ハワイ日記2001年11月
11月1日
朝一番でラニカイに行く予定だったが、昨晩帰りが遅かった事で、朝はゆっくりして午後からワイケレのKマートへ買い物に行った。
帰りはラッシュアワーのフリーウェイから虹がよく見えた。
一度家に戻って夕焼けを見て、夜はケアモクに冷麺を食べに行った。
11月2日<
今日は2組3名様でKTファンツアー。
既に5回目である。
やはり皆さん10数回以上のハワイリピーターで、私も気合いが入る。
朝のワイキキは良く晴れていた。
KTのBGMにもすっかり慣れ、調子良く車を走らす。
マカプウ、ワイマナロまでは天気が持ったが、東海岸のドライブでは時よりシャワーに遭った。
しかし今日のウィンドワード・サイドの海は多少うねりはあったものの、色はまさにグリーンで、とても綺麗だった。
フキラウビーチではテントが張られ、大きなイベントの準備をしていた。
真新しいカタマランがあったので、これの出港式かもしれない。
タートルベイ・ヒルトンは今はヒルトンが手を引いて、タートルベイ・リゾートと言う名前に変わった。
ここで休憩した時に、吹き付ける貿易風に乗ったシャワーに当たったが、その他は濡れる事は無かった。
サンセットビーチでは6フィートの波の中、サーフィンの大会、エクセル・プロが開かれていて、ビーチ沿いのパーキングは一杯だった。
ハレイワ・アリイビーチパークでのランチタイムは我々の他に1組ローカルがいるだけだった。
ハレイワ・タウンに移動して自由時間の時、ノースショア・マーケットプレイスに行くと、オーシャンズ・イン・グラスのキースが出て来て、「久しぶり!」と声を掛けてきた。
そう言えば彼と会うのは1ヶ月ぶり。
彼の店もやはり暇だそうだ。
金曜日という事で帰りのフリーウェイはかなり渋滞したが、先日のハロウィンのワイキキに比べれば全然マシ。
今日のお客さんからは「KTファンツアーは何度参加しても良いのですか?」というメッセージをサイン帖に頂いた。
勿論何度参加して頂いても構わないが、こう言うのはとても嬉しい。
夜は先日日本から戻ってきた大ちゃんと奥さんの新しい引っ越し先のコンドに遊びに行った。
大ちゃんは明日も仕事があると言うので早めに引き揚げたが、私は家に戻ってまた飲み始めてしまった。
今日も月が明るかった。
11月3日
ノースショアに行った。
途中ドール・プランテーションに寄って少し買い物をしたのだが、KTファンツアーではここには寄らないので久しぶりだった。
観光客はいたが日本人は少なかった。
なんとナレオ・ピリメハナのショップが無くなっていた。
ドールの従業員も出勤日や時間を減らされて大変だと言っていた。
ホノルルも少し雲はあったが、パイナップル畑から見下ろすノースはどんよりとした天気だった。
ハレイワに入ると最初にポリ・トレに行った。
そしてL&Lドライブインに行った。
今日はシュリンプバーガーを食べた。
今日のノースの目的はマツモト・シェイブアイス。
夜は家で水炊きをした。
11月4日
PCの調子がおかしい。
日記を書いたり、掲示板に書き込みをしていると、突然IE(インターネット・エクスポーラ)が異常終了する。
マイクロ・ソフトへのエラー・レポートの送信用画面まで出てきた。
メモ帳やワードを使ってもおかしい。
異常終了の詳細を見てみるとIMEJ(日本語IME:日本語入力ソフト)内でエラーが起きている。
普通はコントロールパネルのソフトウェアのインストールと削除のところに、日本語IMEがあるはずなのだが、私のPCにはこれが無かった。
とりあえずIMEJを上書きインストールしてみたが状況は変わらなかった。
マイクロソフトのウィンドウズ・アップデートのところから、IMEの修正プログラムも再度インストールしてみた。
しかしこれも駄目。
最後にはウィンドウズも入れ直してみたが、これでもエラーは直らなかった。
この手の場合は一度前のプログラムをアンインストールしてから入れ直すほうが良いのだが、ウィンドウズからIMEを削除するのが出来ず、デフラグやディスククリーニングをかけたりして四苦八苦した。
パソコンには詳しい彼女にもいろいろ手伝ってもらったが、この日は結局解決しなかった。
3日の日記はメモ帳に1単語ずつ書き、1行毎にセーブを繰り返して3時間かけて書いた。
何とかしないと・・・。
11月5日
今日はノースに向かった。
モクレイアまでドライブして、ディリンハム・エアフィールドに行くと、スカイダイビングのPISCにはたくさんのお客さんがいた。
時間的には既に全員飛び終えていても良いのだが、あっちゃんに聞くと、午前中に来る予定のグループが今頃着たということで、まだまだ忙しそうなので私はモクレイアのビーチパークに行った。
海の上では、ウィンド・サーファーは3人ほどだが、カイト・サーファーは20人近くいて、賑わっていた。
しかしビーチには散歩中のローカル一人以外に誰もおらず、ほぼ貸切のビーチでのんびりした。
夜は久しぶりにユニバーシティーのスシ・キングに行って、お腹いっぱい食べた。
11月6日
天気はとても良かった。
朝一番でホノルルエアポートにいった。
空港内は以前ガラガラだったが、新しい大きなX線の検査マシーンが置いてあった。
ゲートの奥には大きな銃を持った州兵の姿があったが、空港内に緊張感はかけらも無かった。
さて、家に帰ってからパソコンと格闘した。
結局ウィンドウズのファイルから強制的にIMEのフォルダを削除して、別にIMEを入れ直し、ウィンドウズ・アップデートからIMEのアップデートをしたらちゃんと動くようになってしまった。
なんだか凄く簡単だったが、本当はウィンドウズのフォルダを削除するなんて言う事はしない方が良い。
ま、結果オーライとして、溜まったメール、日記や掲示板へのレスを書き始めた。
風は穏やか。
11月7日
どんよりと雲の多い一日だった。
洗濯物をしながら今日もメールの返事を書いていた。
夕方から大ちゃんのうちに遊びに行った。
電話線が付いたというのでインターネットを繋げる為。
大ちゃんの仕事場であるカネオヘは嵐のような天気で、ほとんど視界が効かなかったそうだ。
南側ホノルルは、風は穏やかだった。
私がインターネットの接続の手伝いをする時は、説明がしやすいように大抵私と同じAOL(America On-Line)を勧めるのだが、アメリカで日本語のAOLのソフトを使うには少し手順が要る。
AOLのソフトは申し込めば無料でCD-ROMを送ってくれるが、アメリカでは時々ダイレクト・メールで勝手に送られてくるし、パソコンショップでもフリーでくれる。
日本でもパソコン関係の雑誌の付録になっていたり、とにかく無料が原則。
日本人が使うなら日本語のバージョンの方が便利が良いのだが、アメリカで無料で手に入るのは英語版のみ。
仮に日本語版を入手しても、実はこれではアメリカでいきなり使うことが出来ないのである。
使う言語は何でも、まずAOLにアカウントを作らなければならない。
この時にクレジットカードの認証などがあるのだが、日本語のソフトではアメリカのシステムに対応していないらしく、上手く行かない。
で、英語のソフトを使ってアカウントを作ることになる。
私もDMで届いたフリーのCD-ROMを持っていった。
アカウントを作るところまではそれほど問題はない。
その後AOL-Japanのサイトに行って、日本語のソフトをダウンロードすることになる。
しかしCD-ROMと違い、この作業には時間がかかる。
電話回線ということもあって2時間近くダウンロードしていたが、その間にみんなで夕食。
インストール後はメーラーの使い方などを説明したが、大ちゃんも奥さんもコンピュータには弱く、本当にどこまでわかったのかは不明。
しばらくは大変そうだ。
11月8日
「Hawaiiana Clip Art」というCD-ROMを手に入れた。
ウェブやブローショアのデザインに使う為の写真やイラストなどが160程入ったイメージ・コレクションで、昔のハワイの写真やフラダンス、サーフィンなどのイラストがあった。
今後ホームページの更新や新しいブローショアを作成する際には使いたいと思っているのだが、使えそうには無くても見て面白いのがいくつもあった。
特に昔のハワイの写真は、ワイキキでもダウンタウンでも興味深い。
窓の外に見えるダイアモンドヘッドは昔と全く変わっていないが、今高層コンドが建ち並ぶエリアには小さな家と畑が広がっていた。
最近昔のハワイのことを勉強したり、知る機会が多い。
昔のワイキキが本物のハワイだった訳でもなく、カメハメハ大王以来わずか200年ほどの間にあった歴史的な流れだけが本物のハワイという事でもない。
ましてやほとんどの植物や鳥たちでさえも、ハワイ以外の場所から人間の手によって持ち込まれた物なのである。
本当にオリジナルなものは何なのだろうか?
いろいろな本や資料を総合すると、ハワイに人間がやってくる前からオリジナルな物とは、海と雨と風だけの様だ。
今日も空はどんよりして雲が多かった。
11月9日
午後からノースショアのY夫妻(あっちゃんとS美ちゃん)のところに遊びに行った。
オアフ島は今日もどんよりとした雲に覆われて、薄ら寒いほどだった。
H-2フリーウェイを降りてワヒアワのスコーフィールド兵舎の横を過ぎると、ウィリキナ・ドライブがカマナヌイ・ロードと分かれる場所がある。
しばらく前からこの三叉路で工事をしていたのだが、車線を増やして信号も取り付けるようだ。
右側のカマナヌイ・ロードには「North Shore」の看板が出ていて、こちらに行けばカメハメハ・ハイウェイと合流して、ドールプランテーションの前を通り、ハレイワに向かって降りていく。
モクレイアやカエナ岬に行く時は、左のウィリキナ・ドライブの方が少し近い。
この道はパイナップル畑に入るとカウコナフア・ロード(州道803号線)と名前が変わるが、通称スネーク・ロードと呼ばれていて、その名の通りとてもクネクネしている。
この辺りのパイナップル畑は丁度株を潰した後で、腐敗した臭いが漂っていたが、頭の良いシラサギ達はそこに集まる虫を追いかけていた。
さてモクレイアのY夫妻宅に着くと、日本からスカイダイバーが一人下宿中だった。
リビングルームの目の前の、ノースショアの海は沖で6フィート以上の波があり、時より防波堤を超えて波しぶきが家に直接かかっていた。
そして厚い波が当たると家全体が振動していた。
なんとも凄い家だが、相変わらずご夫妻は「寝る時にうるさい」と言う事だった。
家に帰って掲示板を見ると「るるぶ」が発売されて、ちゃんとダイアモンドヘッドクラブの記事が出ている様子。
私のところにはまだ届いていないが、早く見てみたい。
どんな影響があるでしょうか。
11月10日
今日も雲が多く、裸足でいると少し寒い。
早速「るるぶ」を購入してきた日本の友人から、デジカメで撮ったページの画像が送られてきた。
カラー・ページに写真も多く、さすがにプロのカメラマンの腕はすごいなぁと感じた。
それにあんなに大きく扱っていただけるとは思っていなかったのでビックリ。
残念ながら雨季の為にしばらくはマノアには行けないが、雨季が明けたころ、戦争も終わって、日本からの観光客が戻ってきて、その時には忙しくなってほしいと思う。
何しろ25〜30万部も毎年出ている雑誌だから、その中で興味を示してくれる人も少なくないだろう。
2行にまたがって、ハイフン(-)が入ってしまったのがちょっと残念だが、ダイアモンドヘッドクラブのホームページアドレスも入っているので、アクセスが増えるかもしれない。
とりあえず今日は会社のホームページをいじった。
広告窓を表紙につけ、リンクのページに「社長の個人サイト」を加えた。
もちろんトレッキングの「マノア・トレイル」の所には「るるぶ」の文字を入れた。
実際に本が届いたら、スキャンして会社紹介のエリアにも載せたい。
クラム・ジャーキーやマヒオレなど、リクエストも増えてきているショッピングのコーナーも、セキュリティー機能が付いたクレジットカード受付のシステムを早く整えたい。
ハワイを第2の故郷と思う「ハワイフリーク達」に、ハワイの奥を見せるツアーを提供する事は勿論だが、日本にいる時にももっとハワイを感じることが出来るように、インターネットはこれから益々活躍するだろう。
昼間、イギリスのケニーから電話があった。
私が、「るるぶ」の話とこれからインターネットを使ってビジネスをどのように展開させたいかを語ると、私のことを「デジタル・ディヴァイドの申し子」だと言ってくれた。
イギリスでは雪も降り始めたそうだが、娘さんの英語がアメリカンからブリティッシュに変化している事に驚いている事を話してくれた。
またシャワーが降り出した。
11月11日
貿易風が強くなり、雲を吹き飛ばしてくれたので晴れ間が広がった。
ハワイの大先輩KENさんと電話をした。
KENさんとは、この数年は撮影やイベントの仕事で毎年2度くらいは一緒に仕事をしていて、プライベートでも飲みに連れて行ってもらったりしていたのだが、今年はほとんど会う機会が無かった。
レギュラーになりつつあった年末のJALの番組撮影も、テロの影響で無くなってしまったので、KENさんの仕事も気になった。
湾岸戦争のときは2ヶ月仕事が無かったそうだ。
今回はそれより長くなりそうだと、ため息声だった。
「もし日本から飛行機が飛んでこなくなったら、オレ達はみんな仕事が無くなるから、山に入ってみんなで畑でも耕そう。」
冗談とも本気とも取れなかった。
私もそのコミュニティー構想のメンバーに入っている様なので、食いっぱぐれは無さそうだ。
でも、もし本当にハワイに飛行機が来なくなったら、まず観光業が成り立たなくなり、島の経済は破綻する。
当然島から離れる人が増え、人口は激減。
第1次産業が中心の田舎化が進む。
で、昔のハワイに逆戻り。
そこで憧れのハワイ航路の時代が復活。
なんて色々考えてしまう。
しかし、ビンラディンがアメリカに勝たない限り、飛行機は飛びつづけ、そしてハワイが人を癒す場所であることには変わりは無い。
さて、ダイアモンドヘッドクラブのホームページは表紙の壁紙を明るい物に入れ替えた。
ノートブック型のパソコンで見ると、前の壁紙は真っ黒に見えてしまう事がある、と言うご指摘を頂いた為、海の色のイメージで明るくした。
クリスマスカードと一緒に送る、来年度のブローショア(パンフレット)の作成も始めた。
KENさんも言っていたが、仕事が無いと酒ばっかり飲む。
本当は体を動かしたいのだが、風が冷たい。
11月12日
大ちゃんの所にパソコンレッスンに行った。
5時過ぎのまだ明るいうちに行くと、目の前のアラワイ・ゴルフコースとダイアモンドヘッドやワイキキシェルまで見渡せてなかなか良い眺めだった。
そして暗くなると運河越しにワイキキの夜景が浮かび上がる。
コンドミニアムの明かりは多かったが、ホテルはまだ寂しく映った。
今日はコピー&ペーストのテクニックとシフト・キーとバックスペース・キーの使い方を教えてあげて、しばらくはキーボードに親しんでもらうことにした。
一段落ついたところで、このコンドについているジャクジーに入りに行った。
私のアパートにはプールも無いが、ちょっとしたコンドミニアムではプールとジャクジーは当たり前。
更にジムや遊技場、バーベキューの施設があったりするのも珍しくは無い。
隣のプールで子供が3人遊んでいたが、ジャクジーは貸切で、そのうちこちらもプールに飛び込んだり、子供たちがジャクジーに入りに来たりで、少しおしゃべりもした。
LAにいた時もちょっとしたアパートにジャクジーが付いている事はあったが、どこも温度が低く、風呂の習慣のある日本人にはどうも今一つだった。
ところがハワイは日系人やオリエンタルが多いと言う事もあり、どこでも湯温は高く、今日もジェット噴射付きの温かいジャクジーでリラックスした。
部屋に戻り、広いラナイで鍋をした。
ハワイでも冬の夜には鍋が良い。
11月13日
朝は雨模様で薄ら寒かった。
愛車「太郎」の室内ファンの調子がおかしかったので、メンテナンスに行った。
昨日修理工場のボスと話をして、朝持って来ればランチタイムには終わるとの事だったので、9時にカカアコの工場に持っていって「太郎」を預け、終わったら携帯に電話をくれるように頼んで、歩いてすぐのジャック・イン・ザ・ボックス(JIB)で2度目の朝ご飯を食べながら本を読み始めた。
シャワーはあがり、晴れ間が広がってきた。
「ワイキキ探偵事務所」(光文社)と言う本で、ワイキキだけではなくオアフ島を舞台とした小説だった。
知ってる場所と言うより、仕事場であり、生活の場所が舞台の小説は面白かった。
時々「??」と言う場面もあったが、細かい事は言わない。
ワード・アヴェニューとカピオラニ・ブルヴァードの角のJIBの2階席は、朝食タイムからランチタイムへと変わり、本も3分の2ほど読んだところで1時になり、まだ電話が無いので気になって工場へ戻った。
工場では、部品が到着するのを待っているので少し待ってくれと言う。
どこからその部品が来るのかわからないが、「少し」と言う言葉を信じて、軒先のベンチで待たせてもらった。
で、結局本を全部読み終えたころ、
「違う部品を取り寄せるので、あと2時間ほどかかる」
と言われ、時計を見ると2時過ぎ。
ま、ハワイでこれくらいの事で驚いてはいられないので、
「じゃ、2時間したら戻るね」
と言って、今度はサブウェイに昼食を食べに行った。
もう読む本も無かったので、フリーペーパーを隅から隅まで読んだが、ランチにしては遅い時間にもかかわらず店が混んできたので出た。
ワード・ヴィクトリア・センターの「ロス・ドレス」や「スポーツ・オーソリティー」、「99セント・ショップ」などを覗いていると4時前にようやく電話があって、仕上がった。
夜はタイムスの「うなぎ弁当」。
11月14日
雲は残るが明るい日だった。
ロングスに来年のカレンダーを買いに行った。
この数年毎年、ハワイのカレンダーを50部ほど買って、年末にいらしたお客さんに差し上げている。
一昨年は50部無くなるのに春先までかかったが、昨年はすぐ裁けた。
しかし今年は30部しか購入してこなかった。
勿論テロ事件とアメリカの戦争で、暮れのお客さんの数が極端に少ないからである。
この時期になるとあちらこちらでカレンダーを売り出す為に値段が下がるので、まとめて買いに行くのだが、やはりタイムリーな物を差し上げたい。
11月と12月上旬は一年で最もスローなシーズンで、そのときに来てくれた方に特に感謝する為、これを始めたのだが、本当は一年中お客さんには何かちょっとした物をプレゼントできないかと検討している所だった。
せっかく「るるぶ」にも載ったことだし、早く戦争が終わってほしい。
さて、携帯電話の会社から先月のビル(請求書)が来たので見てみると、毎月65〜70ドルほどだったのが$270にもなっていてビックリした。
携帯電話から私が日本に電話をする事は稀である。
家から電話すれば1分間11セントの所、携帯からだと2ドル以上かかるのだ。
日本国内からは携帯電話に電話をかけると値段が高いそうだが、アメリカから日本に電話をする場合には、どの電話にかけても一緒なのである。
逆に日本から電話をする場合は家の電話も携帯も値段は変わらないので、ハンズフリーキットの付いた私の携帯に夜かけてもらう事が多い。
ここで、アメリカの携帯電話のシステムを説明すると、通話料金は基本料金以外は家の電話と一緒で市内はすべて無料、遠距離のみチャージがかかる。
他にエアータイム・チャージと言うのがあって、これはかけた場所にかかわらず、携帯電話を使った時間だけ請求される料金だ。
使った時間(エアータイム)というのは、かかってきた時間もカウントされる。
通常は基本料金のプランの中に一定のエアータイムが含まれていて、その範囲内なら使い放題。
これを超えると1分間ずつエクストラをチャージされる。
私のは600分のエアータイムで$49.99のプランなのだが、普段仕事で使っている分にはこれで十分。
しかし私はこれに「Night & Weekend」と言うオプショナルプランに入っていて、これは夜の8時から朝7時まで毎日と、土日の終日、更に元日、独立記念日、レイバーデー、サンクスギビング・デーとクリスマスの終日に、毎月$9.99で1000分エアータイムをくれると言うものだ。
日本からは夜かかってくる事が多いので、このプランさえあれば、いくら話をしていてもOKのはずだった。
目を凝らしてビルをよく見てみると、どうも計算がおかしい。
夜や週末に使った分に「Night & Weekend」のプランが全く適用されていないのだ。
悲しいかな、アメリカではこう言う事はよくある。
ビルはしっかり見なければいけない。
で、カスタマーサービスに電話。
最初は散々待たされたが、やっと出たオペレーターのマイク君はなかなかしっかりしていて、対応も宜しい。
ちゃんとした料金を計算してくれて、新しいプランの説明もしてくれた。
それによると、「Unlimited Night & Weekend」と言って、1000分ではなくて使いたい放題なのだそうだ。
しかも料金は一緒。
1年以上の契約をしなければならないのだが、ずっと使っている番号なので問題無い。
そしてこのプランには米本土への長距離電話の一部が、ローカルコールと同じに扱われるサービスも付いてくるそうだ。
ま、何しろそれは良いのだが、こうした電話をちゃんとかけられないとアメリカでの生活は出来ない・・・。
夕焼けがきれいだった。
11月15日
気持ちよく晴れ、風も穏やかで、暖かい一日だった。
今日もクリスマスカードの仕事。
今までのクリスマスカードは既成のものを使っていたが、今年からはオリジナルにしようと思い、その選択に入った。
とりあえず12ほどの候補に絞った。
一緒に送るブローショアの編集はもう一息。
カカアコの文房具問屋「フィッシャー・ハワイ」に行ってクリスマスカード発送用の封筒を購入。
帰りにアラモアナのタワーレコードに寄って今年のナ・ホク・ハノハノアワードを取ったMaunaluaのCDを買った。
一緒にENYAの新しいアルバムも購入してきた。
う〜ん、さすが癒し音楽の決定番。
家の前のピンク・テコマがまた咲いた。
11月16日
今日は良く晴れた。
朝からパソコンとプリンターをフルに活動させて、クリスマスカード発送用の封筒約400枚に宛名、あて先と差出人を印刷した。
「JAPAN」や「By Air」の文字は手書きで加え、椰子の木のスタンプを押した。
カードは素材の画像を一枚決定し、アレンジを始めた。
ブローショアは編集を繰り返しているが、もう一息。
風は弱く、少し蒸し暑い。
11月17日
気持ちよく晴れて暖かかった。
ブローショアの原本作成がパソコン上で一段落したので、プリントアウトしてみてみようと思ったら、どうもプリンターの調子が悪い。
厚さのある封書の印刷ばかりしていたので、ヘッドが汚れたのかと思って、ユーティリティーを起動して掃除や調整をした。
ところが何度やっても、昨年の原本の印刷クウォリティが出ない。
最近のプリンタは掃除も調整もコンピュータ任せで、人間が直接中を掃除することが出来ない。
ま、精密機器に付き取り扱い注意と言う事なのだ。
ここで普通は修理に出す人もいるが、元コンピュータ業界の者として、もう少し頑張ってみた。
でもプロパティを色々変えて、ドライヴァをインストールし直したりもしたが駄目。
やっぱりハードの問題のようだ。
終いにはプリンターを置く位置を変えたりもした。
簡単に書いているが、結局この為にほとんど一日中プリンタと格闘していた。
途中、地元だけでなく日本やイギリスからも電話がかかってきたりしたが、その間も私は手を休めることなく働いていた。
でも結局プリンタは駄目。
そこで作戦を変えて、パソコン上のファイルをフロッピーディスクにセーブして、Kinkosなどのコピーセンターに持っていって、プリントアウトすることにした。
しかしまた問題発生。
ブローショアの原稿はMSパブリッシャーと言うソフトを使って作成しているのだが、原稿ファイルの大きさが5メガにもなってしまう。
フロッピーディスクには入らない。
しかしCRロムに落とそうと思っても、CDライターは持っていない・・・・。
ただ今対処法検討中です。
11月18日
「キモノ・ポートレイト」
新しい商売が始まった。
インターナショナル・TVステーションの「KIKUテレビ」でCMを流していた。
「あなたのお好きな写真から、着物を着ているポートレイトを作ります」と言うもので、基本的には黒の礼装の紋付の着物を着た写真を作ってくれる。
これって日本では別に珍しくは無い。
お葬式などの肖像には昔からあるものだ。
今はパソコンを使えば簡単に出来るが、ハワイでは日系人向けに、お正月のご挨拶状などにご利用くださいと、軽いノリでやっていた。
家紋がわかれば、写真の紋付にちゃんとそれが載るらしい。
「KIKUテレビ」と言えば、最近なぜか「キカイダー」の再放送が始まった。
そう、昔(初代)仮面ライダーやウルトラマンなどの時代にいたヒーローの一人である。
ハワイでは当時から人気があり、私も以前日系人と話をしていて、キカイダーを知っているのにビックリしたことがある。
ただ再放送しているだけではなく、その日の怪人の名前を葉書で送ると、キカイダーのサイン(?)入りポスターまでもらえるそうだ。
「KIKUテレビ」では、「クレヨンしんちゃん」もやっているが、最近は2時間枠で4本まとめて毎週放送している。
私はニュース以外にほとんど見ないのだが、番組予告を見ると、相変わらず「あばれん坊将軍」と「渡る世間は鬼ばかり」はいつでもやっている。
よく晴れた。
11月19日
夜、大ちゃんの家にパソコン教室に行った。
キーボードの練習は夫婦共時々やっているらしく、メールも3行は書けるようになった。
検索のやり方がわからないという。
インターネット・エクスプローラ(IE)の「検索」ボタンから何か探そうと思ったらしいのだが、上手く行かなかったらしい。
とりあえず「検索」をカスタマイズして、見つからなかった時に他の検索エンジンが使えるようにしたが、私が最近はもっぱら使っている「Google」の検索サイトを「お気に入り」に登録して、検索をする時のアイディアを伝授してあげた。
大ちゃんがプリンターを持っているのに気づいて、
「使ったことがある?」
と聞いてしまったが、
「音がした」
と言うだけなので、
テスト印刷をしてみたが、なんとここのも上手く印刷が出来ない。
プロパティを開いてヘッドクリーニングのアプリケーションを動かしてみたが、どうも型が古い上にしばらく動かしていなかったので、回復の見込みが無い。
どうも最近プリンターに嫌われているようだ。
IEの最新バージョン6.0をダウンロードしている間に夕食。
ワイキキのビル郡の中に沈む細い月をラナイで見ながら、今日は奥さんのKちゃんが作ってくれたコロッケを食べた。
私の家の周りからは見えなかったが、昨日はこのラナイから流れ星が3つ見えたと言う。
今回の流星群は日本もハワイもお天気に恵まれ、あちこちで観察出来たと言う話を聞いたが、私は結局見れなかった。
流れ星さえ珍しく無くなってしまった生活で、感動を求める機会が薄れているのかなぁ。
少し風が出てきた。
11月20日
アラモアナ・ビーチパークに行った。
最初はしばらく散歩をした。
マジック・アイランドでは、ココ・パームやベルベット・リーフ、ククイ、ハウなどが新らしくたくさん植樹されていて、この公園もいつかは森の様になるのかな、と想像してみた。
公園の山側のアラモアナ・ブルヴァードの中央分離帯も、2年前に綺麗にして樹えられた緑が、大分立派になってきた。
あちこちでピンク・テコマの花が咲いていた。
ハウの花もあった。
早咲きのコーラル・ツリーも赤く色付いていた。
風はまだ弱く、空に雲は無いが、ダイアモンドヘッドが少しぼんやりして見えた。
散歩の後に水泳。
身体がなまっていたので気合を入れて随分泳いだ。
途中一回だけカメと会った。
その後、陽が大分傾くまでビーチでごろごろしていた。
アラモアナ・タワーのネオンがクリスマス・ヴァージョンに変わった。
11月21日
シンガポールにいる旧友のジェリーとメールのやり取りをした。
「ジェリー」と言っても立派な日本人。
商社に勤め、海外生活も大分長くなってきた。
仕事も遊びも、大いに頑張っているようだ。
もう5年以上会っていないので、久しぶりに再会したい。
少し風が出てきて清々しい。
11月22日
今日はサンクス・ギビング・デー(感謝祭)の休日。
休日と言っても私は最近暦とは全く関係の無い生活をしているので、特に感謝することは無い。
それでも走っている車は少なく、街は静まり返っていた。
基本的には家族でご馳走を食べる日なのだが、近くに身寄りの無い私は家にいるしかない。
以前は独身で家族の無いもの同士で飲みに行ったりもしたが、実際には開いている店もほとんど無く、無駄な抵抗とあきらめた。
何しろタイムス・マーケットも今日はお休み。
近所に世話好きのおばあちゃんが住んでたり、職場の仲間でもいれば誘ってもらう事もあるが、今年はそんな話は全く無かった。
昨日日記に書いたジェリーから電話が入った。
出張でタイに来ているそうだ。
風は弱く蒸し暑い。
11月23日
トレード・ウィンドは弱く、蒸し暑い。
今日を休みにして4連休にしている人が多いので、街は今日も静か。
会社のホームページをいじったり、読書をしたり、レイカースの試合を見たりしてすごした。
日本はイチョウの美しい季節のようだ。
11月24日
テロと戦争のおかげで仕事が減っているのはツアー業界だけではなく、ハワイでは日本からの取材、撮影、イベントなどをコーディネートするコーディネーター業界も深刻な状態に陥っている。
そんなコーディネーターの友人たちに話を聞くと、今年と来年頭の仕事がほとんどキャンセルになり、真剣に職変えを考えている人もいる。
12月のホノルル・マラソンは予定通り行われるので、昨年私もお手伝いをしたテレビ中継やスポーツ・ドリンクの仕事自体はあるのだが、いずれも規模縮小の為、私の仕事はない。
名球界の方も今年は日本でやるそうで、残念ながら長嶋さんにはお会い出来そうも無い。
月曜からマラソンが終わるまで日本に行くと言うKENさんと飲んだ。
KENさんは撮影のコーディネーターであると同時に、日本のプロレス雑誌の記者を昔やっていたと言う事もあり、プロレス関係の仕事をすることがある。
故ジャイアント馬場さんがハワイにいらしたときには、必ずKENさんがお世話をしていた。
今回は日本での興行の仕事らしい。
ついでに他の撮影に関しても営業してくると言っていたが、見通しは暗く、来年早々車を売らなければならないかもしれないとも言っていた。
最初はカパフルの「とっくり亭」、続いてワイキキの「クラブ・ひとみ」、最後はキング・ストリートの「クラブ・青山」。
相変わらずKENさんといると、どっぷり日本風だが、どの店もサンクスギビングの連休中で空いていた。
まだ蒸し暑さが残る。
11月25日
雨が降るという予報だったが空は清々しく晴れ渡っていた。
「乾杯 ハワイアン・サンセット」と言う本を読んだ。
先日読んだ「ワイキキ探偵事務所」の続編で、やはりオアフ島を舞台とした小説。
こちらの方がストーリーは面白かった。
夜にはテレビで「Star Wars : Episode 1」を放送していた。
もう20回は見ている映画で、ビデオも持っているのに、また見てしまった。
Episode 2が待ち遠しい。
夜半近く、雲が出てきた。
11月26日
朝から風が出てきたようだった。
羽根窓の隙間から音を立てて入ってくる風が、壁に留めてあるメモを揺らす。
湿度が高く、素足の裏とカーペットの間に摩擦感がある。
外に出て空を見ると、南側から白い雲が流れて来ている。
普段ホノルル・エアポートを離陸直後に上昇していくルートを、今日は着陸体制に入った飛行機が降りていた。
コナ・ウィンドが吹き出したのだ。
さて、土曜日に不在配達通知の来ていた郵便物を受け取りに朝一番でポスト・オフィスに行った。
実は日本の友人からのエクスプレス・メールで、先日我が家でプリント・アウト出来なかったブローショア(会社のチラシ)のファイルを、結局Eメールに添付して送り、CD−Rに落としてもらい、送り返してもらったのだ。
アパートのセキュリティの為に不在扱いとなってしまったので、月曜日の今日になってから受け取りに行った。
ところが、ウィル・コールの窓口で通知書を見せると、
「これはエクスプレス・メールなので、今日もう一度配達に行ってるわよ」
と言われた。
なんてこった。
どうやら土曜日中に電話をして郵便局止めにしてもらえば良かったようだ。
諦めてアパートに戻るが、メールマンは来ていない。
部屋まで配達が出来なくても、メールボックスに来た時に、アパートの入り口にいれば受け取る事が出来ると思ってしばらく待つが、いったいいつ来るかも判らないメールのデリバリーをずっと待っているのも馬鹿らしくなって部屋に上がる。
でもとりあえず、ダイアモンドヘッド側とダウンタウン側の両方の窓を大きく開けて、メールマンの車が来るのを気にしていた。
何をしてても落ち着かない状況で、家の中をうろうろしていたのだが、12時過ぎにダイアモンドヘッド側にとうとうデリバリーの車が見えた。
しかしアパートの多いこのエリアでは、配達はさっぱり進まず、イライラしながら後2件先と言うのが見えた所で下に降りた。
白い帽子をかぶったメールマンが見えたと思ったら、2件先のアパートを出た所で車をUターンさせてどこかへ消えてしまった・・・。
お昼でも食べに行っちゃったのかな?
時計は2時を過ぎていた。
私もお腹が空いて、部屋に上がってランチにした。
今日はもう駄目かとまた諦め様とした時、ダウンタウン側から別のメール・デリバリーの車が見えた。
慌てて下に降りる。
少し先のアパートのメールボックスにいるメールウーマンを見つけ、歩いて行って話し掛けた。
「これからあのアパートにも配達に来ますか?」
すると、
「行くわよ、何か急ぎ?」
「ええ、実はエクスプレスメールを待っているんです」
「ああ、それなら確かあったわ。ちょっと待っててね」
と言う事で、何とか今日メールを受け取る事が出来た。
さあ今度は届いたCD−Rを持ってKinko'sに行く。
と、ここでまた問題発生。
マイクロソフト・パブリッシャーの「PUB」と言うファイルは受け付けてくれるのだが、色々使っている日本語のフォントが無いと言う。
万事休すと思った所で、Kinko'sのおねえさんが作戦を教えてくれた。
それによると、インターネットからKinko's.comに行ってファイルの変換ソフトをダウンロードすると、何でも印刷できる様になるのだそうだ。
私はクウォリティが一番気になったが、とりあえず家に戻って試してみる事にした。
ソフトをダウンロードしてインストール。
パブリッシャーの印刷出力先をそのソフトにすると、「KDF」と言うファイルに変わる。
そしてその先はなんとオンラインでオーダー。
最初にアカウントを作らなければならないが、配達もしてくれるし、全米どこのKinko'sでもピックアップが出来るのだ。
勿論近所でピックアップ出来る様にして、コンファメーションを見ると、3時間後には出来あがるとの事だったので夕食にした。
しかし1時間後には電話がかかってきて、Ready to pick up。
再びKinko'sへ行くと、
「本当にたった1枚なの?」
と何人もの店員に聞かれた。
最終的には1000枚はプリントするが、とにかくちゃんと日本語が読める状態かを見たかったので、とりあえず1枚だけお願いしていたのだ。
確かにオンラインでアカウントも作り、電話で出来あがりも知らせてくれて、大きな封筒に入れてくれて、たった1枚、15セントでは向こうも商売にならなかったのかもしれない。
出来あがりはとても鮮明だったので、ちゃんと説明して、紙の色も指定して、1000枚オーダーしてきた。
明日の朝には刷り上る。
これで一安心。
雨の匂いがしたと思ったら、さっとシャワーが振り、また蒸し暑くなた。
11月27日
昨夜半から降り出した雨は南風に乗って激しく窓をたたいていた。
朝になっても街は雨で真っ白く見え、あちこちに大きな水溜りが出来ていた。
朝kinko'sに取りに行ったブローショアを、家でせっせと折りたたんでいった。
「ハワイの歩き方掲示板」にコンピュータ・ウィルスの情報が載っていた。
実はこれ、私のところにも届いた。
添付ファイルは勿論開けなかったが、このウィルスは本文を見ただけで感染してしまうらしい。
マカフィーと言うアンチ・ウィルスのプログラムを使っているので、早速スキャンしてみると、虫を一匹捕まえた。
本当に虫を捕まえているような絵が出てくるので可笑しいが、最近はウィルスにやられたと言う話をあちこちで聞くので注意したい。
知らない間に感染して、知らない間に自分の住所録にあるアドレスにメールを使ってウィルスを送ってしまう。
しかも今回のウィルスは、クッキーから最近閲覧した掲示板などに乗っているメールアドレスにもメールを送りつけてしまうらしい。
もしも不信なメールが来た覚えがあるようなら、下記のサイトに行ってオンライン・スキャンをかける事をお勧めします。
http://housecall.antivirus.com/housecall/start_jp.asp
最初にコンポーネントをダウンロードして、該当個所(普通はハードディスク)をチェックして、「検索」をかけます。
結局一日中雨は降り続いた。
部屋の中が湿気て、再び古いレイから香りが立ち込めている。
11月28日
雨はほとんど上がったが、空は雲に覆われていた。
500枚ほどのブローショアを畳み、両手の指の指紋が無くなっている。
メインのクリスマスカードの印刷は日本で行っているので、それが私の手元に届くまでは小休止。
さてカハラのタワーレコードで、とうとうテレサ・ブライトの新しいアルバムを手に入れた。
ジャッジーで気だるいテレサの歌声はとても気持ちが良い。
一緒に買ったのは Sting の 「...all this time」 と言うライブ・アルバム。
1985年、Police からソロ・デビューした Sting が最初に出した 「The dream of the blue turtle」 はLAにいた私の脳みそを直撃し、いまだによく聞くアルバムの一つである。
その Sting がホストを務め、今年9月11日にイタリアで開いた音楽祭のライブ版。
歴史に残る日となった9月11日に、彼はライブを行うかどうか散々迷ったらしい。
そしてこのアルバムは、犠牲者に捧ぐと言う意味で開催された当日の魂のこもったパフォーマンスを感じさせてくれた。
風が弱くなったので蒸し暑い。
11月29日
久しぶりにスッキリと晴れ、清々しい天気だった。
明日から1週間は少しツアーが入っているので、準備の買い物と洗車に行った。
KTの新しいアルバム「Heaven's Shore」が日本から届いた。(Mayちゃん Big Mahalo!)
”Merry Christmas from Hawaii”
と言うサブタイトルのついたこのアルバムは、ハワイのミュージシャンとのデュエットや、ハワイの有名なクリスマス・ソングを収めた、まさにハワイ風のクリスマス・アルバムである。
このアルバム、ハワイ州の観光局にも評価され、KTの認識が高くなっているようで、
「ハワイに移って10年目にして、やっと夢だった『ハワイと日本の掛け橋』的な役割ができそう」と、
嬉しそうなメールがKTから来ていた。
ハワイっぽくて、大人っぽい、素敵なアルバムです。
ちょこっとお手伝いをしただけの私の名前が、「Special Thanks」のクレジットに入っていたのはとても嬉しかった。
月が明るい。
11月30日
久しぶりにツアーの仕事。
今日はマカプウ・トレッキングとカイルア・ビーチピクニックのコンビネーション。
朝方さっと振ったシャワーに虹がかかり、家を出ると大きなダブルレインボーが見えた。
9月にもハワイにいらしたばかりのお客さんは、相変わらずの人の少なさに驚いていた。
九州の銘菓「ひよこ」を頂いた。(Big Mahalo!)
さて、ワイキキには少し雲が残っていたが、島の東端のマカプウ上空はスッキリと晴れ、雨の心配は全く無さそうだった。
トレイルの入り口近くで工事をしていた。
この辺り、カイヴィ地区をハワイ州が買い上げて、自然保護をしながら開発すると言っていたので、その最初の工事かもしれない。
歩き始めるとすぐ、上空に大きな鳥「イヴァ」が2羽飛んでいるのが見えた。
モロカイ島が見えるようになると貿易風が気持ちよく吹き付け、汗を乾かしてくれる。
一昨日までの雨はこの辺りにもかなり降った形跡があり、乾き始めている地面のあちこちから、何かの植物の双葉がたくさん顔を出していた。
夏場に比べて遥かに緑は多くなった。
頂上に着くと、マカプウ灯台が綺麗にペイントし直されていた。

スナックのスパム結びは好評だった。
往復で20名ほどの人とすれ違った。
下山後はワイマナロの「KENEKE」でランチを仕込み、カイルアビーチへ。
いつものライフガード近くの定位置辺りは、シャベルカーが砂を均していて近づけなかったので、少し左よりのアイアンツリーの木の下に陣取った。
食後は一泳ぎしようかと思ったが、風が涼しくて諦めた。
相変わらずあちこちで海亀が時々顔を出していた。
カネオヘ方面の海上では、いまやウィンドサーフィンよりもカイトサーフィンの方が遥かに多い。
しばらく昼寝をしていたお客さん達も、涼しくなってきたと言うことで早めに切り上げて、残り時間はカハラモールに行くことにした。
お客さん達はこの後、ホテルでハワイアン・キルトを習うそうだ。
私は夜、大ちゃんの家にパソコン教室に行った。
メーラーの使い方とヒントを教えた。
そう言えばこの数日、ウィルス・メールがたくさん来る。
覚えのあるアドレスからだったりもするが、送信元アドレスの表示の前にアンダーバー( _ )がついているのですぐわかる。
必ず添付ファイルがついているのだが、メール自体も開けずにすぐに削除。
どうやら随分流行っているらしい。
先日はオンライン・スキャンのサイトを紹介したが、あれでウィルスが発見された方は、次のソフトをダウンロードして駆除していただきたい。
http://www.trendmicro.co.jp/esolution/solutionDetail.asp?solutionID=3368
小さなソフトなので、自分が感染しているかわからないという人も、一応インストールしておいてはどうだろうか。
月が眩しい。
前のページに戻る
ご感想などございましたら、社長の個人ホームページ「じゅにーK's Website」掲示板までどうぞ。
「じゅにーK's Website」
ホームに戻る