も一切れずつピザをご馳走になってしまった。
スタンがKTに新しいデザインのTシャツをプレゼントしたいと言って、私も同じのを頂いてしまった。(Big Mahalo!)
スタンに聞いてみると、撮影隊の正体はやはり「Surfer Girl」というハリウッド映画らしい。
結局Toshiyaさんからは連絡が無く、スタンにワヒアワのサイミンの店を教えてもらったので、ノースを後にする事にした。
最初はハレイワでメキシカン・フードでも食べようかと話していたのだが、ピザをご馳走になった後だったので、教えてもらったサイミンの店に行った。
ちょっと通りがかっただけでは絶対にわからないその店は、ローカルでほぼ一杯だった。
奥には軍服のグループもいたが、ワヒアワらしい。
カウンターの上のテレビでは、レインボー・スタジアムから生中継の、UHの野球の試合を流していた。
二人ともワンタン・サイミンのラージを頼んだのだが、出てきた丼の中には日本の3人前くらいの麺がぎっしり入っていた。
大きなワンタンは6個、チャーシュー、鳴門、錦糸玉子にスパムと言ったサイミンの基本アイテムが綺麗に並び、スープも美味しかったが、なにしろ麺の量が凄かった。
さて帰ろうと言った時に初めて、帰りのルートが結構面倒くさい事に気が付いた。
私の車で動いている以上、私がKTを先にハワイカイにドロップしなければならないからだ。
ま、こんな事も珍しいと思って、H-2、H-1、H-3と、行きの逆でKTと夜のドライブをした。
H-3のトンネルを抜けるとカネオヘの基地の灯りが綺麗だった。
ラニカイも夜には夜景が楽しめることを知った。
しかしワイマナロ、マカプウと海は真っ暗で、灯台の灯りとシーライフ・パークのライトだけが浮かんでいた。
KT宅に到着したのは10時を過ぎていたが、お疲れ様と言う事で飲み始め、結局1時くらいまでうだうだしていた。
家に帰ってから今度は一人で飲み始め、イギリスと日本に電話。
長い一日だった。
2月2日
まずまずのお天気だった。
昨日「太郎」が赤土でかなり汚れたので洗車に行った。
タイミング悪く大行列が出来ていて、とても並ぶ気がせず、ガスだけ入れて一度戻ってきてしまった。
帰り道にワイルダーからプナホウへ入ろうとしたときに、プナホウ・カーニバル(学園祭)が見えた。
道理で歩道に人が多い訳だ。
そういえば昔一度夜の部に行った事がある。
アトラクションはともかく、屋台の出店がなかなか美味しかったのを覚えている。
アパートのパーキングで、先に車内の掃除を始めた。
寒くも無く、暑くも無い、さわやかな午後。
外側を洗いにYajimaガス・ステーションに行った。
ここも何台か待っていたが、「中にいるから宜しくね。」と言って、ラウンジでコーヒー飲みながら日本の雑誌を読んだ。
なんだか擬似帰国体験。
2月は予約が大分入ってきた。
2月3日
8番目に住んだのが今いるアパートだ。
ここはマキキでも、フリーウェイより南のローワー地区で、トレードウィンドに乗って騒音や埃も飛んでくる。
私の部屋は9階なのだが、周りのアパートが皆2階建てか3階なので、見通しは良く、いつもラナイがあればなぁと思う。
部屋探しの時、パーキング・スペースがあって、キッチンが広く、バスタブがあるというのが条件だったが、何しろこれまでの引越しで積んで来た経験が物を言い、家賃も大変お得だった。
ここはもうすぐ丸3年になろうとしている。
つまり一番長く住んでいるハワイの部屋になってしまった。
今9階に住んでいるのは韓国人、中国人、デンマーク人、ハワイ・ローカルと、私である。
いつのまにか9階では私が一番古株になっていた。
結婚したら荷物も増えるだろうし、オフィス用にもう一部屋欲しくなるだろう。
今年はハワイで9回目の引越しが出来るだろうか。
風は穏やかで暖かな一日だった。
2月4日
久しぶりのサークルアイランドツアー。
お客さんは神奈川からのご夫婦で、ご主人はハワイ初めて。
昨年のテロ事件で飛行機が飛ばずに延期した旅行だそうだ。
朝はシャワーが降ったが、ワイキキにお迎えに行くと晴れ間も出てきた。
サンディービーチはほとんど波が無く、人の数より「遊泳禁止」の赤い旗の方が多かった。
マカプウ岬を回り込む頃からまた雲が出てきた。
トレードウィンドは強くなかったが、少し肌寒く、ベローズビーチには我々の他に誰もいなかった。
スモウ・コネクションに行くと、今度から日曜日はお休みにするそうだ。
クアロア・パークには、葉を全部落とし、枝の先に真っ赤な「柿の種」のような形の花をびっしりと付けたコーラルツリーが並び、見事だった。
サンセットビーチは6フィートほど、ワイメアは4フィートほどの波が上がっていた。
ハレイワも4フィートほどだったが、形は良かった。
アリイ・ビーチパークで、スカイダイビング・センターで働くケビンに会った。
今日は天気が悪く仕事が休みなので、弟が波乗りしているのを見に来たと言っていた。
ハレイワ・タウンでの解散中、ノースショア・マーケットプレースをぶらぶらすると、ポリネシアン・トレジャーズの隣にあったサーフショップの「ハワイアン・サーフ」がなくなっていた。
よく覗いていたのでちょっとショック。
どこかに移ったのかな?
さて、帰りのフリーウェイでお客さんに質問された。
「KTさんというのはご兄弟ですか?」
最近「ハワイ日記」を読まれたそうで、すっかり勘違いされていたようだ。
何度もシャワーに遭い、ちょっとはっきりしないお天気だったが、すっかりハワイを気に入っていただけたようだ。
愛車「太郎」も赤土ですっかり真っ赤になった。
2月5日
今日は朝から晴れた。
マカプウ・トレッキングとノースショア・ツアーのコンビネーション。
ワイキキからダイアモンドヘッド、サンディービーチまで、南側の海はとても穏やかだった。
クジラ出現への期待が高まる。
トレッキング開始後、最初のコーナーを回るとトレードが気持ちよく吹き付ける。
岩場の休憩ポイントでしばらく海を見つめるが、潮吹きはどこにも無かった。
先に進んで、カイヴィ海峡を正面に見下ろすルックアウトでもクジラらしい動きは見れず、そのまま頂上へ。
展望台にいたローカルたちに聞いても、今日はクジラを見ていないと言う。
どこに行っちゃったのかな?
とりあえずスナックタイムでスパム結び。
今日はいつものカージナルが夫婦で現れ、他にもマイナ・バード、島バトなどがすぐ近くまで寄ってきて、「何かくれ〜!」と鳴いていた。
クジラの潮吹きを見ることが出来たのは、下り道の最後だった。
私としても何とかして見せてあげたいと思っていたのだが、自然の事は自分ではどうにもならない。
半ば諦めかけていた時、モロカイ島の方にいくつか潮吹きが上がった。
日本で泊りがけの登山にも行くというお客さんにとって、マカプウ岬はイージーだったようだ。
年末年始はローカル・ハイカー達で賑わっていたマカプウ岬も、今日は往復で30名ほど。
日本人はゼロ。
下山後、ワイマナロ、カイルアを抜けてH-3、H−1、H−2と、先週何度か通ったコースでノースショアへ。
ハレイワ・アリイビーチに行くと、今日は波が赤かった。
昨晩は随分雨が降ったようだ。
タウンで一時解散して、私はL&Lでテリ・サイミンを食べた。
ビーチにもいたが、ここも日本人サーファーが多かった。
ノースショア・マーケットプレースのいつもの日陰に移動して、読書。
ツアーの仕事は当然休憩や解散する時間があるので、必然的に読書の時間が増える。
我々がドール・プランテーションに着くと同時に大型バスが数台やってきて、日本人の団体が入ってきた。
お客さんが中にいる間、私は外でマウイ・ダイバース・ジュエリーのメラニーと駄弁っていたが、団体さんは10分ほどでさっと引き上げ、急に静かになった。
すると今度は次々と韓国人の団体がやってきた。
ここは時間帯によって客層ががらりと変わり、店の中も雰囲気が違うのだ。
一日中天気は続いた。
2月6日
気持ちよく晴れた。
ホノルル・エアポートに友人を迎えに行った。
いつものレイ・スタンドでプルメリアのレイを買うと、一つおまけをくれた。
到着ロービーに回ると、既に友人が座っていた。
飛行機が早く着いたそうだが、イミグレもカスタムもあっという間に抜けて来たようだ。
日本を出る時には少し風邪気味だったそうだが、ハワイの風を浴びていきなり元気になったらしい。
重たいスーツケースにはお土産がぎっしり入っていた。
昨晩までで一滴のお酒もなくなっていた我が家は、いきなり酒屋のようになった。
実は今回友人に協力してもらって入手したものがあった。
私は高校生の時、バスケットボール部に在籍する傍ら、映画クラブと言うのにも入っていて、8ミリ(ビデオではない)の映画を作っていたのだ。
熱心な顧問の先生のお蔭で、私の第一回監督作品は富士フィルムの8ミリ映画コンテストで「学生奨励賞」を受賞した。
学校の文化祭などでも上映されたのだが、卒業後はすっかり忘れていた。
それを思い出したのは今から7〜8年前で、自分の作った物をもう一度見てみたいと思うようになったのだ。
まず、当時の名簿を探し出して、顧問の先生に手紙を書いた。
しかし、「転居先不明」のスタンプが押されて帰ってきてしまった。
これは直接学校に行って調べた方が良いと思い、前回5年前に日本に帰った時に、母校を訪ねたのだ。
学校の受付で事情を話すと、教頭先生という方が出て来てくれたが、私の事をチラッと見て、「そんなものは私が赴任してきて以来一度も見たことが無い」とあっさり言われてしまった。
私がこの学校にいた頃も、教頭先生は意地悪そうだったのだが、今もその伝統は受け継がれているらしい。
しかし、私も短パンにTシャツでバックパックを背負い、ハワイアン・スタイルで出かけたのがまずかったのかなと思った。
当時の顧問の先生のその後も掴めず、いずれにせよここで糸は切れてしまった。
それから2年ほど過ぎたある時、高校の時の同級生に手紙を書き、何気なくその事を話してみると、何といまだにその先生と毎年年賀状のやり取りだけはしていると言う事がわかった。
そして住所を教えてもらい、先生に手紙を書いたのだが、返事は無かった。
先生はとてもお忙しかった上に、私がハワイにいる為に、返事どころではなかったようだ。
実際先生が当時の8ミリフィルムを保管していたとしても、それをハワイで見るためにはビデオなどにダビングする必要があるし、いろいろ手間がかかる。
しかし、住所と一緒に教えてもらったEメール・アドレスに、後に私がインターネットを始めてメールを送ると、とうとう返事が来た。
すると、学校を移る時に、それまで顧問をしていた分の8ミリフィルムは持ち出して、フィルムが駄目になる前に全てビデオテープにダビングして保管してあると言う事だった。
私の作品の事も覚えていて下さって、視聴に絶えられるレベルで残っているという事を聞き、大感激した。
ただ、それをお借りしてまたダビングさせていただいたりは、次に私が日本に帰る時までは出来ないだろうと思っていたのだが、その話を友人に話すと、「是非見てみたい!」と言う事になった。
そこで先生にまた連絡を取り、原版をお借りして、ビデオテープとDVDにダビングして今回ハワイにもって来てくれたのだ。
夜は「電気ブラン」と言う浅草のリキュールを飲みながら、20年前に私が撮った映画を見た。
大体のストーリーは覚えていたが、とんでもなく幼稚な作品が出てくるのではないかという不安もあった。
実は私自身もエキストラで出演している上、友人もまだ一度も見ていなかったのでかなり恥ずかしかったが、不思議と普通に観賞できた。
この映画、台詞は無く、全編に音楽だけが流れて、カメラ割だけでストーリーを展開させていった。
22年前にこれを作った時の様子が思い出された。
当時ビデオがあれば、ビデオ映画を作っていたと思うのだが、撮影や編集など手法は全く異なり、限られたテクニックと予算の中で作った作品だと思うと感慨深かった。
こう言う道に進んでいたら今頃自分はどうなっていただろう。
高校2年生の自分や友人達を見ながら、今夜は酔った。
2月7日
風は弱く、暖かで過ごしやすい一日だった。
夕方からチルちゃんの家に遊びに行った。
チルが今日は栗ご飯と粕汁を作ってくれた。
栗はダイエーで売っている韓国産、粕はお正月の残りだと言うが、とっても美味しかった。
先に行っているケニーを追いかけて、チルは来週からLAに遊びに行くそうだが、その前に今勉強中の不動産関係の試験があるらしい。
週末は猛勉強するそうだが、今日は猛飲した。
2月8日
ご親族5名様をサークルアイランドツアーにお連れした。
朝から雲が垂れ込め、いつでもシャワーが振り出しそうな天気だった。
ワイキキを出発して、ハナウマ湾を過ぎると降り始めた。
モロカイ島方面は雨で真っ白で、サンディービーチでも車を降りられるような状態ではなかった。
マカプウも今日は例外ではなく、ルックアウトから見下ろすビーチもぼやけていた。
過去のサークルアイランドツアーでも、サンディーとマカプウで車を降りれなかったのは大変珍しい。
遥か東の空には、雲の切れ目から少しだけ青い空が覗いていたが、行く手のカネオヘ方面はシャワーのカーテンに包まれていた。
ワイマナロのベロウズビーチでも外で休憩と言う感じではなく、他に車の無い駐車場でグアヴァジュースだけ飲んでいただいた。
やっと屋根のあるところと言う事で、スモウ・コネクションは他のツアー客も多く賑わっていた。
ヘエイア・ケアの港から先のカハルウは、赤土が流れ込んで海岸線が赤く染まっていた。
普段チャイナマンズ・ハットが見えてくる場所でも、クアロア付近のシャワーのせいで真っ白。
クアロア・パークでも下車する事が出来なかったが、満開を迎えているコーラルツリーは見事だった。
北に進むに連れて雨脚は弱まってきたが、大きな水溜りがあちこちに出来ていて、車が通る度に、大きな水しぶきが上がっていた。
サンセットビーチに到着した時は小雨だったので、全員で車を降りたが、すぐにまた大粒の雨が降ってきて、急いで車に戻った。
風は強くなかったのだが、気温が上がらず涼しいと言うより寒かった。
ランチ付だったが、ハレイワ・アリイビーチパークの木陰は断念して、タウンのL&Lドライブインでプレートランチを食べた。
ここまで、今日は下車見学の時間がほとんど無かったので、雨合羽と傘をお貸しして、ハレイワ散策はゆっくりとしていただいた。
ハレイワにいる間は雨も降ったり止んだりで、皆さんそれぞれにお買い物などを楽しんで頂いたようだ。
ドール・プランテーションではかなり小降りになったが、道路は真っ赤だった。
これだけ雨が多いサークルアイランドツアーと言うのも、ほとんど記憶に無いくらいで、お客さんにはちょっと可哀想な気がした。
他社のガイドさん達に会っても、皆さん「今日はお客さんが可哀想だね」と言っていた。
私は車でクーラーを使わないので、風が無くて湿度の高い晴天日はとても暑い事がある。
しかしここはハワイなので、暑くてもおかしくは無い。
ところが今日のように雨が多くて寒い日には、私の方がなんだか申し訳なくなってしまう。
中には今回が初めてのハワイ旅行と言う方もいらしたので、是非今度は良いお天気の日にまた島を見ていただきたいと思う。
2月9日
午後、ダイアモンドヘッドのルックアウトに行った。
ちょうど一年前の今日、ここから10マイルほど沖でえひめ丸の事故が起きた。
慰霊碑が建てられたカカアコのウォーターフロント・パークでは、1周年のセレモニーが行われているらしい。
風が強くなってきて雲が流れ、晴れ間が広がった一日だったが、気温は上がらず、昼間からTシャツの上にトレーナーを着ていた。
カハラ・モールでジャンバ・ジュースを飲んだらもっと寒くなった。
ハワイカイまでドライブして、BALEでハウス・スペシャル・ヌードルをトゥ・ゴーした。
夜は日本酒「雪の松島」を飲んだ。
2月10日
友人の大ちゃんから電話があり、車をトーイングされたと言う。
自分のアパートのパーキングが工事中で入れなかったので、マネージャーのスペースに停めて置いたら持っていかれたらしい。
オアフ島では車をレッカーされると、大抵2つある会社のうち一つに運ばれる。
一つはカカアコなのだが、もう一つはサンド・アイランドとちょっと遠い。
そのサンド・アイランドに運ばれてしまったので乗せて行って欲しいと頼まれた。
買い物に行くついでに大ちゃんをピックアップして、サンド・アイランドに行った。
彼が無事に自分の車を受け取るのを見届けてから、Kマート、ロングス、タイムスと買い物を済ませ、洗車もして家に戻った。
さて、今日は「プロ・ボウル」と言って、プロ・アメリカン・フットボールのオールスターゲームがアロハ・スタジアムで開かれている。
しかし、オールスター・ゲームでも私はフィラデルフィアで行われているNBAのバスケットボールの方に興味があり、テレビで観戦。
レイカースから出場している、私のアイドルのコービ・ブライアントが活躍してMVPを取った。
晴れたがトレードが強く、肌寒かった。
2月11日
マカプウヘッドへのトレッキングツアー。
風がまた弱くなり、雲が出てきたが、とりあえずすぐに降りそうな気配は無い。
今日は3組6名様のお客さん。
実は皆さん「るるぶ・ハワイ」をご覧になって、最初はマノアの滝トレッキングをご希望だったのだが、雨季で入れない事をご説明して、マカプウをお勧めしたのだ。
ハワイは初めての新婚さんや、十数年以上前に一度いらしただけの方など、皆さんハワイ暦はバラバラだったが、人の少ない、自然を感じられる場所へのトレッキングをお望みだったので、今日はシャワーに遭わず、クジラが出てくれれば良いなぁと思って出発した。
カラニ・ハイウェイ沿いの駐車は少なかったが、トレイル沿いにはシュガーケインをはじめ、多くの野草が今は一年で最も賑やかだ。
夏場にはほとんど草の生えない場所にも、色取り取りの花が咲いている。
最初のコーナーから、今日はモロカイ島とマウイ島が見えた。
岩場の休憩場所では早速クジラの潮吹きが見れた。
しかしこれは長く続かず、次へ移動。
クジラの展望台でも、近くにクジラが作った水しぶきが見えたが、その後は遠くに潮吹きが数回見えただけだった。
この頃からトレードウィンドがかなり強くなってきて、海を見ていると涙目になった。
頂上からの景色は今日もとても素晴らしかった。
スパム結びも好評だったが、風が強くて鳥は寄って来なかった。
今日は皆さんカメラをお持ちになっていたので、海や草花などたくさん撮られていた。
結局30人程の人としかすれ違わなかったが、ゴール直前でパラパラとシャワーが降ってきた。
さっと車に乗り込み、サンディービーチに移動した。
ここでお手洗い休憩とジュース・タイムを取ったが、かなり激しく降り出した。
トレイルにいる時間がずれていたら、かなり濡れただろうなと思うとラッキーだった。
ハワイカイを過ぎるとシャワーはほとんど無くなり、ワイキキでは晴れ間が広がっていた。
自然派のお客さん達には喜んで頂けた様だった。
2月12日
私の友人の紹介で、親子とご同僚をサークルアイランドツアーにお連れした。
とりあえずワイキキのお天気は良かったが、コオラウ山脈には少し厚い雲がかかっていた。
皆さんハワイは初めてということで、早速最初のサンディービーチでたくさん写真を撮られていた。
マカプウでは4フィートほどの波が出ていたが、オンショアのトレードウィンドに崩れて、白くスープになっていた。
カネオヘ方面の空は少し雲があったが、雨が降り出しそうな感じではなかった。
ワイマナロのベロウズビーチには最初誰もいなかったが、晴れ間も広がりローカルが何組かやって来た。
ところでここのピクニックテーブルがいくつか撤去されていた。
コンクリート製のテーブルとベンチがそっくり無くなっているのだが、いくつかある新しい型の物は残っているので、取替えの作業中なのかもしれない。
お客さん達はククイの実やアイアンツリーのマツボックリなどを集めていらした。
曙のお母さんの店を出ると、ぽつぽつとシャワーが降り出した。
次のクアロアまでのドライブ中は降ったり止んだりだったが、クアロア・パークに着くとすっきりと晴れた。
マイナバード、スティルト、カージナルなどが元気に飛び回っていた。
コーラルツリーもまだまだ赤い。
タートルベイを回るとまたシャワーに遭ったが、サンセットビーチに到着した時には上がり、15フィートを超える大波に挑むサーファー達を見ることが出来た。
しかし、ワイメアではまた降ってきて、結局車内から飛び込み岩と沖の波を見ていただいた。
ハレイワ・アリイビーチパークに着いた時には陽が差していたので、お客さんがビーチを見学している間にプレートランチを仕込みにタウンに走る。
ところがL&Lドライブインでオーダーが上がる頃になるとまた降り始めたので、慌ててビーチパークにお客さんを迎えに行き、再びL&Lに引き返して中でランチを取った。
食後の散策の時間にはすっかり雨雲はなくなっていた。
ドール・プランテーションで私のログブックにサインをして頂いている時には、暑い位の陽射しが照り付けていた。
帰りのフリーウェイはかなり渋滞したが、時より大きな虹も見え、お客さん達には満足していただけたようだった。
夜はハワイの大先輩のKENさんを招待して、鍋を囲んだ。
霊的特殊体質のKENさんの驚愕の世界のお話を色々と聞かせていただいた。
2月13日
1月後半は結構暇だったのに、今月はとても忙しい。
今日はツアーは無かったが、銀行に行ったりダウンタウンに行ったりして動き回っていた。
夜は「山源」でえび天丼を食べた。
風も穏やかで過ごしやすい一日だった。
2月14日
久しぶりに抜けるような青空が広がった。
今日はマカプウ岬へのトレッキング。
カラニ・ハイウェイの路肩には多くの車が駐車していて、普段の倍の40人ほどの人とすれ違った。
クジラ出現も大きく期待されたが、こちらの方はちょっと肩透かしを食らった。
上りでは遥か沖合いに少しだけ潮吹きを見ることが出来ただけで、トレードの吹き付ける海を凝視すると皆すっかり涙目になっていた。
頂上展望台にもローカルが多かったが、日本人は一人もいなかった。
海を見下ろしながらスナックタイムのスパム結びを召し上がっていただいたが、今日もカージナルと鳩が物欲しそうな様子で近寄ってきた。
下り道の最後で、一度だけクジラが水しぶきを上げたのだが、全員これをはっきり見ることは出来なかった。
帰りにはサンディービーチで小休憩して、ワイキキに戻った。
今日は私も大分日焼けしたと思う。
家に帰ってシャワーを浴びて、ミーティングの為に再びワイキキに出た。
最高のお天気なので、私の第2オフィスであるカピオラニ公園に移動して、ベンチに座ってグアヴァジュースを飲みながら話をした。
2月15日
今日もとても良いお天気だった。
キンコスやダウンタウンの役所に行く。
お昼は一度家に戻ってさらっと素麺。
午後はノースショアに向かった。
まずはハレイワのマツモト家にお邪魔して、スタンとN子さんといろいろお話をした。
マツモト・シェイブアイスにはテレビ・雑誌などの取材が多いのだが、来週も関西のテレビ局が来るそうだ。
FAXで送られてきた台本にはN子さんが大阪弁でしゃべる台詞が載っているのだが、本人は「こんな言葉一度も使った事が無い」だそうだ・・・。
よく見るとコーディネーターがKENさんだった・・・。
陽も落ちかけてきた頃モクレイアに移動して、今度はY夫妻宅にお邪魔した。
ホームステイ中のスカイダイバーを交えて、デリバリーピザを頼んで酒盛りをした。
あっちゃんは「スカイボール」と言う、スカイダイビング中の遊び道具を作っている。
何度も試行錯誤を重ね、部屋の中にはちょっとした工場も出来上がっている。
空での実験の様子はちゃんとビデオに撮ってあるので見せてもらったが、完成まではもう少し。
「どうなる事やら・・・」とは奥さんのS美ちゃんの談だ。
11時頃モクレイアを出る時には、満天の星空が見えた。
2月16日
今日は少し雲が出てきた。
メールをの返事を書いていたら夕方になった。
明日のツアーに備えて車を洗いに行く。
夜はMD(ミニ・ディスク)の録音作業をした。
ツアー中に使っているハワイアン・ミュージックのカセット・テープが擦り切れて、音が出なくなってきたので、KTファンツアーに倣って普段もMDを使う事にした。
お客さんは毎日聞くものではないので、その都度新鮮かもしれないが、もう3年も同じテープを使っていたので、私は入っている曲にもすっかり飽きていた。
じっくりと選曲をしてとりあえず37曲。
曲間なども考えて、録音作業を進めていった。
早速明日のツアーで使ってみたい。
2月17日
ホノルルは朝から晴れ間が広がった。
彼女の親戚のご家族が九州からハワイにいらしているので、一日ご案内した。
まずはサークルアイランド。
ダイアモンドヘッド沖の波は2フィート程だったが、日曜ということで人出が多かった。
カハラからカラニアナオレ・ハイウェイに入ってすぐの工事も今日はお休み。
ココヘッドを登る坂道ではブーゲンビリアが色鮮やかだった。
サンディビーチは日曜でも朝は誰もいなかった。
後ろのビーチパークでは凧あげの準備をしている人たちがいた。
マカプウに回り込むとルックアウトから早速クジラが見えた。
貿易風は弱く湿度が高かった。
ベロウズビーチではピクニックの準備をしているローカルが数組。
スモウコネクションがお休みなので、ここでゆっくりした。
HPU付近からカネオヘあたりでは雲が多かったが、クワロアパークに着くと再び晴れてきた。
コーラルツリーは既に花がほとんど落ちてしまった木もあるが、花に集まる虫を捕らえるために鳥達も多かった。
プナルウ、ハウウラの海はエメラルドブルーに輝いていた。
ライエ、カフクではまた雲りがちになったが、ノースショアに出ると晴れ間が広がっていた。
サンセットビーチでは沖に3〜4フィートの波が上がっていたが、ショアブレイクは無く、沖で遊んでいる子供達がいた。
そろそろ波のシーズンも終わりかもしれない。
ワイメアも海は穏やかで、今年初めて飛び込み岩に人が並んでいた。
ここでもクジラの潮吹きが見れた。
ハレイワ・アリイビーチパークは週末にもかかわらず人は少なかった。
我々はモンキーポットツリーの下でプレートランチを食べたが、葉の少ない木だったので陽射しが暑かった。
ワードセンターで本を買いたいというご希望が出たので、帰りはここで一度解散して夜再びワイキキにお迎えに上がった。
今度はナイトドライブ。
皆さんタンタラスもご覧になった事が無いと言うことで最初にお連れした。
ここも風は穏やかで暖かかった。
写真屋さんは暇だと言っていたが、リムジンやバン、ミニバスなども上がってきていて賑やかだった。
そしてH1フリーウェイにのりパールハーバーへ。
パールシティの公園の駐車場は車で一杯だった。
公民館では何かミーティングがあったようだ。
公園の芝生はいつものように貸切でグアヴァジュースを飲みながら寛いでいただいた。
やがて車も次々といなくなり、最後は駐車場も貸切だったが、雲は多く星や月も僅かにに見えただけだった。
おみやげに熊本の新米をたくさんいただいてしまった。
2月18日
今日も抜けるような青空が広がった。
ダウンタウンに仕事の用事で行くが、すぐに終わってしまったのでアラモアナパークに寄る。
天気も良いし、一泳ぎするか、せめて芝生の上で転がりたかった。
しかし今日はプレジデンツ・デーの休日なので凄い人出だった。
パーキングを見つけようとしている車で既に渋滞気味だったので、ここはすぐに諦めPLAN−Bへ。
ワイキキを抜けカイマナビーチ方面へ向かうが、カピオラニ公園の周辺は観光客とローカルで溢れていた。
カラカウア通り沿いのメーター・パーキングも一杯。
PLAN−Cはそのままダイアモンドヘッド・ロードに入り、ダイアモンドヘッド・ビーチ。
しかしここも車が多い。
見下ろすと3〜4フィートの波が上がっている。
まるで夏のような海だったが、ローカル・サーファー達でごった返していた。
ここも諦めカハラ・アヴェニューに入り、結局ワイアラエ・ビーチパークで駐車スペースを見つけた。
ビーチは子供が多くて騒がしかったので、公園のパームツリーの木の下で芝生にラグを引いて転がった。
上を見上げると、マイナバードが椰子の葉の上で鳴いている。
ココ椰子の花が時よりひらひらと落ちてくる。
貿易風が肌の上を転がるように走り抜ける。
のどかな午後だった。
夜はカパフルの元気寿司に行った。
2月19日
埼玉のご家族と東京のご夫婦をサークルアイランドツアーにお連れした。
先週の天気予報では今日から3日ほど雨が降ると言っていたが、青空が広がった。
やはりハワイの天気予報は当てにならない。
風は弱く、南側の海は穏やかだった。
ココヘッドを超えてハナウマ湾の入り口を過ぎると、目の前に開けた海に、いきなりクジラの潮吹きが見えた。
サンディービーチから見えるハロナのブローホールでも、大きな潮吹きが見れた。
マカプウ岬の手前の、カイヴィの工事はこの所誰もいない。
道路はガタガタのままだし、どうなっているのだろう?
マカプウのルックアウトから見下ろすビーチは今日も透き通っていた。
ワイマナロもエメラルド・グリーンに輝いていた。
ベロウズビーチでは海に足をつけたり、ククイの実を拾ったり、皆さん思い思いに過ごされていた。
スモウ・コネクションでは曙の弟が愛嬌を振りまいていた。
クアロアパークには韓国のツアー客がたくさんいたが、日本人は我々だけ。
コーラルツリーの落ちた花びらを集めたり、写真を撮ったり、皆さんとても楽しそうだった。
海の色も綺麗で、ウィンドワードのドライブは私も楽しかった。
ノースショアに回ると、サンセットビーチの波はかなり小さく、アメリカ人観光客が波打ち際で遊んでいた。
ワイメアでビーチを見下ろしていると、カメハメハ・ハイウェイを通り過ぎる車から「JUN−SAN!」と大声をかけられた。
モクレイアで働くスカイダイバー達が手を振っていた。
ハレイワでのランチはアリイビーチパーク。
ちょうど芝刈りをした後で、緑の匂いが漂っていた。
ドール・プランテーションでは皆さんパイナップル・アイスクリームのドール・ウィップを召し上がっていた。
ワイキキに着くまで一日中晴天が続き、シャワーにも全く遭わなかった。
お客さん達にも喜んでいただけたようだった。
帰りにマキキのドンズでガソリンを入れて洗車。
洗車のコーナーの連中とはほとんど顔馴染なのだが、最近ではメンバーズ・カードのスタンプを一度に3つもくれる。
10個貯めると次が無料になるというディールだが、大抵は5〜6回行くとカードが一杯になっている。
領収書がもらえないのでチップを渡した事も無いし、特に連中とおしゃべりした訳ではないのだが、私にはいつも愛想がよい。
気持ち良く家に帰った。
月が明るくなってきた。
2月20日
今日も雨の予報を裏切って晴れ間が広がった。
久しぶりのKTファンツアー。
大分からのお客さんは新婚さんで、ご主人の方が古くからのファンだそうだ。
ハワイは初めてと言う事だが、日本でもやっているそうで、ワイキキのウォールでブギーボードを楽しまれたらしい。
カイマナ、サンスーシーをご案内してダイアモンドヘッド・ロードへ。
灯台の先から崖下のサーフポイントを見下ろすと、昨日に比べて波はまた小さくなっていた。
サンディービーチには少し波が立っていたが、マカプウは静かで、一日でがらりと変わってしまっている。
ベロウズビーチに入っていくと、パーキングは半分ほどが埋まっていて驚いた。
よく見るとスクールバスも一台止まっていて、何かのイベントらしい。
荷物を下ろしてビーチに向かうと、小学生と大人たちが2〜3人一組で一緒に黒い大きなプラスチック・バッグを持ってごみ拾いをしている。
ボランティア活動だったのだ。
ハワイの海や町が綺麗なのは、こう言ったボランティアの人たちの力も大きい。
小学生の頃からこう言ったボランティアに参加していれば、大人になって、町を汚さないと言うモラルをちゃんと身に付ける事が出来るはずだ。
お客さん達は別の日に島の東だけを回り、パリ・ハイウェイでホノルルに戻ったそうで、カネオヘから先は初めてだった。
普段のKTファンツアーではハワイのドライブとKTミュージックという事に重点を置き、あまり細かな観光解説はしないが、初めてのハワイで初めてのコースなので、目に付くものは随時解説していった。
今日もウィンドワードの海は吸い込まれるような青さだった。
フキラウビーチはローカルが3人ほどいただけ。
キャンプのテントが2つあった。
タートルベイ・リゾートに入っていくとノースの荒れた海が見えた。
どうやらノースショアも昨日とは様子が違うらしい。
サンセットビーチではビーチをしばらく歩きながら波を見る。
沖には10フィート以上のセットが入ってきていたが、ショアブレイクは小さく、泳いでいる人もいた。
ワイメアの沖にも6フィートほど上がり、ショアブレイクも音を立てていたが、飛び込み岩に二人上がっている人がいた。
残念ながら今日はクジラは出てこなかった。
ランチの仕込をしてアリイビーチパークに戻るとさっとシャワーが横切ったが、遠くの雲から流れて来ただけの様だったので、ピクニックテーブルに準備を始めると、お客さんが犬を一匹従えて戻ってきた。
食べ物を欲しがるという風ではなかったが、我々の近くに座って寛いでいた。
ハレイワ・タウンでの解散時、KTファンの聖地『マツモト・シェイブアイス』ではちょうどスタンがいたので声をかけると、「今日はアオイちゃんがいるよ!」と。
集合時間にお客さんに聞くと、あの後アオイちゃんにサインをもらったそうだ。
コーヒー・ギャラリーでコナ・コーヒーを買われたそうで、帰りの太郎の車内はお客さんのコーヒーの匂いで香っていた。
H−1フリーウェイ沿いでも、多くのマンゴーの木が今、小さな実をたくさんぶら下げているのが見える。
夜、上弦の月が美しかった。
2月21日
少し雲はあったが、まずまずのお天気。
銀行や郵便局など走り回る。
夜はスープを作った。
「雷波少年」のビデオを見る。
ママチャリで日本を縦断した椿鮒子は最高!
あのバイタリティには同い年として脱帽。
2月22日
マカプウ岬へのトレッキングツアー。
少し雲があるが、トレッキングにはちょうどいい感じ。
登り始めるとカイヴィには黄色いタンポポの仲間が真っ盛りだった。
最初の休憩場所ではクジラらしきものが見えたが、はっきりせず、次へ進む。
クジラの展望台ではヨーロッパ人らしいカップルが沖を眺めていたが、彼らもまだクジラを見ていないという。
頂上付近ではタンポポが既に綿をつけて白くなっていた。
今日は高校生くらいのグループとすれ違ったが、それでも全部で20名ほどしかいなかった。
海を見下ろしながらスパム結びを食べていると、何度かクジラの潮吹きが見えた。
いつものカージナルや鳩は、姿を見せるものの近寄っては来なかった。
下りでは子クジラのジャンプを数回見ることが出来た。
小さな尻尾が見えてかわいかった。
さて、夜はワード・ビクトリアセンターに出来たデーブ&バスターズ(D&B)に行った。
金曜日という事もあり、駐車スペースを見つけるだけでも手間取ったが、結局オフィス・デポの裏に停めたので店の中を覗いた。
オフィスの椅子を新しくしたいと思っているので、いくつか見たのだが、ここは逆に凄く空いていて、すっかり遊んでしまった。
その後ようやくD&Bに行く。
ここはいわゆるゲームセンターなのだが、大人向けの場所で、子供は10時までで大人の同伴がないと入れない。
中ではお酒も売っていて、ゲームをしているとカクテル・ウェイトレスがやって来る。
私は久しぶりに大勢の人のいる所に行った。
2時間ほど遊んで、ゲームで勝つともらえるクーポンを帽子などの景品に替えてもらって帰ってきた。
近所のピンクテコマが咲いていた。
2月23日
今日もなかなか良いお天気。
ダウン・トゥー・アースとダイエーに行った。
夜は近所の焼肉「ソウル」に歩いていった。
月が明るい。
2月24日
朝、友人をホノルル・エアポートに送っていく。
今日も抜けるような青空だった。
空港内にはオーキッドがたくさん咲いていた。
パーキングには季節はずれのモンキーポッドの花もいくつか見かけた。
1月に比べてチェックインの列は少し短かいだけで、また長い時間ならば無くてはならないのかと思っていたが、今日はスムーズに進み、セキュリティー・ゲートにはほとんど列は無かった。
午後からは貿易風が強くなり、気温が下がって寒かった。
2月25日
風は少し収まったが、雲が出てきてシャワーも何度か降った。
先日の「雷波少年」のビデオの中で、ウクレレ弾きの芸人が妻と旅をしながら、期間内に合計一万人の観客を集めないと、離婚させられるという企画をやっていた。
簡単に結婚し、簡単に離婚する人が多い世の中で、彼らに是非夫婦でいて欲しいと思った人の気持ちが集まり、最後に一万人に達成した。
夫婦でいること。
生活の中では色々分担する事もあるが、気持ちが一つの方向を常に向いている事が、二人の力を2倍にも3倍にもするのだと思う。
夕焼けが綺麗だった。
2月26日
2組6名様をマカプウ岬のトレッキングツアーにお連れした。
朝のワイキキには少し雲が残ったが、カラニアナオレ・ハイウェイを東へ進むにつれ明るくなってきた。
岬の横では今日は路肩の工事をしていた。
先週は咲いていたタンポポの花はもう無く、60〜70センチに伸びた雑草のシュガーケインが、風に揺られて波を作っていた。
朝顔のような白や紫色の花を付ける野草は、キアヴェの幹に絡み付いている。
天気はすっかり良くなったが、貿易風が強く、海には白波が立っている。
目を凝らして必死にクジラを探すが、なかなか見つからない。
それでも私は何度か潮吹きやジャンプを見つけたが、お客さん全員が気付いてくれたかどうかは定かでなかった。
頂上展望台からのワイマナロの海は素晴らしいグラデェイションで、ここに登った人だけが見れる光景に皆さん喜ばれていた。
スナックタイムは和気あいあいとして、スパム結びも好評だった。
下りでもクジラ探しは続いたが、見つけた場所を指差しても、クジラ達は潜ってしまった後ですぐには水面に出てこない。
自然が相手なのだから仕方ないが、我々以外のトレッカーもクジラを探している様だった。
帰りに休憩のためにサンディービーチに寄ると、スクールバスが止まっていて、中学生くらいの若者がたくさんいた。
皆アジア系だったが、よく見ると日本人のファッションだ。
高校生なのかもしれないが、日本人の団体に合うのは久しぶり。
確かに修学旅行がいてもおかしくないシーズンなのだが、昨秋以来団体旅行はほとんどキャンセルされていたので、ハワイは安全というキャンペーンの効果なのかもしれない。
夜はまた雲が出た。
2月27日
昨晩はそれほど飲んだつもりは無かったのだが、二日酔い。
天気はまあまあ。
斜め隣のアパートで屋根の補修工事が始まった。
タールを敷く作業で、辺り一体は凄い臭いが立ちこめている。
古そうな建物なので雨漏りでもしたのだろう。
しかし二日酔いにはきつい臭いだった。
雲に隠れて満月は見えなかった。
2月28日
晴れたり曇ったり。
出掛けたついでにアラモアナ・パークに寄って散歩した。
一番干潮の時間だったので、サンゴ礁がかなり水面に上がっていた。
ビーチの人の数は多くなかったが、マジック・アイランドでは高校生がいくつものグループに分かれて散らばって、それぞれ話し込んでいたり、組体操の練習をしていたり、課外授業のようだった。
明日のツアーに備えてタイムスで買い物。
夜は久しぶりに手料理。
前に料理を作った時は、一体何を作ったのかという質問がいくつか来たのだが、その時は鶏肉と野菜の炒め物。
にんにく醤油で漬けた鶏肉に片栗粉を付けてさっと揚げ、野菜(ピーマン、にんじん、もやしなど)を炒めたものと合わせる。
オイスターソースとブラック・ビーンソースで味を付けた。
今日はえびと野菜。
やはりにんにく醤油、酒などで漬けたえびを、野菜(キャベツ、ピーマン、にんじん)と一緒に炒める。
味付けはオイスターソースとごま油。
今日も美味しく出来ました。
前のページに戻る
ご感想などございましたら、社長の個人ホームページ「じゅにーK's Website」掲示板までどうぞ。
「じゅにーK's Website」
ホームに戻る