ハワイ日記2001年3月
3月1日
本を持ってカピオラニのスーパーカット(床屋)に行くとお客さんはゼロで、何人かの店員から「ハ〜イ ジュン!」と声をかけられる。
実は前回も本を持って行ったらお客さんがいなくて、「あなたが本を持ってくる日は暇なのよ」と言われたが、私が終わる頃には満員で更に数人が待っていた。
しかしその間約15分、何度か切ってもらっているベトナム人のグウィニーと色々な事を話した。
私がツアーの仕事をしているのを知っている彼女は、最近ワイキキにいる若い日本人のグループは何だと尋ねてきた。
日本では3月が卒業シーズンで、彼らは卒業旅行に来ている事を説明する。
卒業旅行と言うのは別に日本だけの風習ではなくて、アメリカ本土の高校卒業生がハワイに遊びに来るなんて事もある。
じゃあツアーは忙しいの?と聞かれるが、答えはNo。
お金が無いからオプショナルには行かないか、安いところしか使わないんだよと説明すると、ではなぜそんなお金の無い若者がルイビトンやグッチの袋を持って歩いてるの?と切り返された。
多分お金の使い方がわからないんだよ、としか言えなかった。
今、髪の後ろにベビーポニーテールがあるのだが、短い時は、さっさと切っちゃえばなんてよく言われたけど、少し伸びてきてマシに見えたのか、もう少し伸びたらかわいいわねなんて言われた。
3月2日
今日のお客さんもKTのファンサイトからいらしてくださったのだが、なんと私と会うのは2度目なのだそうだ。
今から7年ほど前に私がカイマナビーチ・ホテルのカイマナ・ギャラリーで働いていた頃、店に来て話しをしたのだそうで、何しろ随分前の事で私は記憶に無いのだが、お客さんはしっかり覚えているそうだ。
とても美味しそうな日本そばと、甘栗を頂いた。
ホノルル空港にお迎えして荷物を置いた後、ノースショアツアーに出た。
ノースの波はそれほどでもなかったがお天気は良く、あちこちでアフリカンチューリップの花が目立っていた。

夜はお客さんに誘われて、イタリア料理のシスティーナに行った。
イカ墨を練りこんだブラックパスタが名物で、ここに来ると必ず食べている。
ローマのシスティーナ寺院を真似た壁画は、開店当初に比べると、ほぼ完成に近づいていた。
シャワーの後気持ちの良い風が吹いていた。
3月3日
風はあるが雲がなかなか動かない。
今日は友達の引っ越しの手伝い。
いよいよ日本に帰る事になった友達の家に行くと既に大方の家具はなくなっていて、これからカーペットクリーニングの業者が来る所だという。
食器、ステレオ、サーフボードなど、車一杯の荷物を、預かり物と頂き物として持ち帰った。
10フィートのサーフボードはさすがに存在感がある。
ただでさえ狭い家の中が更にごちゃごちゃとしてしまったが、実際家の中にある物はほとんどがもらい物なのである。
車など一部を除くと、ハワイに来てから色々な人から譲り受けた物だけで生活をしている。
不思議と欲しいものは揃っている。
引っ越しが多かったので、また違う人にあげてしまったり処分してしまった物もあるのだが、ハワイに来てすぐの頃、LAから持って来たほんの僅かな衣料品を除けばまったくのゼロからのスタートで、出会う人から次々と色々な物をもらったり、いらなくなったと言う人を紹介してもらったりで、いつのまにか生活に困らない様になったのを、ハワイの力だと確信していた。
当然お金に対する執着心が薄くなった。
今でもお客さんから色々な物を頂いてしまうのは、やはりハワイの神様にも感謝しなくてはならない。
感謝の気持ちが通じるのか、私がツアーに出る時に天気が良い日が多い。
3月4日
天気は良いが気温が上がらない。
3組8名のお客さんを連れて乗馬のツアー。
ハワイカイのマウナルアベイ・ビーチパークででは多くの人が集まっていたので、カヌーのレースでもあるのかと思ったが、カヌーが見当たらず、なんだろうと思った。
後でニュースで知ったのだが、えひめ丸の行方不明者の無事を祈るセレモニーが行なわれていたのだそうだ。
えひめ丸の歌を作ったコロンのジェイク・シマブクロも来ていたらしい。
ハナウマ湾を過ぎるといきなりクジラの姿が見えたが、はっきり見えたのは今日はこれだけだった。
コレア牧場では、しばらく怪我の為に戦線を離脱していた雌馬のモミちゃんが鞍をつけていたので、彼女に乗ってインストラクションをしようと思ったら、急に動き出して膝の横をすりむいた。
彼女はとても頭が良く、インストラクションの時にお客さんの前に行く事を知っていて、ちょっとそのタイミングが早かったのだ。
BBQの片付けが終わり、スペースチェアに座って本を読もうとすると、ネコのマカがやってきた。
とりあえず膝の上に乗せたが、私が本を読んでいるのが気に入らないらしく、本を持っている手に頭をこすり付けてグリーンの細い目で私を見る。
お客さんがやってきて、マカを抱かせて欲しいと言うので渡したのだが、どうも女性には懐かないらしく、しばらくすると戻ってきた。
夜はナイトドライブとタンタラス。
タンタラスは珍しくほとんど車がなく、写真やさんも暇そうだった。
今晩のお客さんはハワイは新婚旅行以来2度目で、グアムやサイパンにも行かれた事があるそうなのだが、やはりハワイがイイと言っていた。
今週はナイトドライブが多い。
3月5日
昼間カリフォルニアの友達に電話をすると、雨が降って寒く、電気代の高騰で生活が大変だそうだ。
少なくともハワイは寒さで凍える事は無い。
しかし、今日も気温はさほど上がらず、夕方まで雲が多かった。
ナイトドライブツアーに行く頃には雲も大方切れ、食事の後にピックアップして欲しいと言うお客さんのリクエストでケアモクのマイランにお迎えに行く。
休憩の公園では風も無く、月明かりの中オリオン座が正面に見えた。
今日のお二人の女性のお客さんは、共にご結婚を予定されていて、独身最後のハワイ旅行かもしれないと言う事だった。
是非次は新婚旅行でいらしていただきたい。
この夜景はカップルで見るとまた更にロマンチックなはずだ。
3月6日
ハワイには本当に鳥が多い。
蛇などの天敵がいない為、鳥の天国なのである。
日本と同じハトは白が多い。
暑い場所で育つうちに白が多くなったと言われている。
スズメは日本から持ちこまれたらしい。
ワイキキでもよく目にするシマバト(ゼブラ・ダーヴ)は人を怖がらないと言うか、感覚が鈍いのか、よく車にひかれている。
くちばしの黄色いマイナ・バードは九官鳥の仲間で、翼を広げると白い線が入っている。
よたよたした歩き方がかわいい。
ワイキキを出ると鳥の種類はいきなり増える。
赤い頭のカージナルは、いつも夫婦仲良く行動している。
黒い頭に赤いおしりで細い小さなくちばしがあるのはブルブルと呼ばれている。
頬が白く、赤い点が入っているレッド・ウィスカー・ブルブルと言うのもよく見かける。
クアロアパークにたくさんいるのはシロサギで、子育て中は頭の上が黄色くなる。
アラモアナパークにもよくいるのは文鳥だ。
インドネシアから持ちこまれたらしい。
日本からはメジロやウグイスなども入ってきている。
ハレイワ(イヴァの家)の名の由来にもなっているイヴァと言う黒い大きな鳥は、空を注意して見ていると時々現れる。
反対に真っ白なターン(アジサシ)やアホウドリも海沿いでは珍しくない。
元々ハワイにいた鳥は15種類ほどだったのが、この2百年程で150種類以上の鳥が持ち込まれたそうだ。
やはり鳥の楽園だった所に蛇が持ち込まれ、鳥を襲い、その結果虫が増え、生態系が変わってしまったのがサイパンである。
それを教訓にして、ハワイでは蛇の持ちこみはとても厳しい。
バード・オブ・パラダイス(極楽鳥花)と言う花もあるが、ハワイは鳥達にとってもパラダイスなのである。
昼間鳥の声が聞こえない場所や、姿が見えない場所を探す方が大変なくらいの場所である。
ワイマナロのコレア牧場には木の上に孔雀がとまっている。
3月7日
ベッドルームの羽根窓をあけると、家の前のピンク・テコマがまた満開に近い。
昼間、仕事の買い物でワイケレ・アウトレットに行った。
K−マートだけのつもりが、ボーダーズでCDも買ってしまった。
日本のハワイアンミュージックファンにもお馴染みのケアリイ・ライシェルの色々な賞も受賞した「Melelana」というアルバムを買った。
友達が好きで、家に遊びに行くといつもかかっているので買いそびれていたCDだ。
中の説明を読んで知ったのだが、パソコン対応のEnhanced CD(エンハンストCD)と言う事で、早速帰ってからパソコンに入れると、コンサートのビデオが入っていたり、過去のアルバムの紹介があったり、ケアリイ自身が解説をしてくれたりと、かなり進化しているのに驚いた。
夜はナイトドライブツアー。
数日前にコ・オリナでで式を挙げたばかりの新婚さんとそのご家族6名。
風は無く暖かい夜だったが、雲があり星はあまり見えなかった。
サーファーのご主人はノースのパイプラインに挑戦してきたそうだ。
ツアーの後にWAI WAI HAWAIIの鍋会に顔を出した。
今日は一時は30人以上が来ていたそうだが、私が行った10時半頃には20人弱だった。
明日は満月だ。
3月8日
ハワイ弁に Da Kine (ダ・カイン)という言葉がある。
The kind of の変形した物だが、「あれ」とか「それ」とか言う意味で、ハワイ弁では必ず出てくるマスターピースだ。
ハワイに来てすぐの頃は、この Da kine と Howz it(ハゼ)には驚いた。
もう一つ特徴的なのは Wen (ウェン)という言葉だ。
I wen go there.と言うのは I went there.
You wen talk da guy?と言うのはDid you talk to him?の意味で、全てが自動的に過去形になる。
ハワイ語で女性のことをWahine(ワヒネ)、男性をKane(カネ)と言うのだが、ハワイ弁でもこれはよく出てくる。
ロカールビーチのパブリック・バスルームには時々Men/Womenの代わりにKane/Wahineと書いてあるところもある。
ちなみにハワイ語でバスルームをLua(ルア)という。
でもハワイ弁ではBenjoになる。
ワン・モア・タイム!とか、アンコール!に当たるのが、Hana hou!(ハナ・ホウ)だ。
家の前の道路は、散ったピンクテコマの花がピンク色に染めている。
3月9日
朝、家のドアを開けると最初に目に飛び込んできたのは、西の空に大きく架かったダブルレインボーだった。
今日はサークルアイランド。
またまたKTのファンサイトからのお客さんだった。
8度目というハワイリピーターで、今回が初ハワイのお友達とご家族を連れていらしてくれた。
ワイマナロで、二人のお子さんは曙のお母さん、ジャニスさんにとても気に入られ、子供さん達も嬉しそうだった。
クアロア・パークのコーラル・ツリーはほとんど散ってしまっていたが、所々に早咲きのゴールド・ツリーを見つけることが出来た。
ここまでは一度もシャワーに会わなかったが、その先はずっとシャワーに追いかけられた。
サンセットビーチではスコールにも襲われてしまった。
美容に良いハワイの雨はどんどん浴びて欲しいが、風でも引いては大変なので次へ移動。
最後のドールプランテーションでは、予想通りお子さん達が通称ピラニアのコイの池に嵌ってしまった。
パイナップルとコイがどう結びつくのかわからないが、ここの人工の池では鯉を飼っていて、50セントでエサが買える。
恐らく観光客が与えるエサだけで生きているのだろうと思えるほどの食いつきぶりで、その姿はまるでアマゾンのピラニア。
帰りもずっと虹が出ていて、ダブルレインボーも何度か見れた。
貿易風がまた上がってきた。
3月10日
サークルアイランドツアーに出た。
天気も良く、今日はシャワーには一度も会わなかった。
ハワイが初めての3人のお客さんは、ダイアモンドヘッドクラブのツアーでまず朝日の中のサンディービーチへ。
3〜4フィートのショアブレイクの中で遊ぶボディーボーダー達をバックに最初の写真。
マカプウ・ルックアウトからは遠くにクジラのスプレーが見えた。
公園ではローカルがパーティーの為のBBQの準備をしていたが、ほとんど人のいないワイマナロビーチではエメラルドグリーンに輝く海に目を細めながらグアバジュースを飲んでいただく。
前の日に説明の為に私が使った椰子の実が、そのまま同じところにおいてあったので、それを使ってまた説明。
カム・ハイウェイはアフリカン・チューリップの花がどこも見事だった。
クアロア・パークは土曜日なのに人が少なかったが、シロサギは相変わらずあちこちにいた。
ノースショアは、今日はワイメアが良かった。
ハレイワは人で一杯だった。
ドールプランテーションに向かう途中にコーヒー畑があるのだが、ここに風除けと仕切りの為に植えられているコーラルツリーは先端に赤い花をつけて並んでいてとても印象的だった。
帰り道、リクエストでH-1フリーウェイ沿いのモアナルア・ガーデンに寄った。
お客さんのお一人が、某製作所にお勤めなのだそうだ。
大きなモンキー・ポッドツリーの前で写真を撮り、公園内をしばらく散策していただいた。
ブレッド・フルーツ(パンノキ)が大きな実をいくつも付けていた。
今まで行かれた海外は、大抵リピートしていると言うお客さんは、再びハワイに戻ってきてくれるだろうか?
ハワイは初めてでも、グアム島を経験されていて、車内に流れこむハワイの風に快適さを感じていただけたようだった。
3月11日
オレアンダーと言う植物がある。
細くて先の尖った葉に、5枚のピンクや白い花びらを付けていて、H-1、H-2フリーウェイ沿いにもたくさん咲いている。
ローカルはオレアナとも言うが、実はこれ毒がある。
人間の体内に入ると気分が悪くなったり、酷い時は死に至る事もあるそうだが、葉にも花にもそして茎にも毒があり、この花から出来た蜂蜜さえ危ないそうだ。
同じような葉に捻ったような黄色い花が付いているのは、イエロー・オレアンダーという。
ビー・スティルと言う名の方が有名で、正確にはオレアンダーの仲間ではない。
しかしこちらもどこにでも咲いている上、やはり毒がある。
ローカルもハイビスカスやプルメリアを髪飾りにする事はあるが、これらの毒のある花は決して使わない。
風は弱く、月の綺麗な夜だった。
3月12日
近くのスーパーマーケット、Times(タイムス)で、夕食を作る時間が無い時に時々お弁当を買って来てしまう。
バターフィッシュ弁当も美味しいのだが、うなぎ弁当がこれまた美味い。
タレもしっかりかかっているし、ご飯もちゃんと炊けているのだが、山椒が付いていない。
日系人食になると山椒はかけないらしい。
しかし日本食としては欲しいので、別に売っていないか探したのだが、日系人の若い店員に聞いても知らないと言う。
そこでダイエーに行くが、七味唐辛子のすぐ横に、「SANSYO PEPPER」と書いた紙が張ってあるだけで、売り切れ。
こんな時は白木屋である。
僅かに量の違う2種類の山椒が売っていた。
さすが白木屋。
しかし丁度開かれていたIsland Fair(アイランド・フェア:ハワイ各島の名産品を揃えた販売会)の試食のコーナーに釣られて奥に入って行くと、更に奥には出来たてのたこ焼きが丁度並べられる所だった。
ちょっと間抜けな名前だったが(写真参照)買ってしまう。

私がなかなかマルカイの会員にならないのも、白木屋には滅多に足を運ばないのも、色々欲しくなってしまうからである。
近所の日本はやはりなんでも高い。
3月13日
午後、友達を誘ってカエナ岬の南側ヨコハマ・ベイに行った。
ここが初めてと言う友達を舗装道路の終点まで連れて行くと、沖でクジラの潮が吹き上がった。
ライフガードのタワーのある場所まで引き返してビーチに入る。
丁度目の前で、6人ほどの地元サーファー達が4フィートほどのショアブレイクで遊んでいるのを見た。
高い雲が出ていたので夕陽は期待出来ないかと思っていたが、最後はすばらしい自然の色彩ショーを見ることが出来た。

心が洗われた。
3月14日
風が暖かくなってきた。
夜、WAI WAI HAWAIIの鍋会に顔を出すと、今日は小さい子供がたくさんいて賑やかだった。
お母さんと一緒のハワイ旅行なのだが、お父さんは日本でお留守番と言うパターンばかりでのグループ旅行の様だった。
私の事をご存知の方も多く、またまたちょっとした有名人気分だった。
しかしよく聞くと、私よりも叔父の方がやっぱり有名で、ちょっとがっかり。
やはり20年以上ハワイに住みつづけている人にはまだ敵わない。
3月15日
高校生くらいから邦楽をほとんど聞かなくなった私は、LAと東京を行ったり来たりしている頃もアメリカやイギリスのいわゆるポップスばかりを聞いていた。
LAにはハリウッドがあり、100以上のFM局があって、日本に入ってくるような既に流行った曲ばかりではなくて、これから流行る曲、恐らく流行らない曲なども全てを聞き比べる事が出来た。
CDの値段も日本より遥かに安いし、ジャンル毎に細かく分かれたFM局は、音楽を聴くのに最適の環境だった。
それがハワイに来て、ポップスにも興味が無くなってしまった。
ハワイと言う土地で独自に生まれ育ってきたハワイアンミュージックが、私にはハワイの自然から受けた印象をより強くしてくれた。
私より少し先輩の世代は、一時日本でも流行ったカラパナやC&Kを知っている人が多いのだが、彼等の曲は今でもしょっちゅう聞く事が出来る。
新人も新しい曲も毎年出るが、良い曲はいつまでもかかっているのがハワイアンミュージックの一つの特徴だろうか。
一ヶ月毎日KINE(FM105)を聞き続ければ、メジャーなハワイアンミュージックは全て覚えてしまうはずだ。
私が日本の歌をあまり聞かないのは、歌詞が全てわかってしまうから。
ナンだか恥ずかしいのである。
英語の歌が全然わからない訳では無いのだが、解釈に幅が出来て、音にも集中できる。
ハワイアンミュージックは英語を使っているのも多いが、ハワイ語が入っている物が圧倒的だ。
当然聞いただけではさっぱりわからない。
CDには英語訳が付いているのもあるが、ラジオから流れてきても内容はほとんど理解出来ない。
基本的にはハワイの自然や、その中での恋の歌などが多いのだが、ハワイ語はハワイアンミュージックの中では既に楽器の一部の様に聞こえてくる。
実際意味はわからないのに、ハワイ語の歌詞をほとんど完璧に覚えている曲も多い。
この数年はコンサートに足を運ぶ機会が減ってしまったが、ワイキキシェルでのハワイアンコンサートはどれも思い出深い。
HAPA、ケアリイ・ライシェル、ハワイアン・スタイル・バンドそして今は亡きIZなどのコンサートに行ったが、会場に来ているお客さんの中にはフラダンスを習っている人も多く、スタンダードがかかると皆あちこちで立ちあがって踊り出す光景はとても素晴らしかった。
ただし日本人はおろか、日系人さえほとんどいないのである。
私は思い切りローカルの格好をしてよく出かけたが、今年の夏はまた久しぶりにハワイアンコンサートに潜り込んでみたいと思っている。
3月16日
午後、時間が少し出来たのでアラモアナ・パークをブラブラした。
私の家の前のピンクテコマの木はほとんど花が散ってしまったのだが、マジック・アイランドには満開のが幾つもあった。
バニヤン(菩提樹)の木があちこちで小さな赤い実を付けていた。
コーラルツリーはすっかり花を落とし、豆状の実がいくつもぶら下がっていた。
最近アラワイ・ヨットハーバー側にたくさん植えられたベルベット・リーフ(タヒヌ)の木も、白い花をつけて少し大きくなってきた様だ。
アラモアナビーチの沖のサーフスポットにも色々な名前が付いているが、マジックアイランドよりからベイビー・ハレイワ、ビッグ、テニス・コート、コンセッションズ、シャークス・ホール、ケワロスとなる。
今日はケワロスでは2〜4フィート出ていたが、テニス・コートではサイズは小さく割れていた。
干潮時に近く、あちこちでリーフが露出していた。
マジック・アイランドの先端付近の岩場では大きな黒いカニが遊んでいた。
BBQの準備をする炭の臭いがあちこちからしてきた頃、公園を後にした。
3月17日
卒業旅行も大分落ち着き、春休みにはまだ早いこの時期は、ツアーはどこも暇である。
合併が決まって新しく人を採用していない一部の大手では、人手が足りなくて忙しいそうだが、全体的な日本人観光客の人数が少ない。
本格的な夏が戻ってくるまでには、もう一荒れ来そうな感じのする天候だし、気分も盛り上がらない。
バイト先の乗馬の方も暇の様で、明日は仕事が無いと言う事なので、友達を誘って食事に出掛けた。
実はハワイで私の一番のお気に入りの日本食レストランは、モイリイリにある「山源」という店だ。
とにかく小さい店で、外にもテントが張ってあるオープンな所なのだが、エビ天丼が美味い。
他にも焼鳥丼やエビ・いかコンビ丼などもイケる。
でもメインはそばとうどんらしい。
ここだけは観光名所になって欲しくないので、これ以上の情報は出さないが、以外と有名な場所の近くなので、リピーターにはわかる場所なのかもしれない。
今日は違う物を食べ様と散々迷うが、結局エビ天丼。
やっぱり美味しかった。
腹ごなしにドライブに出て、ホノルル空港のシークレット・スポットに行く。
滑走路のすぐ横で、タイミングが良いとジャンボ・ジェットが目の前で離陸するのが見られる場所があるのだ。
別にハワイらしいと言う訳では無いのでツアーでは使わない場所だが、風も弱くまた雲の少ない夜は飛行機と星空を見に行くのもイイ。
この滑走路はメインでは無く、使われる時間は限られていて、風向きで離陸方向も変わるのだが、残念ながら今日は別の滑走路での着陸ばかりだった。
オリオン座が正面に見え、ベルトの下の剣とオリオンの頭がうっすらと見えた。
明日の天気はさっぱりわからない。
3月18日
朝からとても良い天気だった。
このまま夏になってしまう様な気はしないが、太陽はとてもまぶしかった。
会社のホームページにも書いてあるが、ツアーにはサングラスを持ってきていただきたい。
肌に付いてはサンスクリーンなどで紫外線対策をされている方は多いが、眼は無防備な方が多いと思う。
空気のクオリティが良いので紫外線もたくさん届き、海を見れば照り返しもあるし、白い砂も当然反射する。
ハワイで太陽を1秒間見ると、眼の寿命が1分短くなると言われている。
また、「ハワイ脳炎」という紫外線による病気もあると言う。
普段サングラスを着け慣れていない方は、色の薄いUV対策効果のある物を使われると良い。
肌に付いては、ハワイの人は外で日焼けしてしまうのは仕方ないと思っている。
それでも肌の弱い人は、サンスクリーンを使っている。
綺麗に焼きたい人は勿論サンタン・ローション。
だが、顔にだけタオルを乗せて並んで寝ているワイキキの日本人の光景は、滑稽と言うより怖い。
大事なのはその後の手入れである。
ハワイではアロエのジェルが最もポピュラーだ。
大抵の家にはポンプ式のボトルで置いてある。
顔から脚の先まで使えて、使ったすぐ後は少しベタつくが、乾いてきたら何度でもつけられるので、ハワイ滞在中にボトルを買って、日本に持ちかえって使うつもりで、日光浴を楽しんでもらいたい。
私は日焼け目的でビーチに行く事は無いが、ゴロゴロしに行ったり、泳ぎに行けば当然焼ける。
年中焼けてはいるが、今でも年に3回くらいは全身の皮が剥ける。
バスルームには当然ハワイアン・トロピックのアロエジェルが常備してある。
3月19日
朝からハナウマ湾にクラゲが出たと言う電話があった。
丁度満月の10日後。
今日は乗馬とハナウマ湾のツアーが入っていたが、乗馬だけのツアーに切り替わって、3組のお客さんをワイキキからワイマナロまで送迎した。
天気は良いがやはり気温はまだ上がらない。
そろそろシーズン最後のクジラがハナウマ湾の先で見えた。
コーラルツリーに代わって、黄色いゴールドツリーがあちこちで花を付けてきた。
プルメリアも花が増えてきた。
コレア牧場では朝から孔雀が大きく羽根を広げて大サービス。
お客さんがウェイバーにサインをしている時に、マカが現れて愛想を振りまく。
ワイキキとワイマナロを3往復したのだが、途中ワイキキのジャック・イン・ザ・ボックスでジャンボ・ジャックを食べていると、若い日本人のカップルが入ってきたのだが、ふと女性の足元を見ると、なんとルーズソックス。
がっかりして、ワイキキでランチを食べた事を後悔。
ハワイでは見たく無い物である。
夜も風は依然冷たい。
3月20日
前にラニカイに住んでいた友達とトレッキングに行く予定だったのだが、連絡が付かずキャンセル。
会社のトレッキングツアーに新しいコースを増やそうと考えていて、実は既に11箇所のコースをピックアップしているのだが、ラニカイにもトレイルがあると言う情報があった。
しかし私の持っている地図には載っておらず、この友人も実際にそこでトレッキングをした事は無いのだが、トレイルの入り口の予想がつくと言う事で、一緒に行く話しがまとまった所だった。
一緒に行く予定だったのはアメリカ人で、アメリカ人はこういう事は多いので、家の掃除などして過ごす。
銀行に行ったり少し出かけた時にはとても良い天気で、トレッキング日よりだったのでやっぱり残念。
Napster(ナップスター)というウェブサイトがある。
ミュージックファイルをシェアする会員になれば、好きな音楽がダウンロードし放題で、全て無料。
実は音楽業界から訴えられていて、ミュージッシャンも証言に立っている裁判中なのだが、全く閉まる気配は無い。
ファイルをシェアすると言う形式が法的には問題が無いらしく、かなり強気である。
ハワイアンミュージックも数多くあり、mp3形式で流行りの曲がすぐ聞けるのはとても便利。
コンテンポラリーのアイランドミュージックがほとんどだが、少しづつ増えている。
このサイトからCDを買う事も出きるが、もはやCDはコレクターのグッズになってしまった様だ。
勿論日本からでもアクセスできるはずだが、どれが今流行っているかは判り様も無く、ハワイのお土産としてCDのジャケットを眺めながら、思いを馳せるのには及ばないかもしれない。
興味のある方は napster.com
3月21日
いつもの様にアラモアナビーチで泳いでいた時の事、私はビーチに対して平行ではなくて沖のリーフに向かって真っ直ぐ泳ぎ、リーフに少し腰掛けて山側の景色を見てからまたビーチに戻ってくるのが好きなのだが、ビーチに戻ろうと少し勢いよく泳ぎ出すと、すぐ下の海の中に白く細い物がゆらゆらとしているのが見えた。
7年ほど前にハワイ島で買ったプカ・シェルのネックレスが外れて、海中に落ちていくのだと気付き、慌てて追いかける。
せいぜい3メートルほどの深さだと思っていたのだが、身長の倍以上潜っても底が見えてこない。
これはヤバイかなと思った時に、落ちて行くネックレスを掴む事が出来た。
このネックレス、今までにも何度か無くしそうになっているのだが、不思議とちゃんと見つかっている。
プカ・シェルと言うのは、穴の開いた貝の事である。
プカと言うのはハワイ語で穴の事。
海の中で波に揉まれて段々小さく削られ、最後に残った所に小さな穴が開いた貝だけを集めて作られるのが、プカシェル・ネックレスである。
70年代に日本でも一時流行ったらしいが、今ワイキキで売られているのはほとんど偽物で、プラスチック製や貝殻を加工した物なのだ。
アロハスタジアムのフリーマーケットでは、1軒だけ本物を売っている店がある。
夜はWAI WAIの鍋会。
今晩はスキヤキ。
会場を提供してくれているIさんのお客さんがお土産で持ってきたと言う最高級「コシヒカリ」が振舞われ、とても美味しくいただいた。
家に帰ると大量の掲示板メッセージに驚いた。
数日前にネットサーフィンした結果かな?
3月22日
一昨日行けなかったラニカイ・リッジのトレイルに登った。
何しろ私の持っている地図には載っておらず、友達を誘う予定だったが、こちらのご愛読者の方から資料をいただき(PIKIさん Big Mahalo!)一人で向かった。
住宅の裏路地のような所を入って行くと、キアヴェの木が覆い繁る急な上り坂が現れ、人がやっと一人通れるほどの狭さ。
最初の5分ほどはとにかく急。
トレッキングシューズは必需品だし、両手も開いていないと危ない。
しかし最初のルックアウトに出ると、カネオヘからラニカイが望め、裏手のミッド・パシフィック・カントリークラブもコースがよく見えた。
この先も決して易しい道ではなかった。
リッジと言うのは尾根と言う意味で、ラニカイの住宅地を見下ろしながら崖の上を進む。
草むらに隠れていたジャワ・スパロー(文鳥)が一斉に飛び立つ。
今日はちょっと天気が悪かったこともあるが、全く他の人とはすれ違わなかった。
ダイアモンドヘッドやマカプウと同様、頂上には戦時中に使用したと思われるトーチカがあった。
ここまで来ると、左は遠くにチャイナマンズ・ハット、右はマカプウ岬までが一望出来た。
後ろのゴルフ場もほとんどのコースが見えた。
下りもまた大変だった。
岩場はまだ良いが、土が出ているところは滑りそうで怖い。
前に登った人達が支えに使ったキアヴェの木は、そこだけ樹皮がはげていて、それを見つけながら降りてきた。
晴れていればもっと素晴らしい景色が見れたと思うが、何しろ息が上がるほどのトレイルで余裕がなかった。
これからまだ他にもトレイルの調査はしたいが、ここは中級者以上用のコースだ。
トレイルを出て車に戻ると、待っていたかのようにシャワーが降り出した。
3月23日
ダウンタウンのK-マートに友達と行った。
ここでばったり会ったのは、昔マキキの別の場所に住んでいた時の隣人だった。
パキスタン人で、ヒルトン・ハワイアンビレッジの隣のハレコア・ホテルで働いているのだが、アロハ・スタジアムのフリーマーケットでも週末バイトをしていた。
話しによると今度は自分の店を出しているそうで、今度フリーマーケットに行く時は是非寄ってくれと言う。
フリーマーケットにはしばらく行っていないが、他にもコアのネックレスを売っている人にも知り合いがいて、またいつも誰か友達に会ってしまう。
前はフリーマーケットにお香やアロハ生地を買いに行っていたが、最近はお香はダウン・トゥー・アースで買う事が多く、ショッピングツアーでも入らないと行かなくなった。
近いうちに久しぶりに出かけてみたい。
雲が出て風が無い。
3月24日
朝から南風(コナ・ウィンド)が強く、どんよりと曇ってはいるが湿度が高くて蒸し暑い。
早起きしてホノルル・エアポートにピックアップの仕事。
そして10時からは2組のお客さんを連れてツアー。
まずはマカプウ岬のトレッキング。
土曜日と言う事もあり、地元の人30人ほどとすれ違った。
途中から、吹きつけるシャワーに全員びっしょりと濡れたが、頂上に着くころには雨はやみ、スパム結びを食べながら休憩。
展望台からはカネオヘ半島が雨に煙って見えなかったが、帰り道ではクジラが大サービスで何度もジャンプを見せてくれた。
下山後、ワイマナロのKENEKE'sでランチをピックアップして、ベロウズ・ビーチに行く。
コナ・ウィンドなのでここには風は無く、陽が差してきてワイマナロのエメラルドグリーンの海は輝いていた。
今日のお客さんは2組にそれぞれ学校の先生がいて、ティーチャーのプロトークで盛りあがった。
食後の休憩では、山登りの後なので泳いで汗を流しましょうと皆さんを誘うが、結局泳いだのは私だけだった。
曙のお母さんのお店に少し寄って、カイルア・ビーチを見学後、H-3フリーウェイで一度南側に出て、H-1、H-2と経由してワヒアワのドール・プランテーションへ。
小さな実がついたパイナップルの畑を背にして記念写真など撮り、ハレイワへ。
移動中は何度もシャワーやスコールにも遭うが、車を降りる所では上手い具合に晴れた。
ハレイワ・アリイ・ビーチを見学後、街で散策の時間。
6時にハレイワを出てサンセット・ビーチに向かう。
雨の降る気配は無かったが、日が沈む方向には雲が残っていた。
僅かに雲の隙間からサンセットを眺めた後、ワイキキに戻った。
帰り道は南側の夜景にも喜ばれていた。
長い一日の締めくくりにマイランでベトナム料理を食べた。
TAXシーズンで土曜にしては空いていたので、ゆっくりと食事が出来た。
夜はまた細かいシャワーが降っていた。
3月25日
ラニカイ・ビーチに行った。
依然コナ・ウィンドが吹いていたため、お昼を過ぎても晴天が続き、背中がかなり焼けてしまった。
日曜日という事で家族連れが多く、また、メインランドからのスプリングブレークと思われる集団もいた。
ここの裏の住民は白人が多く、ローカルは少ないのだが、時々カイルア・ビーチの方から偵察に来るローカルもいる。
そんな中でスキンボードで遊びながらビーチをクルーズしている二人のローカルがいた。
スキンボードと言うのはサーフボードの様にファイバーグラス製で、大きなピザくらいの大きさで、サーフボードを太らせたような形をしている。
文字通りとても薄く、それを波打ち際で滑らせてその上に掛け乗って一緒に滑る、横乗り系のボードだ。
ハワイではよく子供が遊んでいるが、その二人は子供と言うには大きく、どう見てもビーチの様子を見に来ているようだった。
しかしその一人にどうも見覚えがあり、誰か思い出そうとしていると目があった。
時々牧場で働いているペイサーと言うローカルだった。
近所に住んでいる彼は、これから帰ってビールの時間だそうだ。
ビーチには砂と同じ真っ白なカニがたくさん遊んでいた。
3月26日
ハワイカイの手前にあるクリオウオウという場所にトレッキングに行った。
会社のトレッキングツアーの新コース開拓の為の下見である。
地図を便りに行くとトレイルの入り口はすぐに発見出来た。
靴の泥を落として行くようにブラシが固定されていて、生態系を守ろうと言う看板があった。
森の中を登って行くコースなので日影は多かったが、コナウィンドの為湿度が高く、大汗を掻きながらのトレッキングだった。
道は細いが木の根や岩でしっかりとしていて、歩き易かった。
しかしちょっと休憩できるようなポイントがなかなか無くて、初めて開けた場所に出た時もビューは今一つだった。
途中まではキアヴェを中心にした森がアイアン・ツリーばかりになってくると、少し吹き上げの風を感じる事が出来、標高は500メートルを越えていたと思う。
二度ほど休憩をして一時間後に屋根とベンチのある休憩所を発見。
ここから最後のアタックかなと思っていたのだが、この先がきつかった。
森はクック・パインが中心となる。
少し行くとベンチが一つだけ置いてあるルックアウトがあり、クリオウオウの住宅地とマウナルア・ベイが見下ろせた。
その先に再び靴の泥を落とすブラシが置いてあり、高山植物が目立った。
この頃にはココヘッド、ココ・クレーターも見渡せ、すぐにダイアモンドヘッドも見えてきた。
そして頂上。
ナンと反対側のワイマナロの崖の上である。
カネオヘ半島、カイルア・ベイ、ワイマナロ、マカプウ岬、サンディー・ビーチ、ココ・クレーター、ハナウマ湾、ココヘッド、ハワイカイ、マウナルア・ベイ、カハラ、そしてダイアモンドヘッド。
これが全て見渡せる場所がある事すら知らなかった。

周りではウグイスが鳴き、感動している自分への祝福の様に聞こえた。
湿り気のあるコナウィンドも、ココはかなり涼しく気持ちよかったが、トレード・ウィンドならチャイナマンズ・ハットやモロカイ・マウイなどの隣島もくっきりと見えたかもしれない。
トレイルの入り口からは1時間45分。
中級者レベルだと思うが体力はいる。
下りは1時間15分。
すれ違ったのは人間4人と犬一匹。
皆ローカル風だった。
帰りにカハラモールに寄り、シナボンでアイス・モカラタ・チルを一気に飲み干した。
人が多いなと思ったら、今日は「プリンス・クヒオ・デー」で州の祝日だった。
3月27日
オアフ島の西の端、カエナ岬の南側にあるヨコハマ・ベイに行った。
ホノルルではコナ・ウィンドがほとんど収まっていたが、エバを過ぎると南風が強くなり、空は薄もやがかかり、蒸し暑かった。
マカハを過ぎるとあちこちでプルメリアの花が見事に咲いていた。
プルメリアには冬になると花が咲かない木と咲いている木があり、また冬には花も葉も全部落としてしまうのもある。
そして今の時期は、花も葉も落として枯れ木の様になっていたプルメリアに一斉に花が咲く。
白だけでは無く、黄色、ピンク、赤いのもあるが、今日はピンクの花が目立っていた。
帰りにワイケレ・アウトレットに寄るとシャワーの後で、パーキングのオーキッドが赤紫に光っていた。
カピオラニ公園では早咲きのレインボーシャワーの花も見つけた。
これからハワイはいよいよ花の季節である。
3月28日
ノースショアのモクレイア、ディリンハム飛行場に行った。
お得意さんのご紹介でスカイダイビングをしたいと言う方がいて、ご自分のレンタカーで直接行かれると言うので、ご挨拶をしに一人でドライブした。
ようやくトレード・ウィンドが戻り、とてもすがすがしい一日だった。
窓は全開で、風を浴びながらのドライブは最高だった。
春休みの時期でワイキキは家族連れで賑わい始めたが、スカイダイビングは客層が違うために空いていた。
お昼前には終わり、街に戻ろうと飛行場を出ると、ヒッチハイクの二人組みがいた。
この辺りでヒッチハイクをしているのはスカイダイビング関係者が多いので、停まって乗せてあげた。
コロラド出身のアメリカ人姉妹で、一人は現在ハワイに住んでいてスカイダイビングは一年足らずの経験だそうだ。
ドールプランテーションまで乗せて欲しいと言うので、私もついでにドールで休憩して、たくさんいる知り合いに声を掛けてから帰った。
姉妹は迷路に挑戦するそうだ。
昨日までの湿度が嘘の様に気持ちのよい風だったので、家に帰ってつい昼寝をしてしまった。
夜はWAI WAIの鍋会に行った。
今日も20人ほどが来て盛りあがっていた。
春休みのお子さん連れもいた。
日本から来ているご家族と仲良くなり、週末にツアーを入れていただいた。
土曜日はまたラニカイ・ビーチだ。
3月29日
風が弱い。
朝、出掛けに駐車場で車のエンジンを暖機させていると、すぐ裏のアパートの方からけたたましい鳴き声がした。
見てみると裏のアフリカンチューリップの木の上に緑色の大きなオウムがいた。
花か実を食べている様子だった。
少し山の方に行くと時々派手な色のオウムに出会うことはあるが、こんな街中に遊びに来るとは思わなかった。
マイナ・バードが小さく見えるくらいの大きさで、尻尾がとても長かった。
首の周りだけに赤い線が入っていて、調べてみると、ローズ・リング・パロットと言う種類のオスの様だ。
アフリカン・チューリップの木はたくさんあるのに、なぜそこを選んだのだろう?
3月30日
ボストンの出身で、現在ハワイでERのナースとして働いているアメリカ人の友達がいる。
来週2度目の日本旅行を控えていて、久しぶりに会った。
彼女はハワイに来る前もマイアミやセントルイスで暮らした事があり、ハワイは5年目だ。
その彼女が来年から日本に住む計画をしている。
ナースの仕事を得るのは難しいしので英語の教師として働きたいのだそうだが、日本語は全く喋れない。
しかし日本には10年は住んでみたいと意思は硬く、読み書きも習得したいと意気込んでいる。
そりゃ日本語がしゃべれた方が仕事は見つかるはずだと言う事で、私が日本語の先生になってしまった。
日本が好きな一番の理由は食べ物だそうで、何しろ日本食好き。
朝飯にコーヒーと納豆と言う組み合わせが大好きなのだ。
そして次の理由が日本人の女の子。
実は彼女はレズビアンで、これも楽しみにしているそうだ。
どうなるかわからないが、とりあえず今度の旅行から帰ってきたら日本語を習いたいそうだ。
風は弱く、昼間の暑さは既に夏の様だった。
3月31日
今日は京都からと北海道からのお客さんとラニカイ・ビーチ・ピクニックに行った。
一組のお客さんの中に、顔に痣を作っている方がいたので、どうしたのかと尋ねてみると、なんとワイキキで強盗にあったのだそうだ。
夜中1時過ぎのカラカウア通りを外れた所だそうで、3人組みの相手に拳銃で殴られ、財布を取られたのだという。
ワイキキはやはり夜中は危ない所だ。
そんな大変な目に遭った後、静かなラニカイ・ビーチで少しでも気持ちが安らいでくれただろうか・・・。
前のページに戻る
ご感想などございましたら、社長の個人ホームページ「じゅにーK's Website」掲示板までどうぞ。
「じゅにーK's Website」
ホームに戻る