ハワイ日記2001年9月



9月1日

久しぶりに少しゆっくりした。

泳ぎに行こうかと思ったが土曜で混雑の事を考えると気が失せた。

CNNでは新宿歌舞伎町の火災のニュースをトップで報じている。

私も大昔にはこの辺りで遊んでいた事がある。

そう言えば、こんなところで火事が起きたらヤバイなと思ったこともあった。

消防法や営業の届け出まで違反していたらしいが、こんなビルが東京のど真ん中に平然と存在していると言うのはアメリカ人にはショックだった様だ。

発展途上のアジア諸国でこう言った事件が起きるのと、先進国と認められているはずの日本で起きるのとでは意味が全く異なる。

結局行政が見過ごしていた事が原因ではないだろうか。

イギリスのケニーからこんなジョークが送られてきた。

映画タイタニックのような場面。

船が沈んで行く中で、救命ボートが限られている。
当然、女性と子供が優先される。
つまり乗れない男性は、飛び込む(死ぬ)事になる。
その決断の時、男達は説得される。

まずイギリス人は、『あなたは、ジェントルマンですね?』だそうだ。

アメリカ人は、『あなたは、ヒーローになれます。』で納得したらしい。

ドイツ人の場合、『これがルールですから』でジャポン!

さて日本人は?

答えは『皆さん そうされてますから』だそうだ。

何とも悲しいジョークではないか。

本当に楽しいとか面白いとか、良い事だとかではなくて、他の人もやってるからと言う発想は自分の時間をどんどん無駄にしている様にしか思えない。

ハワイに来ても、皆がワイキキのビーチにいるからと言ってそこから動かないのは、ワイキキがハワイだと思ってしまっているからだ。

実際に、小さな子供の頃に「南の島」という物をイメージしたら、あんなに人ばっかりのビーチは出てこないはずだ。

結局テレビなどによって与えられた情報だけで自分を満足させてしまっている。

日本人一人一人が自分の考えを持つのはいつの日になるのだろう?

皆はワイキキだけど、自分は裏オアフの風を浴びて癒されたいと言う考えを持つ人を、私は応援したい。

9月2日<

晴天の中、6名のご家族をサークルアイランドにお連れした。

ところが出発後間もなくのカハラで一番小さなお子さんが泣き出した。

私の声が大き過ぎたのかとも思ったが、どうも体調が良くなさそう。

一度車を停めたが、本人が「もう大丈夫!」と言うので再出発。

しかしサンディービーチでは車から降りる事も出来ず、ここで皆さんと打ち合わせて、このお子さんとお母さんはワイキキに戻る事にした。

と言ってもビーチでタクシーを呼ぶのは大変なので、取り敢えずワイマナロのスモウ・コネクションで曙のお母さん:ジャニスさんに頼んだ。

お母さんは心配して、「店の中でタクシーが来るまで休んでいなさい」と言ってくれた。

ここからは残る4名で島を回った。

アメリカは明日がレイバー・デイの休日で、3連休。

夏休みの最後という事で、ローカルビーチはどこもこの夏最高の人出だった。

空も海もとても綺麗で、貿易風も気持ち良く、泳いだり、釣りをしたり、BBQをしたりと、ローカル達は思い思いのスタイルで休日を楽しんでいた。

お客さんは、「混んでると言っても、日本より全然マシ」とおっしゃっていたが、ハレイワの公園では今日はさすがにピクニックテーブルを見つけられず、ロイヤル・ポインシアナの木の下にラグを引いてプレートランチを食べた。

ドールプランテーションは空いているなぁと思っていたら、後から大型バスが何台も到着して急に大混雑になってしまった。

観光客は連休を利用したアメリカ人が多い。

今日は一度もシャワーに遭わず、日曜日で帰りのフリーウェイも空いていて、気持ち良く仕事を終えた。

でも途中で戻られたお子さんはちょっと心配。

夜は綺麗な満月が上がった。

9月3日

今日のナイトドライブツアーのお客さんは、ロイスダールのお菓子職人さんとモデルの奥さん。

奥さんは先月もハワイにいらして、トレッキングに参加して下さった。

今日はお土産をたくさん頂いてしまった。(Big Mahalo!!)

パールシティの公園には先に1台車が止まっていたが、すぐにいなくなりまた貸し切りだった。

やはりタンタラスの丘には行かれた事があると言うお二人も、パールハーバーからエバにかけての落ち付いた夜景と、ワイキキの喧騒を離れた静かな雰囲気にはとても喜ばれていた。

月は雲間に見え隠れしていたが、そのうちに雲が広がり、最後はシャワーが落ちてきた。

夜風は気持ちが良かった。

9月4日

この数日となりのマイクとヨランダの家がとても静かで、ウブも見ないしソフィアと言う赤ちゃんの泣き声もしなかったので、反対の隣の家の住人で、マイクと友達のマットに廊下で聞いてみた。

すると、マイクが学校に通う為にカイルアの親の家に引っ越したと言う。

詳しい事はよくわからないが、ウブはいなくなってしまった。

最近ウブちゃんファンも増えてきていたのに残念。

さて、夕方のワイキキの写真を撮って来た。









これでもっと人が少なくて静かだったらイイのに・・・。

9月5日

朝一番でダウンタウンのお役所に行った。

拍子抜けするくらいすぐに終わってしまったので、一度家に帰ってアラモアナビーチに行き、気合入れてしばらく泳いだ。

例によって沖に向かって泳いで、リーフで一休みしてるとすぐ近くでカメが顔を出しビックリした。

昼前にはうちに戻り、PC立ち上げるとイギリスのケニーがIM(インスタント・メッセンジャー)立ち上げているようなので、しばらくチャット。

ハワイは午前11時、イギリスは夜の10時だった。

ちょっと遅れていた会社のホームページのフォトギャラリーを更新。

CDのコーナーもアップしようとしたら、スキャナーが動かず夕方まで悪戦苦闘。

でもやっぱり駄目。

午後のホノルルはシャワーが降っていた。

シャワーも上がり、夜は久しぶりにWAI WAI HAWAIIの鍋会に出た。

子供3人を含む15人が出席していた。

雨上がりの夜風は涼しくて気持ちが良かった。

9月6日

今日はノースショアツアー。

コオラウ山脈にはいつもの様に少し雲が架かっていたが、ワイキキからハレイワまでずっと天気は良かった。

ビーチでのプレートランチをご希望という事で、ハレイワに到着すると早速散策をしていただいた。

写真が撮りたくなり、ハレイワのレインボーブリッジを写した後、ボートハーバーの入り江の堤防まで歩いて行った。





実は最近ここの岩場に野良ネコが住み付いていると言う噂を聞き、様子を確かめに行ったのだ。

堤防の先端にいた車が一台出て行った。

その車が止まっていたところにネコが集まっていた。



古い看板で作った雨よけの下に簡単なエサ箱があり、15匹ほどのネコが集まってエサを食べていた。

どうやら今出て行った車に乗っていた人が、エサを与えた所の様だった。

私が近づくと痩せた大人のネコは岩場に隠れてしまったが、数匹の子ネコが甘えてきた。

しかしやっぱりエサが気になる様で、他のネコ達の中に戻って行った。

これだけの数となると捨てられたネコも多いと思うし、人間の善意が無ければ生きては行けないだろう。

ちょっと悲惨な気がして可哀相だった。

さてプレートランチを仕込みにL&Lドライブインに行くとまたまたスキューバダイブのダニヤンに会った。

昨日の鍋会でも会ったのだが、彼は私より先に帰ってしまったのにもかかわらず、私が帰った後に夜中の1時まで飲み会が続いていたと言うことを知っていた。

私はお客さんをピックアップしてアリイ・ビーチパークへ移動。

芝刈りをした後で、緑の匂いのする広い公園のモンキーポッドの木の下で、貿易風に吹かれながらのランチタイム。

食後に少し休憩し、その後はリクエストで早めにドールプランテーションに向かった。

迷路に挑戦するそうだ。

私はパイナップルジュースを飲みながらベンチに腰掛けてしばらく読書と思ったのだが、次々と顔見知りに声をかけられはかどらなかった。

帰りの渋滞は思ったよりも少なく、今日はとても夏らしい一日をお客さんも楽しんで頂けたと思う。

9月7日

ハワイの公衆電話がまた値上がりするそうだ。

2年ほど前に25セントから35セントに値上がりしたばかりなのだが、携帯電話の普及によって公衆電話の利益が下がったのが主な理由だそうで、今度は50セントになるそうだ。

確かにカマアイナの携帯電話普及率は上がっているが、小さなボロのアパートの集まるロークラスのエリアではいまだに公衆電話に列が出来ていることもある。

携帯電話を持たない観光客などにとっても負担が増える。

特にデフレの起きている日本から見れば、3年前の2倍に上がった電話料金と言うのは信じ難い。

実際に公衆電話の調整作業を行なわないと値段の設定が変わらないそうで、年内にはヴェライゾン社のすべての公衆電話が50セントになるのだが、早い場所は来週から変わるそうだ。

公衆電話の値上がりはハワイだけではなくて全米規模の動きなのだが、完全先払い制で、お金かテレフォンカードを入れないと全く使えない日本の電話に対して、アメリカの公衆電話はコレクトコールも使えるし、クレジットカードが使える物もある。

また市内通話は基本的にかけ放題。

一般家庭の電話でも市内通話はかけ放題で、基本料金に含まれている。

結局このインフラストラクチャーの違いがアメリカのインターネットの普及と発達を助けてきた。

日本でも少しづつ、つなぎ放題の高速インターネット環境が進んでいる様だが、それを上回る携帯電話のインターネットは小さな国土だからこそ実現した日本独特の世界なのだろう。

昼間は雲も少なく抜けるような青空が広がった。

風は弱いが夜は過ごし易かった。

9月8日

日本への出稼ぎの後、今朝ホノルルに戻ってきた日本人ミュージシャンのKTから、時差ぼけ解消のお昼寝後、夕方電話がかかってきた。

夕食はこれから家族でと言うことだったので、その後にハワイカイの彼の仕事部屋で久しぶりに会う事にした。

この半年間、何度かハワイに帰って来れそうなチャンスはあったのだが、その度に仕事が入って時間が作れなかったそうだ。

日本では千葉の波乗り仲間達と、リラックスする時間を持っていたと言う。

娘さんも大きくなり、稼いだお金は全て娘が持って行くとも言っていた・・・。

丁度近くのヤシの木が、繁った葉をすぐ横で鳴らす高さの彼の部屋で、ヒナノビールをご馳走になった。

我々が会わなかったこの半年間で、二人の周りの人間関係が微妙な所で繋がって行った事がわかり、運命の不思議を面白がった。

KTファンツアー用に作成した資料にサインをしてもらった。

サインを見るとさすが芸能人、カッコイイ。

夜中まで盛り上げってしまったのだが、帰る頃ハワイカイは激しいシャワーが降っていた。

カラニアナオレ・ハイウェイを西に走り、H-1フリーウェイをマキキで降りると、雨はすっかり上がっていた。

9月9日

週末の巨人戦は、最後の意地を見せてもらった。

夜中に手に汗握って応援した。

最近はハワイでもテレビで巨人戦が見られる様になったが、日本のオフィスで仕事中の友達とチャットするなんて言う事まで出来るようになった。

インターネットに繋がっていれば、簡単なソフトをダウンロードするだけで、相手がパソコンを立ち上げているかどうかがわかる。

ハワイと日本は時差がある為に、日本で昼間仕事をしている人が夜帰宅しても、既にハワイは夜中でチャットをする事は難しい。

今までは週末の時間があった時だけにチャットをしていた友人が、オフィスでもソフトを入れて環境を整えたので、時々平日にオンラインする事が多くなった。

向うは勿論上司に見つからない様にこっそりと話しているのだが、今日は台風の為に定時で退社の帰宅命令が出たと言って喜んでいた。

ハワイは9月に入ってやはり暑くなった。

風が弱い。

9月10日

夕方郵便を出しに行くついでにタイムス・マーケットに寄った。

ビールが切れたのでコロナ・ビールを買って帰ろうと思ったのだ。

10アイテム以下のエクスプレス・レーンは長い列が出来ていたが、奥の一般レーンはそうでもなかったので、そこに並んだ。

元々列運が無いのでどこに並んでも一緒なのだが、すぐに私の番になった。

顔馴染みのレジのブレッシュデルが、「さっき表であなたの事、見つけたわよ」と言った。

「ああ、郵便出してたんだよ。」

「先にこっちに来なきゃ駄目じゃない!」

「だってビール買ったら重たくなるジャン」

すると「また飲むの?」と怪訝そうな顔で聞いてきた。

そう言えば前にビールを買った時、彼女に「これ全部飲むの?」と聞かれて、「ほとんどはね」と答えた事がある。

どうも彼女はビールが好きでは無いようだ。

というのは冗談で、しょっちゅう弁当などを買っている私の事を心配してくれているらしい。

「自分で全部飲むの?」と聞かれたので、「そうだよ。一緒に飲む?」と言ったら照れていた。

家の前のピンク・テコマにまた花が咲いた。

9月11日

三つある目覚し時計のうちの一つ、アラームクロックラジオがいつもの様にKKLVのノリの良いアイランドミュージックを流してくれるはずだったが、陽気なDJ達が緊張した様子で喋っているので目を覚ました。

寝ぼけた頭でテレビをつけると、スーパーニュースで台風15号の被害の模様を報じていた。

ああ、これか。
被害が出たんだなぁ。
と思ってみたが、どうもおかしい。

チャンネルをCNNに変えるとトレードセンタービルが燃えていた。

飛行機がビルに激突して行く映像を見て震えた。

テロだとすると軍事基地の多いハワイは標的になる可能性もある。

もう一度ローカルラジオに耳を済ますと、全ての基地ではセキュリティーコードが「デルタ」と言う最高厳戒体勢だと言う。

米国政府関係の建物はクローズ、アラモアナセンターがクローズ、軍内の学校もクローズ。

しかし他の学校はオープンで、外では子供の声も聞こえている。

近くの工事現場のカッターの音も聞こえてきた。

やっぱりニューヨークとハワイは遠いなと思って、支度を始めた。

ニューヨークから放送している米国版のスーパーニュースは、事件が起きる前なので相変わらず日本の台風の話題だった。

ローカルチャンネルでは空港が閉鎖されたと言うニュースになった。

ホノルルは最後に閉鎖する空港として、日付変更線を越えたアジア方面からの米国向けの便を着陸させると言う。

しかし今日ハワイから帰る予定だった人は足止めされた。

メールをチェックすると、「ハワイは大丈夫ですか」というメールが早くもたくさん来ていた。

ワイキキへ向かう。

今日は2組のご夫婦を連れてサークルアイランド。
1組はKTファンクラブのBBSから。

1組は私が言うまでこの事件をご存知無かった。

しかし、大きなホテルは普段より多くの警備員が目を光らせていた。

オアフ島の交通がシャットダウンされたと言う情報は無いし、お客さんには、軍事施設の周囲で渋滞があるかもしれないが、事件に遭われた方々の無事を祈りつつ、平和を祈願してツアーに出ましょう、と説明して出発した。

曙のお母さんには先日お客さんがお世話になったお礼を言い、アメリカは大変な事になったねと話すと、息子が一人横田基地にいてこれからが心配と言うことだった。

しかしそれ以外は、アメリカ合衆国始まって以来の大惨劇が起きたというのに、いつもの様に海は輝き空は晴れ渡り、マイナ・バードはさえずり、花は笑っていた。

この美しい自然の中にいると人間同士が殺し合いをするのが全く信じられない。

ハレイワではオーシャンズ・イン・グラス(OIG)とサーフィン・ミュージアムが哀悼の意を表わして閉店していた。

車を停めているとOIGのキースが声をかけてきた。

「今日は休みじゃ無いの?」

「そうナンだけど、今朝お袋がハワイに来たんで迎えに行ってきたんだ。」

と、お母さんを紹介された。

お母さんはボストンからLAに、事件より4時間程前の飛行機で移動したのだと言う。

トレードセンタービルでは、遅刻した為に助かったと言う人の話しを聞いたが、キースのお母さんは早い飛行機にして助かったのだ。

帰りはほとんど渋滞が無かった。

ワイキキはいつものような雰囲気のままだった。

家に帰るとチルちゃんから電話。

彼女のダウンタウンのオフィスはビルが閉鎖されていた様なのだが、30階の自分の部屋の窓からはホノルルエアポートを飛び立って上昇して行く飛行機が普段見えるらしい。

あれがこちらに向かって飛んで来る事を考えたら怖い、と言っていた。

証券関係は仕事無し。
到着便が少なかったので、旅行社もグリーターなども仕事無し。

ワードセンター、ウェアハウス、ワイケレ・プレミアムアウトレットがクローズしているそうだ。

既にハワイでも影響は出ている。

空港は明日の正午までは再開しないと言う事だが、再開される保証も無い。

今の所被害者の数を数える機関も無い状態で、これからブッシュ大統領が国としてどう言った対応を取るのかによってもこの先の情勢は変わってくる。

ツアー業にとっては日本からお客さんが来なくなる事が心配。

明日のお客さんは今日ビッグアイランドにいて、明日朝一番でオアフに移動後トレッキングのツアーの予定だったが、少なくとも明日の午後まではオアフには移動出来ない訳で、早くも私の仕事にも影響が出始めた。

今もCNNではCM無しでこのニュースをずっとアップデートしている。

歴史に残る日となった9月11日、911はアメリカではエマージェンシーの電話番号なのだ。

God bless America...

9月12日

ハワイでは午前6時に空港が再開されると言う情報が昨夜入ったので、朝の支度を始めていた。

しかしテレビのローカルニュースでは、既に明日からの再開を期待して空港の職員が帰宅していると言う。

取り敢えずコナの飛行場まで来たと言うお客さんから電話があった。

今日のツアーは無くなった。

ニュースを見ても、被害の状況は依然はっきりしない。

なんともやりきれない気持ちになって、アラモアナビーチに行きしばらく泳いだ。

平日だがパーキングのスペースを探すのに苦労した。

沖にはサイズの良い波も上がっていて、仕事や学校が無かったローカル達がビーチに出ていた。

パラセイリングが上がっているのは見えた。

普段は次々と飛び出して行くホノルル・エアポートの飛行機は一切見えず、一機だけ軍の飛行機が飛んで行くのが目立っていた。

昨日は閉まっていたアラモアナセンターの、シアーズのビジネスセンターで一昨日出来たと言う連絡があった新しい名刺を受け取りに行った。

予定していたメンテナンスの為に、家の近くのガレージに車を出し、歩いて帰ってきた。

日本からはアメリカと私の状況を気遣ってのメールや電話が相次いだが、来週のツアーのキャンセルの連絡も来始めた。

ノースのあっちゃんに電話をすると、ディリンハム飛行場ではスカイダイビングのオペレーションも一切出来ないらしい。

コナで足止めされているお客さんから、宿を確保したと連絡があった。

ワイキキに足止めされている知人からも電話があった。

旅行社から、後2日ほどは帰国出来ないかもしれないと説明を受けているらしい。

ホテル代は皆自腹だ。

そんな中でも商魂逞しいDFSは相変わらず営業しているらしい。

マウイからモロカイ経由でオアフへは船の便が出ているそうだ。

しかし太平洋の真中のハワイでは、飛行機の便が回復する事無しに、生活は安心出来ない。

アメリカの土が奇襲で汚されたと言うことで、各テレビ局は真珠湾攻撃以来の悲劇だと伝えているが、複雑な気持ちながら、これによってアメリカ人がテロに対して団結できれば良いと思う。

これからの予想のつかない影響の事を考えると頭が痛いが、ハワイを含む全米で献血が盛んに行なわれていて、献血所には列が出来ているというニュースを見た。

また、深夜になっても瓦礫と化したワールドトレードセンタービルで救出活動を続ける多くのレスキューワーカー達の姿には、とても感動した。

貿易風はまだ弱い。

9月13日

昨日ハワイ島に足止めされていたお客さんからお昼過ぎに電話があった。

飛行機が飛んでオアフに移動出来たそうだ。

JALや全日空の日本行きの便が数本出発したと言う情報も入った。

KTから電話がかかってきた。

ダイエーで買い物を終えた後、車が無くてツアーも入っていない私のところに遊びに来てくれた。

KTもレコーディングを控えて、日本から来る予定のスタッフのスケジュールが決まらないそうで、グアムのツアーも含めてこれからの事を心配していた。

しかしいつまでも暗くしていては仕方が無いので、昼間から今日は中国のチンタオビールを飲み、それでもCNNやFOXのニュースを見ながら過ごした。

KTはイラストを書く事があると言う情報があったので、ツアー資料にイラストも書いてもらった。

ハワイでの一日、大変な事件が起きた後、行方不明者の無事を祈りながら、平和を祈願した午後が資料に残された。

先日友達からお土産でもらった「ごまどうふ」(YUKOちゃんBig Mahalo!)を出したら、美味しいと言って喜んで食べてくれた。

ニューヨークの従兄弟が無事だと言う知らせがあった。

外では子供の遊ぶ声も聞こえるし、時より飛行機の音もするようになった。

このまま段々と全てが元に戻って行く様にも思えるが、これは事故では無く、ブッシュ大統領は「21世紀最初の戦争だ」と言っている。

飛行機が飛ぶようになっても、日本からは渡航規制が出るだろうし、かつてLA暴動の時に同様の状態を経験したツアー業に携わる物としては生活の危機さえも迫ってくる感じがする。

久しぶりに風が上がってきた。

9月14日

今日日本へ帰る予定だったお客さんから電話があった。

結局ワイキキの別のホテルを確保したと言う事で、今日は帰れない事が決まったそうだ。

コナで足止めされて、更にホノルルも出られない状況が続いているので、夕方食事に誘った。

久しぶりに日本食でもどうかと思い、「山源」でエビ天丼を食べた。

金曜だと言うのに店は空いていた。

明日も朝4時には空港に行くそうで、連日の早起きと、どうなるかわからないと言う事態で疲れているのかと思いきや、本人は至って元気だった。

私にお土産まで頂いてしまった。(PIKIちゃんBig Mahalo!)

ワイキキは歩いている人も少なく、パフォーマー達の姿も見えなかった。

ヒルトンの花火も今日は無かった。

9月15日

今日の朝の飛行機でようやく帰れる予定だったお客さんから昼過ぎに電話があった。

朝の4時には空港に行ったが結局乗れずにワイキキに戻ってきたと言う。

乗る予定のチャイナ・エアラインは日曜と月曜日は出ないのだが、月曜には臨時便が出るらしい。

しかし実際に乗れるのは火曜の便になりそうだと言う。

今回の飛行禁止措置解除後、飛行機会社によって随分対応が違っている。

11日以降で出発できなかった人を順番に帰国させている所と、あくまでも飛行機が飛ぶ日のチケットを持っていた人を優先に乗せている所。

積極的に他社の便に振り替えている所もあれば、到着地によって待たされる所もある。

正規料金の乗客が優先で、ツアーが次、個人手配の格安は最後と言う順番は同じようだ。

ダイアモンドヘッドクラブは提携ツアーを含めて来週予定されていた10程のツアーのうち、半分のキャンセルが入ったが、これは他社と比べるとかなり少ない。

ご本人は行きたくても家族や友人に止められたと言う話も聞くが、最後までハワイを諦めたくないと言うメールを頂くと共に、これから申し込みたいと言うメールも来ている。

天災や事故と違って、遠い東海岸で起きた事でも、これからアメリカ合衆国が戦争を始めるかもしれないと言う状況で、その当事国を訪れる事には色々な心配があるかもしれない。

しかしアメリカが戦争をするのは第二次大戦後初めてでは無く、先の湾岸戦争も記憶に新しい。

実際、パールハーバーから戦艦が出撃して、ハワイも緊張感があったが、ここが戦場になったわけではない。

太平洋のど真ん中と言う位置は軍事拠点として重要ではあるのだが、レーダーや衛星の発達した今日では攻撃を受けにくく、ミサイルが飛んできても迎え撃つには十分な兵力がある。

そして大変厳しいセキュリティチェックが空の便には敷かれ、逆に今ほど安全な時は無い気もする。

仮にアメリカがテロ首謀者を匿っているとされる国を相手に戦争を始め、2国間だけでは無く他の国がたくさん巻き込まれるようになった場合、当然アメリカの味方をする日本はアメリカを敵にする国から攻撃を受ける可能性がある訳だ。

中国が軍事力を増強しているとか、ロシアがアフガンゲリラに援助したとか、北朝鮮の情勢もある。

日本にいれば安全と言う保証は全く無い。

既に今日の便で日本からハワイにやって来ている人もいるが、機内はガラガラで全員横になって寝て来たそうだ。

湾岸戦争でもハワイへの観光客は激減し、観光業で成り立つハワイの経済は大打撃を受けた。

「ハワイの歩き方」掲示板でも、この時期にハワイに行く事に付いて色々な意見が飛びかっている。

実際飛行機が飛ばなかった時でも、ハワイの物資が不足するような事態は全く無かったし、買占めをするような光景も一切見られなかった。

ヒルトンの花火が中止されたり、ワイキキも人は少ないが、一歩ワイキキを出れば戦争やテロとはまったく無関係に相変わらず美しい自然が姿を見せてくれる。

旅行会社側でのツアーの中止は仕方ないが、人の意見に流されるのではなく、ハワイに来て頂きたい。

そして既に打撃を受けているハワイの観光業で少しでもお金を使っていただければ、それがハワイ全体の経済に及び、アメリカ合衆国の経済に繋がり、今回のテロによって受けたニューヨークとワシントンの被害の復旧や直接の犠牲者の為にもなるのである。

今日はまた風が弱くなって少し蒸し暑い。

9月16日

ブッシュ大統領は、アメリカは既に戦争状態にあると言っている。

戦争になればアメリカに限らずどこの国でも国民は団結する。

アメリカの国旗が、生産が追いつかないほど売れているそうだ。

私も部屋の前に星条旗をつけた。

ワイキキにも大きな星条旗がいくつも掲げられている。

多くの国民が報復の為の戦争に賛成している。

一方インターネット上では義援金詐欺が横行している。

私の所にも多くの怪しいメールが来た。

また、反米思想を持つ人達が掲示板などを使って社会不安をも煽っている。

飛行機に乗るには大変厳しいセキュリティチェックを受けなければなら無いし、CNNをつければニューヨークやワシントンではいまだに瓦礫の中で作業が続いている。

しかしハワイは何事も無かったように平静を取り戻している。

今日はワイキキやダイアモンドヘッドなど、南側の波が上がって、多くのサーファーが海に出ていた。

貿易風ほとんど止まってしまって、雲の多い、蒸し暑い一日だった。

9月17日

金曜日に日本に帰国予定だったお客さんが、ようやく座席を確保したと言う連絡があった。

ニューヨークのジュリアーニ市長は生存者がいる希望を捨てていない。

アフガニスタンのタリバンが、「聖なる戦い」としてアメリカを敵と見なしていると言う報道もあった。

アメリカ国内に広がりつつある団結心は、怒りとなってヘイトクライムも発生している。

その矛先が真珠湾で同じ奇襲をやった日本人にも向けられていると言うデマも流れているらしい。

今回のテロの首謀者とされる人物が、反米を掲げながらも株や先物取引と言う資本主義経済の恩恵を受けていた事や、世界中に彼のネットワークが出来あがっているらしいと言う情報もあり、テロに対する戦いは明確な勝利と言う形を国民に示す事が難しい可能性が高まってきている。

大統領は平常の経済活動に戻る様に呼びかけているが、何度もテレビで放映された、飛行機がビルに激突するシーンはトラウマとなって飛行機の利用者を激減させ、旅行業を始め、ホテル業など人が移動する事によって成り立つ業種はいずれも大きな打撃を受けつづけている。

スカイダイビングの飛行機もまだ全く飛べない状態だ。

ハワイの学校に通う日本人留学生の話しでは、戦争が起きると授業が無くなるなんて言う噂も流れていると言う。

社会不安が起きてしまっていることは事実で、株価の下落がそれを端的に表わしている。

J○Bの今日の到着は十数人だったとか、○鉄も20人ほどだったとか、ハワイの大手旅行社も打撃を受けている。

10月、11月の団体ツアーのキャンセルも増えているらしい。

しかしハワイには観光客が必要で、このハワイの自然で癒されたいと言う人の為には、いつものようなアロハ・スピリットで歓迎している。

幸運にも多くのお客さんがハワイリピーターのダイアモンドヘッドクラブでは、明日からツアーが再開される。

私もいつもの笑顔でお迎えしたい。

9月18日

今日は今週のツアーのお客さんが三組到着した。

閑古鳥が鳴いている大手旅行社と比べると脅威的である。

久しぶりのツアーはナイトドライブだった。

昼間は雲が多かったが、夜にはすっかり晴れた。

お迎えに行った8時半のワイキキは、深夜と間違うほどしか人通りが無く、ガラガラの商店から漏れる明かりが寂しく歩道を照らしていた。

お客さんはハワイが初めてで、出発前には周囲から色々な意見があったそうだが、逆に今このような時の方が警戒が厳重で安全だと言う事でいらして下さった。

夜は残暑の残る日本の方が暑いとおっしゃっていたが、普段のワイキキはご覧になった事が無いのでこれは比べ様も無い。

長崎からのお客さんは先日KTのアコースティック・ライブに行かれたのだそうだが、ファンクラブの掲示板の事は一切知らないそうで、私がKTと付き合いがあると言う事にとても驚いていらした。

パールシティの公園からはたくさんの星が見え、天の川も見えた。

風も気持ちが良かった。

9月19日

今日はマノアの滝へのトレッキングツアー。

朝からお天気も良く、雨の心配はなさそうだが、取り敢えず雨具はバックパックに詰め込んだ。

スナックのスパム結びをセブン・イレブンで仕込み、ワイキキへお客さんのお迎えに行く。

気のせいか少し人が増えてきた様だ。

ホテルの車寄せや、駐車禁止エリアのペイントの塗り直しなど、こういう車の少ない時にこそはかどっている作業もある。

スカイダイビングの飛行機も飛行禁止が解除された様だ。

さて今日もハワイは初めての方々だった。
日本でも時々トレッキングしているそうだ。

アメリカ人の多いマノア・フォールズ・トレイルの入り口も、普段の2割ほどの車しか駐車していなかった。

時より谷間を駆け下りる風は気持ち良く、鳥の声、沢のせせらぎを聞くと心が落ち着いてきた。

そして胸一杯にテラピンを吸い込む森林浴。

マノアの滝に到着すると、数人が滝壷で泳いでいた。

記念撮影の後、次の滝に向かう為に駐車場へ戻る。

陽はかなり高くなって来ていたが、夜露の降りたジャングルの湿り気はまだ残り、道が滑り易くなっていて、「気を付けて下さいね」とお客さんに言っている端から私が滑って転んだ。

ああ、恥ずかし。

しかし、これでお客さんもきっと気を付けて下さることだろう。

隣のハワイ大樹木園でレジストレーションを済ませてから、スナックタイム。

小さな池があるのだが、カメが出て来て甲羅干ししてた。

アイフアラマの滝に向かう。

こちらは多くの種類のジンジャーやヘリコニアの花があちこちで咲き、アフリカン・チューリップ、ユリ、ハイビスカスなど色とりどりだった。

パパイアの実は皆小さかったが、グアヴァは熟れたのがいくつも落ちていたので、中を割ってお客さんと味見をした。

食べると言うよりは吸う感じで、甘酸っぱさが良かった。

滝を見た後、少し横道に入って「インスピレーション・ポイント」と言う所まで行った。

先日遭難しそうになった時はここから先に入り込んで失敗したので、今日はここで少しメディテーションして戻った。

すっかりリラックスしてワイキキに戻ると、風が弱くて暑かった。

9月20日

今日はコンビネーションツアー。

とても良いお天気の中、朝10時にワイキキを出発。

ハワイは初めての方と4回目、5回目の方のグループ。

3日連続で九州からのお客さん。

今回のテロ事件の後、自分はハワイに行きたかったが、お母さんに止められて断念したと言う話しを何度も聞いたが、今日は皆さんお母様。

九州の女性は強い。
ごま焼酎と言うのを頂いてしまった。(Big Mahalo!)

さて、人のいないサンディービーチで朝の日差しを浴びて記念撮影後、マカプウ岬にトレッキング。

路肩に止まっている車は2台しか無く、往復ですれ違ったのも4組ほどで、全員ローカルだった。

頂上でスナックのスパムむすびを食べていると、いつものカージナルがやってきてお客さんにご飯をねだっていた。

展望台から臨む一面の青い海と、太平洋を渡ってきた貿易風は、テロの事だけで無く世の中の嫌な事を全て忘れさせてくれる。

気持ちの良い汗を掻いて下山後、ワイマナロのケネケでプレートランチを仕込む。

そのままカイルア・ビーチに行き、いつものアイアンツリーの木陰でランチタイム。

ここは平日としては普段と変わらない位の人出があった。

しかし眩しいほどの白い砂とエメラルドグリーンの海を見ながらのランチは最高に美味しかった。

時より海亀が海面から顔を覗かせていた。

食後、お客さん達は木陰で気持ち良さそうに少しお昼寝をされていたが、私はさっと海に飛び込み一泳ぎした。

プカッと仰向けに浮かんで空を見上げると、白い雲も眩しかった。

すっかりリラックスした後、今度はH-3、H-1、H-2とフリーウェイを乗り継いでのドライブ。

コウラウ山脈の山々と裾野に広がるバナナ畑。

トンネルに入る前に見下ろすカネオヘ湾。

H-3からH-1に合流すると突然車線が増えて、パールハーバーが横に見えてくる。

そろそろ渋滞の時間だ。

H-2を降りるとすぐに、スコーフィールド空軍兵舎入り口のセキュリティチェックの看板が見えた。
ここはさすがに緊張状態。

しかしパイナップル畑の中に入るとそんな事も頭から離れて、ドールプランテーションではピラニアのコイの池で皆はしゃいでしまった。

今度はノースの海を見下ろしながらハレイワに向かう。

時間的な物だけでは無く、人が少ない気はした。

お客さんはしばらく散策時間で、その間に私はL&Lドライブインで腹ごしらえ。

日没の30分前にはハレイワを出てサンセットビーチに向かう。

ビーチに人は少なく、ラグを引いてグアヴァジュースをサーブ。

今日はサンセットの瞬間がしっかり見れそうだなと思っていたのだが、遠くの水平線に白いカーテンを降ろした雨雲がいて、それを心配していたら、後ろから突然シャワーが来た。

取り敢えず近くのデートパームの影に隠れるが、夕陽までも雲に隠れてしまった。

結局日没の瞬間は見れなかったが、綺麗な夕焼けは見る事が出来た。

シャワーの中でも犬の散歩に来たローカルが水際で遊んでいたが、今日は馬に乗った女性まで登場してハワイの田舎の雰囲気を盛り上げてくれた。

帰りはずっとシャワーが降ったり止んだりだったが、H−1に合流する直前からの南側の夜景には皆さん感激されていた。

ホノルルも今夜は雨模様。

9月21日

昨日コオリナで式を挙げたばかりの新婚さんを連れてサークルアイランドツアー。

ワイキキにピックアップに向かう時に軽いシャワーに遭い、今日はどうなるかなと思ったが、取り敢えずハレイワまでは最高の晴天が続いた。

最初のサンディービーチにはライフガード以外に人は無く、キラキラと光る砂の上で記念撮影。

続くマカプウのルックアウトでは、太平洋を渡ってきた貿易風がとても気持ち良かった。

ワイマナロでは中学生の遠足がいて、少し賑やかだったが、実に平和なのどかな感じがした。

スモウ・コネクションでは曙のお母さん、ジャニスさんが、仕事の話しをしてくれた。

なんでもワイマナロに貸し別荘を持っていて、そこを貸したいのでお客さんはいないかと言う事である。

以前からダイアモンドヘッドクラブにはバケーションレンタルの紹介をして欲しいと言うリクエストがあり、いつかやりたいと思っているのだが、こう言うオファーがあるとそろそろ本気で考えなくてはならない。

クアロア、サンセットビーチとずっと晴天が続き、写真もたくさん撮った。

ワイメアでは、カム・ハイウェイ沿いに車を止めて飛び込み岩の説明をするのだが、今日は人が少なくて誰も飛び込む気配が無い。

すると少し沖にイルカの群れが現れた。

ビーチではまだ気づいている人は少なかったが、上からは何頭ものいるかの背ビレが見え、回転ジャンプまで何度か見る事が出来た。

お客さんも大喜びだった。

ハレイワでお客さんが散策中、ノースショア・マーケットプレースの民芸品店ポリネシアン・トレジャーズに顔を出すと、唯一の日本人店員のやよいさんが結婚のために店を辞めるそうだ。

ポリネシアン・トレジャーズは最近ダイアモンドヘッドクラブのお客さんにもとても人気があるので、ちょっと残念だなと思っていたら、マネージャーのクリスティが、それよりお客さんがいきなり60%も減って、頭が痛いと言っていた。

パイナップル畑で写真を撮って、ドールプランテーションに向かう途中、かなり激しいシャワーに遭遇した。

ドールのパーキングからパビリオンの中まで駆け込んだのだが、中があまりにもがらがらなのでビックリした。

お客さんが見ている間、私は来月日本からハワイに遊びに来る予定の母の為に買い物をした。

ドールを出る頃にはシャワーはすっかり止み、金曜で渋滞の激しいフリーウェイでワイキキに戻った。

その後今度は明日の第一回KTファンツアーの特別ゲストである、デザイナーのスラッキー田中氏の泊るホテルでちょっと打ち合わせ。

私は車を洗って、一度家に戻ってシャワーを浴びて、再びスラッキーを迎えに行く。

兆度ワイキキのサンセットが見れた。

IMANAS亭に食事に行き、更にその後、私の部屋で飲みなおした。

猫の目のような月が黄色く光っていた。

9月22日

今日はKTファンツアーの第一回目。

説明すると、KTとはハワイ在住の日本人ミュージシャン杉山清貴氏の事で、私の叔父がハワイでのレコーディングや撮影のコーディネートをしている事がきっかけで、7年ほど前からの知り合いになる。

ハワイ島に叔父が越してしまった後は、直接連絡を取る様になり、KTがハワイに帰ってくると飲みながら色々な話しを聞かせてもらっている。

インターネットの時代になり、KTは会社のサイトやファンクラブのオフィシャルサイト(リンク参照)が出来、私も会社のホームページを持ち、またこの個人サイトを作った。

元々ハワイの自然に対する考え方が似ているので、私のツアーをKTファンに提供できるかもしれないと言うことで、まず試しに私がKTのサイトの掲示板に書き込みをした。

それが昨年秋。

その後20名以上のファンが私のツアーに参加してくれた。

こちらのサイトに遊びに来てくれる方にもKTファンが多い。

そこで感謝の記しとして、今度はKTファンの為に何か出来ないかと言うことで、「KTファンツアー」を企画した訳だ。

日本では有名なKTも、在米生活が長くハワイに来てからはほとんどハワイアンしか聞いていなかった私にはどうして良いかわからなかった。

しかしこの企画実現の為に、KTファンが力を貸してくれた。

この場を借りてお礼を申し上げたい。
mayさん、ブルームーンさん、YUKOさんBig Mahalo!

過去のKTの作品でハワイの地名が出てくる曲や、ハワイの印象のある曲を編集してBGMとし、アルバム・ジャケットやコンサート・パンフレットなどのハワイで撮影された写真を資料として、その撮影場所やKT関連の場所を回る「KTファンツアー」が完成した。

資料には先日KT自身にサインをしてもらい、イラストも画いてもらった。

そして今日が記念すべき第一回だったのである。

しかもKTのアルバムなどのデザインをしているスラッキー田中こと、田中丈晴氏(リンク参照)が丁度撮影の立会いでオアフに来ていて、KTファンツアーにゲスト解説として参加してくださると言う。

しかしテロの影響で参加者が減り、たったお一人のお客さんで貸し切りのツアーとなってしまった。

お客さんは今年春にもサークルアイランドに参加してくださって、こちらの掲示板にもよく遊びに来て下さっているMALI MALIさん(以降MALIちゃん)。

彼女は今週からハワイのツアー会社で働き始めた、私には新しいご近所さんでもある。

こんな情勢の中、日曜日にハワイに来て、少しづつ生活を始めているが、久しぶりに会ったMALIちゃんはとても元気そうだった。

お土産で「銀のぶどう」のお菓子を頂いてしまった。(Big Mahalo!)

ちなみにマキキに住む友人のチルちゃんのアパートにホームステイしている。

「一人でもやろう!」と言う事でスラッキーとは昨晩打ち合わせをしたのだが、実際はどうなるのかわからないままスタートした。

普段のハワイアンミュージックとは違い、今日はノリノリのKTサウンド。

スラッキーもMALIちゃんも選曲にはとても喜んでくれた。

ワイキキの外れのカイマナビーチで早速2ヵ所、すぐ先のサンスーシーで1ヶ所の撮影ポイントの説明がスラッキーからあった。

カハラでは過去に家を一軒借りての撮影を行なったそうだが、今はすっかり変わってしまって場所は不明なのだそうだ。

カラニアナオレ・ハイウェイに入るとMALIちゃんの鋭い質問がスラッキーに飛ぶ。

スラッキーもこれに即答。

私は正直この数ヶ月で随分KTを聞いたが、なかなか話しには着いて行けていなかった・・・。

次のストップはマカプウのルックアウト。

ラビットアイランドをバックにした写真があり、この撮影ポイントを探した。

続くワイマナロでは、コレア牧場のすぐ先で道路が海のすぐ横を走っている場所で車を止めたが、撮影当時には無かったガードレールが出来ていると言う事で、正確な場所はわからなかった。

先のベローズビーチに行き、いつもの様にグアヴァジュースで休憩した。

ここからはしばらくドライブ。

天気も良く、窓全開で風を受けながら、ボリュームを上げてKTを聞く。

土曜日でビーチにはローカルが出ていた。

プナルウでは何故か自動車が海にあった。



次はライエのフキラウ・ビーチ。

キラキラと光る海を見ながら、当時の撮影秘話などを聞かせてもらっっていると、なんとレコーディングの合間のKTから電話が入った。

ちなみにKTからは夜にも電話があり、「ファンツアー」の行方が少し気になっている様子だった。

カフクのエビの養殖場を越えた所でスラッキーがちょっと車を止めてくれと言う。

ここには「Tanaka商店」というアンティークショップがあるのだが、2年前から欲しかった物があると言って古いボトルを購入していた。



古いボトルをコレクションしているそうだ。



次に、タートルベイ・ヒルトンを過ぎてしばらくした場所に車を止める。

ここは以前、車が故障してKTとスラッキーが立ち往生した場所で、当時の写真とエピソードはファンの間でも語り草になっているそうだ。

サンセットビーチでは、パーキングに車を止めてビーチを歩き、KTのお友達で、先日亡くなられたプロ・ボディーボーダーの四方田富士子さんと、ご主人の所有するビーチハウスまで行き、穏やかな海に向かって冥福を祈った。

サンセットビーチもワイメアビーチも今日は人が多かった。

ハレイワではアリイビーチパークでプレートランチ。

シュリンプ・カレーはスラッキーにも好評だった。

実は今日はリリウオカラニ教会で「タロ・フェスティバル」と言うのが開かれていて、ハレイワ・タウンの中はワイキキ以上に賑やかだったのだが、ビーチパークはいつもの土曜に比べると人が少なかった。

その後一時間ほどの自由時間をハレイワ・タウンで過ごし、街外れのカフェ・ハレイワの前で記念撮影をして帰路に着いた。

帰りのフリーウェイもボリュームを上げて、KTサウンドを聞きまくった。

ハワイアンとは違うが、KTもハワイにはとても合うと思った。

来週もスラッキーをゲストに第2回目が行なわれる予定。

スラッキーBig Mahalo!!

9月23日

朝からずっと薄曇りの一日だった。

気温は上がらず過ごし易かったが、溜まったペーパーワークと掃除洗濯でほぼ一日中家にいた。

今、私の左腕に蚊に刺されたような痕が2ヵ所ある。

実はこれ、先日ファイアー・アントに噛まれた物なのだが、放っておけば何とも無いが、気にして触ると痒くなる。

ハワイには多くの種類のアリがいるが、一番小さくて赤いアリのことをファイアー・アントと言う。

小さい体なのに、噛まれると熱さを感じるほどで、公園などで芝生の上に直接転がっていたりするとやられる事がある。

大きなアリは人を噛むような事はまず無いが、黒くて小さいのは1階や2階の家に住んでいるとどこからか部屋の中に入ってきて、食べ物やゴミ箱に列を作っている事がある。

一番ヤバイのはシロアリ。

ターマイトと言うが、羽アリの状態で風の弱い湿度の高い日の夜に飛びまわり、明かりに向けて飛んでくる。

着地すると羽根を外して仲間を探しまわる。

正確には異性を探すのだそうだが、木を齧りながらどんどん数を増やし、大きな家や木も倒壊させてしまうほどの害虫だ。

その為シロアリ駆除の会社は多く、家を一軒丸ごとシートで包み、その中で煙を炊いて数日かけて完全に駆除する方法もある。

夜にはすっかり雲は無くなり、丁度半分の月が空に浮かんでいた。

9月24日

cropduster (クロップダスター)。

農薬散布用の飛行機の事である。

テロリストが生物化学兵器を上空で撒き散らすかもしれないので、クロップダスターの使用を禁止していると言うニュースを見て知った新しい単語だ。

なにか大きな事件が起きたら、それをきっかけに一つは新しい単語を覚えようといつも思っている。

クリントン前大統領のスキャンダルの時に覚えたのは、impeachment(インピーチメント):弾劾と、adultery(アダルタリー):不倫。

ちなみに affair(アフェア)と言うのが一般的な「不倫」の言い方で、adultery は丁寧な(?)言い方。

cropduster の話し自体はとても恐ろしい事なのだが、アメリカ全土で使用禁止になっているのにアラスカとハワイは除かれているそうだ。

一方日本には既にテロリストが潜入しているなんて言うニュースも聞いたが、ロシアや中国もアメリカの報復を支持するなど、国際的な理解は得られ、第三次世界大戦なんて事にはならない事が固まってきた。

アメリカ人の90%は報復の為の武力行使に賛成しているが、10%は平和的解決を望んでいる。

さてそんな中、「ハワイの歩き方」掲示板でデング熱に付いてのお問い合わせがあった。

これは元々熱帯にしかない病気なのだが(ハワイは熱帯ではない)、今回マウイ島の西で患者が出た。

人から人には感染せず、蚊を媒介とする。

恐ろしい病気の様だが、死に至るようなことは無く、熱は出るが一週間程安静にしていれば直るそうだ。

ただ、特効薬は無く、熱が引くのを待つしか無いようだ。

ハワイでは太平洋戦争中に患者が出た事があったそうだが、蚊を駆除する事で流行にはならなかった。

ハワイでは今回も流行になることは無いと予想しているのだが、またも日本のマスコミが大騒ぎしているらしい。

夜、黄色い半月がなんとなく切なそうだった。

9月25日

朝KT、スラッキーと、KTのマネジャーのI氏とワイキキで待ち合わせをして、冬に出るカレンダーの撮影の手伝いに行った。

目的地はノースショア。

I氏の運転する車にスラッキー、私の愛車太郎にKTを乗せて2台で晴天の中まずはハレイワに向かい、セブンイレブンで飲み物などを調達。

最初はサンセットビーチに行った。

KTのお友達の所有するビーチハウスの裏口で撮影。
撮影者はスラッキー。



今日のノースは4〜5フィートの波が上がり、次のエフカイ・ビーチでは気持ち良さそうに波と戯れるブギーボーダー達を、KTがビーチに座って眺めている様子の撮影が行なわれた。

続いてワイメアビーチ。
アクレ(アジ)の小さいの(名前忘れた)を釣っているローカルのオジさんがたくさんいた。
砂が熱かった。

最後にハレイワ・アリイビーチ。

なんだかあっという間に終わってしまって、L&Lドライブインで皆でプレートランチを食べて、パイナップル畑でちょっと写真を撮って、3時過ぎにはホノルルに戻ってきた。



KTはこの後今回レコーディングの時に一緒だったアーティスト達とディナーがあると言うので、解散。

私はカハラモールのタワーレコードに今日発売のIZの新しいアルバム「Alone in IZ World」を買いに行き、家に帰ってシャワーを浴びてからゆっくり聞いた。

数日前からラジオで流れていた一番最初の曲「Mona Lisa」は、私の好きなIZの曲のかなり上位になってしまった。

このアルバム、テロ事件だ戦争だとナンとも不安なご時世で、いきなり心を穏やかにしてくれた。

PC対応のエンハンストCDで、楽しめる。

夜風が気持ち良い。

9月26日

今日はちょっと曇り空。

この所一日おきに雲が出てる。

ペーパーワークや溜まったメールの返事などを書いても、後からまたどんどん溜まって行く様に感じられる。

来月はツアーは暇なので勉強したり、探検したりする時間をもっと取りたい。

最近近所で三味線を習っている人がいるらしく、時々風に乗って音が聞こえてくる。

はじめはウクレレかと思ったが、どう聞いても三味線。

ちょっと場違いだが、段々上達しているようなので、BGMとして聞いている。

日系人かな?

9月27日

今週のホノルル・アドバタイザー紙では曙の引退特集を組んでいる。

高見山がハワイ出身の相撲取りとして有名になり、小錦は大関まで行ったが、最初に横綱まで上り詰めたのが曙。

ハワイカイにあるカイザー・ハイスクールではバスケットボールをしていた彼が相撲取りになるに至った過程や、横綱になるまでの道のり、ハワイに与えた影響などを説明している。

先場所の相撲中継では英語のチャンネルで解説もしていた曙親方だが、今後どのような方向に進むのだろうか?

日本人に帰化してしまっているのでハワイに戻ってくる事は無いと思うが、ワイマナロのお母さんのお店はいつまでも繁盛して欲しい。

店の前にある銅像は金ぴかに塗りかえられ、益々輝いている。

http://www.honoluluadvertiser.com/specials/akebono/index.html

9月28日

朝のスーパーニュースで知った衝撃の「長嶋監督辞任」のニュース。

もしかしたらミラクル優勝なんて言うこともまだ考えていた矢先。

今長嶋さんがいなくなったら、日本の野球界はどうなってしまうのだろう?

正直言って引退すべきは巨人軍のオーナーで、彼がプロ野球を詰まらなくさせてしまった張本人であると思う。

これで益々イチローや野茂の活躍するメジャーに人気が移ってしまうだろう。

さて、今日はマノアのトレッキングツアー。

お客さんはダイアモンドヘッドクラブのリピーターで、以前ここで話題になった「そばめし」と「きしめん」をお土産に頂いてしまった。
(ブルームーンさん、estrellaさん Big Mahalo!)

トレイルの入り口で小学生のグループと出会った。

引率の先生に連れられて遠足の様だ。

我々がパーキングで色々と準備をしている間に、彼等はさっさと先に行ってしまったのだが、途中追いつく事は無く、マノアの滝に到着すると皆休憩中でとても賑やかだった。

人が多くて滝壷には近づけないかなと思っていたら、「バシャーン」と大きな音と悲鳴。

誰か滝壷に飛び込んだのかと思ったら、どうやら滝の上から石が落ちてきたらしい。

どうもこの前にももう一つ石が落ちてきて、それが一人の生徒さんの背中にあたったらしく、その場の雰囲気はちょっと騒然とし、遠足のグループはすぐに引き返して行った。

確かに「落石注意」の看板は出ているが、昨晩の雨で石が流されて、それが滝から落ちてきたらしい。

我々もちょっと滝壷に近づくのは躊躇した。

時々泳いでいる人もいるので、水量の多い時は要注意だ。

続いてハワイ大学のリヨン樹木園。

相変わらずここには私も名前のよくわからない花がたくさんあるが、鳥達がさえずり、森林浴は気持ちが良い。

途中イエロージンジャーが咲き乱れ、匂いがあたり一面甘く漂っていた。

大きなジャーク・フルーツの実が落ちて潰れていた。

今日もグアヴァの試食をした。

アイフアラマの滝からの帰りにシャワーに遭ったが、これはすぐに止んだ。

お客さんをワイキキでドロップして、明日のツアー用の飲み物を買いにタイムスに行くと、袋が既にハロウィーン仕様に変わっていた。

9月29日

今日はKTファンツアーの第二回目。

今回もスラッキー田中氏がゲストで解説してくれた。

お客さんは2組4名様。

皆さんハワイは6回以上で、今日はオアフ島観光よりも特にKT縁の地を回る事をメインとしていらした。

先週と同様にカイマナのウォー・メモリアルからスタート。

続くサンスーシーとカハラの撮影個所の説明の後はマカプウまでドライブ。

天気もまずますでBGMに聞くKTも好評。

今日も古くからのKTファンで、鋭い質問をスラッキーに浴びせていた。

スラッキーも今日は2度目で大分慣れた物。

ワイマナロは土曜にしては人が少なく、しかしエメラルドグリーンの海はいつもの様に輝いていた。

その後のウィンドワードサイドのドライブでは随分シャワーにあったが、次のフキラウビーチに到着すると止んだ。

海の色は残念ながらはっきりと出なかったが、ファン達は資料に載っている写真と同じようなポーズをとって自分たちも撮影を楽しんでいた。

タートルベイの先、かつてKTとスラッキーの車がスタックしてしまった場所でも、皆さん同じように写真撮影。

ここは特に写真を撮るような景色の場所では無いので、通りすぎて行く車に乗っている人達は不思議そうな顔をしていた。

サンセットビーチでは3フィートほどの波が出ていて、ちびっこサーファーの大会が行なわれていた。

そんなビーチを歩いて、先日私も一緒に来てKTのカレンダーの撮影をした場所に行く。

ノースの砂は目が粗くとても歩きにくいので、先週歩いたスラッキーは車でお留守番。

そしてハレイワ・アリイ・ビーチパークでのランチタイム。

先週シュリンプカレーを食べてすっかり嵌ってしまったスラッキーが皆さんに勧めると、今日は全員カレーになった。

自由時間中、私はノースショア・マーケットプレースのいつもの木陰でスラッキーと色々お話しをした。

私も実際の年齢よりは若く見られる事が多いが、スラッキーはその遥か上を行く若さで、時々年月の計算が信じられなかった。

カフェ・ハレイワの前で写真を撮って、ドールプランテーションでトイレ休憩をして、帰りもKTをガンガンに聞きながら街に戻った。

スラッキーの泊まっているホテルに最初に着き、お客さん達にサイン帖など書いてもらっていると、ナンとそこにKT本人が登場した。

今日KTファンツアーがある事は知っていたのだが、私の車を見つけ、もう終わって最後にスラッキーをドロップしに来たと思って声を掛けてきたらしい。

お客さん達は大興奮。

何しろ朝から一日中KTの音楽を聞き、KTの話ばかりしていた所に生KTの登場である。

私もスラッキーもこの状態はどうしようも無く、KTはファン達に写真を頼まれ、「え〜」なんて言いながらも応じてくれた。

KTはスラッキーと行ってしまったが、しばらくは車内の興奮は収まらず、サイン帖を書く手も奮えている様だった。

ファンツアーとしては最高の終わり方で、勿論お客さん達は皆さん大喜びだったのだが、これだけ人を興奮させるKTも凄い人ナンだなと改めて思った。

私はその後夜、明日また日本に行ってしまうKTのプライベートのパーティーに呼ばれ、KTづくしの一日を締めくくった。

月が大分大きくなってきた。

9月30日

今日は通常のサークルアイランドツアー。

明日挙式を控えているカップルとそのご家族。

お子さんもいて賑やかになるかな?と思っていたが、昨日ハワイに到着したばかりで、ほとんどがハワイ初めての方の為、どうもなかなか掴めなかった。

それでもサンディービーチやマカプウビーチ、ワイマナロビーチなどを見ていただくと、「とっても素敵ですね」と感想を聞かせていただいた。

ワイマナロのスモウ・コネクションに行くと、アンティー・ジェン(曙のお母さん)がいなかった。

実は昨日が曙の断髪式で、それに出席する為に日本に行ったのだそうだ。

昨日は何しろ長嶋さんの引退セレモニーのニュースばかりで、女子マラソンの高橋直子さんが世界記録を出したと言うニュースでさえ小さくなっていたが、実はワイマナロではもっと関心の高いニュースがあったのだ。

お母さんは来週頭にハワイに帰ってくる予定だそうだ。

その後クアロア、サンセットと天気は良く、日曜という事でローカルビーチはどこも人が休日を楽しんでいた。

ハレイワ・アリイ・ビーチパークもローカルのグループが多く、ピクニック・テーブルが確保できなかったので、ロイヤル・ポインシアナの木の下にラグを広げてプレートランチを食べた。

帰りのフリーウェイでは何度かシャワーに遭ったが、ワイキキに戻るとすっかり晴れていた。


イエローページ・ジャパンと言う日系電話帳のハワイ版が今年も出た。

これは無料の電話帳だが、ハワイの歴史やバス路線図、運転免許の練習問題や郵便案内なども付いた便利な物で、ダイエーや白木屋など日系のお店で配布されている。

夜は風が止まった。


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