ハワイ日記2000年12月



12月1日

昨日に続き、風が弱くとても蒸し暑い。

ハワイカイのコスコに行った。皆クリスマスショッピングなのか、とても混雑していた。
その後同じくハワイカイの郵便局に行くが、こちらは拍子抜けするほど空いていた。

アラモアナビーチで一泳ぎして、車を洗って家に戻り、クリスマスカードの切手貼り。

夜は、弟さんの結婚式の為に家族でハワイに来た友人と、マイランでベトナム料理。
ここのオーナーシェフは相変わらずの頑固親父だが、味は確かで、今日もとても混んでいた。
友人の家族もとても喜んでいただけた様だ。

お土産で、「東京バナナ」を頂いた。
私はこれがダ〜イ好きである。

洗濯は結局夜遅くになってしまった。

12月2日

マカプウ・トレッキング&サンセットツアー。

今日も夏のような空と暑さの中、ツアーに出た。

ハワイ6回目で、歌に出てくるマカプウが大好きと言うお客さんも、岬を登るのは初めてだった。
土曜日という事でもう少し登山者がいるかと思ったが、往復の間にすれ違ったのは20人ほど。
晴れ渡ったカイヴィ海峡の向こうにモロカイ、マウイ、ラナイ島が見渡せた。

下山後はカイルアビーチに行き、一泳ぎして汗を流す。
ビーチで身体を乾かしている時に、海亀がすぐ近くでひょっこり顔を出していた。

H-3経由でH-2フリーウェイに乗り換え、ハレイワに向かう。
リクエストで少々のショッピングタイム。
スナックにL&Lドライブインでテリ・サイミンを食べ、ハレイワ・アリイ・ビーチをチェック。
波は大きくなかったが、ホリデイ・サーファーが大勢いた。

ノースショアを北上してサンセット・ビーチ。
サンセットは5時49分。
西のカエナ岬ぎりぎりに沈む夕陽を見て、街に戻る。

12月に入ったので、ダウンタウンのイルミネーションもお見せしようと思い、途中でフリーウェイを降りるが、ダウンタウンはこのイルミネーション点灯イベントで大混雑。
大きな山車に乗ったサンタクロースや、電飾に飾られたダウンタウンも見る事は出来、今日は一日盛り沢山だった。

12月3日

昼はサークルアイランド、夜はナイトドライブ。

ご家族の結婚式でいらしたグループで、ほとんどがハワイ始めて。
今日も少し蒸し暑い日で、途中雨には全く会わなかった。

ランチはハレイワのメキシカンフード、チョロス。
定番は「タコ・プレート」。
ビーフかチキンのハード・タコスにビーン、ライス、サルサが付く。
ハード・タコスを食べる時は、タコスを横にするのではなくて、顔を横に向けて食べる。
この時の曲げた首を「タコ・ネック」と言う。
タコスを横にするとボロボロと崩れてしまい、中身がこぼれてしまう。

付け合わせのビーン、ライス、サルサは皆一緒に混ぜて食べるのが美味しい食べ方。

店内は南米のアートで飾られ、これらは購入する事もできる。


さて、12月に入って始めてのナイトドライブ。

すでに電飾の飾り付けをした家も多く、これだけでもかなり楽しめる。
帰り道は12月だけの限定でダウンタウンを通る。
昨日は点灯式で混み合っていたダウンタウンも、今日はスムーズで、オフィス街の鮮やかなイルミネーションにお客さんも大変喜ばれていた。

12月4日

乗馬のツアー。

依然風は弱く、蒸している。
ワイマナロに到着すると、ほんのお湿り程度のシャワー。
今日もまたロシア人のパーティーがあるそうで、大きな豚がくるくる回っていた。

牧場はとても暇だそうで、馬達は元気そうだった。

ココマリーナでハナウマ湾に行くお客さんをドロップし、ハナウマ無しのお客さんをワイキキまで送り届ける。

ココマリーナまでの帰り道の途中でカパフルの郵便局に寄る。
ハワイに来てから引っ越しが多かったので、今でも名刺にはカパフルの私書箱の番号が刷ってある。
お客さんからエアメールが届いていた。

最近はこちらもインターネットを中心にしているせいか、Eメールはよく頂くが、郵便は久しぶりだ。

ツアーに出た時に撮った写真と手紙を送ってくださった。
ガイドとしては光栄な事だ。

やはりEメールに添付して写真を送ってくださるお客さんもいらっしゃるが、日本から空気まで届く気がして、郵便には郵便の良さがある事を実感する。

LAに住んでいた頃は、まだインターネットも無く、電話代も高い時代で、日本から友人たちの送ってくれるエアメールが届くととても嬉しかった事を思い出す。


夕方、黒く厚い雲が出てきた。
そろそろ来るかなと思っていたが、実際にはマキキでは一時間ほど降っただけだった。
木曜くらいからまた雲が出る予報だが、明日はまた蒸し暑くなりそうだ。

12月5日

ナイトドライブ&タンタラスツアー。

一時締め出されていたリムジンがタンタラスにまた上がって来るようになって、相変わらず賑わっていたが、大手旅行会社の中にはタンタラスをはずしてしまっている所もあり、展望台にいる夜景の写真屋さんは暇だそうだ。

オリジナルコースで行く公園は今日もとても静かだったが、途中でシャワーが降ってきた。
公園近くの民家では、競い合う様にクリスマスの飾り付けを派手に行っている家が多い。
初めてのハワイで、今日到着したばかりというお客さんはシャワーの中でも、そんなイルミネーションに飾られた家をバックに記念撮影をしていた。

公園を少し早めに切り上げて、ダウンタウンでクリスマスツリーのコンテスト会場も覗いていただいた。
このホノルル・シティーライツだけを回るトロリーもまた派手な電飾で、異様なほどに目立っていた。

今日のお客さんはホノルルマラソンに出場する為にいらしたそうだ。
これから毎日ワイキキはランナーが増えてくる。

まだワイキキは降り出してはいなかったが、明日あたりはシャワーが来そうな雲行きである。

12月6日

昨晩の雲はすっきりと晴れ、シャワーは無かった。
買い物や床屋に行ったり、車の定期点検をしたりした後、アウトリガー・リーフで明日からの仕事の打ち合わせ。

今回は日本の食料品メーカー、○の素社のスポーツドリンク、○ミノ・バイタルのプロモーションの仕事である。

ホノルルマラソンの協賛にもなっていて、エイドステーションで配られる。

マラソンまでに色々イベントがあるので、日本からやってくるスタッフのお世話がメインだ。

この為11日まではツアーはお休み。

例年スカイダイビング以外はお客さんのいない時期で、スカイダイビングの方はスカイダイブセンターに任せて、早くからアルバイトの要請が来ていたこの仕事を引きうけたが、今年はオリジナルツアーのお問い合わせを頂き、来年からはマラソンの時期もバイトは出来ないかもしれない。

明日はまず空港から始まるが、それ以降はどうなるか決まっていない。
マラソンの当日はスタート前から準備の為、ワイキキ3時出発と言う話しである。

12月7日

朝9時着のJ○Lで今回の関係スタッフが入ってくるのをホノルル・エアポートにお迎えに行った。

そのままワイキキのマリオットホテル(先日までハワイアン・リージェント)にお連れして、ミーティングの後、マラソンのコース視察。

クライアントのブースが出るエイドステーションは全て停まって、当日の確認作業を行った。

一度ホテルにスタッフを降ろして、ダイエーに買出し。

またホテルに戻り、会議室で細かい手作業のお手伝い。

次ぎにアウトリガー・リーフホテルに出ているマラソン・エクスポのブースに行きお手伝い。

カパフルのランニング・ルームに出ている臨時店舗の撤収班を送って、再びダイエーに買出し。

ランニング・ルームでスタッフをピックアップしてホテルに届けたところで夜8時。

次ぎは10時からミーティングという事で、一度家に戻ってさっと夕食を済ませ、この日記を書いている。

さて何時に終わるのでしょう。
掲示板のお返事はちょっと待っててください。

12月8日

疲れた。
今日は日記書く気力無いです。
おやすみなさい。

12月9日(復活)

マラソン関係で忙しくしてました。
今日から日記を復活させます。
お休み中の分をUPします。

結局7日の日の夜は2時間ほどのミーティングだけで終わりましたが、8日の日は朝からマラソン・エクスポが開かれていたアウトリガー・リーフホテルと、カパフルのランナー専門店「ランニング・ルーム」と、本部のあったワイキキ・マリオットホテル(元ハワイアンリージェント)をひたすら走りまわりました。

私のポジションは、クライアントのA社がいて、イベントを受けた日本の広告代理店B社から現地コーディネイトを受けている会社C社のさらに下請けと言うドライバーと雑用兼通訳です。

8日の夜はカーボローディングパーティーと言うイベントがありました。
これはパスタを食べる会なのですが、マラソンのようなスポーツをする前には炭水化物を摂取する事が望ましいそうで、ホノルルマラソンの前には毎年行なわれています。
確か去年まではホテルのボールルームで行なっていたと思うんですが、今年はワイキキ・シェルでした。
午後はこのパーティーに出すブースの設営で、初めてワイキキシェルの芝生席の上を自動車で入りました。
夕方には久しぶりに何度かシャワーもやって来ました。

5時にパーティーが始まるとスポーツドリンクを配ったり、氷を運んだりして、最後は勿論撤収の手伝いをして、本部に戻ってミーティングが終わったのは11時過ぎでした。

翌9日はマラソンのゴール地点のカピオラニ公園での大きなブースの設営です。

しかし途中でマラソンセミナーの開かれたヒルトンハワイアンヴィレッジに行ったり、買出しなどで何度も移動がありました。当日に大会協賛のNIKEのシューズを全員で履く事になり、NIKE TOWNに15足もランニングシューズを買いにも行きました。

またお偉いさんの接待の為の場所探しもあり、カイマナビーチ・ホテルにも行ったのですが、ここで古くから働いているベルボーイ達には知り合い多く、「疲れた顔して何やってるんだ?」と言われてしまいました。

実はこのA社の製品には、スポーツドリンクだけでは無く、顆粒状のエネルギー補給やゼリータイプなどもあるのですが、これらが結構効きました。
さすがに空腹は押さえられませんでしたが、疲れや寝不足はあまり感じる事が無く、顔だけ疲れた表情をしていた様です。

明日は早いので今日は早めにと言うミーティング時の内容でしたが、設営の終わっていないところのヘルプで、夜12時まで肉体労働でした。

12月10日

いよいよホノルルマラソン当日です。

私は朝3時半にスタッフを3人ホテルでピックアップして、コース途中に置かれたエイドステーションのA社のブースに一人ずつドロップして行きます。ハワイカイ方面の担当でした。

最後のマウナルア・ビーチパーク(Roy'sの向かい)に着いたのは4時過ぎ。
満月に照らされたマウナルア・ベイを見て打ち寄せる波の音を聞いているとそのまま眠ってしまいそうでしたが、徐々に集まり始めたボランティア達の元気な声にこちらも復活。

今度はTBSの撮影で、ここのエイドステーションにやってきてドリンクをランナーに配るシアトル・マリナーズ佐々木投手のスチール撮影。
さすが大魔人、でかかった。

8時半から今度は最初にドロップして行ったスタッフを順にピックアップ。

ホテルに車をおいて、カピオラニ公園に向かい、ブースでお疲れ様のドリンクと記念品のストラップのプレゼント。

去年とは比べ物にならない晴天で気温も上がり、皆汗だくで仕事していました。
勿論ゴールしたランナー達も汗だく。

ランナーとして参加していた友人や、旅行社関係の友人にもたくさん会いました。また数日前にツアーに参加してくれたお客さんも「JUNさん、完走しました!」と声を掛けて下さいました。

3時頃から撤収をはじめ、区切りの付いたところで一度解放されました。

一度家に戻ってシャワーを浴び、7時には打ち上げの為のレストランへ移動があるので再びマリオットへ。

中華「KIRIN」での打ち上げは皆フラフラでした。

ここで終わらないのが日本の会社。
ホテルに戻ってから本部でお偉いさんのお話し。
再び乾杯して、自宅に戻ったのは11時でした。
長い一日だった。

12月11日

A社のスタッフのほとんどはこの日の朝早く帰国したのですが、私はワイキキシェルの撤収作業の続き。

来年以降使う予定のバナーなどを貸し倉庫に運んだり、今日まで臨時店舗の出ていたランニング・ルームの撤収もありました。

夜は広告代理店との打ち上げがあり、比較的柔らかい雰囲気の中で楽しいお食事でした。
場所はキングSt.のシスティーナ。

私は、この広告代理店からさらに下請けで来ていた若いスタッフに気に入られて、彼と飲み直までしてしまい、やはり寝たのは2時近かったです。

お疲れ様でした。

今回のイベントでも色々頂き物がありましたので、写真にしてUPします。



12月12日

久しぶりの休み。

午前中から掃除洗濯、地元向けクリスマスカード作成、各種請求書の支払い、溜まったメールの返事、「ハワイ日記」などこなしていると、明日からの仕事の件で電話。

明日も4時起きが決まった。

12月13日

今日からの仕事は、来年の一月にTBS系で放送される「日本プロ野球名球会チャリティーゴルフ」の撮影。

朝一番の飛行機でホノルルに入る撮影スタッフを迎えに行く前に、今回のチーフコーディネーターS氏と大型のバンをピックアップ。

製作メンバーを空港で迎えて、スタッフの宿舎ワイキキ・パークホテルにチェックイン。

ホテルの会議室で打ち合わせの後、昼食でワイキキに新しく出来たラーメン屋「天下一品」へ行った。
ハワイのラーメン屋さんにしてはまあまあだったが、ちょっと量が少ないかな。
やっぱり、えぞ菊の中華ラーメンが一番。

その後ゴルフの開かれるニュー・エバビチー・ゴルフクラブへ下見。

このゴルフ場のロゴにもなっている、ハワイアン・スティルト(シギ)など多くの鳥が飛びまわり、マングースも出てくるのどかな場所だったが、ホノルル・エアポートの着陸侵入路の下にある為、時々すぐ上空に車輪を出した飛行機が轟音を立てて降りていく。

夕方一度帰って、シャワーを浴び、アロハシャツに着替えて名球会のパーティーinハレクラニに出席した。

まず会長の金田さんのご挨拶。
続いて名球会の新人、秋山・駒田両選手の紹介、そして長嶋さんの音頭による乾杯である。

いや参った。

長嶋さんの「乾杯!」で飲むビールは格別だった。

何しろ凄い方ばかりのパーティーで、いい経験をさせてもらった。

私の横のテーブルには、現役代表で中日の立浪選手。
寿司のケータリングも出たバフェディナーだったが、並んでいるすぐ前にヤクルト監督若松氏と日ハム監督大島氏。

最近の現役選手は知らない人が多いが、名球会のメンバーは、私が小学生くらいの頃に集めた「プロ野球カード」でお馴染みの方ばかりで、涙物だった。

私はTBS関係者のテーブルにいて、名球会の方たちとお話しをするような立場ではなかったが、エンターテイメントで来ていたハワイアンバンドのメンバーに知り合いがいて、料理も大変美味しかったので楽しませてもらった。

12月14日

いよいよ明日が撮影の本番となるので、現場のゴルフコースに行って看板やバナー、イントレ(撮影用のやぐら)などの設営をした。

実はこの日は名球会のプライベートゴルフと、巨人軍のゴルフが行なわれていて、現場につくといきなり長嶋さんを見つけた。
工藤選手も目撃した。

設営の方は結局日が沈んで真っ暗になるまで行なわれ、途中でシャワーも降ったりして、大変だった。
風が南からのコナウィンドで、蒸し暑かった。

夜はスタッフ全員でマッカリーのカメリア・バフェ(焼肉食べ放題)。
食べ放題だが、その辺の焼肉屋よりは全然美味しい。

そんなによく行く訳では無いのだが、ここでも店員さんに顔を覚えられていて、20名近く連れて行ったので大歓迎された。

明日もまた早起きだ。

12月15日

名球会ゴルフ、撮影の本番。
ワイキキを朝6時半に出発して、エバビーチのゴルフ場へ。

仕込みが終わる頃には、選手が大型バスで到着。
いや、何度見ても凄い顔ぶれ。

ダイエーのV旅行の為、マウイ島から朝一番で駆け付けた王監督が到着してスタート。

撮影の仕事の場合は、本番が始まると私達現地コーディネーターは余りやる事は無い。
スタッフ用のお弁当を配ったり、プレスルームで進行状況を見ながら、その後に入っている表彰式、対談やゲームの設定のお手伝いだ。

その後の「筋肉番付」に出演する為、早い組みで回った選手達がワイパフの野球場に移動した後、一部のスタッフを乗せて私もこの野球場に向かった。

到着すると丁度長嶋さんが金剛君めがけて打っている所だった。
ラッキ〜♪

カメラの位置を見ると、もしかしたら長嶋さんの打っている姿の後ろにちょろっと入っちゃったかも。

もっと見たかったけど、次ぎはワイキキへ移動。

またエバに戻るのかと思っていたら、車が足りているので解放された。
とりあえず自宅で待機。明日はヘリにのって空撮の手伝いの予定。

12月16日

朝一番で、昨日のゴルフコースの空撮。

6時半にスタッフ3名をワイキキでピックアップして、ホノルルエアポートのヘリポートへ。

カメラマン、ディレクター、パイロットと通訳の私が乗りこむ小型ヘリは4つのドアを全て外し、朝日の中を飛び立った。

ナイトヘリコプターツアーのヘリには前に何度か乗ったが、昼間飛ぶヘリは初めてだった。

空港から車だと30分近くかかるエバビーチのゴルフ場は、空からパールハーバーを横切ってすぐ。
各コースの紹介のため、このあたりに多いケアヴェの原生林のすぐ上を飛び回った。
コース中の池にいるコイの姿も見えた。

実はこのゴルフコースのすぐ横に、軍隊の射撃練習場があり、クラブハウスや近くのコースにいると「パン・パン」という音が聞こえていたのだが、当然オフリミットで下から中は見えなかった。
ここの中もバッチリ見えた。

また普段フリーウェイから、マスト付近だけが並んで見えた、パールハーバーの海軍基地にある戦艦も朝日を浴びて鈍く光っていた。

ゴルフ場の撮影が終わるとワイキキビーチの空撮の予定だったのだが、パイロットがその事を知らず、説明すると、ちょっと待ってくれと言ってゴルフ場近くの空き地に着陸してしまった。
自然現象が我慢できなかったらしい。

再び空に上がり、週末で空いているH-1フリーウェイの上空を通って、アラモアナあたりからビーチサイドに出た。

ロイアル・ハワイアンホテル付近を海からビーチに向けて撮影して終了。
サーフライダーの沖に海亀が泳いでいるのも見えた。

約2時間ほどの早朝ヘリコプターは、お天気も良く、とても気持ちがよかった。

夜は撮影隊の打ち上げで、ヒルトン・ハワイアンヴィレッジの日本食「初花」に行った。
明日は空港までのお見送り。

12月17日

撮影隊のお見送りの仕事。

ワイキキパークホテルを7時半に出発して、ホノルル・エアポートへは、日曜でがらがらのニミッツ・ハイウェイを通って行った。

チーフコーディネーターのS氏の運転するミニバンと、スタッフがレンタルして乗っていたミニバン、そして私が運転する15人乗りの大型バンは、空港に着くとチェックインをする前に税関に向かう。
カルネと呼ばれる撮影機材の出入りのチェックだ。

これも審査官によって時間がかかるときとそうでは無い時があるが、今日はとてもあっさり終わってしまった。

飛行機の出発時間までは2時間で、チェックインカウンターは一番列の長い状態だった。

撮影隊が団体チェックインをして、ゲートに入ったところでお見送りは終了。
その後レンタルしていた大型バンを返却して、本日終了。

今日も良い天気で気温も上がってきたので、アラモアナビーチで一泳ぎと思ったが、日曜でバザーなどもやっていたので諦めた。

明日からはまたツアーガイドに戻る。

12月18日

久しぶりに乗馬のツアー。

晴天はまだ続いている。
7名の団体と、4名のご家族、それに友達同士の2名で計13名をワイキキでピックアップして出発。
そろそろクジラ君は出てこないかなぁなんて、つい海側を気にしながらドライブしてしまう。

コレア牧場に着くと、またパーティーの準備をしている。
2週間に一度くらいしかやっていないパーティーの日に、週に二日、今月は月で二日しか行っていない私が行く日にいつも当たる。

今日は人数が少ないとかで、小さ目のブタ君が回っていた。

前のグループが遅れているらしく、なかなか戻ってこない。
バーベキューの準備も万端整って、一度インストラクターに変身する。
一番賢いモミを連れてお客さんの前に行くと、モミがずいぶん汗をかいているのがわかった。

今日は風が無くて蒸し暑かった。

なかなか出てこなかったマカも、バーベキューが焼きあがる頃にはしっぽで足をくすぐりに来た。

友達同士の二名のお客さんはハナウマ湾無しだったので、ハナウマ行きのお客さんをリムジンタクシーに乗せた後、そのままワイキキに送って行く事になるのだが、お話しをした所、ハワイ10回以上のベテラン2人組みだった。

次回もまた是非乗馬に行きたいと言う事だった。

ココマリーナに戻る前に郵便局に寄る。
クリスマスカードがあちこちからやってくる。
日本の年賀状ですね。

仕事帰りに車を返しに行くと、ボスのノリちゃんが、日本に冠婚葬祭で戻っていた奥さんのお土産で漬物やうどんなど頂いてしまった。
メリークリスマス!
金曜には乗馬の関係者のクリスマスパーティーがある。

12月19日

掃除・洗濯・買い物・銀行。今日も晴天。

マラソンの時の、イベントの仕事のギャラが出た。他にもイベントから回ってきた物を頂き、再び写真撮影。

3ヶ月程会っていなかった地元の日本人の友達と、マッカリー・ショッピングセンターのとんかつ屋(名前忘れた!しょっちゅう名前変わるからな・・・。)に晩飯を食べに行った。

風も弱く穏やかな一日だった。

ちなみに今の状況は、タンクトップに短パン。
羽根窓が少し開いていて、タンタラスからの吹き降ろしで、気持ちの良い風が時折流れこんでくる。
久しぶりにゆっくりした一日だった。

12月20日

久しぶりにワイケレ・アウトレットに行った。

約2年振りにGパンを買うためだった。
リーバイスとコンバースだけはワイケレが安いと思う。

続いていた晴天も今日は少し崩れ、小雨模様だったが、風はまだ弱く、少し蒸し暑い日だった。

夜はこちらも久しぶりに、WAI WAIの鍋会に出席した。
観光の方は少なく、割かしこじんまりしたパーティーだったが、20人弱が集まった。

仕事でハワイに来ていると言う方と仲良くなったのだが、10回以上のハワイ歴でも、過ごし方によって見ている部分が違うんだなぁと感じた。

ノースは20フィートの波がやってきて、昨年は開催されなかったエディ杯のサーフコンテストが開かれそうだ。

12月21日

トレード・ウィンドが上がってきた。

昨日の鍋会に行く前に、マリオット・ホテルのポインセチアのクリスマスツリーの前で撮った写真を編集して、Eメール・クリスマスカードを作った。

ダイアモンドヘッドクラブのお客様リストから、メールアドレスのある方に、これを送った。

その他知り合い、友達にも送り、こちらの掲示板も、メールアドレスが掲載されている方には送らせていただいた。(メアドが無くなっていたり、戻ってきてしまったのもあった。)

スパムは好きだが、スパムメールは辞めにして、一つ一つ送信したので時間がかかった。


夕方、うちよりもう少し山側のマキキに住んでいる友達の家に行った。
夕陽を浴びたタンタラスの丘がとても綺麗だった。

12月22日

サークルアイランド。

冬休みに入ったばかりの中学生のお子さんを連れたご家族は、皆さんハワイ初めて。
寒い北海道からわざわざいらしてくれた。

どこか忘れたが、ネット上でダイアモンドヘッドクラブを見つけられたそうだ。
全くの初めての方なのに、お土産を頂いてしまった。
六花亭という店のストロベリーチョコレートなのだが、フリーズドライされたイチゴが丸ごと一個、ホワイトチョコレートの中に入っている。

美味い!
甘い物にはうるさい私も、これにはうなった。

さて、穏やかな南の海、上がってきた貿易風にホワイトキャップが立つ東側の海、そして10フィートを超える荒波のノースの海と、オアフ島の様々な顔を堪能していただいて、ドールでちょっと小雨があった以外は天気もずっと晴れていた。

帰りもフリーウェイは普段の金曜並にそこそこ混んでいたのだが、プナホウのオフランプで降りてからが大変だった。何しろクリスマス前の最後の金曜日である。パーティーラッシュの上に、ギフトショッピングの買い物などで、カラカウア・アベニューは大渋滞だった。

アラモアナ・ブルバードが一番凄かったようだが、結局通常10分以内で着くワイキキに40分もかかって到着。

家に帰ってシャワーを浴びて、乗馬関係のクリスマスパーティーinアラモアナ・ビーチパーク・ヨットハーバー。

ウォッカ飲み過ぎてフラフラになった。

12月23日

午前中、メールの返事を書いていると、コレア牧場からHelpの要請。
急に人数が増えて、ハナウマ湾に行かないお客さんを送っていく足が無くなってしまったようだ。

支度をしてワイマナロへ。
朝にはわかっていた人数の変更が、お昼近くになって連絡が入ったのには理由があった。

昨晩のパーティーが終わった後、ヨットハーバーで後片付けをしていたノリちゃん(乗馬ツアーのボス)が、携帯電話を持ったまま海に落ちてしまったらしい。

日本の寒さの中なら身体の事を心配するが、ハワイでは風邪を引く事は無い。
しかし携帯電話に入れていたメモリが駄目になり、牧場に着いてから私の番号がわかったのだそうだ。

夜はナイトドライブ&タンタラス。
タンタラスは嵐の前の静けさと言う感じで、閑散としていた。写真屋さんも暇そうだった。

オリジナルコースの住宅地での、クリスマスデコレーションを競い合うように飾ってある一角は、見物渋滞ができていた。

星も綺麗な夜だった。

帰りにダウンタウンに寄り、クリスマスツリーのコンテストも見ていただいた。
ここも人出が凄かった。

ワイキキもロイアル・ハワイアンショッピングセンター前のクリスマスツリーを始め、イルミネーションはあちこちで見られる。

明日くらいから年末年始の混雑が始まる。

12月24日

牧場がオヤスミの為、今週は乗馬の仕事は無し。
DHCもツアーが入らなかったので、大掃除をした。

高校生くらいから、クリスマスやお正月などの、人が休む時にはいつも仕事をしてきたが、自分で会社を始めたら休んでいる事が多い。

客層が違うと言えばそれまでだが、先日まで忙しかっただけに、こんな時期に一人でいる事は寂しさを感じる。

陽が昇り陽が沈むだけの自然のサイクルに、正月やクリスマスは関係が無いので、ハワイに住んでいるとそう言ったイベントに対する関心も薄くなって来ているような気がするが、一緒に祝える人がいれば、これもまた違ってくるんだろうなぁ。

12月25日

二日酔い気味で家でゴロゴロ。

昼間から外も静かで昼寝にはイイが、Lakersのゲームが昼過ぎから始まるので、ちょっとダレながら応援してたら負けた・・・。

夜は友達の大ちゃんの家に行って、奥さんと3人での小さなパーティー。

この大ちゃんは、16年前にLAの寿司屋で仕事をした時に出会って以来の付き合い。
いわゆる腐れ縁だ。
日本とLAを行ったり来たりしている間は、何年も合わない事もあったが、私がLAに行ったり、彼が東京に来たりした時には一度は会っていた仲だ。
今はマリンスポーツ関係のイントラをしている彼が、LAで一時ツアーガイドをしていたので、私もこの業界に入る事になったのだ。

暴動などで荒れていたLAを出たいと言う話しは、当時LAに住んでいた者達のいつもの会話だったが、私や彼のように永住権を持っていてもハワイは遠く離れた島だし、今のようにインターネットもなかったので仕事や生活の状況を簡単に調べる事も出来なかった。

そこでハワイに叔父の住んでいる私が最初に移って来た。
ハワイからLAの友人たちには、仕事やアパートの情報などを送っていた。
私がハワイに来て約1ヶ月後にLA大地震が起きた。(1994年1月)

大ちゃんがハワイに引っ越してきたのは、その4ヶ月後だった。

他にもLAから数名の友達が移ってきて、いまはハワイで活躍している者もいる。

ハワイもアメリカだが、ここは他のどの本土の街とも違う特別の場所で、典型的なアメリカはどこにも無い。

同様にアメリカ本土からハワイへ移住してきた人をたくさん知っているが、皆口々に言うのは、ハワイは生活が大変と言うことだ。

そのハワイが合わずに本土に帰って行った者もいたが、ハワイに住み着いている者は、ハワイの本当の魅力を知ってしまったのだ。

12月26日

歩いてすぐの所にサーティーワンのアイスクリームショップがあるのだが、私は昔からハーゲンダッツのファンである。

依然LAでは「ハニーバニラ」というのが好きだったのだが、ハワイではあまり目にする事が無く、その代りにポピュラーなのが「パイナップル&ココナッツ」で、もうすっかりはまっている。



日本では売っていない様で、とても不思議だ。
もう見事にハワイにぴったりの味で、もしかしたら地域限定販売なのだろうか?

地域限定販売と言えばパイナップルプリッツが有名だが、箱が大きくて今一つお土産にしにくいらしい。

今年発売されたコアラのマーチ・パイナップルは味が今一。

アイスクリームもお土産には出来ないので、ハワイに来た時にしか食べられないか。

来年もまた美味しい物見つけるぞ。

12月27日

午前中、3ヶ月ぶりに日本から帰ってきたハワイ在住の日本人ミュージシャンの友達と会った。

大晦日にワイキキでカウントダウン・ライブを控えての調整期間で、気分をリラックスさせる術は芸術家ならではの技を感じさせる。

午後はダイアモンドヘッドクラブの新しいページの作成。

夜はWAI WAIの鍋会に出席した。
観光で来ている方も多いはずだったが、住人がほとんどで、こじんまりとした集まりだった。

スカイダイブセンターのY夫妻が出席して、ビデオなど見て盛り上がった。

12月28日

お客様から御菓子を送っていただいた。

九州地区限定の明太子プリッツと、夏みかんプリッツである。

ハワイのパイナップル・プリッツのように、大きな箱に入っていて、これをさらに大きな箱に入れて送ってくださった。

ツアーの時にドールプランテーションでパイナップル・プリッツを買われ、その時に話題になって、実際に送ってくださったのだ。

今晩は、昨日の鍋会の時にスカイダイブセンターのY夫妻から借りた日本のビデオでも見ながら、ビール片手に明太子プリッツになりそうだ。

今日はダイアモンドヘッドクラブのホームページに、「お勧めハワイアンミュージック」のページを追加した。
少しずつ増やして行きたい。

ところでGaiaxの新サービスと言う検索窓は、邪魔なだけで、上部の黄色のスペースに移してもらえないのだろうか?
せっかくスッキリ作っているのに・・・。

12月29日

同じアパートに住む日本人留学生と、アパートの入り口で久しぶりに会った。
一応学校は行っているものの、語学で伸び悩んでいて、ローカルの友達が欲しいと言っていた。

やはり近所に住む日本人留学生から電話があった。
学校が休みなのだが、日本人の友達は日本に帰省している人が多いそうで暇そうだった。


またまた日本から小包が届いた。しかも二つ。

こう言う物は、続く時は続くもので、今年も何度かお店を開けるほどのお煎餅やお蕎麦をいただいた事があった。

蕎麦といえば、ハワイのダイエーでも、お蕎麦くらい売っているが、値段が高いのと、平気で賞味期限が切れてたりする事があるのだ。

私は、日本蕎麦だったら、毎日お昼に食べてもイイくらい好きなのだが、ダイエーのはなんだか買う気がしない。

そこで友人が遊びにくる時につい頼んでしまうのが、集中してしまうことがあった。

「ハワイ日記」なんだか「頂きもの日記」なんだかわからなくなってきてるが、ハワイの自然と接する事による喜びと同じように、頂き物には喜びを感じる。

「More You Gift More You Get」

私もたくさん贈り物をしたい。

ところで、お蕎麦の他にパスタ料理にかける食品も頂いたのだが、これも昔は「まぜりゃんせ」しかなかったのに、今はレトルトとかチューブタイプとかフリカケタイプなどいろいろあって、やはり美味しい。

やっぱり食べ物の文化は日本が凄い。

12月30日

朝から、南からのコナ・ウィンドが緩やかに吹く蒸し暑い日。
昨日少し出た雲もどこかに飛び去り、夏のような空の下、マカプウのトレッキングに行った。

九州の幼稚園から来た「キリン組」と「ペンギン組」の先生方は今年2度目で、前回はナイトドライブに参加されて、数日前にはダイアモンドヘッドにも登られたそうだ。

年末のお休みと、土曜日と言う事もあり、トレイル入り口は車がたくさん駐車していたが、実際すれ違ったのは往復で30名ほど。
日本人はゼロだった。

犬を連れている人は多いが、小さな子供を連れていたり、それを乳母車で引いていたり、自転車やスクーターを持ちこんでいたりする人もいて、ダイアモンドヘッドとは大違い。

通常11月にマウイ沖にやってくるクジラが、今年は10月には来ていたと言う話しなので、同じく普段は1月にオアフにやってくるクジラが12月の終わりに来ていてもおかしくは無いので、穏やかな海側を見ながらの山登りだった。

最初、南方面を見ながら歩いている時も、双眼鏡の置いてある展望台のところでも、クジラの影は全く見えなかったのだが、頂上近くに来て人が集まっているところがあり、聞いてみると、「あそこにいるよ」と。

指差す方角を見ると、2頭のクジラが並んで潮を吹き上げていた。

お客さんは大感激。
私もこの冬最初のクジラだった。

何度か潮を吹いた後、多分親子だと思われるクジラは、潜って姿を現さなかった。

いつもはかなり涼しい頂上も、コナウィンドで風はほとんど無し。
スパムむすびを食べて、下山中にもクジラを探したが、現れず。

前回のツアーの時にお勧めした「クラムジャーキー」がワイキキで見つけられなかったと言うので、帰りにマキキのTimesマーケットに寄って購入してから戻った。

今日はやっぱりクジラ。

12月31日

依然南からのコナ・ウィンドが吹いている。

ハワイは地球上でも最後のほうに年明けを迎えるのだが、一日近く前に既に21世紀に突入している日本から、大量の年賀メールが届いた。

夕方になって、日本にいる親戚に電話をした。
これから新年会の準備だそうだ。

私は日本から遊びに来ているスカイダイバーの友人と、年越しパーティーに出かけた。

UH近くの日本食料理店の、シェフの自宅で開かれたパーティーは、ハワイ在住の日本人の家族連れを中心に20名ほどが集まっていた。
いつもは狭いと思うハワイの日本人社会だが、今日はほとんどの方が初対面だった。

さすがにレストラン関係者だけあって、ここ最近で出たパーティーの中では最も豪華な食事だった。

パンチボウルに近い、アッパー・マキキのコンドからは、ワイキキやアラモアナ方面が見渡せ、あちこちで爆竹の音が響いていた。
しかし今回から始まった花火の規制で、例年に比べたらかなり大人しい感じがした。

それでも12時が近づくと、一般民家としては規模の大きい打ち上げ花火が上がりだし、時報と共にヒルトンホテルやマジックアイランド方面には大きな仕掛花火が開いていた。

いつもならこの後、爆竹が街中で炸裂しつづけるのだが、5000発まで25ドルと言うライセンス制になって、一時頃までにはほとんど爆竹の音はしなくなった。

2時頃家に戻って、初日の出の為に仮眠した。


ページ頭に戻る


前のページに戻る

ご感想などございましたら、社長の個人ホームページ「じゅにーK's Website」掲示板までどうぞ。

「じゅにーK's Website」じゅにーK's  Website



ホームに戻る ホームに戻る