ハワイ日記2001年2月
2月1日
最近コンピュータに関する相談や依頼が多い。
主に日本人の知人からなのだが、こちらで購入したパソコンに日本語のソフトを入れたり、インターネットに繋げたりと言った内容だ。
既に現役を退いてから10年近くは経つものの、4年半ほどコンピュータで飯を食っていた時期もあるので、ある程度の簡単な事は今でも出来る自信はある。
会社のホームページも全て自分の手作りで、ホームページ作成ツールは一切使っていない。
HTMLと言う言語をそのまま打ち込んでいるのである。
高額なソフトを使えば高そうなホームページは出来あがる。
しかしツアー同様手作りの感じを出したい為に、ベタでシンプルなホームページを目指している。
携帯電話用ページを作った様に、勿論これからの時代の変化には対応していきたい。
風が止まった。
窓を開けていても家の中が暑い。
2月2日
ツアー以外の仕事などが多い今日この頃なのだが、ハワイは時間がいい加減な事が多く、約束が流れる事がしばしば。
今日も予定がキャンセルになってしまったので、お昼前からアラモアナ・ビーチに行った。
天気は最高。
トレードウィンドも15マイルほどで快適。
ワイキキのビーチの10分の1の人しかいないビーチにラグを引き、一泳ぎしてから転がる。
聞こえるのは静かな波の音、風の音、風が動かす砂の音、椰子の木のざわめき、鳥のさえずり、遠くに聞こえるラジオからはKINEのハワイアンミュージック、時々上空の飛行機の音。
目を開けると、マジックアイランドの向こうにダイアモンドヘッド。
沖の波は小さかったので、サーファーは少なかった。
小さな子供連れの家族もいた。
本も読まずに4時近くまでゴロゴロとしてしまった。
家に帰るとご愛読者の方からメール。
このサイトのあるGaiaxのDragon Townで、このホームページがランキングの3位に入っていると言う。
早速ランクをチェックしてみるが、どう言う基準なのだろう?
こちら↓
http://www.dragonseek.nu/town/
夜の仕事の前に、やはりこちらのご愛読者の方とワイキキで会った。
以前のお客さんや友達以外で、純粋にこのサイトで初めて知り合った方だったのだが、やはりハワイ好きに悪い人はいないと言う事の証明のような、とても良い方だった。
今日の締めくくりは、またパソコンの不具合対応だった。
2月3日
昨日と打って変わって天気が悪い。
ほぼ一日中しとしととシャワーが降っていたし、午後からは貿易風も強くなってきた。
今日から友達がフィアンセとハワイに来ているのだが、ちょっと可愛そう。
明日以降も少し崩れる予報が出ているのだ。
しかも知り合いの結婚式に出席の為と言うから、ご当人にはお気の毒にと思う。
だが実際にはその友人は、寒い日本を脱出できてリラックスしていた。
そして今日も仕事を手伝ってもらっていた私の友人と、4人でベトナム料理のマイランに行った。
昨日まで10日間、チャイニーズ・ニュー・イヤーのお休みをしていた為、工事などで長期に休業していると思った人もいるようで、今日は土曜にもかかわらずガラガラだった。
アラモアナの北にあり、ワイキキからはタクシーを利用しないと来れない所なのだが料理は最高で、裏オアフの農場と契約して野菜や香草を
直接仕入れている。
実は日本のエアライン関係御用達で、ハワイにフライトがある度に食べに来る人も多い。
最近はガイドブックに載るようになって日本人客が増え、なかなか予約も取れないようなこともある。
忙しすぎて対応が悪い、と悪口系のハワイサイトに名前を出された事もあるようだが、あそこの美味しさと、オーナーシェフの人柄を知ってしまうと、文句のある奴は来なくてもイイと思ってしまう。
美味しい店は本当は教えたく無いのである。
2月4日
昨晩はガスト(突風)が吹き荒れ、窓を鳴らし、気温も下がって、朝は肌寒かった。
しかし雲はほとんどなくなり、よい日差しの天気だった。
アロハスタジアムでは、NFL(アメリカンフットボールのプロリーグ)のオールスター戦でもある「プロ・ボウル」が開かれているので、この数日はアメリカ本土からの観光客は多いが、ワイキキも日本人は少ない様だ。
カラカウア通りに面してオープンしたDFSの新館は、ロイヤル・ハワイアンAve.との角に大きな水槽があり、その中をトンネルが通っていて、人が歩いているのが外からも見える。
恐るべしDFS観光地化計画は着々と進んでいる。
さて乗馬のツアーはたったお一人のお客さんだった。
社員旅行でいらしていて、自由行動日に乗馬をしたかったのだそうだ。
少し風は残るものの、ワイマナロの海はまぶしくエメラルドブルーに輝いていた。
そのお一人は、午後はまた別な事をしたいのでハナウマ湾もBBQもパスという事で、乗馬が終わるとすぐにワイキキに引き返した。
お客さんを降ろすと、それまでのTシャツと短パンから、アロハシャツと綿パンに着替えた。
別のホテルで今度は結婚式に出席する方を7名ピックアップして、ダウンタウンにあるセント・ピータース教会までのトランスポーテーションの仕事。
昨日来た私の友達の関係の式ではなく、全くの別口。
しかしお天気になった事はどちらのセレモニーにもとても良かった。
ここでも晴れ男パワーか?
セント・ピータース教会は初めて行ったのだが、こじんまりとした教会だった。
ステンドグラスは美しかった。
ただ残念な事に、私がお連れした7名の親族など出席者が全て日本式の礼服で、ちっともハワイらしくなかった。
中途半端に止まったままの、ダイアモンドヘッドクラブのウェディング・プランも先に勧めたいなぁ。
2月5日
今日はコレア牧場に一組の新婚さんをお連れした。
ハワイは初めてで、前日は大型バスでの市内観光だったと言うお2人は、ワイキキを出てからハワイカイを通る前には、私の案内の方が全然面白いと言ってくださった。
ココヘッドを回りこむと、久しぶりにモロカイ、マウイ、ハワイ島までがすっきりと見えた。
サンディービーチの手前でクジラ出現。
今日はサービスデーだった。
北海道からいらしたと言うカップルは、ブルーの海にクジラが遊ぶワイマナロの海を見下ろす牧場で、ほとんど二人きりの時間を過ごす事が出来た。
乗馬も最高。私の作ったBBQも最高と喜んでくださった。
少し風は冷たかった物の日差しは一日中強く、ハナウマ湾から戻られると、新婚さんは少し顔を赤くしていた。
「最高でした!」と、少し多すぎるほどのチップをいただいてしまった。
またハワイ中毒を増やしてしまったかもしれない。
2月6日
若い2組のカップルを乗せてサークルアイランドツアーに出た。
1組は結婚ほやほや、もう1組は今年の秋に結婚を控えているどちらもアツアツのカップルだった。
昨晩から早朝にかけて降ったシャワーが島中を濡らし、差してきた日差しが緑をいっそう目立たせていた。
最初に止まるサンディービーチで既にリラックスモードだったが、サークルアイランドは内容が濃いので次ぎに行く。
結局今日一番良い波が出ていたのはマカプウだった。
6フィートを越えるライトブルーの海で、ブギーボードを楽しむボーダー達をルックアウトから見下ろす。
ベロウズビーチでは、昨夜の満潮時に打ち上げられた海の漂流物の中から椰子の実やククイの実などを探してきて説明する。
曙のお母さんのお店では、ローカルのテレビのような取材が来ていた。
曙が引退して、今ハワイに帰って来ていると言う話しはニュースでも流れていて、横綱の時は乗れなかったオートバイに乗ったり、着物を着なければいけなかったが、Tシャツと短パンで外出したりと、昔に帰って楽しんでいる様だ。
引退が発表されてすぐに、ジャニスお母さんと話しをした時、「彼はこれで『曙』から『チャド・ロウエン』に戻るのよ。」と言っていたのを思い出した。
「今日は何してるの?」と聞くと、「日本では忙しかったから、今はのんびり友達と遊んでいるよ」と言うことだった。
カハルウでは何度かシャワーにあったが、クアロアにつくとすっかり晴れた。
コーラルツリーが見事に真っ赤になっていた。
ノースはどこも3フィートほどの波しか無く、荒れ気味だった。
ランチのメキシカンフード「チョロス」のタコスプレートも好評だった。
時間的に少し遅れ気味だったのだが、帰りのH-1 フリーウェイの渋滞も左程ひどくはなく、4時半にはワイキキに着いた。
一度家に帰って8時に再び同じ二組をピックアップして、今度はナイトドライブ。
前日にツアーのバスでタンタラスに行ったと言う新婚さんは、確かにワイキキの夜景はきれいだったけど人や車でごちゃごちゃして落ち着ける場所が無かったと言っていた。
そして相変わらず誰もいないDHCの貸し切り公園でラグの上に転がっていただくと、満月に近づいて来た月に、目を細めてリラックスしていた。
「絶対また来ます!」という最高の言葉をもらえた。
2月7日
夕方パシフィック・スカイダイブセンターのAちゃんがノースからやってきた。
WAI WAI HAWAIIの鍋会に一緒に行こうと言う話しで、私の家で待ち合わせをしたのだが、話しが盛りあがって結局うちで飲んでしまった。
無事故記録を更新中のパシフィック・スカイダイブセンターに対して、事故続きのS・H社でまた事件が起きたそうだ。
ランド・アウトと言って、パラシュートが着陸の目標地点から逸れてしまう事がある。
通常はモクレイアのディリンハム・エアフィールド内のドロップゾーンに着陸するのだが、近くのポロ競技場や裏の畑に降りてしまう事がある。
どんなベテランでも、途中で風が変わったり、高度によって風の強さが違っている事までは予想が付かず、稀な事だがランド・アウトは発生する。
この場合、地上の人間がすぐにトラックやバンを使って着地した地点に迎えに行くのだが、先日起きたS・H社の事件では地上の人間が誰も見ていなかったのだ。
この時実は2人のインストラクターがタンデムでランド・アウトした。
誰も見てはいなかったが、4人の人間が戻ってこなければすぐに気が付きそうだが、約一時間後に一組が畑から自力で出てきて、歩いてドロップゾーンに戻ってきた。
そこでもう一組が更に遠くにランディングしている事が判明したのだが、どこだかが全然わからない。
4時間後、警察や消防が出て、もうすぐ軍隊が出てくるところで2人が保護された。
なんと山中の高度2000メートルの場所に着地していたのだった。
聞けばまだまだ経験の浅いインストラクターで、パシフィック・スカイダイブセンターではインストラクターとしてはクオリファイしない未熟者だった。
日本人のお客さんに大きな怪我はなかったそうだが、一歩間違えば命に関わる事件だったそうだ。
スカイダイビングはパラシュートや飛行機、そしてインストラクターと、確実性を求められる物ばかりを使ってのスポーツである。
ガイドブックやフリーペーパーの広告はお金さえ出せば載るし、取材記事にしても危ない事は書かないのが原則である。
事故が起きている所は、値引きが凄い。
スカイダイビングに限らず、安い裏には何かあるのである。
2月8日
今日はサークルアイランドツアーの予定だったのだが、ご家族連れと言うお客さんの中のお子さんが体調を崩されたと言う電話が昨晩入り、キャンセル。
晴れ男パワーを温存した為すっかり天気が悪くなり、一日中ほとんど曇っていた。
シャワーも多く、薄ら寒い日だった。
夜は、リピータのお客さんを連れてナイトドライブ。
雨はすっかり上がった。
前回はマリンスポーツに参加されて、私とは今回が初対面だったお客さんは、ハワイに3週間の予定でお友達と来ているそうだ。
その間、乗馬とハナウマ湾のツアーやディナークルーズにも参加される物の、語学学校に通ったりスキューバダイビングのライセンスを取ると言った目的は無いらしく、のんびりとゴロゴロした生活を送る予定だそうだ。
究極の命の洗濯である。
薄い雲は出ていたので今日の満月はぼんやりとしか見えなかったが、ネオンサインなどの無いモノトーンの西側の夜景に感動されていた。
ツアーの後、カハラ・マンダリンホテルに行った。
日本から新婚旅行でステイしている学校の後輩に会う目的だ。
待ち合わせのロビーには他に誰もおらず、隣のバーから流れてくるジャズのピアノが気持ち良かった。
久しぶりに再会した後輩夫婦と、奥のバーに行く為に庭を通ったのだが、ここがイルカのいる池なんだと説明を受けながら橋を渡ると、橋のすぐ下にイルカが2頭顔を出した。
お客さんのピックアップでこのホテルには何度か来ているが、こんなに奥まで入って行ったのは初めて。
明日は早朝からカップルでハナウマ湾でのスキューバダイブに挑戦する為、短い時間の再会だったが、幸せそうな二人を見てとても安心した。
2月9日
ダイアモンドヘッド沖での、米軍の原潜と日本の海洋実習船との衝突事故は、ローカルニュースだけで無く、CNNでもトップで扱って大きく報道されている。
どう考えても潜水艦が悪いと思うが、原因がハッキリするまでは謝らないと言うのが軍の姿勢のようだ。
今日は風も無く、薄曇りの一日だった。
今日のナイトドライブツアーはタンタラス付で、タンタラスの丘は夜景はきれいな物の相変わらず人だらけだった。
パールハーバーを見下ろす公園では、週末なので近所の子供もまだ遊んでいた。
さて今日のお客さんとの出会いは、ハワイ在住の日本人ミュージシャンのファンクラブのウェブサイトだった。
そのミュージシャン「KT」とは、今はハワイ島に住む私の叔父を通じて知り合ったのだが、この数年は直接連絡を取り合って、彼がハワイに戻ってきた時には一度は会っている。
高校くらいから邦楽を聞かなくなった私は、彼の作品も少ししか知らないのだが、それゆえに、彼の気さくな性格も手伝って、有名人と言うより一人の男として接している。
話しの中に感じられる芸術家としての感性は思わず感心してしまう。
その彼のファンクラブが運営するウェブサイトがあり、そこに書き込みをした事から始まり、昨年末にもファンのお客さんが見えた。
ファンもハワイ好きの方が多いのだ。
このサイトのご愛読者も増えているらしい。
KTの歌の中にはハワイの地名がたくさん出てくるので、そう言った所だけを回る「ファン・ツアー」も企画してみようかな。
2月10日
2組のご夫婦をサークルアイランドにお連れした。
薄い雲が相変わらず切れない。
ダイアモンドヘッドの沖には、今だ見つからない漁業実習船の遭難者の捜索のためか、普段より多くの船が見えた。
ヘリコプターも数機飛んでいた。
さてサンディービーチは波のうねりが大きく、ブローホールの潮吹きも大きく上がっていた。
マカプウでは6フィート近い波が上がっていて、上級者ばかりが波乗りを楽しんでいた。
北に上がるにつれて海は穏やかになり、ノースショアではサンセットビーチの沖で時々5フィート近くになっていた物の、ハレイワは子供や初心者の練習場と化していた。
冬場の大波を見たかったと言う一組のご主人は、少し残念そうだった。
一方クアロアパークのコーラルツリーは見事に赤く、皆さん感激されていた。
シャワーには全く会わず、比較的暖かい一日だった。
お2組とも、お土産にダイアモンドヘッドクラブのTシャツを買っていただいた。
残りも少なくなってきたこのTシャツが、いつかプレミアが付くくらいに会社を有名にする事が、これからの私の仕事だ。
2月11日
雲は切れず、午後からは強いシャワーも何度か降った。
金曜日の米軍原潜と日本の漁業実習船との衝突事故の行方不明者の捜索は依然続いている。
日本の友達から多くのメールをもらった。
日本の世論として米軍に対する非難が強いのがひしひしと感じられた。
ハワイのローカルニュースもこれ一色で、関心が高い事がわかる。
CNNなどの全米ネットになると、トップニュースか2番目で報じられてはいるが、もう一日捜索活動を延長する事と、パウエル国務長官が謝罪したと言う事だけを伝えていた。
ブッシュ大統領は本土で各地の米軍基地を回っている。
沖縄で起きた米軍兵士による少女暴行事件や、一昨年ヨーロッパのスキー場のリフトで起きた戦闘機による接触事故など、米軍の不祥事が続いている。
ぶつかった潜水艦が一人のクルーも救助活動に出さなかった事は、軍事機密の為に日本人の国民感情を大きく傷つけた。
島中に基地を持つ米軍だが、今後色々な形で波紋を呼ぶ事だろう。
2月12日
朝からやっと晴れ間が広がった。
2組のお客さんをワイキキでピックアップしてハワイカイのココマリーナへ向かう。
一組をウェイクボードのショップでドロップ。
ここで昔からの知り合いに会った。
6年前に私がオプショナルツアーの会社で働いていた頃、空港近くのケエヒラグーンのマリンスポーツオペレーションの会社でシャトルボートを運転していて、その後はナイトフィッシングのボートのキャプテンをしていた男が、今はウェイクボードのインストラクターだと言う。
長話は出来ないので、ワイマナロのコレア牧場へ。
牧場では久しぶりにロシア人のパーティーがあるそうで、準備をしていた。
やはり晴天のワイマナロは海の色が違う。
乗馬とBBQの後、ココマリーナでハナウマへ行くお客さんを降ろして、ウェイクボードが終わったお客さんをピックアップ。
ワイキキへ送る。
ココマリーナに戻ってジッピーズでジップパックを食べた。
本でも読もうかと思っていたが、あちこちで知り合いに捕まり、そんな暇は無かった。
今日は何人かのアメリカ人と、ダイアモンドヘッド沖の事故の話題になった。
ハワイ生まれのローカルは、「悲しい出来事だ」と言っていた。
しかし軍上がりの、本土テキサスから移住して来ている男は、軍をかばう発言をしていた。
ハワイと言う場所で起こった事は、太平洋戦争勃発の原因となった「真珠湾攻撃」を思い起こさせているらしい。
こう言う奴がいる軍隊は信用出来ない。
もう一人ハワイのローカルで、軍の潜水艦関係の知り合いがいると言う男が、その知り合いと話した事を教えてくれたのだが、浮上の際の海面確認と言う作業は、実際はほとんど行なわれていないらしい。
広い海上で、船と接触する確立はほとんどゼロに近いと言うのが理由らしい。
今回は多くの船がいるエリアで、注意が足りなかったとコメントしていた。
ハナウマ湾から帰ってきたお客さんをワイキキへ送っていく途中、スコールにあった。
空は見る見る暗くなって行った。
仕事帰りにダイエーに寄ると、やっぱり友達にばったり会った。
そこへスカイダイビングセンターのAちゃんから電話。
奥さんとワイキキのツアー会社に打ち合わせに来ていたので、食事でもしないかと言うことで、あちこち迷った挙句、カラカウアAve.の「吉祥」に行った。
えひめ丸の乗組員のうち何人かが、前日にスカイダイビングをしていたらしい。
激しい雨が降り続いていた。
2月13日
早朝の雨は上がったが、所々厚い雲が見えた。
今日はマカプウ・ポイントへのトレッキングツアー。
カラニアナオレ・ハイウェイでは、途中のニウ・バレーあたりで激しいシャワーに遭うが、火曜の定休日で静かなハナウマ湾を過ぎる頃から空が明るくなってきた。
オアフ島の東端のマカプウ岬は、その地形から雨が少ない。
実際にマニニ(サボテン)などの乾燥地帯に生える植物が多く、キアベの木も葉を付けているのは少ない。
今日の、10回近いハワイリピーターのお客さんは、オアフ島で陸からクジラを見た事は無いと言う事だったので、岬を半分ほど上がりモロカイ島方面の海が目の前に開けてきた頃からずっとクジラを探していた。
塩混じりの風に眼から涙が出る。
なかなか見つける事が出来ないまま頂上の展望台に到着。
そこにいたローカル風カップルに「今日クジラ見た?」と尋ねると、「3回くらい見たよ、ほらそこにも!」と指差す方に潮が吹きあがった。
その後も何度か潮吹きを見る事が出来、また、休憩の時に出したスパムむすびが初挑戦だったと言う事で喜んでいただけた。
スパムむすびを食べている間中、我々の近くで真っ赤な頭のカージナルの夫婦がさえずっていた。
良い運動になりましたと言うお客さんは、今度は是非サークルアイランドに参加してみたいとおっしゃってくれて、Tシャツをお買い上げ頂いた。
夕方からまたスコールが何度かきた。
2月14日
波は荒く、シャワー混じりのガスティーなトレードウィンドが吹き荒れる、肌寒い一日だった。
今日と明日は、例の原潜と漁業実習船との衝突事故の取材で来ているニュースクルーのお手伝いの仕事。
クライアントは日本テレビで、日本をはじめLA、NY、DCなどから特派員が駆け付けていた。
本部はワイキキ・サンドビラホテル。
朝はクルーを乗せて、行方不明者の家族が宿泊しているパゴダ・ホテルに行った。
私はやはり基本的にはドライバーなのでホテルの外で待機していたが、外務省関係者や海軍関係者などがしきりに出入りしていた。
続いてラグーンドライブのヘリポートに行き、無人潜水艇スコーピオンの捜査風景を撮るために現場に向かったクルーを待つ。
サンドアイランド・アクセスロードのBEST・BBQでランチの後、NBC系列のKHNL局へ。
ここのキャスターが以前潜水艦に体験乗船した事があると言うのでその取材。
続いてサンドアイランドのコースト・ガード(USCG)へ。
ここが各局の中継場所である。
ニュース番組で、アロハタワーを背にしてレポートしているのを見た方も多いと思うが、普段は入る事が出来ない場所で、私も初めて中に入った。
次ぎはアラモアナのハワイキタワーにあるFOX系のKHON局へ。
資料ビデオを借りる為だった。
その後はまたKHNLやUSCG、そしてワイキキの本部を何度か往復した。
その間、アメリカ側が捜索の打ち切りを打診してきたと言うニュースや、潜水艦に乗っていた民間人の中にハワイ在住の人がいると言った情報が入ってきた。
勿論日本に報道されるずっと前だ。
報道の仕事は初めてだが、クルーはクライアントのプロパーばかりで、皆英語も達者。
台本が無い代わりに、刻一刻と入ってくる情報に応じて取材に出たり、資料を集めたり。
まるで生き物を扱うような仕事だった。
2月15日
そう言えば昨日はバレンタインデーだった。
アメリカではカップルや夫婦の日で、通常男性が女性に優しくする日である。
日本では何故か、女性が告白できる日なんて言って、チョコレートがその象徴とされている。
高校生の頃は随分たくさんチョコレートをもらって、やはりチョコレート好きな母親を喜ばせていたなぁ。
今年は日本からバレンタインメールを幾つか頂いて、昔を思い出した。
さて、潜水艦事故取材の2日目。
晴れ間は出てきたが、強風が残り、所々信号機が故障していた。
今日もワイキキの取材本部、サンドアイランドのコーストガードを何度も往復し、途中弁当をピックアップしたり、ABCに寄ったりと走りまわった。
日本のお昼頃のニュースでは、生中継のお手伝いもして、グリップ(照明)のサポートなどもしたが、携帯電話の普及で、衛星生中継と同時に日本のスタジオと電話で音声をやり取りしている事なども知った。
私は今日までで、今日は特に大きなニュースが入らなかったのだが、取材はしばらく続きそうだった。
2月16日
オアフ島はようやく雲が切れて、日差しが降り注いだ。
トレードウィンドはまだ強い。
今日は日本から来ている従妹と会う為に夜を空けていたのだが、溜まった洗濯物や昨日までの2日間で来たメールの返信がほぼ1日かかった。
さて、東京から毎年二回ほどハワイに遊びに来る3つ年下の従妹と何度も一緒に来ている後輩友達は、今年も文明堂のカステラボーロと酒悦のうなぎ蒲焼を持ってきてくれた。
今回はハワイ島の叔父とオアフの叔母、従兄弟と私を尋ねてくれた。
オアフではカイマナビーチホテルに泊まり、レンタカーで行動していたが、今日は最終日という事で朝から忙しく動いていたそうだ。
今まで一度も美味しいハワイアンフードを食べた事が無いと言うので、Yama's Fish Marketのハワイアンプレートを食べさせてあげたいと思っていながら、実は何度か店までは行ってはいるのだが、いつも閉店後でなかなか実現していなかった。
そこで今日は早めに待ち合わせ、お客さんの出入りも激しい6時過ぎにYama'sに行った。
いつもの「#12」(Kalua Pig、Lomi Salmon、Poki、Haupia、Poi)のセットを3つオーダーして、ポキをリム・ポキ、醤油ポキとリム・タコポキにしてもらった。
ここはテイクアウトのみなので家に連れて来て一通り説明の後、写真を撮って、頂いた。
予想通り大好評。
二人ともポイも気に入ってくれた。
二人ともまた今年中にはやって来ると言う。
考えてみるとハワイにいる親戚多いんだよなぁ。
実は私もいつか母親をハワイに呼びたいと言う夢がある。
老後はハワイでのんびりしてもらいたいなぁと思うのだが、その前に自分が落ち着かなければならない。
マンゴーの木があちこちで赤くなってきた。
2月17日
ハワイから日本へ引っ越す日本人の友達がいる。
LAに13年、ハワイに7年いるのだが、ハワイで結婚した日本人の奥さんがストーカーの被害にあっているのだ。
いつも明るく、元気に仕事をしていた彼女はどこでも人気があったのだが、いたずら電話や待ち伏せなどをされ、警察にも相談したが、実際の被害が無いと動いてくれないのは日本の警察と一緒らしい。
ご主人である友人も相当頭に来ていたのだが、相手は3人組みらしく、下手に動けない状態だった。
電話番号を変えたりもしたのだが、こう言う時に狭い島と言うのがネックになる。
落ち着くまでしばらく日本にいると言う事で、引っ越しの準備をしている。
狭い島だが80万人も人口のいるオアフでは、頭のおかしい奴もいる。
ワイキキでよく聞く事件では観光客がほとんどの場合ターゲットになっていて、どこかで繋がっている可能性のあるローカル同士ではこのような事は少ないのだが、可愛そうな事にハワイに来てようやく5年を過ぎた友人の奥さんが被害にあってしまった。
奥さんはともかく、友人はいまさら日本で暮らせるとは思えないので、しばらくしたら戻ってくるとは思うのだが、それまでは少し寂しくなる。
2月18日
乗馬のツアー。
風も収まり、快晴の中を窓全開で走る。
最高に気持ちがイイ。
9時にワイキキで最初の組をピックアップ。
昨日式を挙げたばかりと言う新婚さんと、そのご家族。
ココマリーナでドロップして、ワイキキへ戻る。
BBQ係のA美ちゃんを拾って、3つのホテルから3組の女性グループをピックアップ。
卒業旅行の組もいた。
ワイマナロに向かう途中、ハナウマ湾の入り口を通ったまさにその時、「CLOSE」の看板が出された。
昨日に続いてクラゲが出たらしい。
しっかり満月の10日後である。
BOSSのノリちゃんに連絡して、とりあえずコレア牧場で皆ドロップして、またワイキキへ。
乗馬だけのお客さんを一組ピックアップして、ココマリーナでハナウマ湾から戻ってきたお客さん達と合流。
やっぱり全然海には入れなかったらしい。
牧場に行き、今度は乗馬が終わったお客さんにハナウマ湾の状況説明と、再スケジュールの確認。
明日帰国の一組以外は、明日にハナウマ湾だけで来れるとの事だった。
ワイキキに送って、またまたワイマナロ。
最後のお客さんとA美ちゃんをワイキキへ送る。
今日は一日中運転で、昼飯を食べる時間も無く、最後は声が全然でなかった。
2月19日
朝から良い日差しの中、乗馬のツアー。
最初はいきなり12名のオカアサマ方のツアー。
ハナウマ湾は昨日まで2日続いたクラゲによる閉鎖の後で、更に明日は定休日という事で、とても混雑していたらしく、リムジンタクシーがなかなか来なかった。
私はすぐにワイキキに引き返し、昨日乗馬だけして今日ハナウマだけのお客さんと乗馬とハナウマのお客さん、乗馬だけのお客さん、そしてBBQ係のA美ちゃんをピックアップしてまたココマリーナへ。
またリムジンを待って、ワイマナロへ。
風が出てきた。
牧場では我々のツアーの前にお客さんがいなかったという事で、イントラがスタンバイしていた。
朝から二回もハナウマ湾の注意事項を説明するのは喉がつかれる。
もう一息振り絞って馬に乗り、手綱の使い方の説明。
ちょっと時間が出来たので、すぐにココマリーナに戻りタコベルでササッとランチ。
ハナウマ湾から戻ったオカアサマ方をピックアップして、コレア牧場へ。
乗馬を済ませてBBQに齧り付く、前のお客さん達は皆「乗馬は面白かったです!」と言ってくれていた。
この二組を乗せてまたまたココマリーナへ。
一組がハナウマ湾に行くのだが、リムジンが来ない。
やっと来て今度は朝にハナウマだけに行ったお客さんが帰ってくるのを待つ事20分。
待たせてしまって申し訳無いと思っていた、乗馬だけでワイキキに向かう途中の若いカップルとは、すっかり話しが弾んで面白かった。
その後ワイキキとココマリーナを2往復。
この2日間は大型バンをずっと運転してからだが凝ったので、バスクリンのお風呂に浸かって、簡単なディナーを済ませると、ハワイ在住の日本人ミュージシャンKTから電話があり、友達を連れて遊びに来ると言う。
KTの昔のバンドのメンバーで、今はTUBEのレコーディングのプロデュースをしていると言うS氏が一緒にやってきた。
前回渡せなかった山海煎という美味しい名古屋のおせんべいと、珍味を持ってきてくれた。
飲みながらIZのFacing FutureとFIJIのBorn & Raisedを聞いて、すっかりプロトークを聞かせてもらった。
KTファンツアーについても話したが、どこに行きたいのか、結局ファンサイトでアンケートを取ってみようと言う事になった。
明日アンケートを取ります。
サイトアドレスは↓です。
http://www.macnet.or.jp/co/eastpark/sugiyama/flame.html
2月20日
椰子の木と言うと、ココナッツの成るココ・パーム(Coconut Palm)が代表的だが、ハワイには八種類もの椰子の木があちこちで見られる。
イオラニ宮殿や旧跡などに多い、幹の白いロイヤル・パーム(Royal Palm)はかつては一般人は持つ事が出来なかったそうで、王族の関係者にだけ認められていた。
ホノルル市内でこれを見かけたら、かつての王族の関係者が住んでいた場所の可能性が高い。
カリフォルニアにも多く、オアフではクアロアパークやサンセットビーチ、ハレイワにもある、幹がギザギザしていてコーヒーの豆のような実が成るデート・パーム(Date Palm)も多い。
2〜3メートルにしかならない、ゴールデン・フルーツ・パーム(Golden-Fruited Palm)、2メートルにも満たないラピス・パーム(Rhapis Palm)の様に小さな物もある。
真っ赤な実が成るマニラ・パーム(Manila Palm)も3メートルほどの物が多いが、同じような形でもかなり大きくなるアレキサンドラ・パーム(Alexandra Palm)と言うのもある。
また、デート・パームの幹にラピス・パームのような葉がついたチャイニーズ・ファン・パーム(Chinese Fan Palm)と言うのもある。
実際、椰子の木の仲間は3000種類にもなり、ハワイには800種類が入ってきて、現在は30種類が土着していると言う。

椰子の木1つでも奥が深い。
2月21日
昼近くまで惰眠を貪ってしまい、起きると外はまぶしい光に包まれていた。
仕事は入っていなかったが、さっと支度してアラモアナビーチへ。
風は弱く巻いていた。
いつものスポットに車を停めて、ビーチにラグを引き、早速泳いだ。
今日は随分泳いだなぁ。
沖の波は小さく、時折チェックに来るサーファー達も諦めて他へ移動して行った。
海から上がってビーチに転がると、身体はすぐに乾いて、逆にじりじりと汗が出てくる。
またブルーの海に飛び込む。
陽が大分傾くまでアラモアナビーチで過ごし、家に戻ってシャワーを浴びて、今度はワイキキへ久々のWAI WAI HAWAIIの鍋会。
今晩はハワイ大学のNICEプログラムに通う学生の友達を二人お連れした。
さて、オアフ島のフリーペーパー「Mid Week」によると、ABCストアの社長であるシドニー・コササ(小笹)氏が、ABCストアのラスベガスへの本格進出を決めたそうだ。
ラスベガス中にABCストアが出来る日も近いらしい。
また、ダイアモンドヘッドの登山が来週から4月中旬まで一部制限されるそうだ。
とうとうトレイルの補修を行なう様で、月曜から木曜までは入山出来ない。
綺麗になったらまた登ってみたい。
2月22日
ハワイには国技(野球、バスケ、フットボール)のプロチームが無いので、スポーツファンはUH(ハワイ大学)のチームを応援している。
ハワイ大学のフットボール部はずっと低迷していたが、本土からJune Jones(ジューン・ジョーンズ)というコーチを招いて、いきなり地区で優勝してしまった。
彼はハワイでスターになってしまったのだが、今日H-1フリーウェイで事故に遭い、重態で入院してしまった。
ラジオではこのニュースばかりを流していた。
彼はJune(ジューン)という名前を持った男性として、私がはじめて知った人である。
普通Juneは女性の名前である事が多く、私の本名のJunも女性に間違えられる事が多かった。
Junはとても英語っぽい名前だが、実際にはこう言う名前の人は知らない。
自己紹介する時にも、「Jun、Like a Month of June」と言う事が多く、私の名前をJuneだと思っている人も多い。
私もいちいち否定しなくて、Juneだよと言っている事もある。
女性の名前だと言う事はわかっていたが、却って覚えやすいくらいにしか思っていなかった。
そこへJune Jonesの登場で、自らも元フットボールの選手で、ごつい身体の男がJuneと言う名前に箔を付けてくれた。
彼の一日も早い回復を祈りたい。
さて、夜はWAI WAIの鍋会で最近よく一緒だった、ハワイ永住希望の富山の酒屋の息子さんと飲んだ。
不景気でお酒が売れないだけで無く、自由化でどこでもお酒が売れるようになると、商売も成り立たなくなる可能性があると言う事で、アメリカ移住を考えているそうだ。
今はとりあえず毎日ワイキキでサーフィンを楽しんでいるらしい。
2月23日
LAでツアーガイドを始めた時、会社からガイドマニュアルと言う物を渡されて、ハリウッドやビバリーヒルズ、メルローズ、ダウンタウンなど名所旧跡の歴史や由来などを覚えた。
ハワイでもある程度の名所旧跡にについての知識は持っていると思っているが、勉強したのは自然についてがほとんどだ。
花や鳥の名前は勿論、魚や風、潮、日、月、星など、まるで小さい子供の様に調べて覚えている。
アメリカではあるが、ハワイと言う個性的な文化についても覚える事はたくさんある。
フラダンスやウクレレ、ハワイアンミュージック、アロハシャツ、レイ、キルトそしてハワイ語など。
お客さんからは色々な事を聞かれるし、また色々説明をしている。
覚えるのは仕事なのだが、これがまた楽しく、どんどんハワイの奥に嵌ってしまう。
その為ワイキキのお店については全く知らない。
周期が早いので、いつのまにか出来て知らないうちに潰れてたなんて事はしょっちゅう。
お客さんには、ハワイに来たら1つでも多くハワイの自然に付いて知ってもらいたいと思っている。
2月24日
レイをもらったらどうするか?
空港で売っているケース入りのレイなら日本に持って帰る事も出来るが、ハワイ初日に空港やホテルでレイをもらったら、部屋のランプシェードに飾る。
ローカルには車のダッシュボードやルームミラーにぶら下げる人もいるが、やはりランプシェードが一番似合う。

フレッシュなうちも良い香りが出て、ドライになっても味が出る。
洗面台に水を張ってなるべく長くもたせようとする人もいるが、ハワイ滞在中のインテリアの一部とするのがハワイ流であると思う。
レイを首からかける時は、後ろを少し抜いて首につかない様にする。
アップグレードの高いツアーでハワイに来るとハワイの空港でレイサービスがあるが、個人手配になるとこの儀式が無くて淋しいと言う人がいる。
そこでダイアモンドヘッドクラブのエアポート送迎が受けるのである。
夜、風が止まった。
2月25日
一時ほとんどいなくなった「オウム親父」がまた最近増えている。
カラカウア通りなどでオウムをたくさん連れて歩いているオヤジで、ハーイなんて声をかけながら獲物を物色し、オウムに釣られて話しに乗ったターゲットの肩や腕にオウムを乗せて、さあ写真を撮りましょうと言って、パチリ。
この後でオウムの出演料を請求する。
カメラが無い場合もインスタントカメラを用意していて、これで撮るとさらに高額の写真代を要求するのだ。
とても悪い奴。
大抵は日本人の新婚さん風のカップルが捕まっているが、$100請求されたなんて言う話しもあって、かつて取締りが厳しくなってすっかりいなくなった。
ところが最近は宗教を使っているらしい。
写真代やオウムの出演料を要求するのではなく、それはあくまでもフリー。
ただし寄付金として請求するのである。
布教活動だと言うと警察も取り締まりが難しいらしい。
「オウムオヤジ」の他に「花ババア」と言うのもいるらしく、こちらはハクレイ、レイ、ブーケなどを持たせ、同様に写真を撮ってから請求するようだ。
夜のパフォーマンスもすっかり増えて、シルバーマンの仲間には、とうとう普通の服装で紙コップを持って、お金を入れると少しだけ動くなんていう、物乞いと全く変わらない奴まで出てくる始末だ。
やっぱり日本人はイージーなお客さんと思われているのが悲しい。
2月26日
今日は、先日お客さんに頂いたMaui Blancと言うパイナップルのワインを飲みながら書いています。
久しぶりの乗馬のお客さんはお二人で、男性同士の卒業旅行だった。
これだけだと?と思ってしまうが、実はお友達の結婚式に参列と言う目的もあると言う。
結婚する二人も学生だそうだ。
さて、貿易風はゆるく、ハナウマ湾を過ぎてからクジラの潮吹きのオンパレードだった。
途中マカプウのルックアウトからは2組の親子が確認出来た。
BBQランチの片付けが終わって、お客さんがランチを食べている間、深いブルーに澄んだワイマナロの海を見ながらマカとじゃれた。
夜は友達とマイランに食事に行った。
ここの生春巻きを食べたら他所では食べれない。
タレが違うんだよなぁ。
最近よく頼むのは鳥の手羽先揚げ。
これは実は仕掛があるのだが、ここでは明かさない。
今日は特別によい形が入ったと言って、メニューに無い魚料理、Uhu(ウフ)の揚げ物を作ってくれた。
これはオーナーシェフのサムさんがいる時しか作れない。
定番はエビのチリソース。
ココナッツミルクが絶妙で、ブロークンライスと一緒に食べれば、何杯でもおかわりしそう。
ビールはベトナムビア、「33」と書いて”バンバー”。
ちょっと甘い感じがベトナム料理と合う。
最後には他のお客さんに内緒でと言う事で、一体この時期にどうやって手に入れるのだろうと思うようなマンゴーをデザートに出してくれた。
夕方のシャワーで夜蒸し暑くなった。
2月27日
最近はインターネットでダイアモンドヘッドクラブを知って、会社のホームページをご覧になってからハワイに来るお客さんが多いのだが、乗馬などのバイトで知り会って、その時の滞在中にツアーを頼まれることがある。
先日も別の仕事で知り会った、ハワイで結婚式を挙げられたばかりのカップルが私のサークルアイランドツアーに参加され、日本に帰ってから初めてホームページをご覧になり、メールを下さった。
実際の私と、会社のホームページで私が書いている文章のイメージとが違ったと言うのだ。
インターネットから私の事を知った方は逆の事を言わないのだが、後から見たホームページではちょっとお堅い印象があったそうだ。
会社のサイトの内容をもっと気さくにする事も考えたが、あんまり軽く見られてしまうのもちょっとと思い、結局そのまま。
このお客さんからまたメールが来たのだが、ハワイの挙式に行かれなかった友達に写真など見せながら話しをしているとツアーの話になり、なんとその友達も昨年ダイアモンドヘッドクラブのツアーに参加されていたのだそうだ。
私と一緒に取った写真を見ながら盛りあがったそうだ。
世間は狭いと言ってしまえばそれまでだが、少しずつお客さんが増えて来た事を実感させてくれた。
2月28日
WAI WAI HAWAIIの定例鍋会に顔を出すと、今日はほんの10人ほどでいつもに比べて静かだった。
学生をはじめハワイ在住の人が多かった中、初めてのハワイで3カ月の語学留学中と言う方がいた。
WAI WAI HAWIIでは私も参加しているメーリングリストがあり、やはりそこに参加されていて私の事も以前から知っていたそうで、ちっとした有名人気分だった。
他にもハワイは何度もリピートされていて、今回は不動産の買い付けに来たと言う、将来移住を希望している方もいた。
こちらに住んでからの仕事の話しになった。
ビジネスを絡めればビザを取るのは難しくはないのだが、実際にこちらで商売をするのはとても大変である。
これだけ日本人が訪れているハワイで、日本人が日本人を相手に商売をすると言うのはとても現実的なことだが、ビザによっては現地の人を雇わなくてはならなかったり、生活をすると言う事はこちらの文化風習も理解しなければならない。
日本よりは安いものの、アメリカの中では最も物価の高い州の一つであるハワイは、労働賃金はとても安い事で知られている。
では安い労働力がたくさん入ると簡単に思うのは間違えで、アメリカ人、特にハワイの人は日本のペースでは絶対に働いてくれない。
自分一人では限界がある。
人を雇えば難しい。
ハワイでビジネスをする人の共通の悩みである。
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