ハワイ日記2001年12月
12月1日
貿易風が上がってきた。
北の空に押し出されていた雲が戻ってきて、少しどんよりした天気だった。
日本のロイヤル・ベビー誕生のニュースは、ハワイのローカルニュースは勿論、CNNでも取り上げられて、暗いニュースの多かった今年の明るい話題として報じられていた。
今日、ハワイに来ている日本人旅行者から問い合わせの電話があり、「『るるぶ』を見た」と言う事だった。
早くも効果が出ていると喜んだのだが、今の時期はマノアの奥に入っていくことは難しく、他のトレッキングルートをお勧めしたが、結局仕事には結びつかなかった。
しかし、いずれにせよこれは良い兆候で、戦争が一段落して日本人が戻ってくれば、『るるぶ』効果ははっきりと表れそうだ。
12月に入り、大量のクリスマス・セールのチラシがミッド・ウィーク(無料の週刊新聞)に混ざって来た。
夕焼けが綺麗だった。
12月2日
今日は貿易風が更に上がってガスティーだった。
夜は月が綺麗だった。
12月3日
朝からマキキの郵便局は混雑していた。
クリスマス前になると毎年どこの郵便局も混み合う。
クリスマスギフトを送るのは家族や友達だけではなく、お世話になった方々にもお歳暮の様に贈る人が多い。
私はその後アラモアナ・ショッピングセンターに行き、シアーズと白木屋、そしてダイエーにも行って買い物を済ませて一度家に戻ると、外で大きな音がした。
羽根窓の隙間から外を覗くと、またも交通事故。
家の前の通りは大きくは無いのだが、ベレタニアやキング・ストリートの抜け道として使う車が多く、更に小さな道路がいくつも出ているので、出会い頭での事故が2ヶ月に一度くらいは起きている。
ぶつけた方の車は前が大破して、ラジエターから水が漏れている。
運転していた男性が降りてきて、相手の車へ駆け寄る。
ぶつけられた方は横が凹んでいるらしいが、私の角度からは見えない。
しかし中から出てきた運転者は首や胸を押さえていて痛そう。
音に気づいて近所から野次馬がぞろぞろ出てきている。
間もなくパトカーと救急車、消防車も来て、辺りは一時騒然としたが、警察官が道路整理を始め、怪我人は運ばれ、消防隊員が事故車の破片などを片付け、レッカー車も来て30分もしないうちにすべて終わってしまった。
のんびりしているハワイでも、こう言う時の対応は素早い。
風は落ち着き、薄曇りだった。
12月4日
ワイマナロへのビーチピクニック。
朝は風もそれほど強くなく、雲は残るが晴れに向かっていると言う状態だった。
今日はバーベキューランチ付きなので、ヒバチ(グリルの事:ハワイ弁で「Hibachi」と言う)や食材、道具一揃えを愛車「太郎」に積み込む。
家を出てカハラ (今日のお客さんのホテルがカハラ) に行く前に銀行に行ったり、郵便を出したりしたが、ホテルの手前で、カハラ・アヴェニューがカパカヒ川を渡ってすぐのワイアラエ・ビーチパークに着いたのは15分も早かった。
朝、人の少ない公園には多くの鳥が集まり、島鳩、マイナバード、ブルブル、カージナルなどが飛び回っていた。
椰子の木も揺れていた。
ピックアップ後、お客さんと色々お話をしながらカラニアナオレ・ハイウェイをドライブ。
火曜日なのでハナウマ湾に「CLOSE」の看板が立っているのを過ぎると、東側の海は荒れていた。
サンディービーチでは遊泳禁止の赤い旗が並んでいるすぐ手前の砂までが、波にエグリ取られていた。
マカプウ岬を回るとウィンドワードの海はエメラルドグリーンだった。
やはりうねりがあり、波に砂が多く混ざっていてミルキー。
ベロウズビーチに到着すると、ピクニックテーブルはすべてオープンだった。
しかし先週のガスティー・ウィンドで、折れたアイアンツリーの枝があちこちに散乱していた。
久しぶりに行ったのに、ちゃぁんといつものマイ・ストーンがあったので嬉しかった。
荷物を車から下ろすと、木の実拾い。
大きな椰子の実がいくつもビーチに流れ着いていて、すべての中にジュースが入っていた。
決して飲んだ訳ではないが、振ってみるとすぐわかる。
ハワイに来て2年目くらいの時に、隣に住んでた人に飲ませてもらった事があったが、なんとも青臭い水で、よっぽどの事で無ければ飲みたいとは思わなかった。
今日はククイ、マカダミアナッツ、マングローブの実などが見つかった。
お客さんは泳ぐのは目的ではなかったのだが、私もちょっと風が強くて泳ぎたいとは思わなかった。
いつものアメリカ人ツアーがやってきた。
アメリカ大陸の真中で、海を見た事が無かったと言うような観光客をまとめて連れて来て、ブギボーをやるツアーだ。
真っ白な白人ばかりの観光客は、風にも動じず水着でインストラクターの説明を聞いている。
一方ローカルのインストラクターは、長袖のラッシュガードを着て、寒そうに水に入っていた。
実は今日のヒバチ、昨日アラモアナのシアーズで買ったばかりの物。
長年使っていた前のヒバチは、前回のバーベキューの後、足が外れて、サビが酷くなり、とうとうリタイアした。
ちなみにこの新しいヒバチの商品名が「Smokey Joe」。
私も「ジョー」と呼ぶ事にした。

お昼になったので支度を始める。
ハワイに来てからバーベキューは数え切れないくらいしたが、チャーコール(炭)を使う時はいつも緊張する。
私がいつも使っているのは「Match Light」と言う製品で、点火剤が入っているので、火をつければ勝手に燃えてくれる。
普通の炭で風のある場所で火を起こすには何度もオイルをかけないと回らないので、臭くなる。
ところが風が段々と強くなり、「Match Light」でも、火をつけるのに苦労した。
しかし問題は焼き加減。
特に今日は新しいヒバチなので心配だった。
ステーキ用の肉に、ハワイのジューシーなピーマン、マウイオニオンとマッシュルームが今日のメニュー。
お客さんには、風で飛ばされないようにお皿をしっかりと持っていて頂き、時間を見計らって焼き上げた。
結果は大成功。
ロールパンも持っていったので、これもカリッと焼いて、食べて頂いた。
我ながら、「BBQマスター」の称号に(?)ふさわしい素晴らしい仕事だった。
勿論お客さんからも大好評だった。
食後はジョーを掃除して読書。
お客さんは習っていると言うハワイアンキルトをしたり、のんびりしていた。
ビーチパークにはローカルがちらほらといたが、風は弱まりそうな気配が無く、寒くなってきたので少し早めに切り上げて帰路に着いた。
お客さんをドロップしてまたも郵便局に行った。
日本で印刷したクリスマスカードがそろそろ届く頃だったからだ。
やはり長い列が出来ていてしばらく並んだが、待望の小包が届いていて家に持ち帰る。
素晴らしい出来に感激したが、私が実際にカードに一言書き加える作業を行うのは週末からになりそうだ。
先月もツアーが無かっただけで実際それほど暇ではなかったのだが、今週はツアーが出来て嬉しい。
12月5日
今日はまず久しぶりのノースショアツアー。
風も収まり清々しい日和だった。
H−1フリーウェイ沿いにはアフリカン・チューリップが目立っていた。
ハレイワに到着すると、アリイ・ビーチに行って波乗り見物。
サンセットビーチではサーフィンのトリプル・クラウンの大会の一つが行われているはずだが、ここの波は4フィートほどで小さく、サーファーもほんの10人位しかいなかった。
動物好きのお客さんたちは、以前私が日記に書いた、ハレイワ・ボートハーバーの野良猫を視察してみたいという事で移動。
前に来た時はちょうど誰かが餌を持ってきたところだったので、猫たちは一箇所に固まっていたが、今日はあちこちに分散して、停めてある自動車の下などにいた。
やはり元飼い猫だったと思われる数匹が我々に近寄ってきて甘えていた。
その後はハレイワ・タウンで一時解散。
私はノースショア・マーケットプレースに移動して、ゆっくり読書。
途中L&Lドライブインに行ってシュリンプカレーを食べた。
集合時間の少し前にお客さんが戻ってきて、最後にマツモト・シェイブアイスに行きたいと言うので、一緒に車で移動。
お客さんが店の中に入っていくと、
「JUNちゃん!」と後ろからスタンに声をかけられた。
そしてスタンと一緒にいた日本人を紹介された。
KTのファンだそうで、スタンは「KTツアーのJUNちゃんだよ」と言っていたが、どうもピンと来ないらしい。
インターネットを使っていないようで、私の事は全く知らなかった。
そこで少し宣伝をした。
こういう方もたくさんいるんだろうなぁ。
その後、スタンに店の中に連れて行かれ、店の手伝いをしていた日本人プロ・ブギーボーダーの通称アオイちゃんを紹介された。
真っ黒に焼けた彼女は一見普通のローカルのようだが、実はとても有名人なブギボーのチャンプなのである。
さてハレイワを出てドールに向かう頃からシャワーが振り出した。
パイナップル畑には綺麗な虹がかかっていた。

ドール・プランテーションでは、雨の中、ピラニア君たちにエサを上げた。
H−2フリーウェイからパールハーバーが見下ろせる頃になると、雨も上がり道路は乾いていたが、渋滞の始まったH−1ではまた何度かシャワーに遭った。
お客さんをホテルにドロップして一度帰宅。
タイムスのうなぎ弁当を食べて、再び同じお客さんを今度はナイトドライブツアーにお連れした。
ホノルルの夜景について説明をするが、街中にも既にクリスマス用のイルミネーションがあちこちで見られた。
レッドヒルからパールハーバーの夜景を見下ろして、パールシティの住宅地に入っていく。
昨年は派手に飾っていた住宅地がどうなっているか、今年はまだ確認していなかったが、お客さんも思わず驚くほどのイルミネーションの競演は今年も健在だった。
車を停めて写真を撮っていると小雨が来たので、一度住宅地の上まで登ってから、いつもの公園に移動した。
公民館では少年空手教室がちょうど終わったところで、子供達が出てきた。
芝生側は今日も貸切だった。
さて12月のナイトドライブはこの後ダウンタウンに移動する。
パンチボウル・ストリートでフリーウェイを降り、サウス・ベレタニア・ストリートからビショップ・ストリートに入ると大きな木が電飾で飾られている。
キング・ストリートを折れてイオラに宮殿の向かい側に駐車して、お客さんにはホノルル・ハレで行われている、クリスマスツリーのコンテストを見学していただいた。
表には巨大なサンタクロースとサンタ夫人が座っている。
やはり巨大なクリスマスツリーの横には、大きな星条旗の電飾があった。
お客さんにはすっかり喜んでいただいて、ホテルに向かい、ドロップした。
さらにその後、私はワイキキで友人をピックアップ。
昨年のこの時期にホノルル・マラソンの仕事で知り合った日本人だが、今年に入ってから彼女を連れてハワイに遊びにきたり、メールなどで交流していた。
彼は今年もマラソンの仕事で来ているが、マラソンを前にして明日には帰国してしまうと言うので、深夜の再会となった。
既にどこも店は開いていないので、ダイエーで買い物をして私の家に呼んだ。
広告関係の仕事をしていて、今度地元で店を開くと言う彼は、ダイアモンドヘッドクラブとのビジネスにも興味があり、私が企画しているオンライン・ショップの話をすると、商品のアイデアなどをいろいろ出してくれた。
The Cabを呼んで、彼がワイキキに帰ったのは3時近かった。
来年もまた面白くなりそうだ。
12月6日
マイクロソフトのオフィス2000を手に入れた。
もちろん日本語版。
日本語IMEも新しくなったし、パワーポイントも入れた。
最近は時々友人からのメールにパワーポイントのファイルが添付されていることがあったのだが、これで見る事が出来る。
使い方を覚えればずいぶん役に立ちそうなので、時間が出来たら遊んでみたい。
今日はまた一人友人が日本からやってきた。
ホノルルマラソンに参加する為なのだが、マラソンと言えば、既にゴールのカピオラニ公園には大きなテントがいくつも張られていた。
カパフルのマラソングッズ専門店「ランニング・ルーム」では日本のシューズ・メーカー「MIZUNO」が臨時店舗を出していた。
街を走る人の数も増えた。
12月7日
60周年を迎えたパールハーバー・デイ。
日米の関係者と生存者たちが一同に会すコンベンションが開かれるそうだが、テレビではこれについて後日放送されると言う事だが、ラジオなどではほとんど話題にはなっていなかった。
今は真珠湾攻撃を知らない世代ばかりになった事もあるし、別の戦争で忙しい。
また、ハワイの経済を支えてきた日本からの観光客の激減で困っている時に、いまさら日本に恨み節をぶつけたところで仕方ないと言うのもあるのかもしれない。
さて、今日は「ハワイの歩き方・掲示板」でDHCを知ったと言う新婚さんを連れてノースショアツアーに行った。
ワイキキを出るときは15マイルほどの貿易風だったが、さらに上がっていきそうな気配があった。
H-2フリーウェイのミリラニ辺りからシャワーが振り出したが、パイナップル畑を過ぎる頃にはあがり、虹が見下ろせた。
最初にハレイワ・アリイビーチに行くと、6フィート以上の波があって、沖のほうでは10フィート近くまで上がっている様だったが、サーファーはそれほど多くはなかった。
今日までサンセットビーチで大会が開かれているので、波乗り好きはそちらに集まっているのかもしれない。
グアヴァ・ジュースで休憩した後、ハレイワのタウンに移動して自由時間。
私はノースショア・マーケットプレースに行って、いつもの木陰に車をとめて読書タイム。
マラソン関係か、今日は少し日本人観光客の姿が目立った。
ランチはL&Lでチキン・バーベキュー。
ドール・プランテーションでは、最近誕生日を迎えた友達の為にTシャツを購入した。
金曜と言うことで帰りのフリーウェイは渋滞したが、お客さんと楽しく会話をしながらワイキキに戻った。
夜は日本からマラソンの為に来ている友人と夕食を取ることになっていたが、地元の知り合いなどにも声をかけて、8人ほどですき焼き・パーティーをした。
同じハワイに住んでいながら久しぶりに会ったメンバーもいて、楽しい時間を過ごせた。
強くなった貿易風は収まらない。
12月8日
朝からようやくクリスマスカードの作成の最終段階に入った。
今年のカードは既製品ではなく、かっこいいのが出来たのだが、やはり例年通りに一言だけは手書きの文字を添えたいと思って、400枚のカードに取り組み始めた。
しかしメールの返事や電話の応対など、思うように捗らなかった。
夕方からは、先日無くなったハワイ系ウェブサイト「WAI WAI HAWAII」の元ウェブマスターHASEさんと、今でも私の管理しているメーリングリストでスタッフを務めるminaさんとでワイキキで食事をした。
ワイキキのレストランに行くなんてとても久しぶりで、何しろまずパーキングの事で頭が痛かったが、路上のメーターパーキングがすべて一杯だったのを見て、レストランのすぐ横のパブリック・パーキングに入ってみる。
土曜日の夕方なんて既に満車だろうと思ってアテンダントに聞くと、最初はそっけなく「一杯だよ」と言われた。
しかし昨日シャワーの中のノースを走って、赤土まみれの「太郎」を見ると、「そこのリザーブの場所に停めてもイイよ」と言ってくれた。
こんなときは勿論ハワイ弁でしゃべって、チップを弾む。
久しぶりに会ったHASEさんはとても元気そうだった。
WAI WAI HAWAIIも近く別の形で再開するそうだ。
実際はじめてお会いしたminaさんは日本に住んでいるのだが、とにかくハワイの事に詳しく、その知識量には驚かされた。
お土産で車につけるお正月飾りをいただいてしまった。(Big Mahalo!)
食事をしたのはワイキキ郵便局の向かいで、「Cafe Latte」と言うイタリアン。
ここのシステムは、お一人様$35のセットで、アパタイザーorサラダ、スープ、メインがついてくる。
イタリアの田舎料理という事だったが、味はまあまあ。
結局飲み物や食後のコーヒーなどは別料金で、イタリア式にチップは不要とあったが、値段は決して安くなかった。
トレード・ウィンドは相変わらず強く、これがマラソンのランナーたちにはどのように影響するのだろう?
12月9日
ハワイのケーブルテレビのローカルチャンネルに「OC16」と言うのがある。
波乗りの番組をやったり、フィッシング、ハイスクール・フットボール、ハワイアン・ミュージックなど地元密着型のチャンネルなのだが、一昨年から始まった「ローカル・カイン・グラインズ」と言う番組が100回目を迎えた。
ちなみに「グラインズ」とはハワイ弁で食事や食べ物を指す。
この番組、ミュージッシャンの”ブラザー・サム”と、ラジオDJの”リナ・ガール”がパーソナリティのグルメ番組である。
二人ともハワイアン級の超巨漢で実はご夫婦。
この二人がオアフ島のあちこちのレストランに行って、食いまくる (そう、まさに食いまくる) 番組なのである。
レストランと言っても、有名な高級レストランからローカル・プレートランチの店、果ては食品関係のコンベンションなどにも出現して、片っ端から食べるのである。
テーブルにずらりと並べられた料理を見ただけで、逆に食欲をなくすような量なのだが、二人は調子良くおしゃべりしながら食べていく。
100回記念の裏話として、すべての料理を二人だけで食べたのではなく、カメラの後ろのスタッフも一緒に食べたと言っていたが、いったいどれだけのスタッフがいるのだろう?
今後はオアフ島だけではなく、ネイバーアイランド、そして世界中のレストランに行きたいと言っていたが、最終目標はケーブルテレビの「フード・チャンネル」なのだそうだ。
「痩せたシェフは信用するな」とよく言うが、彼らが普通の人間として料理番組に出られるのはハワイだけの気がする・・・。
12月10日
朝はダウンタウンのお役所。
カメハメハ大王像の前には多くの観光客がいたが、中国人らしく、日本人は見なかった。
午後はクリスマスカード書き。
毎日こうして日本語と接してはいるが、実際に書く事のほとんどない生活をしているので、なんだか一年分の日本語を書いている気がした。
300枚は仕上げた。
貿易風が強くなり、窓際には埃が溜まっている。
12月11日
朝一番でまたダウンタウンに行った。
ツアーのオペレーションをする為のPUCと言うライセンスの関係で、イオラニ宮殿の目の前の州の建物に最近よく足を運んでいるのだが、すっかり顔を覚えられたようで、やたらと親切にされる。
でも役所の関係の書類や手続きが面倒くさい事には変わりがない。
その後はイオラニ宮殿の横にある、別の州政府の機関に行く。
ポロシャツタイプのかぶりの地味なアロハシャツを、スラックスの中に裾を入れて着るのが、ダウンタウンスタイルで、ワイキキにも大手ツアー会社の社員などでいるが、ダウンタウンはそのスタイルばっかり。
やはりどう見てもかっこ悪い。
アロハシャツの裾はパンツの中に入れるべきではない。
私もダウンタウンに行く時は昼間からアロハシャツを着ていくが、あんな着こなしは出来ない。
その後、カカアコのステイショナリーストアに行って、ワイキキの提携先の会社に行って、また郵便局にも行った。
クリスマスが近付くに連れて段々混み方が酷くなる郵便局で、今日は40分以上列に並んだ。
夜は、日本からホノルル・マラソンの為に来ている友人のKさんと会った。
まだ足を引きずっているので、「佐野屋」で五目焼きそばをテイクアウトして、タイムスでビールを買って私の家に呼んだ。
風はまだ強い。
12月12日
久しぶりのサークルアイランドツアー。
ハワイは初めてと言うご夫婦がお客さんだった。
ワイキキでは風が収まってきたようだったが、カラニアナオレ・ハイウェイ沿いでは椰子の木が大きく揺れていた。
ハナウマ湾の入り口を過ぎて見えてきた海はかなり荒れていた。
サンディービーチで海に入っているのは間違いなくローカル。
ビーチには誰もいなかった。
マカプウ岬を回ってウィンドワード・サイドの海を見ると、波のサイズはさらに大きくなっていた。
心配した雨は大丈夫そう。
ワイマナロのベローズビーチも人はいなかった。
10メートルほど移動していたマイストーンを見つけ、重石にしてラグを引く。
ココ椰子の実、ククイの実などを拾ってきて説明した。
お客さんはアイアンツリーの小さな松ぼくっりを集めていた。
ナウパカの花はもうここでは終わってしまったようだ。
スモウ・コネクションには随分久しぶりに行った。
お母さんは元気だったが、やはり商売は暇な様だ。
花の少ないこの時期に、アフリカン・チューリップの朱色の花はよく目立つ。
レッド・ジンジャーの赤、イリマの黄色と、冬場に自己主張する花も多い。
クアロア・パークでは芝刈りをしていた。
シラサギが虫を捕まえるために集まっている。
中国人のツアーがいた。
東海岸は沖のサンゴ礁で大きな波が砕けてしまうので、海岸沿いからでは白いラインしか見えないが、うねりは押し寄せ、グリーンの海にホワイト・キャップ(白波)が立っていた。
パイプラインではサーフィンの大会が開かれているが、サンセットの人は少なかった。
沖の波は6フィートほど。
マカプウの方が大きかったようだ。
ハレイワ・アリイビーチ・パークも芝刈りが終わったばかりで、誰もいない公園のモンキーポッドの木の下でプレートランチを食べた。
公園でマツモトシェイブアイスのスタンと会った。
タウンでの散策の時間に、ノースショア・マーケットプレイスに行くと、久しぶりにOGIのキースがいた。
彼も出勤日を少し減らされてしまったようだ。
ドール・プランテーションでは毎年この時期になると、ツアーガイドとドライバーにお歳暮が渡される。
勿論お歳暮とは言わずクリスマスプレゼントなのだが、なぜかいつもハムをくれるので、お歳暮と言うイメージがある。
日頃お客さんを連れてきてくれるツアー・オペレーターに対しての感謝の印なのだが、毎年大きな缶詰のハムだったのが、今年は真空パックの、さらに大きなのをくれた。
さて、夜は久しぶりにWAI WAI HAWAIIのオフ会があった。
私がメーリングリストだけ引き継いで管理人をしているのだが、今までのように毎週鍋会と言う訳には行かないが、日本から来るメンバーが何人か重なった時にはオフ会をやろうと言う事になって、今日がその第一回目。
今回はホノルル・マラソンで来ている人が何名かいたので、ハワイ在住のメンバーにも声をかけ、スキューバダイビングの仕事をしているダニヤンがお客さんをたくさん連れてきて、20名近くで賑やかだった。
ノースからスカイダイバーのY夫妻も来てくれて、11時過ぎまで盛り上がった。
その後Y夫妻が、ノースまで運転して帰るのが面倒と言う事で、私の家に来て飲み直し、一泊していった。
強風注意報が出たままだ。
12月13日
やっとクリスマスカードを書き終えた。
400枚の日本語書きは結構疲れた。
こうして毎日使っているのに、実際は手書きする事がほとんどない。
人にも寄るが、普通海外に住むと日本語は少しずつ忘れていく。
仕事で使っていても、日常生活で使う機会が減るからだ。
勿論仕事でバリバリ現地の言葉を使っていて、家では日本語と言うケースもあるし、一日中日本語を使わない事もある。
日本人は「日本語」と言う、世界でもかなり難しい言語を習得している為に、他の言葉が覚えられないと言うが、私の場合、他の言葉を入れると日本語はやはり確実に少しずつ出て行ってしまうようだ。
それでも会話と読みは大丈夫。
後は普段パソコンが使えれば良いと思っているが、クリスマスカードの時だけは筆を執りたいとも思っている。
さて書き終えたクリスマスカードは、更に封筒ののり付けと切手貼りが残っている。
ここは単純作業なので、アップテンポのアイランド・ミュージックを聞きながら、調子良く進めるが、80セントの切手が売り切れで、40セントを800枚貼るのは大変だった。
日本ではこういうのがあるかわからないが、アメリカの切手は最近「セルフ・アヒーシヴ」と言ってシール状の切手をはがして、封筒に貼る形が多い。
水のりのタイプと違って切手に付いているのりが強力なので、ちょっと曲がったらもう直せない。
切手の位置だけがなんだか納得いかなかったが、完成したものを抱えて郵便局に行った。
ちなみに今年はアメリカ国内以外では日本の他にイギリス、シンガポールと中国に出したのだが、全部80セントだった。
投函後に私に来ていた小包を2つ受け取る。
一つはお客さんからのクリスマスカード(lauraさんBig Mahalo!)、もう一つはスラッキーから届いたKTグッズだった(Slackey Big Mahalo!)。
最近のコンサートで販売されているビデオとパンフレットとカレンダー。
ビデオには私の愛車が写っていると言う話だったので、早速見てみるとH-1フリーウェイを走る「太郎」がかっこよかった。(ちなみに約2秒)
カレンダーの撮影の時で、私が運転して、KTが隣に乗っていたのだが、あの日の写真が8つ収められていた。
他にも新しいダイアモンドヘッドクラブのロゴのバリエーション、使用例などがあり、涙ものだった。
これをどうやって有効に使うかじっくり考えたい。
夜はナイトドライブ・ツアーが入った。
風はまだ強く、私は少し涼しく感じたが、北海道からのお客さんは、「北海道の夏の夜くらいです」と言っていた。
パールシティのイルミネーション住宅街は、今日も我々の為だけに明かりを点けていてくれている様にひっそりとしていたが、ハワイ6回目のリピーターで変わったツアーを探していたと言うお客さんはとても喜んでくださった。
公園ではシャワーが心配だったが振る事はなく、ラグに転がってグアヴァジュースを飲んでもらった。
ダウンタウンも人は少なく、大きなクリスマスツリーが寂しそうにも見えたが、時より観光客を乗せたリムジンやバスが走っていた。
なんだか最近毎日ダウンタウンに来ている。
12月14日
今日はマカプウのトレッキング。
先日『るるぶ・ハワイ2002』が発売されてから最近は2日に一度くらいはお問い合わせが来るようになった。
しかしその3分の2がお電話で、既にハワイに到着されている方からのものだ。
やはり紹介された「マノアの滝」のトレッキングをご希望の方ばかりなのだが、雨季の間はぬかるんでしまって入る事が出来ない。
Eメールでお問い合わせの方は、一度ホームページをご覧になっている場合がほとんどなので、雨季の間のマノアは無理な事や、今はマカプウなら問題ないと言う事などを説明できるのだが、いきなりお電話の方と言うのは、
「明日マノアのトレッキング行けますか?」で、
無理とわかると、
「そうですか」と簡単に切ってしまう場合が多い。
早く雨季が明けてほしい。
今日のお客さんは最初は「マキキ・ループトレイル」をご希望だった。
ここは雨季でもシューズさえしっかりしていれば入る事は出来る。
ただし、雨が降っていれば景色をゆっくり楽しむ余裕はない。
ちょっと変わったツアーをインターネットで探していたと言う、ハワイ6回目のお客さんは、『るるぶ』にダイアモンドヘッドクラブが載っている事は全くご存じなかった。
結局スニーカーしか持っていないと言う事でマカプウになった。
カイヴィ地区の工事は一応作業をしていたが、トレイルから見下ろしても2週間前から進んでいるようには見えなかった。
風はまだ強く、岬の南側を回ると帽子が飛ばされそうになった。
海も大分うねりがあり、クジラを見つける事は出来なかった。
登っている人もいつもより若干少なく、往復で15名ほどとすれ違っただけだった。
頂上の風はやはり気持ちよく、スパム結びも美味しかった。
帰りは遠くの雲から雨粒が強風に乗ってきて、ほぼ水平に顔や手足に当たり、からかわれている様だった。
高い雲がハワイ上空を覆っていたが、気温は少し上がっていた。
さて、今朝お客さんをピックアップする前に、別のホテルに寄って古いお得意さんと会った。
毎年1度か2度は来てくれる方なのだが、インターネットは見ていないようで、昔ダイアモンドヘッドクラブが随分暇だった時のイメージで、今回もハワイに着いてから連絡を下さった。
ツアーもご希望されていたのだが、スケジュールが合わずに残念ながらお応え出来なかった。
しかし私の為にお土産を持ってきてくださって、それを渡したいと言う事で、唯一時間のあった今朝一番に会う事にした。
美味しそうな日本酒をいただいてしまった。(Big Mahalo!)
12月15日
1993年の12月にハワイに引っ越してきて、いつのまにか丸8年が過ぎていた。
既に9年目を迎えるハワイ生活だが、いまだに「まだ9年」と言う感じしかしない。
この狭い島には、大変奥の深い自然や文化があり、私の知らない事は山ほどある。
そしていまだに新しい発見があるのだ。
ハワイに越してきて最初に住んだのはマノア。
当時叔父がここに住んでいて、私はそこに半年ほど居候をしていた。
下がガラージ、上がストゥディオというコテージ・タイプの部屋で、テレビはなく、部屋の中はただ寝るだけの場所だった。
車は路上やドライブウェイに停め、ガラージは叔父のオープン・オフィスになっていて、外がリビング・スペースのようだった。
遠くにワイキキの高層ホテルがチラッと見えたりもするのだが、タンタラスの丘とセントルイス・ハイツに囲まれたマノア・バレーは雨が多く、空気はいつも澄み、勿論緑も勢いが強かった。
夜はハワイアン・ミュージックを聞きながら月や星、流れる雲を見てすごした。
この素晴らしさはLAの友達にも電話では説明する事が出来なかった。
しかし、この半年間が私のハワイに対する印象を強烈にした。
東京よりも、LAよりも素晴らしいものをここで見つけたのだ。
マノアはワイキキまで車で15分弱で、雨が多いと言う事を苦にしなければ、とても住み易い。
しかしアパートはほとんどなく、一軒家ばかりで空いている家は少ない。
とても人気がある為で、一度マノアに住み始めた人はなかなか動かないのである。
これから時々過去に住んだ家の回想をしてみたい。
風は少し落ち着いたがどんよりとした天気。
12月16日
2番目に住んだのは、マキキでH-1フリーウェイの近く、マッカリー・ストリートとサウスベルタニア・ストリートが交差する辺り。
一軒家の離れで、元はガラージだったところを改造して増築した様なストゥディオだった。
小さいながら専用の庭がついていて、ざくろの木があった。
他にもピンクのハイビスカスやミッキーマウス・プラント、ティーの木、アロエなどがあり、前に住んでいた人が置いていった植木鉢に、シュリンプ・プラントやキャット・ウィスカーなどがあった。
LAでは一軒家、またはアパートの1階に住むと言う事は防犯上大変リスキーな事で、治安の良いハワイだからこそこんな部屋に住めるのだと思うと嬉しかった。
どうやら跳ね返った音が家の上を飛び越しているようで、フリーウェイに近かった割に静かだった。
ストゥディオだがキッチンとダイニングスペースが広く、一人暮らしには十分だった。
パーキングはマンゴーの木の下で、隣の家との境にはスターフルーツの木もあった。
しかし問題が無かったわけではない。
フルーツの木が多いと言う事は、すなわち虫が多い事を意味する。
ここでの巨大ゴキブリとの格闘の日々はいまだに忘れられない。
母屋に住んでいたパキスタン人の家族には親切にしてもらい、時々チャパティに呼ばれる事もあった。
庭側のドアを開けると真正面に満月が上がり、部屋の電気を消して、自分の庭でのんびり月見をした事もあった。
庭の芝生や植物に水を上げるのは毎日の日課で、都会育ちの私が園芸に興味を持ったのもこの時だった。
天井にはゲッコーが顔を出し、床下ではコオロギが鳴いていた。
1年半ほど住んだこの部屋は友人たちにも好評で、毎日のように誰かが遊びに来ていた。
今日は風が収まり、大分陽も差した。
12月17日
久しぶりに天気が良かった。
と言っても雲は多く、風も弱くは無かった。
夕方カハラに行く用事があり、途中ダイアモンドヘッドのルックアウトで少し車をとめてゆっくり海を眺めた。
2〜3フィートの波はかなり割れていたが、初心者サーファーとウィンドサーファーが混ざって入っていた。
飛んでいるマイナバードは翼の真中に白い線。
ブルブルは尾の付け根に白い線がある。
アメリカの大手ハンバーガー・チェーンの一つ、「Jack In The Box」(ジャック・イン・ザ・ボックス:ジャック)で、クリスマス・バージョンのアンテナボールをプレゼントしている。
まず、ハンバーガーチェーンと言えば、「マクドナルド」や「バーガー・キング」を思い浮かべるかもしれないが、マックやバーキンは子供向け、またはご家族向けと言うイメージが強く、大人を対象としたハンバーガーを作るのがジャックと思っている。
ジャックではタコスやテリヤキ・チキン丼なんて言うのもあるが、ハンバーガーでお勧めなのが「サワドー・ジャック」。
このサワドー・ジャックのコンボ (ポテトと飲み物(日本サイズのL))を買うとアンテナボールをプレゼントでもらえるという期間限定サービスを時々やるのだが、今日は「ホリデーボール」と言うクリスマス・バージョンをもらった。

ワイキキにもあるジャックだが、ちなみに「チキン・スプリーム」も美味しい。
このアンテナボール、その名の通りに、車などのアンテナにつけるもので、ガスステーションの「76」のオレンジ色のアンテナボールはよく映画などにも出てくるので有名。
最近はミッキーマウスの形のもある。
私の車は車高が高いので、天井の低い駐車場などでアンテナがこすれる事があり、アンテナボールは家に飾ってある。
普段のアンテナボールと共に写真をUPした。
夕方、クリスマスカードが届いたと言うメッセージをもらった。
第一号。
私のところにも既に6枚届き、お正月までリビングルームを飾る。
12月18日
ハワイで3番目に住んだのは、ダイアモンドヘッドのオン・ザ・ビーチにある大きな家だった。
「マトソン汽船」と言う、かつて船の時代にハワイと世界中とをつないだ船会社の社長が建てて住んでいたと言う家で、敷地面積2000坪の築70年と言う古い豪邸だった。
現在の「マトソン」は貨物船として、よくワイキキの沖合いにも見る事が出来る。
さてこの家、「Lani Hau」と言う名前も付いていたのだが、日本がバブルの時期に投機目的で日本企業に買われ、その後売れずに困っていた物件だった。
経済やくざと言われた当時の日本企業が、古い家を潰してコンドを立てようと計画していたらしいのだが、この辺りは景観の保護などもあって高い建物は建てられず、バブルの収束と共に家の相場が下落して、売りたくてもなかなか売れないと言う状態だったらしい。
2000坪の敷地内には3軒の家があり、2軒は賃貸しされていたのだが、私が住んだのは残る1軒で、ここはCare-Taker (ケア・テイカー) の為の家だった。
Care-Takerとは、いわゆる管理人の事で、私はこの大きな敷地の庭の管理を任されたのだ。
売りに出ている物件なので庭はある程度綺麗にしておかなければならない。
しかしプロの庭師を雇えばお金がかかる。
そこで家賃と相殺する形でこの家に住むディールが私のところにきた。
それまで住んでいた家で、小さいながらも庭をいじった事がこういう機会を与えてくれたのだと喜んだ。
何しろ家の裏は海で、小さなビーチはほぼプライベート。
こんな家に住めるチャンスは一生のうちにもう無いかも知れないと思って、喜んで引き受けたのだが、賃貸し用に多少綺麗にしている他の2軒と違ってCare-Takerの家は確かに70年前のお屋敷だった。
内側のペンキを塗りなおしたり、キャビネットをつけたり、バスルームのタイルを張り替えたりと、入居する前に既に私の仕事はたくさんあった。
しかし大変だったのはやはり庭の仕事だった。
Care-Takerは私の他に一人か二人はいたのだが、何しろ敷地内には椰子の木が60本、アイアンツリーは20本、お化けのようなバニヤンの木が2本、マンゴーも巨大なのが2本、その他名前もわからないのが100本以上あり、更に芝生である。
芝刈り機やブローアー、チェーンソー、グラインダーなど、小型エンジンのついたマシンも揃っていたが、落ち葉や折れた枝、実などを拾って集めるだけでも大変な作業だった。
時にはセナピー(むかで)が出てきたり、ネズミは家の天井裏にも走り回っていた。
この家では色々な事を経験したが、結局半年ほどでまた引越しとなった。
今この家は4つほどに分割され、2つは既に売れてしまっているようだ。
ダイアモンドヘッド・ロードから見える外壁は当時とはすっかり変わってしまっているが、庭の奥で私がかつて住んでいた建物が時々見える。
玄関横の窓から裏庭に抜ける窓を通して、ブルーの海が目に入る。
さて、今日は大ちゃんの家に呼ばれ、ジャクジーに入って一緒に夕食を食べた。
ワイキキに沈んでいく細い月が黄色く光っていた。
12月19日
多少の時間差をつけながらも、先週出したクリスマスカードが続々と日本に到着しているらしい。
私のところにも毎日何通ものカードが届いている。(皆さん Big Mahalo!)
さて4番目に住んだのは、カピオラニ・ブルヴァードとデート・ストリートが交差する辺りで、マッカリーとかユニヴァーシティと呼ばれる地域である。
ここはコテージタイプの小さな家で、小さいながらも庭があり、ベッドルームも2つあった。
しかし家自体が小さいので、どちらの部屋もとても狭く、リビング・ダイニングも前のダイアモンドヘッドの家に比べたら物置のような場所だった。
近所の人たちは暖かく、庭の芝生の手入れの仕方を教えてくれたり、バーベキューに誘ってくれたりもした。
ここで私は一時、犬と猫と3人(匹?)で生活していたのだが、一番仕事が無かった時で、ケーブルが引けずにテレビも無かった。
しかし決して明るさは失わず、何とかしてやろうと思ってはいたが、開けて間もないダイアモンドヘッドクラブを存続させられるかの危機に陥っていった。
結局しばらく生活の為にスカイダイビングの会社で働く事になり、毎日ノースショアまで通勤していた。
最後はここは寝に帰るだけの場所になっていったが、ハワイの家賃の高さを痛感した場所でもあった。
今日は風も落ち着き、暖かかった。
12月20日
今日はスカイダイビングのツアー。
家を出る前、8時半頃にモクレイアのあっちゃんから電話があり、「今は晴れているが、雲が近付いているので、早めに来てほしい」と言われたが、9時にお客さんをピックアップして、10時に現地に着くと言うスケジュールは今からでは変えられない。
ワイキキは晴れていた。
風も穏やかだったが、H-2フリーウェイに入る頃からシャワーが多くなってきた。
お客さんは虹が見えたので喜んでくれたが、私は天気が気になった。
ワヒアワの町を過ぎた頃、再びあっちゃんから電話があり、「ゆっくり目で来て下さい」と・・・。
パイナップル畑の向こうに見えるモクレイアは雲が入り込んでいるようだった。
ディリンハム・エアフィールドに到着して、お客さんたちは講習のビデオを見始めた。
朝8時から待っていた最初のお客さんのグループがようやく上に上がったということだったが、程なく全員飛行機で戻ってきた。
やはり雲が多く、ジャンプできなかったのだ。
3番目の飛行機にマニフェストされていた私のお客さんにも状況を説明したが、雨季のこの時期はこういう事が多く、とにかく前の2つが飛ばない事には順番が回ってこない。
少し時間がかかりそうなので、ビデオルームでスカイダイビングのビデオなどを見てもらった。
ビデオが終わる頃になると空には晴れ間が現れ、お昼過ぎには無事にジャンプする事が出来た。
お客さん達は初めてのジャンプで、大変感激されていた。
その後ハレイワに行き、少し波乗りを見物した後、ランチと散策。
最後にドール・プランテーションに寄って帰ってきた。
ハレイワもドール・プランテーションも観光客は少なかった。
さて、今日は大きな発表があった。
ハワイアン・エアラインとアロハ・エアラインが合併する事になったのだ。
ハワイ州の景気は低迷していた上に9月11日のテロ事件以来利用者が激減して、このままでは双方共倒れになる可能性があったので、合併する事になった。
新しい社名などは決まっておらず、事業が完全に統合されるのは来年の上旬だそうだが、2社合計6000人ほどの従業員のうち2割の600人が解雇される事になるそうだ。
利用者としては隣島間運賃の値上げが気になるが、本土便や太平洋便の競争力を付け、値段は抑えると言う方針らしい。
さてどうなるのだろう。
12月21日
今日は風もすっかり収まり、気温も上がった。
夜は三日月も綺麗だった。
12月22日
今日もとても良いお天気になったが、私は昨晩の酒盛りのせいですっかり二日酔い。
夕方、タンタラスにクリスマスのメール・カード用の写真を撮りに行った。
夜はまた飲んだ。
たくさん飲んだ。
12月23日
一足先にクリスマス・イヴを迎えている日本に、今年もまたクリスマスEメール・カードを送った。
郵便で送ったカードの400通に比べれば、300通ほどで少し少ないが、それでもほぼ一日PCの前にいた。
昨日撮りに行った写真に手を加え、オリジナル画像を作り、お客さんや友達、こちらのサイトに遊びに来て下さった方でメールアドレスがわかる人には全て送った。
いつもの事だが、アドレスが変わっていたり、メールキャビネットが一杯だったりで戻ってきてしまうものもある。
添付ファイル付きなので携帯電話のアドレスも戻ってきてしまう。
届いていないと言う方はメールを下さい。
午前中はシャワーがあったが、午後からは晴れ、少し蒸し暑くなった。
12月24日
よく晴れた。
明日のクリスマスに備えての買い物を終えると、ちょっとドライブに出かけた。
ダイアモンドヘッドのルックアウトからのんびり海を見下ろす。
2フィートほどの波しかなかったが、ワイキキのように混雑していた。
「クリスマスにサーフィン」と言うのに憧れている人たちかもしれないが、どうもあまり上手な人はいなかった。
マイナバードが賑やかに鳴いていた。
カハラモールに寄る。
今日はここも早く閉まるので、最後の買い物を急ぐ人たちが慌しく動き回っていた。
陽が落ちてからダウンタウンに行く。
ホノルル・ハレのクリスマスツリーのコンテストを見る。
今年はハワイで気持ちも暖かなクリスマスを迎える事が出来た。
風は穏やか。
12月25日
今日はクリスマス。
今までの人生でクリスマスと言うのは決していつも楽しい日ばかりではなかった。
高校生の時からクリスマスケーキを売ったり、ビルの清掃をしてたり、勿論ツアーでも仕事の日はあった。
仕事をする事には何の抵抗も無い。
風も弱く、暖かなクリスマスとなった。
Mele Kalikimaka!
12月26日
昼過ぎにKTから電話が入った。
日本で26日の夕方まで仕事をしていたらしいが、無事にハワイに戻り、これから時差ぼけ解消のための昼寝だと言う。
私はクリスマス気分も明けて、仕事に家事に励んだ。
夕食後、仕事関係の電話の嵐が収まるとKTがチンタオ・ビールを持ってやって来た。
名古屋・松風屋の「冬味煎」と「いか姿焼き」をお土産に頂いた。(KT Big Mahalo!)
スカイダイブのインストラクターなんて言う友人もいるが、KTも私の友人の中では大分変わった世界にいる人だ。
明日にはスタッフもハワイに到着して、31日のカウントダウンライブに向けてのリハーサルが始まるそうだ。
私は31日も夜まで仕事があるのではっきりしないのだが、出来れば見に行きたい。
暖かな一日だった。
12月27日
今日はノースショアツアー。
最初のピックアップがハレクラニだったので、5分前からパークホテルの車寄せで待機していると、名球界のカネヤンこと金田正一さんがのしのしと歩いていた。
名球界自体は今年はハワイに来なかったけど、毎年お正月をハワイで過ごしている人達はちゃんと来ているんだなぁと思った。
となると、長嶋茂雄家もいらしているのでは?
早見優さんや梅宮アンナさんを見たという話も聞いた。
そろそろハワイは芸能人の季節となる。
さてハレクラニで新婚さんをピックアップの後、マリオットホテルで4名さまが増えてノースに向かった。
お土産で信州そばを頂いた。(Etsukoさん Big Mahalo!)
天気も良く、暖かだった。
H−1フリーウェイ沿いにはアフリカン・チューリップが赤く目立っている。
ハレイワ・タウンで一時解散すると、15〜20フィートの波が出ているというノースの海を見に行った。
ハレイワはすっかり荒れてビーチがクローズされていた。
ラニア・ケアも入れる状態ではない。
ワイメアまで行くとサーファーが見えた。
手前はやはり荒れていたが、沖には時々10フィートを超える波があがり、サーファーが小さく見えた。
ルックアウトは渋滞で凄かった。
さてお客さんは全員ランチ付きをご希望だったので、L&Lドライブインで集合時間に合わせて仕込み、1時から皆でアリイ・ビーチパークに行った。
ほぼ貸しきりの公園でプレートランチを食べていただいた。
地上の風は貿易風気味だったが、上空の雲は南風に流されていた。
ハレイワではサーフィンが見れないので、食後に皆さんをドライブにお連れした。
ワイメアの波乗り渋滞は緩和されていたが、ポリスカーが何台か来ていて、ちょっと停めて見に行く訳には行かなかった。
足を伸ばしてサンセットまで行ったが、ここも波は荒れていてサーファーはおらず、お客さんはビーチの砂を集めてお土産にしていた。
ドール・プランテーションでは皆でピラニアの餌付け。
一人4歳のお子さんがいたのだが、やはり大喜びだった。
帰りのH-1ではクリスマス・ホリデー中と言う事もあり、渋滞は軽かった。
車を洗って家に戻り、食事をして、ナイトツアーに出かけた。
多少メンバーを入れ替えて、やはりまた6名様だった。
パールシティの住宅街ではクリスマス・イルミネーションがまだ健在で、公園も貸し切り。
暖かな夜で月も明るく、ダウンタウンのイルミネーションも喜んでいただいた。
やはり雲は南から北に動いている。
明日はコナ・ウィンドになるのかな?
12月28日
クリスマスは過ぎたが、郵便受けには引き続き日本からの手紙が届いている。
ちょっと遅れたクリスマスカードに混ざって、年賀状も既に何通か頂いた。(Big Mahalo!)
さてワイキキのパンケーキ屋の「エッグス・ン・シングス」が火事で焼けた。
いつもは朝たくさんの人が店の前で待っているのに誰もおらず、入り口が板で塞いであった。
詳しい事はわからないが、年末年始の書き入れ時になんとも可哀想だ。
風は南寄りで蒸し暑かった。
月が大分大きくなってきた。
12月29日
今日はご家族連れのチャーター。
Yahooの検索でダイアモンドヘッドクラブをお知りになったそうだ。
内容はサークルアイランドとサンセットのコンビネーション。
サンディービーチには他に人はいなかったが、ベロウズ・ビーチは普段よりかなり混雑していた。
風が無く、海はとても穏やかで、クラゲ注意のサインも無く、バケーション中のローカルがこぞって繰り出してきたようだった。
もっとも日本人は我々だけで、ワイキキに比べたらガラガラも良い所。
まだ空いているピクニックテーブルもこれから埋まるのだろう。
スモウ・コネクションに行くと、アンティー・ジェンが、
「久しぶり!最近来ないから、どうしたのかな?って話してたのよ」
と言って、私のお連れしたお客さんにお菓子を振舞ってくれた。
東側の海岸線のドライブはとても綺麗だった。
ノースの波は少し落ち着いていた。
ハレイワ・アリイビーチでサーフィン見物をして頂いている間にランチを仕込む。
今日は皆さんシュリンプ・カレー。
その後ドール・プランテーションに行ってピラニアにエサをやり、ハレイワ・タウンに引き返して一時解散。
私はモクレイアのあっちゃんのところに行って、少し時間潰しをした。
南風が続いて、スカイダイビングがしばらく出来ていないそうだ。
今日のサンセットは6時。
サンセットビーチに移動すると、ビーチにラグを引いて寛いでいただく。
冬至を中心にこのわずかの期間は、サンセットビーチでも夕日がカエナ岬にかかる。
最後はちょっと雲の中に入ってしまったが、波の音が響くサンセットビーチで、夕日を見て街に戻る。
そのままダウンタウンに寄り、ホノルル・シティライツとホノルル・ハレのクリスマスツリー・コンテストを見ていただいた。
ほぼ丸い月が大きく綺麗だった。
12月30日
マカプウ岬へのトレッキングツアー。
4組6名様をお連れした。
大晦日のカウントダウンライブに参加されるKTファンが4名いたのだが、気分は既にすっかり盛り上がっている様だった。
KTグッズとライターを頂いた(ゆめさん Big Mahalo!)
普段の3倍以上の人がいたが、天気は良く、南風も気持ちが良かった。
残念ながらまだクジラは見れなかったが、良い汗をかいて降りてきた。
ワイキキでお客さんたちをドロップして、私は家に戻って少し昼ね。
夜はお客さんとマイランで食事をした。
3月に初めてのハワイ旅行の際にお世話をしたご夫婦で、ダイアモンドヘッドクラブをすっかり気に入っていただいた。
日本酒と甘い物のコンビネーションでお土産を頂いてしまった。(Big Mahalo!)
食事をした後、タンタラスの丘に寄って、ナイトドライブツアー。
パールシティーの公園では途中からシャワーに遭ったが、ダウンタウンでは止み、クリスマスツリーのコンテストもゆっくり見ていただいた。
風は以前南から吹いているが、雲が多くなってきた。
12月31日
シャワーの予報を裏切り、朝からとても良いお天気になった。
昨晩のご夫婦のチャーターツアー。
前回レギュラーのサークルアイランドに参加されているので、今回は別の場所を見たいということで組んだコースは、まずカイルアビーチ。
パリ・ハイウェイを北上して東側に出る。
風は全く無く、ウィンドサーフィンもカイトサーフィンも見れなかったが、時々顔を出すウミガメを見ていただいた。
ここから今度はH-3、H-1フリーウェイを通って一気に島の西端のヨコハマベイまで行く。
ここでは西よりの風が少し吹いていたがお天気は良く、お客さんもとても気に入っていただいたようだ。
普段でも、ごみ箱の数より人が多いのを見た事が無い場所だが、今日はビーチ全体が貸し切り状態だった。
波は荒れていたので波乗りや水泳には向いていないコンディションだったのだが、これだけ人がいないと気持ちが良い。
ライフガードに話を聞くと、午後からはツーリストが増えるのではないかと言う事だった。
ランチの為にマカハまで戻って、「マカハ・ドライブイン」に行くと、なんとバケーション中でお休み。
更に戻って、ワイアナエのショッピングモールに入って中華のプレートランチを食べた。
今度はH-1からクニア・ロードを北上してワヒアワに出て、ドール・プランテーション。
その後はワイアルアを抜けてモクレイアに行った。
ディリンハム飛行場でスカイダイビングやグライダーを少し見物して、カエナ岬の先端まで行った。
カエナ岬を南側と北側から見たことになる。
ノースの海もかなり荒れていたが、西や東とはまた違った海の様子に、お客さんはたくさん写真を撮られていた。
ハレイワに行って一時間ほど休憩。
マツモト・シェイブアイスは相変わらず混雑していたが、タウン全体の人出は少なかった。
波乗り渋滞と今年最後のサンセットの為に混雑を予想して早めにサンセットビーチに移動するが、ワイメアもサーファーはほとんど無くスムーズに到着。
サンセットビーチも荒れて波乗りが出来るコンディションではなく、人出も意外と少なかった。
既に花火の音が聞こえ始め、ニューイヤーズ・イヴのパーティーで忙しいのかもしれない。
綺麗に沈む2001年最後の夕日を見ることが出来た。
ホノルルに戻るフリーウェイも左程混雑は無かったが、ワイキキ近くでの渋滞が怖かった。
しかしカウントダウンなどのパーティーにはまだ時間は早く、ほぼ時間通りに戻ってくる事が出来た。
家に戻って年越しそばを食べ、再びワイキキに出た。
昨年は行かれなかったが、今年は是非ともと思っていたKTのカウントダウンライブに向かったのだ。
既に混雑は予想されていたので、タクシーでワイキキに出るが、やはり例年に比べると人はかなり少ないようだ。
急いだつもりだが会場のハイアットホテルに着いたのは11時。
入り口でKTのマネジャーのI氏に挨拶して、席を作ってもらった。
すると「先輩〜!」と、現在ハワイ在住の、中学校の後輩あっこちゃんが現れた。
お友達と一緒と言う事だったが、ハイアットホテル内のラジオステーションで、日本向けに放送をしている「スタジオ・リム」の皆さんだった。
KTの奥さんのスーザンもやってきて、「ひさしぶり〜!」とご挨拶。
会場はファンクラブの方達がステージの前で頑張っていたが、一般のお客さんもかなり多く、酔っ払いも騒いでいたが、KTも見事にMCでかわしていた。
すぐに私の好きな「Never End」、そして先ほど見たばかりのサンセットビーチのサンセットを歌った「Sunset Beach」を歌ってくれた。
皆知っている曲ばかりだったのだが、段々ノリも良くなってきて、私も調子良くお酒を飲んで、一番後ろで盛り上がってしまった。
大騒ぎをしてカウントダウンも終わり、ライブが終了すると、面識のあるKTファンに囲まれ、何故か私との写真撮影会が始まってしまった。
その後楽屋に呼ばれ、KTやスタッフの皆さんたちとご挨拶をしたが、一番後ろで弾けていた私の事はステージ上からも良く見えたのだそうだ・・・。
打ち上げにも誘われたが、結構疲れていた私は先に帰って、家でまた飲みなおした。
今年もまたいろいろあった年だった。
来年はまたどうなるのかとても楽しみである。
それでは皆様良いお年を。
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