ハワイ日記2001年10月



10月1日

貿易風が強くなり、薄雲がかかり、気温はあまり上がらなかった。

銀行、郵便局、車のメンテナンス、買い物。

マイクロソフトからインターネット・エクスプローラーのヴァージョン6.0が出たと言う通知が来たので、早速ダウンロードした。

うちのロードランナーなら全部で20分くらい。

コンピューターを再起動すると、すぐに立ちあがった。

実は私のPCは最近立ち上げの時に訳のわからないエラーメッセージが出て、「OK」を数回クリックしなければならないと言うちょっと不安定な状態だった。

ところがIEのニューヴァージョンを入れたらこれらのメッセージが出なくなっただけでは無く、最近すっかり認識してくれなかったスキャナーも繋ぐ事が出来るようになり、思わぬ所で色々解決してしまった。

で、ダイアモンドヘッドクラブのホームページのフォトギャラリーを更新して、お勧めハワイアン・ミュージックのコーナーも「癒し系」を二つ増やした。

日本でスピードの早いADSLが普及すれば、今は「ちょっと重い」という評判の多いDHCのホームページにも、もっと写真を増やしたり、動画も載せたりしたいと思っている。

10月2日

朝一番で、ワード・アヴェニューのニールブレイズデルセンター近くの修理工場に行った。

昨日アポイントメントを取っていてすぐに終わるはずだったのだが、結局午前中一杯かかり、その間ジャック・イン・ザ・ボックスで本を読んでいた。

ナンだか久しぶりに読書がはかどった。

午後は家の掃除。

明日日本から母がやってくる。

世界中を旅行した事がある母もハワイだけは初めて。

息子がいるのに何故?と思うかもしれないが、ハワイに来てからもなかなか落ち付かなかった息子の姿を見るのが嫌だったのだろう、と、勝てに解釈している。

夕方、東京のアロハ・カフェのマスター、oahuさんとワイキキで会った。

いつも最近の日本のインターネット事情や、コンピュータ情報を聞かせていただき、大変参考になる。

タバコのお土産を頂いた。(Big Mahalo!)

夜は洗濯。

明日は母を空港に迎えに行った後、すぐにダウンタウンの役所に行く用事があり、母が出てくる時間によってはしばらくダウンタウンをぶらぶらしてもらう事になるかも知れない。

満月が明るい

10月3日

7時15分着の予定が6時40分に早まったので、7時過ぎにはホノルルエアポートに着いていた。

レイを買った後、「全ての車のチェックがある」と言うことだったが、警備員にチラッと外から見ただけでパーキングにすんなりと入れた。

個人の到着ロビーは人もまばらで、観光教会のスタッフがフラダンスで迎えていたが、ナンだか寂しそうだった。

飛行機は早く着いたが、入国や税関で時間がかかっている様でなかなか出てこない。

撮影のコーディネーターをしている先輩に会った。

テロ事件で仕事のキャンセルがたくさん入り、今日は今の所今月唯一のお客さんの撮影スタッフのお迎えと言うことだった。

彼が先に空港を後にすると、しばらくして母殿登場。

4年ぶりのお袋は元気そうで安心した。

この後にダウンタウンのお役所とアポイントメントがあり、まだ朝の渋滞の続くフリーウェイを一度家まで帰っている時間が厳しかったので、そのままダウンタウンに直行した。

アポの時間までは少しあったので、カメハメハ大王像やイオラニ宮殿を案内して、ちょっとした市内観光。

この先がチャイナタウンだと説明して、パーキングのメーターが切れる頃にコインを補充して欲しいと母に頼み、私は役所へ行った。

用事が済み、車に戻ると丁度母も戻ってきたので、ようやく家に連れてきた。

お土産の山がカバンから出され、持ってきてくれた日本そばで昼食を取った後、2時間ほど昼寝をした。

起きると取り敢えずダイエーに行った。

食材の他、台所用品などを買い込み、家に戻ると早速手料理の準備を始めてくれた。

一段落着いた所でもう一度出掛けた。

ビタミン剤を買いたいと言うのでダウン・トゥー・アースに行き、ついでにお香なども仕入れてから、ワイキキを通ってカイマナビーチに連れて行った。

普段よりは全然人も少ないカラカウア通りを母は「シンガポールみたい」と言っていた。

夕方でローカルが一泳ぎしに来ているカイマナビーチでは、ゆるい貿易風にそよぐヤシの木の葉の音や波の音を聞きながら、夕焼けに染まる水平線とシルエットになったサンセットクルーズの船たちを見てもらった。

さあ、戻っていよいよ夕食。

ビールで乾杯した後、久しぶりのお袋の味に感激しながら、すごいスピードで食事をして、最高の満腹感を味わった。

その後、デザートに「東京バナナ」を食べながら、お袋とお茶を飲んで、自分の原点を見直した。

しかし、生鮭持ってきたのには驚いた。

月が明るい。

10月4日

今日はKTファンツアーとサンセットツアーのコンビネーション。

お客さんはKTファンツアー実現の為に色々とご協力頂いたmayさんと、ご同僚、そしてKTファンのお友達よしりんさん。

掲示板にも遊びに来て下さっているよしりんさんは、私がカイマナビーチホテルのアートギャラリーで働いている時に店に来て一度会っていたそうだ。

ナンとその時に一緒に取った写真を見せてもらった。

LAからやってきたばかりで、エラク若い自分の姿に恥ずかしくなった。

皆さんから大量のお土産を頂いてしまった。
(Big Mahalo!)

今日は一人で解説をしなくてはならず、どうなるかなと思ったが、前回前々回でスラッキーから聞いたことを再現して行った。

天気は最高だったので、最初のカイマナビーチで時間をゆっくり取った。

コオラウ山脈には雨雲がかかっていたが、マカプウに回ってウィンドワードサイドを見てもクアロア付近まではシャワーの心配はなさそうだった。

ワイマナロのベローズビーチに行くと、小学生の自然教室が開かれていて、子供達がビーチに落ちている木の実や葉っぱ、貝殻やサンゴのかけらなどを集めていた。

クアロアを過ぎても、時々道路が少し濡れていることはあったがシャワーには遭わず、晴天の中をKTミュージックを聞きながらドライブした。

フキラウビーチではトイレが無いので、前回よりタートルベイ・ヒルトンホテルに寄って借りる事にしている。

しかし実はここもKT関連の場所なのである。

サンセットビーチは3〜4フィートの波が上がり、今日はのんびり泳いでいる人はいなかった。

ワイメアも少し濁ってはいたが、飛びこみ岩には人がいた。

ランチの為ハレイワ・アリイ・ビーチに行くと、人はまばらだった。

ビーチパークのピクニックテーブルは我々以外に人は無く、広い静かな公園のモンキーポッドツリーの木の下で、貿易風を浴びながら皆でシュリンプカレーを食べた。

サンセットビーチにサンセットを見に行く為、先にドールプランテーションに行き、戻ってハレイワタウンでゆっくりと自由時間を楽しんでもらった。

私はノースショア・マーケットプレースに行って、サーフショップのストロングカレントで車に張り付けるステッカーを買い、しばらく読書をした後、少し昼寝をした。

集合時間少し前にトイレに行っておこうとポリネシアン・トレジャーズの方に歩き出すと、お客さん達が戻ってくるのが見え、一緒にいるのはマツモト・シェイブアイスのスタン・マツモトだった。

どうやらmayさんはスタンとも知り合いで、しばらく一緒にいたようだった。

お客さん達がマーケットプレース内を見始めてからしばらくスタンと立ち話をした。

やはりテロの影響でお客さんが減って大変だそうだ。

最後はサンセットビーチ。

今日は綺麗な日没が見れた。

そして帰りの夜景も喜んで下さった。

ファンツアー用に作った資料には、このツアーに参加して下さった方のサインを書いて頂いているのだが、その数も増えてきてとても嬉しい。

さて、今日は家に帰ると母が夕食を作ってくれていた。

急いでシャワーを浴びて、今日も腹一杯ご飯を食べた。

今日一日何をしていたのか尋ねると、まず朝私が出ていってから掃除をしたそうだ。

男の一人暮らしにしては綺麗にしていると自分では思っていた私の家も、母から見たら満足がいかなかったらしい。

台所や風呂場などが自分の部屋では無いように綺麗になっていた。

「嫁がいれば失礼だからやらない」と言っていたが、これは嫁をもらえと言う意味なのだろうか?

掃除をした後、ホノルル美術館に行き一時間半ほど中を見て、帰りには今度はタイムスに寄って買い物をして帰り、食事をして少し昼寝をしてからファブリックマートに行ってついでにダイエーにも行き、その足で家の前を通りすぎてクラフト・サプライにも寄り、家に戻って料理を始めてから足りない物に気付いてまたタイムスまで行ったと言う。

しかも移動は全て徒歩。

ハワイ滞在2日目にしてこの行動力。

御見逸れいたしました。

食後はお袋と一緒に飲んだ。

夜は風が止まって暑くなった。

10月5日

朝は少しゆっくりして、昼前から母をマカプウ岬のトレッキングに連れて行った。

カラニアナオレ・ハイウェイの路肩に駐車している車は少なく、往復でたった4組の人にしかすれ違わなかった。

お喋りをしながらスタスタと登り始め、最初に海が見下ろせて貿易風が海から直接吹き付ける場所に立つと大感激してくれた。

展望台でも色々感想を聞かせてくれた。

上で水だけ飲んで一息つくとすぐ下山。

家に戻ってシャワーを浴びて、素麺で昼食を取った後、母のリクエストでアラモアナ・ショッピングセンター。

別に買いたいものは無いそうなのだが、妹に頼まれた物があり、日本で友人や同僚に行く事を勧められたと言う。

私の家からは車で5分程の場所だが、年にほんの数回しか行くことは無く、行ってもサテライト・シティー・ホール(市役所の出張所)や白木屋くらい。

ブランドショップが並ぶメインのエリアには数年足を入れた事が無かった。

ま、久しぶりに見学してみようと母と一緒に歩いた。

そこでビックリしたのは昔と変わらずの人の数。

ワイキキだけを見るとテロ事件以来本当に日本人が少なくなったなぁと言う印象だったのだが、ここの様子を見てかなり安心した。

数軒の店を覗いた他は、結局頼まれ物と、ロングス・ドラッグスでアロエのジェルなどを買っただけで、1階から3階までを2時間ほどで歩き通し、「若い女の子なら喜ぶかもね」と言って戻ってきた。

夕食はマイランに行った。

ここでもお客さんは日本人ばかりで賑わっていて、オーナーのサムさんも忙しそうにしていた。

ベトナム料理は初めてと言う母にも私のお気に入りのメニューは好評で、最後にサムさんがマンゴーをデザートに出してくれて更に大喜びしていた。

時間が早かったのでその後にタンタラスの丘に登り、ワイキキの夜景を見てもらった。

香港やシンガポール、ヨーロッパでも夜景を見ていると言う母も、ハワイの落ち付いた夜景には感心していた。

家に戻ってもまだ胡麻豆腐を食べ、更にメロンまで食べてしまった。

あー、お腹一杯。

10月6日

今日は母をサークルアイランドツアーに連れて行った。

マキキを出発する時は薄曇りだったが、カラニアナオレ・ハイウェイからココヘッドの先には青空が見えたので、裏オアフは晴れているといいなぁと思いながらいつもの様に花や木を解説していった。

サンディービーチ、マカプウビーチと晴れたり曇ったりだったが、土曜にしてはどこも人は少なく、ワイマナロのベローズビーチでもゆっくりと寛ぐ事が出来た。

ベローズビーチでは私がいつも使っている、ラグの重石にする石や、先日の説明に使ったヤシやククイの実がそのままおいてあるのに感心してくれた。

曙のお母さんの店では、来週の頭に戻ってくる予定だと聞いていたアンティー・ジェンがいつもの椅子に座っていて、私が「今日は私のお母さんを連れてきたよ」と言うと喜んで一緒に写真を撮ってくれた。

ここからクアロアまでのドライブでは何度かシャワーにもあったが、シラサギやマイナ・バード、カージナルなどが戯れるクアロア・パークに着くと晴れ間が広がってきた。

そしてその後の東海岸沿いのドライブでは、眩しく光るエメラルド・ブルーの太平洋を見る事が出来た。

サンセットビーチには「遊泳禁止」の看板が立ち、4フィートを超える波が上がっていた。

ワイメアのショアブレイクも大きな音を立てて崩れていて、さすがに飛び込み岩に人はいなかった。

すっかり天気の良くなったハレイワも良いサイズの波が上がっていて、ローカル・サーファー達が集まっていた。

波乗り見物をした後、アリイ・ビーチパークのモンキーポッドの木の下でシュリンプ・カレーのランチを食べた。

母も美味しいと言ってくれた。

その後はハレイワ・タウンで散策だが、いつもはお客さんとは別行動の自由時間になるが、今日は少し私も一緒に付いて行った。

最初にマツモト・シェイブアイスに入るとTシャツを物色してお土産用にと数枚購入。

続いてワイランド・ギャラリーでは大きなラッコの絵が気に入り、私にいくら位か店員に聞いてみてくれと言われたが、さすがに怖くて、物凄く高いよとだけ答えた。

その後私が車を移動させている間にオーシャンズ・イン・グラスなど覗いていたようだが、ほとんど買い物はしていなかった。

パイナップル畑を見せた後、ドールプランテーションでは私のお勧めのお土産を購入。

パイナップルのアイスクリームも食べた。

フリーウェイの混雑も無く、パールハーバーを見下ろしながらH-1を走り、今日はスペシャルでこの木ナンの木のモアナルア・ガーデンに寄った。

少しブラブラして写真を撮って、帰りには昼間のタンタラスに登った。

昨晩の夜景とは違う、ダイアモンドヘッドを中心とした風のさわやかな丘の上で、夜はよく見えなかった月下美人の蕾や、更に上の展望台にも行って空港やダウンタウンの景色も見てもらった。

実際にどう言う事をやっているのかわからないから今まで人に紹介しなかったと言う母も、このツアーなら紹介したいと言ってくれた。

喜んでくれたようで安心した。

夜はアラモアナの「大亀」に行って寿司を食べた。

そして帰宅後、最後の晩でお袋と語り合った。

夕方上がってきた風は夜にはまた弱くなってしまった。

10月7日

まだ外が暗いうちに起きて、日本に帰る母を空港に送って行く為に支度を始めた。

CNNをつけると、とうとうアメリカの報復が始まったと言う。

続いてブッシュ大統領のテレビ演説が始まった。

空港の警備が更に強化されているということなどを色々私が訳して説明するが、私より遥かに肝の座った母は「あら、そう」とだけ言って、出発を30分ほど早めた。

空港には銃を持った州兵の姿はあったが、緊張感などは全く感じられなかった。

9月11日以来利用者が少なくなっているのでチェックインのレセプションも混雑は無く、これなら時間通りに来ても良かったなと思った。

普段はセキュリティーゲートの先にも見送りの者は入れるのだが、今は搭乗券を持った者しか入れないので、ここでお別れ。

手を振る母を見送っていると、X線検査で早速引っ掛かっている。

しばらくカバンの中を見られている様子だったが、少しするとこちらに戻ってきた。

「どうしたの?」と聞くと、「これ、あげる」と言って私に何かを手渡してすぐにまたゲートの中に入って行った。

ナンと、折りたたみのハサミが入っていたのだ。

おいおい・・・。

早起きしたので家に帰ってから少し昼寝をした。

夜、無事に家に着いたと言う母から電話があった。

本やビデオ、お菓子に、冷蔵庫に入っている大量の食料で当分は楽しめそう。

親子の関係にも今まで変遷があったが、今が一番良い状態なのではないだろうか。

これから私は再婚に向けて動き出したい。

戦争が長引かない事だけを祈っている。

10月8日

今ハワイに遊びに来ている日本人の友人で、将来ハワイに永住を考えているKさんと会った。

干物などのお土産を頂いた。(Big Mahalo!)

ハワイアン・フードを食べた事が無いと言うので、「Yama's」に行ってハワイアン・プレートを買おうと思ったのだが、行ってみると「OPEN」のサインが出ていない。

時間的にはまだ閉まる時間では無く、近づいて見ると張り紙がしてあり、店舗が移転したと言う。

しかもすぐそばで、以前「岩瀬書店」という本屋さんがあったところ。

行ってみると店内も広くなっていて、しかもローカル色は残っていてイイ感じ。

カルア・ピッグとロミサーモン、タコ・リムポキ、ポイにハウピアと言うセットを二つ買って私の家で食べた。

久しぶりだったので話も弾み、楽しい夜だった。

風が安定しない。

10月9日

今日でとうとうこの「ハワイ日記」をつけ始めて一周年となった。

思い起こせばDHCのお客さんから、日記をインターネットでつけてみてはどうかと勧められて、人の日記なんか誰が見るんだろうと思いながらも、ちょっと調べてみると、意外にも日記をメインとしているサイトは多く、中にはなかなか面白い物もあった。

「電波少年」や「雷波少年」でも日記が出版されたり、確かに人は「日記」を通してどの様に生きているのか、何を考えているのかを、自由意思の中で表現する事が出来る。

しかし私は極限状態の中でサバイバルをしているのではなく(ある意味ではサバイバル)、貧乏してはいる物のハワイでツアーガイドと言う楽しい仕事に付いている。

興味を持ってくれる人がいるのかどうかは半信半疑のまま「ハワイ日記」を2000年10月9日にスタートした。

私がハワイに来てから覚えたハワイについての知識や、アメリカ生活の中で起きる変わった事、そして毎日の仕事中に接するオアフ島の自然の様子を自分の視点から書き綴って行った

恥ずかしさもあって友達にはなかなかこの事は言わず、Dragon Townの「新着日記」やGaiaxのログ機能を使い、そして以前のお客さんにメールを送って少しづつ読者を増やして行った。

すると予想以上にカウンタも上がり、始めて5ヶ月の3月には1万HITを達成し、6月には2万、一日のHIT数も100人を超えて、ここからダイアモンドヘッドクラブのサイトにいらして下さる方も増えて行った。

「ハワイ日記」を見て、ツアーにお申し込みを下さる方の数も増え、5月の連休からは例年に無い忙しさが続く事になった。

ツアーで初めてお会いしたお客さんも、その後日本に帰ってからハワイの様子を少しでも感じている事が出来るし、私としてもリピーターの為にトレードウィンドの気持ち良さが文章で少しでも伝われば良いなぁと思って書くようになった。

ハワイ系のサイトには、ワイキキを中心としてお店やお土産の情報の所が多いが、ある意味では私の所の内容は人によっては価値が無く、それこそいい大人がネコと遊んだとか、お客さんにお土産頂いたとか、ま、その辺りは「日記」と言う物の性質上仕方ないと思って、私も気にせず書いてきたのだが、掲示板以外にもメールなどで反響を頂く事があり、そのどれもが「癒し」というテーマだった。

元々ハワイと言う場所が人を癒す所であり、それをわかっている人がリピーターには多く、その気持ちを満たす(癒す)為のツアーを企画しているので、結果的に日記にもそのような物になって行った。

実際私の常連のお客さんには、悩み持ちが多い。

ストレスを抱えて、またストレスの溜まる仕事に就いている人も少なくない。

私もハワイに来るまではストレスの固まりだった。

ハワイに来てからも辛い事、大変な事は少なく無かった。

しかし自然に接する事によって癒される、自然治癒力は凄い。

リズムを変えた時に感じる事の出来る精神的落ち付き。

自分を見る余裕。

物事に対する姿勢や受け入れ方が全然変わった。

えひめ丸事件の時は取材の手伝いの仕事が出来たが、9月にテロ事件が起きると、現地の情報を知りたいと言う人からのアクセスが増え、3万HITを越えた。

1999年7月にスタートしたダイアモンドヘッドクラブのホームページのカウンターをも抜き、一時は一日のHIT数も200を越えていた。

このサイトを通じて色々な人に出会う事も出来た。

今年の元旦に、半年先が読めない人生をずっと送ってきて、この半年前と今の状況で一番違うのは、このサイトしかないと書いたが、今年前半と比べて今は何が違うだろうか。

今後はどうなるかわからないが仕事は上向いて来ている。

しかしドラマチックに変わっている訳ではない。

実は先日母が来た時に、この夏前から付き合いを始めた彼女の話しをした。

これが半年前とは全く違っている私の状況だ。

人生は面白い。

更に半年後にはどうなっているのだろう?

夜風が気持ち良い。

これからも宜しくお願いいたします。

10月10日

ベン・カエタノ、ハワイ州知事が日本に行って、危機的状況にあるハワイの観光産業の後押しをする為、「ハワイに来て下さい」と訴えたと言う。

曙や高見山も一緒だったと言うが、「ハワイは安全です」とちゃんと言ってくれたので、これから私もどんどん宣伝して行きたい。

州知事もおっしゃる様に、ハワイは安全です。
皆さん来て下さい!

さて夕方、友人とまたマイランに行った。

5日前に行ったばかりだから、やっぱり「また」だろう。

今日はハワイ在住の友達と日本からの友達で男ばかり。

いつも頼む物は大体同じなので、今日もさっとオーダーを済ませ、出てくるとあっという間に食べてしまい、30分ほどでデザート・マンゴーも食べて出てきた。

その後は久しぶりにWAI WAI HAWAIIの鍋会に出た。

子供二人を含めて11名とちょっと寂しかったが、ハワイ在住で久しぶりに会った人もいて色々話しが出来た。

オーストラリア在住でハワイに初めて遊びに来て、今後ハワイに移って来たいと考えている方もいらしていた。

夜半からシャワーになった。

10月11日

同時多発テロが発生して丁度一ヶ月が過ぎた。

いまだに煙を出しつづけているニューヨークのワールド・トレードセンター・ビルでは、まだ行方不明者の10分の1しか発見されておらず、やはりいまだに24時間体勢での瓦礫の撤去作業が続いている。

飛行機が激突した後、何度もその場面がテレビで放送され、小さな子供達が、また別の飛行機が激突したと勘違いして怖がると言うことで、しばらくは全米で放送を自粛していた激突シーンからビルの崩壊シーン、直後の現場のシーンなどがこれまでの1ヶ月の経過と共にCNNなどでも久しぶりに放送されていた。

日本のニュースでは毎日激突シーンが流され、武器やミサイルの説明。

日本のマスコミはただエキサイティングな素材を繰り返し使うだけで、被害者や子供達に対する配慮は全く見られない。

フロリダでは炭そ菌の感染を事件としてFBIが扱うと言っているが、日本ではなぜか天然痘のワクチンを急遽製造し始めたと言う。

かつて日本が経験した事の無い生物科学兵器テロに備えると言うが、サリン事件は立派な科学兵器テロだったのではないだろうか?

色々な角度から対応を取っているアメリカに対して、日本の状態はあまりにもお粗末に感じる。

この戦争はアフガニスタン内のテロリストの拠点を潰すと共に、アフガニスタン国民への人道的援助、タリバン政権崩壊後の秩序の確立までがパッケージになっている。

そしてFBIが警告している様にどこかでまたテロが発生するのを未然に防ぎ、アフガニスタン以外のテロリストの拠点などを一掃するまで終わらない。

テロ組織はアルカイダだけではなく、アメリカだけが常に狙われている訳でもない。

ただ、国際理解が得られているので、今後は同様にテロに対して国際的に協力をして軍隊を発動するケースが増えるだろう。

人類の歴史において、人間の戦いは常に領土を求める物だった。

日本でも戦国の内戦の時代から、国がまとまると他国への侵略、国際紛争になり、2つの大きな大戦を経て一応は平和が訪れた。

冷戦後は核戦争の危機も少なくなり、戦争を放棄した日本は、アメリカの影で経済戦争を戦ってきた。

しかし地球上ではいまだに内戦で戦っている国もあれば、隣国同士で戦火を散らしている所もある。

テロ事件前に散々騒がれていた「京都議定書」の批准問題もどこ吹く風、地球が危ない状況にあると言うことの自覚が世界規模では持てないのだ。

地球がまとまる。

今までの領土を対象とした戦いを続けていたら、宇宙人が侵略してくるまで地球はまとまらなかっただろう。

しかし、今回、テロリズムと言う破壊主義に対して地球がまとまるかもしれない。

これが私が見つけ出した、今回の戦争に対する唯一のプラス思考だ。

結局いつ終わるかわからないと言うことは、各自がテロの脅しに対して、勝つか負けるかなのだろう。

さて、今日は久しぶりにマキキに住む友人のチルちゃんの家に遊びに行って、下宿中のMALIちゃんも一緒に皆で食事をした。

二人は上手くやっているようで安心した。

しかし全くキャラの違う二人なので、お互い良い刺激になっているのかな?

風が弱く少し蒸している。

10月12日

今日は朝からホノルル・エアポートに行った。

日本から友達の大ちゃんが帰ってくる。

夫婦でハワイに住んでいたのだが、トラブルに巻き込まれて、一度家財道具を引き払って日本に戻っていた。

8ヶ月ぶりの大ちゃんはとても元気そうだた。

来週からの仕事の話しを既に日本でまとめているそうで、新しい部屋が決まるまでは私の家に居候する事になっていた。

奥さんは落ち付いてからハワイに戻ってくると言う話しで、先に彼が一人で戻ってきた。

空港から家に戻る途中でダイエーにより、写真付きの部屋探しアド・ペーパーをピックアップして、ジャック・イン・ザ・ボックスで朝ご飯を買って帰った。

大ちゃんは早速物件を物色して電話をかけ始めた。

「このアパートには今、空きはないの?」と聞かれたので、私も大家さんに電話してみると、「あなたの部屋の隣が空いてるわよ」と言われた。

なんとハワイ大学の学生カップルはいつのまにか引っ越していたのだ。

私の部屋の隣が空いていると言うことにビックリした大ちゃんも、色々考えると夫婦でこのアパートに住むのは手狭な様で、またまだ足が確保出来ていない状態では通勤が大変。

私が、先に中古車でも見付けた方がどうかと言うと、とにかく先に部屋を何とかしたいと言う。

実は私の所には、月末にはまた違う人が来る予定なので、10日ほどで部屋を探せば良いと思っていたのだが、ナンと奥さんは来週にはハワイに戻ってくると言う。

随分と計画性に欠けるなぁと思ったのだが、取り敢えず通勤に近いワイキキに一月ほど仮の部屋を借りて、その間にゆっくり部屋や車を探すつもりらしい。

と言うことで、早速ワイキキの不動産屋に行く。

今日は陽射しが強く暑かった。

部屋を見て来た大ちゃんは、少し迷いながらも、先に電話屋に行こうと言うので、携帯電話の契約に行った。

一度家に戻って、素麺で昼飯を取り、やはり色々迷っていた様だが、結局先ほど行ったワイキキの部屋を借りる事にして、不動産屋に電話をした。

明日は土曜日なので今日中に鍵を取りに来て欲しいと言うことで、再びワイキキへ。

結局私の部屋には一泊もすること無く、新しい寝床を決めてしまった。

ちょっと拍子抜けした私だが、取り敢えず奥さんが来てからゆっくり部屋探しが出来るので、よかったのだろう。

更に夜には大ちゃんから電話があり、近場の足として自転車も購入したと言う。

8ヶ月ぶりのハワイ初日にしては上出来だろう。

街のレインボーシャワーもそろそろお終いだ。

10月13日

既に車探しを始めた大ちゃんから電話があり、うちで夕食を取る事になった。

車は取り敢えず中古を探しているが、当たりハズレがある為に慎重になっている様だ。

昨日借りた部屋は1ヶ月だけの予定だが、生活を始める為に、私が預かっていた物を引き取りたいと言う。

彼を迎えに行く時に、ステレオと炊飯ジャーを私が持って行った。

これらを降ろすと、預けているサーフボードを引き取る為にカパフルの知り合いの所に行って欲しいと言う。

私が預かっているボードも持って行ってくれると言うが、果して私の車に乗るのかどうかが不安だった。

カパフルでピックアップしたロングボードは9フィート(2m70)で、ナンとか車内に積む事が出来た。

私の部屋で夕食を取りながら日本での話しを聞かせてもらった。

20年も日本で仕事をした事が無かった彼は、8ヶ月の間に5つほどの仕事を経験したそうだが、やはり無意味に感じる決まり事と、日本式の人間関係に苦労した様だ。

そんじょそこらの若造には絶対に負けない肉体と体力の持ち主である彼も、年齢制限と言う壁で力仕事が出来なかったり、時間潰しにしか思えない下らないミーティングの数々、また何故か漢字のテストがあったりしたのには参ったと言う。

久しぶりに話しが盛りあがった後、私が預かっていたサーフボードと鍋類などを運んだ。

と言っても既に9フィートのボードが車内に積んである為、鍋類はともかく、もう一つの10フィートのロングボードはルーフトップのキャリアーに載せるしかない。

サーフボード用の固定具を持っていないので、ロープを探してきて縛り付ける事に決めた。

しかしまず、エレベーターに載せるのにかなり苦労した。

私の家に運び込む時にも苦労はしたが、ちゃんとエレベーターに載せた実績はあるので、色々な角度で試してみるが、終いにはエレベーターの天板が外れそうになったりして、私もホコリまみれになった。

ナンとかルーフトップに縛り付け、いざ移動すると、今度は彼のアパートの方でエレベーターに入らない。

結局セキュリティーを呼んで、建物のストレージに置いてもらう事にして落着した。

ちょっとした引っ越しだった。

大ちゃんは明日久しぶりに波乗りに行くと言う。

イイ感じの夜風が出てきた。

10月14日

アメリカ人には頭痛持ちが多い。

何かと言うとアスピリンだとか、タイレノールだとか、バファリンとかよく飲んでいる。

私はほとんどこの手の薬には世話になる事がないのだが、今日は右目の後ろが痛くて頭痛薬を飲んだ。

ビデオとかパソコンの見過ぎによる眼精疲労だと思うのだが、家の薬箱にあったのは「タイレノールPM・エクストラ・ストレングス」という夜用の頭痛薬で、昼過ぎに飲んだら目が覚めたのは夜11時だった。
さすがに強力。

空腹に耐えられずラーメンを作り、1時にはまた寝た。

10月15日

先週末に携帯電話のハンズフリーキット(イヤーピース)を買ったのだが、今日携帯の会社AT&Tから先月分の明細が届き、その中に「ハンズフリーキット無料」のクーポンが入っていた。

領収書とクーポンを持ってカピオラニのAT&Tに行った。

お金を返してくれた上に新しいのをくれた。


日本から小包が届いた。

先日の長嶋さんの退任セレモニーを含む、最後の2試合と特別番組などのビデオ。

やっぱり泣けた。

強力なカリスマがいなくなり、今後の巨人は大変だと思うが、これからも応援して行きたい。


長嶋さんのビデオを見ている時、アパートのメンテナンスのロミオと言うおっちゃんが来た。

実は先日アパートの窓の一斉点検があった。

ナンでもダイアモンドヘッド側の窓の下にある駐車場に、どこかの部屋の窓ガラスが割れて落っこちたと言うのである。

私の部屋の窓ガラスにはヒビなどの異常は無かったのだが、もし何か物がぶつかって割れた場合、下の駐車場が危険なのでこれから修理をする事になった。

確かにスクリーンがあるので、羽根窓の隙間から物が落ちることは無いが、羽根窓自体が割れたらそのまま下に落ちることもありえる。

今日は仮の補修の為にロミオが来た。

フィリピン系のこのおっちゃんは、アパートのメンテナンス係で、入居の際に世話になって以来、時々見かけると挨拶をするのだが、かなりブロークンな英語を話し、何を言っているのかさっぱりわからないこともある。

ベッドルームとバスルームの窓のスクリーンを外してから、羽根窓をグルグルとダックテープで巻いていった。

言葉で説明するのが難しいが、とてもアグリー。

早くちゃんと直して欲しい。

しかし、このアパートが築何年かわからないが、今までこれが問題にならなかったことの方が驚いた。

ついでに他の所も直して欲しいと頼んだので、明日も来るかもしれない。


キング・ストリートで信号待ちしている時、レインボーシャワーの木から残り僅かになった花びらが、開け放った運転席の窓からひらひらと一ひら舞い降りて、私の膝に落ちた。

10月16日

夕方ノースのY夫妻が遊びに来た。

ワイキキのエージェントに挨拶に来た帰りだと言う。

普段スカイダビングの稼ぎ時である9月は例年の3分の1ほどしかお客さんが来ず、今月に入っても日によって極端に少ない日が多いそうだ。

ほとんどお客さんのいなくなってしまったセスナやヘリコプターの体験操縦などに比べればまだマシだと言うが、エージェント側もイメージ的に安全そうなマリンスポーツを売る事に力を入れているようだ。

ノースでは最近泥棒が増えているらしい。

しかも一般家屋を狙った空き巣の被害が相次いでいるそうだ。

リストラなどで仕事が無くなった者が増えた上に観光客が少なくなり、レンタカーが減ったのが原因だと言う。

スカイダイバーの家でも被害があったそうだ。

テロの影響はこんな形でも現れている。

高い雲が出てあまりはっきりとしない天気だった。

10月17日

眼精疲労がなかなか直らず、家にいてもテレビは勿論パソコンもなるべく見ないようにしている。

Lutein と Bilberry と言うのが目に良いと聞いたので、ダウン・トゥー・アースにサプリメントを買いに行った。

ここの丁度目の前の三角地帯、サウス・キング・ストリートとサウス・ベルタニア・ストリートがわかれる地点に巨大な鳥居が出現した。

実は先週の土曜日に初めて気付いたのだが、その時は全て銀色で、宗教的と言うよりイベントの大道具と言う感じだった。

今日はそれがほとんど真っ白に塗られていた。

ここに神社などは無く、どう言う目的なのかもわからない。

しかしこの辺りはモイリイリと言って、100年ほど前には人口の8割が日本人および日系人だった所で、当時から花屋が多かった為「ホノルルの花の都」とも呼ばれていたそうだ。

かつての日本人街でハワイ日本文化センター(JCCH)もここにあり、そう言う意味では純日本風の鳥居があってもおかしくはないのだが、やはりいきなりこんな大きな物が出来た事に皆不思議がっているに違いない。

完成したら写真を撮ってきたい。

日中も雲が多く、パラパラとシャワーが降る事が多くなってきた。

雨季も近い。

10月18日

今日は朝から陽射しも抜け、気温も上がった。

出掛けたついでにアラモアナ・ビーチに行った。

サーファーはいたが、沖の波は小さくなり、夏の終わりを感じた。

更に沖では大きな船が何艘か見えた。

えひめ丸の船内捜査が行なわれているのだ。

いつものように泳いでいると、これもまた最近ではいつものようにカメが顔を出した。

テレサ・ブライトが新しいアルバムを作ったと聞いたので、帰りにタワー・レコードに寄るが、発売はまだで、代わりにウィリーKのCDを買って来た。

こちらも最近出たアルバムで、「Awihilima : Reflections」という名前。

ジャケットのダイアモンドヘッドがカッコ良くて買ってしまった。

この数日、パソコンも最小限、テレビもニュースだけで、夕食後は部屋の明かりを更に落として音楽ばっかり聞いている。

今日は夜風とハワイアンが気持ち良い。

10月19日

テロ事件以来不振の続くハワイのホテル業界で、アストンがローカル向けにテレビCMを流している。

カマアイナと言う住民割引を利用して、アストン・ホテルに来て下さいという内容なのだが、これが面白い。

「今日はワイキキで遊ぶぞー!」と、ぞろぞろとやって来たローカルのファミリー。

チェックインをしようとすると、フロント・クラークが「カマアイナ割引で予約が入っていますので、IDを見せてください」と言う。

どっからどう見てもローカルのファミリーなのだが、「これでローカルだってわかってくれる?」と後ろからお父さんがフロント・クラークの女性に最初に差し出すのはアイス・ボックス。
いわゆる飲み物を入れるクーラー。

きょとんとする女性の前に、今度は一人が履き込んだサンダルを脱いで出す。

「これでどう?」

「ダメダメ。」

と、次はお母さんが炊飯器。
更に子供達がスパムの缶を出して、最後は女性達がハワイアンジュエリーのジャラジャラとついた腕を出す。

これ、ハワイの事情がわからないと全然面白くないが、ローカルを知っていれば笑いが止まらない。

今日はまた薄雲の多い一日だった。

10月20日

久しぶりのツアーはトレッキングのダブルヘッダーだった。

WAI WAI HAWAIIからのご紹介でいらした超ハワイリピーターのお客さんは、海の遊びにはあまり興味が無く、前からトレッキングがしたかったそうだ。

今回も数日前にダイアモンドヘッドに登っていらしたらしい。

勿論初めてではなかったそうだが、他に登りたくても丁度良いツアーが今まで見つからなかったのだそうだ。

で、今日はまずマカプウ岬。

土曜日で人が多いかなと思ったが、往復ですれ違ったのは20人ほどだった。

少し雲はあったが貿易風も気持ち良く、水平線にモロカイ島を見ながら調子良く歩いた。

頂上の展望台からマカプウの海を見下ろすと、カヌーが4艘木の葉の様に浮かんでいた。

風に逆らって岬を回りこもうとしている様だった。

今朝は早く出発しているので、休憩もそこそこに下山。

途中珍しく日本人のハイカーとすれ違った。

下に降りるとすぐに移動。

次はマノア。

朝家を出る時にぱらっとシャワーがあったので天気が心配だったが、ユニバーシティー・アベニューの出口でH-1フリーウェイを降りると、コウラウ山脈に雨雲は少なかった。

マノアの住宅街を抜けてパラダイス・パークを過ぎれば、もうすっかりジャングルの雰囲気になる。

トレイルの入り口の外にも車が停まっていたので、ここは人が多いのかと思ったが、逆に奥には駐車スペースが余っていた。

デング熱も気になるので虫除けスプレーを入念に。

既に小腹が減っていた私は先にお結びを一つパクリ。

さて2本目。

こちらはアメリカ人以外にも観光客がほとんどで、30人ほどの人とすれ違った。

日本人はゼロ。

奥に入っていくとまだ道の乾いていない所があり、少しぬかるんでいた。

ワイヒ・ストリームのせせらぎの音が気持ち良く、鳥の鳴き声も森にこだましていた。

マノア・フォールズに到着しても、前回落石があったので上ばっかり見ていた。

ヨーロッパからの観光客が寛いで休憩していたが、我々は写真を取ると引き返してきた。

車に戻ってリヨン樹木園に移動。

いつもはボランティアのようなおばあちゃんが受付をしてくれるレジストレーション・センターは、今日はハワイ大の学生と思われる若い女の子がいた。

熱心に説明してくれるので、しょっちゅう来てますとは言えずに、最後まで聞いてしまった。

ピン・バッチをもらってから六角堂(私が勝手に呼んでいる)でランチ。

今日はお結びを3種類買って来た。

テリヤキチキンむすび、ホットドッグむすびとスパムむすび。

家の近くのセブン・イレブンでいつも買ってくるのだが、ABCのスパムむすびより美味しいと言うご感想を頂いた。

さて、最後にアイフアラマの滝を目指して樹木園に入って行った。

マカプウと比べて風が弱く少し暑かったが、雲が出て来て陽射しが弱かったので助かった。

今日も途中でグアヴァを試食。
自然の恵みでビタミンC補給。

滝に到着すると写真をパチリ。

ここはいつもより水量が多く、周りのコケから滴る雫も光っていた。

森林浴をしながら最後にインスピレーション・ポイントに寄って、駐車場に戻ってからグアヴァ・ジュースで喉の乾きを癒した。

今日はよく歩いた。

家に帰ってからシャワーを浴び、明るいうちからビールを飲んでリラックスした。

夕方からまた風が出て来て、三日月も気持ち良さそうだった。

10月21日

洗濯しながら本を読んだ。

「旅は道づれ アロハ・ハワイ」という本で、著者は高峰秀子・松山善三夫妻。

1982年に「旅は道づれ アロハ・オエ」というタイトルで出た物の再刊だそうだ。

まだまだハワイが「夢のハワイ」と言われていた頃に、仕事で来たり、バケーションで訪れたり、10年もアパートを借りたりして、ローカルの生活や文化・自然と接し、ハワイの歴史にも踏み込んでいる面白い内容だった。

勿論ハワイに住むツアーガイドとしては常識的な事も多く、花や鳥は当然今も同じ。

しかし当時の女優としてのリッチな生活振りや、ディープな人脈はとても興味深かった。


さて、先日眼精疲労の事を書いたら、色々な方から掲示板やメールで御見舞と目に良い対処法を教えていただいた。

皆さんにご心配おかけした様だが、お気遣いいただき本当にありがとうございました。

おかげ様で調子は大分良くなってきました。

夜イギリスのケニーから久しぶりに電話があり、やはり開口一番で「目の方はどう?」と聞かれた。

ナンだか世界中に心配かけてしまった様だ。

テレビやビデオは減らせるけど、パソコンに向かう時間だけは無くせないので、明日にでもパソコンショップに行って目にやさしいスクリーンを買って来ようかな。

10月22日

カピオラニ・ブルバードのコンピュータ用品の店「Comp USA」に行った。

目を保護する為のモニター・スクリーンを買う為だが、調査によると日本では1万円から1万5千円位するそうで、値段が気になった。

ブランド品はやはり60ドルから100ドルほどしたが、Comp USAのオリジナル品が33ドルで売っていたので早速購入した。

その後明日のツアーに備えて洗車場に行った。

並んでいる車は少なかったが、列が進むのがとても遅い。

テロと不景気の煽りでここでもリストラがあったらしく、人手が少なくなっていた。

また風が弱くなった。

10月23日

朝家を出るとダウンタウンに大きな虹がかかっていた。

今日はKTファンツアー。

ハワイは7回目と8回目のご姉妹で、共に古くからのKTファン。

天気も良く、最初のカイマナビーチではいつもの様に老人達が日影で楽しそうにたむろしていた。

ダイアモンドヘッドビーチは2〜3フィートほどの波。
今日はどこの波が大きいだろうか。

ハワイカイでは沖にパラセイリングは上がっていたが、ジェットスキーはほんの数台で寂しそうだった。

ハナウマ湾の入り口を過ぎると、キラキラ光る海とモロカイ島が見えてきた。

サンディービーチの波は小さく、ブギーボーダーの数も少なかったが、赤旗だけはしっかり立っていた。

マカプウ岬を回ると気持ちの良い貿易風が海から吹き上げてきた。
断崖のパークエリア。

4フィートを越える透明な波がビーチに寄せていた。

ワイマナロビーチにはほとんど人は無く、平日とは言え貸し切りのような状態だった。

しかしいつ見ても美しい。

久しぶりだったにもかかわらず、ラグが風で飛ばないように押さえる為に私がいつも使っている「My Stone」がいつものアイアンツリーの根元に置いてあった。

潮の香が近づくウィンドワードのシーサイドをドライブすると、所々で道路が濡れていた。

シャワーが降って時間が経っていない様だが、我々の上空には青空しか見えなかった。

プナルウ、ハウウラと海はどこもエメラルドブルーに輝き、フキラウビーチでは白い砂の上をローカルのベテラン・カップルが散歩して行く様がとても絵になっていた。

タートルベイ・ヒルトンに入る手前で目の前をマングースが横切り、一瞬冷っとした。

なんであいつら車に向かってくるのかな?

サンセットビーチの沖に波は無かったが、ショアブレイクは人が泳げるような感じではない。

しかし人は多く、ほとんどが白人の観光客だった。

目の粗い砂に足を取られながらビーチを歩き、お腹も空いてきた所でランチのハレイワ・アリイビーチに向かう。

L&Lドライブインでシュリンプカレーを仕込んで戻ると、お客さんがマツモト・シェイブアイスのスタンと立ち話をしている。

KTとも親交の深いスタンが、KTファンのお客さんと知って話しかけたのでは無論無い。

いつものルーチン・ジョブ、日課のナンパである。

ハレイワを中心にノースショアをブラブラして、女の子がいれば流暢な日本語で話しかけている。

ナンパと言っても、スタンには日本人の奥さんがいる。

ノースショアの親切でお節介なオジサンと言った所か。

私の事を見つけて手を振っていた。

アリイ・ビーチパークは貸し切りだった。

モンキーポッドの木は5月と10月に花が咲く。

季節外れに咲くのもたくさんあるが、今日は薄赤紫のふわっとした花が随分目立っていた。

その大きな木の下、貿易風の中で食べるランチは今日も好評だった。

ハレイワ・タウンの散策の時間が終わる頃、ノースショア・マーケットプレイスに再びスタンが現れた。

今度は私と立ち話。

観光客が減って暇なのかなぁ?

カメハメハ・ハイウェイを南下、約3週間ぶりに見たいつものパイナップル畑では、実が更に大きくなっていた。

H-1フリーウェイの渋滞もひどく無く、KT三昧のファンツアーは調子よく終わった。

テロ事件後に始めて一ヶ月のツアーだが、既に10名の方に参加していただいた。

年末には昨年同様にKTのカウントダウン・ライブがワイキキで行なわれ、それに伴うファンクラブのツアーも企画されている様だが、それとタイアップしてスペシャルKTツアーをやらないかと言う話も来た。

私は構わないのだが、実は既にスケジュールがほぼ一杯。

今年は元旦初日の出ツアーを企画したが、今年の大晦日の昼夜、来年1月2日の昼夜が仕事なので、来年の元旦はゆっくりしたい。

どうなるかな?

10月24日

風がほとんど無く、薄雲が広がり、夕方はシャワーがあった。
とても蒸し暑い。

10月25日

今日も風が弱く薄雲の広がる一日だった。

10月26日

風はまだ弱かったが、雲は無くなり良いお天気だった。

夕方カピオラニ公園を散歩しに行った。

ワイキキ・シェルでは何かイベントがあるようで、バンドが練習をしている音が聞こえた。

花も残りわずかとなったレインボーシャワーの木が、少年・少女サッカーで賑わう公園の隅でピンク色の花びらを揺らしていた。

西日を浴びたダイアモンドヘッドが美しかった。



カイマナビーチパークのベンチに座ってサンセットを見た。

雲が赤紫色に染まり、沖のヨットをシルエットに映し出していた。


10月27日

日本の熱帯夜のような昨晩の熱さとは打って変わって、今日はとても涼しかった。

夜半から降り出した雨は朝になっても止まず、その後も一日中降ったり止んだりの、まさに雨季のお天気だった。

フリーマーケットにでも行こうかと計画していたが、これでは無理。

さて、ハワイ系ウェブサイトの「WAI WAI HAWAII」が突然廃止になってしまった。

数あるハワイ系サイトの中では、内容も濃く、特に管理人のHASEさんのお人柄で、なんでも親身になって相談や質問が出来ると評判だった所だ。

私も会社のホームページをリンクさせていただいた事からHASEさんと知り合い、WAI WAIで企画していた「水曜鍋会」にもよく顔を出させていただき、ハワイ在住者と観光者の交流の場として楽しい時間を過ごしたものだ。

WAI WAIでは鍋会の他にもバーベキューパーティーやチャット、メールマガジンにメーリングリストまで幅広く活動を行なっていて、私もサイト・スタッフとして掲示板やメーリングリストでご協力させて頂いていた。

今回のサイト廃止はHASEさんの本職の方のご都合によるものなのだが、日米の考え方の違いなども影響した様だ。

メーリングリストには既に400名を超えるメンバーがいて、HASEさんを中心に毎日ハワイをテーマにした多くのメールをやり取りしていたのだが、やはり廃止を惜しむ声は多く、メーリングリストの機能だけは存続させて、私が管理人として引き継ぐ事になった。

一介のツアーガイドにはWAI WAIの全てを引き継ぐ事は不可能だが、HASEさんがまた新しいサイトを作って復活する時まで、400名のメンバーの為にアンダーグラウンドとなってしまったWAI WAIのメーリングリストの管理人として、またテロ事件以降元気のなくなっているハワイの為に頑張りたいと思う。

10月28日

雨はすっかり上がり、気持ちの良い空だがトレードウィンドがとてもガスティーな日曜日だった。

昼過ぎに家を出てダウンタウンに向かう。

ヌアヌ・アヴェニューの駐車場に車を止め、海沿いの大通りまで散歩した後、ハワイ・シアターに行った。

今日はケアリイ・レイシェルのコンサート。

1990年代にリノヴェイトされた古い劇場は500人ほどのキャパシティーで、オペラハウスの縮小版と言った感じ。

久しぶりのハワイアンコンサートだったが、客層はローカルの白人が多く、年齢もかなり高かった。
ちょっとおしゃれして行って正解。

あまりソロコンサートを開かないケアリイだが、今回は「KUKAHI2001」と言うタイトルで昨日までの2日間の夜と今日の昼興行の3日間行なわれた。

前後半1時間ずつのコンサートは、良く演出され、全編にフラダンスが織り交ぜられ、とても素晴らしかった。

ケアリイの歌声と彼のハラウのフラダンスに見とれて、素敵な時を過ごせた。

その後ケエヒ・ラグーン・パークに行って、夕方の公園を散歩した。

風が強かったせいか、日曜日にしては人も少なく、マイナバードやブルブルがのびのびと遊んでいた。

10月29日

午後からオアフ島の最西部ヨコハマ・ベイ・ビーチパークに行った。

ホノルルを出る時にはまだ強い風が時より吹いていたが、コオリナを過ぎてワイアナエ山脈の影に入るとすっかり風は収まり、気持ち良く晴れ渡った空と、輝く海がとても綺麗だった。

ヨコハマベイは相変わらず人が少なく、時より3フィート以上にあがるショアブレイクで遊ぶ者も今日は誰もいなかった。

ライフ・ガードの黄色いボードが置いてある、遊泳区域には白人のカップルが一組いただけで、彼らも程なく帰路に着いてしまった。

その後貸し切りとなった海で遊び、サンセットを見て帰った。



夕食は焼肉が食べたくなった。

外食なら「カメリア」とか「ソウル」とか言う店の名前が出てくるのだが、最近圧力鍋で炊いたお米が美味しくて、家で食べたくなった。

で、ダイエーに寄ってポータブルのカセット・コンロを買った。

家で焼肉や鍋物、お好み焼きなどをする時には必需品だが、今まで持って無かった。

家で食べる焼肉は外で食べるより全然良かった。

あーお腹一杯。

10月30日

ハワイカイのコスコに行った。

帰りに駐車場に来ていたレナーズのワゴンでマラサダを食べて来た。

明日の仕事に備えて洗車に行った後、食材をダイエーで買って、夕方早くに家に戻った。

実は今日はNBA(ナショナル・バスケットボール・アソシエーション:北米プロバスケットボールリーグ)の開幕日で、ただ今2年連続で世界一のロスアンゼルス・レイカースの試合がテレビ放映されるのが5時半からだったのだ。

LAレイカースは私が中学校でバスケをはじめた時からのファンで、この2年間は最高の時を過ごしてきた。

今年も行くぞ!と応援にも熱が入ってしまう。

実は今日は東部ニューヨークでは、あのマイケル・ジョーダンが、自らオーナーのワシントン・ウィザースの選手として2度目のカンバックをした日でもあった。

この試合は更に早く行われたので、私はコスコの大型テレビのコーナーで試合の一部を見ていた。

38歳にしてNBAの選手として復帰すると言うのは凄い事だ。

レイカースの試合前もそうだったが、今アメリカの国技(バスケ、野球、フットボール)の試合前には長いセレモニーがある。

9月11日のテロ事件の犠牲者と救出活動・復旧活動に当たっている消防士・警察官たち、そして今戦地で戦っている者達に対しての追悼、感謝、激励のセレモニーである。

今日のレイカースの場合は昨年度の優勝リングの授与式、優勝バナーの掲揚式(泣けた)と、それは長いプレゲームだった。

やっと試合が始まると、待ってましたとばかりに初戦を飾り、幸先のよいスタートを切った。

昼間上がった貿易風も夜には収まった。

10月31日

今日はトレッキングのツアー。

お客さんは2組2名さま。

共にハワイ20回以上の超ベテラン・リピーターで、お一人はダイアモンドヘッドクラブも2回目。

マノア・フォールズへのトレッキングの予定だったのだが、ワイキキでもパラパラと降っていたシャワーはトレイル入り口で激しくなり、ここを断念。

場所をタンタラスの丘の反対側のマキキ・ループトレイルに変更した。

トレイル入り口は晴れていたが、一応雨合羽を持って出発した。

歩き始めるとすぐにこちらにもシャワーが降ってきたが、さほどの量では無く、またここは足場もマノアに比べてしっかりしているので、合羽を着て歩き続けた。

例によってここは韓国系の人達が多くハイキングを楽しんでいて、8名ほどの人とすれ違った。

足場を注意しながら進んだのでゆっくりと景色を見る余裕が無かったが、森の奥で鳥達がさえずっているのが聞こえ、途中遥か海の方角にワイキキのビルディングが見えた。

グアヴァの木もたくさん実を落としていて、幾つか拾って割って食べてみたが、今日はどうもすっぱいのばかりだった。

何度か休憩はしたが、座って落ち着けるような状況ではなかったので、普通2時間かかるところを1時間半ほどで一周してきた。

駐車場に戻ると晴れて来たので、ここでゆっくりスナックのスパム結びを食べながら、サイン帖に書き込みをしていただいた。

同じメンバーで夜はナイトドライブツアー。

今日はハロウィンで、米本土に比べれば冷めているこのお祭もワイキキだけは別物である。

かなり早く家を出たにもかかわらず、ワイキキの激しい渋滞のおかげで、ツアーのスタートが遅れてしまった。

パールシティーの公園はいつもの様にひっそりとして貸し切り。

満月の下、静かな夜景を見て頂いた。

さて渋滞が収まっている事を願いながらフリーウェイを降りたのが10時半。

ベルタニア・ストリートからカラカウア・アヴェニューに入ると、ワイキキ方面はさっきよりも激しく詰まっていた。

パレードやクリスマス前でもここまでは詰まらない。

普段5分から10分でワイキキに入る所を、ノロノロと2時間以上もかかってしまった。

歩いたって30分はかからない。

最後のお客さんをホテルにドロップしたのは12時半過ぎだった。

来年からはハロウィンの夜は休業です。




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